萬屋錦之介(よろずや・きんのすけ, 1932年11月20日 - 1997年3月10日)は、日本の俳優。歌手。東映俳優労働組合委員長。映画・舞台制作プロダクション「中村プロダクション」社長。本名は小川錦一(おがわ・きんいち)。
歌舞伎俳優から映画・テレビの時代劇俳優に転じて成功。若い頃の芸名は中村錦之助(なかむら・きんのすけ)といい、新しい芸名の「萬屋」は1971年に制定した小川家の屋号から採った。父は三世中村時蔵であり、俳優の中村賀津雄(現・中村嘉葎雄)は弟、同じく俳優の中村獅童 (2代目)は甥にあたる。女優の有馬稲子、淡路恵子は元妻。
初名は中村錦之助。吉右衛門劇団立女形を父に持つ歌舞伎役者の御曹司で、むろん歌舞伎に出演し、歌舞伎修行を積んでいた。女形・立役(男役)ともに務めたが、女形としての評価が高かった。美空ひばり(のプロダクション新芸術プロ)から映画界にスカウトされた。それが報じられると、同業の俳優から、「映画転出は許さない」と抗議が殺到した。父三世時蔵をして「中途半端はいけない。映画界に行くなら歌舞伎を辞めて行きなさい」と言わせるほど激しいものであった。そして歌舞伎を断念、東京歌舞伎座早朝若手興行の「学生歌舞伎」で「菊畑」(虎蔵実ハ牛若丸)を歌舞伎卒業公演として梨園に見切りをつけた(これは正解で、そもそも四男であったため、将来にわたり主役になれないことが初めからほぼ確定していた。さらに、その後、父自身も立女形の座を一族外のものに取られてしまい、居場所を失い劇団を辞めている。父でさえそのような有様なのだから、三世時蔵の子息で歌舞伎に残った者(錦之介の兄達)はその後いずれも大変な苦労をした。すぐ上の三兄は早くに廃業し転業しているが、次兄四世中村時蔵は睡眠薬事故で早世(自殺説もある)、長兄小川貴智雄は病気のため俳優を廃業)。
なお、歌舞伎もやりながら映画もやるというのを許さないというのは、映画で人気を得て歌舞伎の序列をかき乱すことは許さない、という同業者の妬みによるものでしかなかった。しかもスカウトしてきたのがこの時既に大スターであった美空ひばりであった事が事態に拍車を掛けたと言われる。その証拠に、錦之助は映画で名をなしてから父三世時蔵を映画界に呼び寄せ、数本の映画に出演させたが、その際に父は特に歌舞伎をやめる必要はなかったのである。
美空ひばりとの共演作(新芸術プロ作品「ひよどり草紙」)で映画デビューの後、新東宝を経て東映に移籍。同社製作の映画『笛吹童子』に出演し、これの大ヒットにより一躍スターの座を手に入れた。以後、大川橋蔵や東千代之介らと共に東映時代劇映画の看板スターとなり、日本映画界の全盛期を支えた大スターの一員となった。長谷川伸の股旅物「瞼の母」、「関の弥太っぺ」も評価が高い。その明るく気さくで豪快な性格から俳優仲間や裏方のスタッフ達、ファンから高い人気を得、多くの人たちから「錦兄ィ」(きんにい)「錦ちゃん」と慕われ、親しまれた。
レコード歌手としてもデビューし、「やくざ若衆」「いろは小唄」などの曲をリリースしている。
昭和30年代後半、テレビに人気を奪われ、映画産業が徐々に斜陽化の様相を呈するようになった頃から、時代を読むのに長けていた錦之助はテレビドラマへの進出を図り、1966年には東映内部の労働争議に巻き込まれた(東映俳優労働組合の委員長に就任したが、収められなかった)こともあって東映を退社。1968年に「中村プロダクション」を設立し、本格的にテレビ時代劇の世界に進出し、高い評価を得る。この頃の出演ドラマとして、「子連れ狼 (萬屋錦之介版)」や「破れ傘刀舟悪人狩り」、「破れ奉行」、「長崎犯科帳」、「破れ新九郎」等がある。
1956年の小川家による地方巡業「お祭り」「仮名手本忠臣蔵 八段目道行旅路の嫁入」で舞台にも復帰。毎年6月に東京・歌舞伎座で定期興行を打っていた。なお、東映所属でありながら、東映歌舞伎へは出演せず、一回も上がったことはない。(地方ではない)東京での舞台は(1960年の明治座を除いて)いずれも松竹の興行であった。歌舞伎座での興行でありながら、錦之助の演目はほとんどが歌舞伎ではない新作時代劇であった。そして、歌舞伎であっても全てが明治以降に作られたいわゆる「新歌舞伎」であった。本人も古典・伝統歌舞伎をやるつもりはなく、「(重の井)子別れなんてできねェよ」と言っていた。
映画界入りして以降の、舞台で演じた歌舞伎演目は次のとおり。
「新歌舞伎十八番の内 紅葉狩」(1971)
真山青果「元禄忠臣蔵 御浜御殿綱豊卿」(1972)
真山青果「頼朝の死」(1973,1982)
真山青果「新門辰五郎」(1976)
岡本綺堂「番町皿屋敷」(1974)
河竹黙阿弥「極付幡随長兵衛」(1980,1994)
「お祭り」(1956年地方巡業)
「仮名手本忠臣蔵 八段目道行旅路の嫁入」(1956年地方巡業、1994)。
※ 復帰狂言「お祭り」は「待ってました!」「待っていたとはありがてえ」という、復帰にからめたお馴染みのもの。「極付幡随長兵衛」は明治に作られた戯曲であるが、河竹黙阿弥作であるために例外的に「新歌舞伎」とは呼ばない。「道行旅路の嫁入」は古典歌舞伎だが舞踊劇であり、本人は“ごちそう”“もうけ役”として一瞬登場するだけである。
なお、歌手として「錦ちゃん祭り」というライブ・イベントを各地で開催している。
1971年10月、歌舞伎座での「三世時蔵十三回忌追善興行」で小川家で一門をなすことを宣言し、家の屋号を「萬屋」に、定紋を桐蝶に改めた。
翌1972年に自身の芸名も中村錦之助から「萬屋錦之介」と改めた。この際、名を占い(姓名判断)により「錦之助」を「錦之介」と変えている。
芸能人としては大成功を収めたが、私生活では、三度の結婚と二度の離婚、中村プロダクションの倒産、自身の大病(重症筋無力症)による一年半余りに及ぶ闘病、息子の急死等、さまざまな災難に巻き込まれた。
1996年、長年の芸能活動を文化庁から表彰されるも、中咽頭癌に罹患し、1997年3月10日死去。64歳。
人物
萬屋は、生前の彼を知る人の話を総合すると、相当な凝り性だったようである。
子連れ狼で、拝一刀を演じたときには、胴太貫の使い手である一刀に影響されてか、胴田貫一門の刀コレクションを始め、多い時にはその数が数百本に達したという。また、占いにも凝っていたらしく、ウルトラセブンで知られる森次浩司が森次晃嗣に改名したのも、占い好きの彼の助言によるという。また、自身も方位学に凝り、ひどい時には、方角が悪いといって、方違えのために家に帰らず、ホテルに泊まることもしばしばであったという。その結果、宝塚歌劇団出身で退団後女優活動をしていた甲にしきと不倫関係となり、当時の妻淡路恵子と離婚。甲と再々婚することとなった。
また、溺愛する息子達が子供だった頃「仮面ライダー」の大ファンであり、「父ちゃんは偉い役者だって言うけど、仮面ライダーに出てないじゃないか!」と言われ、「仮面ライダー」出演を本気で東映にオファーしたことがある。東映のスタッフ達はさすがに絶句。当時はこういった大御所の俳優が特撮番組に出演することはあまり前例がなかったため、出演は叶わなかったが、息子達のために、地獄大使を演じていた友人の俳優・潮健児に頼んで、その衣装で潮に家に来てもらったことがあるという。
元プロ野球選手の王貞治(現・ソフトバンク監督)とは自宅が近所ということから、家族ぐるみの付き合いをしていた。
プロ野球阪神タイガースのファンでもあり、阪神の選手とも家族ぐるみの付き合いをしていた。
萬屋
萬屋は1971年に新しく制定した小川家の屋号である。もともとは、小川かめ(嘉女)の生家「小川吉右衛門」家(屋号「萬屋」)にちなんだものである。小川吉右衛門家は、「萬屋」という屋号で代々市村座の芝居茶屋をしていた。つまり歌舞伎の関係者であった。小川吉右衛門の娘であるかめは、三代目中村歌六の妻であり、初代中村吉右衛門(波野家を継ぐ)、三代目時蔵(小川家を継ぐ)の母であり、錦之介ら小川家5兄弟の祖母である。次男三代目時蔵のみあえて母の実家の姓を名乗った。三代目時蔵はそればかりでなく、小川家ごと「播磨屋」を脱して単独で屋号「萬屋」を名乗りたい意向を持っていたが、自身は果たせなかった。錦之助ら遺児たちが1971年に「萬屋」を名乗ったのは、両家がもはや一門をなさないという主張であり、吉右衛門家への対抗意識による。
「萬屋」はそもそも中村吉右衛門家・小川家共通のルーツである。このことは中村吉右衛門家も強く意識していた。二代目中村吉右衛門は初名を中村萬之助と名乗った。また吉右衛門の弟子筋にも「萬(万)」の字をつけさせた(中村万之丞など)。しかし、小川家が「萬屋」となった後は、中村吉右衛門家は「萬」の字を使わないようになったのである(例:中村万之丞は中村吉之丞と改めた)。
女形役者初代中村錦之助
生前、母小川ひなから、再三「五代目中村時蔵」を襲名するように懇願されたが、本人は拒否した。この名は本名の「錦一」に由来するもので、過去での歌舞伎に由来を持たない、まったく本人独自のものである。もちろん初代である。二代目中村錦之助はこの名を「歌舞伎では大したことのない名前」と言っている。中村錦之助という名は歌舞伎界においてはこのように軽いものである。この名を歌舞伎・映画俳優時代を通じて名乗り続け、1972年に萬屋錦之介と改名した。
彼の息子は、歌舞伎界には入らず、映画界に入ったものの大成しなかった。
であればこの名は他人が名乗るしかない。しかし、この名は歌舞伎から映画界に転じて、しかも松竹の手を離れて他社の映画に転じて大成した名である。それゆえに、歌舞伎を牛耳る松竹がタッチしたがらない名前、いわば永久欠番的な存在である、と長らく言われ続けていた。歌舞伎における軽い位置づけと裏腹に、この名の存在感が映画界であまりに重すぎるのもそういわれてきた原因のひとつである。
しかし、2007年4月2日、東京歌舞伎座の大歌舞伎興行で、親戚(錦之介の甥(四代目中村時蔵の次男))である中村信二郎が、『鬼一法眼三略巻・菊畑』の虎蔵実は牛若丸役と『双蝶々曲輪日記・角力場(すもうば)』の長吉、与五郎役で中村錦之助を襲名した。「菊畑」の虎蔵実は牛若丸は初代が歌舞伎時代に最後に演じた役であり、ゆかりがある。
二代目中村錦之助は「(映画界において大成した)中村錦之助という名を歌舞伎に戻すのが私の役割」と言っている。これは異例の試みである。二代目にとってみても悪い話ではない。萬屋は新興の一門であるにもかかわらず、子沢山で俳優数が多かったことから、「錦之助」以外の良い名前はすべて使用されていたのである。襲名披露公演では親戚である、中村吉右衛門、中村勘三朗一家等人気俳優が出演、一大イベントになった。
なお、これとは別に「中村錦之介」を名乗る萬屋の形態模写を行う物真似タレントが1980年代初頭に存在した。ただし、このタレントについては、萬屋サイドからクレームがついたか、それとも単に物真似芸としてのセンスの無さや時勢的な問題で売れなかったかは定かではないが(折しも漫才ブームの頃であり、圧倒的な人気を集める漫才芸人に押される格好で物真似芸人の活躍の幅が狭まっていた時期である)、当時のメディアへの露出もほとんどないまま極めて短期間の内に表舞台から姿を消している為、現代における知名度は全く無いと言える(もっとも、これはプロの芸人ではなく、いわゆる天狗連の類がたまたまテレビに出演しただけという可能性も考えられる)。
全出演作リスト
協力 中村健太
映画
1954.02.10 ひよどり草紙 / 制作:新芸術プロ
1954.03.24 花吹雪御存じ七人男 / 制作:新東宝
1954.04.27 新諸国物語 笛吹童子 第一部どくろの旗 / 制作:東映京都 役名:菊丸
1954.05.03 唄しぐれ おしどり若衆 / 制作:東映京都
1954.05.03 新諸国物語 笛吹童子 第二部幼術の闘争 / 制作:東映京都 役名:菊丸
1954.05.10 新諸国物語 笛吹童子 第三部満月城の凱歌 / 制作:東映京都 役名:菊丸
1954.05.31 里見八犬伝 第一部 妖刀村雨丸 / 制作:東映京都
1954.06.08 里見八犬伝 第二部 芳流閣の龍虎 / 制作:東映京都
1954.06.15 里見八犬伝 第三部 怪猫乱舞 / 制作:東映京都
