萩原 健一(はぎわら けんいち、本名・萩原 敬三、1950年7月26日 - )は、日本の男優・歌手。埼玉県与野市(現:さいたま市中央区)出身。ニックネームは「ショーケン」。由来はデビュー前の不良仲間3人、ダイケン、チューケン、ショーケンから。元ザ・テンプターズ、PYGのリード・ヴォーカル (PYGは沢田研二とのツイン・ヴォーカル)。
埼玉県大宮でスカウトされ、ザ・スパイダースの弟分バンドザ・テンプターズのヴォーカリストとしてデビュー。「神様お願い!」「エメラルドの伝説」など次々とヒット曲を飛ばし、グループサウンズが生んだスターとしてザ・タイガースのジュリー=沢田研二と人気を二分する。
解散後井上堯之、大野克夫、沢田研二、岸部一徳ら実力者を揃えた布陣でPYG(ピッグ)を結成する。各種ロックフェスティバルやテレビ出演などもこなしたが、渡辺プロサイドの「あくまでメインはジュリー」といったスタンスに合わなかったことや、音楽面での正当な評価を得られなかったことなどへの苛立ちから、音楽活動よりも映画監督を志すようになる。
1972年に製作された松竹映画「約束」の製作現場に、助監督として参加。しかし元の主演俳優が降板してしまった事を受けて、急遽萩原が代役に抜擢される。
「約束」での岸惠子との共演は、それまでの「アイドル」としての認識を一変させるほどの高い評価を得、これを機にPYGの活動を続けながら俳優へと本格的に転身。TVドラマ「太陽にほえろ!」の初代新人刑事=マカロニ役でその人気を決定付ける(井上尭之バンドの起用やその後同番組の代名詞となった新人刑事の殉職は萩原のアイディアによるもの)。
1972年12月をもって音楽活動を停止(これによりPYGは事実上解散)。1974年には名匠・神代辰巳 とのコンビによる映画「青春の蹉跌」でキネマ旬報の最優秀主演男優賞を受賞。続いて日本テレビ系の伝説的ドラマ・「傷だらけの天使」、倉本聰脚本の名作・「前略おふくろ様」と連続して大ヒットを飛ばした。既成の枠組みから完全に外れた強烈な個性と存在感、その圧倒的な感性の鋭さをもって当時シラケ世代と呼ばれた若者の間でカリスマ的な存在となる。また菊池武夫のMEN'S BIGI(メンズビギ)をはじめファッションリーダーとしても絶大な支持を得た。
1975年には初のソロアルバム「惚れた」をリリース。これをもって音楽活動を再開し、「お前に惚れた」「大阪で生まれた女」等のヒット曲を背景にライヴ、アルバム制作と八面六臂の活躍を見せる。特にライヴパフォーマーとしての評価は高く、柳ジョージ&レイニーウッドがバックを担当したライヴ盤「熱狂雷舞」(1979年)、マザー・テレサの慈善活動に共感しインドはカルカッタでチャリティコンサートを行った「Shanti Shanti」(1983年)、高橋伴明を撮影監督に迎えた日本ロック史上屈指のライヴフィルムとの誉れ高い「Andree Marlou Live」(1985年)等はその到達点として記憶されるものである。
俳優としても脚本家・橋本忍直々の指名を受けての松竹映画「八つ墓村」(1977年)や黒澤明の「影武者」(1980年)など話題作に出演。徐々に追いつめられてゆく誘拐犯を熱演した「誘拐報道」(1982年/モントリオール世界映画祭審査員賞)、作家・連城三紀彦 が萩原をモデルにしたという直木賞作品を自身で演じた「恋文」(1985年/日本アカデミー賞優秀男優賞)など数多くの名演を残し、故・松田優作をはじめ後続の俳優に大きな影響を与えた。
しかし1983年、大麻不法所持にて逮捕され、1年間に渡って全ての活動停止を余儀なくされる。復帰後も俳優業と平行して音楽活動を行い「愚か者よ」等のヒット曲を出すが、1990年以降音楽製作とは距離を置き俳優業をメインに活動を行うようになる。
「美味いんだなぁ、これがっ」のキャッチフレーズでおなじみサントリーモルツのCMや東芝日曜劇場「課長サンの厄年」の好評をうけて'90年代は主に普通の父親像を演じることが多くなり、反逆児的イメージを求める従来のファンを戸惑わせた反面、新たなファン層を獲得。山口智子、室井滋と共演した「居酒屋ゆうれい」(1994年/報知映画賞・高崎映画祭主演男優賞)、15%を超える高視聴率をマークしたドラマ「外科医柊又三郎」(1995年)とヒット作が続いた。
2003年に長いブランクを経てライブ活動を再開したのも束の間、2004年10月、交通事故を起こし業務上過失致傷罪で現行犯逮捕される。 また同年には、降板した主演映画「透光の樹」の出演料を巡るトラブルで制作側から恐喝未遂で告訴され、執行猶予付き有罪判決を受けるなど現在は下降気運にある。 当初脅迫電話をしたことは否定していたが、後に録音された音声を突きつけられ、容疑を認めた。
2005年6月に懲役1年6ヶ月、執行猶予3年の有罪判決が下り、事実上、活動休止。 再婚相手との離婚を経て「傷だらけの天使」の映画版で復帰が決まっている。 過去にも数多くの女優との交際が取り沙汰されたりと常に話題には事欠かず、いわゆる団塊の世代が生んだ最大のスターの一人である。
出演
ドラマ
太陽にほえろ!(1972年、日本テレビ)
明智探偵事務所(1972年、NHK)
風の中のあいつ(1973年、TBS)
同棲時代(1973年、TBS)
祗園花見小路(1973年、CBC)
河を渡ったあの夏の日々(1973年、NHK)
くるくるくるり(1973年、日本テレビ)
勝海舟(1974年、NHK)(岡田以蔵役)
新宿さすらい節(1974年、TBS)
傷だらけの天使(1974年 - 1975年、日本テレビ)
前略おふくろ様(1975年 - 1976年、日本テレビ)
前略おふくろ様2(1976年 - 1977年、日本テレビ)
祭ばやしが聞こえる(1977年 - 1978年、日本テレビ)
死人狩り(1978年、フジテレビ)
露玉の首飾り(1979年、TBS)
花冷え(1981年、よみうりテレビ)
わが愛の城〜落城記より(1981年、テレビ朝日)
忍びの忠臣蔵(1981年、フジテレビ)
ガラスの知恵の輪(1982年、毎日放送)
時間の習俗(1982年、TBS)
君は海を見たか(1982年、フジテレビ、増子一郎役)
宣告(1984年、TBS)
温泉サギ師(1986年、TBS)
見えない絆(1988年、フジテレビ)
飢餓海峡(1988年、フジテレビ)
精性生(1988年、NHK、東海北陸のみ)
隠密・奥の細道(1988年、テレビ東京)
六条執念(1989年、関西テレビ)
お市御寮人(1989年、日本テレビ)
ラストバラードは君に(1989年、フジテレビ)
あいつがトラブル(1989年 - 1990年、フジテレビ)
ネコノトピアネコノマニア(1990年、NHK)
豆腐屋直次郎の裏の顔(1990年 - 1992年、朝日放送)
旅のはじまり(1990年、NHK)
徒然草 殺しの硯(1990年、テレビ東京)
太平記(1991年、NHK大河ドラマ 新田義貞役):途中降板
月のひかり(1991年、NHK)
琉球の風(1993年、NHK大河ドラマ 揚邦義役)
課長サンの厄年(1993年、TBS)
課長サンの厄年スペシャル(1994年、TBS)
幸福の条件(1994年、NHK)
ハイこちら駐在です!(1995年、フジテレビ)
放送記者物語(1995年、NHK)
奈良・花嫁はゴースト(1995年、関西テレビ)
外科医柊又三郎(1995年、テレビ朝日)
されど、わが愛(1995年、NHK)
冠婚葬祭部長(1996年、TBS)
外科医柊又三郎2(1996年、テレビ朝日)
テロリストのパラソル(1996年、フジテレビ)
最後の恋(1997年、TBS)
坪内警部補・父と娘の事件簿(1998年、TBS)
華やかな喪服(1998年、朝日放送)
元禄繚乱(1999年、NHK大河ドラマ 徳川綱吉役)
父さん(2000年、フジテレビ)
広域捜査官楠錬三郎 北へ南へ1(2000年、朝日放送)
藤沢周平の人情しぐれ町(2001年、NHK)
ファイティングガール(2001年、フジテレビ)
利家とまつ(2002年、NHK大河ドラマ、明智光秀役)
広域捜査官楠錬三郎・北へ南へ2(2002年、朝日放送)
西村京太郎サスペンス・日本一周“旅号”殺人事件(2003年、大映テレビ、十津川警部役)
広域捜査官楠錬三郎3(2003年、朝日放送)
坊さん弁護士・郷田夢栄(2003年、テレビ東京)
証言(2004年、朝日放送)
坊さん弁護士・郷田夢栄2(2004年、テレビ東京)
映画
ザ・テンプターズ「涙のあとに微笑みを」(1969年、東宝)
めまい(1971年、松竹、監督:斉藤耕一)
春だドリフだ全員集合!!(1971年、松竹)
約束(1972年、松竹、監督:斉藤耕一)
虹をわたって(1972年、松竹)
股旅(1973年、ATG、監督:市川崑)
化石の森(1973年、東宝、監督:篠田正浩)
青春の蹉跌(1974年、東宝、監督:神代辰巳)
雨のアムステルダム(1975年、東宝、監督:蔵原惟繕)
鴎よ、きらめく海を見たか めぐり逢い(1975年、ATG)
アフリカの光(1975年、東宝、監督:神代辰巳)
八つ墓村(1977年、松竹、監督:野村芳太郎)
その後の仁義なき戦い(1979年、東映、監督:工藤栄一)
影武者(1980年、東宝、監督:黒澤明、武田勝頼役)
魔性の夏〜四谷怪談より(1981年、松竹、監督:蜷川幸雄)
誘拐報道(1982年、東映、監督:伊藤俊也)
もどり川(1983年、三協、監督:神代辰巳)
カポネ大いに泣く(1985年、ケイエンタープライズ、監督:鈴木清順)
瀬降り物語(1985年、東映、監督:中島貞夫)
恋文(1985年、松竹、監督:神代辰巳)
南へ走れ、海の道を!(1986年、松竹、監督:和泉聖治)
離婚しない女(1986年、松竹、監督:神代辰巳)
夜汽車(1987年、東映、監督:山下耕作)
竜馬を斬った男(1987年、アルマンス、監督:山下耕作、佐々木只三郎役)
極道の妻たち三代目姐(1989年、東映)
226(1989年、松竹、監督:五社英雄)
裏切りの明日(1990年、東映、監督:工藤栄一)
激動の1750日(1990年、東映、監督:中島貞夫)
渋滞(1991年、ディレクターズ・カンパニー、監督:黒土三男)
いつかギラギラする日(1992年、松竹、監督:深作欣二)
居酒屋ゆうれい(1994年、東宝)
JOKER 疫病神(1998年、ギャガ・コミュニケーション)
ダブルス(2001年、オメガ・ミコット)
月の砂漠(2001年、サンセントシネマワークス)
天使の牙B.T.A.(2003年、ワーナー・ブラザーズ)
アルバム
惚れた(1975年)
Nadja〜愛の世界(1977年)
Nadja2〜男と女(1978年)
Nadja3〜エンジェル・ゲイト(1979年)
熱狂雷舞(1979年)
Don Juan(1980年)
Don Juan Live(1980年)
D'erlanger (1982年)
Shanti Shanti(1983年)
Thank You My Dear Friends(1984年)
Andree Marlou Live(1985年)
Straight Light(1987年)
Shining With You(1988年)
Thank You My Dear Friends Live(1989年)
シングル
ブルージンの子守唄 c/w 少年の魂(1972年)
お前に惚れた c/w 兄貴のブギ(1975年)
前略おふくろ c/w 酒と泪と男と女(1975年)
別れの詩 c/w 雨のしおり(1977年)
時は流れて c/w 蜃気楼(1978年)
大阪で生まれた女 c/w 本牧綺談(1979年)
ムーンシャイン c/w ルーシー(1980年)
