長門 裕之(ながと ひろゆき、1934年1月10日 - )は、日本の俳優。本名は加藤 晃夫 (かとう あきお)。京都府京都市中京区生まれ。
日本を代表するベテラン俳優の一人。戦後、映画製作を再開した日活に入社。『太陽の季節』、『狂った果実』などの太陽族映画に主演し、デビュー間もない石原裕次郎と共演したほか、今村昌平監督とコンビを組み、印象深い演技を残した。1962年に日活を退社してフリーとなり、各社の映画に出演するほか、テレビにも進出。大映テレビ作品や2時間ドラマなどに出演。
花園高等学校卒業から立命館大学文学部中退。妻は女優の南田洋子、実弟は俳優の津川雅彦、父は沢村国太郎、母はマキノ智子である。叔父に加東大介、叔母に沢村貞子、祖父には「日本映画の父」と呼ばれる牧野省三、狂言作者の竹芝伝蔵、姪に女優の真由子をもつという芸能一家。沖縄アクターズスクール校長マキノ正幸は母方のいとこ。
吉田義男(元阪神タイガース監督)は大学の同期。
麻雀に深い造詣を持ち、自宅に雀荘部屋を持っているほど。このことから長門邸は一時「芸能界の雀荘」の異名をとったこともある。
現在は、「リタイアした南田洋子の分まで(南田の医療費を稼ぐため、という話もある)」と今まで以上、精力的に活動を行っている。
弟の津川とは、近年競演がとみに多い。
略歴
第二次大戦前の少年期から名子役として広く知られた。1950年代には青春スターとして主演映画が多数作られ人気を博したが、実弟の津川雅彦や後輩の石原裕次郎らに人気を奪われる形になった。以降は脇役が多くなるが、演技力を活かした重要な役所が多く、中年期に入って以降も映画やテレビで名優として活躍していた。
1976年から南田洋子と夫婦二人でKBS京都が主催する交通遺児支援のチャリティー番組「かたつむり大作戦」のキャンペーンパーソナリティーとして出演を続けていた。ただし2005年で同大会は終了した。
1985年に『洋子へ』(データ・ハウス)を出版。妻である南田洋子への告白という形で、自身の奔放な女性関係などを実名で赤裸々に記し、いわゆる暴露本として世を騒がせた。これに対し実名を書かれた女優などが強く反発。長門(データハウス)側は初版を回収し、問題箇所を書き直した版が再度出されたと言われる。長門は「ゴーストライターによる口述筆記だったため真意が伝わらなかった」などと弁明したが、この騒動が以後の長門の芸能活動に大きな悪影響を及ぼしたと見る者も多い。
ワイドショーの取材を受け、長門が「こんな本はダメです!」と自著を机に叩き付ける場面がテレビで放送されたりもした。この件を機に一時期干されるがその後復活し、70歳を過ぎた今でも脇役やゲスト出演が多いとはいえ現役で活躍中である。
同郷出身の近藤正臣が永らく出演していた金鳥の蚊取りマット(リキッド含む)のCMで、一度だけ「ニセたぬき」として出演。CM中では本物(?)たぬきの近藤から追いかけられた。
同い年の愛川欽也、大橋巨泉、財津一郎、藤村俊二らと「昭和九年会」を結成している。
ちなみに、サザンオールスターズの桑田佳祐は長門の若い頃に顔が似ており、昔は桑田本人もそれをネタにしていた。
弟の雅彦と同様、関西が舞台のテレビ・映画・舞台作品では、関西弁で演じている。
「笑って許して!!」(日テレ)に第1期の回答者としてレギュラー出演していた時に、マッハ文朱がゲスト解答者として出演し順調に正解を重ねてパーフェクト(全問正解)を狙っていたが、長門が第5問を正解してそれを阻止したため、マッハを号泣させてしまった。阻止した時点で長門以外の解答者、そして観客、更には司会の所とうつみから長門に非難の声が相次いだ。長門は「ごめん!当たっちゃたんだよ!」と詫びた。しかしマッハは第6問を正解してトップ賞(5問正解)を獲得し、この出来事は番組史上最大の出来事となった。
出演
横堀川(1966年・NHK)吾平役
天と地と(1969年・NHK大河ドラマ)
赤い疑惑(1975年 - 1976年・TBS系ドラマ)
赤い衝撃(1976年 - 1977年・TBS系ドラマ)
おていちゃん(1978年・NHK連続テレビ小説) 大沢伝太郎(ヒロインの父)役 - ヒロインは叔母の沢村貞子がモデルであるため、自らの祖父に当たる役であった
虹を織る(1980年・NHK朝の連続テレビ小説) 島崎賢次郎(ヒロインのおじ)役
徳川家康(1983年・NHK大河ドラマ) 本多重次役
八代将軍吉宗(1995年・NHK大河ドラマ) 徳川光圀役。徳川綱吉役の実弟・津川雅彦と共演
太陽にほえろ!では、ボス(石原裕次郎)が病気療養を終えて復帰した際、犯人役としてゲスト出演した
特捜最前線(テレビ朝日系ドラマ) 蒲生警視役
私鉄沿線97分署(テレビ朝日系ドラマ) 滝村捜査課長役
少女に何が起ったか(1985年・TBS系ドラマ)音楽大学の主任教授・東役
スケバン刑事シリーズ(1985年:フジテレビ系ドラマ) 暗闇指令役
パート1は前半は一話完結、後半は続き物という体裁であり前半は声とシルエットだけの出演、エンディングでのキャスト紹介で大きく「?」とされていた。後半の途中で顔が出て以降は名前がクレジットされた。なおパート2は暗闇指令が主人公サキを裏切るハードな展開で、最終回で正義を取り戻すシーンがシリーズを通して唯一決戦場に自ら足を運んだ、最大の見せ場となった。「?」の表記されていた時、当時見ていた方の大半は声と口調から長門とピンと来た方も多かった。
スチュワーデス物語(1983年・TBS系ドラマ) 主人公の継父・松本役
池中玄太80キロシリーズ(日本テレビ系ドラマ) 楠木役
プロゴルファー祈子(フジテレビ系ドラマ)丸元賢三役
八百八町夢日記(1989年・日本テレビ系ドラマ)観音寺伝蔵役
珠玉の女(1992年10月〜1993年3月、よみうりテレビ・VSO)
相棒(テレビ朝日系ドラマ) 北条晴臣(閣下)役(実弟・津川雅彦と共演)
サラリーマン金太郎3(2002年・TBS系ドラマ) 総会屋・大須賀義助役(実弟・津川雅彦と共演、劇中で対立する役柄が話題に)
月曜ミステリー「陰の季節5 事故」(2003年3月17日、TBS)
菊次郎とさき(2003年・テレビ朝日系ドラマ)
『戦国自衛隊 関ヶ原の戦い』(CTV、2006年) 本多正信役(実弟・津川雅彦と共演)
報道特別ドラマスペシャル『生と死を分けた理由…アース・クエイク 平成18年春・東京大震災』(日本テレビ系、2006年4月3日放送)
鬼平犯科帳(フジテレビ系ドラマ)相模の彦十役
どんど晴れ(2007年・NHK連続テレビ小説)
篤姫 (2008年NHK大河ドラマ)
映画
無法松の一生(1943年)当時の芸名は沢村アキヲ
狐の呉れた赤ん坊(1945年)7歳の善太役 当時の芸名は沢村アキヒコ
太陽の季節(1956年)石原裕次郎のデビュー作として有名だが、主演は長門裕之
にあんちゃん(1959年)安本喜一役
当たりや大将(1962年)主人公の大将役
拝啓天皇陛下様(1963年)棟田博役&ナレーション
ガラスのうさぎ(1979年)主人公の父役
スケバン刑事(1987年)暗闇指令役
スケバン刑事 風間三姉妹の逆襲(1988年)暗闇指令役
226(1989年)木戸幸一役
将軍家光の乱心 激突 (1989年)(多賀谷六兵衛役)
女帝 春日局(1990年)本多正信役
遠き落日(1992年)北里柴三郎役
シベリア超特急2(2000年)
しの(2003年)
寝ずの番(2006年)笑満亭橋鶴役(監督は実弟のマキノ雅彦こと津川雅彦)
スケバン刑事 コードネーム=麻宮サキ(2006年)暗闇警視役
舞台
積木くずし1984年〈貝谷隆一役〉
バラエティ、その他
スター千一夜(フジテレビ系)実弟・津川雅彦と共演。
ミュージックフェア(フジテレビ系)3代目司会者。南田洋子と夫婦で司会
とんねるずのみなさんのおかげです(フジテレビ系)コント「近未来警察072」松本三郎隊長役
くるみ割り人形(サンリオ製作)(文学博士)
いい旅夢気分(テレビ東京系)実弟・津川雅彦と共演。故郷の京都市内を旅した。
主な受賞歴
1959(昭和34)年度ブルーリボン主演男優賞ホワイトブロンズ男優賞「にあんちゃん」
1963(昭和38)年度毎日映画コンクール助演男優賞「古都」
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
な行
な行
美人薄命そのままの生涯だった 夏目雅子
夏目 雅子(なつめ まさこ、1957年12月17日 - 1985年9月11日)は、女優。本名:西山 雅子(にしやま まさこ、旧姓:小達(おだて))。東京都出身。六本木の輸入雑貨商・亀甲屋の子として生まれる。東京女学館中学校・高等学校卒業。東京女学館短期大学中退。田中好子は兄嫁。プロゴルファーの小達敏昭は弟。女優の楯真由子は姪。
1976年、ドラマ『愛が見えますか』(愛のサスペンス劇場:日本テレビ)のオーディションで486人の応募者の中からヒロインに選ばれ、当時の本名の小達雅子名義で女優デビュー。
1977年、カネボウ化粧品のキャンペーンガールとなり、「クッキーフェイス」のCMで注目を集める。東映『トラック野郎』6代目マドンナに抜擢。
1978年、NHK大河ドラマ『黄金の日日』に出演。日本テレビ系「西遊記シリーズ」では三蔵法師役を演じて人気を得る。この時、彼女は役作りのために実際に剃髪し、頭の形が良く「髪の毛を剃ったけど、美しくて神々しい」と話題になった。
1980年、ドラマ『サンキュー先生』(テレビ朝日系列)の1話で、いじめられっ子の姉役に特別出演。ドラマ『虹子の冒険』(テレビ朝日系列)で初主演。
1981年、NHK大河ドラマ『おんな太閤記』に出演。
