昭和30年代!!
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テレビ番組「光子の窓」で人気沸騰!! 草笛光子

草笛 光子(くさぶえ みつこ、本名;栗田 光子、1933年10月22日 - )は、日本の女優。神奈川県横浜市神奈川区出身。身長158cm、妹は冨田恵子。作曲家の芥川也寸志は元夫。

虚弱傾向を克服するため小学生からバレエを始める。1950年には松竹歌劇団(SKD)に入団し、1953年に在籍中のまま、松竹(松竹京都撮影所)から映画「純潔革命」でデビュー。豊かな歌唱力を持ち味とした。

その後、1954年にSKDを退団し、1956年からの東宝専属を経てさまざまな分野で活躍する。特に1958年から放送のテレビ黎明期の音楽バラエティ『光子の窓』では洋窓から顔をのぞかせてテーマ曲を歌うオープニングが注目を集め、人気を博した。1960年に作曲家の芥川也寸志と結婚するも、結婚生活は2年で破綻。

華やかな貴婦人からうらぶれた婦人まで多彩な役柄を演じ、『社長シリーズ』をはじめとする東宝喜劇に多数出演。また成瀬巳喜男監督作品の常連であった。市川崑監督作品とも縁が深く、金田一耕助シリーズでは『犬神家の一族』(1976年)の犬神梅子役を筆頭にシリーズ全てに出演。2006年公開のリメイク版にも出演している。

日本ミュージカル界のパイオニア的存在でもあり、数々の大作に出演してきた。『私はシャーリー・ヴァレンタイン』などで芸術祭賞を3度も受賞。1999年には紫綬褒章、2005年には旭日小綬章を受章した。


おもな出演作

映画
哀愁日記(1955年)
大学は出たけれど(1955年) ‐ 沢田時子 役
絵島生島(1955年) ‐ 宇津 役
社長シリーズ(1956〜1970年) ‐ 社長の浮気相手 役
青い山脈(1957年) ‐ 北原 役
大当り三色娘(1957年)
名もなく貧しく美しく(1961年) ‐ 片山信子 役
放浪記(1962年) ‐ 日夏京子 役
日本一の色男(1963年) ‐ 雪桜 役
乱れる(1964年) ‐ 森田久子(長女)役
士魂魔道 大龍巻(1964年) ‐ 秀月尼 役
日本一のホラ吹き男(1964年) ‐ 清水花江 役
ホラ吹き太閤記(1964年) ‐ 瀬名 役
女の中にいる他人(1966年) ‐ 加藤弓子 役
乱れ雲(1967年) ‐ 江田文子 役
日本海大海戦(1969年) ‐ 東郷てつ 役
犬神家の一族(1976年) ‐ 犬神梅子 役
悪魔の手毬唄(1977年) ‐ 由良敦子 役
獄門島(1977年) ‐ お小夜 役 
姿三四郎(1977年) ‐ お仙 役
女王蜂(1978年) ‐ お富 役
火の鳥(1978年) ‐ イヨ 役
病院坂の首縊りの家(1979年) ‐ 雨宮じゅん 役
湾岸道路(1984年) ‐ 杉本郁子 役
それから(1985年) ‐ 長井梅子 役
極道の妻たち(1987年) ‐ 八橋松代 役
REX 恐竜物語(1993年) ‐ 伊藤早苗 役
シベリア超特急2(2001年) ‐ 楊玲玲 役
雪に願うこと(2006年) ‐ 矢崎静子 役
犬神家の一族(2006年) ‐ 香琴 役

テレビドラマ
NHK

繭子ひとり(1971年) ‐ 加野三輪子 役
元禄太平記(1975年) ‐ お伝の方 役
花神(1977年) ‐ 野村望東尼 役
草燃える(1979年) ‐ 丹後局 役
宮本武蔵(1984年) ‐ お甲 役
澪つくし(1985年) ‐ 吉武とね 役
イキのいい奴(1988年)
翔ぶが如く(1990年) ‐ お由羅 役
ゆっくりおダイエット(1994年)
八代将軍吉宗(1995年) ‐ 天英院 役
あぐり(1997年) ‐ 上原世津子 役
マッチポイント!(2000年)
葵徳川三代(2000年) ‐ 高台院 役
利家とまつ加賀百万石物語(2002年) ‐ 大政所 役
蝉しぐれ(2003年) ‐ 語り 役
昨日の友は今日の敵?(2004年) ‐ 日高早苗 役
どんど晴れ(2007年) ‐ 加賀美カツノ 役
日本テレビ

細雪(1965年)
青春とはなんだ(1965年〜1966年)
不信のとき(1968年)
熱中時代(1978年〜1981年) ‐ 天城綾子 役
若草学園物語(1983年)
勝海舟(1990年) ‐ 勝信子 役
外科医有森冴子(2000年)
警視庁鑑識班2004(2004年) ‐ 中山加奈子 役
たったひとつのたからもの(2004年) ‐ サトコ 役
真実の手記 BC級戦犯 加藤哲太郎「私は貝になりたい」(2007年) ‐ 篠田サチエ 役
火曜サスペンス劇場
取調室(2002年) ‐ 汐見ユカ 役
軽井沢ミステリー(2002年) ‐ 吉田妙子 役
TBS

ありがとう(1973年〜1974年)
赤い衝撃(1976年〜1977年) ‐ 大山鈴代 役
悪魔が来りて笛を吹く(1977年) ‐ 椿秋子 役
仮面舞踏会(1978年) ‐ 鳳千代子 役
茜さんのお弁当(1981年) ‐ 米持静 役
おんなは一生懸命(1987年〜1989年)
渡る世間は鬼ばかり(1990年〜) ‐ 山口政子 役
平清盛 (TBSドラマ)(1992年) ‐ 池禅尼 役
百年の物語(2001年) ‐ 横山イト 役
エ・アロール(2003年) ‐ 江波玲香 役
月曜ミステリー劇場
浅見光彦シリーズ(2004年) ‐ 丹野真実子 役
フジテレビ

大奥(1983年) ‐ 飛鳥井 役
グッドモーニング(1994年) ‐ 天野玉枝 役
美女か野獣(2003年) ‐ 楠本春子 役
結婚できない男(2006年) ‐ 桑野育代 役
テレビ朝日

氷点(1971年) ※当時はNETテレビ
必殺必中仕事屋稼業(1975年) ‐ おせい(語り) 役
必殺からくり人・血風編(1976年) ‐ おりく 役
江戸プロフェッショナル・必殺商売人(1978年) ‐ おせい 役
流転の王妃・最後の皇弟(2003年) ‐ 貞明皇后 役
菊次郎とさき(2003年〜2005年) ‐ 北野うし・ケテツの塚原 役
熟年離婚(2005年) ‐ 豊原喜久枝 役
てるてるあした(2006年) ‐ 鈴木久代 役
天使の卵-エンジェルス・エッグ(2006年) ‐ 高野寿美子 役
テレビ東京

家康が最も恐れた男 真田幸村(1998年) ‐ 寒松院 役

情報・バラエティー番組
光子の窓
アフタヌーンショー
SMAP×SMAP
たのきん全力投球!
ライオンのごきげんよう
2時のワイドショー
知ってるつもり?!
ためしてガッテン
森田一義アワー 笑っていいとも!
徹子の部屋
映像美の巨匠 市川崑
迷宮美術館

舞台
ラ・マンチャの男
シカゴ
光の彼なたに(1981年)
あかさたな(2001年)
Witウイット(2002年)
エイミィズ・ヴュー
この夏突然に
私はシャーリー・ヴァレンタイン
請願

アニメ
アガサ・クリスティーの名探偵ポワロとマープル(2004年) ‐ オバルセン夫人 役

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大島渚を支える小山明子

小山 明子(こやま あきこ、本名:大島 明子 旧姓・臼井 1935年1月27日 - )は、千葉県出身の女優。夫は映画監督の大島渚。

神奈川県立鶴見高等学校卒業後、ファッションショーに出演し「家庭よみうり」のカバーガールになったのがきっかけで、スカウトされて松竹入り。

1954年に松竹映画『ママ横をむいてて』でデビュー。当時、松竹の助監督だった大島渚と仕事を通じて知り合い1960年に結婚。翌年、松竹を退社した。

1963年に長男、1969年には次男を出産し息子2人の母となる。1976年放送のテレビドラマ『あかんたれ』(東海テレビ制作、フジテレビ系)にて、明治大正期に格式の厳しかった大阪船場の成田屋のご寮はん(お久)を好演(同作は30年以上破られてない歴代最高視聴率(平均11.1%)を記録した昼ドラマ史上に残る作品である)。1978年には『続あかんたれ』が製作され、前作同様にご寮はん役を好演した。

舞台や映画を中心に女優としても活躍していたが、1996年に夫の大島渚が脳出血で倒れてからは、長時間拘束される女優業から距離を置いて夫の介護に専念するようになる。

2001年に個人事務所である小山明子事務所を設立し、現在は介護をテーマにした講演会の講師やコメンテーターを中心に活動している。


著書
単著
1988年11月 『気だて気くばり気ばたらき』リヨン社、ISBN 4576881272
2000年12月 『いのち、輝く! もう一度メガホンを 大島渚を支えた介護の日々』経済界、ISBN 4766782151
2005年9月 『パパはマイナス50点 介護うつを越えて夫、大島渚を支えた10年』集英社、ISBN 4087813347