ぐでんぐでん c/w 砂時計(1980年)
ラストダンスは私に c/w 泣くだけ泣いたら(1980年)
ホワイト&ブルー c/w フラフラ(1981年)
ハロー・マイ・ジェラシー c/w シャララ(1982年)
Ah!Ha!(1982年)
もう一度抱いて c/w セクシー・ロンリー・ナイト(1983年)
九月朝、母を想い(1984年)
愚か者よ c/w めぐり逢い(1987年)
See Saw c/w 友(1987年)
桜子 c/w 今(1987年)
Angel(1988年)
クリスマス・プレゼント c/w Shining With You(1988年)
Gambler c/w Angel(1992年)
泣けるわけがないだろう c/w I Love Youさえ言えない(1996年)
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
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和製マストロヤンニと云われた船越英二
船越 英二(ふなこし えいじ、本名・船越 榮二郎、1923年(大正12年)3月17日 - 2007年(平成19年)3月17日)は、日本の元俳優。兄は俳優の三島謙(本名・船越榮太郎)。長男は同じく俳優の船越英一郎。夫人は俳優・長谷川一夫の姪であり、元女優の長谷川裕見子。人気ドラマ『暴れん坊将軍』では逝去した有島一郎の後を継ぎ、2代目御側御用取次・田之倉孫兵衛役を演じたことでも知られている。最終学歴は専修大学経済学部卒。
東京出身。わずか14日違いで一年早く学校に入れるのはかわいそうだと言う祖父の配慮から戸籍上では6月17日生まれとなっている。呉服商の次男坊として生まれ、四谷第五小学校から帝京中学に入学する。当初は美術学校か写真学校に進学を希望するが、父親の勧めで1941年(昭和16年)に専修大学経済学部に入学、1944年(昭和19年)に学徒動員で繰り上げ卒業。香川県三豊郡豊浜町の陸軍船舶学校に入り、翌年の8月に見習士官として終戦を迎える。その後は父親の勧めで新宿の商店街に瀬戸物屋を開く。
しかし、1947年(昭和22年)、兄の友人が冷やかし半分で大映第2期ニューフェイス募集に船越の応募書類を送付したところ合格。同年3月に大映東京撮影所演技研究所に通い、4月には大映と専属契約、『第二の抱擁』で折原啓子(三上博史の叔母、篠塚和典の岳母)の恋人役でデビュー。最初は出来心で俳優になったが、地元の新宿商店街に後援会まで発足してしまったので引っ込みがつかず、中途半端な心境の為か、当時を知る映画関係者によるとあまり印象に残らない俳優だったという。役柄も真面目青年しか与えられなかったが、1952年(昭和27年)に『安宅家の人々』、『秘密』の演技が好評を呼ぶ。
以降も二枚目俳優として大映のプログラム・ピクチャーに出演、もっぱら主演女優の引き立て役が多かったが、1956年(昭和31年)に『日本橋』、『四十八歳の抵抗』、翌年の『満員電車』、『夜の蝶』で演技派俳優として開花、それまでの単なる二枚目俳優から飄逸さと人間的逞しさを併せ持つ性格俳優となった。中でも1959年(昭和34年)の大岡昇平原作、市川崑監督の『野火』に主演した際、極限状況における敗残兵を演じきり、絶賛されたその演技は各映画賞を総なめにした。その後も大映映画に欠かせないスターとして、美男のルックスと個性を活かして様々なジャンルの作品でその役柄をこなす手堅い演技派として大活躍。菅原謙二や根上淳ら同年代の大映現代劇の男優たちよりも息の長い活躍を見せた。
『和製マストロヤンニ』とも云われ、1971年(昭和46年)の大映倒産まで映画出演、その後は主にテレビドラマで活躍、特に1970年(昭和45年)から始まったTBSドラマ『時間ですよ』の銭湯の主人役、1978年(昭和53年)からの日本テレビ『熱中時代』の校長先生役、1988年(昭和63年)からのテレビ朝日『暴れん坊将軍』の田之倉孫兵衛役が有名で、いずれも船越のテレビ時代の代表作となった。また私生活では1958年(昭和33年)10月10日に裕見子夫人と結婚、1965年(昭和40年)からは神奈川県湯河原町に会員制の旅館を創業、娘とともに経営にあたっていた。
1989年(平成元年)に紫綬褒章、1995年(平成7年)に勲四等旭日小綬章を受章した。1999年(平成11年)のフジテレビ系ドラマ『隠密奉行朝比奈』の出演を最後に俳優を引退、その後は旅館に近い自宅で妻や娘夫婦と共に暮らし、余生を過ごしていたが、2007年(平成19年)3月15日に自宅で突然倒れ、すぐに静岡県内の病院に搬送されて意識もわずかにあったが、16日夜に様態が急変し、84歳の誕生日を迎えた17日午後10時57分、脳梗塞により死去。生没同日であった。息子の英一郎は主演映画の撮影現場から駆けつけている途中で、最期を看取るはかなわなかった。英一郎の結婚には猛反対でその妻の松居一代とは殆ど口もきかないほどの不仲だったという。
受章・受賞歴
1959年(昭和34年) - 映画『野火』
第33回キネマ旬報賞 主演男優賞
第14回毎日映画コンクール 主演男優賞
1962年(昭和37年) - 映画『私は二歳』&映画『破戒』
NHK 助演男優賞
1989年(平成元年) - 紫綬褒章
1995年(平成7年) - 勲四等旭日小綬章
1996年(平成8年) - 第6回日本映画批評家大賞 ゴールデン・グローリー賞
出演作品
映画
第二の抱擁 (1947年)
いつの日か花咲かん (1947年)
美しき豹(女の家)(1948年)
三面鏡の恐怖(1948年。 ※ビデオ化)
死美人事件(1948年)
幽霊塔(1948年。 ※ビデオ化)
愛染草(1949年)
母燈台(1949年)
大都会の丑満時(1949年)
どぶろくの辰(監督:田坂具隆。1949年。 ※ビデオ化)
私は狙われている(1950年)
暴力の街(監督:山本薩夫。キネマ旬報ベストテン第8位。1950年。 ※DVD発売)
霧の夜の恐怖(1951年)
毒蛇島綺談 女王蜂(1952年。 ※ビデオ化)
安宅家の人々(1952年。 ※ビデオ化)
巣鴨の母(1952年)
秘密(1952年)
母山彦(1952年)
彼女の特ダネ 総理大臣と女カメラマン(1952年)
新婚のろけ節(1953年)
現代処女(1953年)
トコ春じゃもの(1953年)
歌う女剣劇(1953年)
胡椒息子(1953年)
新・江ノ島悲歌(1953年)
あにいもうと(監督:成瀬巳喜男。キネマ旬報ベストテン第5位。1953年。 ※DVD発売)
続続十代の性典(1953年)
紅椿(1953年)
母の湖(1953年)
十代の誘惑(1953年)
五ツ木の子守唄(1954年。 ※ビデオ化)
或る女(監督:豊田四郎。1954年。 ※ビデオ化)
金色夜叉(1954年。初のカラー映画出演。 ※ビデオ化)
心の日月(1954年)
愛染かつら(1954年)
こんな別嬪見たことない(1954年)
こんな美男子見たことない(1954年)
こんなアベック見たことない(1954年)
こんな奥様見たことない(1954年)
荒城の月(1954年)
月よりの使者(1954年。 ※ビデオ化)
春琴物語(1954年。 ※ビデオ化)
春の渦巻(1954年)
こういう具合にしやしゃんせ 恋の野球拳(1955年)
螢の光(1955年)
泣き笑い地獄極楽(1955年)
幸福を配達する娘(1955年)
薔薇いくたびか(1955年。 ※ビデオ化)
東京暴力団(1955年)
母笛子笛(1955年)
哀しき富士の白雪よ(1955年)
新女性問答(1955年)
七人の兄いもうと(1955年)
五十円横町(1955年)
珠はくだけず(1955年)
花嫁のため息(1956年)
虹いくたび(1956年)
東京犯罪地図(1956年)
浅草の灯(1956年)
現金の寝ごと(1956年)
日本橋(監督:市川崑。1956年。 ※DVD発売)
人情馬鹿(1956年)
火花(1956年)
屋根裏の女たち(1956年)
魔の花嫁衣裳 前後篇(1956年)
四十八歳の抵抗(監督:吉村公三郎。1956年)
新・平家物語 静と義経(1956年)
あさ潮ゆう潮(1956年)
スタジオは大騒ぎ(1956年)
惚れるな弥ン八(1956年)
スタジオはてんやわんや(1957年。 ※ビデオ化)
踊子(1957年)
朝の口笛(1957年)
満員電車(監督:市川崑。1957年。 ※DVD発売)
永すぎた春(原作:三島由紀夫。1957年。 ※DVD発売)
妻こそわが命(1957年)
夜の蝶(監督:吉村公三郎。1957年。 ※2007年4月、DVD発売予定)
穴(監督:市川崑。1957年。 ※DVD発売)
駐在所日記(1957年)
暖流(監督:増村保造。1957年)
敵中横断三百里 日露戦争勝利の秘史(脚本:黒澤明。1957年。 ※DVD発売)
新婚七つの楽しみ(1958年)
悲しみは女だけに(監督:新藤兼人。1958年)
母(1958年)
忠臣蔵(1958年。 ※DVD発売)
東京の瞳(1958年)
南氏大いに惑う(1958年)
素っ裸の青春(1958年)
不敵な男(監督:増村保造。1958年)
大阪の女(1958年)
娘の冒険(1958年)
赤線の灯は消えず(1958年。 ※ビデオ化)
おーい中村君(1958年。 ※ビデオ化)
夜の素顔(監督:吉村公三郎。1958年。 ※ビデオ化)
共犯者(1958年)
親不孝通り(監督:増村保造。1958年)
銭形平次捕物控 雪女の足跡(1958年。 ※ビデオ化)
あなたと私の合言葉 さようなら、今日は(監督:市川崑。1959年。 ※DVD発売)
最高殊勲夫人(監督:増村保造。1959年。 ※DVD発売)
情炎(1959年)
細雪(1959年。2度目の映画化。 ※ビデオ化)
夜の闘魚(1959年)
次郎長富士(1959年。 ※DVD発売)
氾濫(監督:増村保造。1959年。 ※DVD発売)
私の選んだ人(1959年)
旅情(1959年。ハワイロケが行われた)
電話は夕方に鳴る(監督:吉村公三郎。1959年)
野火(監督:市川崑。キネマ旬報ベストテン第2位。1959年。 ※DVD発売)
セクシー・サイン 好き好き好き(1960年)
女経(オムニバス映画で、市川崑監督の第2話「物を高く売りつける女」に出演。1960年。 ※ビデオ化)
流転の王妃(監督:田中絹代。1960年。 ※ビデオ化)
からっ風野郎(共演:三島由紀夫。監督:増村保造。1960年。 ※DVD発売)
ぼんち(原作:山崎豊子。監督:市川崑。1960年。 ※DVD発売)
痴人の愛(1960年)
女妖(1960年)
勝利と敗北(1960年)
夜は嘘つき(1960年)
足にさわった女(監督:増村保造。1960年。 ※ビデオ化)
顔(1960年)
偽大学生(原作:大江健三郎。監督:増村保造。1960年)
時の氏神 新夫婦読本(1960年)
お伝地獄(1960年)
婚期(監督:吉村公三郎。1961年。 ※2007年4月、DVD発売予定)
新夫婦読本 恋愛病患者(1961年)
好色一代男(監督:増村保造。1961年。 ※DVD発売)
黒い十人の女(監督:市川崑。キネマ旬報ベストテン第10位。1961年。 ※DVD発売)
夜はいじわる(1961年)
女の勲章(原作:山崎豊子。監督:吉村公三郎。1961年。 ※DVD発売)
怪談蚊喰鳥(1961年。 ※ビデオ化)
雑婚時代(1961年)
小太刀を使う女(1961年)
銭形平次捕物控 美人鮫(1961年。 ※ビデオ化)
若い奴らの階段(1961年)
家庭の事情(監督:吉村公三郎。1962年)
ある関係(1962年)