1982年、『鬼龍院花子の生涯』の台詞「なめたらいかんぜよ!」が流行語となる。またこの映画では、当初彼女のヌードシーンは別の女性が代役でヌードになる予定で、彼女自身はヌードになる必要はなかったが、「他の出演者の女優さんが何人か脱いでいるのに、自分だけ脱がないのはおかしい。私も脱いで演技します」と本人は、事務所の大反対を説得に説得を重ね、本人がヌードになった。【ブルーリボン賞獲得】
1983年、大河ドラマ『徳川家康』に出演。
1984年、作家伊集院静と結婚。
1985年、舞台『愚かな女』の公演の最中に体調不良を訴え、緊急入院。急性骨髄性白血病と診断されたが、夏目本人には病名を伏せていた。約7カ月という長い闘病生活を送りながらも順調に回復、退院間近の報道もあったものの、その後、抗がん剤の副作用等が原因とみられる肺炎を併発し、突然逝去。27歳の若さだった。「美人薄命」そのものの生涯。当時多くのファンからその死を惜しまれ、彼女を題材にしたテレビドラマも数多く放映される。遺作は『北の螢』である。菩提寺は、防府駅近くの大楽寺、多磨霊園の小達家の墓に分骨もされている。
出演作品
映画
俺の空(1977年、東宝)
トラック野郎・男一匹桃次郎 (1977年、東映)
二百三高地(1979年、東映)
魔性の夏・四谷怪談より(1981年、松竹)
大日本帝国(1982年、東映)
鬼龍院花子の生涯(1982年、東映)
198×(1982年、東映)
時代屋の女房(1983年、松竹)
南極物語(1983年、ヘラルド)
小説吉田学校(1983年、東宝)
魚影の群れ(1983年、松竹)
瀬戸内少年野球団(1984年、ヘラルド・エース)
北の螢(1984年、東映)
テレビドラマ
愛が見えますか(1976年、日本テレビ)
花ぼうろ(1977年、日本テレビ)
横溝正史シリーズ 悪魔の手毬唄(1977年、毎日放送)
黄金の日日(1978年、NHK)
Yの悲劇(1978年、フジテレビ)
西遊記(1978年 - 1979年、日本テレビ)
風の隼人(1979年、NHK)綱手役
鉄道公安官(1979年、テレビ朝日・東映)島村泉役
西遊記II(1979年 - 1980年、日本テレビ)
騎馬奉行(1979年 - 1980年、フジテレビ)みぎわ役
サンキュー先生(1980年、テレビ朝日)
虹子の冒険(1980年、テレビ朝日)
ザ・商社(1980年、NHK)
さすらいの甲子園(1980年、日本テレビ)
おんな太閤記(1981年、NHK)お市役
野々村病院物語(1981年、TBS)看護婦主任・北見紀子役
野々村病院物語II(1982年-1983年、TBS)倉方千恵役
徳川家康
年上の女/禁じられた恋の炎(1977)
国境の固き約束 13歳の出発(1980)
チャップリン暗殺計画 世界の喜劇王を救ったのは誰か?(1980)
花の影(1982)
六月の危険な花嫁(1982)
非行主婦・アル中の女(1982)
丹下左膳 剣風!百万両の壺(1982)
幕末青春グラフィティ坂本竜馬(1982年)
どっきり天馬先生 僕らの街にスゴーイ美人がやってきて…?(1983)
妻は告白する 女の体の中には自分でも気づかない魔性がいた!(1983)
レコード
OH!クッキーフェイス / 夜明けのヨット(1977年7月、CBSソニー)
夏目雅子ひまわり基金
自らの闘病生活で、白血病の治療薬の副作用による脱毛に悩み、精神的苦痛を味わった(しかし母親の前では「髪の毛ぐらい、いいわ。私、三蔵法師の時とっても素敵だったのよ」と言った)。脱毛を恐れて積極的な治療を行わない癌患者の闘病生活、社会復帰を支援したいという、彼女の遺志を継ぎ、母親らがかつらを貸与する夏目雅子ひまわり基金を1993年12月に設立。 パンフレットには兄嫁である田中好子が出演していたこともある。
死後も(財)骨髄移植推進財団のCMに画像が起用されている(一時期していた、公共広告機構もほぼ同様)。
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
1976年、ドラマ『愛が見えますか』(愛のサスペンス劇場:日本テレビ)のオーディションで486人の応募者の中からヒロインに選ばれ、当時の本名の小達雅子名義で女優デビュー。
1977年、カネボウ化粧品のキャンペーンガールとなり、「クッキーフェイス」のCMで注目を集める。東映『トラック野郎』6代目マドンナに抜擢。
1978年、NHK大河ドラマ『黄金の日日』に出演。日本テレビ系「西遊記シリーズ」では三蔵法師役を演じて人気を得る。この時、彼女は役作りのために実際に剃髪し、頭の形が良く「髪の毛を剃ったけど、美しくて神々しい」と話題になった。
1980年、ドラマ『サンキュー先生』(テレビ朝日系列)の1話で、いじめられっ子の姉役に特別出演。ドラマ『虹子の冒険』(テレビ朝日系列)で初主演。
1981年、NHK大河ドラマ『おんな太閤記』に出演。
1982年、『鬼龍院花子の生涯』の台詞「なめたらいかんぜよ!」が流行語となる。またこの映画では、当初彼女のヌードシーンは別の女性が代役でヌードになる予定で、彼女自身はヌードになる必要はなかったが、「他の出演者の女優さんが何人か脱いでいるのに、自分だけ脱がないのはおかしい。私も脱いで演技します」と本人は、事務所の大反対を説得に説得を重ね、本人がヌードになった。【ブルーリボン賞獲得】
1983年、大河ドラマ『徳川家康』に出演。
1984年、作家伊集院静と結婚。
1985年、舞台『愚かな女』の公演の最中に体調不良を訴え、緊急入院。急性骨髄性白血病と診断されたが、夏目本人には病名を伏せていた。約7カ月という長い闘病生活を送りながらも順調に回復、退院間近の報道もあったものの、その後、抗がん剤の副作用等が原因とみられる肺炎を併発し、突然逝去。27歳の若さだった。「美人薄命」そのものの生涯。当時多くのファンからその死を惜しまれ、彼女を題材にしたテレビドラマも数多く放映される。遺作は『北の螢』である。菩提寺は、防府駅近くの大楽寺、多磨霊園の小達家の墓に分骨もされている。
出演作品
映画
俺の空(1977年、東宝)
トラック野郎・男一匹桃次郎 (1977年、東映)
二百三高地(1979年、東映)
魔性の夏・四谷怪談より(1981年、松竹)
大日本帝国(1982年、東映)
鬼龍院花子の生涯(1982年、東映)
198×(1982年、東映)
時代屋の女房(1983年、松竹)
南極物語(1983年、ヘラルド)
小説吉田学校(1983年、東宝)
魚影の群れ(1983年、松竹)
瀬戸内少年野球団(1984年、ヘラルド・エース)
北の螢(1984年、東映)
テレビドラマ
愛が見えますか(1976年、日本テレビ)
花ぼうろ(1977年、日本テレビ)
横溝正史シリーズ 悪魔の手毬唄(1977年、毎日放送)
黄金の日日(1978年、NHK)
Yの悲劇(1978年、フジテレビ)
西遊記(1978年 - 1979年、日本テレビ)
風の隼人(1979年、NHK)綱手役
鉄道公安官(1979年、テレビ朝日・東映)島村泉役
西遊記II(1979年 - 1980年、日本テレビ)
騎馬奉行(1979年 - 1980年、フジテレビ)みぎわ役
サンキュー先生(1980年、テレビ朝日)
虹子の冒険(1980年、テレビ朝日)
ザ・商社(1980年、NHK)
さすらいの甲子園(1980年、日本テレビ)
おんな太閤記(1981年、NHK)お市役
野々村病院物語(1981年、TBS)看護婦主任・北見紀子役
野々村病院物語II(1982年-1983年、TBS)倉方千恵役
徳川家康
年上の女/禁じられた恋の炎(1977)
国境の固き約束 13歳の出発(1980)
チャップリン暗殺計画 世界の喜劇王を救ったのは誰か?(1980)
花の影(1982)
六月の危険な花嫁(1982)
非行主婦・アル中の女(1982)
丹下左膳 剣風!百万両の壺(1982)
幕末青春グラフィティ坂本竜馬(1982年)
どっきり天馬先生 僕らの街にスゴーイ美人がやってきて…?(1983)
妻は告白する 女の体の中には自分でも気づかない魔性がいた!(1983)
レコード
OH!クッキーフェイス / 夜明けのヨット(1977年7月、CBSソニー)
夏目雅子ひまわり基金
自らの闘病生活で、白血病の治療薬の副作用による脱毛に悩み、精神的苦痛を味わった(しかし母親の前では「髪の毛ぐらい、いいわ。私、三蔵法師の時とっても素敵だったのよ」と言った)。脱毛を恐れて積極的な治療を行わない癌患者の闘病生活、社会復帰を支援したいという、彼女の遺志を継ぎ、母親らがかつらを貸与する夏目雅子ひまわり基金を1993年12月に設立。 パンフレットには兄嫁である田中好子が出演していたこともある。
死後も(財)骨髄移植推進財団のCMに画像が起用されている(一時期していた、公共広告機構もほぼ同様)。
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
な行
愛称バンビで知られ 東映現代劇のすたーだった 中原ひとみ
中原 ひとみ(なかはら ひとみ、本名;土家 里子、1936年7月22日 ‐ )は、東京都台東区出身の女優。愛称はバンビ。身長153cm、体重45kg。血液型はB型。趣味は園芸、麻雀、書道。夫は江原真二郎。長男は土家歩、長女は土家里織。共立女子高等学校中退(1953年)。
東映に第1期ニューフェイスとして入社(同期に山本麟一、南原宏治ら)。1つ下の後輩の第2期には高倉健がいる。1954年、映画「魚河岸の石松 女海賊と戦う」でデビュー。以降、1960年代初めまで、東映現代劇の看板女優として数々の映画に主演。時代劇にも出演している。
代表作の映画「純愛物語」では原爆の後遺症で短い生涯を閉じるヒロインを好演し、高い評価を得た。東映が任侠路線を敷き始めた1963年以降は、活躍の場をテレビドラマに移した。1979年頃からは再び映画にも出演し、また、舞台にも活動の場を広げている。現在も活躍中。
