昭和30年代!!
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津川雅彦 合コンが大好きな演技派!? 

津川 雅彦(つがわ まさひこ、1940年1月2日 - )は、芸能事務所グランパパプロダクションに所属し、同社の代表取締役を務める俳優である。京都市中京区出身。血液型O型。本名は加藤 雅彦(かとう まさひこ)。京都の洛星中学校、早稲田大学高等学院中退。明治大学付属中野高等学校、文化学院短期大学卒業。監督名・マキノ雅彦として『寝ずの番』で映画監督デビュー。

芸能一家に生まれた日本を代表するベテラン俳優の一人で、数多くの映画、テレビに出演。16歳で映画『狂った果実』(1956年)でデビュー(それ以前に5歳の時に映画に出演した経験はある)、美少年俳優として人気を誇った。その後、伸び悩んだ時期もあったが、中年以降は映画『マノン』(1981年)などのニヒルな悪役として注目され、老年に入ると円熟味のある存在感で幅広い役柄をこなしている。

演技派としての活躍には、叔母である沢村貞子から若い時に「雅彦、お前はね、顔がいいんだから芝居は4倍うまくならないと認めてもらえないよ」と、口酸っぱく忠告されたことが影響しているといわれる。

60歳を超えるにも関わらずファッションセンスはピカイチで、穴の開いたジーンズも颯爽と着こなす。そのため若い女性からも人気があり、自身も合コンが大好き。「合コンしないで何をやる!」が口癖。合コン仲間に奥田瑛二、明石家さんま、高橋克典がいる。趣味はメールで、絵文字が大好き。芸能界きっての食通でもある。

一人娘の真由子を溺愛している。そのため、もし彼女に彼氏が出来たとしても、「(娘の彼氏という立場の男を)好きになれるはずがない!」と、断固娘の恋人を拒否し続けている。溺愛の理由には、真由子が1974年に生後5か月で誘拐された経験が一因となっている。

政治に関して非常に保守的な見解を持ち、保守的な会合にも参加している。「みんなで靖国神社に参拝する国民の会」、「首相の靖国神社参拝を求める国民の会」の発起人もつとめる。映画『プライド〜運命の瞬間〜』で東條英機役を演じる際、東條家を訪れて話を聞いた上で役作りに生かした。その演技ぶりは東條の遺族をして「まるで東條英機が生き返った様です」と絶賛された。また東條英機を演じる事を朝日新聞の記者から『A級戦犯を演じる事の是非』を問われた際、「じゃあ君(質問した記者に対して)は如何思うのかね!」と逆に聞き返したとされる(『キネマ旬報』の記事による)

おもちゃ・絵本の全国チェーン・グランパパのオーナーでもある。一方で1988年に、廃線となった北海道の旧国鉄広尾線を「幸福鉄道」としてよみがえらせ、北海道広尾町の町営牧場など約500ヘクタールの土地に100億円をかけ、「夢の王国サンタ愛ランド」を作ろうと計画。英国・スコットランドの古城「ロック・ハート城」を解体し、シベリア鉄道経由で運び込み注目された。だが、資金計画をめぐり町側と対立し、1991年に町から計画受け入れ拒否を通告され計画は頓挫。その後、群馬県沼田市の石材会社サンポウの社長が買収し、1993年に同県高山村で復元、「大理石村 ロックハート城」として有料公開され、結婚式場などにも使われている。

実兄で演技派俳優の長門裕之とはデビュー以来何かと比較されライバル関係が続いていたが、『マノン』の演技で津川が1982年度のブルーリボン賞最優秀助演男優賞を受賞した際に、長門が津川の実力を認め和解して現在に至る。近年は共演が多く、『八代将軍吉宗』『サラリーマン金太郎』『刑事☆イチロー』『相棒』『戦国自衛隊 関ヶ原の戦い』などがある。

また自身の監督作品『寝ずの番』にも長門が出演している。
お笑いタレントの松村邦洋には、『サラリーマン金太郎』の大和会長役でモノマネされている。その際松村はよく首を振るのだが、津川本人は実際あまり首を振らないので、その旨を松村に言ったことがある。ところが、やがて津川本人は松村に「松ちゃんが首振るから僕も今度から首を振ることにしたよ」などと語っていて、本家がモノマネ芸人に合わせるという本末転倒なことになった(このエピソードは松村が雑誌のインタビューで答えていた)。『葵徳川三代』で演じた徳川家康の真似もされている。
ジェームス三木の作品に多く出演している。

現在は、東京フィルムセンタースクールオブアート専門学校で名誉学校長を務めている。

略歴
父は沢村国太郎、母はマキノ智子、実兄に長門裕之を持つ。祖父は牧野省三。叔父に加東大介、叔母に沢村貞子、母方の叔父はマキノ雅弘、叔母は宝塚歌劇団出身の轟夕起子。沖縄アクターズスクール校長マキノ正幸は母方の従弟。妻は、朝丘雪路。娘は真由子(女優)。

1954年までは本名である加藤雅彦として活動。
石原慎太郎が津川と命名。
1964年、松竹から独立。
1966年、渡邊美佐(現・渡辺プロダクション代表取締役会長)と芸能事務所「ぷろだくしょん『道』」の設立に参加。
1973年、女優の朝丘雪路(元宝塚歌劇団月組娘役)と結婚。
1978年、おもちゃ販売会社グランパパを設立し運営。一号店を青山ツインビルにオープンさせる。
2006年、初監督作品『寝ずの番』が公開される。

主な作品

映画
狐の呉れた赤ん坊(1945年、大映)
素浪人罷通る(1947年、大映)
天狗飛脚(1949年、大映)
武蔵と小次郎(1952年、松竹)
獅子の座(1953年、大映)
山椒大夫(1954年、大映)
狂った果実(1956年、日活)
夏の嵐(1956年、日活)
人間魚雷出撃す(1956年、日活)
青春の抗議(1957年、日活)
危険な年齢(1957年、日活)
禁じられた唇(1958年、日活)
明日の太陽(1959年、松竹)
素晴らしき十九才(1959年、松竹)
伊豆の踊子(1960年、松竹)
日本の夜と霧(1960年、松竹)
甘い夜の果て(1961年、松竹)
愛と悲しみと(1962年、松竹)
江戸無情(1963年、大映)
次郎長三国志(1963年、東映)
日本侠客伝(1964年、東映)
昭和残侠伝 唐獅子牡丹(1966年、東映)
氷点(1966年、大映)
昭和残侠伝 血染の唐獅子(1967年、東映)
尼寺(秘)物語(1968年、東映)
日本残侠伝(1969年、日活)
悪名一番勝負(1969年、大映)
玄海遊侠伝 破れかぶれ(1970年、大映)
男一匹ガキ大将(1971年、ダイニチ映配)
男はつらいよ 私の寅さん(1973年、松竹)
山口組外伝 九州進攻作戦(1974年、東映)
直撃! 地獄拳(1974年、東映)
どてらい男(1975年、東宝)
春琴抄(1976年、東宝)
天使を誘惑(1979年、東宝)
マノン(1981年、東宝)
ザ・レイプ(1982年、東映)
時代屋の女房(1983年、松竹)
迷走地図(1983年、松竹)
お葬式(1984年、ATG)
化身(1985年、東映)
別れぬ理由(1986年、東映)
マルサの女(1987年、東宝)
あげまん(1990年、東宝)
極道の妻たち 最後の戦い(1990年、東映)
天と地と(1990年、東映) - 武田信玄役
墨東綺譚(1992年、ATG) - 永井荷風役
大病人(1993年、東宝)
忠臣蔵外伝 四谷怪談(1994年、松竹) - 大石内蔵助役
必殺! 主水死す(1996年、松竹) - 権の四郎役
スーパーの女(1996年、東宝)
マルタイの女(1997年、東宝)
プライド・運命の瞬間(1998年、東映) - 東條英機役
ガメラ3 邪神覚醒(1999年、大映)
ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃(2001年、東宝)
ムルデカ 17805(2001年、東宝)
ミラーを拭く男(2004年、パル企画)
THE 有頂天ホテル(2006年、東宝)
デスノート(2006年) - 佐伯警察庁長官 役
デスノート the Last name(2006年) - 佐伯警察庁長官 役
愛の流刑地(2007年1月13日、鶴橋康夫監督)
蒼き狼 〜地果て海尽きるまで〜(2007年3月3日、澤井信一郎監督)