婦系図(1962年。 ※ビデオ化)
爛(監督:増村保造。1962年。 ※ビデオ化)
江梨子(1962年。 ※ビデオ化)
宝石泥棒(1962年)
破戒(監督:市川崑。キネマ旬報ベストテン第4位。1962年。 ※DVD発売)
黒の試走車(監督:増村保造。1962年。 ※DVD発売)
男と女の世の中(1962年)
私は二歳(監督:市川崑。キネマ旬報ベストテン第1位。1962年。 ※DVD発売)
しとやかな獣(監督:川島雄三。キネマ旬報ベストテン第6位。1963年。 ※DVD発売)
雪之丞変化(監督:市川崑。1963年。 ※DVD発売)
嘘』 (オムニバス映画で、第三話「3女体」に出演。1963年)
赤い水(監督:山本薩夫。1963年。 ※ビデオ化)
雑兵物語(1963年。 ※ビデオ化)
停年退職(1963年)
巨人大隈重信(1963年)
末は博士か大臣か(1963年)
現代インチキ物語 騙し屋(監督:増村保造。1964年)
現代インチキ物語 ど狸(1964年)
傷だらけの山河(監督:山本薩夫。キネマ旬報ベストテン第7位。1964年。 ※ビデオ化)
ど根性物語 銭の踊り(監督:市川崑。1964年。 ※DVD発売)
卍(監督:増村保造。1964年。 ※DVD発売)
青い性(1964年)
検事霧島三郎(1964年)
黒の超特急(監督:増村保造。1964年。 ※DVD発売)
十七才は一度だけ(1964年)
帯をとく夏子(1965年)
六人の女を殺した男(1965年)
花実のない森(1965年)
妻の日の愛のかたみに(1965年)
大怪獣ガメラ(1965年。 ※DVD発売)
氷点(監督:山本薩夫。1966年。 ※DVD発売)
私は負けない(1966年)
白い巨塔(菊川昇役。原作:山崎豊子。監督:山本薩夫。キネマ旬報ベストテン第1位。1966年。 ※DVD発売)
小さい逃亡者(日本&旧ソ連合作映画。1966年)
夜の罠(1967年)
ラーメン大使(1967年。 ※ビデオ化)
毒薬の匂う女(1967年)
砂糖菓子が壊れるとき(監督:今井正。脚本:橋田壽賀子。1967年)
古都憂愁 姉いもうと(1967年)
あるセックス・ドクターの記録(1968年)
陸軍中野学校 開戦前夜(1968年。 ※DVD発売)
怪談おとし穴(1968年)
新・与太郎戦記(1969年。 ※ビデオ化)
盲獣(監督:増村保造。1969年。 ※DVD発売)
女賭博師十番勝負(1969年。 ※ビデオ化)
女賭博師花の切り札(1969年)
ガメラ対大悪獣ギロン(1969年。 ※DVD発売)
千羽鶴(原作:川端康成。監督:増村保造。1969年。 ※ビデオ化)
男はつらいよ 寅次郎相合い傘(監督:山田洋次。キネマ旬報ベストテン第5位。共演:渥美清、浅丘ルリ子。シリーズ第15作。1975年。 ※DVD発売)
青年の樹(1977年)
テレビドラマ
時間ですよ(1970年〜1973年)
雲のじゅうたん(1976年)
人はそれをスキャンダルという (1978年)
熱中時代(1978年〜1979年、1980年〜1981年)
キッド(1981年〜1982年)
若草学園物語(1983年)
暴れん坊将軍IIIシリーズ〜VIIシリーズ 2代目御側御用取次・田之倉孫兵衛役(1988年〜1997年)
NHK大河ドラマ『信長』(1992年)
美味しんぼ4 究極vs至高 心の対決!(1997年)
隠密奉行朝比奈(1998年〜1999年)
その他のテレビ番組
3時にあいましょう(※司会。TBS)
CM
ワイパアエースゾル
ポリデント(当時小林製薬。現在はアース製薬が販売)
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
東京出身。わずか14日違いで一年早く学校に入れるのはかわいそうだと言う祖父の配慮から戸籍上では6月17日生まれとなっている。呉服商の次男坊として生まれ、四谷第五小学校から帝京中学に入学する。当初は美術学校か写真学校に進学を希望するが、父親の勧めで1941年(昭和16年)に専修大学経済学部に入学、1944年(昭和19年)に学徒動員で繰り上げ卒業。香川県三豊郡豊浜町の陸軍船舶学校に入り、翌年の8月に見習士官として終戦を迎える。その後は父親の勧めで新宿の商店街に瀬戸物屋を開く。
しかし、1947年(昭和22年)、兄の友人が冷やかし半分で大映第2期ニューフェイス募集に船越の応募書類を送付したところ合格。同年3月に大映東京撮影所演技研究所に通い、4月には大映と専属契約、『第二の抱擁』で折原啓子(三上博史の叔母、篠塚和典の岳母)の恋人役でデビュー。最初は出来心で俳優になったが、地元の新宿商店街に後援会まで発足してしまったので引っ込みがつかず、中途半端な心境の為か、当時を知る映画関係者によるとあまり印象に残らない俳優だったという。役柄も真面目青年しか与えられなかったが、1952年(昭和27年)に『安宅家の人々』、『秘密』の演技が好評を呼ぶ。
以降も二枚目俳優として大映のプログラム・ピクチャーに出演、もっぱら主演女優の引き立て役が多かったが、1956年(昭和31年)に『日本橋』、『四十八歳の抵抗』、翌年の『満員電車』、『夜の蝶』で演技派俳優として開花、それまでの単なる二枚目俳優から飄逸さと人間的逞しさを併せ持つ性格俳優となった。中でも1959年(昭和34年)の大岡昇平原作、市川崑監督の『野火』に主演した際、極限状況における敗残兵を演じきり、絶賛されたその演技は各映画賞を総なめにした。その後も大映映画に欠かせないスターとして、美男のルックスと個性を活かして様々なジャンルの作品でその役柄をこなす手堅い演技派として大活躍。菅原謙二や根上淳ら同年代の大映現代劇の男優たちよりも息の長い活躍を見せた。
『和製マストロヤンニ』とも云われ、1971年(昭和46年)の大映倒産まで映画出演、その後は主にテレビドラマで活躍、特に1970年(昭和45年)から始まったTBSドラマ『時間ですよ』の銭湯の主人役、1978年(昭和53年)からの日本テレビ『熱中時代』の校長先生役、1988年(昭和63年)からのテレビ朝日『暴れん坊将軍』の田之倉孫兵衛役が有名で、いずれも船越のテレビ時代の代表作となった。また私生活では1958年(昭和33年)10月10日に裕見子夫人と結婚、1965年(昭和40年)からは神奈川県湯河原町に会員制の旅館を創業、娘とともに経営にあたっていた。
1989年(平成元年)に紫綬褒章、1995年(平成7年)に勲四等旭日小綬章を受章した。1999年(平成11年)のフジテレビ系ドラマ『隠密奉行朝比奈』の出演を最後に俳優を引退、その後は旅館に近い自宅で妻や娘夫婦と共に暮らし、余生を過ごしていたが、2007年(平成19年)3月15日に自宅で突然倒れ、すぐに静岡県内の病院に搬送されて意識もわずかにあったが、16日夜に様態が急変し、84歳の誕生日を迎えた17日午後10時57分、脳梗塞により死去。生没同日であった。息子の英一郎は主演映画の撮影現場から駆けつけている途中で、最期を看取るはかなわなかった。英一郎の結婚には猛反対でその妻の松居一代とは殆ど口もきかないほどの不仲だったという。
受章・受賞歴
1959年(昭和34年) - 映画『野火』
第33回キネマ旬報賞 主演男優賞
第14回毎日映画コンクール 主演男優賞
1962年(昭和37年) - 映画『私は二歳』&映画『破戒』
NHK 助演男優賞
1989年(平成元年) - 紫綬褒章
1995年(平成7年) - 勲四等旭日小綬章
1996年(平成8年) - 第6回日本映画批評家大賞 ゴールデン・グローリー賞
出演作品
映画
第二の抱擁 (1947年)
いつの日か花咲かん (1947年)
美しき豹(女の家)(1948年)
三面鏡の恐怖(1948年。 ※ビデオ化)
死美人事件(1948年)
幽霊塔(1948年。 ※ビデオ化)
愛染草(1949年)
母燈台(1949年)
大都会の丑満時(1949年)
どぶろくの辰(監督:田坂具隆。1949年。 ※ビデオ化)
私は狙われている(1950年)
暴力の街(監督:山本薩夫。キネマ旬報ベストテン第8位。1950年。 ※DVD発売)
霧の夜の恐怖(1951年)
毒蛇島綺談 女王蜂(1952年。 ※ビデオ化)
安宅家の人々(1952年。 ※ビデオ化)
巣鴨の母(1952年)
秘密(1952年)
母山彦(1952年)
彼女の特ダネ 総理大臣と女カメラマン(1952年)
新婚のろけ節(1953年)
現代処女(1953年)
トコ春じゃもの(1953年)
歌う女剣劇(1953年)
胡椒息子(1953年)
新・江ノ島悲歌(1953年)
あにいもうと(監督:成瀬巳喜男。キネマ旬報ベストテン第5位。1953年。 ※DVD発売)
続続十代の性典(1953年)
紅椿(1953年)
母の湖(1953年)
十代の誘惑(1953年)
五ツ木の子守唄(1954年。 ※ビデオ化)
或る女(監督:豊田四郎。1954年。 ※ビデオ化)
金色夜叉(1954年。初のカラー映画出演。 ※ビデオ化)
心の日月(1954年)
愛染かつら(1954年)
こんな別嬪見たことない(1954年)
こんな美男子見たことない(1954年)
こんなアベック見たことない(1954年)
こんな奥様見たことない(1954年)
荒城の月(1954年)
月よりの使者(1954年。 ※ビデオ化)
春琴物語(1954年。 ※ビデオ化)
春の渦巻(1954年)
こういう具合にしやしゃんせ 恋の野球拳(1955年)
螢の光(1955年)
泣き笑い地獄極楽(1955年)
幸福を配達する娘(1955年)
薔薇いくたびか(1955年。 ※ビデオ化)
東京暴力団(1955年)
母笛子笛(1955年)
哀しき富士の白雪よ(1955年)
新女性問答(1955年)
七人の兄いもうと(1955年)
五十円横町(1955年)
珠はくだけず(1955年)
花嫁のため息(1956年)
虹いくたび(1956年)
東京犯罪地図(1956年)
浅草の灯(1956年)
現金の寝ごと(1956年)
日本橋(監督:市川崑。1956年。 ※DVD発売)
人情馬鹿(1956年)
火花(1956年)
屋根裏の女たち(1956年)
魔の花嫁衣裳 前後篇(1956年)
四十八歳の抵抗(監督:吉村公三郎。1956年)
新・平家物語 静と義経(1956年)
あさ潮ゆう潮(1956年)
スタジオは大騒ぎ(1956年)
惚れるな弥ン八(1956年)
スタジオはてんやわんや(1957年。 ※ビデオ化)
踊子(1957年)
朝の口笛(1957年)
満員電車(監督:市川崑。1957年。 ※DVD発売)
永すぎた春(原作:三島由紀夫。1957年。 ※DVD発売)
妻こそわが命(1957年)
夜の蝶(監督:吉村公三郎。1957年。 ※2007年4月、DVD発売予定)
穴(監督:市川崑。1957年。 ※DVD発売)
駐在所日記(1957年)
暖流(監督:増村保造。1957年)
敵中横断三百里 日露戦争勝利の秘史(脚本:黒澤明。1957年。 ※DVD発売)
新婚七つの楽しみ(1958年)
悲しみは女だけに(監督:新藤兼人。1958年)
母(1958年)
忠臣蔵(1958年。 ※DVD発売)
東京の瞳(1958年)
南氏大いに惑う(1958年)
素っ裸の青春(1958年)
不敵な男(監督:増村保造。1958年)
大阪の女(1958年)
娘の冒険(1958年)
赤線の灯は消えず(1958年。 ※ビデオ化)
おーい中村君(1958年。 ※ビデオ化)
夜の素顔(監督:吉村公三郎。1958年。 ※ビデオ化)
共犯者(1958年)
親不孝通り(監督:増村保造。1958年)
銭形平次捕物控 雪女の足跡(1958年。 ※ビデオ化)