家族4人で出演したライオン歯磨きのCMは好評を博し、10年以上にわたって制作された。夫の江原とは芸能界きってのおしどり夫婦としても広く知られている。
主な出演作品
映画
魚河岸の石松 女海賊と戦う(1954年、東映)
若者よ!恋をしろ(1954年、東映)
潮来情話 流れ星三度笠(1954年、東映)
継母(1954年、東映)
あゝ洞爺丸(1954年、東映)
姿三四郎・第二部(1955年、東映)
姉妹(監督:家城巳代治/共演:野添ひとみ/1955年/※DVD発売)
十九の花嫁(1955年、東映)
青春航路 海の若人(1955年、東映/※ビデオ化)
サラリーマン 目白三平(共演:笠智衆/1955年、東映)
正義の快男児 中野源治の冒険 ダイヤモンドの秘宝(1955年、東映)
正義の快男児 中野源治の冒険 深夜の戦慄 (1955年、東映)
正義の快男児 中野源治の冒険 完結篇 地下砲台の恐怖(1955年、東映)
終電車の死美人(1955年、東映)
多羅尾伴内シリーズ 第八話・復讐の七仮面(1955年、東映/※ビデオ化)
源義経(1955年、東映)
暴力街(1955年、東映)
くちづけ(1955年、東宝)
続・サラリーマン 目白三平(共演:笠智衆/1955年、東映)
魚河岸の石松 石松故郷へ帰る(1955年、東映)
まぼろし怪盗団 第一部 まぼろし怪盗団(1955年、東映)
まぼろし怪盗団 第二部 魔王の蜜使(1955年、東映)
殺人現行犯(1955年、東映)
まぼろし怪盗団 第三部 悪魔の王冠(1955年、東映)
不良少年の母(1955年、東映)
黒田騒動(監督:内田吐夢/共演:片岡千恵蔵/1956年、東映)
雪崩(監督:山本薩夫/1956年、東映)
三つ首塔(1956年、東映)
続・源義経(1956年、東映)
恐怖の空中殺人(1956年、東映/大ヒット)
大学の石松(1956年、東映)
剣豪二刀流(1956年、東映)
母子像(1956年、東映)
無法街(1956年、東映)
大学の石松 ぐれん隊征伐(1956年、東映)
大学の石松 太陽族に挑戦す(1956年、東映)
こぶしの花の咲く頃(1956年、松竹)
少年探偵団 第一部 妖怪博士(1956年、東映/※ビデオ化)
少年探偵団 第二部 二十面相の悪魔(1956年、東映/※ビデオ化)
米(監督:今井正/キネマ旬報ベストテン第1位/1957年、東映/ヒット/※DVD発売)
喧嘩社員(1957年、東映)
無敵社員(1957年、東映)
鳳城の花嫁(日本映画初のシネマスコープ作品/1957年、東映/大ヒット/※ビデオ化)
第十三号棧橋(1957年、東映)
不良女学生(1957年、東映)
大学の石松 女群突破(1957年、東映)
抜打ち浪人(1957年、東映)
花吹雪鉄火纏(1957年、東映/※ビデオ化)
純愛物語(第8回ベルリン国際映画祭銀熊賞 (監督賞)受賞作品/監督:今井正/キネマ旬報ベストテン第2位/1957年、東映/※DVD発売)
この映画が公開された翌年の1958年(昭和33年)6月25日、世界三大映画祭の一つ第8回ベルリン国際映画祭に出席のためドイツへ出発。6月27日、映画祭開幕。最終日の7月8日、「純愛物語」銀熊賞 (監督賞)受賞。審査委員会の長編劇映画部門の委員長は映画監督のフランク・キャプラだった。その後、フランス・イタリア・スイスを経由して、7月21日、約1ヶ月ぶりに日本に帰ってきた。当時はまだ海外渡航自由化の遥か前で、この映画祭出席は受賞と共に大変貴重なヨーロッパ訪問となった。日本出発時の写真が現存している。
ジェット機出動 第101航空基地(1957年、東映)
おしどり駕篭(監督:マキノ雅弘/1958年、東映/※DVD発売)
江戸の名物男 一心太助(1958年、東映/※ビデオ化)
今は名もない男だが(1958年、東映)
少年探偵団 透明怪人(1958年、東映)
美しき姉妹の物語 悶える早春(1958年、東映)
少年探偵団 首なし男(1958年、東映)
一丁目一番地(1958年、東映)
鶯城の花嫁(1958年、東映/※ビデオ化)
剣は知っていた 紅顔無双流(1958年、東映/※ビデオ化)
一丁目一番地 第二部(1958年、東映)
季節風の彼方に(1958年、東映)
奴の拳銃は地獄だぜ(1958年、東映)
清水港の名物男 遠州森の石松(監督:マキノ雅弘/1958年、東映/※ビデオ化)
裸の太陽(第9回ベルリン国際映画祭青少年向映画賞(西ベルリン参事会賞)受賞作品/監督:家城巳代治/共演:仲代達矢/キネマ旬報ベストテン第5位/1958年、東映/※ビデオ化)
一心太助 天下の一大事(監督:沢島忠/共演:中村錦之助(萬屋錦之介)/1958年、東映/※ビデオ化)
森と湖のまつり(監督:内田吐夢/共演:高倉健/1958年、東映/※DVD発売)
殿さま弥次喜多 捕物道中(1959年、東映/※ビデオ化)
旋風家族(1959年、東映)
母と娘の瞳(1959年、東映)
地獄の底までつき合うぜ(1959年、東映)
素晴らしき娘たち(監督:家城巳代治/共演:田中絹代/1959年、東映)
父と娘(1959年、東映)
静かなる兇弾(1959年、東映)
高度7000米 恐怖の四時間(1959年、東映)
リスとアメリカ人 廃虚の銃声(1959年、東映)
一心太助 男の中の男一匹(1959年、東映/※ビデオ化)
二発目は地獄行きだぜ(1960年、東映)
続・べらんめえ芸者(1960年、東映/※ビデオ化)
白い崖(監督:今井正/1960年、東映)
多羅尾伴内 七つの顔の男だぜ(1960年、東映/※ビデオ化)
消えた密航船(1960年、東映)
東から来た流れ者(1960年、東映)
続々・べらんめえ芸者(1960年、東映/※ビデオ化)
白い粉の恐怖(監督:村山新治/共演:三國連太郎/1960年、東映)
大いなる驀進(1960年、東映)
億万長者(1960年、東映)
べらんめえ芸者罷り通る(1961年、東映/※ビデオ化)
赤い影の男(1961年、東映)
魚河岸の女石松(1961年、東映/※ビデオ化)
赤い影の男 高速三号線を張れ(1961年、東映)
ひばり民謡の旅 べらんめえ芸者佐渡へ行く(1961年、東映/※ビデオ化)
ファンキーハットの快男児(監督:深作欣二/1961年、東映)
ファンキーハットの快男児 2千万円の腕(監督:深作欣二/1961年、東映)
白昼の無頼漢(監督:深作欣二/1961年、東映)
無鉄砲社員(1961年、東映)
瞼の母(1962年、東映/※DVD発売)
がんこ親父と江戸っ子社員(1962年、東映)
サラリーマン一心太助(1962年、東映)
新婚シリーズ 月給日は嫌い(1962年、東映)
新婚シリーズ 最初が肝心(1962年、東映)
あの空の果てに星はまたたく(1962年、東映)
誇り高き挑戦(監督:深作欣二/共演:鶴田浩二/1962年、東映/※DVD発売)
二・二六事件 脱出(1962年、東映)
みんなわが子(監督:家城巳代治/共演:高津住男/1963年、ATG/※DVD発売)
次郎長社長と石松社員 安来ぶし道中(1963年、東映)
特別機動捜査隊(1963年、東映)
民謡の旅 秋田おばこ(1963年、東映/※ビデオ化)
警視庁物語 全国縦断捜査(1963年、東映)
わが青春のイレブン(監督:降旗康男/1979年、東映)
ちゃんばらグラフィティー 斬る!(1981年、東映/※ビデオ化)
子どものころ戦争があった(監督:斎藤貞郎/1981年/※ビデオ化)
胸さわぎの放課後(1982年/※ビデオ化)
ひめゆりの塔(監督:今井正/1982年/※ビデオ化)
この子の七つのお祝に(監督:増村保造/1982年/※ビデオ化)
泰造(1985年)
光る女(監督:相米慎二/キネマ旬報ベストテン第9位/1987年/※DVD発売)
丹波哲郎の大霊界2 死んだらおどろいた!!(1990年/※DVD発売)
シャイなあんちくしょう(1991年/※ビデオ化)
わらびのこう 蕨野行(監督:恩地日出夫/キネマ旬報ベストテン第8位/2003年/※DVD発売)
ほたるの星(2004年/※DVD発売)
オリヲン座からの招待状(共演:宮沢りえ、加瀬亮/2007年11月3日公開予定、古巣の東映配給)
テレビドラマ
NHK
中央流沙(1975年)
わたしは海(1978年10月〜1979年3月) - 飯田清子先生 役
事件 (大岡昇平)(1980年9月〜10月)
立花登・青春手控え(1982年)
君の名は(1991年4月〜1992年3月)
琉球の風(1993年)
慶次郎縁側日記(2002年)
またも辞めたか亭主殿〜幕末の名奉行・小栗上野介〜(2003年)
慶次郎縁側日記(2006年)
日本テレビ
祭ばやしが聞こえる(1977年10月〜1978年3月)
新五捕物帳(1980年)
外科医有森冴子(1992年)
火曜サスペンス劇場
「女検事・霞夕子」(1993年)
「京都金沢かぐや姫殺人事件」(2004年10月19日)
TBS
ただいま11人(1964〜1967年)
時間ですよ(1965年)
肝っ玉かあさん(1968年)
週末婚(1999年)
君のままで (テレビドラマ)(2000年)
ママは女医さん(2004年)
渡る世間は鬼ばかり(2005年)
月曜ミステリー劇場
「おばさん会長・紫の犯罪清掃日記 ゴミは殺しを知っているシリーズ」(2007年)
フジテレビ
しのぶ(1985年4月〜6月)
さよならをもう一度(1992年4月〜6月)
おいしい関係(1996年)
テレビ朝日
土曜ワイド劇場
「混浴露天風呂連続殺人」(1984年)
京都地検の女(2007年)
舞台
リア王
ホロー荘の殺人
たそがれ色の微笑
音楽劇・ブッダ
Cook-a-Doodle-Doo
1945年8月6日
ベランダいっぱいの星
バラエティー・教養番組
午後は○○おもいッきりテレビ
森田一義アワー 笑っていいとも!
世界まるごとHOWマッチ!!