共著
1987年2月 『仲よきことは、メイワクか 私たちの人生作法』(大島渚と共著)、文化出版局、ISBN 4579302788
1991年5月 『男と女のちょっと気になる話』(大島渚と共著)、三笠書房、ISBN 4837904505







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ギューちゃんのあだ名が代名詞となった 加東大介

加東 大介(かとう だいすけ、1911年2月18日 - 1975年7月31日)は東京都生まれの俳優。本名、加藤徳之助。府立七中(現・東京都立墨田川高等学校)卒。歌舞伎役者を経て映画デビュー。代表作は『七人の侍』『大番』『南の島に雪が降る』。

兄は沢村国太郎、姉は沢村貞子という芸能一家に生まれる。宮戸座の座付き作者で演出助手だった父の影響で兄とともに歌舞伎の世界に入る。府立第七中学を卒業後、1929年に二世市川左団次に入門、1933年に前進座に入り、市川莚司を名乗る。まるまるとした肢体に似ぬ精悍さで、山崎進蔵(河野秋武)、市川扇升とともに前進座の若手三羽烏として活躍する。同年には大日本自由映画プロの『段七しぐれ』で映画デビュー、その後は山中貞雄監督の『河内山宗俊』(1936年)や『人情紙風船』(1937年)などに出演し、中堅俳優の一人として広く知られるようになる。

兵役を1933年に伍長勤務上等兵(後の兵長)で除隊し終えていたが、1943年に陸軍衛生伍長として応召。ニューギニア戦線で、兵士たちを鼓舞するための劇団づくりを命じられ、長谷川伸戯曲の『瞼の母』などを演じる。舞台に降る「雪」に故国を見た兵士たちの姿を描いた記録は、小説『南の島に雪が降る』に結実する。なお、その時劇団で一緒だったのが、漫画家小林よしのりの祖父である。戦後もたびたび彼の寺を訪れていたという。

1946年に復員するも、直後に戦地でかかった悪性マラリアが再発し、一時は危険な状態が続く。回復してからは再び役者として活動するが、左傾した前進座に嫌気が差して退団、兄の国太郎、姉の貞子とともに神技座を結成するも、運営が上手く続かず映画入りを決意する。1948年からは大映京都と専属契約し、同年の東横映画『五人の目撃者』では作品が現代劇であったことから、歌舞伎役者くさい莚司という芸名から加東大介に改名する。

1950年に黒澤明監督の『羅生門』に出演したのち、1951年秋にフリーとなり東宝に移籍する。以降、『生きる』(1952年)『七人の侍』(1954年)『用心棒』(1961年)をはじめ、黒澤作品の常連として出演。特に『七人の侍』では主役の七人のひとり・七郎次を演じる。1952年に黒澤脚本の『決闘鍵屋の辻』、成瀬巳喜男監督の『おかあさん』での明朗できびきびとした演技が批評家から絶賛され、1952年度の毎日映画コンクール、ブルーリボン賞の男優助演賞を受賞、1955年には今井正監督の『ここに泉あり』、内田吐夢監督の『血槍富士』で2度目のブルーリボン助演賞を受賞した。

持ち前の明るさや誠実さで多くの監督から可愛がられ、黒澤や成瀬の他にも小津安二郎などの作品にも常連俳優として出演し、この時期は監督運にも恵まれる。また1956年に東宝がダイヤモンド・シリーズと銘打った文芸映画『鬼火』で主演したことがきっかけで、監督の千葉泰樹に獅子文六の連載小説『大番』の主人公・株屋のギューちゃん役を抜擢され、加東はユーモラスでエネルギッシュな男を熱演し、映画は大ヒット。大番シリーズは4本も作られ、ギューちゃんのあだ名はそのまま加東自身の代名詞となるまでになった。また森繁久彌、小林桂樹と共演した社長シリーズでも軽妙な重役を演じるなど、日本映画にかかせない名脇役として人気を博した。

週刊朝日の夢声対談でニューギニアでの戦争体験を語ったところ、徳川夢声から是非執筆するよう強く勧められ、1961年に文藝春秋で『南海の芝居に雪が降る』を執筆。これにより第20回文藝春秋読者賞を受賞、ベストセラー小説となった。また小野田勇の脚色によって『南の島で雪が降る』の題でNHKでドラマ化され、その映画版でも加東自身が主演して大いに話題となる。

晩年は映画のみならず、テレビや舞台でも活躍、1971年には28年ぶりに前進座の舞台にも立った。1975年2月に結腸がんで入院、本人はガンであることは知らず、病院からレギュラー出演であるドラマの収録現場に通い続けたが、入院してから5ヵ月後の7月31日に64歳で死去した。遺作は6羽のかもめである。『七人の侍』の中では一番最初に鬼籍に入る。下町っ子らしい気っぷの良さで誰からも好かれた反面、一滴の酒も飲まないほどの真面目人間だったという。

甥には長門裕之、津川雅彦の役者一家。息子・加藤晴之は、黒澤明の娘・黒澤和子と結婚して孫・加藤隆之(俳優)が産まれるが離婚。

受賞歴
1952年 第7回毎日映画コンクール 男優助演賞:「おかあさん」、「荒木又右衛門 決闘鍵屋の辻」
1952年 第3回ブルーリボン賞 男優助演賞:「荒木又右衛門 決闘鍵屋の辻」
1955年 第6回ブルーリボン賞 男優助演賞:「血槍富士」、「ここに泉あり」
1961年 第20回文藝春秋読者賞:「南海の芝居に雪が降る」

著作
『南の島に雪が降る』光文社〈知恵の森文庫〉、2004年。

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若手二枚目トップスターとして活躍した川口浩

川口 浩(かわぐち ひろし、1936年8月22日 - 1987年11月17日)は映画俳優・タレント・探検家。東京生まれ。父は作家で大映専務の川口松太郎、母は女優の三益愛子。妻は女優の野添ひとみ。弟は俳優の川口恒、川口厚。妹は国重晶(陶芸家、元女優川口晶)。

慶應義塾高等学校中退後、俳優座演劇研究所に入学。1956年、映画『裁かれる十代』でデビュー。同年、初の主演作『処刑の部屋』で注目を集める。以降、大映現代劇の若手2枚目トップスターとして多くの映画に主演し、京マチ子、若尾文子、山本富士子、岸惠子らと共演。映画代表作に増村保造『妻は告白する』、小津安二郎『浮草』、市川崑『おとうと』などがある。

1962年に大映を退社以降は、テレビに活躍の場を移し、テレビドラマ『キイハンター』に出演。1969年、株式会社川口プロモーションを設立。フジテレビ競馬中継の司会・解説を努めるかたわら、1970年、川口浩探検隊の前身の『ザ・ショック!!』(日本テレビ系)を企画・出演。

1977年にスタートした『水曜スペシャル』(テレビ朝日系)「川口浩探検隊」シリーズ(全43回)が人気を博した。同シリーズは人気シリーズであったにもかかわらず、長らく再放送もビデオ化もされなかったが、2005年1月26日にユニバーサルから人気シリーズ6本が初めてDVD化された。

家族は、野添ひとみと2人の娘の4人家族だったが、悲運の生涯であった。1982年に母・三益愛子が死去。翌1983年に次女が死去。1985年に父・松太郎が亡くなるのと同時に本人も胃ガンと診断され、手術後に闘病生活に入るが、1987年11月17日に食道癌の為、死去。享年52(51歳没)。妻の野添も1995年に死去した。


出演作品

映画
「処刑の部屋」(1956年/大映東京/市川崑監督)
「満員電車」(1957年/大映東京/市川崑監督)
「くちづけ」(1957年/大映東京/増村保造監督)
「巨人と玩具」(1958年/大映東京/増村保造監督)
「浮草」 Floating Weeds (1959年/大映東京/小津安二郎監督) 
「おとうと」 Younger Brother (カンヌ国際映画祭フランス映画高等技術委員会賞受賞作品。1960年/大映東京/市川崑監督)
「妻は告白する」(1961年/大映東京/増村保造監督)

ドラマ
「キイハンター」
「ザ・ガードマン」(1965年〜1971年・TBS)
第171話/情無用サラリーマン稼業

第182話/サラリーマン・殺人旅行


バラエティ
「『水曜スペシャル』川口浩探検隊」(1977年〜1985年)
「日立 世界・ふしぎ発見!」
 「笑っていいとも」(テレフォンショッキング・ゲスト)