1954.06.22 里見八犬伝 第四部 血盟八剣士 / 制作:東映京都
1954.06.29 里見八犬伝 完結篇 暁の勝鬨 / 制作:東映京都
1954.08.01 唄ごよみいろは若衆 / 制作:東映京都 役名:稲葉弥之助
1954.09.07 八百屋お七 ふり袖月夜 / 制作:東映京都
1954.09.21 お坊主天狗 前篇 / 制作:東映京都
1954.10.12 お坊主天狗 後篇 / 制作:東映京都
1954.11.08 満月狸ばやし / 制作:東映京都 役名:豆太郎、絃之介
1954.11.22 新選組鬼隊長 / 制作:東映京都
1954.12.27 新諸国物語 紅孔雀 第一篇 / 制作:東映京都
1955.01.03 新諸国物語 紅孔雀 第二篇 呪いの魔笛 / 制作:東映京都
1955.01.09 新諸国物語 紅孔雀 第三篇 月の白骨城 / 制作:東映京都
1955.01.15 勢ぞろい喧嘩若衆 / 制作:東映京都
1955.01.15 新諸国物語 紅孔雀 第四篇 剣盲浮寝丸 / 制作:東映京都
1955.01.21 新諸国物語 紅孔雀 完結篇 廃墟の秘宝 / 制作:東映京都
1955.02.13 越後獅子祭 やくざ若衆 / 制作:東映京都
1955.04.19 青春航路 海の若人 / 制作:東映東京 役名:山里英一郎
1955.05.24 あばれ纏千両肌 / 制作:東映京都
1955.07.30 源義経 / 制作:東映京都
1955.09.20 紅顔の若武者 織田信長 / 制作:東映京都
1955.10.09 獅子丸一平 / 制作:東映京都
1955.10.17 続獅子丸一平 / 制作:東映京都
1955.11.22 あばれ振袖 / 制作:東映京都
1956.01.03 羅生門の妖鬼 / 制作:東映京都 役名:平三郎敦時、小百合、茨木、僧智籌
1956.01.15 晴姿一番纏 / 制作:東映京都
1956.01.15 赤穂浪士 天の巻 地の巻 / 制作:東映京都 役名:小山田庄左衛門
1956.02.11 獅子丸一平 第三部 / 制作:東映京都
1956.03.15 続源義経 / 制作:東映京都
1956.04.19 悲恋 おかる勘平 / 制作:東映京都
1956.04.25 異国物語 ヒマラヤの魔王 / 制作:東映京都
1956.05.03 異国物語 ヒマラヤの魔王 双竜篇 / 制作:東映京都
1956.05.11 異国物語 ヒマラヤの魔王 日月篇 / 制作:東映京都
1956.07.05 「薄雪太夫」より 怪談 千鳥ケ淵 / 制作:東映京都 役名:美之助
1956.08.08 青年安兵衛 紅だすき素浪人 / 制作:東映京都
1956.10.09 危し!獅子丸一平 / 制作:東映京都
1956.10.17 曽我兄弟 富士の夜襲 / 制作:東映京都
1956.10.24 獅子丸一平 完結篇 / 制作:東映京都
1956.12.26 新諸国物語 七つの誓い 黒水仙の巻 / 制作:東映京都
1957.01.03 新諸国物語 七つの誓い 奴隷船の巻 / 制作:東映京都
1957.01.03 任侠清水港 / 制作:東映京都
1957.01.09 新諸国物語 七つの誓い 凱旋歌の巻 / 制作:東映京都
1957.02.12 青雲の鬼 / 制作:東映京都
1957.03.20 雨の花笠 / 制作:東映京都
1957.04.16 源氏九郎颯爽記 濡れ髪二刀流 / 制作:東映京都 役名:源氏九郎
1957.04.30 隼人族の叛乱 / 制作:東映京都 役名:桂原主税介
1957.07.13 大菩薩峠 / 制作:東映京都 役名:宇津木兵馬
1957.08.11 水戸黄門 / 制作:東映京都 役名:宇之吉
1957.09.15 ゆうれい船 怒濤篇 / 制作:東映京都
1957.09.23 ゆうれい船 後篇 / 制作:東映京都
1957.11.10 恋風道中 / 制作:東映京都
1958.01.03 任侠東海道 / 制作:東映京都 役名:桶屋の鬼吉
1958.01.15 おしどり駕籠 / 制作:東映京都
1958.02.05 江戸の名物男 一心太助 / 制作:東映京都
1958.03.11 源氏九郎颯爽記 白狐二刀流 / 制作:東映京都 役名:源氏九郎
1958.04.15 風と女と旅鴉 / 制作:東映京都 役名:風間の銀次
1958.04.21 大菩薩峠 第二部 / 制作:東映京都 役名:宇津木兵馬
1958.06.29 清水港の名物男 遠州森の石松 / 制作:東映京都
1958.07.13 殿さま弥次喜多 怪談道中 / 制作:東映京都 役名:徳川宗長
1958.08.12 旗本退屈男 / 制作:東映京都 役名:揚羽の蝶次
1958.09.03 剣は知っていた 紅顔無双流 / 制作:東映京都
1958.10.01 隠密七生記 / 制作:東映京都
1958.10.22 一心太助 天下の一大事 / 制作:東映京都 役名:一心太助、徳川家光
1958.12.02 浅間の暴れん坊 / 制作:東映京都
1959.01.03 殿さま弥次喜多 捕物道中 / 制作:東映京都
1959.01.15 忠臣蔵 桜花の巻 菊花の巻 / 制作:東映京都 役名:浅野内匠頭
1959.02.24 美男城 / 制作:東映京都
1959.04.01 お役者文七捕物暦 蜘蛛の巣屋敷 / 制作:東映京都 役名:お役者文七
1959.04.28 大菩薩峠 完結篇 / 制作:東映京都 役名:宇津木兵馬
1959.05.25 独眼竜政宗 / 制作:東映京都
1959.07.12 水戸黄門 天下の副将軍 / 制作:東映京都
1959.08.09 血闘水滸伝 怒濤の対決 / 制作:東映京都
1959.09.13 浪花の恋の物語 / 制作:東映京都
1959.10.25 風雲児 織田信長 / 制作:東映京都
1959.11.29 一心太助 男の中の男一匹 / 制作:東映京都
1960.01.03 任侠中仙道 / 制作:東映京都
1960.01.15 殿さま弥次喜多 / 制作:東映京都
1960.02.23 弥太郎笠 / 制作:東映京都
1960.06.05 暴れん坊兄弟 / 制作:東映京都
1960.06.21 親鸞 / 制作:東映京都
1960.08.07 水戸黄門 / 制作:東映京都 役名:放駒の四郎吉
1960.09.27 続親鸞 / 制作:東映京都
1960.11.22 森の石松鬼より怖い / 制作:東映京都
1960.12.27 若き日の次郎長 東海の顔役 / 制作:東映京都
1961.01.03 家光と彦左と一心太助 / 制作:東映京都
1961.03.12 江戸っ子奉行 天下を斬る男 / 制作:東映京都
1961.03.28 赤穂浪士 / 制作:東映京都 役名:脇坂淡路守
1961.05.27 宮本武蔵 / 制作:東映京都 役名:新免武蔵
1961.06.21 若き日の次郎長 東海一の若親分 / 制作:東映京都
1961.08.26 江戸っ子繁昌記 / 制作:東映京都
1961.11.08 反逆児 / 制作:東映京都 役名:三郎信康
1962.01.03 若き日の次郎長 東海道のつむじ風 / 制作:東映京都
1962.01.14 瞼の母 / 制作:東映京都 役名:番場の忠太郎
1962.03.07 源氏九郎颯爽記 秘剣揚羽の蝶 / 制作:東映京都 役名:源氏九郎 初音の鼓
1962.03.25 千姫と秀頼 / 制作:東映京都
1962.06.10 ちいさこべ 第一部 / 制作:東映京都 役名:大留の茂次
1962.06.10 ちいさこべ 第二部 / 制作:東映京都 役名:大留の茂次
1962.09.22 次郎長と小天狗 殴り込み甲州路 / 制作:東映京都
1962.11.17 宮本武蔵 般若坂の決斗 / 制作:東映京都 役名:宮本武蔵
1963.01.03 勢揃い東海道 / 制作:東映京都
1963.01.15 一心太助 男一匹道中記 / 制作:東映京都
1963.04.28 武士道残酷物語 / ベルリン国際映画祭グランプリ(金熊賞)受賞作品。制作:東映京都
1963.06.02 真田風雲録 / 制作:東映京都 役名:はなれ猿の佐助
1963.08.14 宮本武蔵 二刀流開眼 / 制作:東映京都 役名:宮本武蔵
1963.11.20 関の弥太ッぺ / 制作:東映京都 役名:関の弥太郎
1964.01.01 宮本武蔵 一乗寺の決斗 / 制作:東映京都 役名:宮本武蔵
1964.06.27 鮫 / 制作:東映京都
1964.08.13 日本侠客伝 / 制作:東映京都
1964.11.01 仇討 / 制作:東映京都
1965.01.03 徳川家康 / 制作:東映京都 役名:織田信長
1965.04.10 冷飯とおさんとちゃん / 制作:東映京都 役名:柴山大四郎、参太(大工)、重吉(火鉢職人)
1965.05.22 股旅三人やくざ / 制作:東映京都
1965.09.04 宮本武蔵 巌流島の決斗 / 制作:東映京都 役名:宮本武蔵
1965.11.20 花と龍 / 制作:東映京都 役名:玉井金五郎
1966.01.13 続花と龍 洞海湾の決斗 / 制作:東映京都 役名:玉井金五郎
1966.04.01 沓掛時次郎 遊侠一匹 / 制作:東映京都 役名:沓掛時次郎
1966.05.21 丹下左膳 飛燕居合斬り / 制作:東映京都
1968.11.23 祇園祭 / 制作:日本映画復興協会 役名:新吉(染物職人)
1969.03.01 風林火山 / 原作:井上靖。制作:三船プロ 役名:武田信玄
1969.05.01 御用金 / 制作:フジテレビジョン=東京映画
1969.09.13 尻啖え孫市 / 制作:大映京都 役名:雑賀孫市
1969.09.20 地獄変 / 制作:東宝
1969.12.05 新選組 / 制作:三船プロ 役名:有馬勝太
1970.02.14 幕末 / 制作:中村プロ 役名:坂本竜馬
1970.03.21 待ち伏せ / 制作:三船プロ 役名:伊吹兵馬
1970.10.17 商魂一代 天下の暴れん坊 / 制作:東宝
1971.02.20 真剣勝負 / 制作:東宝 役名:宮本武蔵
1971.05.22 暁の挑戦 / 制作:フジテレビジョン=新国劇映画
1978.01.21 柳生一族の陰謀 / 制作:東映京都=東映太奏映画村 役名:柳生但馬守宗矩
1978.10.28 赤穂城断絶 / 制作:東映京都=東映太奏映画村 役名:大石内蔵助
1979.03.10 日蓮 / 制作:永田プロ
1979.09.01 真田幸村の謀略 / 制作:東映京都
1980.05.24 徳川一族の崩壊 / 制作:東映京都 役名:松平容保
1981.04.11 ちゃんばらグラフィティー 斬る! / (※過去のさまざまな東映時代劇映画の総集編)。制作:東映京都
1981.04.11 仕掛人梅安 / 制作:東映=東映太奏映画村
1985.11.16 最後の博徒 / 制作:東映京都 役名:清島春信
1989.10.07 千利休 本覺坊遺文 / ヴェネチア国際映画祭サン・マルコ銀獅子賞受賞作品。制作:西友 役名:織田有楽斎
テレビドラマ
暗闇の丑松 (1966年、NET)
いのち (1966年、NET)
泣いてたまるか (1966年、TBS)
真田幸村 (1966年、TBS)
江戸一番の大泥棒 (1968年、NTV)
魔像十七の首 (1969年、ABC)
春の坂道(大河ドラマ) (1971年 NHK) (柳生宗矩 役)
大忠臣蔵 (1971年、NET)
さすらいの狼 (1972年 NET)
関の弥太っぺ (1973年、NET)
弥太郎笠 (1973年、NET)
子連れ狼 (1973年 - 1976年 NTV) (拝一刀 役)
破れ傘刀舟悪人狩り (1974年 - 1977年 NET) (叶刀舟 役)
長崎犯科帳 (1975年 NTV) (平松忠四郎 役)
破れ奉行 (1977年 ANB) (速水右近 役)
柳生一族の陰謀 (1978年、KTV)
破れ新九郎 (1978年 - 1979年 ANB) (新九郎 役)
赤穂浪士 (1979年 ANB)
鬼平犯科帳 (1980年 - 1982年 ANB) (長谷川平蔵 役)
それからの武蔵 (1981年 TX) (宮本武蔵 役)