ドラマ
息子の縁談(1958年、日本テレビ)
君の名は(1962年 - 1963年、フジテレビ)
うず潮(1964年 - 1965年、NHK) - 大杉光平役
おはなはん(1966年−1967年、NHK) - 速水謙一郎役
竜馬がゆく(1968年、NHK大河ドラマ) - 久坂玄瑞役
大奥(1968年 - 1969年、関西テレビ) - 徳川家綱役
ザ・ガードマン(1971年、TBS)
冬物語(1972年、日本テレビ)
シークレット部隊(1972年、TBS) - 赤城チェックマン役
非情のライセンス(1973年、NET) 第25話「兇悪の書斎」
事件狩り(1974年、TBS) 第4話「夜明けのさよなら」
勝海舟(1974年、NHK大河ドラマ) - 徳川慶喜役
放浪家族(1975年、毎日放送) - 井汲克彦役
新・座頭市(1976年、フジテレビ) 第3話「瀬来の別れ花」
いちばん星(1977年4月-10月、NHK) - 中山晋平役
新・二人の事件簿 暁に駆ける! (1977年、朝日放送) 第32話「したたかな闘い」
岸辺のアルバム(1977年、TBS)
黄金の日日(1978年、NHK大河ドラマ) - 津田宗及役
本日も晴天なり(1981年10月〜1982年4月、NHK) - 桂木宗俊役
野々村病院物語(1981年、TBS) - 久米丈二役
野々村病院物語II(1982年、TBS) - 木井省三役
徳川家康(1983年、NHK大河ドラマ) - 大久保長安役
大奥(1983年 - 1984年、関西テレビ) - 徳川綱吉役
宮本武蔵(1984年、NHK水曜時代劇) - 沢庵役
澪つくし(1985年4月-10月、NHK) - 坂東久兵衛役
必殺橋掛人(1985年、朝日放送「必殺シリーズ」) - 柳次役
独眼竜政宗(1987年、NHK大河ドラマ) - 徳川家康役
五稜郭(1988年、日本テレビ) - 勝海舟役
空と海をこえて(1989年、TBS) - 桂木誠役
奇兵隊(1989年、日本テレビ)
勝海舟(1990年、日本テレビ) - 徳川慶喜役
源義経(1990年、TBS)
徳川武芸帳 柳生三代の剣(1992年、テレビ東京) - 徳川家康役
本多の狐 徳川家康の秘宝(1992年、朝日放送)
伊達政宗(1993年、テレビ朝日)
憎しみに微笑んで(1993年、TBS)
織田信長(1994年、テレビ東京)
大忠臣蔵(1994年、TBS)
夢見る頃を過ぎても(1994年、TBS)
八代将軍吉宗(1995年、NHK大河ドラマ) - 徳川綱吉役
元禄太平記(1995年、テレビ朝日)
炎の奉行 大岡越前守(1996年、テレビ東京) - 柳沢吉保役
憲法はまだか(1996年、NHK) - 松本烝治役
メロディ(1997年、TBS)
編笠十兵衛(1997年、テレビ東京)
家康が最も恐れた男 真田幸村(1998年、テレビ東京) - 徳川家康役
世界で一番パパが好き(1998年、フジテレビ) - 根岸義彦役
サラリーマン金太郎(1999年、TBS)
古畑任三郎(1999年、フジテレビ) - 安斎亨役
葵徳川三代(2000年、NHK大河ドラマ) - 徳川家康役
合い言葉は勇気(2000年、フジテレビ) - 網干頼母役
こちら第三社会部(2001年、TBS)
忠臣蔵1/47(2001年、フジテレビ) - 吉良上野介役
壬生義士伝〜新撰組で一番強かった男(2002年、テレビ東京) - 八木源之丞役
武蔵 MUSASHI(2003年、NHK大河ドラマ) - 本阿弥光悦役
刑事☆イチロー(2003年、TBS)
エ・アロール(2003年、TBS)
黒革の手帳(2003年、テレビ朝日) - 長谷川庄司役
離婚弁護士(2004年、フジテレビ) - 井上紀三郎役
忠臣蔵(2004年、テレビ朝日) - 徳川綱吉役
最後の忠臣蔵(2004年、NHK) - 天川屋儀兵衛役
世にも奇妙な物語「地獄は満員」(2004年、フジテレビ)
古畑任三郎 すべて閣下の仕業(2004年、フジテレビ) - 若松医師役
離婚弁護士II〜ハンサムウーマン〜(2005年、フジテレビ) - 井上紀三郎役
相棒(2005年、テレビ朝日) - 瀬戸内米蔵役
幸せになりたい!(2005年、TBS) - 熊野雄太郎役
功名が辻〜山内一豊の妻〜(2006年、NHK大河ドラマ) - 不破市之丞役
戦国自衛隊 関が原の戦い(2006年、中京テレビ) - 徳川家康役
医龍(2006年、フジテレビ)
奇跡の動物園〜旭山動物園物語〜(2006年5月13日、フジテレビ) - 小野勇夫園長役
波の塔(2006年、TBS) ※1960年の映画版にも出演
忠臣蔵 瑤泉院の陰謀(2007年、テレビ東京) - 徳川綱吉役
華麗なる一族(2007年、TBS) - 永田大蔵大臣役
真夜中のマーチ (2007年、WOWOW)
セレンディップの奇跡(2007年、日本テレビ)
病院のチカラ〜星空ホスピタル〜(2007年4〜5月、NHK) - 堀田雄一院長役
奇跡の動物園2007〜旭山動物園物語〜(2007年5月11日、フジテレビ) - 小野勇夫園長役
警視庁捜査一課9係(2007年、テレビ朝日) 第2シリーズ 第6話「警視総監の秘密」 - 北田丈晴警視総監役
警視庁捜査ファイル さくら署の女たち(2007年、テレビ朝日) 第1話「殺人刑事」 - 高峰役

監督作品
映画監督マキノ雅弘の甥である津川は、マキノ雅彦名義で映画監督として活動している。

寝ずの番(2006年、光和インターナショナル / 松竹)

以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。







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石橋を叩いても渡らない男 田村 高廣 

田村 高廣(たむら たかひろ、本名同じ、1928年8月31日 - 2006年5月16日)は、京都府出身の俳優。田村俊磨(元マネージャー、株式会社タムサプライヤ社長)、田村正和、田村亮(共に俳優)の兄であり、田村兄弟の長男である。

阪東妻三郎の長男。京都三中(現・京都府立山城高等学校)、同志社大学経済学部卒業。

大学卒業後、いったんサラリーマン生活を送るが1953年7月7日に父が急逝。その際、近親者や木下恵介監督などから後を継ぐよう強くすすめられたため、父が死去した際に在籍していた松竹に入社し映画『女の園』でデビュー。

その後も木下演出の下、壺井栄原作の『二十四の瞳』を初め、『喜びも悲しみも幾歳月』、『笛吹川』に出演し、演技に磨きをかける。

1963年に松竹退社後はフリーとなり、1965年からは大映映画の『兵隊やくざ』シリーズに有田上等兵役で出演、勝新太郎とのコンビが人気を呼び、二人の代表作の一つとなった。また田村はこの演技が認められ、ブルー・リボン助演男優賞を獲得した。

1981年には宮本輝原作の『泥の河』(小栗康平監督)に出演。『泥の河』での演技は秀逸で、田村自身が代表作と語っていた。また1996年には再び小栗監督と組み『眠る男』に出演し、これも高い評価を得た。

自身が京都出身と云う事もあり、プライベートでは京都訛りの関西弁で話していた。また関西弁を話す役を演じる際には、一般にイメージされる(所謂コテコテの)関西弁では無く、大変美しく柔らかい発音で演じたため、彼の演じる関西人は非常に人気があった。

2006年5月16日、脳梗塞のため急逝。本人の遺志により、18日の葬儀を終えてから発表された。享年77。戒名は慈照院俊岳廣道居士

所属事務所は、父・妻三郎の命日(7月7日)にお別れの会を開いた。

性格はまさに慎重居士で、田村自身さえも「石橋を叩いても渡らない」と語っており、その為か生前は、何度となく二代目・阪東妻三郎の襲名を打診されていたが、その度に固辞していた。


受章・受賞歴
ブルーリボン賞助演男優賞(1965年)
日本アカデミー賞優秀助演男優賞(1981年)
毎日映画コンクール主演男優賞(1981年)
紫綬褒章(1991年)
勲四等旭日小綬章(1999年)

出演作品
映画
女の園(1954年)
二十四の瞳(1954年)
魔の季節 春のみづうみ(1956年)
体の中を風が吹く(1957年)
白い炎(1958年)
花のうず潮(1958年)
からたち日記(1959年)
女の橋(1961年)
河口(1961年)
背徳のメス(1961年)
湖愁(1962年)
兵隊やくざ(1965年、有田上等兵役)
宮本武蔵(5部作1961~1965年 柳生宗矩役)
白い巨塔(1966年 里見脩二役)
紀ノ川(1966年)
砂糖菓子が壊れるとき(1967年)
男はつらいよ(テレビ)(映画)(1968年,1969~1987年)
トラ・トラ・トラ! Tora! Tora! Tora! (第43回アカデミー賞特殊視覚効果賞受賞作品。日本&アメリカ合作映画。共演:マーティン・バルサム(Martin Balsam)、ジョゼフ・コットン(Joseph Cotten)、ジェーソン・ロバーズ(Jason Robards)、E・G・マーシャル(E.G. Marshall)、ジェームス・ホイットモア(James Whitmore)。1970年。淵田中佐(淵田美津雄)役)
恍惚の人(1973年)
本陣殺人事件(1975年)
野性の証明(1978年)
愛の亡霊(1978年)
父よ母よ!(1980年)
天平の甍(1980年 鑑真役)
泥の河(第54回アカデミー外国語映画賞本選ノミネート作品。1981年 板倉晋平役)
大日本帝国(映画:1982年)
海と毒薬(ベルリン国際映画祭銀熊賞受賞作品。1986年)
敦煌(1988年 曹延恵役)
226(1989年 湯浅倉平役)
忠臣蔵外伝 四谷怪談(1994年 吉良上野介役)
眠る男(1996年)
阿弥陀堂だより(2002年)
プルコギ(2007年公開予定)※遺作

テレビドラマ
赤穂浪士(1964年 NHK大河ドラマ 高田郡兵衛 役)
太閤記(1965年 NHK大河ドラマ 黒田孝高 役)
大奥(1968年 関西テレビ 生島新五郎 役)
春の坂道(1971年 NHK大河ドラマ 沢庵(沢庵宗彭)役)
助け人走る(1973〜1974年 朝日放送 必殺シリーズ 中山文十郎 役)
赤い衝撃(1976〜1977年 TBS)警視庁刑事 新田雄作
花神(1977年 NHK大河ドラマ 周布政之助役)
江戸川乱歩の「白髪鬼」より 宝石の美女(1979年 テレビ朝日)
二百三高地 愛は死にますか(1981年 TBS 水曜劇場スペシャル 乃木希典 役)
御宿かわせみ(1980-1981年 1982-1983年 NHK 水曜時代劇 神林通之進役)
宮本武蔵(1984年 NHK 水曜時代劇 長岡佐渡(松井興長)役)
木曜ドラマストリート 花嫁の父(1985年 フジテレビ)
NHK朝の連続テレビ小説「和っこの金メダル」(1989年‐1990年 秋津健吉 役)
千利休〜春を待つ雪間草のごとく〜(1990年 毎日放送 千利休役)
世にも奇妙な物語「さよなら蔵町キネマ」(1991年 フジテレビ)
鬼平犯科帳「雨乞い庄右衛門」(1991年 フジテレビ 雨乞い庄右衛門 役)
霧の旗(1991年 テレビ朝日 大塚欽三 役)
美味しんぼ(1994年-1999年 フジテレビ 唐山陶人 役)
なんじゃもんじゃの木の下で(1997年 テレビ朝日(単発深夜ドラマ))
南町奉行事件帖 怒れ!求馬(1997年 TBSナショナル劇場)
大江戸を駈ける!(2000年 TBSナショナル劇場)
楽園のつくりかた(2003年 NHK 星野高志 役)
父親の死を受容しきれない少年(落合扶樹)と母(天海祐希)が「山村留学」を決意し、身を寄せる主人公の父方の祖父役。
ホームドラマ!(2004年 TBS 河野清一郎 役)
NHK朝の連続テレビ小説「ファイト」(2005年 村上義高 役)
黒革の手帖スペシャル〜白い闇(2005年 テレビ朝日 尾崎孝次郎 役)
けものみち(2006年 テレビ朝日 診療所の医師 役)