三枝の爆笑美女対談
おはようワイド・土曜の朝に
徹子の部屋
連想ゲーム
ひるのプレゼント
すてきな出逢い いい朝8時
CM
ライオン(家族で共演)
愛眼
レディーボーデン(娘と共演)
主な受賞歴
2000年(平成12年) - 第10回日本映画批評家大賞 ゴールデン・グローリー賞
2003年(平成15年) - 映画『わらびのこう 蕨野行』
第13回日本映画批評家大賞 助演女優賞
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
東映に第1期ニューフェイスとして入社(同期に山本麟一、南原宏治ら)。1つ下の後輩の第2期には高倉健がいる。1954年、映画「魚河岸の石松 女海賊と戦う」でデビュー。以降、1960年代初めまで、東映現代劇の看板女優として数々の映画に主演。時代劇にも出演している。
代表作の映画「純愛物語」では原爆の後遺症で短い生涯を閉じるヒロインを好演し、高い評価を得た。東映が任侠路線を敷き始めた1963年以降は、活躍の場をテレビドラマに移した。1979年頃からは再び映画にも出演し、また、舞台にも活動の場を広げている。現在も活躍中。
家族4人で出演したライオン歯磨きのCMは好評を博し、10年以上にわたって制作された。夫の江原とは芸能界きってのおしどり夫婦としても広く知られている。
主な出演作品
映画
魚河岸の石松 女海賊と戦う(1954年、東映)
若者よ!恋をしろ(1954年、東映)
潮来情話 流れ星三度笠(1954年、東映)
継母(1954年、東映)
あゝ洞爺丸(1954年、東映)
姿三四郎・第二部(1955年、東映)
姉妹(監督:家城巳代治/共演:野添ひとみ/1955年/※DVD発売)
十九の花嫁(1955年、東映)
青春航路 海の若人(1955年、東映/※ビデオ化)
サラリーマン 目白三平(共演:笠智衆/1955年、東映)
正義の快男児 中野源治の冒険 ダイヤモンドの秘宝(1955年、東映)
正義の快男児 中野源治の冒険 深夜の戦慄 (1955年、東映)
正義の快男児 中野源治の冒険 完結篇 地下砲台の恐怖(1955年、東映)
終電車の死美人(1955年、東映)
多羅尾伴内シリーズ 第八話・復讐の七仮面(1955年、東映/※ビデオ化)
源義経(1955年、東映)
暴力街(1955年、東映)
くちづけ(1955年、東宝)
続・サラリーマン 目白三平(共演:笠智衆/1955年、東映)
魚河岸の石松 石松故郷へ帰る(1955年、東映)
まぼろし怪盗団 第一部 まぼろし怪盗団(1955年、東映)
まぼろし怪盗団 第二部 魔王の蜜使(1955年、東映)
殺人現行犯(1955年、東映)
まぼろし怪盗団 第三部 悪魔の王冠(1955年、東映)
不良少年の母(1955年、東映)
黒田騒動(監督:内田吐夢/共演:片岡千恵蔵/1956年、東映)
雪崩(監督:山本薩夫/1956年、東映)
三つ首塔(1956年、東映)
続・源義経(1956年、東映)
恐怖の空中殺人(1956年、東映/大ヒット)
大学の石松(1956年、東映)
剣豪二刀流(1956年、東映)
母子像(1956年、東映)
無法街(1956年、東映)
大学の石松 ぐれん隊征伐(1956年、東映)
大学の石松 太陽族に挑戦す(1956年、東映)
こぶしの花の咲く頃(1956年、松竹)
少年探偵団 第一部 妖怪博士(1956年、東映/※ビデオ化)
少年探偵団 第二部 二十面相の悪魔(1956年、東映/※ビデオ化)
米(監督:今井正/キネマ旬報ベストテン第1位/1957年、東映/ヒット/※DVD発売)
喧嘩社員(1957年、東映)
無敵社員(1957年、東映)
鳳城の花嫁(日本映画初のシネマスコープ作品/1957年、東映/大ヒット/※ビデオ化)
第十三号棧橋(1957年、東映)
不良女学生(1957年、東映)
大学の石松 女群突破(1957年、東映)
抜打ち浪人(1957年、東映)
花吹雪鉄火纏(1957年、東映/※ビデオ化)
純愛物語(第8回ベルリン国際映画祭銀熊賞 (監督賞)受賞作品/監督:今井正/キネマ旬報ベストテン第2位/1957年、東映/※DVD発売)
この映画が公開された翌年の1958年(昭和33年)6月25日、世界三大映画祭の一つ第8回ベルリン国際映画祭に出席のためドイツへ出発。6月27日、映画祭開幕。最終日の7月8日、「純愛物語」銀熊賞 (監督賞)受賞。審査委員会の長編劇映画部門の委員長は映画監督のフランク・キャプラだった。その後、フランス・イタリア・スイスを経由して、7月21日、約1ヶ月ぶりに日本に帰ってきた。当時はまだ海外渡航自由化の遥か前で、この映画祭出席は受賞と共に大変貴重なヨーロッパ訪問となった。日本出発時の写真が現存している。
ジェット機出動 第101航空基地(1957年、東映)
おしどり駕篭(監督:マキノ雅弘/1958年、東映/※DVD発売)
江戸の名物男 一心太助(1958年、東映/※ビデオ化)
今は名もない男だが(1958年、東映)
少年探偵団 透明怪人(1958年、東映)
美しき姉妹の物語 悶える早春(1958年、東映)
少年探偵団 首なし男(1958年、東映)
一丁目一番地(1958年、東映)
鶯城の花嫁(1958年、東映/※ビデオ化)
剣は知っていた 紅顔無双流(1958年、東映/※ビデオ化)
一丁目一番地 第二部(1958年、東映)
季節風の彼方に(1958年、東映)
奴の拳銃は地獄だぜ(1958年、東映)
清水港の名物男 遠州森の石松(監督:マキノ雅弘/1958年、東映/※ビデオ化)
裸の太陽(第9回ベルリン国際映画祭青少年向映画賞(西ベルリン参事会賞)受賞作品/監督:家城巳代治/共演:仲代達矢/キネマ旬報ベストテン第5位/1958年、東映/※ビデオ化)
一心太助 天下の一大事(監督:沢島忠/共演:中村錦之助(萬屋錦之介)/1958年、東映/※ビデオ化)
森と湖のまつり(監督:内田吐夢/共演:高倉健/1958年、東映/※DVD発売)
殿さま弥次喜多 捕物道中(1959年、東映/※ビデオ化)
旋風家族(1959年、東映)
母と娘の瞳(1959年、東映)
地獄の底までつき合うぜ(1959年、東映)
素晴らしき娘たち(監督:家城巳代治/共演:田中絹代/1959年、東映)
父と娘(1959年、東映)
静かなる兇弾(1959年、東映)
高度7000米 恐怖の四時間(1959年、東映)
リスとアメリカ人 廃虚の銃声(1959年、東映)
一心太助 男の中の男一匹(1959年、東映/※ビデオ化)
二発目は地獄行きだぜ(1960年、東映)
続・べらんめえ芸者(1960年、東映/※ビデオ化)
白い崖(監督:今井正/1960年、東映)
多羅尾伴内 七つの顔の男だぜ(1960年、東映/※ビデオ化)
消えた密航船(1960年、東映)
東から来た流れ者(1960年、東映)
続々・べらんめえ芸者(1960年、東映/※ビデオ化)
白い粉の恐怖(監督:村山新治/共演:三國連太郎/1960年、東映)
大いなる驀進(1960年、東映)
億万長者(1960年、東映)
べらんめえ芸者罷り通る(1961年、東映/※ビデオ化)
赤い影の男(1961年、東映)
魚河岸の女石松(1961年、東映/※ビデオ化)
赤い影の男 高速三号線を張れ(1961年、東映)
ひばり民謡の旅 べらんめえ芸者佐渡へ行く(1961年、東映/※ビデオ化)
ファンキーハットの快男児(監督:深作欣二/1961年、東映)
ファンキーハットの快男児 2千万円の腕(監督:深作欣二/1961年、東映)
白昼の無頼漢(監督:深作欣二/1961年、東映)
無鉄砲社員(1961年、東映)
瞼の母(1962年、東映/※DVD発売)
がんこ親父と江戸っ子社員(1962年、東映)
サラリーマン一心太助(1962年、東映)
新婚シリーズ 月給日は嫌い(1962年、東映)
新婚シリーズ 最初が肝心(1962年、東映)
あの空の果てに星はまたたく(1962年、東映)
誇り高き挑戦(監督:深作欣二/共演:鶴田浩二/1962年、東映/※DVD発売)
二・二六事件 脱出(1962年、東映)
みんなわが子(監督:家城巳代治/共演:高津住男/1963年、ATG/※DVD発売)
次郎長社長と石松社員 安来ぶし道中(1963年、東映)
特別機動捜査隊(1963年、東映)
民謡の旅 秋田おばこ(1963年、東映/※ビデオ化)
警視庁物語 全国縦断捜査(1963年、東映)
わが青春のイレブン(監督:降旗康男/1979年、東映)
ちゃんばらグラフィティー 斬る!(1981年、東映/※ビデオ化)
子どものころ戦争があった(監督:斎藤貞郎/1981年/※ビデオ化)
胸さわぎの放課後(1982年/※ビデオ化)
ひめゆりの塔(監督:今井正/1982年/※ビデオ化)
この子の七つのお祝に(監督:増村保造/1982年/※ビデオ化)
泰造(1985年)
光る女(監督:相米慎二/キネマ旬報ベストテン第9位/1987年/※DVD発売)
丹波哲郎の大霊界2 死んだらおどろいた!!(1990年/※DVD発売)
シャイなあんちくしょう(1991年/※ビデオ化)
わらびのこう 蕨野行(監督:恩地日出夫/キネマ旬報ベストテン第8位/2003年/※DVD発売)
ほたるの星(2004年/※DVD発売)
オリヲン座からの招待状(共演:宮沢りえ、加瀬亮/2007年11月3日公開予定、古巣の東映配給)
テレビドラマ
NHK
中央流沙(1975年)
わたしは海(1978年10月〜1979年3月) - 飯田清子先生 役
事件 (大岡昇平)(1980年9月〜10月)
立花登・青春手控え(1982年)
君の名は(1991年4月〜1992年3月)
琉球の風(1993年)
慶次郎縁側日記(2002年)
またも辞めたか亭主殿〜幕末の名奉行・小栗上野介〜(2003年)
慶次郎縁側日記(2006年)
日本テレビ
祭ばやしが聞こえる(1977年10月〜1978年3月)
新五捕物帳(1980年)
外科医有森冴子(1992年)
火曜サスペンス劇場
「女検事・霞夕子」(1993年)
「京都金沢かぐや姫殺人事件」(2004年10月19日)
TBS
ただいま11人(1964〜1967年)
時間ですよ(1965年)
肝っ玉かあさん(1968年)
週末婚(1999年)
君のままで (テレビドラマ)(2000年)
ママは女医さん(2004年)
渡る世間は鬼ばかり(2005年)
月曜ミステリー劇場
「おばさん会長・紫の犯罪清掃日記 ゴミは殺しを知っているシリーズ」(2007年)
フジテレビ
しのぶ(1985年4月〜6月)
さよならをもう一度(1992年4月〜6月)
おいしい関係(1996年)
テレビ朝日
土曜ワイド劇場
「混浴露天風呂連続殺人」(1984年)
京都地検の女(2007年)
舞台
リア王
ホロー荘の殺人
たそがれ色の微笑
音楽劇・ブッダ
Cook-a-Doodle-Doo
1945年8月6日
ベランダいっぱいの星
バラエティー・教養番組
午後は○○おもいッきりテレビ
森田一義アワー 笑っていいとも!