日本犯科帳・隠密奉行(1981年 - 1982年 CX) (朝日奈河内守正清 役)
宿命剣 鬼走り (1981年、フジテレビ)
竜馬がゆく (1982年 TX) (坂本竜馬 役)
柳生新陰流 (1982年 TX) (柳生宗矩 役)
危うし!大岡越前 (1982年、フジテレビ)
時代劇スペシャル 子連れ狼 (1984年 CX)(拝一刀 役)
弐十手物語 (1984年、フジテレビ)
真夜中の匂い (1984年、フジテレビ)
武蔵坊弁慶 (NHK新大型時代劇 1986年 NHK) (藤原秀衡 役)
ばら色の人生(1987年 NHK)
田原坂(1987年 NTV) (勝海舟 役)
銭形平次 (1987年 NTV) (笹野弥三郎 役)
赤ひげ (1989年 TBS)
柳生武芸帳 (1990年 NTV)
若さま侍捕物帖 (1991年 ANB)
雲霧仁左衛門 (1991年 CX)
御金蔵破り (1992 CX)
花の乱(大河ドラマ) (1994年 NHK) (山名宗全 役)
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
や行
や行
お嫁さんにしたい女優さんの一番手 八千草薫
八千草 薫(やちぐさ かおる、1931年1月6日 - )は、昭和後期・平成期(1940年代後半-)の女優。大阪府出身。夫は映画監督の谷口千吉。本名・谷口瞳。
思春期がちょうど戦時中であり、自宅も空襲で焼け、「色のある・夢のある世界」に飢えていたことから華やかな世界にあこがれた。プール学院在学中に宝塚音楽学校に合格。
1947年から1957年まで宝塚歌劇団で娘役として舞台に立つ。愛称は本名からヒトミ(ちゃん)。
入団当初は『分福茶釜』の狸などコミカルな役を当たり役としたが、1952年源氏物語の初演で可憐で無垢な若紫(光源氏生涯の伴侶紫の上の少女時代)を内・外面とも見事に表現し絶大な評判と人気を博した。以降は美貌・清純派の娘役として宝塚の一時代を風靡。
また宝塚在団中から映画など外部出演をこなし、当時の『お嫁さんにしたい有名人』の統計でたびたび首位に輝いた。
退団後も、舞台をはじめ映画・テレビ・ナレーションなど総合女優として幅広く活躍している。ドラマでは“浮世離れしたお嬢さん出の奥様”役が多い。
人物
高齢になっても、純情可憐という言葉がぴったり。
宝塚時代の経験が、仕事はもちろん、趣味の山歩きでも活きているという。自然環境保全審議会委員を務めたこともある。
穏やかな外見とは裏腹に、テレビドラマ『赤い疑惑』では、主演の山口百恵のスケジュールの都合で、細切れ断片的な収録を余儀なくされたことに納得せず、自ら途中降板するなど、仕事に妥協しない厳しい一面も持っている。
授賞歴
1977年:テレビ大賞主演女優賞『岸辺のアルバム』
家族に隠れて竹脇無我と不倫する主婦を演じた。それまでの良妻賢母的なイメージを打ち破り新たな役どころを開拓。
1986年:菊田一夫賞
1987年:都民文化栄誉賞
1997年:紫綬褒章
2003年:旭日小綬章
2004年:第27回日本アカデミー賞「優秀助演女優賞」(『阿修羅のごとく』)
2004年:毎日映画コンクール「田中絹代賞」
出演作品
映画
『宮本武蔵』 Samurai I - Musashi Miyamoto (第28回アカデミー賞名誉賞(最優秀外国語映画)受賞作品。1954年。初のカラー映画出演。大ヒット。 ※DVD発売)
『蝶々夫人』 Madama Butterfly (リッツォーリ・フィルム、ガローネ・プロ、東宝によるイタリア&日本合作映画。プッチーニ原作の世界的に有名な同名オペラの舞台をそのまま映画のセットで表現した忠実な映画化で、主役の「蝶々さん」役。撮影は全てイタリアのチネチッタ(Cinecittà)で行われ、八千草も渡伊した。1955年)
『雪国』(東宝・1957年)
『ガス人間第一号』(東宝・1960年)
『男はつらいよ 寅次郎夢枕』(1972年)マドンナ役
『田園に死す』(1974年)
『不毛地帯』(1976年)
『ハチ公物語』(1987年)
『サトラレ』(2001年)
『阿修羅のごとく』(2003年)
『交渉人 真下正義』(2005年)
『しゃべれどもしゃべれども』(2007年)
『きみにしか聞こえない』 (2007年)野崎さち役
テレビドラマ
『銭形平次』・お静役(フジテレビジョン系・1966年)
『けったいな人々』(日本放送協会・1973年)
『赤い疑惑』(東京放送系・1975年)
『俺たちの旅』(日本テレビ放送網・1975年)
『岸辺のアルバム』(東京放送系・1977年、主演)
『阿修羅のごとく』(日本放送協会・1979年、主演の里見巻子役)
『ちょっとマイウェイ』・浅井朋子役(日本テレビ放送網・1979年〜1980年)
『源氏物語』(TBS・1980年 桐壷、藤壷二役)
『茜さんのお弁当』(TBS系・1981年、主演)
『季節が変わる日』(日本テレビ系・1982年、主演)
大河ドラマ『徳川家康』・華陽院役(NHK・1983年)
NHK朝の連続テレビ小説『ロマンス』(NHK・1984年、ナレーション)
『風祭』(フジテレビ系、主演)
シャツの店(1986年、NHK)
『私の可愛いひと』(フジテレビ・1986年、主演)
大河ドラマ『独眼竜政宗』・北政所(ねね)役(NHK・1987年)
世にも奇妙な物語 『40年』(1991年、フジテレビ系)
NHK朝の連続テレビ小説『君の名は』(日本放送協会・1991年)
『お玉・幸造夫婦です』(よみうりテレビ・1994年、主演)
橋田壽賀子ドラマ『女の言い分』(東京放送系・1994年、主演)
NHK朝の連続テレビ小説『やんちゃくれ』(・1998年)
『フードファイト』三好悠子役(日本テレビ放送網系・2000年)
『アンティーク 〜西洋骨董洋菓子店〜』(フジテレビジョン系・2001年)
『愛と青春の宝塚』ナレーター(フジテレビジョン系)
『恋人はスナイパー』島村市江役(テレビ朝日系・2001年・2002年、東映・2004年)
大河ドラマ『利家とまつ〜加賀百万石物語〜』・たえ役(日本放送協会・2002年)
『東京物語』(フジテレビジョン系・2002年)
『ビッグマネー!〜浮世の沙汰は株しだい〜』(フジテレビジョン系・2002年)
『愛し君へ』(フジテレビジョン系・2004年)
『星野仙一物語 〜亡き妻へ贈る言葉〜』(TBS系・2005年)
『象列車がやってきた』(日本放送協会・2005年)ナレーター
『二十四の瞳』(日本テレビ放送網系・2005年)
『恋の時間』(東京放送系・2005年)
『白夜行』(東京放送系・2006年)
『拝啓、父上様』(フジテレビジョン系・2007年)
アニメ
『アガサ・クリスティーの名探偵ポワロとマープル』(NHK・2004年)ミス・マープル役(もう一方の主役のエルキュール・ポワロは、里見浩太朗。)
バラエティー番組
「森田一義アワー 笑っていいとも!」(※テレフォンショッキングゲスト、2007年3月14日に5回目の出演。フジテレビ)
「さんまのまんま」(関西テレビ系)
「ライオンのごきげんよう」(※記念すべき第1回ゲスト、1991年1月7日。フジテレビ)
「おしゃれ」(日本テレビ)
「土曜スタジオパーク」(NHK総合)
「生活ほっとモーニング」(2007年4月5日、NHK総合)
エピソード
上記の映画『蝶々夫人』は、有名なオペラとして世界各地で上演されているが、日本文化の描かれ方がめちゃくちゃで、映画を通じて、世界に正しい日本文化やこの作品の情景を伝えようという旨で制作された。そのため、日本家屋のセットはすべて日本から空輸して、現地(チネチッタ)で渡伊した日本人スタッフ(東宝のスタッフ)が組み立てた本格的なもの。もちろん、八千草もヒロイン像にふさわしい「日本人女性の象徴」としてのキャスティングである。また、八千草と共に助演で出演した寿美花代、東郷晴子、伊吹友木子ら当時の宝塚歌劇団団員約30名も一緒に渡伊した。1954年(昭和29年)10月2日、八千草を含む一団が羽田空港(旧・東京国際空港)からイタリアへ出発。ローマ空港に到着した模様や映画撮影中の模様を伝えるニュースフィルム(モノクロ)は今でも現存している。そして、全撮影を終え、同年11月12日、一団は約40日ぶりに日本に帰ってきた。映画制作費は当時の約2億円。
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
思春期がちょうど戦時中であり、自宅も空襲で焼け、「色のある・夢のある世界」に飢えていたことから華やかな世界にあこがれた。プール学院在学中に宝塚音楽学校に合格。
1947年から1957年まで宝塚歌劇団で娘役として舞台に立つ。愛称は本名からヒトミ(ちゃん)。
入団当初は『分福茶釜』の狸などコミカルな役を当たり役としたが、1952年源氏物語の初演で可憐で無垢な若紫(光源氏生涯の伴侶紫の上の少女時代)を内・外面とも見事に表現し絶大な評判と人気を博した。以降は美貌・清純派の娘役として宝塚の一時代を風靡。
また宝塚在団中から映画など外部出演をこなし、当時の『お嫁さんにしたい有名人』の統計でたびたび首位に輝いた。
退団後も、舞台をはじめ映画・テレビ・ナレーションなど総合女優として幅広く活躍している。ドラマでは“浮世離れしたお嬢さん出の奥様”役が多い。
人物
高齢になっても、純情可憐という言葉がぴったり。
宝塚時代の経験が、仕事はもちろん、趣味の山歩きでも活きているという。自然環境保全審議会委員を務めたこともある。
穏やかな外見とは裏腹に、テレビドラマ『赤い疑惑』では、主演の山口百恵のスケジュールの都合で、細切れ断片的な収録を余儀なくされたことに納得せず、自ら途中降板するなど、仕事に妥協しない厳しい一面も持っている。
授賞歴
1977年:テレビ大賞主演女優賞『岸辺のアルバム』
家族に隠れて竹脇無我と不倫する主婦を演じた。それまでの良妻賢母的なイメージを打ち破り新たな役どころを開拓。
1986年:菊田一夫賞
1987年:都民文化栄誉賞
1997年:紫綬褒章
2003年:旭日小綬章
2004年:第27回日本アカデミー賞「優秀助演女優賞」(『阿修羅のごとく』)
2004年:毎日映画コンクール「田中絹代賞」
出演作品
映画
『宮本武蔵』 Samurai I - Musashi Miyamoto (第28回アカデミー賞名誉賞(最優秀外国語映画)受賞作品。1954年。初のカラー映画出演。大ヒット。 ※DVD発売)
『蝶々夫人』 Madama Butterfly (リッツォーリ・フィルム、ガローネ・プロ、東宝によるイタリア&日本合作映画。プッチーニ原作の世界的に有名な同名オペラの舞台をそのまま映画のセットで表現した忠実な映画化で、主役の「蝶々さん」役。撮影は全てイタリアのチネチッタ(Cinecittà)で行われ、八千草も渡伊した。1955年)
『雪国』(東宝・1957年)
『ガス人間第一号』(東宝・1960年)
『男はつらいよ 寅次郎夢枕』(1972年)マドンナ役
『田園に死す』(1974年)
『不毛地帯』(1976年)
『ハチ公物語』(1987年)
『サトラレ』(2001年)
『阿修羅のごとく』(2003年)
『交渉人 真下正義』(2005年)
『しゃべれどもしゃべれども』(2007年)
『きみにしか聞こえない』 (2007年)野崎さち役
テレビドラマ
『銭形平次』・お静役(フジテレビジョン系・1966年)
『けったいな人々』(日本放送協会・1973年)
『赤い疑惑』(東京放送系・1975年)
『俺たちの旅』(日本テレビ放送網・1975年)
『岸辺のアルバム』(東京放送系・1977年、主演)
『阿修羅のごとく』(日本放送協会・1979年、主演の里見巻子役)
『ちょっとマイウェイ』・浅井朋子役(日本テレビ放送網・1979年〜1980年)
『源氏物語』(TBS・1980年 桐壷、藤壷二役)
『茜さんのお弁当』(TBS系・1981年、主演)
『季節が変わる日』(日本テレビ系・1982年、主演)
大河ドラマ『徳川家康』・華陽院役(NHK・1983年)
NHK朝の連続テレビ小説『ロマンス』(NHK・1984年、ナレーション)
『風祭』(フジテレビ系、主演)
シャツの店(1986年、NHK)