ナレーション
NHKスペシャル「街道をゆく」1997年(司馬遼太郎原作)
NHKそして歌は誕生した−名曲のかげに秘められた物語−

文献

著書
『剣戟王阪妻の素顔-家ではこんなお父さんでした』ワイズ出版、2001年。

関連文献
渡辺一雄『田村高廣の想い出-日本人への遺言』ビジネス社、2006年。

以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。





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幅広い役柄で人気を得た 田崎潤

田崎 潤(たざき じゅん, 1913年8月28日 - 1985年10月18日)は、青森県青森市出身の俳優。

本名は、田中 実。月波 洋三郎、毛利 賢二の別名でも知られる。

清水金一や堺駿二らと結成した「新生喜劇座」、水の江瀧子主宰の「劇団たんぽぽ」など、軽演劇の舞台を経て映画に進出。1960年代からは東宝を中心に、黒澤作品からゴジラシリーズなどの特撮・怪獣映画、戦争映画に至るまで、数多くの作品に出演。中でも叩き上げの軍人役には定評があった。テレビドラマでも、頑固な親父役から凄みのある悪役まで、幅広い役柄を演じている。

NHKのクイズ・ゲーム番組『連想ゲーム』のレギュラー回答者でも御馴染みだった。1985年10月18日、肺癌のため死去。享年72。


主な出演作品

映画
1953年・『地獄門』(大映/監督=衣笠貞之助/出演=長谷川一夫・京マチ子) - 小源太役
※カンヌ国際映画祭:グランプリ受賞作品
※アカデミー賞:衣裳デザイン賞(和田三造、カラー映画部門)、特別賞(最優秀外国語映画)受賞作品
1957年・『明治天皇と日露大戦争』(新東宝/監督=渡辺邦男/出演=嵐寛寿郎) - 東郷平八郎役
1959年・『日本誕生』(東宝/監督=稲垣浩/特技監督=円谷英二/出演=三船敏郎) - 大伴久呂比古役
1960年・『ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐』(東宝/監督=松林宗恵/特技監督=円谷英二/出演=三船敏郎・鶴田浩二)- 加来止男役
1962年・『妖星ゴラス』(東宝/監督=本多猪四郎/特技監督=円谷英二/出演=池部良・上原謙) - 園田艇長役
1962年・『キングコング対ゴジラ』(東宝/監督=本多猪四郎/特技監督=円谷英二/出演=高島忠夫・浜美枝) - 東部方面隊総監役
1962年・『ニッポン無責任時代 』(東宝/監督=古澤憲吾/出演=植木等 ・団令子) - 黒田有人役
1963年・『海底軍艦』(東宝/監督=本多猪四郎/特技監督=円谷英二/出演=高島忠夫・藤山陽子) - 神宮司八郎役
1963年・『天国と地獄』(東宝/監督=黒澤明/出演=三船敏郎・仲代達矢) - 神谷重役役
1963年・『青島要塞爆撃命令』(東宝/監督=古澤憲吾/特技監督=円谷英二/出演=加山雄三・池部良)
1964年・『モスラ対ゴジラ』(東宝/監督=本多猪四郎/特技監督=円谷英二/出演=宝田明・星由里子)
1964年・『宇宙大怪獣ドゴラ』(東宝/監督=本多猪四郎/特技監督=円谷英二/出演=夏木陽介・小泉博)
1964年・『今日もわれ大空にあり』(東宝/監督=古澤憲吾/出演=夏木陽介・三橋達也) - 白川司令役
1964年・『国際秘密警察 火薬の樽』(東宝/監督=坪島孝/出演=三橋達也・佐藤允・星由里子) - 龍野博士役
1964年・『花のお江戸の無責任』(東宝/監督=山本嘉次郎/出演=植木等 ) - 水野十郎左衛門役
1965年・『太平洋奇跡の作戦 キスカ』(東宝/監督=丸山誠治/特技監督=円谷英二/出演=三船敏郎 ・山村聰)
1965年・『フランケンシュタイン対地底怪獣』(東宝/監督=本多猪四郎/特技監督=円谷英二/出演=ニック・アダムス・高島忠夫・水野久美) - 西秀雄県警本部長役
1965年・『怪獣大戦争』(東宝/監督=本多猪四郎/特技監督=円谷英二/出演=宝田明・土屋嘉男) - 桜井博士役
1966年・『網走番外地 荒野の対決』(東映/監督=石井輝男/出演=高倉健・杉浦直樹・河津清三郎) - 栗田役
1966年・『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』(東宝/監督=本多猪四郎/特技監督=円谷英二/出演=ラス・タンブリン・佐原健二・水野久美) - 橋本陸将補役
1966年・『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』(東宝/監督=福田純/特技監督=円谷英二/出演=宝田明・平田昭彦) - 基地司令役
1966年・『無責任清水港』(東宝/監督=坪島孝/出演=植木等 ) - 横山隼人役
1966年・『国際秘密警察 絶体絶命』(東宝/監督=谷口千吉/出演=三橋達也・ニック・アダムス・水野久美・佐藤允) - ブッダバル国首相役
1967年・『クレージーだよ天下無敵』(東宝/監督=坪島孝/出演=植木等・谷啓) - 密輸団のボス役
1967年・『網走番外地 決斗零下30度』(東映/監督=石井輝男/出演=高倉健・嵐寛寿郎・安部徹) - 抗夫長蝮役
1967年・『日本のいちばん長い日』(東宝/監督=岡本喜八/出演=三船敏郎・笠智衆・宮口精二) - 小薗大佐役
1967年・『網走番外地 悪への挑戦』(東映/監督=石井輝男/出演=高倉健・谷隼人・田中邦衛) - 門馬剛造役
1968年・『怪獣総進撃』(東宝/監督=本多猪四郎/特技監督=有川貞昌/出演=久保明・小林夕岐子) - 吉田博士役
1969年・『日本海大海戦』(東宝/監督=丸山誠治/出演=三船敏郎・加山雄三・仲代達矢) - 橋口島司役
1970年・『牡丹と竜』(日活/監督=マキノ雅弘/出演=高橋英樹・小林旭・和泉雅子) - 花川俊太郎役
1970年・『日本一のヤクザ男』(東宝/監督=古澤憲吾/出演=植木等 ・司葉子) - 前野武造役
1977年・『恋人岬』(松竹/監督=西河克己/出演=松坂慶子・原田美枝子・細川俊之) - 滝川修平役
1977年・『八甲田山』(東宝/監督=森谷司郎/出演=高倉健・三國連太郎・島田正吾) - 鈴木貞雄役
1979年・『白昼の死角』(東映/監督=村川透/出演=夏八木勲・天知茂・千葉真一) - 川前工業・五十畑役
1981年・『連合艦隊』(東宝/監督=松林宗恵/出演=小林桂樹・丹波哲郎) - 連合艦隊司令長官・豊田副武役
1983年・『小説吉田学校』(東宝/監督=森谷司郎/出演=森繁久彌・夏目雅子) - 大野伴睦役
1983年・『プルメリアの伝説 天国のキッス』(東宝/監督=河崎義祐/出演=松田聖子・中井貴一) - 村上役
1985年・『乱』(ヘラルド・エース/監督=黒澤明/出演=仲代達矢・寺尾聰・根津甚八) - 綾部政治役
※アカデミー賞:衣裳デザイン賞(ワダ・エミ)受賞作品

テレビドラマ
鉄腕アトム(1959年 毎日放送) - 天馬博士役
赤穂浪士(1964年 NHK大河ドラマ) - 宝井其角役
太閤記(1965年 NHK大河ドラマ) - 清水宗治役
青春とはなんだ 第10話「風に立つ」(1965年 日本テレビ)
ウルトラQ 第3話「宇宙からの贈りもの」(1966年 TBS)
源義経(1966年 NHK大河ドラマ) - 土佐坊昌俊役
竜馬がゆく(1968年 NHK大河ドラマ) - 鹿田伝兵衛役
天と地と(1969年 NHK大河ドラマ) - 武田信虎役
樅ノ木は残った(1970年 NHK大河ドラマ) - 堀主水役
大江戸捜査網 第17話「斬り込み大作戦」(1971年 東京12チャンネル)
木枯し紋次郎 第14話「水神祭に死を呼んだ」(1972年 フジテレビ)
唖侍鬼一法眼 第10話「吠えた峠の女心」(1973年 日本テレビ)
国盗り物語(1973年 NHK大河ドラマ) - 平手政秀役
ジャンボーグA(1973年 毎日放送) - 伴野大作役
仮面ライダーX(1974年 毎日放送) - 主人公・神敬介(速水亮)の父 神啓太郎教授役
非情のライセンス 第2シリーズ 第46話「兇悪の閃光」(1975年 NET)
必殺仕業人 第28話「あんたこの結果をどう思う」(1976年 朝日放送)
夫婦旅日記 さらば浪人(1976年 フジテレビ) - 山崎源之進役
男たちの旅路 第2部 第3話「釧路まで」(1977年 NHK)
新五捕物帳 第41話「露の情け」(1978年 日本テレビ)
必殺仕事人
第11話「極悪人ほどよく眠れるか? 」(1979年 朝日放送)
第71話「絞り技一揆助命脳天突き」(1980年 朝日放送)
大捜査線 第15話「一枚の紙」(1980年 フジテレビ)
ケンちゃんチャコちゃん(1980年〜1981年 TBS) - 主人公兄弟の祖父役
影の軍団III 第12話「標的は魔性の肌」(1982年 関西テレビ)
大戦隊ゴーグルファイブ 第30話「猪苗代の黄金魔剣」(1982年 テレビ朝日)
徳川家康(1983年 NHK大河ドラマ) - 島津義弘役
水戸黄門 第14部 第32話「灘の庄助なぜ酔っぱらう -灘-」(1984年 TBS・C.A.L.) - 房右衛門役
新・夢千代日記(1984年 NHKドラマ人間模様) - 有田久三役