世界まるごとHOWマッチ!!
三枝の爆笑美女対談
おはようワイド・土曜の朝に
徹子の部屋
連想ゲーム
ひるのプレゼント
すてきな出逢い いい朝8時
CM
ライオン(家族で共演)
愛眼
レディーボーデン(娘と共演)
主な受賞歴
2000年(平成12年) - 第10回日本映画批評家大賞 ゴールデン・グローリー賞
2003年(平成15年) - 映画『わらびのこう 蕨野行』
第13回日本映画批評家大賞 助演女優賞
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
な行
数々の不幸に見舞われた女性 野添ひとみ
野添 ひとみ(のぞえ ひとみ、本名:川口 元 かわぐち もと、1937年2月11日 - 1995年5月4日)は、女優。夫は俳優の川口浩。実姉の野添和子はひとみの付き人を長く務めた後、大映テレビでプロデューサーになった。
来歴・人物
中学卒業後、松竹音楽舞踊学校に入り、1952年、『うず潮』で女優デビュー。その後、大映に移り、活躍。1960年、映画で共演の多かった同じ大映の俳優・川口浩と結婚。2人の娘をもうけたが、1983年2月には次女を17歳の若さで失い、1987年11月には夫・浩に癌で先立たれるという不幸に見舞われる。自身も甲状腺癌にかかり、1995年5月4日、東京都新宿区の病院で死去。享年58。
出演作品
映画
まごころ(1953年)
姉妹(1955年)
くちづけ(1957年)
暖流(1957年)
氷壁(1958年)
巨人と玩具(1958年)
白鷺 Le Héron blanc (カンヌ国際映画祭特別表彰受賞作品、毎日映画コンクール美術賞&色彩技術賞受賞作品。1958年)
有楽町で逢いましょう(1958年)
浮草 Floating Weeds (監督:小津安二郎。1959年)
婚期(1961年)
宝石泥棒(1962年)
テレビドラマ
ザ・ガードマン(1965年 - 1971年・TBS・プロデューサー/野添和子他)
第149話/雪女
第157話/ガードマン、パリで大奮戦
第158話/ガードマン、スイス追撃作戦
第161話/恋のアムステルダム
第186話/奥様は泥棒稼業
第252話/俺の女房は悪魔のお使い
第265話/離婚孤児争奪戦
大奥(1968年・関西テレビ・徳川竹姫役)
黄色いトマト(1973年・NET)
その他のテレビ番組
森田一義アワー 笑っていいとも!(フジテレビ)※テレフォンショッキングゲスト
ライオンのいただきます(フジテレビ)
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
来歴・人物
中学卒業後、松竹音楽舞踊学校に入り、1952年、『うず潮』で女優デビュー。その後、大映に移り、活躍。1960年、映画で共演の多かった同じ大映の俳優・川口浩と結婚。2人の娘をもうけたが、1983年2月には次女を17歳の若さで失い、1987年11月には夫・浩に癌で先立たれるという不幸に見舞われる。自身も甲状腺癌にかかり、1995年5月4日、東京都新宿区の病院で死去。享年58。
出演作品
映画
まごころ(1953年)
姉妹(1955年)
くちづけ(1957年)
暖流(1957年)
氷壁(1958年)
巨人と玩具(1958年)
白鷺 Le Héron blanc (カンヌ国際映画祭特別表彰受賞作品、毎日映画コンクール美術賞&色彩技術賞受賞作品。1958年)
有楽町で逢いましょう(1958年)
浮草 Floating Weeds (監督:小津安二郎。1959年)
婚期(1961年)
宝石泥棒(1962年)
テレビドラマ
ザ・ガードマン(1965年 - 1971年・TBS・プロデューサー/野添和子他)
第149話/雪女
第157話/ガードマン、パリで大奮戦
第158話/ガードマン、スイス追撃作戦
第161話/恋のアムステルダム
第186話/奥様は泥棒稼業
第252話/俺の女房は悪魔のお使い
第265話/離婚孤児争奪戦
大奥(1968年・関西テレビ・徳川竹姫役)
黄色いトマト(1973年・NET)
その他のテレビ番組
森田一義アワー 笑っていいとも!(フジテレビ)※テレフォンショッキングゲスト
ライオンのいただきます(フジテレビ)
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
な行
日本を代表する俳優のひとり 仲代達矢
仲代 達矢(なかだい たつや、1932年(昭和7年)12月13日 - )は日本の俳優。本名・仲代 元久(なかだい もとひさ)。東京都出身。
劇団俳優座出身で、俳優座のエースとして舞台で活躍した後、「無名塾」を主宰し後進の育成にも務める。演劇面以外でも、黒澤明監督や小林正樹監督の映画作品を中心に多数の主演作品を持つ。主演作の『影武者』がカンヌ映画祭グランプリを受賞するなど海外の評価も高く、日本を代表する俳優のひとりである。映画スターとしては彼以上の人気やヒットを誇るライバルが存在しないわけではないが、同時に舞台俳優としてもトップに君臨し続けたという点では無二の存在である。フリーの強みを生かし、その年のベストテンに入るような名作がフィルモグラフィーを飾る一方、肩の凝らない娯楽作品への出演も少なくない。ヒーロー役だけでなく悪役やダメ男役も得意とする。出演映画が米国アカデミー賞と世界三大映画祭(カンヌ・ヴェネチア・ベルリン)のすべてで受賞しており、四冠を達成している(下記参照)。
父は茨城県の農家出身で東京でハイヤー会社を自営していた仲代忠雄、母は五反田小町と呼ばれた薬局の看板娘・愛子。富裕層の多い青山の青南小学校に通うも、一家は極貧状態で弁当のおかずもなく、孤独な少年時代をすごす。戦後は親戚や弟と、ポン菓子屋、中華そば製麺所を起こしたり、小学校用務員、大井競馬場警備員などのかたわら青南小学校卒業後、北豊島工業学校、東京重機学校などを経て、学制改革ののち、東京都立千歳高等学校(現東京都立芦花高等学校)定時制卒業。民主主義を謳いながら賄賂を要求する小学校教師や一攫千金の夢にとりつかれた競馬狂の姿をみて、コンプレックスや人間不信にさいなまれながらも観察眼を養う。
愛称の「モヤ」は、母が仲代の本名・元久のモと、「ねえや」「ばあや」のヤをかけあわせて呼び始めた。
俳優の道へ
俳優座公演を観劇した際、千田是也の演技に感銘を受け、1952年、高校卒業と同時に俳優座養成所に第4期生として入所。同期生に佐藤慶、佐藤允、中谷一郎、宇津井健などがおり、仲代はバーで働きながら役者修行に励んだ。
養成所時代に、黒澤明監督『七人の侍』(1954年)で、セリフなしの浪人役をつとめて映画デビュー。1955年、養成所を卒業(前年既に初舞台)、俳優座に入団した。異母姉の命名で芸名は「達矢」を名乗る。同年秋の公演『幽霊』で抜擢されて好演、一躍新進舞台俳優となる。この舞台『幽霊』を見た女優の月丘夢路が推薦し、月丘の夫である井上梅次監督に誘われて、同監督の映画『火の鳥』(1956年、日活)で月丘の相手役という大役で映画界にも本格デビューを果たす。翌1957年、小林正樹監督の松竹映画『黒い河』での冷酷なやくざ・通称人斬りジョーの演技などで新進俳優としての評価を更に高めた。
1959年、俳優座所属の女優・宮崎恭子と結婚。
主演俳優に
1959年、小林監督による六部(上映は1961年まで)に及ぶ超大作(総上映時間・約10時間)『人間の條件』で主人公・梶に起用される。撮影1年半に及んだこの作品(原作:五味川純平)で仲代は、戦場においても強い反戦思想のゆえ苦悩する男を演じきり、監督も感服する出来に仕上げ、重量感とスケールを感じさせる俳優としてスターの座を揺るぎないものとした。同年には不敵な犯罪者に扮した『野獣死すべし』も公開。当時、映画会社数社から専属契約を打診されつつも断っている。
名監督たちと
黒澤明監督にも注目され、黒澤映画の常連だった主演スター・三船敏郎に対抗できる敵役俳優として、1961年『用心棒』、翌年『椿三十郎』に連続起用される。ぎらついた悪役ぶりを存分に見せ、仲代の風格を買った監督の期待に応えた。1963年にも黒澤作品『天国と地獄』で誘拐事件を追う刑事役を熱演。
一方、映画では市川崑監督の『鍵』(1959年)、成瀬巳喜男監督の『娘・妻・母』(1960年)、『女が階段を上る時』(1960年)、小林監督の『切腹』(1962年)、『怪談』(1964年)、『上意討ち 拝領妻始末』(1967年)、豊田四郎監督の『憂愁平野』(1963年)、『四谷怪談』(1965年)、岡本喜八監督の『大菩薩峠』(1966年)、『殺人狂時代』(1967年)など、映画会社に縛られない身で名監督たちとの仕事が続く。1968年にはイタリア映画『野獣暁に死す』に出演、東洋人離れした容貌からアメリカ人の悪役を演じている。
1970年代には山崎豊子原作・山本薩夫監督による大作映画『華麗なる一族』(1974年)・『不毛地帯』(1976年)で悲劇的人物を熱演、強烈な印象を残す。
映画会社とは一切専属契約は結ばなかったが、結果的には東宝映画への出演が飛びぬけて多い。これは、岡本、黒澤らとの親交もあるが、仲代の俳優としての資質と同社のモダニズムと共鳴する部分が少なくなかった結果ともなっている。
一方、長らく空白だったテレビドラマでも、1972年のNHK大河ドラマ『新・平家物語』で平清盛を演じ、清盛が出家する後半では実際に剃髪して熱演。
俳優そして俳優養成塾主宰
俳優座の看板俳優だった1975年に、恭子夫人と共に「無名塾」を創立。俳優座では師・千田の信頼も厚く、俳優座の次期主宰者に嘱望されていたが、複雑な人間関係を嫌う仲代は1979年に俳優座を退団してしまった。以後は無名塾公演で、シナリオ・演出を妻に任せ、自分が出演する形で舞台活動を継続してきた。
映画では、1980年の黒澤監督の大作『影武者』で、監督との確執で降板した勝新太郎の代役として急遽主役に抜擢されるが、重圧を跳ね返し見事に好演し、カンヌ映画祭でグランプリを受賞する。
同年には舛田利雄監督の戦争巨編『二百三高地』にも主演、乃木希典司令官を人間味豊かに演じている。さらに、1982年には五社英雄監督『鬼龍院花子の生涯』で、土佐の侠客・鬼政こと鬼龍院政五郎を演じ、彼の火花のような人生を体現するなど、全くタイプの異なる役柄を演じ分け、名実ともに日本を代表する俳優となった。