『私の可愛いひと』(フジテレビ・1986年、主演)
大河ドラマ『独眼竜政宗』・北政所(ねね)役(NHK・1987年)
世にも奇妙な物語 『40年』(1991年、フジテレビ系)
NHK朝の連続テレビ小説『君の名は』(日本放送協会・1991年)
『お玉・幸造夫婦です』(よみうりテレビ・1994年、主演)
橋田壽賀子ドラマ『女の言い分』(東京放送系・1994年、主演)
NHK朝の連続テレビ小説『やんちゃくれ』(・1998年)
『フードファイト』三好悠子役(日本テレビ放送網系・2000年)
『アンティーク 〜西洋骨董洋菓子店〜』(フジテレビジョン系・2001年)
『愛と青春の宝塚』ナレーター(フジテレビジョン系)
『恋人はスナイパー』島村市江役(テレビ朝日系・2001年・2002年、東映・2004年)
大河ドラマ『利家とまつ〜加賀百万石物語〜』・たえ役(日本放送協会・2002年)
『東京物語』(フジテレビジョン系・2002年)
『ビッグマネー!〜浮世の沙汰は株しだい〜』(フジテレビジョン系・2002年)
『愛し君へ』(フジテレビジョン系・2004年)
『星野仙一物語 〜亡き妻へ贈る言葉〜』(TBS系・2005年)
『象列車がやってきた』(日本放送協会・2005年)ナレーター
『二十四の瞳』(日本テレビ放送網系・2005年)
『恋の時間』(東京放送系・2005年)
『白夜行』(東京放送系・2006年)
『拝啓、父上様』(フジテレビジョン系・2007年)
アニメ
『アガサ・クリスティーの名探偵ポワロとマープル』(NHK・2004年)ミス・マープル役(もう一方の主役のエルキュール・ポワロは、里見浩太朗。)
バラエティー番組
「森田一義アワー 笑っていいとも!」(※テレフォンショッキングゲスト、2007年3月14日に5回目の出演。フジテレビ)
「さんまのまんま」(関西テレビ系)
「ライオンのごきげんよう」(※記念すべき第1回ゲスト、1991年1月7日。フジテレビ)
「おしゃれ」(日本テレビ)
「土曜スタジオパーク」(NHK総合)
「生活ほっとモーニング」(2007年4月5日、NHK総合)
エピソード
上記の映画『蝶々夫人』は、有名なオペラとして世界各地で上演されているが、日本文化の描かれ方がめちゃくちゃで、映画を通じて、世界に正しい日本文化やこの作品の情景を伝えようという旨で制作された。そのため、日本家屋のセットはすべて日本から空輸して、現地(チネチッタ)で渡伊した日本人スタッフ(東宝のスタッフ)が組み立てた本格的なもの。もちろん、八千草もヒロイン像にふさわしい「日本人女性の象徴」としてのキャスティングである。また、八千草と共に助演で出演した寿美花代、東郷晴子、伊吹友木子ら当時の宝塚歌劇団団員約30名も一緒に渡伊した。1954年(昭和29年)10月2日、八千草を含む一団が羽田空港(旧・東京国際空港)からイタリアへ出発。ローマ空港に到着した模様や映画撮影中の模様を伝えるニュースフィルム(モノクロ)は今でも現存している。そして、全撮影を終え、同年11月12日、一団は約40日ぶりに日本に帰ってきた。映画制作費は当時の約2億円。
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
タグ:お嫁さんにしたい女優
八千草薫
や行
名実共に映画界を代表する大女優 山田五十鈴
山田 五十鈴(やまだ いすず、1917年2月5日 - )は、日本の女優。大阪府大阪市中央区出身。本名山田美津。
来歴・人物
新派劇俳優の山田九州男の娘として生を受け、幼少時から常磐津、清元、舞踊などを習っていた。1930年、日活に入社し「剣を越えて」で大河内傳次郎の相手役としてデビュー。以降「国士無双」など多くの日活作品に出演する。1936年、溝口健二監督の「浪華悲歌」、「祇園の姉妹」での好演により、第一線女優としての地位を確立する。 その後東宝へ移籍してからは、「鶴八鶴次郎」、「婦系図」、「蛇姫様」など、長谷川一夫との共演作に数多く出演した。
1952年、「現代人」、「箱根風雲録」の演技が評価され、ブルーリボン賞主演女優賞、毎日映画コンクール女優主演賞を受賞する。1955年には「たけくらべ」でブルーリボン賞助演女優賞を受賞。また、翌1956年には、「母子像」等で2度目となるブルーリボン賞主演女優賞、毎日映画コンクール女優主演賞、「流れる」等でキネマ旬報女優賞を受賞する。1957年、「蜘蛛巣城」、「どん底」、「下町」で2度目のキネマ旬報女優賞を受賞。名実ともに、映画界を代表する大女優となる。
1963年に東宝演劇部の専属となる。これ以降、NHK大河ドラマ「赤穂浪士」(1964年)や、朝日放送「必殺からくり人」(1976年)といったテレビ時代劇にも出演し、好評を博した。
また、1959年の新劇合同公演「関漢卿」への出演、歌舞伎役者の中村歌右衛門 (6代目)や尾上松緑 (2代目)との共演を機に、舞台への出演も積極的に行っている。1963年、「香華」「丼池」「明智光秀」でテアトロン賞を受賞し、1974年、「たぬき」で芸術祭大賞、毎日芸術賞を受賞した。1977年に「愛染め高尾」、1983年には「太夫さん」で芸術祭大賞を受賞している。1993年、文化功労者表彰、さらに2000年、女優としては初めて文化勲章を受章。
「安全が保障されて居る上、お手伝いさんも要らない」という理由から、近年は京都の自宅を引き払い、帝国ホテルの一室で生活を送っていた。80歳をこえても舞台を中心に盛んに活躍していたが、2002年に数度に渡って体調を崩し、舞台の休演・降板が相次いだ。この年を最後に、公の場には姿を見せていない。
女優だった瑳峨三智子は、俳優・月田一郎との間の一人娘である。が、瑳峨は自分を棄てた山田を憎み、撮影所で会ったときも母のことを「山田さん」と呼んでいたとされる。そのわだかまりは、瑳峨が山田より先に死を迎えるその日までついに消えなかった。
受賞・受章歴
1955年:ブルーリボン賞・助演女優賞 『たけくらべ』
1956年:ブルーリボン賞・主演女優賞 『母子像』
1956年:毎日映画コンクール・主演女優賞 『母子像』
1956年:キネマ旬報女優賞 『流れる』
1957年:キネマ旬報女優賞 『どん底』『蜘蛛巣城』『下町』
1963年:テアトロン賞 『香華』『丼池』『明智光秀』
1974年:芸術祭大賞 『たぬき』
1977年:芸術祭大賞 『愛染め高尾』
1983年:芸術祭大賞 『太夫さん』
1993年:文化功労者
2000年:文化勲章
出演作品
映画
マリアのお雪(1935年)
祇園の姉妹(1936年)
鶴八鶴次郎(1938年)
母子像(1956年)
流れる(1956年)
蜘蛛巣城(1957年)
大忠臣蔵(1957年)
どん底(1957年)
東京暮色(1957年)
ぼんち(1960年)
用心棒(1961年)
柳生一族の陰謀(1978年)
疑惑(1982年)
必殺! THE HISSATSU(1984年)
必殺! ブラウン館の怪物たち(1985年)
テレビドラマ
赤穂浪士(NHK大河ドラマ・1963年)
源義経(NHK大河ドラマ・1966年)
必殺からくり人(朝日放送・1976年)
新・必殺からくり人(朝日放送・1977年)
必殺からくり人・富嶽百景殺し旅(朝日放送・1978年)
必殺仕事人(朝日放送・1979年)
新・必殺仕事人(朝日放送・1981年)
必殺仕事人III(朝日放送・1982年)
必殺仕事人IV(朝日放送・1983年)
必殺仕事人V(朝日放送・1985年)
怒る男・笑う女(NHK・1999年)
葵徳川三代(NHK大河ドラマ・2000年)
マッチポイント!(NHKドラマ家族模様・2000年。 共演:大林素子、初音映莉子)
バラエティー番組
「いつみても波瀾万丈」(日本テレビ)
司会の野際陽子はオープニングで山田を迎えるにあたり、珍しく「今日は緊張しています」と語っていた。番組内では貴重な戦前の日活撮影所の写真などが紹介され、山田は「まあ、こんな古い写真、よくございましたねぇ」と情報収集にあたった番組スタッフたちを労っていた。
「必殺からくり人」でレギュラーメンバーとして共演していた間寛平が、冒頭で「からくり人の時にお世話になって…」と話すと、「ああ、それは先代の山田五十鈴の時ですね」と返答。これは山田のポリシーは「常に前進」であり、過去の自分をユーモアにくるんで表現したもの。
「ルックルックこんにちは」(日本テレビ)
「すばらしき仲間」(TBS)
「丈晴・富士子のさわやかサロン」(テレビ朝日。女優・山本富士子夫妻のトーク番組)
「なうNOWスタジオ」(テレビ朝日)
「加山雄三ショー」(NHK総合)
「徹子の部屋」(テレビ朝日)
舞台
たぬき
淀どの日記
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
来歴・人物
新派劇俳優の山田九州男の娘として生を受け、幼少時から常磐津、清元、舞踊などを習っていた。1930年、日活に入社し「剣を越えて」で大河内傳次郎の相手役としてデビュー。以降「国士無双」など多くの日活作品に出演する。1936年、溝口健二監督の「浪華悲歌」、「祇園の姉妹」での好演により、第一線女優としての地位を確立する。 その後東宝へ移籍してからは、「鶴八鶴次郎」、「婦系図」、「蛇姫様」など、長谷川一夫との共演作に数多く出演した。
1952年、「現代人」、「箱根風雲録」の演技が評価され、ブルーリボン賞主演女優賞、毎日映画コンクール女優主演賞を受賞する。1955年には「たけくらべ」でブルーリボン賞助演女優賞を受賞。また、翌1956年には、「母子像」等で2度目となるブルーリボン賞主演女優賞、毎日映画コンクール女優主演賞、「流れる」等でキネマ旬報女優賞を受賞する。1957年、「蜘蛛巣城」、「どん底」、「下町」で2度目のキネマ旬報女優賞を受賞。名実ともに、映画界を代表する大女優となる。
1963年に東宝演劇部の専属となる。これ以降、NHK大河ドラマ「赤穂浪士」(1964年)や、朝日放送「必殺からくり人」(1976年)といったテレビ時代劇にも出演し、好評を博した。
また、1959年の新劇合同公演「関漢卿」への出演、歌舞伎役者の中村歌右衛門 (6代目)や尾上松緑 (2代目)との共演を機に、舞台への出演も積極的に行っている。1963年、「香華」「丼池」「明智光秀」でテアトロン賞を受賞し、1974年、「たぬき」で芸術祭大賞、毎日芸術賞を受賞した。1977年に「愛染め高尾」、1983年には「太夫さん」で芸術祭大賞を受賞している。1993年、文化功労者表彰、さらに2000年、女優としては初めて文化勲章を受章。
「安全が保障されて居る上、お手伝いさんも要らない」という理由から、近年は京都の自宅を引き払い、帝国ホテルの一室で生活を送っていた。80歳をこえても舞台を中心に盛んに活躍していたが、2002年に数度に渡って体調を崩し、舞台の休演・降板が相次いだ。この年を最後に、公の場には姿を見せていない。
女優だった瑳峨三智子は、俳優・月田一郎との間の一人娘である。が、瑳峨は自分を棄てた山田を憎み、撮影所で会ったときも母のことを「山田さん」と呼んでいたとされる。そのわだかまりは、瑳峨が山田より先に死を迎えるその日までついに消えなかった。
受賞・受章歴
1955年:ブルーリボン賞・助演女優賞 『たけくらべ』
1956年:ブルーリボン賞・主演女優賞 『母子像』
1956年:毎日映画コンクール・主演女優賞 『母子像』
1956年:キネマ旬報女優賞 『流れる』
1957年:キネマ旬報女優賞 『どん底』『蜘蛛巣城』『下町』
1963年:テアトロン賞 『香華』『丼池』『明智光秀』
1974年:芸術祭大賞 『たぬき』
1977年:芸術祭大賞 『愛染め高尾』
1983年:芸術祭大賞 『太夫さん』
1993年:文化功労者
2000年:文化勲章
出演作品
映画
マリアのお雪(1935年)
祇園の姉妹(1936年)
鶴八鶴次郎(1938年)
母子像(1956年)
流れる(1956年)
蜘蛛巣城(1957年)
大忠臣蔵(1957年)
どん底(1957年)
東京暮色(1957年)
ぼんち(1960年)
用心棒(1961年)
柳生一族の陰謀(1978年)
疑惑(1982年)
必殺! THE HISSATSU(1984年)