アニメ(声優として)
フクちゃん(1982年) - フクちゃんのおじいちゃん役

バラエティー番組
連想ゲーム(NHK・クイズ番組)

CM
ブラザー工業:ブラザーミシン(1970年代後半)

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お姐ちゃんシリーズで人気を得た女優 団令子

団令子(だん れいこ、1935年3月26日 - 2003年11月24日)は、日本の女優。京都府出身。長男は同じく俳優の団優太。

1957年に東宝に入社し映画デビュー。芸名は東宝の藤本真澄プロデューサーが作曲家の團伊玖磨からとって名づけた。 1959年に始まった「お姐ちゃんシリーズ」(任侠物ではない)で、健康的な現代娘をコミカルに演じて東宝の看板女優の一人となった。コミカルな役柄からクールな悪女役まで幅広くこなす演技力は高く評価されていたが、女優業から遠ざかった。 しかし、1980年代終わり頃から1990年代初頭にかけ、息子の俳優デビューを応援するため短期間だったがカムバックした。

2003年11月24日、心不全のため東京都三鷹市の病院で死去。68歳。


出演

映画
大学のお姐ちゃん(1959年)
社員無頼 怒号篇
社員無頼 反撃篇(監督:鈴木英夫。1959年)
娘・妻・母(監督:成瀬巳喜男。1960年)
女が階段を上る時(監督:成瀬巳喜男。1960年)
大学の若大将(1961年)
小早川家の秋 The End of Summer (監督:小津安二郎。1961年)
椿三十郎(監督:黒澤明。1962年)
ニッポン無責任時代 (1962年)
台所太平記 (監督:豊田四郎。1962年)
女体(1964年)
日本一の色男(1964年)
花のお江戸の無責任(監督:山本嘉次郎 1964年)
赤ひげ (ヴェネチア国際映画祭サン・ジョルジョ賞、男優賞(三船敏郎)、ヴェネチア市賞、国際カトリック映画事務局賞受賞作品。監督:黒澤明。1965年)
大冒険 (1965年)
殺人狂時代 (日本映画)(監督:岡本喜八。1967年)
伊豆の踊子(1967年)
砂の上のロビンソン(1989年)

テレビ番組
徹子の部屋(テレビ朝日)

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日本を代表する大女優のひとり 津島恵子

津島恵子(つしま けいこ 1926年2月7日 - )は、日本を代表する大女優のひとり。本名は森(旧姓・倉成)直子。長崎県下県郡厳原町(現対馬市)出身。東洋音楽学校(現東京音楽大学)中退。1947年、松竹映画「安城家の舞踏会」で華々しくデビュー。以来、日本を代表する女優として数々の映画・舞台に出演。なかでも、黒澤明監督の「七人の侍」での演技は、日本映画史上に残る名演技として語り継がれている。ほかの主な出演作に 「日本ダービー勝負」「とんかつ大将」「おしゃべり社長」などがある。東宝副社長を務めた森岩雄は義父にあたる。

主な出演作品

映画
「七人の侍」(ヴェネチア国際映画祭サン・マルコ銀獅子賞受賞作品。監督:黒澤明。1954年)
「適齢三人娘」
「長崎の鐘」
「君待てども」
「足摺岬」
「国定忠治」
「鬼火」
「お茶漬の味」 Flavor of Green Tea Over Rice (監督:小津安二郎 。1952年)
「ひめゆりの塔」
「喜劇 大誘拐」
「二人だけの朝」
「あした輝く」
「悲しき口笛」
「潮騒」1975ゴールデンコンビ百恵、友和と共演

テレビ
「恐怖劇場アンバランス」
「どたんば」
「山鳩の宿」
「三毛猫ホームズの黄昏ホテル」
花神(1977年、NHK大河ドラマ)
「おれは男だ!」
NHK大河ドラマ「山河燃ゆ」
「俺たちの旅」
「大奥」
花王・愛の劇場「母さん、家においでよ」(TBS)
「君が人生の時」(TBS)
NHK朝の連続テレビ小説「あぐり」(1997年)
NHK朝の連続テレビ小説「さくら」(2002年)
土曜ワイド劇場「牟田刑事官事件ファイル」シリーズ

バラエティー番組
「いつみても波瀾万丈」(日本テレビ)
「徹子の部屋」(テレビ朝日)
「クイズ面白ゼミナール」(NHK総合)

関連書籍
「君美わしく 戦後日本映画女優讃」(川本三郎著。文芸春秋社。川本による津島を含む女優達のインタビュー集)

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衝撃の猟銃自殺を遂げたトップ・すたー 田宮二郎

田宮 二郎(たみや じろう、1935年8月25日 - 1978年12月28日)は、俳優。 本名、柴田吾郎(しばた ごろう)。京都府京都市上京区出身。生後4日で父を失う。そのため幼少の頃は親族に育てられる。 京都府立鴨沂高等学校、学習院大学政経学部経済学科卒。妻は元大映女優の藤由紀子。(「黒の超特急」「黒の暴走」などで共演したのをきっかけに1965年に結婚。二男をもうける。) 長男は俳優、テレビレポーターの柴田光太郎(本名、柴田英光)。次男は俳優の田宮五郎(本名、柴田英晃)。

デビューと名声
大学在学中の1955年、スポーツニッポン社主催の「ミスターニッポンコンテスト」で優勝したのがきっかけで、大映演技研究所10期生として入社。1957年に本名の「柴田吾郎」でデビュー。1959年、大映の永田雅一社長がオーナーを兼務する大毎オリオンズの強打者・田宮謙次郎にあやかりたいという永田の意思に強制される形で「田宮二郎」と改名。長らく端役が多く恵まれなかったが、1961年、『女の勲章』(吉村公三郎監督、山崎豊子原作)で注目を集め、同年秋に勝新太郎と共演した『悪名』(田中徳三監督、今東光原作)の「モートルの貞」役で人気スターの仲間入り。二枚目のルックス、身長180cmでスリムでありながら筋肉質であることに加え、甘い二枚目から冷酷なエリート、ユーモラスな拳銃使い、ヤクザ、欲望のためなら手段を選ばない悪役までもこなす演技力にも定評があり、犬シリーズ、黒シリーズ等に主演し、大映の看板俳優として大活躍した。また若尾文子の相手役として名画を多く残した。1966年、映画『白い巨塔』(山本薩夫監督、山崎豊子原作、大映作品)で財前五郎役を演じたことで、その名声は決定的なものになり、「昭和のクールガイ」と呼ばれた。意外であるが、同じ大映のスター市川雷蔵とは一度も共演していない。理由は大映社長の永田雅一の方針によるものといわれている。


映画界追放、テレビ進出そして復活
1968年、映画『不信のとき』(今井正監督、有吉佐和子原作、大映作品)の宣伝ポスターで、出演者名の序列が4番目として発表された。主役である自分がトップだと思っていた田宮は強く会社側(=大映)に抗議した(当初の序列は、1.若尾文子、2.岡田茉莉子、3.加賀まりこ。特に加賀は年下でありキャリアも後輩だった上、当時、他社の松竹専属女優だった)。結果的に、ポスターの序列は希望通り田宮がトップとなったが、大映の社長・永田雅一はこれに激怒し、田宮を一方的に解雇してしまう。さらに五社協定を持ち出し、他社にも田宮を使わないように通達した。

映画界から完全に干されてしまった田宮は、家族を養うために舞台俳優・司会者・歌手として活動し、キャバレーまわりなどの地方巡業もしていた。この期間、1969年1月9日にNETテレビ(現在のテレビ朝日)系列で放送が始まった『クイズタイムショック』の初代司会者を務め、高視聴率により長寿番組となった。同年、東京12チャンネルの音楽番組『田宮二郎ショー』の司会も務めた。映画俳優として仕事ができず、このようなテレビの仕事は本人にとって不本意であったが、それに反して、当時すでにテレビ普及率はほぼ100%近くに達していて、他の映画俳優たちのテレビ出演も珍しくなくなっており、田宮の司会姿は視聴者たちの記憶に長く残る結果となり、田宮の名声を保つことにつながった。

運は田宮に味方し、1969年に大映との契約が切れたことにより映画界へのカムバックを果たした。逆境に打ち勝ったことで自信を付けた田宮は、永田社長に啖呵を切るまでになっていた。しかし、1971年に自ら立ち上げた会社「田宮企画」で「3000キロの罠」を製作したがヒットにはならなかった。 一方、大映は1971年に倒産。それをきっかけに既に斜陽であった映画の観客動員数はさらに大きく落ち込み、今に続くテレビ時代となる。


1972年にはTBS系ドラマ『知らない同志』でテレビドラマデビューを飾る。その後も『白い影』『白い滑走路』などの「白いシリーズ」や、山田太一脚本『高原へいらっしゃい』などの話題のドラマに主演して、立て続けにヒットを飛ばし、テレビドラマ界でも花形スターの座を獲得するまでになった。

その頃になると、自身を「日本のハワード・ヒューズになる」と公言しはじめ、ビジネスに興味を持ち、政財界とも接触を持つようになって、ゴルフ場やマンションの経営を行ったが失敗。1977年には日英合作映画『イエロー・ドッグ』(松竹)の製作も行ったが不入りに終わり、多額の借金を抱えてしまう。そして次第に精神を病み、同年3月には精神科医の斎藤茂太から躁鬱病と診断されて治療を始めたが、その成果は思わしくなかった。