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コマキストと呼ばれて人気を得た女優 栗原小巻

栗原 小巻(くりはら こまき、本名同じ、1945年3月14日 - )は、東京都世田谷区出身の女優である。実父は劇作家の栗原一登(故人)。

桐朋女子を経て東京バレエ学校を卒業し後、1963年、劇団俳優座に入った。1968年の『三人姉妹』で注目を浴び、以降、舞台、テレビドラマを中心に活動している。

テレビでは1967年のNHK大河ドラマ『三姉妹』(末娘役)で知られるようになり、その後の大河ドラマ『樅ノ木は残った』での狂ってしまった娘役の迫真の名演技は話題となり、大河ドラマ『黄金の日日』(1978年)でも好演した。映画女優としても『ゴメスの名はゴメス』(1967年)で初出演。1972年の『忍ぶ川』で、加藤剛相手に大胆なラブシーンを見せ、一躍知られるようになった(毎日映画コンクール女優演技賞)。映画では他にも、『戦争と人間(第一部・第二部)』(1970年、1971年)、『サンダカン八番娼館 望郷』(1974年)、『八甲田山』(1977年)などがあり、『男はつらいよ』シリーズでは、『新・男はつらいよ』及び『柴又より愛をこめて』でマドンナ役を演じている。

ロシア・ソ連との繋がりも深く、1981年には日本で初めてソ連の演出家(A・エーフロス)を招いて行った舞台公演『櫻の園』に主演した。 日ソ合作映画にも主演(『モスクワわが愛』(1974年)、『白夜の調べ』(1978年)、『未来への伝言』(1990年))。『未来への伝言』では企画も担当した。

1991年の中国映画『乳泉村の子』(謝晋監督、中国題名『清涼寺鐘聲』)にも主演し、日本中国文化交流協会代表理事も務めるなど中国とのつながりも深い。

クラシック・バレエを特技とし、映画の中でもその姿が見られる。また、ダークダックスと共にロシア・ソ連の歌を紹介するテレビ番組に出演したことがあり、ソロでLPレコードを発売したこともある。

吉永小百合ファンが「サユリスト」と呼ばれたのに対し、栗原小巻ファンは「コマキスト」と呼ばれた。奇しくも吉永とは誕生日が1日違い。アイドル的存在として人気を分けたが、中年以降吉永が女優としての活動の主軸を映画に据えているのに対し、栗原はもともとのフィールドである舞台を中心としながらもテレビドラマの出演も少なくない。


テレビ
愛の劇場「殉愛」(1988年、TBS・松竹)松井須磨子役
女性作家サスペンス「晩餐会」(1988年、関西テレビ放送・松竹)
火曜サスペンス劇場「薔薇色の罠」(1989年9月、日本テレビ・松竹)
月曜ゴールデン「遠い国から来た男」(2007年7月、TBS)、山田太一・脚本

バラエティー番組
「三枝の愛ラブ!爆笑クリニック」(フジテレビ)
「快傑えみちゃんねる」(関西テレビ)
「たかじんnoばぁ〜」(よみうりテレビ)

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新聞社の給仕から俳優になった小林桂樹

小林 桂樹(こばやし けいじゅ、1923年11月23日 - )は、日本の俳優。群馬県群馬郡室田町(現・高崎市)出身。旧制群馬県立前橋中学校卒業、日本大学中退。俳優歴は60年を越え、今もなお第一線で活躍する大御所俳優である。暖かな人柄により、幅広い層から多大な人気を得ている。

父親が警察官という厳格な家庭に生まれる。桂樹の名はオリンピックの勝利のシンボルである月桂樹にちなんで命名したという。1934年に前橋市立桃の井小学校を卒業後は、宇都宮の陸軍幼年学校を受けるも不合格となり、県立前橋中学に進学。在学中は友人からよく映画などに誘われても、きちんと校則を守り、一度も映画館に足を運ばなかったというまじめ人間だった。1938年に卒業すると、父親が病死したため、千葉県市川市に住んでいた叔父を頼って一家が移転する。その後は、日本大学専門部芸術科に進むも学費が払えぬようになり、1941年に中退する。しかし、大学時代にアルバイトで朝日新聞社の給仕をやって、映画評論家や映画記者などと接するうちに、映画の世界に憧れを持つようになる。平凡なサラリーマンにはなるまいと誓い、また叔父にも勧められたことから、役者を目指して同年に日活、東宝、松竹の入社試験を受け、日活へ入社。1942年に『微笑の国』の工員役でデビューする。翌1943年に日活解散と共に大映に移籍し、『菊池千本桜』で松尾大尉役で出演するも、なかなか才能が芽生えず、折からの第二次世界大戦により満州への徴兵生活も加わって、苦しい時代をすごす。

終戦により復員して、1946年の『君かと思ひて』が戦後初出演、折原啓子の恋人を演じて二枚目として売り出す。1951年『その人の名は言えない』で急遽出演できなくなった千秋実の代役に主演したことがきっかけで、二枚目でもない三枚目でもない独自の演技が周囲に認められはじめ、次第に頭角をあらわす。1951年に東宝で主演したサラリーマン物『ホープさん』でそのユーモラスで明るいキャラクターが注目され、1952年に藤本真澄に誘われて東宝と契約。森繁久弥演じる一連の社長シリーズ(1956年〜1971年)のすべてに出演。真面目で頑なな秘書役など、平凡で健全な一般庶民を演じて人気を得た。

1955年に今井正監督の『ここに泉あり』で毎日映画コンクール助演男優賞を受賞、1958年には百本記念映画として制作された『裸の大将』で実在の天才画家・山下清を演じ、同映画コンクール主演男優賞に輝く。精薄者を馬鹿にした映画だと一部からは非難されたが本物の山下清と見まごうばかりの熱演で、劇中でどもりながらの台詞「兵隊の位にすると…」は流行語になった。1960年に『黒い画集・あるサラリーマンの証言』、1961年には松山善三の監督デビュー作『名もなく貧しく美しく』に主演し、喜劇のみならずシリアスなドラマにでも活躍、特に『黒い画集』ではキネマ旬報男優賞、ブルーリボン大衆賞、毎日映画コンクール主演男優賞と、各映画賞を総なめにした。演技に円熟味を増した1963年には岡本喜八監督、山口瞳原作の『江分利満氏の優雅な生活』で、戦中派の中年サラリーマンを演じ、毎日映画コンクール主演男優賞、日本映画記者会賞最優秀男優賞を受賞するなど、名実共にトップスターとなった。『裸の大将』や『黒い画集』などで小林と長く接してきた堀川弘通監督に「きわめて平凡な人間の姿から非凡な演技がほとばしり出るかけがえのない俳優」と評される。

しかし、映画界が衰退していくにつれ、小林に向く企画も減り始めてからは、植木等の無責任男や加山雄三の若大将の台頭もあって、次第に小林の演じる庶民像は時代とのズレが目立ち、批評家からは戦前の古いモラルの殻からぬけきれず、戦後の時代になってもそれを背負って生きている、良くも悪くも戦中派の代表格と評されるようになる。またこの頃から、テレビの出演が増え始め、その明るいキャラクターから1966年にはNTVの『おはよう日本』の司会者に抜擢されたが、視聴率が上がらず降板する。

映画化された当時のベストセラー小説『日本沈没』(小松左京)では、日本の危機を示唆する重要な役所である田所博士を好演している。1983年にはフジテレビの『森田一義アワー笑っていいとも!』のテレホンショッキングに出演。1984年には9年ぶりに復活した『ゴジラ』で三田村清輝内閣総理大臣役を演じ人気を博す。

現在も、テレビ朝日『牟田刑事官事件ファイル』の主役を勤めており、番組自体も長年のロングランとなっている。2001年にはNHKの金曜時代劇『山田風太郎からくり事件帖〜警視庁草紙より〜』出演期間中に緊急入院するなど健康状態も危ぶまれたが、最近ではツーカーの「ツーカーS」の携帯電話のCM出演(CMでは、小林桂樹が頑固な父を演じ、娘や奥さんから「カンタンだから」と携帯を薦められても、「今までカンタンと言ってカンタンなものはない」と言って断固使わんぞ態度ながら、誰もいなくなってから使ってみて「カンタン」を実感するというストーリーで、「カンタン」をイメージさせている。)でその健在ぶりをアピールしている。

アニメーションでは、ウォルト・ディズニーの『わんわん物語』の主人公・トランプと、スタジオジブリ制作の映画『耳をすませば』の「地球屋」の主人・西司郎(主人公の恋人の祖父)を、難しい役所ながらも滋味あふれる声で見事に表現した。