必殺! ブラウン館の怪物たち(1985年)
テレビドラマ
赤穂浪士(NHK大河ドラマ・1963年)
源義経(NHK大河ドラマ・1966年)
必殺からくり人(朝日放送・1976年)
新・必殺からくり人(朝日放送・1977年)
必殺からくり人・富嶽百景殺し旅(朝日放送・1978年)
必殺仕事人(朝日放送・1979年)
新・必殺仕事人(朝日放送・1981年)
必殺仕事人III(朝日放送・1982年)
必殺仕事人IV(朝日放送・1983年)
必殺仕事人V(朝日放送・1985年)
怒る男・笑う女(NHK・1999年)
葵徳川三代(NHK大河ドラマ・2000年)
マッチポイント!(NHKドラマ家族模様・2000年。 共演:大林素子、初音映莉子)
バラエティー番組
「いつみても波瀾万丈」(日本テレビ)
司会の野際陽子はオープニングで山田を迎えるにあたり、珍しく「今日は緊張しています」と語っていた。番組内では貴重な戦前の日活撮影所の写真などが紹介され、山田は「まあ、こんな古い写真、よくございましたねぇ」と情報収集にあたった番組スタッフたちを労っていた。
「必殺からくり人」でレギュラーメンバーとして共演していた間寛平が、冒頭で「からくり人の時にお世話になって…」と話すと、「ああ、それは先代の山田五十鈴の時ですね」と返答。これは山田のポリシーは「常に前進」であり、過去の自分をユーモアにくるんで表現したもの。
「ルックルックこんにちは」(日本テレビ)
「すばらしき仲間」(TBS)
「丈晴・富士子のさわやかサロン」(テレビ朝日。女優・山本富士子夫妻のトーク番組)
「なうNOWスタジオ」(テレビ朝日)
「加山雄三ショー」(NHK総合)
「徹子の部屋」(テレビ朝日)
舞台
たぬき
淀どの日記
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
や行
才色兼備の偉大な女優 山本富士子
山本 富士子(やまもと・ふじこ。1931年12月11日 - )は昭和中期から平成期(1950年代後半-)の日本の俳優。日本一の美女と言われ、昭和時代の美人の代名詞であった。大阪府和泉市の阪和線沿線出身。その象徴的な名前である山本富士子は本名。愛称はお富士さん。
少女時代、花柳禄寿門下の花柳禄之助について日本舞踊を習う。大阪府立泉大津高等学校→京都府立第一高女(現・京都府立鴨沂高等学校)卒業。1950年、700人近い応募者の中から見事、第1回ミス日本の座に輝く。そのずば抜けた美貌は審査員達の間でも話題の的で、決定は満場一致で短時間で済んだという逸話が残っている。この第1回ミス日本コンテストは終戦から間もない当時の日本の明るい話題だった。審査や授賞式の模様を伝えたニュースフィルム(モノクロ)が現存している。同年、ミス日本として公式訪米し、アメリカでもその美貌が話題になった。ミス日本に選ばれた後、映画界からスカウトが相次ぐが彼女には女優になる意思はなかった。しかし、悩んだ末、姉・喜代子の「これからの女性は仕事を持つことよ」という言葉に女優になる決心をする。ちなみに、その喜代子も薬剤師の仕事に就き、富士子と同じく家庭を持った後も仕事を続けた。
1953年、映画会社各社の争奪戦の末、大映に入社。契約内容は「1本あたりのギャラはスライド制で1年目が10万円、2年目が20万円、3年目が30万円と安いかわりに3年たったら自由契約」であったが、3年後の自由契約の約束は守られなかった。同年、映画「花の講道館」で長谷川一夫の相手役としてデビュー。戦後ミスコン出身女優第1号と言われている。
1954年に「金色夜叉」(島耕二監督、根上淳共演)、1955年には「婦系図 湯島の白梅」(衣笠貞之助監督、鶴田浩二共演)と後世に語り継がれる映画のヒロインとして活躍。1956年の映画「夜の河」(吉村公三郎監督、上原謙共演)が大ヒットし、美人というだけでなく演技者としても高い評価を受けるようになる。以後も大映の看板女優として大活躍し、日本を代表する女優となる。
1963年1月、大映との契約更改を月末に控え、前年と同じ条件の「年に大映2本、他社2本出演」の契約を主張したが受け入れられず、1月末の契約切れを待ってフリーを主張。大映の社長・永田雅一は烈火の如く怒り、彼女を解雇し五社協定にかけると脅した。それに対し山本はフリー宣言をし、同年2月28日、帝国ホテルでの記者会見で「そんなことで映画に出られなくなっても仕方ありません。自分の立場は自分で守ります。その方が生きがいがあるし、人間的であると思います。」と語り、永田社長に詫びを入れろとの周囲の声に耳を貸さなかった。それに対し永田は彼女を一方的に解雇し、五社協定を使って他社や独立プロの映画や舞台にも出演できなくした。この事は当時の国会でも取り上げられ、世間でも「人権蹂躙」と非難の声が上がった。
看板女優の彼女を失った大映の映画館は空席が目立つようになり、大映倒産そして日本映画界全体の斜陽化の遠因となった。この後、彼女はテレビドラマに活路を求め、「山本富士子アワー」などに主演して好評を博した後、舞台に新境地を開き、現在まで舞台一筋で主演を続けている。
なお、五社協定から44年が経った2007年の今も映画界には復帰していない。
2002年12月、日本経済新聞で「私の履歴書」を連載。
1962年、作曲家の山本丈晴氏(旧姓・古屋)と結婚。一男あり。
エピソード
鋭い感性を持ち、美女だろうと女性には大変厳しいことで知られる作家の三島由紀夫は自分の小説「にっぽん製」(1953年)の映画化の時、主演する山本と会って話をした。三島はその時の山本の印象を「外見だけでなく内面も素晴らしい女性」と絶賛している。
山本の実家には男兄弟がなく、また、姉も結婚し他家に嫁いでいたので、夫・丈晴は婿養子となり『山本』姓を名乗るようになった。
山本は日本銀行の就職試験をうけるも不採用となった経験がある。理由は長年不明であったが、後年、当時を知る日銀関係者がさる雑誌のインタビューで『適性など能力には全く問題がなかった。ただあの美貌ゆえ、男子行員達が落ち着かなくなるのではと心配されて採用が見送られた。』と明らかにした。
インタビューで質問に対して、否定の意味の「とんでもございません」を初めて使った人物であるとされる(日本語の誤用#不適切な敬語表現)。“良家の子女でミスにもなった彼女が使うのだから正しいはず”と広まった。
1956年(昭和31年) - 映画『夜の河』
NHK 主演女優賞
1958年(昭和33年) - 映画『白鷺』、『彼岸花』
第9回ブルーリボン賞 主演女優賞
1960年(昭和35年) - 映画『女経』、『東綺譚』
第34回キネマ旬報賞 主演女優賞
1996年(平成8年) - 第6回日本映画批評家大賞 ゴールデン・グローリー賞
2001年(平成13年) - 紫綬褒章
出演作品
映画
花の講道館(1953。大ヒット。 ビデオ化)
関の弥太ッぺ (1953)
丹下左膳(監督:マキノ雅弘。1953。ビデオ化)
花の喧嘩状 (1953。大ヒット。ビデオ化)
春雪の門 (1953)
続・丹下左膳 (監督:マキノ雅弘。1953。 ビデオ化)
浅草物語 (原作:川端康成。1953)
銭形平次捕物控 金色の狼 (1953。 ビデオ化)
にっぽん製(原作:三島由紀夫。1953)
十代の誘惑(1953)
花の三度笠(1954。ビデオ化)
金色夜叉(1954。初のカラー映画出演。大ヒット。ビデオ化)
花のいのちを (1954)
知らずの弥太郎(1954。ビデオ化)
月よりの使者(1954。大ヒット。ビデオ化)
火の女(1954)
新しき天(1954)
春の渦巻(1954)
伊太郎獅子(1954)
川のある下町の話(原作:川端康成。1955)
火の驀走 (1955)
風雪講道館(1955。ビデオ化)
薔薇いくたびか(1955。大ヒット。ビデオ化)
つばくろ笠(1955。ビデオ化)
踊り子行状記(1955。ビデオ化)
湯島の白梅 婦系図(1955。大ヒット。ビデオ化)
見合い旅行 (1955)
薔薇の絋道館 (1956)
新・平家物語 義仲をめぐる三人の女(1956。ビデオ化)
恋と金(1956)
火花(1956)
花頭巾(1956。ビデオ化)
銭形平次捕物控 人肌蜘蛛(1956。ビデオ化)
スタジオは大騒ぎ(1956)
夜の河(監督:吉村公三郎。キネマ旬報ベストテン第2位。1956。大ヒット。2007年3月、DVD発売予定)
日本橋(監督:市川崑。1956。ヒット。DVD化)
月形半平太 花の巻/嵐の巻(1956。大ヒット。ビデオ化)
続・花頭巾(1956。ビデオ化)
君を愛す(1956。ヒット)
銭形平次捕物控 まだら蛇(共演:美空ひばり。1957。ヒット。 DVD化)
銀河の都(1957)
続・銀河の都(1957)
スタジオはてんやわんや(1957。ビデオ化)
朱雀門(1957。ビデオ化)
源氏物語 浮舟(原作:紫式部。1957。ビデオ化)
夜の蝶(監督:吉村公三郎。1957。ヒット。2007年4月、DVD発売予定)
真昼の対決(1957)
鳴門秘帖(1957。ビデオ化)
雪の渡り鳥(1957。ビデオ化)
銭形平次捕物控 八人の花嫁(共演:八千草薫。1958。ビデオ化)
東京の瞳(1958)
春高樓の花の宴(1958)
母 (1958)
氷壁(監督:増村保造。1958。ヒット。ビデオ化)
忠臣蔵(1958。大ヒット。 DVD化)
天竜しぶき笠(1958)
命を賭ける男(1958。ビデオ化)
渇き(1958)
人肌孔雀(1958。ビデオ化)
彼岸花 (Equinox Flower) (監督:小津安二郎。キネマ旬報ベストテン第3位。1958。大ヒット。 DVD化)
都会という港(1958)
娘の冒険(1958)
白鷺 (Le Héron blanc) (カンヌ国際映画祭特別表彰受賞作品。毎日映画コンクール美術賞、色彩技術賞受賞作品。1958。ヒット。ビデオ化)
人肌牡丹(1958。ビデオ化)
細雪(1959。2度目の映画化。ヒット。ビデオ化)
情炎(1959。ヒット)
夜の闘魚 (1959)
いつか来た道(共演:ウィーン少年合唱団(Wiener Sängerknaben)、和波孝禧。1959)
次郎長富士(1959。 DVD化)
美貌に罪あり (監督:増村保造。1959。ビデオ化)
暗夜行路(監督:豊田四郎。1959。 ビデオ化)
かげろう絵図(1959。ビデオ化)
歌麿をめぐる五人の女(1959。ビデオ化)
旅情(ハワイロケが行われた。1959)
千姫御殿(1960。ビデオ化)
女経(「第二話〜物を高く売りつける女〜」に出演。監督:市川崑。1960。ヒット。ビデオ化)
東京の女性 (1960)
大江山酒天童子 (1960。 DVD化)
歌行燈 (1960。 DVD化)
女妖 (1960)
夜は嘘つき(1960。ヒット)
東綺譚(監督:豊田四郎。1960。ヒット。 DVD化)
白子屋駒子(1960)
大菩薩峠(1960。 DVD化)
大菩薩峠 竜神の巻(1960。 DVD化)
猟銃(1961。ヒット。ビデオ化)
女は夜化粧する(おんなはよる、けしょうする)(1961。ヒット。ビデオ化)
みだれ髪(1961。ビデオ化)
黒い十人の女(監督:市川崑。キネマ旬報ベストテン第10位。1961。近年、リバイバル上映されヒット。 DVD化)
夜はいじわる(1961)
女房学校(1961)
お琴と佐助(1961。ビデオ化)
釈迦(1961。大ヒット。 DVD化)
京化粧(1961。ビデオ化)
女と三悪人(1962。ビデオ化)
夢でありたい(1962)
如何なる星の下に(監督:豊田四郎。1962)
仲よし音頭・日本一だよ(1962。ビデオ化)
宝石泥棒(1962)
秦・始皇帝(1962。大ヒット。 DVD化)
私は二歳(監督:市川崑。キネマ旬報ベストテン第1位。1962。 DVD化)
雪之丞変化(監督:市川崑。1963。 DVD化)
憂愁平野(監督:豊田四郎。1963。ビデオ化)
テレビ番組
この人・山本富士子ショー(NHK総合)
長谷川伸シリーズ『暗闇の丑松』(前・後編)(1973、NET)
一枚の写真(フジテレビ)
土曜大好き!830(フジテレビ系)
おしゃれ(日本テレビ)
芸能花舞台(NHK教育。ゲスト)
土曜ほっとモーニング(NHK総合。夫婦で出演)