あなたと私の合言葉 さようなら、今日は(監督:市川崑。1959年。 ※DVD発売)
最高殊勲夫人(監督:増村保造。1959年。 ※DVD発売)
情炎(1959年)
細雪(1959年。2度目の映画化。 ※ビデオ化)
夜の闘魚(1959年)
次郎長富士(1959年。 ※DVD発売)
氾濫(監督:増村保造。1959年。 ※DVD発売)
私の選んだ人(1959年)
旅情(1959年。ハワイロケが行われた)
電話は夕方に鳴る(監督:吉村公三郎。1959年)
野火(監督:市川崑。キネマ旬報ベストテン第2位。1959年。 ※DVD発売)
セクシー・サイン 好き好き好き(1960年)
女経(オムニバス映画で、市川崑監督の第2話「物を高く売りつける女」に出演。1960年。 ※ビデオ化)
流転の王妃(監督:田中絹代。1960年。 ※ビデオ化)
からっ風野郎(共演:三島由紀夫。監督:増村保造。1960年。 ※DVD発売)
ぼんち(原作:山崎豊子。監督:市川崑。1960年。 ※DVD発売)
痴人の愛(1960年)
女妖(1960年)
勝利と敗北(1960年)
夜は嘘つき(1960年)
足にさわった女(監督:増村保造。1960年。 ※ビデオ化)
顔(1960年)
偽大学生(原作:大江健三郎。監督:増村保造。1960年)
時の氏神 新夫婦読本(1960年)
お伝地獄(1960年)
婚期(監督:吉村公三郎。1961年。 ※2007年4月、DVD発売予定)
新夫婦読本 恋愛病患者(1961年)
好色一代男(監督:増村保造。1961年。 ※DVD発売)
黒い十人の女(監督:市川崑。キネマ旬報ベストテン第10位。1961年。 ※DVD発売)
夜はいじわる(1961年)
女の勲章(原作:山崎豊子。監督:吉村公三郎。1961年。 ※DVD発売)
怪談蚊喰鳥(1961年。 ※ビデオ化)
雑婚時代(1961年)
小太刀を使う女(1961年)
銭形平次捕物控 美人鮫(1961年。 ※ビデオ化)
若い奴らの階段(1961年)
家庭の事情(監督:吉村公三郎。1962年)
ある関係(1962年)
婦系図(1962年。 ※ビデオ化)
爛(監督:増村保造。1962年。 ※ビデオ化)
江梨子(1962年。 ※ビデオ化)
宝石泥棒(1962年)
破戒(監督:市川崑。キネマ旬報ベストテン第4位。1962年。 ※DVD発売)
黒の試走車(監督:増村保造。1962年。 ※DVD発売)
男と女の世の中(1962年)
私は二歳(監督:市川崑。キネマ旬報ベストテン第1位。1962年。 ※DVD発売)
しとやかな獣(監督:川島雄三。キネマ旬報ベストテン第6位。1963年。 ※DVD発売)
雪之丞変化(監督:市川崑。1963年。 ※DVD発売)
嘘』 (オムニバス映画で、第三話「3女体」に出演。1963年)
赤い水(監督:山本薩夫。1963年。 ※ビデオ化)
雑兵物語(1963年。 ※ビデオ化)
停年退職(1963年)
巨人大隈重信(1963年)
末は博士か大臣か(1963年)
現代インチキ物語 騙し屋(監督:増村保造。1964年)
現代インチキ物語 ど狸(1964年)
傷だらけの山河(監督:山本薩夫。キネマ旬報ベストテン第7位。1964年。 ※ビデオ化)
ど根性物語 銭の踊り(監督:市川崑。1964年。 ※DVD発売)
卍(監督:増村保造。1964年。 ※DVD発売)
青い性(1964年)
検事霧島三郎(1964年)
黒の超特急(監督:増村保造。1964年。 ※DVD発売)
十七才は一度だけ(1964年)
帯をとく夏子(1965年)
六人の女を殺した男(1965年)
花実のない森(1965年)
妻の日の愛のかたみに(1965年)
大怪獣ガメラ(1965年。 ※DVD発売)
氷点(監督:山本薩夫。1966年。 ※DVD発売)
私は負けない(1966年)
白い巨塔(菊川昇役。原作:山崎豊子。監督:山本薩夫。キネマ旬報ベストテン第1位。1966年。 ※DVD発売)
小さい逃亡者(日本&旧ソ連合作映画。1966年)
夜の罠(1967年)
ラーメン大使(1967年。 ※ビデオ化)
毒薬の匂う女(1967年)
砂糖菓子が壊れるとき(監督:今井正。脚本:橋田壽賀子。1967年)
古都憂愁 姉いもうと(1967年)
あるセックス・ドクターの記録(1968年)
陸軍中野学校 開戦前夜(1968年。 ※DVD発売)
怪談おとし穴(1968年)
新・与太郎戦記(1969年。 ※ビデオ化)
盲獣(監督:増村保造。1969年。 ※DVD発売)
女賭博師十番勝負(1969年。 ※ビデオ化)
女賭博師花の切り札(1969年)
ガメラ対大悪獣ギロン(1969年。 ※DVD発売)
千羽鶴(原作:川端康成。監督:増村保造。1969年。 ※ビデオ化)
男はつらいよ 寅次郎相合い傘(監督:山田洋次。キネマ旬報ベストテン第5位。共演:渥美清、浅丘ルリ子。シリーズ第15作。1975年。 ※DVD発売)
青年の樹(1977年)
テレビドラマ
時間ですよ(1970年〜1973年)
雲のじゅうたん(1976年)
人はそれをスキャンダルという (1978年)
熱中時代(1978年〜1979年、1980年〜1981年)
キッド(1981年〜1982年)
若草学園物語(1983年)
暴れん坊将軍IIIシリーズ〜VIIシリーズ 2代目御側御用取次・田之倉孫兵衛役(1988年〜1997年)
NHK大河ドラマ『信長』(1992年)
美味しんぼ4 究極vs至高 心の対決!(1997年)
隠密奉行朝比奈(1998年〜1999年)
その他のテレビ番組
3時にあいましょう(※司会。TBS)
CM
ワイパアエースゾル
ポリデント(当時小林製薬。現在はアース製薬が販売)
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
は行
フラさんの名で親しまれた俳優 フランキー堺
フランキー堺(ふらんきー さかい、1929年2月13日 - 1996年6月10日)は、鹿児島県鹿児島市出身のコメディアン、俳優、ジャズ奏者(ドラム)、落語家。本名は堺正俊。昭和時代を代表する喜劇人であった。
私立麻布中学を経て慶應義塾大学法学部卒業。
大学時代から進駐軍のキャンプでジャズ・ドラマーとして演奏し、芸能界へ進む。芸名のフランキーは進駐軍相手に演奏を行うため通りがいいように名付けた。後に映画に進出して、喜劇を中心に出演。その一方、BC級戦犯の悲劇を描いてTVドラマから映画にもなった『私は貝になりたい』などの社会派ドラマ、『幕末太陽傳』などの時代劇、そして『モスラ』や『世界大戦争』などの特撮まで、幅広く活躍した。東洲斎写楽の研究も行い、多額の私財を投じて、写楽の謎の解明を行っていたことでも有名である(1995年の篠田正浩監督作品『写楽』では、版元・蔦屋重三郎を自ら演じるとともに、企画総指揮も務めた)。
桂文楽 (8代目)の弟子の落語家でもあり、噺家としての名は桂文昇。
後に大阪芸術大学舞台芸術学科の教授にも就任。学科長も務めた。
1994年に紫綬褒章を受章。1996年6月10日、肝不全のため東京都港区の済生会病院で死去。享年67。
出演作品
映画
初恋カナリア娘(1955年/日活/吉村廉監督)
牛乳屋フランキー(1956年/日活/中平康監督) - 日本では珍しい本格的スラップスティック・パロディ映画の傑作。
幕末太陽傳(1957年/日活/川島雄三監督) - 主人公・居残り佐平次役。日本映画史上最高傑作のひとつ。
駅前シリーズ(1958〜1969年/東宝/豊田四郎監督・他) - 森繁久彌、伴淳三郎との共演による下町喜劇。東宝の大人気シリーズとして確立。
私は貝になりたい(1959年/東宝/橋本忍監督) - 同名テレビドラマの映画化。
独立愚連隊西へ(1960年/東宝/岡本喜八監督) - 八路軍・梁隊長役で助演。全編、中国語で通している。
モスラ(1961年/東宝/本多猪四郎監督) - 東宝のお家芸・特撮を駆使したスペクタクル・ファンタジーの名作。
特急にっぽん(1961年/東宝/川島雄三監督) - 特急「こだま」を舞台にしたライトコメディ。
世界大戦争(1961年/東宝/松林宗恵監督) - 第三次世界大戦の悲劇を描いた芸術祭参加作品。
社長シリーズ(1962年〜1967年/松林宗恵監督・他) - 駅前シリーズと並ぶ東宝のドル箱喜劇シリーズ。怪しい言葉遣いの日系人や、男色家の若社長など、キワモノの役どころで毎回登場。
君も出世ができる(1964年/東宝/須川栄三監督) - 日本の本格的ミュージカル映画。傑作として高い評価を受けている。
ちびっこレミと名犬カピ(1970年/東映動画) - カピ(犬)の声。「家なき子」のアニメ化。
喜劇日本列島震度0(1973年/松竹大船)
写楽(1995年/西友=TSUTAYA=堺総合企画=表現社/篠田正浩監督) - フランキー自らが長年温めていた企画。総指揮。
テレビ
TVドラマ「赤かぶ検事奮戦記」シリーズ
TVドラマ「ザ・ハングマン4」
TVドラマ「ポニーテールは振り向かない」
クイズ番組「霊感ヤマカン第六感」
水戸黄門 第7部(1977年 TBS・ C.A.L.)第33話「十七年目の泣き笑い・伊勢崎」 一八役
あ・うん(1980年〜1981年、NHK)水田仙吉役
大河ドラマ「おんな太閤記」(1981年、NHK)徳川家康役
大河ドラマ「太平記」(1991年、NHK)長崎円喜役
「山頭火 〜何んでこんなに淋しい風ふく〜」(NHK)
その他の作品
武田薬品工業「タケダ胃腸薬」CM 1977年〜1985年
ヤンマー 「ヤンマー農機具」CM
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
私立麻布中学を経て慶應義塾大学法学部卒業。
大学時代から進駐軍のキャンプでジャズ・ドラマーとして演奏し、芸能界へ進む。芸名のフランキーは進駐軍相手に演奏を行うため通りがいいように名付けた。後に映画に進出して、喜劇を中心に出演。その一方、BC級戦犯の悲劇を描いてTVドラマから映画にもなった『私は貝になりたい』などの社会派ドラマ、『幕末太陽傳』などの時代劇、そして『モスラ』や『世界大戦争』などの特撮まで、幅広く活躍した。東洲斎写楽の研究も行い、多額の私財を投じて、写楽の謎の解明を行っていたことでも有名である(1995年の篠田正浩監督作品『写楽』では、版元・蔦屋重三郎を自ら演じるとともに、企画総指揮も務めた)。
桂文楽 (8代目)の弟子の落語家でもあり、噺家としての名は桂文昇。
後に大阪芸術大学舞台芸術学科の教授にも就任。学科長も務めた。
1994年に紫綬褒章を受章。1996年6月10日、肝不全のため東京都港区の済生会病院で死去。享年67。
出演作品
映画
初恋カナリア娘(1955年/日活/吉村廉監督)
牛乳屋フランキー(1956年/日活/中平康監督) - 日本では珍しい本格的スラップスティック・パロディ映画の傑作。
幕末太陽傳(1957年/日活/川島雄三監督) - 主人公・居残り佐平次役。日本映画史上最高傑作のひとつ。
駅前シリーズ(1958〜1969年/東宝/豊田四郎監督・他) - 森繁久彌、伴淳三郎との共演による下町喜劇。東宝の大人気シリーズとして確立。
私は貝になりたい(1959年/東宝/橋本忍監督) - 同名テレビドラマの映画化。
独立愚連隊西へ(1960年/東宝/岡本喜八監督) - 八路軍・梁隊長役で助演。全編、中国語で通している。
モスラ(1961年/東宝/本多猪四郎監督) - 東宝のお家芸・特撮を駆使したスペクタクル・ファンタジーの名作。
特急にっぽん(1961年/東宝/川島雄三監督) - 特急「こだま」を舞台にしたライトコメディ。