ちなみに甥にあたるさいとうあきひこはNHK『ステージ101』に出演。ヤング101のメンバーとして活躍した実績を持ち、音楽活動を続けていた。


出演作品

映画
マライの虎(1943年、大映) - ハッサン 
窓から飛び出せ(1950年、新東宝)
有頂天時代(1951年、新東宝)
めし(1951年、東宝)
ラッキーさん(1952年、東宝)
プーサン(1953年、東宝)
太平洋の鷲(1953年、東宝)
ここに泉あり(1955年、中央映画)
驟雨(1956年、東宝)
大番(1957年、東宝)
裸の大将(1958年、東宝) - 山下清
社長太平記(1959年、東宝)
日本誕生(1959年、東宝)
ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐(1960年、東宝)
名もなく貧しく美しく(1961年、東宝)
小早川家の秋(1961年、東宝)
椿三十郎(1962年、東宝)
放浪記(1962年、東宝)
江分利満氏の優雅な生活(1963年、東宝)
けものみち(1965年、東宝)
女の中にいる他人(1966年、東宝)
日本のいちばん長い日(1967年、東宝)
新撰組 (1969年)土方歳三役
幻の殺意(1971年、東宝)
日本沈没(1973年、東宝)
男はつらいよ 葛飾立志篇(1975年、松竹)
八甲田山(1977年、東宝・シナノ企画)
連合艦隊 (1981年、東宝)
ハイティーン・ブギ(1982年、東宝)
ゴジラ(1984年、東宝)
そろばんずく(1986年、フジテレビ・AtoZ・ニッポン放送)
マルサの女(1987年、東宝)
刑事物語5・やまびこの詩(1987年、東宝)
YAWARA! (1989年、東宝、MYCALグループ):猪熊滋悟郎役
耳をすませば(1995年、徳間書店、日本テレビ、博報堂、スタジオジブリ)※声の出演
あの、夏の日−とんでろじいちゃん(1999年、プライド・ワン、ピー・エス・シー)

テレビ
金曜ドラマ 赤ひげ (1972年10月〜1973年9月 NHK):新出去定役
日本沈没 (1974年10月〜75年3月 TBSテレビ):田所博士役
江戸の旋風U〜 (1976年4月〜1978年4月、フジテレビ)
大河ドラマ 風と雲と虹と(1976年、NHK)
冬の桃(1977年、NHK):西東三鬼役
すぐやる一家青春記(1977年7月〜10月、TBS)
江戸の渦潮(1978年5月〜11月、フジテレビ)
江戸の激斗(1979年5月〜12月、フジテレビ)
江戸の朝焼け(フジテレビ、1980年)
仕掛人・藤枝梅安(フジテレビ)
大河ドラマ 徳川家康(1983年、NHK)
土曜ワイド劇場 牟田刑事官事件ファイルシリーズ(1983年〜、テレビ朝日)
大河ドラマ 春の波涛(1985年、NHK)
火曜サスペンス劇場 弁護士・朝日岳之助シリーズ(1989年〜2005年、日本テレビ):朝日岳之助 役
イエローカード(1993年、TBS)
連続テレビ小説 かりん(1993年10月〜1994年4月)
東芝日曜劇場 お兄ちゃんの選択(1994年、TBS)
ドラマ新銀河 今夜もごちそうさま(1997年、NHK)
土曜ワイド劇場 牟田刑事官VS終着駅の牛尾刑事そして事件記者冴子シリーズ(2001年〜2005年、テレビ朝日)
マグロ(2007年1月4日・5日、テレビ朝日):石田・組合長 役
拝啓、父上様(2007年、フジテレビ)

以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。







か行

松竹の看板スターだった 岸恵子

岸 惠子(きし けいこ。1932年8月11日 - )は、女優・文筆家。神奈川県横浜市生まれ。 血液型はA型。身長161cm。体重47kg。舞プロモーション所属。

来歴
1951年 - 松竹に入社し、映画「我が家は楽し」でデビュー。
1952年 - 「坊ちゃん重役」で鶴田浩二と佐田啓二の相手役を務める。5月、松竹の看板スター鶴田が戦後のスタープロ第1号となる新生プロを設立して独立し松竹に打撃を与え、第一作として新東宝配給「弥太郎笠」の制作にあたって鶴田の相手役のヒロインとして岸をとオファーを出す。松竹はもちろんこれを拒否したため岸は辞表を出す。松竹が折れてこの映画に出演できることになり、続いて新生プロの「ハワイの夜」でも鶴田と共演して大ヒットとなる。この頃、鶴田との大ロマンスがセンセーショナルに報道されていたが、松竹に強引に別れさせられることとなる。
1953年〜1954年には映画「君の名は」3部作が大ヒットする。以降、松竹の看板女優として絶大な人気を誇った。
1956年 - フランス&日本合作映画「忘れえぬ慕情」に出演し、日本を代表する国際女優に。
1957年 - その撮影がきっかけでフランス人の映画監督イヴ・シャンピ(Yves Ciampi)と結婚。フランスで作家・川端康成の立会いのもと挙式。以降、パリに居を構え、フランスと日本を往復しながら女優を続け「空飛ぶマダム」と言われた。
1963年 − 1人娘のデルフィーヌ=麻衣子・シャンピを出産。しかし、1975年にイヴ・シャンピと離婚。娘・デルフィーヌは彼女が女手一つで育てた。
1996年 - 国連人口基金親善大使に任命。
戦時中は当時の女性としては大柄で顔立ちも彫りが深かった為に外国人と疑われたと本人は語っている。また空襲警報が鳴り、一斉に防空壕へ避難指示が出た時に、何となくそこへ逃げるのが嫌で躊躇していると防空壕に爆弾が落ち、直感で助かったというエピソードも披露している。
女優生活56周年を迎えた現在も衰えを知らぬ美貌で第1線の活躍を続けており、また、年齢を感じさせないプロポーションと優れた知性とファッションセンスも「これから長い先も岸さんのように時を重ねたい」と若い女優や女性達から圧倒的な支持を得ている。