徹子の部屋(テレビ朝日)
丈晴・富士子のさわやかサロン(テレビ朝日。夫婦で司会のトーク番組)
おはようワイド・土曜の朝に(テレビ朝日)
シネマパラダイス(NHK BS-2)
映像美の巨匠 市川崑(NHK BS-2)
あの日 昭和20年の記憶(NHK BS-2)
夕方5時ですとっておき関西(NHK大阪、関西ローカル。姉・喜代子も出演)
以上、 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
少女時代、花柳禄寿門下の花柳禄之助について日本舞踊を習う。大阪府立泉大津高等学校→京都府立第一高女(現・京都府立鴨沂高等学校)卒業。1950年、700人近い応募者の中から見事、第1回ミス日本の座に輝く。そのずば抜けた美貌は審査員達の間でも話題の的で、決定は満場一致で短時間で済んだという逸話が残っている。この第1回ミス日本コンテストは終戦から間もない当時の日本の明るい話題だった。審査や授賞式の模様を伝えたニュースフィルム(モノクロ)が現存している。同年、ミス日本として公式訪米し、アメリカでもその美貌が話題になった。ミス日本に選ばれた後、映画界からスカウトが相次ぐが彼女には女優になる意思はなかった。しかし、悩んだ末、姉・喜代子の「これからの女性は仕事を持つことよ」という言葉に女優になる決心をする。ちなみに、その喜代子も薬剤師の仕事に就き、富士子と同じく家庭を持った後も仕事を続けた。
1953年、映画会社各社の争奪戦の末、大映に入社。契約内容は「1本あたりのギャラはスライド制で1年目が10万円、2年目が20万円、3年目が30万円と安いかわりに3年たったら自由契約」であったが、3年後の自由契約の約束は守られなかった。同年、映画「花の講道館」で長谷川一夫の相手役としてデビュー。戦後ミスコン出身女優第1号と言われている。
1954年に「金色夜叉」(島耕二監督、根上淳共演)、1955年には「婦系図 湯島の白梅」(衣笠貞之助監督、鶴田浩二共演)と後世に語り継がれる映画のヒロインとして活躍。1956年の映画「夜の河」(吉村公三郎監督、上原謙共演)が大ヒットし、美人というだけでなく演技者としても高い評価を受けるようになる。以後も大映の看板女優として大活躍し、日本を代表する女優となる。
1963年1月、大映との契約更改を月末に控え、前年と同じ条件の「年に大映2本、他社2本出演」の契約を主張したが受け入れられず、1月末の契約切れを待ってフリーを主張。大映の社長・永田雅一は烈火の如く怒り、彼女を解雇し五社協定にかけると脅した。それに対し山本はフリー宣言をし、同年2月28日、帝国ホテルでの記者会見で「そんなことで映画に出られなくなっても仕方ありません。自分の立場は自分で守ります。その方が生きがいがあるし、人間的であると思います。」と語り、永田社長に詫びを入れろとの周囲の声に耳を貸さなかった。それに対し永田は彼女を一方的に解雇し、五社協定を使って他社や独立プロの映画や舞台にも出演できなくした。この事は当時の国会でも取り上げられ、世間でも「人権蹂躙」と非難の声が上がった。
看板女優の彼女を失った大映の映画館は空席が目立つようになり、大映倒産そして日本映画界全体の斜陽化の遠因となった。この後、彼女はテレビドラマに活路を求め、「山本富士子アワー」などに主演して好評を博した後、舞台に新境地を開き、現在まで舞台一筋で主演を続けている。
なお、五社協定から44年が経った2007年の今も映画界には復帰していない。
2002年12月、日本経済新聞で「私の履歴書」を連載。
1962年、作曲家の山本丈晴氏(旧姓・古屋)と結婚。一男あり。
エピソード
鋭い感性を持ち、美女だろうと女性には大変厳しいことで知られる作家の三島由紀夫は自分の小説「にっぽん製」(1953年)の映画化の時、主演する山本と会って話をした。三島はその時の山本の印象を「外見だけでなく内面も素晴らしい女性」と絶賛している。
山本の実家には男兄弟がなく、また、姉も結婚し他家に嫁いでいたので、夫・丈晴は婿養子となり『山本』姓を名乗るようになった。
山本は日本銀行の就職試験をうけるも不採用となった経験がある。理由は長年不明であったが、後年、当時を知る日銀関係者がさる雑誌のインタビューで『適性など能力には全く問題がなかった。ただあの美貌ゆえ、男子行員達が落ち着かなくなるのではと心配されて採用が見送られた。』と明らかにした。
インタビューで質問に対して、否定の意味の「とんでもございません」を初めて使った人物であるとされる(日本語の誤用#不適切な敬語表現)。“良家の子女でミスにもなった彼女が使うのだから正しいはず”と広まった。
1956年(昭和31年) - 映画『夜の河』
NHK 主演女優賞
1958年(昭和33年) - 映画『白鷺』、『彼岸花』
第9回ブルーリボン賞 主演女優賞
1960年(昭和35年) - 映画『女経』、『東綺譚』
第34回キネマ旬報賞 主演女優賞
1996年(平成8年) - 第6回日本映画批評家大賞 ゴールデン・グローリー賞
2001年(平成13年) - 紫綬褒章
出演作品
映画
花の講道館(1953。大ヒット。 ビデオ化)
関の弥太ッぺ (1953)
丹下左膳(監督:マキノ雅弘。1953。ビデオ化)
花の喧嘩状 (1953。大ヒット。ビデオ化)
春雪の門 (1953)
続・丹下左膳 (監督:マキノ雅弘。1953。 ビデオ化)
浅草物語 (原作:川端康成。1953)
銭形平次捕物控 金色の狼 (1953。 ビデオ化)
にっぽん製(原作:三島由紀夫。1953)
十代の誘惑(1953)
花の三度笠(1954。ビデオ化)
金色夜叉(1954。初のカラー映画出演。大ヒット。ビデオ化)
花のいのちを (1954)
知らずの弥太郎(1954。ビデオ化)
月よりの使者(1954。大ヒット。ビデオ化)
火の女(1954)
新しき天(1954)
春の渦巻(1954)
伊太郎獅子(1954)
川のある下町の話(原作:川端康成。1955)
火の驀走 (1955)
風雪講道館(1955。ビデオ化)
薔薇いくたびか(1955。大ヒット。ビデオ化)
つばくろ笠(1955。ビデオ化)
踊り子行状記(1955。ビデオ化)
湯島の白梅 婦系図(1955。大ヒット。ビデオ化)
見合い旅行 (1955)
薔薇の絋道館 (1956)
新・平家物語 義仲をめぐる三人の女(1956。ビデオ化)
恋と金(1956)
火花(1956)
花頭巾(1956。ビデオ化)
銭形平次捕物控 人肌蜘蛛(1956。ビデオ化)
スタジオは大騒ぎ(1956)
夜の河(監督:吉村公三郎。キネマ旬報ベストテン第2位。1956。大ヒット。2007年3月、DVD発売予定)
日本橋(監督:市川崑。1956。ヒット。DVD化)
月形半平太 花の巻/嵐の巻(1956。大ヒット。ビデオ化)
続・花頭巾(1956。ビデオ化)
君を愛す(1956。ヒット)
銭形平次捕物控 まだら蛇(共演:美空ひばり。1957。ヒット。 DVD化)
銀河の都(1957)
続・銀河の都(1957)
スタジオはてんやわんや(1957。ビデオ化)
朱雀門(1957。ビデオ化)
源氏物語 浮舟(原作:紫式部。1957。ビデオ化)
夜の蝶(監督:吉村公三郎。1957。ヒット。2007年4月、DVD発売予定)
真昼の対決(1957)
鳴門秘帖(1957。ビデオ化)
雪の渡り鳥(1957。ビデオ化)
銭形平次捕物控 八人の花嫁(共演:八千草薫。1958。ビデオ化)
東京の瞳(1958)
春高樓の花の宴(1958)
母 (1958)
氷壁(監督:増村保造。1958。ヒット。ビデオ化)
忠臣蔵(1958。大ヒット。 DVD化)
天竜しぶき笠(1958)
命を賭ける男(1958。ビデオ化)
渇き(1958)
人肌孔雀(1958。ビデオ化)
彼岸花 (Equinox Flower) (監督:小津安二郎。キネマ旬報ベストテン第3位。1958。大ヒット。 DVD化)
都会という港(1958)
娘の冒険(1958)
白鷺 (Le Héron blanc) (カンヌ国際映画祭特別表彰受賞作品。毎日映画コンクール美術賞、色彩技術賞受賞作品。1958。ヒット。ビデオ化)
人肌牡丹(1958。ビデオ化)
細雪(1959。2度目の映画化。ヒット。ビデオ化)
情炎(1959。ヒット)
夜の闘魚 (1959)
いつか来た道(共演:ウィーン少年合唱団(Wiener Sängerknaben)、和波孝禧。1959)
次郎長富士(1959。 DVD化)
美貌に罪あり (監督:増村保造。1959。ビデオ化)
暗夜行路(監督:豊田四郎。1959。 ビデオ化)
かげろう絵図(1959。ビデオ化)
歌麿をめぐる五人の女(1959。ビデオ化)
旅情(ハワイロケが行われた。1959)
千姫御殿(1960。ビデオ化)
女経(「第二話〜物を高く売りつける女〜」に出演。監督:市川崑。1960。ヒット。ビデオ化)
東京の女性 (1960)
大江山酒天童子 (1960。 DVD化)
歌行燈 (1960。 DVD化)
女妖 (1960)
夜は嘘つき(1960。ヒット)
東綺譚(監督:豊田四郎。1960。ヒット。 DVD化)
白子屋駒子(1960)
大菩薩峠(1960。 DVD化)
大菩薩峠 竜神の巻(1960。 DVD化)
猟銃(1961。ヒット。ビデオ化)
女は夜化粧する(おんなはよる、けしょうする)(1961。ヒット。ビデオ化)
みだれ髪(1961。ビデオ化)
黒い十人の女(監督:市川崑。キネマ旬報ベストテン第10位。1961。近年、リバイバル上映されヒット。 DVD化)
夜はいじわる(1961)
女房学校(1961)
お琴と佐助(1961。ビデオ化)
釈迦(1961。大ヒット。 DVD化)
京化粧(1961。ビデオ化)
女と三悪人(1962。ビデオ化)
夢でありたい(1962)
如何なる星の下に(監督:豊田四郎。1962)
仲よし音頭・日本一だよ(1962。ビデオ化)
宝石泥棒(1962)
秦・始皇帝(1962。大ヒット。 DVD化)
私は二歳(監督:市川崑。キネマ旬報ベストテン第1位。1962。 DVD化)
雪之丞変化(監督:市川崑。1963。 DVD化)
憂愁平野(監督:豊田四郎。1963。ビデオ化)
テレビ番組
この人・山本富士子ショー(NHK総合)
長谷川伸シリーズ『暗闇の丑松』(前・後編)(1973、NET)
一枚の写真(フジテレビ)
土曜大好き!830(フジテレビ系)
おしゃれ(日本テレビ)
芸能花舞台(NHK教育。ゲスト)
土曜ほっとモーニング(NHK総合。夫婦で出演)
徹子の部屋(テレビ朝日)
丈晴・富士子のさわやかサロン(テレビ朝日。夫婦で司会のトーク番組)
おはようワイド・土曜の朝に(テレビ朝日)
シネマパラダイス(NHK BS-2)
映像美の巨匠 市川崑(NHK BS-2)
あの日 昭和20年の記憶(NHK BS-2)
夕方5時ですとっておき関西(NHK大阪、関西ローカル。姉・喜代子も出演)
以上、 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
や行
日活では企画に恵まれなかった女優 山本陽子
日活ではこれという作品がなく残念な思いをしただろうが、後に大輪の花を見事に咲かせた。
山本陽子(やまもと ようこ、1942年3月17日 -)は、昭和中期(1960年代前半〜)から平成期の女優。血液型はA型。
東京都中野区出身。國學院高等学校卒業後、野村證券に勤務していたが、1963年、知人が日活ニューフェイスに応募書類を送ったところ合格し、第7期日活ニューフェイスとして芸能界入り。映画では同じ日活の吉永小百合、松原智恵子、和泉雅子の人気に押され、もう一つ作品に恵まれなかったが、テレビドラマに進出してからは、その日本的で清楚な美貌で人気を集め、「七人の孫」、「白い影」、「白い滑走路」、「となりの芝生」など話題作に立て続けに出演。清楚な役から悪女まで幅広い役柄をこなす高視聴率女優として揺るぎない地位を確立。1980年、「花埋み」で舞台初主演。以来、舞台女優としても精力的に活躍しており、1994年、舞台「おはん」の演技で第19回菊田一夫演劇賞を受賞した。 姪に、女優の山本亜希子がいる。