世界大戦争(1961年/東宝/松林宗恵監督) - 第三次世界大戦の悲劇を描いた芸術祭参加作品。
社長シリーズ(1962年〜1967年/松林宗恵監督・他) - 駅前シリーズと並ぶ東宝のドル箱喜劇シリーズ。怪しい言葉遣いの日系人や、男色家の若社長など、キワモノの役どころで毎回登場。
君も出世ができる(1964年/東宝/須川栄三監督) - 日本の本格的ミュージカル映画。傑作として高い評価を受けている。
ちびっこレミと名犬カピ(1970年/東映動画) - カピ(犬)の声。「家なき子」のアニメ化。
喜劇日本列島震度0(1973年/松竹大船)
写楽(1995年/西友=TSUTAYA=堺総合企画=表現社/篠田正浩監督) - フランキー自らが長年温めていた企画。総指揮。
テレビ
TVドラマ「赤かぶ検事奮戦記」シリーズ
TVドラマ「ザ・ハングマン4」
TVドラマ「ポニーテールは振り向かない」
クイズ番組「霊感ヤマカン第六感」
水戸黄門 第7部(1977年 TBS・ C.A.L.)第33話「十七年目の泣き笑い・伊勢崎」 一八役
あ・うん(1980年〜1981年、NHK)水田仙吉役
大河ドラマ「おんな太閤記」(1981年、NHK)徳川家康役
大河ドラマ「太平記」(1991年、NHK)長崎円喜役
「山頭火 〜何んでこんなに淋しい風ふく〜」(NHK)
その他の作品
武田薬品工業「タケダ胃腸薬」CM 1977年〜1985年
ヤンマー 「ヤンマー農機具」CM
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
は行
島崎藤村の名前を貰った女優 藤村志保
藤村志保(ふじむら しほ、1939年1月3日 - )は日本の女優。神奈川県川崎市出身。本名は、静永操(しずなが・みさお)。芸名は、最初のデビュー作「破戒」の役名「志保」とその作品の原作者島崎藤村に由来している。
1961年デビュー。1962年に「破戒」に出演し、各種新人賞を受賞。大映のスター女優として主に時代劇で活躍。テレビドラマにも進出し、1965年のNHK大河ドラマ「太閤記」のねね役を好演し人気女優に。その後も、各種ドラマ・映画・舞台など幅広く活躍。現在でも、テレビでは民放の昼のドラマやNHK朝の連続テレビ小説などで多く見かけることが出来る。
出演作品
テレビドラマ
太閤記(1965年、NHK大河ドラマ)
ザ・ガードマン(1965年、大映テレビ室、TBS)第7話「狂った獣」、第16話「ガードマンを罠にかけろ」
三姉妹(1967年、NHK大河ドラマ)
竜馬がゆく(1968年、NHK大河ドラマ)
天と地と(1969年、NHK大河ドラマ)
宗方姉妹(1973年、NHK銀河テレビ小説)
華麗なる一族(1974年 - 1975年、毎日放送)
黄金の日日(1978年、NHK大河ドラマ)
水戸黄門 第9部(1978年 TBS・C.A.L.)第14話「鈴に秘めた愛・高田」 お梶役
ハイカラさん(1982年、NHK朝の連続テレビ小説)
太平記(1991年、NHK大河ドラマ)
八代将軍吉宗(1995年、NHK大河ドラマ)
きのうの敵は今日も敵(1995年、TBS東芝日曜劇場)
ひまわり(1996年、NHK朝の連続テレビ小説)
温泉へ行こう!1〜5(1999年 - 2005年、TBS愛の劇場)
柳橋慕情(2000年、NHK時代劇ロマン)
ホーム&アウェイ(2002年、フジテレビ)
てるてる家族(2003年 - 2004年、NHK朝の連続テレビ小説)
不機嫌なジーン(2005年、フジテレビ)
風林火山(2007年、NHK大河ドラマ)寿桂尼役
映画
破戒(1962年)
新選組始末記(1963年)
眠狂四郎勝負(1964年)
眠狂四郎女妖剣(1964年)
白い巨塔(1966年)
眠狂四郎無頼剣(1966年)
大魔神怒る(1966年)
座頭市鉄火旅(1967年)
怪談雪女郎(1968年)
眠狂四郎悪女狩り(1969年)
男はつらいよ 寅次郎頑張れ!(1977年)
長崎ぶらぶら節(2000年)
狗神(2001年)
白い犬とワルツを(2002年)
嗤う伊右衛門(2004年)
カーテンコール(2004年)
二人日和(2004年)
夕凪の街 桜の国(2007年 夏公開予定)
バラエティー番組
「森田一義アワー 笑っていいとも!」※テレフォンショッキングゲスト (フジテレビ)
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
1961年デビュー。1962年に「破戒」に出演し、各種新人賞を受賞。大映のスター女優として主に時代劇で活躍。テレビドラマにも進出し、1965年のNHK大河ドラマ「太閤記」のねね役を好演し人気女優に。その後も、各種ドラマ・映画・舞台など幅広く活躍。現在でも、テレビでは民放の昼のドラマやNHK朝の連続テレビ小説などで多く見かけることが出来る。
出演作品
テレビドラマ
太閤記(1965年、NHK大河ドラマ)
ザ・ガードマン(1965年、大映テレビ室、TBS)第7話「狂った獣」、第16話「ガードマンを罠にかけろ」
三姉妹(1967年、NHK大河ドラマ)
竜馬がゆく(1968年、NHK大河ドラマ)
天と地と(1969年、NHK大河ドラマ)
宗方姉妹(1973年、NHK銀河テレビ小説)
華麗なる一族(1974年 - 1975年、毎日放送)
黄金の日日(1978年、NHK大河ドラマ)
水戸黄門 第9部(1978年 TBS・C.A.L.)第14話「鈴に秘めた愛・高田」 お梶役
ハイカラさん(1982年、NHK朝の連続テレビ小説)
太平記(1991年、NHK大河ドラマ)
八代将軍吉宗(1995年、NHK大河ドラマ)
きのうの敵は今日も敵(1995年、TBS東芝日曜劇場)
ひまわり(1996年、NHK朝の連続テレビ小説)
温泉へ行こう!1〜5(1999年 - 2005年、TBS愛の劇場)
柳橋慕情(2000年、NHK時代劇ロマン)
ホーム&アウェイ(2002年、フジテレビ)
てるてる家族(2003年 - 2004年、NHK朝の連続テレビ小説)
不機嫌なジーン(2005年、フジテレビ)
風林火山(2007年、NHK大河ドラマ)寿桂尼役
映画
破戒(1962年)
新選組始末記(1963年)
眠狂四郎勝負(1964年)
眠狂四郎女妖剣(1964年)
白い巨塔(1966年)
眠狂四郎無頼剣(1966年)
大魔神怒る(1966年)
座頭市鉄火旅(1967年)
怪談雪女郎(1968年)
眠狂四郎悪女狩り(1969年)
男はつらいよ 寅次郎頑張れ!(1977年)
長崎ぶらぶら節(2000年)
狗神(2001年)
白い犬とワルツを(2002年)
嗤う伊右衛門(2004年)
カーテンコール(2004年)
二人日和(2004年)
夕凪の街 桜の国(2007年 夏公開予定)
バラエティー番組
「森田一義アワー 笑っていいとも!」※テレフォンショッキングゲスト (フジテレビ)
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
は行
軍人スターとして売り出した俳優 藤田進
藤田 進(ふじた すすむ、1912年1月8日 - 1990年3月23日)は、昭和期の俳優。
戦前・戦中において初期黒澤明監督作品の主演を務めるなど日本映画界の大スターの一人であった。戦後の映画黄金期には脇役として重厚な演技をみせている。東宝特撮映画や円谷プロ制作のテレビシリーズの防衛軍司令官といった役どころでも知られる。
福岡県久留米市京町に生れる。1929年に南筑中学校(現・久留米市立南筑高等学校)を卒業後、上京し、大学を受験するが、失敗し、その帰途京都に立ち寄った際、市川右太衛門プロダクションで古海卓二の助監督をつとめる郷里の先輩を訪ねた際、俳優になるよう勧められ、1930年、市川右太衛門プロに入り、エキストラで出演する。その後、1931年に東亜キネマに入るも芽が出なかった。1932年に兵役につき、第12師団の砲兵隊に入隊し、対馬で勤務。1933年に横須賀の陸軍砲兵学校に入ったのち、二等兵のまま除隊。1934年にマキノ正博の京都映音に録音係として入社したのを経て、1939年、再び俳優として立つ事を決意して東宝に入社。
当初は大部屋俳優だったが、1940年に『妻の場合』で入江たか子、高田稔と共演し、素朴で真摯な二枚目俳優として注目を受ける。1941年の『指導物語』など、その後は立て続けに主役に起用され、1943年、黒澤明の監督デビュー作『姿三四郎』に主演。その武骨な動作は映画とマッチし、その名は黒澤と共に広く知れ渡ることとなる。またその男性的な風貌から『加藤隼戦闘隊』をはじめ、多くの戦意高揚映画に主演、軍人スターとして確固たる人気を得た。1945年に『虎の尾を踏む男達』の撮影中に敗戦を迎える。
終戦後は、戦争映画のヒーローとしての自責から俳優をやめようとさえ思ったが、結局は代わる職業が考えつかぬまま続けることになる。1946年、黒澤明の戦後第1作『わが青春に悔いなし』に戦時中に自由主義者としての立場を貫いて獄死する青年を熱演、戦後の代表作となった。1950年代前半までメロドラマからアクション物まで多くの映画に主演。この頃、おりからの東宝争議で大河内伝次郎や長谷川一夫と共に「十人の旗の会」に参加したことから新東宝に移る。1957年からはフリーとなり、脇役として存在感を見せた。やはり戦後の作品も軍人役が比較的多い。また実業家としても自動車販売店の経営や投資会社の社長になるなど、多彩な活躍を見せた。
主な出演作品
映画
妻の場合
海軍爆撃隊
指導物語
ハワイ・マレー沖海戦
姿三四郎
加藤隼戦闘隊
續姿三四郎
虎の尾を踏む男達
わが青春に悔なし
一匹狼
ひめゆりの塔
地球防衛軍
潜水艦イ-57降伏せず
ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐
悪い奴ほどよく眠る
明治天皇と日露大戦争
用心棒
忠臣蔵
太平洋の翼
ホラ吹き太閤記
海底軍艦
モスラ対ゴジラ
フランケンシュタイン対地底怪獣
連合艦隊司令長官 山本五十六
今日もわれ大空にあり
日本海大海戦
ブルージーンズメモリー
テレビドラマ
ウルトラQ(1966年、TBS)巡視船ねぎし・松田船長役
ウルトラマン(1966年、TBS)防衛隊司令役
ウルトラセブン(1967年、TBS)ヤマオカ司令長官役
帰ってきたウルトラマン(1971年、TBS)岸田長官役
太陽にほえろ!(1972年〜1986年、日本テレビ/東宝)
第464話「鹿児島・東京・大捜査線」
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
戦前・戦中において初期黒澤明監督作品の主演を務めるなど日本映画界の大スターの一人であった。戦後の映画黄金期には脇役として重厚な演技をみせている。東宝特撮映画や円谷プロ制作のテレビシリーズの防衛軍司令官といった役どころでも知られる。
福岡県久留米市京町に生れる。1929年に南筑中学校(現・久留米市立南筑高等学校)を卒業後、上京し、大学を受験するが、失敗し、その帰途京都に立ち寄った際、市川右太衛門プロダクションで古海卓二の助監督をつとめる郷里の先輩を訪ねた際、俳優になるよう勧められ、1930年、市川右太衛門プロに入り、エキストラで出演する。その後、1931年に東亜キネマに入るも芽が出なかった。1932年に兵役につき、第12師団の砲兵隊に入隊し、対馬で勤務。1933年に横須賀の陸軍砲兵学校に入ったのち、二等兵のまま除隊。1934年にマキノ正博の京都映音に録音係として入社したのを経て、1939年、再び俳優として立つ事を決意して東宝に入社。