また、付き人に段ボールの箱ごと育毛剤を買いに行かせたり、 ドラマの撮影シーンで髪の毛が濡れたりするのを出来るだけ回避しようとしていたくらい、髪について悩んでいたという。


『白い巨塔』・切望したドラマ化
1977年冬、TBSより田宮のキャスティング権を得たフジテレビから企画を求められた田宮は、原作の途中までしか映画化されていなかった『白い巨塔』のドラマ化を強く希望した。これは3度目の提案であった。1度は1969年、2度目はその数年後にドラマ化の企画をテレビ局に持ち込んだ経緯があったのだが、最初は五社協定により、2度目はスポンサーのOKが出なかったために実現しなかったのだ。映画版『白い巨塔』で財前五郎を演じて以来、田宮は常に高みを目指す財前の姿に自分を重ねていたようだ。自身の本名と同じ「ごろう」であったことも影響したのであろう、財前五郎を演じるのは自分しかいない、原作のラスト・財前の死までを演じ切りたいと思い続けていたのだった。映画化の際には原作の財前の年齢よりずっと若かった田宮も、この時にはほぼ同じ年齢であり機も熟していた。田宮は原作者・山崎豊子に直接願い入れ、快諾を得て1977年11月にはドラマ化が決定した。

しかし12月に入ると、躁状態に入った田宮はあれほど入れ込んでいたドラマ化への関心が薄れ、いかがわしいビジネスに熱中し始め、多額の債務を抱えてしまう。妻は弁護士と協議の上、「偽装離婚」することにより財産を守ったほどである。田宮の事業熱が収まらないまま、ドラマ『白い巨塔』は1978年3月26日に撮影開始。ロケーション現場の病院を自ら手配するなど、高いテンションで撮影に臨み、6月3日には第1回の放送が視聴率18.6%と好調にスタートした。一方で私生活は荒れ、執拗な債権取立ての中で、妻に不動産等の書類の引渡しを求めて激しく言い争うようになっていた。ドラマ撮影現場でも次第に彼の不遜な態度に対して不安が広がり、スタッフがその火消しに躍起になったという。さらに、「ウランの採掘権を取得した」と主張してトンガに一週間出かけ、あわや撮影中止になりかけることもあった。

18話まで撮影したところで撮影は1ヶ月の休暇に入り、田宮は7月29日にロンドンへ旅行に出発。戻って来ないのではないかという周囲の心配をよそに、9月8日には帰国したが、そのときには田宮は鬱状態に入っていた。9月17日に後半の収録が始まったが、テンションが高かった旅行前とは一転し、田宮は泣き崩れてばかりで台詞が頭に入らなくなっていた。妻やスタッフが必死に彼を励まし続け、共演者の協力もあって、撮影は11月15日に無事終了。財前五郎の死のシーンに際して、田宮は3日間絶食し、すっかり癌患者になりきった。さらに自ら遺書を書き、それを台本に加えさせた。そして、全身に白布を掛けられストレッチャーに横たわる遺体役を、スタッフの代役ではなく自分自身でやると主張してストレッチャーに乗った。そして「うまく死ねた」とラストシーンを自賛したという。

この時期の田宮には一種の都市伝説と思われるがいくつかの奇行が語り継がれていた。一つはいわゆるM資金詐欺に騙され、巨額の借金を負った事がその後の自殺の一つの要因であるという流説。もう一つは、現実と役柄の境界が不明瞭となり、航空機にて急病人が出て乗務員が医師を捜すと、たまたま同乗していた田宮が「医師の財前だが」と名乗り出たというものである。


ドラマの終わりと共に
ドラマ撮影の間、1978年9月28日放送分をもって『クイズタイムショック』の司会を降板した(2代目司会者は山口崇)。『白い巨塔』撮影終了後の田宮はすっかり虚脱状態になり、「財前五郎の後に、どんな役を演じたらいいかわからない」とプロデューサーの小林俊一に漏らすようになっていた。


衝撃の死
『白い巨塔』放映が残り2話となっていた1978年12月28日昼過ぎ、田宮は家族と別居して一人で住んでいた港区元麻布の自宅で猟銃自殺を遂げた。残された遺書には、妻への感謝の言葉と共に、生きることの苦しみと死への恐怖が綴られ、病気で倒れたと思って諦めて欲しい、と書かれていた[1]。このニュースは非常な衝撃をもって報道された。『白い巨塔』原作者の山崎豊子が書いた『華麗なる一族』(田宮も映画化された際出演していた)に猟銃自殺のシーンがあり、山崎はニュースを聞くとすぐに「猟銃でしょう」語ったという。ドラマ『白い巨塔』終わり2話の視聴率は皮肉にも急上昇し、最終話は31.4%を記録、結果多くの人々の記憶に残る大成功をおさめたのである。ただ、田宮の死を悼んだプロデューサーは、この視聴率を成功ととらえるよりも、かえって視聴者に対し話題性に群がる軽薄さを感じて、怒りを露わにしたという。


『白い巨塔』の田宮二郎
「田宮二郎といえば『白い巨塔』」という印象はそれを見た多くの人の記憶に残るところである。他に数多くの映画やドラマのヒット作に主演したが、世間の評価、田宮の入れ込み方、悲劇的な結末、どれをとっても一番の代表作と言えよう。2003年にはフジテレビで再ドラマ化され、改めて田宮版が注目されるようになり、当時の版を見たことがなかった若い世代からも評価を得た。2002年に発売されたDVDの売上げも順調である。


音楽作品

シングルレコード
青い犬のブルース (1967年)…『勝負犬』主題歌
パパの子守唄 / レッツ・ゴー・トゥ・ダンス・マイ・ペイビー(1969年) - ビクター
弱気だぜ / 愛して別れたあとで (1971年5月)
落葉の別れ / 深夜のRoute 246 (1975年) - ビクター
パパの子守唄 / 男の扉 (1975年8月) - コロムビア
たそがれの都会(まち) /「白い巨塔」メインテーマ(インスト) (1978年) - ポリドール…「白い巨塔」テーマ曲(番組内では使用されず)

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黄門さまで人気を集めた東野英治郎

東野 英治郎(とうの えいじろう、1907年9月17日 - 1994年9月8日)は日本の俳優。群馬県富岡市出身。明治大学卒業後、新築地劇団に入団。

東野英治郎の実家は日野商人(近江商人)の家系で、出身地とされている群馬県富岡市は店の所在地で、実際の本宅は滋賀県蒲生郡日野町。長男は俳優の東野英心。1944年、小沢栄太郎、千田是也らと共に俳優座を結成。以後、舞台のみならず、映画・テレビで主に貴重な脇役として活躍。

36年以上も続いているTBSテレビ系列の人気時代劇『水戸黄門』で、主役の徳川光圀(水戸光圀)を番組開始の1969年8月4日から1983年4月11日まで演じ、足かけ14年(途中、他の番組と交代している時期もある)、全381回、世直し旅で全国を行脚する黄門様を演じ続けた。月形龍之介に代表されるこれまでの堅く重々しい黄門様のイメージを一新し、頑固だがユーモア溢れる田舎の好々爺的な雰囲気と、事が丸く収まった後の「かっかっかっ!」という明るい高笑いで人気を集めた。

日本テレビの演芸番組『笑点』で林家木久蔵が大喜利で「東野が演じた水戸黄門」の物まねを披露した事があるが、世代を問わず水戸黄門=東野が演じた黄門という共通認識が存在している様である。一世一代の当たり役と言えるだろう。

水戸黄門役が定着していた頃、地方ロケ等に行くと、黄門に扮した東野を手を合わせて拝む老人もいたという。東野はインタビューで「私は役柄と違い、拝んでいただく様な立派な人間ではありませんよと、恐縮し申し訳なく思う」等と発言している。私生活では息子・英心を産んだ妻と離別し別の女性を選んだ為、英心との関係も複雑だったと言われている。

1982年7月、高齢による気力体力の減退等を理由に黄門役から降りる事を表明した。特に台詞覚えが悪くなったのが大きかったらしい。後輩の西村晃にバトンタッチした。

その後も散発的に俳優活動を行っていたが、1994年9月8日、自宅で心不全のため死去。享年86。

亡くなった後、テレビ東京で1994年10月5日に放送された『荒木又右衛門 男たちの修羅』が遺作となる。

晩年に演じた厳しくも優しい水戸黄門役のイメージが強く、俳優としては善人役が定番だと思われがちだが、それ以前、数多くの映画に出演した時はむしろ狡っ辛い悪役が定番だった。これは西村や、月形にも共通している。

声優に良いイメージを持っていなかった為か「洋画の吹き替え、アニメのアフレコなど自分の尺で演技出来ない、芝居とは呼べない外道の所業」と評し永井一郎らに批判されたことがある。


出演作品

映画
自由学校(1951年)
東京物語(1953年)
潮騒(1954年)
七人の侍(1954年)
生きものの記録(1955年)
大番(1957年)
野獣死すべし(1959年)
日本誕生(1959年)
武器なき斗い(1960年)
用心棒(1961年)
安寿と厨子王丸(1961年、声の出演)
世界大戦争(1961年)
キューポラのある街(1962年)
秋刀魚の味(1962年)
天国と地獄(1963年)
古都(1963年)
クレージー作戦 くたばれ!無責任(1963年)
江分利満氏の優雅な生活(1963年)
馬鹿が戦車でやってくる(1964年)
赤ひげ(1965年)
無法松の一生(1965年)
白い巨塔(1966年)
クレージーの怪盗ジバコ(1967年)
太陽の王子 ホルスの大冒険(1968年、声の出演)
続・男はつらいよ(1969年)…坪内散歩先生
トラ・トラ・トラ!(1970年)…南雲忠一中将役
獄門島(1977年)
水戸黄門 (1978年)…水戸光圀
居酒屋兆治(1983年)
あげまん(1990年)

テレビ
泣いてたまるか・「子はかすがい」(1967年、TBS)
進め!青春(1968年、日本テレビ)
男はつらいよ(1968年〜1969年、フジテレビ系・寅さんの恩師・坪内散歩役)
水戸黄門(TBS・C.A.L.)
第1部〜第13部(1969年〜1983年)水戸光圀役
第8部 第4話「黄門さまに似た男・沼津」 喜助役(水戸光圀との二役)
第9部(1978年)第5話「黄門様のそっくりさん・仙台」 大島屋利右衛門役(水戸光圀との二役)
クイズダービー(TBS系・解答者)
荒木又右衛門 男たちの修羅(テレビ東京系・特別出演)