1985年の黒澤作品『乱』でも主演し“戦国版リア王”として悲劇をたどる秀虎役で、国際的評価を確立した。
時代劇、現代劇を問わず演じられる貴重な俳優として、テレビでは『忠臣蔵』(1991年、大石内蔵助を演じた)、中国残留孤児となった子を探し続ける父親を演じた『大地の子』(1995年)、『秀吉』(1996年、千利休を演じた)などで近年も存在感を存分に発揮している。
俳優座時代、また無名塾公演でも多くのシェイクスピア作品に主演しており、日本を代表するシェイクスピア俳優の一人でもある。
海外での受賞歴は、シシリア・タオルミナ映画祭賞(1971年)、カンヌ映画祭グランプリ(1980年)、マニラ映画祭主演男優賞(1982年)、フランス文化賞シュパリエ芸術勲賞(1992年)など。
家族
恭子夫人とは、1955年に舞台『森は生きている』の共演で急接近し、1959年に結婚。その後、家庭と無名塾の公私両面を二人三脚で乗り切る。夫人が1962年に死産してから夫婦に子がなかったため、夫人の妹宮崎総子(アナウンサー)の娘・奈緒を養女に迎えている(総子は奈緒の実父と離婚している)。奈緒は仲代奈緒の名で歌手になった。1996年、長年連れ添った恭子夫人を癌で失う。
自叙伝『遺し書き』によると、テレビ東京のドキュメンタリー『ネシアの旅人』で太平洋全域の島を訪れ、生きることの意味を再発見して仕事に復帰したという。
脚本家で演出家だった恭子夫人死後の無名塾公演は演出家を招くか、時に仲代自身が演出を兼ねる形で続いている。
弟はシャンソン歌手の仲代圭吾。
逸話
仲代の少年時代からの愛称“モヤ”は養成所時代、また芸能界でも多くの人々に用いられてきている。理由は、仲代の本名の他、仲代の顔の、つかみどころのない独特の雰囲気、また声に抑揚があまりない、という特徴を言い表わした愛称だったためという。
俳優座養成所時代、宇津井健とは性格が随分違っていたゆえに、かえって仲が良かった。『七人の侍』では、ともに浪人役のエキストラとして共演している。
仲代は温厚な性格で知られるが、若き日には共演者の三船敏郎や萬屋錦之介と酒を飲んで、演技論を戦わせた末にケンカした、という血気盛んな逸話を自ら語っている。丹波哲郎も「ケンカが強いのは仲代」と述べている。
映画『黒い河』『椿三十郎』『鬼龍院花子の生涯』など傲岸不遜な役も多かった仲代だが、素顔は全く逆で繊細。妻の宮崎恭子も女優であり、また、数々の女優達とも共演してきたが、めずらしいバラエティー番組出演の『さんまのまんま』(関西テレビ系)では「女優さんって、みんなどうしてあんなに強いんだろうねぇ…。」と語っている。明石家さんまは元妻の女優・大竹しのぶを思い出してか、飲み物を吹き出していた。
大河ドラマ『風林火山』で武田信虎を演じたとき、映画『影武者』で晩年の武田信玄を演じたことを引き合いに出し、「こういった信玄像もあるのか」としきりに感心していた。
主な出演作品
映画
火の鳥(1956年)
サザエさんシリーズ(1956年〜)…ノリスケ
炎上(1958年)…戸刈
裸の太陽 (ベルリン国際映画祭青少年向映画賞受賞作品。1958年)
鍵 (カンヌ国際映画祭審査員賞、ゴールデングローブ賞外国語映画賞受賞作品。1959年)
人間の條件 第一部〜第六部 (ヴェネチア国際映画祭サン・ジョルジョ賞、イタリア批評家賞受賞作品。1959年〜1961年)
野獣死すべし(1959年)…伊達邦彦
女が階段を上る時(1960年)
用心棒(ヴェネチア国際映画祭主演男優賞、アカデミー賞衣装デザイン賞ノミネート。1961年)
椿三十郎(1962年)
切腹(カンヌ国際映画祭審査員特別賞受賞作品。1962年)
天国と地獄(1963年)
怪談 (カンヌ国際映画祭審査員特別賞受賞、アカデミー賞外国語映画賞ノミネート作品。1964年)
東海道四谷怪談(1965年)…伊右衛門
大菩薩峠(1966年)…机竜之助
他人の顔(1966年)
殺人狂時代(1967年)…桔梗信治
上意討ち (ヴェネチア国際映画祭国際映画批評家連盟賞受賞作品。1967年)
野獣暁に死す(1968年、イタリア映画)
地獄変(1969年)
日本海大海戦(1969年)…明石元二郎
いのちぼうにふろう(1971年)
人間革命(1973年)…日蓮
華麗なる一族(1974年)…万俵鉄平
吾輩は猫である(1975年)…珍野苦沙弥
金環蝕(1975年)…星野康雄
吶喊(1975年)…土方歳三
不毛地帯(1976年)…壱岐正
女王蜂(1978年)
火の鳥(1978年)…ニニギ
ブルークリスマス(1978年)
影武者 (カンヌ国際映画祭グランプリ、アカデミー賞美術賞・外国語映画賞ノミネート、セゼール賞外国語映画賞、英国アカデミー賞監督賞受賞作品。1980年)…影武者、武田信玄
二百三高地(1980年)…乃木希典
鬼龍院花子の生涯(1982年)
乱 (アカデミー賞衣裳デザイン賞(ワダ・エミ)受賞作品。1985年)…一文字秀虎
ハチ公物語(1987年)
優駿 ORACION(1988年)…和具平八郎
戦場にかける橋2(1989年、イギリス映画)
226(1989年)…参謀本部次長・杉山元
豪姫(1992年)…古田織部
遠き落日(1992年)…小林栄
妖獣都市 香港魔界編(1992年、香港映画)
子連れ狼 その小さき手に…(1993年)…柳生烈堂
月光の夏(1993年)…風間森介
欽ちゃんのシネマジャック 〜蛍の光〜(1994年)
EAST MEETS WEST(1995年)…勝麟太郎
宮澤賢治-その愛-(1996年)…宮澤静次郎
金融腐蝕列島 呪縛(1999年)…佐々木英明
雨あがる(2000年)
助太刀屋助六(2001年)
白い犬とワルツを(2002年)
陽はまた昇る(2002年)…松下幸之助
阿修羅のごとく(2003年)
男たちの大和/YAMATO(2005年)…老後の神尾元特別年少兵
犬神家の一族(2006年)…犬神佐兵衛
テレビドラマ
ゴメスの名はゴメス
新・平家物語(1972年NHK大河ドラマ 平清盛役)
砂の器(1977年 今西栄太郎役)
丹下左膳 剣風!百万両の壺
樅ノ木は残った
飢餓海峡
友よ静かに瞑れ
忠臣蔵 風の巻・雲の巻
清左衛門残日録
大地の子
秀吉(1996年NHK大河ドラマ 千利休役)
春が来た
世界の中心で、愛をさけぶ - 松本謙太郎役
大化改新(2005年NHKドラマ 南淵請安役)
星に願いを〜七畳間で生まれた410万の星〜(2005年フジテレビ 若宮崇令 役)
新・人間交差点-(2006年NHK、寺島由次役)
風林火山(2007年、NHK大河ドラマ。武田信虎役)
舞台
赤いランプ
幽霊
ハムレット(ハムレット役)
オセロ(オセロ役)
令嬢ジュリー(下男ジャン役)
東海道四谷怪談(民谷伊右衛門役)
愛の眼鏡は色眼鏡(赤医者役)
友達("男"役)
オイディプス王(オイデップス役)
マンドラゴラ 毒の華
マクベス(マクベス役)
どん底(サーチン役)
プァーマーダラー
ルパン(ルパンとルブランの2役)
肝っ玉おっ母と子供たち(おっ母役)
シラノ・ド・ベルジュラック(シラノ役)
リチャード三世(リチャード役)
ソルネス(ソルネス役)
いのちぼうにふろう物語(幾三役)
愛は謎の変奏曲(ズノルコ役)
セールスマンの死(ウィリー・ローマン役)
ドライビング・ミス・デイジー(ホーク役)
バラエティー番組
SMAP×SMAP(フジテレビ)
さんまのまんま(関西テレビ系)
土曜スタジオパーク(NHK総合)
今日もワクワク(日本テレビ)
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
劇団俳優座出身で、俳優座のエースとして舞台で活躍した後、「無名塾」を主宰し後進の育成にも務める。演劇面以外でも、黒澤明監督や小林正樹監督の映画作品を中心に多数の主演作品を持つ。主演作の『影武者』がカンヌ映画祭グランプリを受賞するなど海外の評価も高く、日本を代表する俳優のひとりである。映画スターとしては彼以上の人気やヒットを誇るライバルが存在しないわけではないが、同時に舞台俳優としてもトップに君臨し続けたという点では無二の存在である。フリーの強みを生かし、その年のベストテンに入るような名作がフィルモグラフィーを飾る一方、肩の凝らない娯楽作品への出演も少なくない。ヒーロー役だけでなく悪役やダメ男役も得意とする。出演映画が米国アカデミー賞と世界三大映画祭(カンヌ・ヴェネチア・ベルリン)のすべてで受賞しており、四冠を達成している(下記参照)。
父は茨城県の農家出身で東京でハイヤー会社を自営していた仲代忠雄、母は五反田小町と呼ばれた薬局の看板娘・愛子。富裕層の多い青山の青南小学校に通うも、一家は極貧状態で弁当のおかずもなく、孤独な少年時代をすごす。戦後は親戚や弟と、ポン菓子屋、中華そば製麺所を起こしたり、小学校用務員、大井競馬場警備員などのかたわら青南小学校卒業後、北豊島工業学校、東京重機学校などを経て、学制改革ののち、東京都立千歳高等学校(現東京都立芦花高等学校)定時制卒業。民主主義を謳いながら賄賂を要求する小学校教師や一攫千金の夢にとりつかれた競馬狂の姿をみて、コンプレックスや人間不信にさいなまれながらも観察眼を養う。
愛称の「モヤ」は、母が仲代の本名・元久のモと、「ねえや」「ばあや」のヤをかけあわせて呼び始めた。
俳優の道へ
俳優座公演を観劇した際、千田是也の演技に感銘を受け、1952年、高校卒業と同時に俳優座養成所に第4期生として入所。同期生に佐藤慶、佐藤允、中谷一郎、宇津井健などがおり、仲代はバーで働きながら役者修行に励んだ。
養成所時代に、黒澤明監督『七人の侍』(1954年)で、セリフなしの浪人役をつとめて映画デビュー。1955年、養成所を卒業(前年既に初舞台)、俳優座に入団した。異母姉の命名で芸名は「達矢」を名乗る。同年秋の公演『幽霊』で抜擢されて好演、一躍新進舞台俳優となる。この舞台『幽霊』を見た女優の月丘夢路が推薦し、月丘の夫である井上梅次監督に誘われて、同監督の映画『火の鳥』(1956年、日活)で月丘の相手役という大役で映画界にも本格デビューを果たす。翌1957年、小林正樹監督の松竹映画『黒い河』での冷酷なやくざ・通称人斬りジョーの演技などで新進俳優としての評価を更に高めた。