当初は大部屋俳優だったが、1940年に『妻の場合』で入江たか子、高田稔と共演し、素朴で真摯な二枚目俳優として注目を受ける。1941年の『指導物語』など、その後は立て続けに主役に起用され、1943年、黒澤明の監督デビュー作『姿三四郎』に主演。その武骨な動作は映画とマッチし、その名は黒澤と共に広く知れ渡ることとなる。またその男性的な風貌から『加藤隼戦闘隊』をはじめ、多くの戦意高揚映画に主演、軍人スターとして確固たる人気を得た。1945年に『虎の尾を踏む男達』の撮影中に敗戦を迎える。
終戦後は、戦争映画のヒーローとしての自責から俳優をやめようとさえ思ったが、結局は代わる職業が考えつかぬまま続けることになる。1946年、黒澤明の戦後第1作『わが青春に悔いなし』に戦時中に自由主義者としての立場を貫いて獄死する青年を熱演、戦後の代表作となった。1950年代前半までメロドラマからアクション物まで多くの映画に主演。この頃、おりからの東宝争議で大河内伝次郎や長谷川一夫と共に「十人の旗の会」に参加したことから新東宝に移る。1957年からはフリーとなり、脇役として存在感を見せた。やはり戦後の作品も軍人役が比較的多い。また実業家としても自動車販売店の経営や投資会社の社長になるなど、多彩な活躍を見せた。
主な出演作品
映画
妻の場合
海軍爆撃隊
指導物語
ハワイ・マレー沖海戦
姿三四郎
加藤隼戦闘隊
續姿三四郎
虎の尾を踏む男達
わが青春に悔なし
一匹狼
ひめゆりの塔
地球防衛軍
潜水艦イ-57降伏せず
ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐
悪い奴ほどよく眠る
明治天皇と日露大戦争
用心棒
忠臣蔵
太平洋の翼
ホラ吹き太閤記
海底軍艦
モスラ対ゴジラ
フランケンシュタイン対地底怪獣
連合艦隊司令長官 山本五十六
今日もわれ大空にあり
日本海大海戦
ブルージーンズメモリー
テレビドラマ
ウルトラQ(1966年、TBS)巡視船ねぎし・松田船長役
ウルトラマン(1966年、TBS)防衛隊司令役
ウルトラセブン(1967年、TBS)ヤマオカ司令長官役
帰ってきたウルトラマン(1971年、TBS)岸田長官役
太陽にほえろ!(1972年〜1986年、日本テレビ/東宝)
第464話「鹿児島・東京・大捜査線」
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
は行
初代若大将シリーズの相手役!! 星由里子
星 由里子(ほし ゆりこ、1943年12月6日 - )は、日本の女優。東京都出身。所属事務所は東宝芸能。
来歴
1958年、東宝シンデレラ娘にグランプリ当選したのをきっかけに芸能界デビュー。 東宝専属となり、翌1959年に、映画『すずかけの散歩道』で女優デビューし、同名のレコードで歌手デビューも果たした。同時期にデビューした浜美枝、田村奈己とともに「東宝スリーペッツ」として売り出される。成瀬巳喜男、岡本喜八、福田純監督作品に度々起用され、文芸作品からアクション映画まで、数多くの映画に出演。中でも、1961年から始まった『若大将シリーズ』で演じたヒロイン・澄子役が当たり役となり、人気を博す。当時の加山雄三の出演する映画には必ず星の姿があったといっても過言ではないほど、加山との共演作も多い。世相を写したファッションや明るいイメージが広く支持された。
女優としての人気の絶頂期の1970年に幼なじみでもあった、財界人で買収王の横井英樹の長男と結婚。だが性格があわず40日余りで離婚。1975年、脚本家の花登筐と再婚するが、1983年に花登と死別。1990年には会社役員と再々婚した。
現在はテレビドラマ、舞台を中心に活躍している。
主な出演作品
映画
手錠をかけろ(1959年)
すずかけの散歩道(1959年)
世界大戦争(1961年)
若大将シリーズ(1961-1969年)
太平洋の翼(1963年)
今日もわれ大空にあり(1964年)
モスラ対ゴジラ(1964年)
国際秘密警察 火薬の樽(1964年)
三大怪獣 地球最大の決戦(1964年)
新網走番外地シリーズ(1968年 - )
青い山脈(1975年)
刑事物語3 潮騒の詩(1984年)
ゴジラ×メガギラス G消滅作戦(2000年)
釣りバカ日誌18(初の松竹映画出演。2007年8月25日公開)
テレビドラマ
ぬかるみの女
あぐり(1997年、NHK朝の連続テレビ小説)
ほんまもん(2001年、NHK朝の連続テレビ小説)
こちら本池上署シリーズ(2002年)
相棒・Season5(第19話ゲスト。2007年3月7日、テレビ朝日)
舞台
蝉しぐれ(2007年9月2日〜9月24日、大阪松竹座)
その他のテレビ番組
「SMAP×SMAP」(フジテレビ) - ビストロSMAPゲスト
「森田一義アワー 笑っていいとも!」(フジテレビ) - テレフォンショッキングゲスト。
「さんまのまんま」(関西テレビ系) - 司葉子と2人で出演
「たけし・さんまの有名人の集まる店」(フジテレビ)
「なるほど!ザ・ワールド」(フジテレビ)
「ライオンのごきげんよう」(フジテレビ)
「第38回NHK思い出のメロディー」(2006年) - 特別ゲスト
「クイズ面白ゼミナール」(NHK総合)
「今夜は最高!」(日本テレビ)
「土曜スペシャル」(テレビ東京)
「2時のワイドショー」(※司会。日本テレビ系)
「24時間テレビ「愛は地球を救う」」(日本テレビ系) - 1980年代後半、関西地区パーソナリティー
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
来歴
1958年、東宝シンデレラ娘にグランプリ当選したのをきっかけに芸能界デビュー。 東宝専属となり、翌1959年に、映画『すずかけの散歩道』で女優デビューし、同名のレコードで歌手デビューも果たした。同時期にデビューした浜美枝、田村奈己とともに「東宝スリーペッツ」として売り出される。成瀬巳喜男、岡本喜八、福田純監督作品に度々起用され、文芸作品からアクション映画まで、数多くの映画に出演。中でも、1961年から始まった『若大将シリーズ』で演じたヒロイン・澄子役が当たり役となり、人気を博す。当時の加山雄三の出演する映画には必ず星の姿があったといっても過言ではないほど、加山との共演作も多い。世相を写したファッションや明るいイメージが広く支持された。
女優としての人気の絶頂期の1970年に幼なじみでもあった、財界人で買収王の横井英樹の長男と結婚。だが性格があわず40日余りで離婚。1975年、脚本家の花登筐と再婚するが、1983年に花登と死別。1990年には会社役員と再々婚した。
現在はテレビドラマ、舞台を中心に活躍している。
主な出演作品
映画
手錠をかけろ(1959年)
すずかけの散歩道(1959年)
世界大戦争(1961年)
若大将シリーズ(1961-1969年)
太平洋の翼(1963年)
今日もわれ大空にあり(1964年)
モスラ対ゴジラ(1964年)
国際秘密警察 火薬の樽(1964年)
三大怪獣 地球最大の決戦(1964年)
新網走番外地シリーズ(1968年 - )
青い山脈(1975年)
刑事物語3 潮騒の詩(1984年)
ゴジラ×メガギラス G消滅作戦(2000年)
釣りバカ日誌18(初の松竹映画出演。2007年8月25日公開)
テレビドラマ
ぬかるみの女
あぐり(1997年、NHK朝の連続テレビ小説)
ほんまもん(2001年、NHK朝の連続テレビ小説)
こちら本池上署シリーズ(2002年)
相棒・Season5(第19話ゲスト。2007年3月7日、テレビ朝日)
舞台
蝉しぐれ(2007年9月2日〜9月24日、大阪松竹座)
その他のテレビ番組
「SMAP×SMAP」(フジテレビ) - ビストロSMAPゲスト
「森田一義アワー 笑っていいとも!」(フジテレビ) - テレフォンショッキングゲスト。
「さんまのまんま」(関西テレビ系) - 司葉子と2人で出演
「たけし・さんまの有名人の集まる店」(フジテレビ)
「なるほど!ザ・ワールド」(フジテレビ)
「ライオンのごきげんよう」(フジテレビ)
「第38回NHK思い出のメロディー」(2006年) - 特別ゲスト
「クイズ面白ゼミナール」(NHK総合)
「今夜は最高!」(日本テレビ)
「土曜スペシャル」(テレビ東京)
「2時のワイドショー」(※司会。日本テレビ系)
「24時間テレビ「愛は地球を救う」」(日本テレビ系) - 1980年代後半、関西地区パーソナリティー
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
は行
東映で客を呼べる大女優だった藤純子
富司 純子(ふじ すみこ、本名:寺嶋 純子〔てらしま じゅんこ、旧姓・俊藤〕、1945年12月1日 - )は、日本の女優。父は東映のプロデューサーで、「ヤクザ映画の首領(ドン)」と呼ばれた俊藤浩滋。血液型O
和歌山県御坊市に生まれる。5歳の時、大阪市へ移り、7歳から日本舞踊を習う。
1962年、京都女子学園高校2年生のときによみうりテレビの歌謡番組「ハイハイ、マヒナです」のカバーガールとして姉・允子と共に出演。翌年、父の勤務先である東映京都撮影所に見学に行ったところをマキノ雅弘監督にスカウトされ、「藤 純子」(ふじ じゅんこ)の芸名をもらい、「八州遊侠伝・男の盃」で千葉真一の恋人役でデビュー。同年、朝日放送テレビのコメディー「スチャラカ社員」の若い女給役で注目を浴びる。
時代劇、現代劇、任侠物に多数出演後の1968年、遂に山下耕作監督の「緋牡丹博徒」で初主演し、大ヒット。主人公・「緋牡丹のお竜」こと矢野竜子役で人気を集めシリーズ化され当代一の人気女優になった。中でも菅原文太と共演した「緋牡丹博徒 お竜参上」(1970、加藤泰監督)は傑作として今も語り継がれている。「緋牡丹博徒シリーズ」の他に「日本女侠伝シリーズ」,「女渡世人シリーズ」もヒットし、鶴田浩二、高倉健と並ぶ東映の三大スターのひとりとなる。藤は、昭和20年代生まれの邦画界の俳優の中でも観客動員力No.1であり、東映が生んだ「客の呼べる唯一の大女優」といえる。背に彫った緋牡丹の刺青を見せる「緋牡丹博徒」については、当初は肌を見せることに抵抗があり、出演を拒んでいたが、父・俊藤に説得されて渋々応諾したという経緯がある。しかし「緋牡丹博徒」の人気を直に感じて「父の凄さを初めて理解した」と回想している。緋牡丹博徒の主題歌も歌ったが、これは失敗だった。
その父親の影響もあり、共演女優にすぐに手を出す山城新伍や梅宮辰夫などといった東映の男優陣は、たとえ共演しても手を付けられなかった。「東映の女優で、手を出せないのは彼女だけだった」と山城はNTV・いつみても波乱万丈で語っている。
1972年、NHKの大河ドラマ「源義経」(1966)で共演した歌舞伎俳優の尾上菊之助(尾上菊五郎)と結婚し引退を表明。引退映画となった「関東緋桜一家」には時の東映オールスターが結集し、前代未聞の引退劇であった。
1974年、寺島純子の本名でフジテレビのワイドショー「3時のあなた」の司会に就任し、「司会者」として芸能界に復帰。1977年より3年間、出産・育児のため番組を一時降板したが1980年より復帰、歴代司会者では森光子に次いで2番目の長寿司会在任期間(10年11ヶ月)となった。1982年には、NHK「勇者は語らず」で女優としても復帰。「白紙の新人女優としてスタートしたい」との意思から芸名を富司純子に改めた。1989年には、「あ、うん」で銀幕活動を再開。1998年「おもちゃ」で26年ぶりに映画に主演、各主演女優賞に輝く。
長女は女優の寺島しのぶ、長男は歌舞伎俳優・尾上菊之助。
出演
映画
幕末残酷物語(1964年)