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黎明期の日本映画界を支えた大スター 田中絹代

田中 絹代(たなか きぬよ、1909年12月29日 - 1977年3月21日)は、大正・昭和期の日本の女優・映画監督。黎明期の日本映画界を支えた大スターであり、日本映画史を代表する大女優の一人。また日本で二番目の女性映画監督でもある。

山口県下関市丸山町に父・田中久米吉、母・ヤスの四男四女の末娘として生まれる。母ヤスの実家小林家は下関で代々続く大地主の商家で、久米吉はそこの大番頭であった。二人は結婚して独立し、呉服商などを営む傍ら20軒ほども貸し家を持つ裕福な家であったが、絹代が3歳になって間もない1912年(明治45)1月、久米吉が病死。その後母は藤表(とうおもて)製造業を営んでいたが、使用人に有り金を持ち逃げされるなどの災難に遭い、一家の生活は徐々に暗転していった。1916年(大正5)絹代は下関市立大江尋常小学校に入学するが、経済的困窮のため充分な通学ができない状況だったという。この年20歳の長兄・慶介が兵役忌避をして失踪したことで田中一家は後ろ指を指されることになり、そのことが一家の経済事情を更に悪くした。翌1917年、一家の生活はついに行き詰まり、母ヤスの実兄を頼って大阪天王寺に移る。更に翌1918年4月、絹代は天王寺尋常小学校の三年に編入し、以後大阪で育つことになる。

戦前・戦中〜アイドルスターとしての成功
幼少時より、琵琶を習い、1919年に、大阪楽天地の琵琶少女歌劇の舞台に立つ。兄が松竹大阪支社で給仕として働いていた関係で、1924年に松竹下加茂撮影所に入所し、野村芳亭監督の『元禄女』でデビューする。まもなく、当時新進監督だった清水宏に『村の牧場』の主役に抜擢される。

松竹蒲田撮影所に移った後の1927年、五所平之助監督の『恥しい夢』が好評を博する。その後、当時の人気スター鈴木傳明とのコンビで売り出し、松竹のドル箱スターとなり、会社の幹部に昇進する。また、五所監督による日本初のトーキー映画、『マダムと女房』に主演し、トーキー時代になっても、スターとして迎えられる。

特に、上原謙とのコンビで1938年に公開された『愛染かつら』は空前の大ヒットとなり、シリーズ化された。1940年には、溝口健二監督の『浪花女』に出演し、溝口監督の厳しい注文に応え、自信を深める。

戦後〜演技派スター・女性監督へ
終戦後も、溝口監督の『女優須磨子の恋』や小津安二郎監督の『風の中の牝鶏』などに出演し、高い評価を得、1947年、1948年と連続して毎日映画コンクール女優演技賞を連続受賞する。

順調に見えた女優生活だったが、1950年、日米親善使節として滞在していたアメリカから帰国した際、サングラスに派手な服装で投げキッスを行い、激しい世論の反発を受けてしまう。それ以降、スランプに陥り、松竹も退社する。この時期、メディアからは「老醜」とまで酷評されて打撃を受けている。

1952年に溝口監督が彼女のために温めてきた企画である『西鶴一代女』に主演する。この作品はヴェネチア国際映画祭で国際賞を受賞し、彼女も完全復活を果たす。翌1953年には同じコンビで『雨月物語』を製作、ヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞を受賞する。また、同年『恋文』を監督(日本で二人目の女性監督)。しかし、このことが溝口監督との仲を疎遠なものにしたといわれる。

その後も、木下恵介監督の『楢山節考』、小津監督の『彼岸花』への出演、京マチ子主演の『流転の王妃』の演出など、常に映画界をリードする活躍を続ける一方、1969年の『樅ノ木は残った』に出演以降、テレビドラマにも活躍の場を広げ、『前略おふくろ様』の主人公の母親役やNHK朝の連続テレビ小説『雲のじゅうたん』のナレーションなどで親しまれた。

1974年に主演した熊井啓監督の映画『サンダカン八番娼館 望郷』の円熟した演技は世界的に高く評価され、ベルリン国際映画祭主演女優賞、芸術選奨文部大臣賞を受賞した。

1977年3月21日、脳腫瘍のため死去。享年67。最晩年、病床についた彼女は「目が見えなくなっても、やれる役があるだろうか」と見舞いに来た者に尋ねたという。
死後、勲三等瑞宝章が授与された。同年3月31日、映画放送人葬が行われ、5000人が参列した。

墓所は神奈川県鎌倉市の円覚寺にある。

没後の顕彰
1985年には、従弟の小林正樹監督により、毎日映画コンクールに「田中絹代賞」が創設され、映画界の発展に貢献した女優に贈られることとなった。第1回受賞者は吉永小百合。

「恋多き女性」としても有名で、清水宏監督との同棲生活と破局、慶応野球部の花形スターだった水原茂とのロマンスなどは大きな話題となった。その波乱に富んだ一生は、1987年に市川崑監督、吉永小百合主演で『映画女優』というタイトルで映画化された。

代表作

おもな出演映画作品
元禄女(1924年、野村方亭、吉野二郎)
村の牧場(1924年、清水宏)
恥しい夢(1927年、五所平之助)
大学は出たけれど(1929年、小津安二郎)
伊豆の踊子(1933年、五所平之助)
愛染かつら・前後編(1938年、野村浩将)
暁に祈る(1940年、佐々木康)
簪(1941年、清水宏)
陸軍(1944年、木下恵介)
結婚(1947年、木下恵介)
女優須磨子の恋(1947年、溝口健二)
不死鳥(1947年、木下恵介)
夜の女たち(1948年、溝口健二)
風の中の牝鶏(1948年、小津安二郎)
銀座化粧(1951年、成瀬巳喜男)
西鶴一代女(ヴェネチア国際映画祭国際賞受賞作品。1952年、溝口健二)
おかあさん(1952年、成瀬巳喜男)
雨月物語(ヴェネチア国際映画祭サン・マルコ銀獅子賞、イタリア批評家賞受賞作品。第28回アカデミー賞衣裳デザイン賞白黒映画部門ノミネート作品。1953年、溝口健二)
煙突の見える場所(ベルリン国際映画祭国際平和賞受賞作品。1953年、五所平之助)
山椒大夫(ヴェネチア国際映画祭銀獅子賞受賞作品。1954年、溝口健二)
噂の女(1954年、溝口健二)
黄色いからす(第15回ゴールデングローブ賞 外国語映画賞受賞作品。1957年、川頭義郎)
楢山節考(1958年、木下恵介)
彼岸花 EQUINOX FLOWER (1958年、小津安二郎)
この天の虹(1958年、木下恵介)
おとうと(カンヌ国際映画祭フランス映画高等技術委員会表彰受賞作品。1960年、市川崑)
赤ひげ(ヴェネチア国際映画祭男優賞(三船敏郎)、サン・ジョルジョ賞、ヴェネチア市賞、国際カトリック映画事務局賞受賞作品。1965年、黒澤明)
三婆(1974年、中村登)
サンダカン八番娼館 望郷(ベルリン国際映画祭最優秀主演女優賞受賞作品。1974年、熊井啓)
大地の子守唄(1976年、増村保造)

出演テレビドラマ
樅ノ木は残った(1970年)
明日のしあわせ(1970年)
女人平家(1971年)
たった一人の反乱(1973年)
りんりんと(1974年)
前略おふくろ様(1975年):主人公の母親役
幻の町(1976年)
雲のじゅうたん(ナレーション)(1976年、NHK朝の連続テレビ小説)

監督映画作品
恋文(1953年)
月は昇りぬ(1955年)
乳房よ永遠なれ(1955年)
流転の王妃(1960年)
女ばかりの夜(1961年)
お吟さま(1962年)

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た行

日本映画史に残る大女優の一人 高峰秀子

高峰 秀子(たかみね・ひでこ。1924年3月27日 - )は函館市出身の日本の女優、エッセイスト。愛称・デコちゃん。夫は映画監督、脚本家の松山善三。本名は松山(現姓)秀子。日本映画史を代表する大女優の一人。