主な出演作品

日本映画
 『我が家は楽し』  (1951年/※ビデオ化)
 『獣の宿』  (脚本:黒澤明/1951年/※ビデオ化)
 『恋文裁判』  (1951年)
 『母恋草』  (1951年)
 『母待草』  (1951年/※ビデオ化)
 『南風』  (1951年)
 『鞍馬天狗 鞍馬の火祭』  (1951年/※DVD発売)
 『吃七捕物帖 一番手柄』  (1951年)
 『ひばりのサーカス 悲しき小鳩』  (1952年/※DVD発売)
 『唄くらべ青春三銃士』  (1952年)
 『旗本退屈男 江戸城罷り通る』  (1952年/※ビデオ化)
 『次郎吉格子』  (1952年/※ビデオ化)
 『本日休診』  (キネマ旬報ベストテン第3位/ヒット/1952年/※ビデオ化)
 『風流活殺剣』  (1952年)
 『相惚れトコトン同志』  (監督:川島雄三/1952年)
 『銀座巴里』  (1952年)
 『郷愁』  (脚本:橋田壽賀子/1952年/※ビデオ化)
 『坊ちゃん重役』  (1952年)
 『弥太郎笠』  (1952年/※ビデオ化)
 『ハワイの夜』  (ハワイロケが行われた/1953年/ヒット/※DVD発売)
 『旅路』  (1953年/※ビデオ化)
 『乙女の診察室』  (1953年/※ビデオ化)
 『君の名は 第1部』  (1953年9月/映画「ひめゆりの塔」の記録を抜き空前の大ヒット。 以後、第2部、第3部が記録を更新/※DVD発売)
 『君の名は 第2部』  (1953年12月/大ヒット/※DVD発売)
 『景子と雪江』  (1953年)
 『憲兵』  (1953年/※ビデオ化)
 『獅子の座』  (1953年/※ビデオ化)
 『疾風からす隊』  (1953年)
 『ひばりの歌う玉手箱』  (1953年/※ビデオ化)
 『女の園』  (監督:木下恵介/キネマ旬報ベストテン第2位/1954年/※DVD発売)
 『家族会議』  (1954年/ヒット)
 『花と竜 第二部・愛憎流転』  (1954年)
 『陽は沈まず』  (1954年/大ヒット)
 『おとこ大学 婚前教育の巻』  (1954年)
 『三つの愛』  (監督:小林正樹/1954年)
 『えくぼ人生』  (1954年)
 『母の初恋』  (原作:川端康成/1954年)
 『君の名は 第3部』  (1954年/大ヒット/※DVD発売)
 『何処へ』  (1954年)
 『あなたと共に』  (1955年)
 『たけくらべ』  (原作:樋口一葉/1955年/※ビデオ化)
 『修禅寺物語』  (1955年/初のカラー映画出演/大ヒット/※ビデオ化)
 『ここに泉あり』  (監督:今井正/キネマ旬報ベストテン第5位/1955年/※DVD発売)
 『亡命記』  (監督:野村芳太郎/大ヒット/1955年)
 『東京−香港・蜜月(ハネムーン)旅行』  (監督:野村芳太郎/1955年)
 『お役者小僧・江戸千両幟』  (1955年)
 『忘れじの人』  (1955年)
 『太陽は日々に新たなり』  (監督:野村芳太郎/1955年)
 『君美しく』  (1955年)
 『白い橋』  (1956年)
 『君のうたごえ』  (1956年)
 『忘れえぬ慕情』 Typhon sur Nagasaki (日本&フランス合作映画/共演:ダニエル・ダリュー(Danielle Darrieux)、ジャン・マレー(Jean Marais)、ゲルト・フレーベ(Gert Fröbe)/撮影監督は映画「ローマの休日」も担当したアンリ・アルカン(Henri Alekan)/大ヒット/1956年)
日本公開の翌1957年2月6日、パリで公開。同年2月13日、フランス全国33都市で公開。ほか、ドイツ、イギリス、イタリア、オランダ、ベルギー、スウェーデン、スイスでも公開された。製作費は当時の4億8千万円。
 『早春』 Early Spring (監督:小津安二郎/キネマ旬報ベストテン第6位/1956年/※DVD発売)
 『朱と緑』  (1956年/ヒット。/※ビデオ化)
 『力道山・男の魂』  (1956年)
 『松竹まつりスタア総動員 スタジオ超特急』  (1956年)
 『松竹まつりスタア総動員 女優誕生』  (1956年)
 『壁あつき部屋』  (監督:小林正樹/1956年。完成は1953年)
 『あなた買います』  (監督:小林正樹/キネマ旬報ベストテン第10位/1956年/※ビデオ化)
 『「雲の墓標」より・空ゆかば』  (1957年/※ビデオ化)
 『雪国』  (原作:川端康成/監督:豊田四郎/ヒロインの駒子役/1957年/※DVD発売)
 『風花』  (監督:木下恵介/1959年/ヒット/※DVD発売)
 『おとうと』 Younger Brother (第14回カンヌ国際映画祭フランス映画高等技術委員会賞受賞作品/監督:市川崑/キネマ旬報ベストテン第1位/1960年/※DVD発売)
 『敵は、本能寺にあり』  (1960年)
 『黒い十人の女』  (監督:市川崑/キネマ旬報ベストテン第10位/近年、リバイバル上映されヒット/1961年/※DVD発売)
 『スパイ・ゾルゲ/真珠湾前夜』 Qui êtes-vous, Monsieur Sorge? (日本&フランス合作映画/※共演は、映画「ブリキの太鼓」などが有名なドイツの名優マリオ・アドルフ(Mario Adorf)/1961年)
 『からみ合い』  (監督:小林正樹/1962年/※ビデオ化)
 『お吟さま』  (監督:田中絹代/1962年/※ビデオ化)
 『怪談』 Kwaidan (カンヌ国際映画祭審査員特別賞受賞作品/第38回アカデミー外国語映画賞本選ノミネート作品/監督:小林正樹/キネマ旬報ベストテン第2位/原作:ラフカディオ・ハーン/大ヒット/1964年/※DVD発売)
 『華麗なる闘い』  (1969年)
 『約束』  (キネマ旬報ベストテン第5位/1972年/共演は萩原健一/※ビデオ化)
 『男はつらいよ 私の寅さん』(監督:山田洋次/マドンナ役/1973年/ヒット/※DVD発売)
 『化石』  (監督:小林正樹/キネマ旬報ベストテン第4位/フジテレビの連続ドラマを編集し、未放映場面を加え劇場公開/1975年/※DVD発売)
 『雨のアムステルダム』  (※共演は「約束」に続いて萩原健一、映画「悪魔が夜来る」「恋人たち」「甘い生活」「サテリコン」などが有名なフランスの名優アラン・キュニー(Alain Cuny)/監督:蔵原惟繕/1975年/※ビデオ化)
 『悪魔の手毬唄』  (監督:市川崑/キネマ旬報ベストテン第6位/大ヒット/1977年/※DVD発売)
 『女王蜂』  (監督:市川崑/1978年/※DVD発売)
 『闇の狩人』  (監督:五社英雄/1979年/※DVD発売)
 『古都』  (原作:川端康成/監督:市川崑/共演:山口百恵/大ヒット/1980年/※DVD発売)
 『細雪』  (監督:市川崑/キネマ旬報ベストテン第2位/3度目の映画化/大ヒット/1983年/※DVD発売)
 『生きてはみたけれど 小津安二郎伝』  (1983年/※ビデオ化)
 『式部物語』  (監督:熊井啓/1990年/※DVD発売)
 『天河伝説殺人事件』  (監督:市川崑/1991年/※DVD発売)
 『彼女が結婚しない理由(わけ)』  (監督:大林宣彦/1992年/※ビデオ化)
 『かあちゃん』  (監督:市川崑/2001年/※DVD発売)
 『たそがれ清兵衛』 The Twilight Samurai (第76回アカデミー外国語映画賞本選ノミネート作品/監督:山田洋次/キネマ旬報ベストテン第1位/2002年/※DVD発売)
 『俺は、君のためにこそ死ににいく』  (2007年5月12日公開/共演:窪塚洋介ほか/主題歌:B'z「永遠の翼」)

外国映画
 Du rififi à Tokyo (※日本未公開。フランス&イタリア合作映画。1962年。共演:シャルル・ヴァネル(Charles Vanel。映画「恐怖の報酬」でカンヌ国際映画祭主演男優賞を受賞したフランスの名優)、カールハインツ・ベーム(Karlheinz Böhm)、バルバラ・ラス(Barbara Lass))
 『太陽が目にしみる』 Los Pianos mecánicos (スペイン&フランス&イタリア&旧西ドイツ合作映画。1965年。共演:ジェームズ・メイソン(James Mason)、メリナ・メルクーリ(Melina Mercouri)、ハーディ・クリューガー(Hardy Krüger)、ルノー・ヴェルレー(Renaud Verley)、ディディエ・オードパン(Didier Haudepin))
 『ザ・ヤクザ』 The Yakuza (アメリカ映画。1974年。共演:ロバート・ミッチャム(Robert Mitchum)、高倉健、リチャード・ジョーダン(Richard Jordan)、ブライアン・キース(Brian Keith))

テレビドラマ
「真夜中の太陽」 Vol 272 (日本&フランス(RTF)合作ドラマ。1964年)
「太閤記」(NHK大河ドラマ、1965年)
「レモンのような女」(TBS、1967年。 ※DVD発売)
「恋歌」(TBS系、1969年。監督:吉村公三郎)
「赤い疑惑」(TBS、1975年。共演:宇津井健、山口百恵。岸が演じた「パリのおばさま」は今でも語り継がれている)
「赤い激突」(TBS、1978年。共演:宇津井健、前田吟)
「マリア」(TBS、2001年。共演:浅野温子、後藤真希、菊川怜)
「こころ」(NHK朝の連続テレビ小説、2003年。共演:中越典子、玉木宏。ヒロインの中越の祖母役。ナレーションも担当した)
「末っ子長男姉三人」(TBS、2003年。共演:岡田准一(V6)、深津絵里)
「ワルシャワの秋」(フジテレビ、2003年。共演:竹内結子、坂口憲二。※DVD発売)
「あの日にかえりたい。東京キャンティ物語」(日本テレビ、2004年。インタビューゲスト)
「ドラマ・コンプレックス 火垂るの墓」(日本テレビ、2005年。共演:松嶋菜々子、井上真央)
「ドラマ・コンプレックス 嘘をつく死体」(原作:アガサ・クリスティ「パディントン発4時50分」、日本テレビ、2006年4月11日)
「火曜ドラマゴールド 大女優殺人事件」(原作:アガサ・クリスティ「鏡は横にひび割れて」、日本テレビ、2007年1月9日)
「母とママと、私。―10年目の再会―」(テレビ朝日、2007年1月28日。共演:夏川結衣)
「火曜ドラマゴールド 予告殺人」(原作:アガサ・クリスティ「予告殺人」、日本テレビ、2007年3月6日)

その他の主なテレビ番組
「ウィークエンドパリ」 ※司会(NHK-BS)
「ニュースステーション」 ※パリからのキャスターとして出演(テレビ朝日)
「知ってるつもり?!」(日本テレビ)
「レディス4」(テレビ東京)
「すばらしき仲間」(TBS)
「岸惠子の時代気分」 ※司会(テレビ神奈川)
「徹子の部屋」(テレビ朝日。複数回出演していて、一番最近の出演は2007年5月8日)
「はなまるマーケット」 ※はなまるカフェゲスト(TBS)
「追跡」(「君の名は」がテーマの回。日本テレビ)
「おしゃれ」(日本テレビ)
「ザ・ワイド」(日本テレビ)
「森田一義アワー 笑っていいとも!」※テレフォンショッキングゲスト(2005年5月17日。フジテレビ)
「スタジオパークからこんにちは」(NHK総合)
「さんま・玉緒・美代子のいきあたりばったり珍道中」 ※映画「景子と雪江」「黒い十人の女」で岸と共演した中村玉緒たっての希望でパリ編にゲスト出演(フジテレビ)
「脱線問答」(NHK総合)
「クイズ日本人の質問」(NHK総合)
「生活ほっとモーニング」(NHK総合、2007年5月18日)
「いい人・E話」(テレビ東京)
「いつでも笑みを!」 ※ゲスト(関西テレビ、フジテレビ系全国ネット)
「SHISEIDOスペシャル岸惠子のとっておきフランス旅〜私が愛した人・食・風景〜」(テレビ朝日)
「岸惠子ヨーロッパに見るよみがえる熟年=v(TBS)
「シネマパラダイス」(NHK BS-2)
「週刊ブックレビュー」(NHK BS-2)
「映像美の巨匠 市川崑」(NHK BS-2)
「新日曜美術館」(NHK教育テレビ)
「知るを楽しむ・人生の歩き方」(NHK教育テレビ)
「エーゲ海の風に吹かれて〜岸惠子輝きのギリシャ紀行〜」(テレビ朝日)
「プライムタイムニュース」 ※ゲスト出演(NHK BS-1)
「イスラエル」(NHK-BS)
「岡田嘉子の失われた10年をたづねて」 ※ロシアロケ。(NHK-BS)
「ネイチャリングスペシャル第1回〜ナイル(=ナイル川)6,700キロ、最初の一滴を求めて〜」(テレビ朝日) ※娘・デルフィーヌ=麻衣子・シャンピとの紀行番組。ビデオ化もされた。