1959年、俳優座所属の女優・宮崎恭子と結婚。
主演俳優に
1959年、小林監督による六部(上映は1961年まで)に及ぶ超大作(総上映時間・約10時間)『人間の條件』で主人公・梶に起用される。撮影1年半に及んだこの作品(原作:五味川純平)で仲代は、戦場においても強い反戦思想のゆえ苦悩する男を演じきり、監督も感服する出来に仕上げ、重量感とスケールを感じさせる俳優としてスターの座を揺るぎないものとした。同年には不敵な犯罪者に扮した『野獣死すべし』も公開。当時、映画会社数社から専属契約を打診されつつも断っている。
名監督たちと
黒澤明監督にも注目され、黒澤映画の常連だった主演スター・三船敏郎に対抗できる敵役俳優として、1961年『用心棒』、翌年『椿三十郎』に連続起用される。ぎらついた悪役ぶりを存分に見せ、仲代の風格を買った監督の期待に応えた。1963年にも黒澤作品『天国と地獄』で誘拐事件を追う刑事役を熱演。
一方、映画では市川崑監督の『鍵』(1959年)、成瀬巳喜男監督の『娘・妻・母』(1960年)、『女が階段を上る時』(1960年)、小林監督の『切腹』(1962年)、『怪談』(1964年)、『上意討ち 拝領妻始末』(1967年)、豊田四郎監督の『憂愁平野』(1963年)、『四谷怪談』(1965年)、岡本喜八監督の『大菩薩峠』(1966年)、『殺人狂時代』(1967年)など、映画会社に縛られない身で名監督たちとの仕事が続く。1968年にはイタリア映画『野獣暁に死す』に出演、東洋人離れした容貌からアメリカ人の悪役を演じている。
1970年代には山崎豊子原作・山本薩夫監督による大作映画『華麗なる一族』(1974年)・『不毛地帯』(1976年)で悲劇的人物を熱演、強烈な印象を残す。
映画会社とは一切専属契約は結ばなかったが、結果的には東宝映画への出演が飛びぬけて多い。これは、岡本、黒澤らとの親交もあるが、仲代の俳優としての資質と同社のモダニズムと共鳴する部分が少なくなかった結果ともなっている。
一方、長らく空白だったテレビドラマでも、1972年のNHK大河ドラマ『新・平家物語』で平清盛を演じ、清盛が出家する後半では実際に剃髪して熱演。
俳優そして俳優養成塾主宰
俳優座の看板俳優だった1975年に、恭子夫人と共に「無名塾」を創立。俳優座では師・千田の信頼も厚く、俳優座の次期主宰者に嘱望されていたが、複雑な人間関係を嫌う仲代は1979年に俳優座を退団してしまった。以後は無名塾公演で、シナリオ・演出を妻に任せ、自分が出演する形で舞台活動を継続してきた。
映画では、1980年の黒澤監督の大作『影武者』で、監督との確執で降板した勝新太郎の代役として急遽主役に抜擢されるが、重圧を跳ね返し見事に好演し、カンヌ映画祭でグランプリを受賞する。
同年には舛田利雄監督の戦争巨編『二百三高地』にも主演、乃木希典司令官を人間味豊かに演じている。さらに、1982年には五社英雄監督『鬼龍院花子の生涯』で、土佐の侠客・鬼政こと鬼龍院政五郎を演じ、彼の火花のような人生を体現するなど、全くタイプの異なる役柄を演じ分け、名実ともに日本を代表する俳優となった。
1985年の黒澤作品『乱』でも主演し“戦国版リア王”として悲劇をたどる秀虎役で、国際的評価を確立した。
時代劇、現代劇を問わず演じられる貴重な俳優として、テレビでは『忠臣蔵』(1991年、大石内蔵助を演じた)、中国残留孤児となった子を探し続ける父親を演じた『大地の子』(1995年)、『秀吉』(1996年、千利休を演じた)などで近年も存在感を存分に発揮している。
俳優座時代、また無名塾公演でも多くのシェイクスピア作品に主演しており、日本を代表するシェイクスピア俳優の一人でもある。
海外での受賞歴は、シシリア・タオルミナ映画祭賞(1971年)、カンヌ映画祭グランプリ(1980年)、マニラ映画祭主演男優賞(1982年)、フランス文化賞シュパリエ芸術勲賞(1992年)など。
家族
恭子夫人とは、1955年に舞台『森は生きている』の共演で急接近し、1959年に結婚。その後、家庭と無名塾の公私両面を二人三脚で乗り切る。夫人が1962年に死産してから夫婦に子がなかったため、夫人の妹宮崎総子(アナウンサー)の娘・奈緒を養女に迎えている(総子は奈緒の実父と離婚している)。奈緒は仲代奈緒の名で歌手になった。1996年、長年連れ添った恭子夫人を癌で失う。
自叙伝『遺し書き』によると、テレビ東京のドキュメンタリー『ネシアの旅人』で太平洋全域の島を訪れ、生きることの意味を再発見して仕事に復帰したという。
脚本家で演出家だった恭子夫人死後の無名塾公演は演出家を招くか、時に仲代自身が演出を兼ねる形で続いている。
弟はシャンソン歌手の仲代圭吾。
逸話
仲代の少年時代からの愛称“モヤ”は養成所時代、また芸能界でも多くの人々に用いられてきている。理由は、仲代の本名の他、仲代の顔の、つかみどころのない独特の雰囲気、また声に抑揚があまりない、という特徴を言い表わした愛称だったためという。
俳優座養成所時代、宇津井健とは性格が随分違っていたゆえに、かえって仲が良かった。『七人の侍』では、ともに浪人役のエキストラとして共演している。
仲代は温厚な性格で知られるが、若き日には共演者の三船敏郎や萬屋錦之介と酒を飲んで、演技論を戦わせた末にケンカした、という血気盛んな逸話を自ら語っている。丹波哲郎も「ケンカが強いのは仲代」と述べている。
映画『黒い河』『椿三十郎』『鬼龍院花子の生涯』など傲岸不遜な役も多かった仲代だが、素顔は全く逆で繊細。妻の宮崎恭子も女優であり、また、数々の女優達とも共演してきたが、めずらしいバラエティー番組出演の『さんまのまんま』(関西テレビ系)では「女優さんって、みんなどうしてあんなに強いんだろうねぇ…。」と語っている。明石家さんまは元妻の女優・大竹しのぶを思い出してか、飲み物を吹き出していた。
大河ドラマ『風林火山』で武田信虎を演じたとき、映画『影武者』で晩年の武田信玄を演じたことを引き合いに出し、「こういった信玄像もあるのか」としきりに感心していた。
主な出演作品
映画
火の鳥(1956年)
サザエさんシリーズ(1956年〜)…ノリスケ
炎上(1958年)…戸刈
裸の太陽 (ベルリン国際映画祭青少年向映画賞受賞作品。1958年)
鍵 (カンヌ国際映画祭審査員賞、ゴールデングローブ賞外国語映画賞受賞作品。1959年)
人間の條件 第一部〜第六部 (ヴェネチア国際映画祭サン・ジョルジョ賞、イタリア批評家賞受賞作品。1959年〜1961年)
野獣死すべし(1959年)…伊達邦彦
女が階段を上る時(1960年)
用心棒(ヴェネチア国際映画祭主演男優賞、アカデミー賞衣装デザイン賞ノミネート。1961年)
椿三十郎(1962年)
切腹(カンヌ国際映画祭審査員特別賞受賞作品。1962年)
天国と地獄(1963年)
怪談 (カンヌ国際映画祭審査員特別賞受賞、アカデミー賞外国語映画賞ノミネート作品。1964年)
東海道四谷怪談(1965年)…伊右衛門
大菩薩峠(1966年)…机竜之助
他人の顔(1966年)
殺人狂時代(1967年)…桔梗信治
上意討ち (ヴェネチア国際映画祭国際映画批評家連盟賞受賞作品。1967年)
野獣暁に死す(1968年、イタリア映画)
地獄変(1969年)
日本海大海戦(1969年)…明石元二郎
いのちぼうにふろう(1971年)
人間革命(1973年)…日蓮
華麗なる一族(1974年)…万俵鉄平
吾輩は猫である(1975年)…珍野苦沙弥
金環蝕(1975年)…星野康雄
吶喊(1975年)…土方歳三
不毛地帯(1976年)…壱岐正
女王蜂(1978年)
火の鳥(1978年)…ニニギ
ブルークリスマス(1978年)
影武者 (カンヌ国際映画祭グランプリ、アカデミー賞美術賞・外国語映画賞ノミネート、セゼール賞外国語映画賞、英国アカデミー賞監督賞受賞作品。1980年)…影武者、武田信玄
二百三高地(1980年)…乃木希典
鬼龍院花子の生涯(1982年)
乱 (アカデミー賞衣裳デザイン賞(ワダ・エミ)受賞作品。1985年)…一文字秀虎
ハチ公物語(1987年)
優駿 ORACION(1988年)…和具平八郎
戦場にかける橋2(1989年、イギリス映画)
226(1989年)…参謀本部次長・杉山元
豪姫(1992年)…古田織部
遠き落日(1992年)…小林栄
妖獣都市 香港魔界編(1992年、香港映画)
子連れ狼 その小さき手に…(1993年)…柳生烈堂
月光の夏(1993年)…風間森介
欽ちゃんのシネマジャック 〜蛍の光〜(1994年)
EAST MEETS WEST(1995年)…勝麟太郎
宮澤賢治-その愛-(1996年)…宮澤静次郎
金融腐蝕列島 呪縛(1999年)…佐々木英明
雨あがる(2000年)
助太刀屋助六(2001年)
白い犬とワルツを(2002年)
陽はまた昇る(2002年)…松下幸之助
阿修羅のごとく(2003年)
男たちの大和/YAMATO(2005年)…老後の神尾元特別年少兵
犬神家の一族(2006年)…犬神佐兵衛
テレビドラマ
ゴメスの名はゴメス
新・平家物語(1972年NHK大河ドラマ 平清盛役)
砂の器(1977年 今西栄太郎役)
丹下左膳 剣風!百万両の壺
樅ノ木は残った
飢餓海峡
友よ静かに瞑れ
忠臣蔵 風の巻・雲の巻
清左衛門残日録
大地の子
秀吉(1996年NHK大河ドラマ 千利休役)
春が来た
世界の中心で、愛をさけぶ - 松本謙太郎役
大化改新(2005年NHKドラマ 南淵請安役)
星に願いを〜七畳間で生まれた410万の星〜(2005年フジテレビ 若宮崇令 役)
新・人間交差点-(2006年NHK、寺島由次役)
風林火山(2007年、NHK大河ドラマ。武田信虎役)
舞台
赤いランプ
幽霊
ハムレット(ハムレット役)
オセロ(オセロ役)
令嬢ジュリー(下男ジャン役)
東海道四谷怪談(民谷伊右衛門役)
愛の眼鏡は色眼鏡(赤医者役)
友達("男"役)
オイディプス王(オイデップス役)