趣味・特技は日本舞踊、ゴルフ、麻雀。
上記にもある通り、デビュー前に勤めていた野村證券の当時の同僚達とは、40年以上経った現在でも仲が良く、会うことが多いという。
出演作品
映画
ドリフターズですよ!特訓特訓また特訓 (1969年)
華麗なる一族(1974年)
八つ墓村(1977年)
必殺!5 黄金の血(1991年)
テレビドラマ
しろばんば(1964年)
見合い恋愛(1969年・日本テレビ)
知らない同志(1972年・TBS)
水戸黄門第4部(1973年・TBS)
白い影(1973年・TBS)
国盗り物語(1973年・NHK大河ドラマ)
白い滑走路(1974年・TBS)
となりの芝生(1976年・NHK)
女の家庭(1978年・フジテレビ)
不毛地帯(1979年・毎日放送)
女たちの海峡(1981年・フジテレビ)
松本清張の黒革の手帖(1982年・テレビ朝日)
花ホテル(1983年・フジテレビ)
ザ・ハングマンX(1985年・朝日放送)
お入学(1987年・NHK)
京、ふたり(1990年 - 1991年・NHK)
付き馬屋おえん事件帳(1990年、1993年、1996年・テレビ東京)
凄絶!嫁姑戦争 羅刹の家(1998年・テレビ朝日)
徳川慶喜(1998年・NHK大河ドラマ)
怒る男・笑う女(1999年・NHK)
悪霊島(1999年・TBS)
一絃の琴(2000年・NHK)
恋する京都(2004年・NHK)
黒革の手帖(2004年・テレビ朝日)
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
山本陽子(やまもと ようこ、1942年3月17日 -)は、昭和中期(1960年代前半〜)から平成期の女優。血液型はA型。
東京都中野区出身。國學院高等学校卒業後、野村證券に勤務していたが、1963年、知人が日活ニューフェイスに応募書類を送ったところ合格し、第7期日活ニューフェイスとして芸能界入り。映画では同じ日活の吉永小百合、松原智恵子、和泉雅子の人気に押され、もう一つ作品に恵まれなかったが、テレビドラマに進出してからは、その日本的で清楚な美貌で人気を集め、「七人の孫」、「白い影」、「白い滑走路」、「となりの芝生」など話題作に立て続けに出演。清楚な役から悪女まで幅広い役柄をこなす高視聴率女優として揺るぎない地位を確立。1980年、「花埋み」で舞台初主演。以来、舞台女優としても精力的に活躍しており、1994年、舞台「おはん」の演技で第19回菊田一夫演劇賞を受賞した。 姪に、女優の山本亜希子がいる。
趣味・特技は日本舞踊、ゴルフ、麻雀。
上記にもある通り、デビュー前に勤めていた野村證券の当時の同僚達とは、40年以上経った現在でも仲が良く、会うことが多いという。
出演作品
映画
ドリフターズですよ!特訓特訓また特訓 (1969年)
華麗なる一族(1974年)
八つ墓村(1977年)
必殺!5 黄金の血(1991年)
テレビドラマ
しろばんば(1964年)
見合い恋愛(1969年・日本テレビ)
知らない同志(1972年・TBS)
水戸黄門第4部(1973年・TBS)
白い影(1973年・TBS)
国盗り物語(1973年・NHK大河ドラマ)
白い滑走路(1974年・TBS)
となりの芝生(1976年・NHK)
女の家庭(1978年・フジテレビ)
不毛地帯(1979年・毎日放送)
女たちの海峡(1981年・フジテレビ)
松本清張の黒革の手帖(1982年・テレビ朝日)
花ホテル(1983年・フジテレビ)
ザ・ハングマンX(1985年・朝日放送)
お入学(1987年・NHK)
京、ふたり(1990年 - 1991年・NHK)
付き馬屋おえん事件帳(1990年、1993年、1996年・テレビ東京)
凄絶!嫁姑戦争 羅刹の家(1998年・テレビ朝日)
徳川慶喜(1998年・NHK大河ドラマ)
怒る男・笑う女(1999年・NHK)
悪霊島(1999年・TBS)
一絃の琴(2000年・NHK)
恋する京都(2004年・NHK)
黒革の手帖(2004年・テレビ朝日)
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
や行
今や大女優の感がする吉永小百合 次回作が待たれる
吉永 小百合(よしなが さゆり、本名:岡田小百合(おかだ さゆり)、1945年(昭和20年)3月13日 - )は、東京都渋谷区代々木西原町出身(当時)の女優である。そのファンは、「サユリスト」と呼ばれる。吉田正(作曲家)の門下生として、数多くのレコードを出している。
1957年(昭和32年) - 渋谷区立西原小学校6年生。小学校の5年先輩に実姉・吉永玲子と平沼赳夫初代経済産業相がいる。1月、ラジオ東京(現 TBSラジオ)の連続ラジオドラマ『赤胴鈴之助』でデビュー。10月、ラジオ東京制作のテレビドラマ『赤胴鈴之助』でテレビデビュー。
1959年(昭和34年) - 『朝を呼ぶ口笛』で映画デビュー。
1960年(昭和35年) - 渋谷区立代々木中学校卒業、東京都立駒場高等学校入学。
1961年(昭和36年) - 精華学園女子高等学校(現 東海大学付属望洋高等学校)転入学。
1962年(昭和37年) - 高校在学中に、『キューポラのある街』(浦山桐郎監督)に主演。『寒い朝』でレコードデビューし20万枚のヒット。橋幸夫とデュエットし30万枚の大ヒットとなった『いつでも夢を』で「日本レコード大賞」受賞。この頃から日活の清純派女優として浜田光夫とコンビを組む。
1965年(昭和40年) - 大学入学資格検定を取得して早稲田大学第二文学部(夜間部)史学科西洋史専修に入学(俳優業多忙の為精華学園女子は中退していた)。
1969年(昭和44年) - 多忙な中、早稲田大学第二文学部(夜間部)を正規の4年間で卒業。
1973年(昭和48年) - フジテレビの岡田太郎ディレクター(現在共同テレビ会長)と結婚。15歳差だった。
1985年(昭和60年) - 『おはん』、『天国の駅』の演技で、「日本アカデミー賞最優秀主演女優賞」初受賞。以降、1989年(平成元年)、2001年(平成13年)、2006年(平成18年)と、最優秀主演女優賞を計4度受賞している。
1988年(昭和63年) - 『つる-鶴-』(市川崑監督)に主演し、映画出演は通算100作品となる。
1997年(平成9年) - 朗読CD『第二楽章』で「第39回日本レコード大賞企画賞」受賞。
2002年(平成14年) - 平和記念資料館(広島市)に導入された音声ガイドのナレーションをボランティアで担当。
2003年(平成15年) - 上記ナレーションや、同じくボランティアである原爆詩の朗読等の平和活動が評価され、「第15回谷本清平和賞」受賞。
2005年(平成17年) - 第56回NHK紅白歌合戦では、山梨県からの中継で原爆詩を朗読した。
「日活の看板女優」として、浜田光夫と共に1960年代の日本映画界に一大旋風を巻き起こした。従来の男性アクション映画路線がマンネリ化していた当時の日活にとって、吉永・浜田コンビの純愛&青春映画路線は、新たな日活映画ファンの獲得と支持を集めた。特に、『キューポラのある街』、ベストセラーを映画化した『愛と死をみつめて』等は話題となった。
ブロマイドが爆発的に売れ、1964年(昭和39年)、1968年(昭和43年)、1969年(昭和44年)と、年間売上実績で女性部門1位に輝いた。当時は高校生であり、彼女と共に青春時代を歩んだ世代に「サユリスト」と呼ばれるファンが多い。有名人ではタモリ、野坂昭如らが有名である。
吉永主演映画の原作者でもある川端康成、石坂洋次郎といった大作家にも非常に気に入られ、川端は吉永に会いたいために山奥の伊豆の踊子のロケ現場を突然訪ね、石坂は吉永が演じることを想定して作品を書いた。
以降ずっと人気女優であったと思われがちだが、1970年代はスランプの時期であった。日本映画の衰退期と重なった事もあるが、結婚相手が15歳も年上の業界関係者で役柄のイメージに合わず、結婚に反対する両親との仲違いも報道されたりもして、女優としての活躍の場が激減した。当時の邦画界には、ヌードも辞さず大胆に現代女性を演じる若手女優が多数登場しており、吉永が1960年代に演じ続けた「清純なお嬢さん」像は類型的で古臭い印象になってしまっていた。子役出身の俳優にしばしば見られる様に、娘役から大人の女性への脱皮がスムーズに行かなかったとも言える。1975年(昭和50年)、『青春の門』で初めて「清純なお嬢さん」を脱する演技を披露した。
デビュー時代以外はテレビドラマには縁の無い印象であるが、映画出演の減り始めた時期に、NHK大河ドラマにも出演している。1981年(昭和56年)の『夢千代日記』(NHK)では、大人の女性としての情感を豊かに表現して話題となる。この時期から次第に演技力もある大女優という評価を受け始めた。「サユリスト」復権も同時期であり、邦画冬の時代にも定期的に出演作が製作され現在に至る。
広島を舞台にした『愛と死の記録』の出演や、『夢千代日記』(NHK)で原爆症に苦しむ主人公を演じたことをきっかけに、1986年(昭和61年)からボランティアで原爆詩の朗読会をスタートさせている。現在では女優としての活動のほか、反戦・反核運動をライフワークとしている。
最近のテレビ出演はほぼCMのみであり、映画中心に活躍している。映画出演作は、2008年公開予定の『母べえ』が112本目となる。
確定申告手続で各社の取材を受けた際、同席していた当時の大蔵大臣に「この税金は戦闘機を買う費用に使ったりせず、もっと国民のためになる事に使って欲しい」と釘を刺した。
西武ライオンズと早稲田大学ラグビー部の、日本一有名なファンである。2003年(平成15年)、『吉永小百合 街ものがたり』(TBSラジオ)の中で、鉄道ファンである事を告白した。
出演
映画
ガラスの中の少女(1960年)
花と娘と白い道(1961年)
青い芽の素顔(1961年)
この若さある限り(1961年)
草を刈る娘(1961年)
さようならの季節(1962年)
上を向いて歩こう(1962年)
キューポラのある街(1962年)
赤い蕾と白い花(1962年)
あすの花嫁(1962年)
伊豆の踊り子(1963年)
青い山脈(1963年)
愛と死をみつめて(1964年)
うず潮(1964年)
風と樹と空と (1964年) 小百合の訛がすごい
男はつらいよ 柴又慕情(1972年)
男はつらいよ 寅次郎恋やつれ(1974年)
青春の門(1975年)
皇帝のいない八月(1978年)
動乱 (1980年)
細雪(1983年)※3度目の映画化
おはん(1985年)
夢千代日記(1985年)
映画女優(1985年)
華の乱(1988年)
天国の大罪(1992年)
長崎ぶらぶら節(2000年)
千年の恋 ひかる源氏物語(2002年)
北の零年(2005年)
母べえ(2008年予定)
テレビドラマ
樅ノ木は残った(1970年、NHK)
女人平家(1971年-1972年、朝日放送・TBS)
風と雲と虹と(1976年、NHK)
鮎のうた(1979年-1980年、NHK)
夢千代日記(1981年-1984年、NHK)
バラエティー番組
スター千一夜(フジテレビ) - 司会も担当
料理バンザイ!(テレビ朝日) - 特別ゲストでイタリアロケ
今夜は最高!(日本テレビ)
徹子の部屋(テレビ朝日)
すてきな出逢い いい朝8時(毎日放送・TBS)
おしゃれカンケイ(日本テレビ)
「ぷっ」すま(テレビ朝日)
スタジオパークからこんにちは(NHK)
歌番組
FNS歌謡祭(フジテレビ) - 司会
ザ・ベストテン(TBS) - 歌手として(今週のスポットライト)
ラジオ番組
吉永小百合 街ものがたり(1997年4月-2004年3月、TBSラジオ)
今晩は 吉永小百合です(2005年10月-、TBSラジオ)
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
1957年(昭和32年) - 渋谷区立西原小学校6年生。小学校の5年先輩に実姉・吉永玲子と平沼赳夫初代経済産業相がいる。1月、ラジオ東京(現 TBSラジオ)の連続ラジオドラマ『赤胴鈴之助』でデビュー。10月、ラジオ東京制作のテレビドラマ『赤胴鈴之助』でテレビデビュー。