CM
「資生堂」
「AGF マリーム」
「レディーボーデン」 (成人した娘・デルフィーヌと出演)

受章・受賞歴
1955年 - 映画「亡命記」
第2回アジア太平洋映画祭 主演女優賞
1960年 - 映画「おとうと」
第11回ブルーリボン賞 主演女優賞
第15回毎日映画コンクール 主演女優賞
1990年 - 第45回毎日映画コンクール 田中絹代賞
1995年 - 第5回日本映画批評家大賞 ゴールデン・グローリー賞
2001年 - 映画「かあちゃん」
第25回山路ふみ子映画賞 山路ふみ子文化財団特別賞
第14回日刊スポーツ映画大賞 主演女優賞
第25回日本アカデミー賞 最優秀主演女優賞
2002年 - 映画「たそがれ清兵衛」
第26回日本アカデミー賞 優秀助演女優賞
2002年 - フランス政府芸術文化勲章オフィシエ
2003年 - 旭日小綬章

著書
「巴里の空はあかね雲」(新潮社。文芸大賞エッセイ賞。※自らが朗読したカセットブックも発売された。録音後、「さすがに、自分のことを読むのは恥ずかしかったわ」と語っている)
「砂の界へ」(文芸春秋)
「ベラルーシの林檎」(朝日新聞社。日本エッセイストクラブ賞。表紙のデザインは娘・デルフィーヌが担当した) 
「30年の物語」(講談社)
「風が見ていた」(新潮社。エッセイではなく、本格的な小説に挑戦)
「私の人生ア・ラ・カルト」(講談社)
「私のパリ 私のフランス」(講談社)

以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。







か行

ドル箱「座頭市」で一世を風靡した男 勝新太郎!

勝 新太郎(かつ しんたろう、1931年11月29日 - 1997年6月21日)は、日本人の俳優。歌手活動もしていた。本名は奥村利夫(おくむら としお)。愛称は「かつしん」。長唄三味線の杵屋勝東治の次男。東京都江東区深川の生まれ。妻は中村鴈治郎 (2代目)の長女で同じ大映の女優・中村玉緒。兄は若山富三郎。長男は鴈龍太郎。

10代は長唄と三味線の先生として、深川の芸者に稽古をつける。長唄名は杵屋勝丸(2代目)。1954年アメリカ巡業の最後に、撮影所で紹介されたジェームス・ディーンと出会い映画俳優になることを決意し、転向。23歳の時に大映京都撮影所と契約、1954年の『花の白虎隊』でデビュー。大映社長永田雅一は勝を可愛がり、白塗りの二枚目として市川雷蔵に次ぐ役者として熱心に主要な役を与え続けたがさっぱり人気は出なかった。同年代の雷蔵、山本富士子、若尾文子が早々と大スターとなり君臨する中、憧れの長谷川一夫そっくりのメークも板につかず、客があまりに入らないので映画館の館主達からは「いい加減に勝を主役にした映画を作るのはやめてくれ」と苦情が絶えなかったほどだった。

しかし白塗りの二枚目を捨てた1960年の『不知火検校』で勝は本領を発揮しはじめる。翌1961年、中村玉緒と婚約。一匹狼のやくざ・朝吉役で主演した『悪名』(田中徳三監督、今東光原作、依田義賢脚本、田宮二郎共演)で共演。その中で肉屋の女中・お絹役の玉緒に朝吉が「きっと妻にします」と一札を入れるシーンがある。この映画が最初の大ヒットとなりシリーズ化。1962年3月5日、永田の媒酌で結婚。 続く『座頭市』『兵隊やくざ』で絶大なる人気を獲得し、1963年には、長谷川、山本が大映を退社する中、勝は一躍大映の大黒柱の一人となる。特に一連の座頭市シリーズでの演技は評価が高く、日本のみならずアジア各地でも上映され、勝の代表作にまでなる。

1967年に勝プロダクションを設立、自ら映画製作に乗り出す。大手五社によるブロックブッキング体制・五社協定崩壊の中、三船敏郎の三船プロ、石原裕次郎の石原プロ、中村錦之助(萬屋錦之介)の中村プロなどスター・プロの流れに呼応。 当時、経営が傾いていた大映が飛びついていた若者向けの暴力・エロ・グロ路線とは一線を画し、三隅研次、安田公義、森一生、増村保造ら大映出身の監督たちと時代劇の伝統を絶やさぬよう製作を続け、勅使河原宏、斎藤耕一、黒木和雄らアバンギャルドな異才とも製作で手を組んだ。また『男一匹ガキ大将』、実兄・若山富三郎主演の『子連れ狼』、自身も主演した『御用牙』など、マンガ・劇画を映画化するという新機軸の中にはヒットしたものもあり、テレビドラマ製作にも進出。1970年代前半には映画製作者として一時代を築き、日本のみならず東南アジアの映画マニアに影響を与えた。 1971年、大映の最末期に製作・監督・脚本・主演をこなした『顔役』は撮影所での映画作りの決まりごとをすべて破って作られている。

1974年から1979年にかけて座頭市をテレビドラマとして合計4シーズン、全100話を製作する。

プライベートでのトラブルが絶えず、1978年に、アヘンの不法所持で書類送検される。

1979年には黒澤明監督の映画「影武者」の主役に抜擢されるが、監督と衝突して降板。

1981年に勝プロダクションは12億の負債を残し倒産した。会見時に「勝新太郎は負けない」と述べ、借金と戦っていくことを宣言する。翌年1982年中村玉緒を社長とした勝プロモーションを設立する。

1989年に長年の沈黙を破り、自らの製作・監督・脚本・主演により『座頭市』を完成させたが、長男・奥村雄大(現・雁龍太郎)が真剣を使い殺陣の撮影中、死体となっている役の役者を刺し死亡させてしまう。これが勝新太郎の最後の製作映画となった。1990年の黒木和雄監督の『浪人街』が最後の映画出演となり、以後は舞台などで主演を務める。

1990年1月16日にアメリカ合衆国ハワイ州のホノルル空港で、下着にマリファナとコカインを入れていて、現行犯逮捕される。記者会見で「今後は同様の事件を起こさないよう、もうパンツをはかないようにする」「なぜ、私どもの手にコカインがあったのかって事を知りたい。俺が知りたい。」と最後までとぼけ通した。結局誰から麻薬を受け取ったのか、最後まで口を割ることはなかった。裁判では「傍聴者」を「観客」と呼び、客を楽しませる台本まで考えてから出廷したといわれている。

1982年に母・八重子が死去した際、「俺を産んでくれたところに顔を埋めてキスをしたよ」と発言。1992年、兄、若山が死去、納骨式の際、カメラの前で兄の遺骨を食べ、涙を流した。1996年、父であり長唄の長老、杵屋勝東治が死去。父がなくなる数日前から添い寝し、施主も務めた勝は墓前での納骨式の際、火葬場でこっそり懐に入れた遺骨の一部を取り出して泣きながら食べ、「とうとうお別れだけど、これで父ちゃんは俺の中に入った」とコメント。このように、勝の肉親への強い思い入れを改めて印象付けた。

1996年7月に下咽頭癌を発病し手術をせずに、抗癌剤と放射線治療を行なった。入院中も外出を繰り返し寿司や酒を楽しみ、煙草は絶対に止めなかった。約4ヶ月後の同年11月の手術後の記者会見では「煙草はやめた」と言いながら堂々と喫煙した。(一説には療養中は禁煙し、後の喫煙はパフォーマンスだったとも言われている)