マンドラゴラ 毒の華
マクベス(マクベス役)
どん底(サーチン役)
プァーマーダラー
ルパン(ルパンとルブランの2役)
肝っ玉おっ母と子供たち(おっ母役)
シラノ・ド・ベルジュラック(シラノ役)
リチャード三世(リチャード役)
ソルネス(ソルネス役)
いのちぼうにふろう物語(幾三役)
愛は謎の変奏曲(ズノルコ役)
セールスマンの死(ウィリー・ローマン役)
ドライビング・ミス・デイジー(ホーク役)
バラエティー番組
SMAP×SMAP(フジテレビ)
さんまのまんま(関西テレビ系)
土曜スタジオパーク(NHK総合)
今日もワクワク(日本テレビ)
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
な行
只今 療養中とのこと 早いご回復を祈りたい
二谷英明(にたに ひであき、1930年1月28日-)は、俳優。京都府舞鶴市出身。
来歴・人物
京都府立東舞鶴高等学校を経て同志社大学文学部英文科を中退後、1954年にラジオ佐世保(のちにラジオ長崎と合併し長崎放送と社名変更)に開局と同時に入社し、3年間、司会や英語放送のアナウンサーを務めた。
1956年、小林旭らと第3期ニューフェースとして日活に入社、同年『沖縄の民』で夜襲の少尉役としてデビューし、以後「ダンプガイ」の愛称で石原裕次郎、小林旭、宍戸錠などとともに日活アクション路線の全盛期を築いた。
1971年日活を退社した後はテレビに活躍の主軸を移していたが、1977年4月からテレビ朝日系列で開始された『特捜最前線』では神代恭介警視正(課長)役として主演。放送中の1979年、北海道ロケ中にスキーで転倒して首を骨折する重傷を負ったが4か月の闘病後に復帰した。その後特捜最前線は1987年3月の終了まで全508回を数える人気番組となった(上記の事故による1979年1月から5月の一時降板のため、自身の出演回数は全492回)。
その一方で、日産自動車のセドリックの専属CMキャラクターを、1972年から1987年までの15年間の長きにわたり務めていた。自身が主演していたドラマ『特捜最前線』の提供スポンサーも日産自動車であり、自身が専属CMキャラクターを務めるセドリックが『特捜最前線』の劇用車として登場していた事で、「テレビ朝日=『特捜最前線』=二谷英明=セドリック=日産自動車」のイメージで一般大衆にも広く知られるようになりWタイアップ効果は絶大であった。
1990年代からは積極的にボランティア活動に参加、1993年には脚本家の小山内美江子らと教育を受けられない国々の子供たちのために学校建設活動を行う特定非営利活動法人「JHP・学校をつくる会」を設立した(設立当時の名称は、任意団体「カンボジアの子供に学校をつくる会」)。自らも何度もカンボジアに赴いて学校建設に尽力するなど「JHP・学校をつくる会」の副会長として活躍していたが2003年10月、脳梗塞で倒れ高級老人ホームで療養中のため現在のところ芸能活動は休止状態である。
妻は1964年に結婚した女優の白川由美。娘で女優の二谷友里恵は郷ひろみの前妻(郷・友里恵夫妻は離婚後それぞれ再婚したが、郷は、再び離婚し現在独身)。
主な出演作品
テレビ
特ダネ記者(1967年)
マイティジャック(1968年)
泣くな青春(1972年 ~ 1973年、フジテレビ・東宝)有村秀太郎(校長)役
トップスターショー・歌ある限り(1976年 ~ 1977年、TBS 司会)
特捜最前線(1977年 ~ 1987年、テレビ朝日)
フルムーン旅情ミステリー(1989年 ~ 1993年)
白い巨塔(1990年、テレビ朝日)東貞蔵役
信長(1992年、NHK大河ドラマ)平手政秀役
迷走地図(1992年、TBS)
Ist登場(テレビ大阪、シャープ一社提供のトーク番組)
ウンナンの桜吹雪は知っている(1995年)裁判官を担当
土曜一番!花やしき(1998年、フジテレビ コメンテーター)
映画
幕末太陽傳(1957年)
羽田発7時50分(1958年、日活)ミヤコ自動車テストドライバー瀬川役
にあんちゃん(1959年)
闘牛に賭ける男(1960年)
ろくでなし稼業(1961年)
零戦黒雲一家(1962年)
青い山脈(1963年、日活)沼田役
赤いハンカチ(1964年)
東京流れ者(1966年)
二人の世界(1966年)
夜霧よ今夜も有難う(1967年)
燃える雲(1967年)
黒部の太陽(1968年、三船プロダクション・石原プロモーション)
戦争と人間(1970年)
日本沈没(1973年、東宝)中田役
華麗なる一族(1974年、東宝)三雲役
はつ恋(1975年)
片翼だけの天使(1986年)
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
来歴・人物
京都府立東舞鶴高等学校を経て同志社大学文学部英文科を中退後、1954年にラジオ佐世保(のちにラジオ長崎と合併し長崎放送と社名変更)に開局と同時に入社し、3年間、司会や英語放送のアナウンサーを務めた。
1956年、小林旭らと第3期ニューフェースとして日活に入社、同年『沖縄の民』で夜襲の少尉役としてデビューし、以後「ダンプガイ」の愛称で石原裕次郎、小林旭、宍戸錠などとともに日活アクション路線の全盛期を築いた。
1971年日活を退社した後はテレビに活躍の主軸を移していたが、1977年4月からテレビ朝日系列で開始された『特捜最前線』では神代恭介警視正(課長)役として主演。放送中の1979年、北海道ロケ中にスキーで転倒して首を骨折する重傷を負ったが4か月の闘病後に復帰した。その後特捜最前線は1987年3月の終了まで全508回を数える人気番組となった(上記の事故による1979年1月から5月の一時降板のため、自身の出演回数は全492回)。
その一方で、日産自動車のセドリックの専属CMキャラクターを、1972年から1987年までの15年間の長きにわたり務めていた。自身が主演していたドラマ『特捜最前線』の提供スポンサーも日産自動車であり、自身が専属CMキャラクターを務めるセドリックが『特捜最前線』の劇用車として登場していた事で、「テレビ朝日=『特捜最前線』=二谷英明=セドリック=日産自動車」のイメージで一般大衆にも広く知られるようになりWタイアップ効果は絶大であった。
1990年代からは積極的にボランティア活動に参加、1993年には脚本家の小山内美江子らと教育を受けられない国々の子供たちのために学校建設活動を行う特定非営利活動法人「JHP・学校をつくる会」を設立した(設立当時の名称は、任意団体「カンボジアの子供に学校をつくる会」)。自らも何度もカンボジアに赴いて学校建設に尽力するなど「JHP・学校をつくる会」の副会長として活躍していたが2003年10月、脳梗塞で倒れ高級老人ホームで療養中のため現在のところ芸能活動は休止状態である。
妻は1964年に結婚した女優の白川由美。娘で女優の二谷友里恵は郷ひろみの前妻(郷・友里恵夫妻は離婚後それぞれ再婚したが、郷は、再び離婚し現在独身)。
主な出演作品
テレビ
特ダネ記者(1967年)
マイティジャック(1968年)
泣くな青春(1972年 ~ 1973年、フジテレビ・東宝)有村秀太郎(校長)役
トップスターショー・歌ある限り(1976年 ~ 1977年、TBS 司会)
特捜最前線(1977年 ~ 1987年、テレビ朝日)
フルムーン旅情ミステリー(1989年 ~ 1993年)
白い巨塔(1990年、テレビ朝日)東貞蔵役
信長(1992年、NHK大河ドラマ)平手政秀役
迷走地図(1992年、TBS)
Ist登場(テレビ大阪、シャープ一社提供のトーク番組)
ウンナンの桜吹雪は知っている(1995年)裁判官を担当
土曜一番!花やしき(1998年、フジテレビ コメンテーター)
映画
幕末太陽傳(1957年)
羽田発7時50分(1958年、日活)ミヤコ自動車テストドライバー瀬川役
にあんちゃん(1959年)
闘牛に賭ける男(1960年)
ろくでなし稼業(1961年)
零戦黒雲一家(1962年)
青い山脈(1963年、日活)沼田役
赤いハンカチ(1964年)
東京流れ者(1966年)
二人の世界(1966年)
夜霧よ今夜も有難う(1967年)
燃える雲(1967年)
黒部の太陽(1968年、三船プロダクション・石原プロモーション)
戦争と人間(1970年)
日本沈没(1973年、東宝)中田役
華麗なる一族(1974年、東宝)三雲役
はつ恋(1975年)
片翼だけの天使(1986年)
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
な行
バイプレイヤーとして無くてはならない人 二谷英明
挨拶は大事である。挨拶するにも姿勢の大切さを教えてくれたのが、二谷英明さんだ。二谷さんはエイメイさんと親しみを込めて呼ばれていた俳優さんだが、その姿勢たるや、まさに紳士であった。
「お早うございます」と通路やステージの出入り口で声を掛けると、必ず丁重に頭を下げて「お早うございます」と挨拶が返ってきた。私のような下っ端のスタッフに対してもである。これは本当に嬉しかった。まだ若い私でも一人前として認めてくれているという気がした。
時々出会って声をかけると笑顔で返事を返してくれる。エイメイさんに会うのは楽しみだった。作品的にはあまり恵まれなかったように思う。
赤木の突然の死によって第二次ダイヤモンドラインの一角として主役を張ったが、興行成績は今ひとつだったと記憶している。人柄のよさが裏目にでたのであろうか。
「お早うございます」と通路やステージの出入り口で声を掛けると、必ず丁重に頭を下げて「お早うございます」と挨拶が返ってきた。私のような下っ端のスタッフに対してもである。これは本当に嬉しかった。まだ若い私でも一人前として認めてくれているという気がした。
時々出会って声をかけると笑顔で返事を返してくれる。エイメイさんに会うのは楽しみだった。作品的にはあまり恵まれなかったように思う。
赤木の突然の死によって第二次ダイヤモンドラインの一角として主役を張ったが、興行成績は今ひとつだったと記憶している。人柄のよさが裏目にでたのであろうか。