1959年(昭和34年) - 『朝を呼ぶ口笛』で映画デビュー。
1960年(昭和35年) - 渋谷区立代々木中学校卒業、東京都立駒場高等学校入学。
1961年(昭和36年) - 精華学園女子高等学校(現 東海大学付属望洋高等学校)転入学。
1962年(昭和37年) - 高校在学中に、『キューポラのある街』(浦山桐郎監督)に主演。『寒い朝』でレコードデビューし20万枚のヒット。橋幸夫とデュエットし30万枚の大ヒットとなった『いつでも夢を』で「日本レコード大賞」受賞。この頃から日活の清純派女優として浜田光夫とコンビを組む。
1965年(昭和40年) - 大学入学資格検定を取得して早稲田大学第二文学部(夜間部)史学科西洋史専修に入学(俳優業多忙の為精華学園女子は中退していた)。
1969年(昭和44年) - 多忙な中、早稲田大学第二文学部(夜間部)を正規の4年間で卒業。
1973年(昭和48年) - フジテレビの岡田太郎ディレクター(現在共同テレビ会長)と結婚。15歳差だった。
1985年(昭和60年) - 『おはん』、『天国の駅』の演技で、「日本アカデミー賞最優秀主演女優賞」初受賞。以降、1989年(平成元年)、2001年(平成13年)、2006年(平成18年)と、最優秀主演女優賞を計4度受賞している。
1988年(昭和63年) - 『つる-鶴-』(市川崑監督)に主演し、映画出演は通算100作品となる。
1997年(平成9年) - 朗読CD『第二楽章』で「第39回日本レコード大賞企画賞」受賞。
2002年(平成14年) - 平和記念資料館(広島市)に導入された音声ガイドのナレーションをボランティアで担当。
2003年(平成15年) - 上記ナレーションや、同じくボランティアである原爆詩の朗読等の平和活動が評価され、「第15回谷本清平和賞」受賞。
2005年(平成17年) - 第56回NHK紅白歌合戦では、山梨県からの中継で原爆詩を朗読した。
「日活の看板女優」として、浜田光夫と共に1960年代の日本映画界に一大旋風を巻き起こした。従来の男性アクション映画路線がマンネリ化していた当時の日活にとって、吉永・浜田コンビの純愛&青春映画路線は、新たな日活映画ファンの獲得と支持を集めた。特に、『キューポラのある街』、ベストセラーを映画化した『愛と死をみつめて』等は話題となった。
ブロマイドが爆発的に売れ、1964年(昭和39年)、1968年(昭和43年)、1969年(昭和44年)と、年間売上実績で女性部門1位に輝いた。当時は高校生であり、彼女と共に青春時代を歩んだ世代に「サユリスト」と呼ばれるファンが多い。有名人ではタモリ、野坂昭如らが有名である。
吉永主演映画の原作者でもある川端康成、石坂洋次郎といった大作家にも非常に気に入られ、川端は吉永に会いたいために山奥の伊豆の踊子のロケ現場を突然訪ね、石坂は吉永が演じることを想定して作品を書いた。
以降ずっと人気女優であったと思われがちだが、1970年代はスランプの時期であった。日本映画の衰退期と重なった事もあるが、結婚相手が15歳も年上の業界関係者で役柄のイメージに合わず、結婚に反対する両親との仲違いも報道されたりもして、女優としての活躍の場が激減した。当時の邦画界には、ヌードも辞さず大胆に現代女性を演じる若手女優が多数登場しており、吉永が1960年代に演じ続けた「清純なお嬢さん」像は類型的で古臭い印象になってしまっていた。子役出身の俳優にしばしば見られる様に、娘役から大人の女性への脱皮がスムーズに行かなかったとも言える。1975年(昭和50年)、『青春の門』で初めて「清純なお嬢さん」を脱する演技を披露した。
デビュー時代以外はテレビドラマには縁の無い印象であるが、映画出演の減り始めた時期に、NHK大河ドラマにも出演している。1981年(昭和56年)の『夢千代日記』(NHK)では、大人の女性としての情感を豊かに表現して話題となる。この時期から次第に演技力もある大女優という評価を受け始めた。「サユリスト」復権も同時期であり、邦画冬の時代にも定期的に出演作が製作され現在に至る。
広島を舞台にした『愛と死の記録』の出演や、『夢千代日記』(NHK)で原爆症に苦しむ主人公を演じたことをきっかけに、1986年(昭和61年)からボランティアで原爆詩の朗読会をスタートさせている。現在では女優としての活動のほか、反戦・反核運動をライフワークとしている。
最近のテレビ出演はほぼCMのみであり、映画中心に活躍している。映画出演作は、2008年公開予定の『母べえ』が112本目となる。
確定申告手続で各社の取材を受けた際、同席していた当時の大蔵大臣に「この税金は戦闘機を買う費用に使ったりせず、もっと国民のためになる事に使って欲しい」と釘を刺した。
西武ライオンズと早稲田大学ラグビー部の、日本一有名なファンである。2003年(平成15年)、『吉永小百合 街ものがたり』(TBSラジオ)の中で、鉄道ファンである事を告白した。
出演
映画
ガラスの中の少女(1960年)
花と娘と白い道(1961年)
青い芽の素顔(1961年)
この若さある限り(1961年)
草を刈る娘(1961年)
さようならの季節(1962年)
上を向いて歩こう(1962年)
キューポラのある街(1962年)
赤い蕾と白い花(1962年)
あすの花嫁(1962年)
伊豆の踊り子(1963年)
青い山脈(1963年)
愛と死をみつめて(1964年)
うず潮(1964年)
風と樹と空と (1964年) 小百合の訛がすごい
男はつらいよ 柴又慕情(1972年)
男はつらいよ 寅次郎恋やつれ(1974年)
青春の門(1975年)
皇帝のいない八月(1978年)
動乱 (1980年)
細雪(1983年)※3度目の映画化
おはん(1985年)
夢千代日記(1985年)
映画女優(1985年)
華の乱(1988年)
天国の大罪(1992年)
長崎ぶらぶら節(2000年)
千年の恋 ひかる源氏物語(2002年)
北の零年(2005年)
母べえ(2008年予定)
テレビドラマ
樅ノ木は残った(1970年、NHK)
女人平家(1971年-1972年、朝日放送・TBS)
風と雲と虹と(1976年、NHK)
鮎のうた(1979年-1980年、NHK)
夢千代日記(1981年-1984年、NHK)
バラエティー番組
スター千一夜(フジテレビ) - 司会も担当
料理バンザイ!(テレビ朝日) - 特別ゲストでイタリアロケ
今夜は最高!(日本テレビ)
徹子の部屋(テレビ朝日)
すてきな出逢い いい朝8時(毎日放送・TBS)
おしゃれカンケイ(日本テレビ)
「ぷっ」すま(テレビ朝日)
スタジオパークからこんにちは(NHK)
歌番組
FNS歌謡祭(フジテレビ) - 司会
ザ・ベストテン(TBS) - 歌手として(今週のスポットライト)
ラジオ番組
吉永小百合 街ものがたり(1997年4月-2004年3月、TBSラジオ)
今晩は 吉永小百合です(2005年10月-、TBSラジオ)
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
や行
明るい花 吉永小百合
(小百合ちゃん)こと吉永小百合が、日活の銀幕に初めて登場したのは1960年(昭和35年)で、日活デビュー作は鈴木清順監督の「すべてが狂ってる」だったと記憶している。奇しくもその作品に私はタッチさせてもらっていた。
小百合ちゃんの登場は鮮烈だった。元気一杯の明るい声で「お早うございます!」と挨拶する。所内の人間には差別なしだ。声を掛けてニコッと微笑まれては誰も悪い気がしない。忽ち人気者になった小百合ちゃんであった。当然、私も笑顔で声をかけられた一人であった。
明るい声と笑顔、後に日活女優陣の中の太陽として輝いた小百合ちゃんだったが、それはデビュー当時からの姿勢にあったと思う。それはスターになってからも変わらなかった。
鈴木組の音楽はジャズの三保敬太郎と前田憲男の共同監督。主演はター坊こと川地民夫、小百合ちゃんは妹の典子役だったと思う。母子家庭に育った杉田次郎(川地)は、男のいる母(奈良岡朋子)に愛想をつかし毎日荒れた生活を送っていた。高校生不良グループに入って女の子を襲ったり、盗みを働く、盗んだ車で暴走するという暮らしだ。
次郎を愛している少女の敏美(禰津良子)の愛にも彼は応える気が無かった。母の男、南原(芦田伸介)は次郎に不順な気持ちで母と付き合っているんじゃないことを話そうとして、次郎の仲間悦子(中川姿子)に次郎が逗子海岸にいると聞き出かけていく。
だがそこで待っていたのは悦子で、彼女は南原を誘惑する。敏美から事情を聞いた次郎が母と海岸に来て、そこで下着姿の二人を発見。狂ったように南原を追う母に次郎は絶望、盗んだオープンカーで敏美と一緒に道路を疾駆する。
程なく南原を見つけた次郎はスパナで殴り倒し車を暴走させトラックに激突、次郎と敏美は死ぬ。狂って次郎を探す母の昌代を見て、誰かが呟いた。
「現代では、人間の間に善意の通じる場所がない。すべてが狂っているんだ」と。
これは今の時代にも通用するテーマであると同時に重い意味を持っている。次郎のような人間はいつの時代にもいるからだ。くれぐれも暴発しないでいて欲しい。
三保ちゃんと前田憲男のモダンジャズは次郎のやり場の無い倦怠感をよく表現していた。演奏はウエストライナーズである。
監督の鈴木清順さんとは初めてのお付き合いだったが、時にはスタッフに冗談を言って笑わせてくれる楽しい人だったように思う。日活の江守専務からは「訳の分からん写真を撮るやつ」とマークされていたようだが、私はそうも思わない。感性の違いといえばそれまでだが、初号試写のあとで相変わらず嫌味を言われたそうである。
小百合ちゃんは初めて出してもらったという程度で、可も無く不可もなくだったように思う。
小百合ちゃんの登場は鮮烈だった。元気一杯の明るい声で「お早うございます!」と挨拶する。所内の人間には差別なしだ。声を掛けてニコッと微笑まれては誰も悪い気がしない。忽ち人気者になった小百合ちゃんであった。当然、私も笑顔で声をかけられた一人であった。
明るい声と笑顔、後に日活女優陣の中の太陽として輝いた小百合ちゃんだったが、それはデビュー当時からの姿勢にあったと思う。それはスターになってからも変わらなかった。
鈴木組の音楽はジャズの三保敬太郎と前田憲男の共同監督。主演はター坊こと川地民夫、小百合ちゃんは妹の典子役だったと思う。母子家庭に育った杉田次郎(川地)は、男のいる母(奈良岡朋子)に愛想をつかし毎日荒れた生活を送っていた。高校生不良グループに入って女の子を襲ったり、盗みを働く、盗んだ車で暴走するという暮らしだ。
次郎を愛している少女の敏美(禰津良子)の愛にも彼は応える気が無かった。母の男、南原(芦田伸介)は次郎に不順な気持ちで母と付き合っているんじゃないことを話そうとして、次郎の仲間悦子(中川姿子)に次郎が逗子海岸にいると聞き出かけていく。
だがそこで待っていたのは悦子で、彼女は南原を誘惑する。敏美から事情を聞いた次郎が母と海岸に来て、そこで下着姿の二人を発見。狂ったように南原を追う母に次郎は絶望、盗んだオープンカーで敏美と一緒に道路を疾駆する。
程なく南原を見つけた次郎はスパナで殴り倒し車を暴走させトラックに激突、次郎と敏美は死ぬ。狂って次郎を探す母の昌代を見て、誰かが呟いた。
「現代では、人間の間に善意の通じる場所がない。すべてが狂っているんだ」と。
これは今の時代にも通用するテーマであると同時に重い意味を持っている。次郎のような人間はいつの時代にもいるからだ。くれぐれも暴発しないでいて欲しい。
三保ちゃんと前田憲男のモダンジャズは次郎のやり場の無い倦怠感をよく表現していた。演奏はウエストライナーズである。
監督の鈴木清順さんとは初めてのお付き合いだったが、時にはスタッフに冗談を言って笑わせてくれる楽しい人だったように思う。日活の江守専務からは「訳の分からん写真を撮るやつ」とマークされていたようだが、私はそうも思わない。感性の違いといえばそれまでだが、初号試写のあとで相変わらず嫌味を言われたそうである。
小百合ちゃんは初めて出してもらったという程度で、可も無く不可もなくだったように思う。