晩年は、トライデントシュガーレスガムのCMにも出演していた。

最後の舞台は大阪新歌舞伎座で、中村玉緒と「夫婦善哉」で夫婦役を演じた。

1997年6月21日、下咽頭癌で死去。享年65。

余談
晩年は好きだったB'zのライブにも度々顔を出していた。もともとB'zを聴くようになるきっかけとして、B'zのボーカル稲葉浩志との出会いがある。とある居酒屋で勝が飲んでいたところ、そこに稲葉が来店し、その瞬間一目惚れをしたらしい。「裕次郎以来、最高の男を見た気分だ」と稲葉を絶賛、俳優としてデビューさせようと試みるも、稲葉がB'zのボーカルであった事が分かり諦める。その後、時間の許す限り自ら購入したチケットでライブに訪れていた。ある横浜でのライブに感動した勝はいきなりステージに上がり、稲葉に兄・富三郎の形見の品であるテンガロンハットをプレゼントしている。このテンガロンハットは今現在も稲葉の宝物として、稲葉のプライベートスタジオに大事に飾られていると稲葉本人が発言。病気の療養の為入院した時も、稲葉から贈られた彼のソロアルバム「マグマ」を亡くなるまで何度も聴いた。勝の亡くなった後、B'zは勝へ捧げたとされる曲(「Shower」〜アルバム「SURVIVE」に収録〜)を製作した。また、中村玉緒は「最後にもう一度だけでいい、稲葉さんに会わせてあげたかった」と発言している。
生前、カーペンターズの曲をよく聴いていた。その為、妻・中村玉緒がトリビアの泉にゲスト出演し、カーペンターズに関するネタが出た時「(私、これだけは英語でもよく聴いていました。)主人がよく聴いてて・・…」と言っていた。
60年代後半にはいると大映で雷蔵、京マチ子、若尾に次ぐギャラをもらうようになっており、永田社長に「これだけギャラを上げてくれ」と指2本を出したが、永田は断った。そのため、ストライキを敢行し、結果的に永田が折れる形で決着が着いた。しかし、ギャラが映画1本に付き200万上がり500万円になったため勝は驚いた。何故なら、「20万円上げて欲しかった」事を勘違いされたのである。これで長らく大スターに君臨する同期の雷蔵をも上回る大映NO.1となったと勝は語る。しかしすぐに雷蔵のギャラも500万円となり並んだ。全盛期をとっくに過ぎた映画界としては珍しい太っ腹なエピソードである。三隅研次監督は「経営不振にもかかわらず、永田社長がいかにどんぶり勘定で経営していたかを示すエピソードのひとつだ」と語る。ちなみに入社当時の勝のギャラは1本に付き3万円、雷蔵は1本に付き30万円+ハイヤーの送迎付きであった。雷蔵にライバル心を燃やす勝は自費でハイヤーに乗っていた。
ブレイク前のミスターマリックのショーに感激し、そのときの全ての所持金の約50万円をチップで渡した事がある。
「俺から遊びを取ったら、何も残らない」と豪語し、豪遊は当たり前だった。実兄の若山は下戸であるが、勝は若い頃から大酒のみで座持ちは抜群。得意の三味線や歌、愉快な話を披露し、芸者達をも楽しませた。しかも、取り巻きが飲んでいる間に徐々に増え、最初10人ほどだったのが100人近くに増えることはザラだったという。もちろん、勝が全て支払っていた。同期入社で若い頃より長者番付に入っていた雷蔵がスタッフを飲みに連れて行っても割り勘であったのとは大違いであった。不摂生な生活で肥満し役柄も限定されるようになり、大映倒産後は、時代を追うごとに収入が大幅に減り、借金取りに追われる生活であるにもかかわらず、大スター気分が抜けず、借金で豪遊、高級車に高級な服と外見は豪勢な生活を続けた。そのため債権者や妻の玉緒らに迷惑をかけ、とうとう死ぬまで返済できなかった。
舞台『不知火検校』で、主役でありながら悪行を重ねる不知火検校役で、あまりの填りきった演技に「バカヤロー!死んじまえ!」と、観客から本気と思える野次がとんだ。
石原裕次郎とは、「きょうらい(兄弟をもじった言葉)」と呼び合う仲で、良き友人だった。しかし、ある酒宴の席で大げんかになってしまった。そして、勝が一言「いい芝居だったな、きょうらい?」と言うと、裕次郎も「あ、ああ、いい芝居だった。」と言い、それで手打ちとなった。
1971年、玉緒に対し一方的に離婚宣言。しかし玉緒に相手にされなかったため離婚成立せず。
晩年、妻・中村玉緒に対し、「中村玉緒は勝新太郎無しでも存在し得るが、勝新太郎は中村玉緒無しでは存在し得ない」と最高の賛辞を送った。
死後に残った莫大な借金は、香典代わりにチャラにした債権者も中にはいるという噂もある。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 出演作品

映画
座頭市シリーズ

座頭市物語(1962)
続・座頭市物語(1962)
新・座頭市物語(1963)
座頭市兇状旅(1963)
座頭市喧嘩旅(1963)
座頭市千両首(1964)
座頭市あばれ凧(1964)
座頭市血笑旅(1964)
座頭市関所破り(1964)
座頭市二段斬り(1965)
座頭市逆手斬り(1965)
座頭市地獄旅(1965)
座頭市の歌が聞こえる(1966)
座頭市海を渡る(1966)
座頭市鉄火旅(1967)
座頭市牢破り(1967)
座頭市血煙り街道(1967)
座頭市果たし状(1968)
座頭市喧嘩太鼓(1968)
座頭市と用心棒(1970)
座頭市あばれ火祭り(1970)
新座頭市 破れ!唐人剣(1971)
座頭市御用旅(1972)
新座頭市物語 折れた杖(1972)
新座頭市物語 笠間の血祭り(1973)
座頭市(1989)
悪名シリーズ
兵隊やくざシリーズ

テレビドラマ
警視-K(1980年)
独眼竜政宗(1987年)豊臣秀吉

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か行

グランプリー女優の異名をとった女優!! 京マチ子

京 マチ子(きょう まちこ、本名:矢野元子(やの・もとこ)1924年3月25日 - )は、日本の女優。大阪府大阪市出身。血液型O型。

OSK(大阪松竹歌劇団、娘役)を経て、1949年、大映に入社し女優デビュー。後輩の若尾文子、山本富士子と共に大映の看板女優として大活躍。「羅生門」(1950年)、「地獄門」(1953年)など、海外の映画祭で主演作が次々と受賞し「グランプリ女優」と呼ばれる。1971年の大映倒産以降はテレビドラマと舞台に活動の場を移す。80歳を過ぎた現在も舞台で主演を続けている。

長谷川一夫は共演する女優に熱心に演技をつけたが、その影響から脱皮するのに苦労する女優が多いなか、京はむしろ積極的に継承し、生涯信奉に近い長谷川への敬愛を持ち続けたという。

私生活では、一人っ子として出生も5歳で父が蒸発により生別、母と祖母の手で成長した経緯を持つ。大映社長永田雅一との恋愛関係が憶測された時期もあったが、デビュー以来今日まで独身を通す。


受賞・受章歴
1950年:第5回毎日映画コンクール・主演女優賞 『羅生門』、『偽れる盛装』
1964年:第19回毎日映画コンクール・主演女優賞 『甘い汗』
1987年:紫綬褒章
1994年:勲四等宝冠章
1995年:第18回日本アカデミー賞・会長特別賞