1929年映画『母』に子役でデビュー、1979年に引退宣言。引退後は普段の生活に根ざしたエッセイを多数発表している。

主な出演映画
「母」(監督:野村芳亭。デビュー作。1929年)
「愛よ人類と共にあれ 前編 日本編/後編 米国編」(監督:島津保次郎。少年役。1931年)
「東京の合唱」(監督:小津安二郎。キネマ旬報ベストテン第3位。小津映画初出演。1931年)
「お嬢さん」(監督:山本薩夫。1937年)
「綴方教室」(監督:山本嘉次郎。キネマ旬報ベストテン第5位。1938年)
「われ等が教官」(監督:今井正。1939年)
「美はしき出発」(監督:山本薩夫。1939年)
「花つみ日記」(監督:石田民三。1939年)
「そよ風父と共に」(監督:山本薩夫。1940年)
「昨日消えた男」(監督:マキノ正博。1941年)
「われ等が教官」(監督:今井正。1939年)
「馬」(監督:山本嘉次郎。キネマ旬報ベストテン第2位。1941年)
「秀子の車掌さん」(監督:成瀬巳喜男。成瀬映画初出演。1941年)
「或る夜の殿様」(監督:衣笠貞之助。キネマ旬報ベストテン第3位。1946年)
「花ひらく」(監督:市川崑。1948年)
「三百六十五夜 東京篇/大阪篇」(監督:市川崑。1948年)
「銀座カンカン娘」(監督:島耕二。1949年)
「細雪」(監督:阿部豊。キネマ旬報ベストテン第9位。初の映画化。1950年)
「宗方姉妹」 The Munakata Sisters (監督:小津安二郎。キネマ旬報ベストテン第7位。1950年)
「カルメン故郷に帰る」(監督:木下恵介。キネマ旬報ベストテン第4位。日本映画初のカラー長編劇映画。1951年。)
「稲妻」(監督:成瀬巳喜男。キネマ旬報ベストテン第2位。1952年)
「カルメン純情す」(監督:木下恵介。キネマ旬報ベストテン第5位。1952年)
「煙突の見える場所」(監督:五所平之助。ベルリン国際映画祭国際平和賞受賞作品。キネマ旬報ベストテン第4位。1953年)
「雁」(監督:豊田四郎。キネマ旬報ベストテン第8位。1953年)
「この広い空のどこかに」(監督:小林正樹。1954年)
「女の園」(監督:木下恵介。キネマ旬報ベストテン第2位。1954年)
「二十四の瞳」 Twenty-Four Eyes (監督:木下恵介。第12回ゴールデングローブ賞 外国語映画賞受賞作品。キネマ旬報ベストテン第1位。1954年)
「浮雲」(監督:成瀬巳喜男。キネマ旬報ベストテン第1位。1955年)
「流れる」(監督:成瀬巳喜男。キネマ旬報ベストテン第8位。1956年)
「子供の眼」 Eyes Of Children  (監督:川頭義郎。第13回ゴールデングローブ賞 外国語映画賞受賞作品。1956年)
「喜びも悲しみも幾歳月」(監督:木下恵介。キネマ旬報ベストテン第3位。1957年)
「張込み」(監督:野村芳太郎。キネマ旬報ベストテン第8位。1958年)
「無法松の一生」(監督:稲垣浩。ヴェネチア国際映画祭グランプリ(サン・マルコ金獅子賞)受賞作品。キネマ旬報ベストテン第7位。1958年)
「笛吹川」(監督:木下恵介。キネマ旬報ベストテン第4位。1960年)
「人間の條件 完結篇」(監督:小林正樹。ヴェネチア国際映画祭サン・ジョルジョ賞、イタリア批評家賞受賞作品。キネマ旬報ベストテン第4位。1961年)
「名もなく貧しく美しく」(監督:松山善三。キネマ旬報ベストテン第5位。1961年)
「永遠の人」 IMMORTAL LOVE (監督:木下恵介。第34回アカデミー外国語映画賞本選ノミネート作品。キネマ旬報ベストテン第3位。1961年)
「われ一粒の麦なれど」(監督:松山善三。キネマ旬報ベストテン第10位。1964年)
「華岡青洲の妻」(監督:増村保造。キネマ旬報ベストテン第5位。1967年)
「恍惚の人」(監督:豊田四郎。キネマ旬報ベストテン第5位。1973年)
「衝動殺人 息子よ」(監督:木下恵介。キネマ旬報ベストテン第5位。引退作。1979年)

松竹蒲田時代
デビューから1937年までの子役時代を過ごす。この時代に既にスターとしての人気を博しており、島津保次郎監督「愛よ人類と共にあれ」(1931年)では男の子役を演じるなど、天才子役の名を欲しいままにしている。
映画人の多くに可愛がられており、東海林太郎は養女に引き取ろうとしたほどであった(高峰の養母の反対で実現せず)。また一方では養母の強烈な愛情への戸惑いや、彼女のギャランティーで家族全体が生活していることへの精神的な負担など、家庭においては一概に幸福とは言えない状況であった。

東宝時代
1937年、彼女は当時勢力を伸ばしつつあった東宝へ移籍する。松竹では学校にも通えないほど売れっ子であるにもかかわらず、狭いアパート住まいで貧しかったが、桁違いのギャラと世田谷の一軒家と高等女学校へ通えるという条件付きであった。彼女は文化学院へ入学するが、撮影でほとんど出席できず、結局1年で退学した。
東宝では「綴方教室」、「馬」(共に山本嘉次郎監督)などの映画に出演し、天才子役から女優へと脱皮していった。「馬」で助監督を務めた黒澤明と撮影中に恋に落ちたが母親の反対で強引に別れさせられた。以後彼女は黒澤作品には出演していない。
1941年には後に多くの名作を生み出すことになる成瀬巳喜男監督とのコンビを「秀子の車掌さん」で初めて組んだ。
戦争中においても彼女の人気は上昇し続け、多くの映画に出演した。また出征兵の中には彼女のブロマイドを胸に戦地へと旅立った者もおり、戦後の彼女の反戦思想に大きな影響を与えた。
戦時中の彼女の代表作は「婦系図」、「阿片戦争」などマキノ雅弘(当時は正博)監督作品が上げられる。
ちなみに大河内伝次郎の当たり役「丹下左膳」にも出演しており(「新編 丹下左膳 隻眼の巻」「同 恋車の巻」。ただし「恋車の巻」の映像は現存せず)、それが縁で当時建設中であった女人禁制の大河内山荘に招かれた。

新東宝時代
東宝争議に巻き込まれた結果、彼女も新東宝へ移籍することになる。太宰治の遺作「グッドバイ」や谷崎潤一郎の傑作「細雪」に出演したのもこの時期である。谷崎とは彼の家族を交えた形で、以後も交流が続いた。
「宗方姉妹」で小津安二郎監督作品にも出演を果たしている。

フリー時代
女優としての黄金時代を迎えたのがこの時期である。数々の名監督とタッグを組み、八面六臂の活躍を見せた。
松竹においては木下恵介監督作品に多く出演し、日本初のフルカラー作品となった「カルメン故郷に帰る」をはじめ、「カルメン純情す」、「二十四の瞳」、「喜びも悲しみも幾歳月」などの作品に出演した。
「二十四の瞳」の撮影で当時木下の助監督をしていた松山善三と出会い、1955年結婚する。仲人は川口松太郎、三益愛子夫妻であった。
東宝においては成瀬巳喜男監督作品に多く出演し、「浮雲」をはじめ「女が階段を上る時」(衣装も彼女が担当した)、「流れる」、「乱れる」、「妻の心」、「放浪記」、「娘・妻・母」などの作品に出演した。
大映においては豊田四郎監督作品「雁」などに出演した。
その他、夫の松山善三監督のデビュー作品「名もなく貧しく美しく」(東宝)、豊田四郎監督「恍惚の人」(東宝)、稲垣浩監督「無法松の一生」(東宝)、増村保造監督「華岡青洲の妻」(大映)など映画史に名を残す傑作群に出演を果たす。

なお主要映画会社の中で唯一彼女と関わりのない東映については、1960年代以降の仁侠映画や実録路線などのいわゆる「ヤクザ映画」に快い感情を抱いていなかったようである。

女優引退
1979年、木下恵介監督の映画「衝動殺人 息子よ」を最後に惜しまれつつ女優を引退。以後は軽妙なタッチながら鋭い人間観察を披露するエッセイを多数発表している。
女優時代の思い出などを綴った著書『わたしの渡世日記』は当時のベストセラーになった。

歌手としての高峰秀子
戦前からレコードを出していた。
1942年の『森の水車』は発売禁止となる。
1949年の主演映画『銀座カンカン娘』の同名主題歌(服部良一作曲)は歌謡史に残る大ヒットとなった。他にも映画『カルメン故郷に帰る』(黛敏郎作曲)などの主題歌のレコードも出している。

著書
『おいしい人間』文春文庫2004年7月10日ISBN 4167587092
『コットンが好き』文春文庫2003年1月ISBN 4167587076
『わたしの渡世日記』上 下 文春文庫1998年3月ISBN 4167587025, ISBN 4167587033

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た行

歌う映画女優の草分け的存在 高峰三枝子

高峰 三枝子(たかみね みえこ、1918年12月2日 - 1990年5月27日)は、日本の女優、歌手。『歌う映画スター』の草分け的存在である。父は筑前琵琶宗家の高峰筑風。孫は元女優の高峰愛。

東京都出身。1936年、父・筑風が急死し、残された家族を養うため、松竹に入社し、同年に公開された『母を尋ねて』で女優デビュー。理知的で気品のある美貌で人気を集め、戦前、戦後の長きに渡って活躍。犬神松子役を演じた『犬神家の一族』(市川崑監督)では、その鬼気迫る演技が高く評価され、1976年度ブルーリボン助演女優賞を受賞(これまでの女優生活40年の中で賞と名のつくものをもらったのは意外なことにこれが初めてであった)。同じく名女優である高峰秀子と姓名がよく似ているが血縁関係はない。

1985年10月30日の園遊会では鈴木三枝子(高峰三枝子)の名前で出席。

また、「湖畔の宿」、「南の花嫁さん」、「懐かしのブルース」、「別れのタンゴ」など数々のヒット曲を持つ歌手でもあり、映画女優がオリジナルの流行歌を歌ってヒットさせた草分けと言われている(「歌う映画女優」とも呼ばれることがある)。『3時のあなた』の初代司会者だったことでも知られる。

晩年には、上原謙と共演した国鉄(現・JR)の「フルムーン」のCMが話題となった。

1986年12月、岐阜県明智町(現・恵那市)に開設された「日本大正村」初代村長に就任。

1990年5月27日、脳梗塞による呼吸不全のため死去。71歳。


エピソード
一時期、馬主だったことがある。代表的な所有馬に、1952年の桜花賞、優駿牝馬を制したスウヰイスーがいる(井門昭二との共同所有馬)。
阪急ブレーブスの大ファンで、特に当時のエース・梶本隆夫がお気に入りだった。後楽園球場に年間ボックスを確保して、阪急ブレーブスの試合には必ず応援に訪れていた。
1985年、紫綬褒章を受章。その年の秋に行われた園遊会に招かれ、昭和天皇から言葉をかけられ感激のあまり泣いてしまったというエピソードも残っている。1982年にTBS系で放送されたドラマ「いつもお陽さま家族」で、当時の皇后(香淳皇后)の役を演じているが、香淳皇后を俳優が演じたのはこれが初めてと言われている。

受賞歴
1976年:第19回ブルーリボン賞・助演女優賞 『犬神家の一族』
1985年:毎日映画コンクール・特別賞
1985年:紫綬褒章
1986年:第28回日本レコード大賞・功労賞
1991年:第14回日本アカデミー賞・会長特別賞