緋牡丹博徒(1968年)
あ・うん(1989年)
ふたり(1991年)
おもちゃ(1999年)
解夏(2004年)
待合室(2005年)和代
寝ずの番(2006)
フラガール(2006年)谷川千代
犬神家の一族(2006年)犬神松子
愛の流刑地(2007年)
テレビドラマ
源義経(1966年)静御前役
翔ぶが如く(1990年)篤姫役
北条時宗(2001年)鎌倉幕府第8代執権北条時宗(和泉元彌)の祖母松下禅尼役
このドラマでは娘寺島しのぶ共演している
天花(2004年)
七色のおばんざい(2005年)
柳生十兵衛七番勝負 最後の闘い(2007年)
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
和歌山県御坊市に生まれる。5歳の時、大阪市へ移り、7歳から日本舞踊を習う。
1962年、京都女子学園高校2年生のときによみうりテレビの歌謡番組「ハイハイ、マヒナです」のカバーガールとして姉・允子と共に出演。翌年、父の勤務先である東映京都撮影所に見学に行ったところをマキノ雅弘監督にスカウトされ、「藤 純子」(ふじ じゅんこ)の芸名をもらい、「八州遊侠伝・男の盃」で千葉真一の恋人役でデビュー。同年、朝日放送テレビのコメディー「スチャラカ社員」の若い女給役で注目を浴びる。
時代劇、現代劇、任侠物に多数出演後の1968年、遂に山下耕作監督の「緋牡丹博徒」で初主演し、大ヒット。主人公・「緋牡丹のお竜」こと矢野竜子役で人気を集めシリーズ化され当代一の人気女優になった。中でも菅原文太と共演した「緋牡丹博徒 お竜参上」(1970、加藤泰監督)は傑作として今も語り継がれている。「緋牡丹博徒シリーズ」の他に「日本女侠伝シリーズ」,「女渡世人シリーズ」もヒットし、鶴田浩二、高倉健と並ぶ東映の三大スターのひとりとなる。藤は、昭和20年代生まれの邦画界の俳優の中でも観客動員力No.1であり、東映が生んだ「客の呼べる唯一の大女優」といえる。背に彫った緋牡丹の刺青を見せる「緋牡丹博徒」については、当初は肌を見せることに抵抗があり、出演を拒んでいたが、父・俊藤に説得されて渋々応諾したという経緯がある。しかし「緋牡丹博徒」の人気を直に感じて「父の凄さを初めて理解した」と回想している。緋牡丹博徒の主題歌も歌ったが、これは失敗だった。
その父親の影響もあり、共演女優にすぐに手を出す山城新伍や梅宮辰夫などといった東映の男優陣は、たとえ共演しても手を付けられなかった。「東映の女優で、手を出せないのは彼女だけだった」と山城はNTV・いつみても波乱万丈で語っている。
1972年、NHKの大河ドラマ「源義経」(1966)で共演した歌舞伎俳優の尾上菊之助(尾上菊五郎)と結婚し引退を表明。引退映画となった「関東緋桜一家」には時の東映オールスターが結集し、前代未聞の引退劇であった。
1974年、寺島純子の本名でフジテレビのワイドショー「3時のあなた」の司会に就任し、「司会者」として芸能界に復帰。1977年より3年間、出産・育児のため番組を一時降板したが1980年より復帰、歴代司会者では森光子に次いで2番目の長寿司会在任期間(10年11ヶ月)となった。1982年には、NHK「勇者は語らず」で女優としても復帰。「白紙の新人女優としてスタートしたい」との意思から芸名を富司純子に改めた。1989年には、「あ、うん」で銀幕活動を再開。1998年「おもちゃ」で26年ぶりに映画に主演、各主演女優賞に輝く。
長女は女優の寺島しのぶ、長男は歌舞伎俳優・尾上菊之助。
出演
映画
幕末残酷物語(1964年)
緋牡丹博徒(1968年)
あ・うん(1989年)
ふたり(1991年)
おもちゃ(1999年)
解夏(2004年)
待合室(2005年)和代
寝ずの番(2006)
フラガール(2006年)谷川千代
犬神家の一族(2006年)犬神松子
愛の流刑地(2007年)
テレビドラマ
源義経(1966年)静御前役
翔ぶが如く(1990年)篤姫役
北条時宗(2001年)鎌倉幕府第8代執権北条時宗(和泉元彌)の祖母松下禅尼役
このドラマでは娘寺島しのぶ共演している
天花(2004年)
七色のおばんざい(2005年)
柳生十兵衛七番勝負 最後の闘い(2007年)
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
は行
大地のエネルギーを全身に漲らせた女優 左幸子
左 幸子(ひだり さちこ、本名;額村 幸子、1930年6月29日 - 2001年11月7日)は富山県下新川郡朝日町出身の女優。妹は左時枝。元夫は羽仁進(1966年結婚、1977年離婚)。娘は羽仁未央。東京女子体育大学卒業。
1952年に野村浩将の勧めで『若き日のあやまち』に主演する。
1955年『女中っ子』
1957年『幕末太陽傳』(監督:川島雄三)では南田洋子と伝説的な喧嘩シーンを演じた。
1959年 映画監督の羽仁進と結婚。64年に長女・未央を出産。
1963年『にっぽん昆虫記』では貧しい農村の、職業を転々としながら売春組織の元締めになっていく女を熱演。同作品で日本人で初めてベルリン国際映画祭主演女優賞を獲得。
1965年『飢餓海峡』で純朴な娼妓・杉戸八重を演じ、毎日映画コンクール女優主演賞を受賞。
1972年『軍旗はためく下に』(監督:深作欣二)
1973年 羽仁は娘を連れてアフリカに長期撮影旅行に出かけるが、これに同行した彼女の実の妹(四女の額村喜美子)と不倫をしていたためショックを受け、酒浸りの生活を送る。
1976年『はだしのゲン』
1977年 娘の教育問題などを理由に離婚。羽仁はその4ヶ月後、額村喜美子と再婚。
1985年 胃ガンのため胃の一部を切除。
1991年 舞台『糸女』でカムバックを果たす。
胃切除後は体調が思わしくなく、次第にスクリーンから遠ざかっていく。 晩年はテレビバラエティー『快傑熟女!心配ご無用』(TBS)のパネリストを務めたり、明石家さんま司会の『恋のから騒ぎ』(日本テレビ)にもゲスト出演した。ワイドショーの司会もした事があり、1965年1月4日-1965年5月31日まで音楽番組『ミュージックフェア』(フジテレビ)の司会を担当。 テレビドラマでは『北の家族』『大市民』『赤い絆』『野のきよら山のきよらに光さす』などに出演。
2001年11月7日、国立がんセンターで肺ガンのため死去。享年71。
また娘の羽仁未央はエッセイストになり、現在はアジアチャンネルのC.E.Oを務める。
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
1952年に野村浩将の勧めで『若き日のあやまち』に主演する。
1955年『女中っ子』
1957年『幕末太陽傳』(監督:川島雄三)では南田洋子と伝説的な喧嘩シーンを演じた。
1959年 映画監督の羽仁進と結婚。64年に長女・未央を出産。
1963年『にっぽん昆虫記』では貧しい農村の、職業を転々としながら売春組織の元締めになっていく女を熱演。同作品で日本人で初めてベルリン国際映画祭主演女優賞を獲得。
1965年『飢餓海峡』で純朴な娼妓・杉戸八重を演じ、毎日映画コンクール女優主演賞を受賞。
1972年『軍旗はためく下に』(監督:深作欣二)
1973年 羽仁は娘を連れてアフリカに長期撮影旅行に出かけるが、これに同行した彼女の実の妹(四女の額村喜美子)と不倫をしていたためショックを受け、酒浸りの生活を送る。
1976年『はだしのゲン』
1977年 娘の教育問題などを理由に離婚。羽仁はその4ヶ月後、額村喜美子と再婚。
1985年 胃ガンのため胃の一部を切除。
1991年 舞台『糸女』でカムバックを果たす。
胃切除後は体調が思わしくなく、次第にスクリーンから遠ざかっていく。 晩年はテレビバラエティー『快傑熟女!心配ご無用』(TBS)のパネリストを務めたり、明石家さんま司会の『恋のから騒ぎ』(日本テレビ)にもゲスト出演した。ワイドショーの司会もした事があり、1965年1月4日-1965年5月31日まで音楽番組『ミュージックフェア』(フジテレビ)の司会を担当。 テレビドラマでは『北の家族』『大市民』『赤い絆』『野のきよら山のきよらに光さす』などに出演。
2001年11月7日、国立がんセンターで肺ガンのため死去。享年71。
また娘の羽仁未央はエッセイストになり、現在はアジアチャンネルのC.E.Oを務める。
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
は行
時代劇の第一人者・・・バンツマ 阪東妻三郎
阪東 妻三郎(ばんどう つまさぶろう、1901年12月14日 - 1953年7月7日)は、映画俳優。本名、田村傳吉。東京府南豊島郡角筈(現・東京都新宿区西新宿)出身。愛称は「阪妻」。
木綿問屋を商う親から生まれて、1916年高等科を卒業後、芝居の世界へと入門をして、1918年に初舞台を踏む。1923年、マキノ映画製作所結成にあたり、スカウトをされて 入社をする。寿々喜多呂九平脚本の『鮮血の手型』で主役デビューをして、同じコンビで発表した『影法師』は大好評で、時代劇俳優の第一人者としての地位は決定的なものとなる。
その後、マキノ映画が消滅し、恩師である牧野省三監督が追放されると、阪東妻三郎プロダクションを設立する。1925年には、『雄呂血』を発表して、その虚無的な英雄像はその時代の風潮ともマッチし、大ヒットとなる。また、その大胆な殺陣で「乱闘劇」の「バンツマ」として一世を風靡する。松竹と提携し、ヒット作を飛ばすが、阪妻のヒーロー像は次第にマンネリズムを生み、人気は徐々に低落をする。1936年『怒涛一番乗』を最後に12年続いた阪妻プロは ついに解散をする。
その後、活動の場を日活に移す。殺陣の軽快さは若かりし日の姿には及ばないものの、重厚な演技で主役を張り続けた。
トーキーに初めて出演した際に、甲高く細い声がファンの失望を呼んだことが人気低落の理由のひとつと考え、彼は一転トーキーを克服すべく、大声を出す練習を重ねる。努力の甲斐あり、再生一作目となる『恋山彦』前後篇では、剣戟王・阪妻の復活を告げる素晴らしい立ち回りを披露した。
その後も戦時中は『江戸最後の日』などの作品で、戦後になっても『王将』、『破れ太鼓』などの作品で、正真正銘の「スター」であり続けた。
1953年『あばれ獅子』撮影中持病の高血圧から体調を崩し、同年7月7日脳膜出血により死去。享年51。早すぎる死だった。
4人の子どもの内、次男の俊磨を除く長男の高廣・三男の正和・四男の亮の3人は俳優となり、彼達の活躍は現在に至る(高廣は2006年5月17日に77歳で死去)。
主な出演作品
三好清海(1923年)
鮮血の手型(1923年)
雪の峠(1924年)
血桜(1924年)
逆流(1924年)
影法師(1925年)
三人姉妹(1925年)
落花の舞(1925年)
雄呂血(1925年)
魔保露詩(1925年)
牢獄の花嫁(1931年)
魔像(1936年)
血煙高田の馬場(1937年)
大楠公(1940年)
江戸最後の日(1941年)
将軍と参謀と兵(1942年)
維新の曲(1942年)
無法松の一生(1943年)
狐の呉れた赤ん坊(1945年)
素浪人罷通る(1947年)
王将(1948年)
破れ太鼓(1949年)
丹下左膳(1952年)
あばれ獅子(1953年)
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
木綿問屋を商う親から生まれて、1916年高等科を卒業後、芝居の世界へと入門をして、1918年に初舞台を踏む。1923年、マキノ映画製作所結成にあたり、スカウトをされて 入社をする。寿々喜多呂九平脚本の『鮮血の手型』で主役デビューをして、同じコンビで発表した『影法師』は大好評で、時代劇俳優の第一人者としての地位は決定的なものとなる。