出演作品

映画
母を尋ねて(監督:佐々木康。1936年)
金色夜叉(監督:清水宏。1937年)
婚約三羽烏(監督:島津保次郎。1937年)
浅草の灯(監督:島津保次郎。1937年)
按摩と女(監督:清水宏。1938年)
純情二重奏(監督:佐々木康。1939年)
暖流(監督:吉村公三郎。1939年)
信子(監督:清水宏。1940年)
桜の国(監督:渋谷実。1941年)
戸田家の兄妹(監督:小津安二郎。1941年)
元禄忠臣蔵 後篇(監督:溝口健二。1942年)
待ちぼうけの女(監督:マキノ正博。1946年)
今ひとたびの(監督:五所平之助。1947年)
嫉妬(監督:吉村公三郎。1949年)
別れのタンゴ(監督:佐々木康。1949年)
自由学校(監督:渋谷実。1951年)
舞姫(監督:成瀬巳喜男。1951年)
治郎吉格子(監督:伊藤大輔。1952年)
妻(監督:成瀬巳喜男。1953年)
女の園(監督:木下惠介。1954年)
柿の木のある家(1955年)
子供の眼 Eyes Of Children(第13回ゴールデングローブ賞 外国語映画賞受賞作品。監督:川頭義郎。1956年)
浪人街(監督:マキノ雅弘。1957年)
挽歌(監督:五所平之助。1957年)
点と線(1958年)
婚期(監督:吉村公三郎。1961年)
好人好日(監督:渋谷実。1961年)
お吟さま(監督:田中絹代。1962年)
光る海(監督:中平康。1963年)
悪太郎(監督:鈴木清順。1963年)
帰郷(1964年)
黒部の太陽(監督:熊井啓。1968年)
二人の恋人(1969年)
反逆の報酬(1973年)
あいつと私(1976年)
犬神家の一族(監督:市川崑。1976年)
女王蜂(監督:市川崑。1978年)
火の鳥(監督:市川崑。1978年)
真田幸村の謀略(監督:中島貞夫。1979年)
天平の甍(監督:熊井啓。1980年)
幸福号出帆(監督:斎藤耕一。1980年)
父と子(1983年)
ふしぎな國 日本(1983年)
序の舞(監督:中島貞夫。1984年)
ラブ・ストーリーを君に(監督:澤井信一郎。1988年)
226(監督:五社英雄。1989年)
花の季節(1990年)

テレビ
陽のあたる坂道(1965年・TBS)
3時のあなた(1968年 - 1973年・フジテレビ系)
大奥(1968年・関西テレビ)
フルーツポンチ3対3(1968年 - 1969年・NET)
てるてる坊主(1971年・フジテレビ)
うしろの正面(1975年・NET)
人間の証明(1978年・毎日放送)
西遊記(1978年 - 1979年・日本テレビ)
西遊記II(1979年 - 1980年・日本テレビ)
西部警察第104回(1981年・テレビ朝日)
いつもお陽さま家族(1983年・TBS)
開幕ベルは華やかに(1983年・テレビ朝日)
本陣殺人事件(1983年・TBS)
必殺渡し人(1983年・朝日放送)
やつらの戦い(1983年・NHK)
大奥(1983年・関西テレビ)
風雲・柳生武芸帳(1985年・テレビ東京)
化粧(1985年・フジテレビ)
樋口一葉 われは女成りけるものを(1985年・NHK)
下町三人娘(1986年・NHK)
Wの悲劇(1986年・フジテレビ)
ライオンのいただきます(フジテレビ)
森田一義アワー笑っていいとも!(フジテレビ系)
水戸黄門第14部、第18部(1983年、1988年 - 1989年・TBS)
香水心中(1987年・TBS)
春を待つ家(1990年・フジテレビ)
閨閥(1990年・TBS)

舞台
祇園恋しや物語
楊貴妃
妖かしの恋
伯爵夫人の肖像
女たちの夜明け

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彼女の歌「湖畔の宿」は今でも忘れられない。





た行

今や時代劇に欠かせない重鎮となった高橋英樹

高橋英樹(たかはし ひでき、1944年2月10日 - )は、千葉県木更津市出身の俳優。私立市川高等学校卒業。日本大学芸術学部出身。本名は同じ。
小さい頃から映画や小説が好きで役者に憧れていた高橋は厳しい親の反対を押し切り、日活のオーディションに受かり役者を志す。

1961年、日活から映画デビュー、石原裕次郎や小林旭の実測身長よりはるかに高い長身と圧倒的な美男ぶりで人気を呼ぶ。だが、股下が短かった為(本人曰く)アクションや青春ものでは主役がなかなか回ってこなかった。そこで、着流しを着ての時代劇や任侠はどうだということで1963年、10代にして貫禄充分の英樹は「男の紋章」を初めとする任侠映画シリーズの主演スターとして活躍、多くの任侠映画に出演。

しかし日活は客が入らず、1971年、ポルノ映画会社に変わってしまう。これを機にテレビに活躍の場を移す。数々のテレビ時代劇シリーズに主演、貴重な時代劇スターとなった。

その後TV時代劇桃太郎侍の主役を務めるも、放映当初の視聴率はかんばしくなかったが、主題歌を歌っていた三波春夫から「お地味ですねえ。もっと時代劇はすっきりしないと」と言われたことをきっかけに、高橋の提案でそれまで原作どおりみねうちだったものを派手な殺陣に変え、黒だった服を三波ばりの白に柄の入った派手なものにし、般若の面をかぶって「ひとつ、・・・」などとセリフを言いながら登場するように変えたところ、人気が急上昇し、看板番組となった。

「遠山の金さん」と並び高橋の代表作となっている。既存の時代劇に批判的な一面もあり、ぶらり信兵衛道場破りのような軽妙で意欲的な作品・役を演じてみたり、「それなりのキャリアを積んだからといって『黄門様』になろうとは思わない」と発言したりもしている。

現代劇作品も多く、近年は2時間サスペンスの主演でもおなじみ。陽気さ、快活さが魅力だが、近年は年齢もあって滋味を滲ませた演技も披露している。またバラエティ番組でもたくみなトークで活躍。殺陣の上手さは、スピードや気迫、その綺麗さから存命の時代劇俳優の中で一番とも称される。2007年3月4日に高橋がいつみても波乱万丈に出演した際、最近は殺陣をやってないことについて、「本当は殺陣やりたいんですよ。自信あるんです!」とアピールしていた。

長女は現在フジテレビアナウンサーでもあるマーサこと、高橋真麻。真麻が生まれるまでに高橋夫婦は3度の流産を経験しており、念願の子供であった。バラエティに出るようになったのは「パパは何でSMAPといっしょに出ないの?」という真麻の発言があったからだという。2007年3月4日に高橋がいつみても波乱万丈に出演した際、番組から「こんな理想的なパパはいないと思う」といった真麻の手紙を紹介され、うっすら涙を浮かべた。

デビュー当時に共演した浅丘ルリ子には公私にわたって指導を受けており、今でも頭が上がらないとのこと。

 映画
男の紋章シリーズ(日活)
刺青一代(日活、鈴木清順監督)
代紋 地獄の盃(1969年、日活)
男の代紋(1972年、東映)
宮本武蔵(1973年、松竹)

テレビ
鞍馬天狗
旗本退屈男(1970年 フジテレビ)
おらんだ左近事件帖(1971年 フジテレビ)
隼人が来る(1972年 フジテレビ)
ぶらり信兵衛道場破り(1973年 フジテレビ)
編笠十兵衛(1974年 フジテレビ)
十手無用 九丁堀事件帖(1975年)
桃太郎侍(1976年)
生きる(1981年、テレビ朝日)
遠山の金さん(1982年)
三匹が斬る!(1987年)
江戸の用心棒(1994年)
さむらい探偵事件簿(1996年)
春の坂道(NHK大河ドラマ)
国盗り物語(1973年NHK大河ドラマ 織田信長役)
花神(1977年NHK大河ドラマ 河井継之助役)
京都かるがも病院
喧嘩安兵衛 決闘高田ノ馬場(1989年)
翔ぶが如く(1990年NHK大河ドラマ 島津久光役)
次郎長三国志(1991年 テレビ東京 清水次郎長役)
平清盛(1992年TBS 後白河法皇役)
織田信長(1994年 テレビ東京 織田信長役)
次郎長三国志 勢揃い二十八人衆喧嘩旅!(1998年 大前田英五郎役)
影武者徳川家康(1998年 徳川家康/世良田二郎三郎役)
北条時宗(2001年NHK大河ドラマ 毛利季光役)
義経(2005年NHK大河ドラマ 藤原秀衡役)
忠臣蔵 瑤泉院の陰謀(2007年 テレビ東京 柳沢吉保役)
西村京太郎トラベルミステリー(土曜ワイド劇場)
高橋英樹の船長シリーズ(土曜ワイド劇場)
慶次郎縁側日記(木曜時代劇)
クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!
新装開店!SHOW by ショーバイ!!
新装開店!SHOW by ショーバイ2
クイズ日本人の質問
ダウンタウンDX
奇跡の扉 TVのチカラ
船越英一郎の新船長シリーズ(2006年 土曜ワイド劇場)

時代劇で貫禄が出てきた高橋英樹の作品の数々をご覧下さい。




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た行

二枚目の青春スターとしてデビューした高橋英樹

ヒデキと呼ばれて愛された好青年、高橋英樹。彼は第5期日活ニューフェイスとしてデビュー、吉永、浜田らと”グリーン・ライン”なる青春路線を結成、軌道にのせていく。

そして、赤木の事故死でストップしていた「激流に生きる男」に主役として起用され、以後立て続けに主演作品を発表するのだ、それもアクション物、青春物、文芸物といろんな分野の作品に出演させられたのだ。

そして英樹の従来のイメージをがらりと変える「男の紋章」で主役に抜擢され、これがヒットする。以後、「男の紋章」はシリーズ化され、和泉雅子とのコンビもはまり、英樹は日活唯一の任侠映画スターとして大量の任侠物に出演、大スターへの階段を登っていくのである。

後にヒデキが時代劇スターとして成功したのも、このときの任侠路線があったからであろうと私は思う。