その後、マキノ映画が消滅し、恩師である牧野省三監督が追放されると、阪東妻三郎プロダクションを設立する。1925年には、『雄呂血』を発表して、その虚無的な英雄像はその時代の風潮ともマッチし、大ヒットとなる。また、その大胆な殺陣で「乱闘劇」の「バンツマ」として一世を風靡する。松竹と提携し、ヒット作を飛ばすが、阪妻のヒーロー像は次第にマンネリズムを生み、人気は徐々に低落をする。1936年『怒涛一番乗』を最後に12年続いた阪妻プロは ついに解散をする。
その後、活動の場を日活に移す。殺陣の軽快さは若かりし日の姿には及ばないものの、重厚な演技で主役を張り続けた。
トーキーに初めて出演した際に、甲高く細い声がファンの失望を呼んだことが人気低落の理由のひとつと考え、彼は一転トーキーを克服すべく、大声を出す練習を重ねる。努力の甲斐あり、再生一作目となる『恋山彦』前後篇では、剣戟王・阪妻の復活を告げる素晴らしい立ち回りを披露した。
その後も戦時中は『江戸最後の日』などの作品で、戦後になっても『王将』、『破れ太鼓』などの作品で、正真正銘の「スター」であり続けた。
1953年『あばれ獅子』撮影中持病の高血圧から体調を崩し、同年7月7日脳膜出血により死去。享年51。早すぎる死だった。
4人の子どもの内、次男の俊磨を除く長男の高廣・三男の正和・四男の亮の3人は俳優となり、彼達の活躍は現在に至る(高廣は2006年5月17日に77歳で死去)。
主な出演作品
三好清海(1923年)
鮮血の手型(1923年)
雪の峠(1924年)
血桜(1924年)
逆流(1924年)
影法師(1925年)
三人姉妹(1925年)
落花の舞(1925年)
雄呂血(1925年)
魔保露詩(1925年)
牢獄の花嫁(1931年)
魔像(1936年)
血煙高田の馬場(1937年)
大楠公(1940年)
江戸最後の日(1941年)
将軍と参謀と兵(1942年)
維新の曲(1942年)
無法松の一生(1943年)
狐の呉れた赤ん坊(1945年)
素浪人罷通る(1947年)
王将(1948年)
破れ太鼓(1949年)
丹下左膳(1952年)
あばれ獅子(1953年)
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は行
かっての映画界の重鎮 長谷川一夫
長谷川 一夫(はせがわ かずお、1908年2月27日 - 1984年4月6日)は京都府京都市伏見区出身の俳優である。俳優の林成年は息子、長谷川稀世、長谷川季子は娘、長谷川裕見子(船越英二夫人で船越英一郎の母)は姪に当たる。戦前戦後の長きに渡って日本の二枚目の代名詞として大スターに君臨した。林長丸、林長二郎は旧芸名。
京都伏見の芝居小屋の子として生まれる。幼少時より、子役として舞台に立ち、初世中村鴈治郎の息子、林長三郎(後の林又一郎)の一座に加わり、「林長丸」の名で人気を博する。
1927年 松竹に入社。芸名を「林長二郎」と改め『稚児の剣法』で映画デビューする。抜群の美貌と若手時代劇スターを渇望していた松竹の社をあげての宣伝とが奏功し、たちまち、日本を代表するスターになる。特に、自ら女形出身の衣笠貞之助監督に重用され、特に『雪之丞変化』の演技は、全国民を魅了した。多数の映画に出演。二枚目の風貌で圧倒的な人気を得た。
1937年に東宝に移る約束をする。松竹が雇った暴力団員に顔を切りつけられ、再起不能といわれたが、芸名を本名の「長谷川一夫」に戻し、山本嘉次郎監督の『藤十郎の恋』で入江たか子と共演し、見事に復活する。『鶴八鶴次郎』など山田五十鈴との「黄金コンビ」でもヒットを飛ばす。その後、李香蘭と共演した『白蘭の歌』『支那の夜』など現代劇にも主演しヒットを続けた。
戦後は東宝、新東宝を経て1950年、大映に重役として迎えられ、衣笠貞之助監督の『地獄門』でカンヌ映画祭グランプリを受け、海外でも評価を高めた。1963年に映画界を引退するまで大映のトップスターであり続けた。時代劇では銭形平次などが当たり役だった。主演映画が301本と、他に類を見ない本数である。
一方、1955年からは、東宝歌舞伎の舞台に立ち、華やかな「歌舞伎レビュー」で魅了した。最晩年には、宝塚歌劇の「ベルサイユのばら」の演技指導も手がけた。
テレビにも高額のギャラで迎えられ、1964年には大河ドラマ『赤穂浪士』の大石内蔵助役などの当たり役を得た。
酒が体質的に飲めず、大の甘党であったこともあってか、晩年は糖尿病などの持病に悩まされ、1984年、2月に繁夫人との死別後、後を追うように同年4月6日逝去。享年76。没後、国民栄誉賞を植村直己とともに受賞。
主な出演映画
雪之丞変化(1935年)
藤十郎の恋(1938年)
鶴八鶴次郎(1938年)
白蘭の歌(1939年)
支那の夜(1940年)
三十三間堂 通し矢物語(1945年)
銭形平次 平次八百八町(1949年)
源氏物語(1951年)
治郎吉格子(1952年)
地獄門(1953年)
残菊物語 (1956年)
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京都伏見の芝居小屋の子として生まれる。幼少時より、子役として舞台に立ち、初世中村鴈治郎の息子、林長三郎(後の林又一郎)の一座に加わり、「林長丸」の名で人気を博する。
1927年 松竹に入社。芸名を「林長二郎」と改め『稚児の剣法』で映画デビューする。抜群の美貌と若手時代劇スターを渇望していた松竹の社をあげての宣伝とが奏功し、たちまち、日本を代表するスターになる。特に、自ら女形出身の衣笠貞之助監督に重用され、特に『雪之丞変化』の演技は、全国民を魅了した。多数の映画に出演。二枚目の風貌で圧倒的な人気を得た。
1937年に東宝に移る約束をする。松竹が雇った暴力団員に顔を切りつけられ、再起不能といわれたが、芸名を本名の「長谷川一夫」に戻し、山本嘉次郎監督の『藤十郎の恋』で入江たか子と共演し、見事に復活する。『鶴八鶴次郎』など山田五十鈴との「黄金コンビ」でもヒットを飛ばす。その後、李香蘭と共演した『白蘭の歌』『支那の夜』など現代劇にも主演しヒットを続けた。
戦後は東宝、新東宝を経て1950年、大映に重役として迎えられ、衣笠貞之助監督の『地獄門』でカンヌ映画祭グランプリを受け、海外でも評価を高めた。1963年に映画界を引退するまで大映のトップスターであり続けた。時代劇では銭形平次などが当たり役だった。主演映画が301本と、他に類を見ない本数である。
一方、1955年からは、東宝歌舞伎の舞台に立ち、華やかな「歌舞伎レビュー」で魅了した。最晩年には、宝塚歌劇の「ベルサイユのばら」の演技指導も手がけた。
テレビにも高額のギャラで迎えられ、1964年には大河ドラマ『赤穂浪士』の大石内蔵助役などの当たり役を得た。
酒が体質的に飲めず、大の甘党であったこともあってか、晩年は糖尿病などの持病に悩まされ、1984年、2月に繁夫人との死別後、後を追うように同年4月6日逝去。享年76。没後、国民栄誉賞を植村直己とともに受賞。
主な出演映画
雪之丞変化(1935年)
藤十郎の恋(1938年)
鶴八鶴次郎(1938年)
白蘭の歌(1939年)
支那の夜(1940年)
三十三間堂 通し矢物語(1945年)
銭形平次 平次八百八町(1949年)
源氏物語(1951年)
治郎吉格子(1952年)
地獄門(1953年)
残菊物語 (1956年)
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引退して久しい永遠の処女 原節子
原 節子(はら せつこ、1920年6月17日 - )は、日本の女優。本名、会田 昌江(あいだ まさえ)。
神奈川県横浜市出身。テレビや雑誌で「永遠の処女・原節子」としばしば言われる。
戦前
横浜市立高等女学校(現・横浜市立桜丘高等学校)中退。1935年、『ためらふ勿れ若人よ』で日活から映画デビュー。
1937年、初の日独合作映画『新しき土』のヒロイン役にアーノルド・ファンク監督が選んで注目される。映画は話題を呼び、世界一周旅行に出かける。これを機に東宝に移籍した。基礎的な演技力がつく前に人気が先行した。
戦争中は、1942年の『ハワイ・マレー沖海戦』をはじめとする国策映画のヒロイン役に多数出演する。
戦後
1949年の『青い山脈』(今井正監督)では女性教師役を演じ、服部良一作曲の主題歌とともに大ヒット。
同年から1961年まで、小津安二郎監督と組んだ 6作品(下記参照)は、日本映画を代表するものとして、国際的にも評価が高い。
1962年の『忠臣蔵』を最後に「衰えた容姿を見せたくない」という言葉を残し、隠遁生活に入る。
1963年、小津安二郎監督の葬儀に姿を見せたのが、公の場に姿を見せた最後となった。
現在は神奈川県鎌倉市に親戚と2人でひっそり暮らしている。
2000年、キネマ旬報による『20世紀の映画スター・日本編』女優部門の1位に輝いた。
出演
映画
小津安二郎監督作品
晩春(1949年)
麦秋(1951年)
東京物語(1953年)
東京暮色(1957年)
秋日和(1960年)
小早川家の秋(1961年)
小津安二郎監督以外の作品
上海陸戦隊(1939年)
指導物語(1941年)
ハワイ・マレー沖海戦(1942年)
決戦の大空へ(1943年)
わが青春に悔いなし(1946年)
安城家の舞踏会(1947年)
お嬢さん乾杯!(1949年)
めし(1951年)
白痴(1951年)
など
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神奈川県横浜市出身。テレビや雑誌で「永遠の処女・原節子」としばしば言われる。
戦前
横浜市立高等女学校(現・横浜市立桜丘高等学校)中退。1935年、『ためらふ勿れ若人よ』で日活から映画デビュー。
1937年、初の日独合作映画『新しき土』のヒロイン役にアーノルド・ファンク監督が選んで注目される。映画は話題を呼び、世界一周旅行に出かける。これを機に東宝に移籍した。基礎的な演技力がつく前に人気が先行した。
戦争中は、1942年の『ハワイ・マレー沖海戦』をはじめとする国策映画のヒロイン役に多数出演する。
戦後
1949年の『青い山脈』(今井正監督)では女性教師役を演じ、服部良一作曲の主題歌とともに大ヒット。
同年から1961年まで、小津安二郎監督と組んだ 6作品(下記参照)は、日本映画を代表するものとして、国際的にも評価が高い。
1962年の『忠臣蔵』を最後に「衰えた容姿を見せたくない」という言葉を残し、隠遁生活に入る。
1963年、小津安二郎監督の葬儀に姿を見せたのが、公の場に姿を見せた最後となった。
現在は神奈川県鎌倉市に親戚と2人でひっそり暮らしている。
2000年、キネマ旬報による『20世紀の映画スター・日本編』女優部門の1位に輝いた。
出演
映画
小津安二郎監督作品
晩春(1949年)
麦秋(1951年)
東京物語(1953年)
東京暮色(1957年)
秋日和(1960年)
小早川家の秋(1961年)
小津安二郎監督以外の作品
上海陸戦隊(1939年)
指導物語(1941年)
ハワイ・マレー沖海戦(1942年)
決戦の大空へ(1943年)
わが青春に悔いなし(1946年)
安城家の舞踏会(1947年)
お嬢さん乾杯!(1949年)
めし(1951年)
白痴(1951年)
など
以上、 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