出演作品

映画
団十郎三代(1944年、松竹)
最後に笑う男(1949年、大映)
花くらべ狸御殿(1949年、大映)
地下街の弾痕(1949年、大映)
三つの真珠(1949年、大映)
痴人の愛(1949年、大映)
蛇姫道中(1949年、大映)
続・蛇姫道中(1950年、大映)
遙かなり母の国(1950年、大映)
浅草の肌(1950年、大映)
美貌の海(1950年、大映)
復活(1950年、大映)
羅生門(ヴェネチア国際映画祭グランプリ(サン・マルコ金獅子賞)、イタリア批評家賞受賞作品。アカデミー賞名誉賞(最優秀外国語映画)受賞作品/監督:黒澤明/1950年、大映)
火の鳥(1950年、大映)
偽れる盛装(監督:吉村公三郎/1951年、大映)
源氏物語(カンヌ国際映画祭撮影賞受賞作品/原作:紫式部/監督:吉村公三郎/1951年、大映)
自由学校(監督:吉村公三郎/1951年、大映)
恋の阿蘭蛇坂(1951年、大映)
情炎の波止場(1951年、大映)
牝犬(1951年、大映)
馬喰一代(1951年、大映)
浅草紅団(1952年、大映)
長崎の歌は忘れじ(監督:田坂具隆/1952年、大映)
滝の白糸(1952年、大映)
美女と盗賊(1952年、大映) 
大仏開眼(1952年、大映)
総理大臣と女カメラマン 彼女の特ダネ(1952年、大映)
地獄門  Gate of Hell (カンヌ国際映画祭グランプリ受賞作品。第27回アカデミー賞衣裳デザイン賞、名誉賞(最優秀外国語映画)受賞作品/初のカラー映画出演/1953年、大映)
黒豹(1953年、大映)
あにいもうと(監督:成瀬巳喜男/1953年、大映)
雨月物語(ヴェネチア国際映画祭サン・マルコ銀獅子賞、イタリア批評家賞受賞作品/第28回アカデミー賞衣裳デザイン賞白黒映画部門ノミネート作品/監督:溝口健二/1953年、大映)
或る女(監督:豊田四郎/1954年、大映)
愛染かつら(1954年、大映)
春琴物語(1954年、大映)
浅草の夜(1954年、大映)
千姫(1954年、大映)
馬賊芸者(1954年、大映)
春の渦巻(1954年、大映)
薔薇はいくたびか(1955年、大映)
楊貴妃(監督:溝口健二/1955年、大映)
藤十郎の恋(1955年、大映)
新女性問答(1955年、大映)
新・平家物語 義仲をめぐる三人の女(1956年、大映)
虹いくたび(1956年、大映)
赤線地帯(監督:溝口健二/1956年、大映)
月形半平太 花の巻/嵐の巻(1956年、大映)
八月十五夜の茶屋 The Teahouse of the August Moon (第14回ゴールデングローブ賞 主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門)ノミネート/共演:マーロン・ブランド(Marlon Brando)、グレン・フォード(Glenn Ford)、エディ・アルバート(Eddie Albert)/1956年) - MGM、アメリカ映画
いとはん物語(1957年、大映)
スタジオはてんやわんや(1957年、大映)
踊子(1957年、大映)
女の肌(1957年、大映)
地獄花(1957年、大映)
夜の蝶(監督:吉村公三郎/1957年、大映)
穴(監督:市川崑/1957年、大映)
有楽町で逢いましょう(1958年、大映)
悲しみは女だけに(監督:新藤兼人/1958年、大映)
母(1958年、大映)
忠臣蔵(1958年、大映)
大阪の女(1958年、大映)
赤線の灯は消えず(1958年、大映)
夜の素顔(監督:吉村公三郎/1958年、大映)
娘の冒険(1958年、大映)
あなたと私の合言葉 さよなら、今日は(監督:市川崑/1959年、大映)
女と海賊(1959年、大映)
夜の闘魚(1959年、大映)
次郎長富士(1959年、大映)
鍵(カンヌ国際映画祭審査員特別賞受賞作品/監督:市川崑/1959年、大映)
浮草 Floating Weeds (監督:小津安二郎/1959年、大映)
細雪(2度目の映画化/1959年、大映)
女経・第三話「恋を忘れていた女」(監督:吉村公三郎/1960年、大映)
足にさわった女(監督:増村保造/1960年、大映)
流転の王妃(監督:田中絹代/1960年、大映)
ぼんち(監督:市川崑/1960年、大映)
三人の顔役(1960年、大映)
顔(原作:丹羽文雄/1960年、大映)
お伝地獄(1961年、大映)
婚期(監督:吉村公三郎/1961年、大映)
女の勲章(1961年、大映)
濡れ髪牡丹(1961年、大映)
小太刀を使う女(1961年、大映)
釈迦(1961年、大映)
黒蜥蜴(原作:三島由紀夫/1962年、大映)
仲よし音頭 日本一だよ(1962年、大映)
女の一生(監督:増村保造/1962年、大映)
女系家族(原作:山崎豊子/1963年、大映)
現代インチキ物語 ど狸(1964年、大映)
甘い汗(監督:豊田四郎/1964年、東宝)
沈丁花(1966年、東宝)
小さい逃亡者(1966年、大映)
他人の顔(監督:勅使河原宏/1966年、東宝)
千羽鶴(原作:川端康成/監督:増村保造/1969年、大映)
玄海遊侠伝 破れかぶれ(1970年、大映)
華麗なる一族(原作:山崎豊子/監督:山本薩夫/1974年、東宝) - 万俵大介の愛人・高須相子役
ある映画監督の生涯 溝口健二の記録(※ドキュメンタリー映画/監督:新藤兼人/1975年、近代映画協会)
金環蝕(監督:山本薩夫/1975年、大映)
妖婆(監督:今井正。1976年、大映)
男はつらいよ 寅次郎純情詩集(監督:山田洋次/1976年、松竹) - シリーズ第18作、マドンナ役。
化粧(1984年、松竹)

テレビドラマ
あぶら照り(1964年・フジテレビ)
蘭の殺人(1970年・日本テレビ)
嫁ふたり(1972年・朝日放送)
まんまる四角(1973年・TBS)
横溝正史シリーズ・犬神家の一族(1977年・毎日放送)
家路−Mama Don't cry(1979年・TBS)
家路PART2(1979年 - 1980年・TBS)
必殺シリーズ(朝日放送)
必殺仕舞人(1981年)
新・必殺仕舞人(1982年)
必殺仕切人(1984年)
ああ離婚(1982年 - 1983年・TBS)
花王名人劇場・姥ざかり(1986年 - 1988年・関西テレビ)
凪の光景(1990年・テレビ朝日)
花の乱(1994年・NHK大河ドラマ)
元禄繚乱(1999年・NHK大河ドラマ/共演:滝沢秀明、東山紀之、萩原健一ほか)
晴れ着ここ一番(晴れ着、ここ一番)(2000年・NHK総合/共演:瀬戸朝香、及川光博、菅原文太、赤西仁(KAT-TUN)ほか/主題歌:竹内まりや) - ※DVD発売

その他のテレビ番組出演
「三枝の爆笑美女対談」(1980年〜1987年、フジテレビ系)
「徹子の部屋」(テレビ朝日)
「もっともっと関西」(ゲストとして生出演。2006年7月7日、NHK大阪)

舞台
黄昏
夕やけ小やけでまだ日は暮れぬ
喜劇 ああ離婚
夏しぐれ
「女たちの忠臣蔵」(2006年9月1日〜9月22日 東京・明治座。2006年11月1日〜26日 名古屋・名鉄ホール。共演:森光子、池内淳子、宇津井健、江原真二郎、植草克秀、涼風真世、えなりかずき)

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か行

爽やかな演技で人気女優になった香川京子

香川 京子(かがわ きょうこ、本名;牧野香子、1931年12月5日 - )は、女優。茨城県行方郡麻生町(現行方市)に生まれ、東京都立第十高等学校(現・東京都立豊島高等学校)卒業。

高校卒業後の1949年東京新聞主催の「ニューフェイス・ノミネーション」に合格し、1950年に大日方傳監督の「窓から飛び出せ」でデ ビューする。

ニューフェースに応募したきっかけは高校卒業時に漠然と将来を考えた際に本来はバレリーナになりたかったらしいのだが、高校生から目指すのは遅すぎて、どうしよか考えあぐねている時に新聞の募集欄が目に止まり応募したと云う。

芸名の香川京子は映画会社で用意されていたものが、しっくり来ず,家族と香川自身が考えたもの。本名の"香"と言う文字はどうしても用いたく、また本名の"きょうこ"という音も用いられるこの芸名にしたと言う。

映画会社の協定(専属契約)がある時代に早くからフリーになれたおかげで、各映画会社の映画黄金期の多くの巨匠たちの作品に出演するという幸運に恵まれている。 この多くの巨匠の様々な役に自身がキャスティングされた事について、本人は個性のない普通の雰囲気が使いやすかったのだと思うと,謙遜して答えている。

女優として多くの作品に出演しているが「ひめゆりの塔」に出演した事が転機になったようで、この作品に出会ってから女優としての意義を意識するようになったと語っている。

成瀬巳喜男監督の作品に次々に出演し、さわやかな演技で人気女優となる。また、溝口健二監督の「近松物語」で主役を演じ、その卓越した演技力で賞賛を浴びた。黒澤明監督の作品にも多く出演した。

熊井啓監督の「式部物語」でキネマ旬報助演女優賞、「まあだだよ」で田中絹代賞、日本アカデミー賞最優秀助演女優賞を受ける。1998年には紫綬褒章も受けた。


出演作品

映画
稲妻(1952年)
おかあさん(1952年)
細雪(1950年)
ひめゆりの塔(1953年)
東京物語(1953年) ‐ 平山京子役
近松物語(1954年)
山椒大夫(1954年)ヴェネチア国際映画祭サン・マルコ銀獅子賞受賞作品
どん底(1957年)
人間の壁(1959年)
悪い奴ほどよく眠る(1960年)
モスラ(1961年) ‐ 花村ミチ役
天国と地獄(1963年)
赤ひげ (1965年)ヴェネチア国際映画祭サン・ジョルジョ賞、男優賞(三船敏郎)、ヴェネチア市賞、国際カトリック映画事務局賞受賞作品
華麗なる一族(1974年) ‐ 美馬一子役
男はつらいよ 寅次郎春の夢(1979年) ‐ マドンナ
まあだだよ(1993年)
深い河(1995年)
Shall we ダンス?(1996年) ‐ 岸川恵子役
阿弥陀堂だより(2002年) ‐ 幸田ヨネ役
天国の本屋〜恋火 ‐ 桧山幸役
赤い鯨と白い蛇(2005年) ‐ 雨見保江役

テレビドラマ
花の生涯(1963年、NHK大河ドラマ) ‐ 秋山志津役
樅ノ木は残った(1970年、NHK大河ドラマ) ‐ くみ役
明日がござる(1975年、TBS) ‐ 房子役
水色の時(1975年、NHK朝の連続テレビ小説) ‐ 房子役
春日局(1989年、NHK大河ドラマ) ‐ 寧々役
ふたりっ子(1996年〜1997年、NHK朝の連続テレビ小説) ‐ 有沢理佐子役
一絃の琴(2000年、NHK) ‐ 澤村袖役
はんなり菊太郎(2002年、NHK) ‐ 政江役
ちゅらさん(2001年、NHK朝の連続テレビ小説) ‐ 紺野真知子役
帰ってきたロッカーのハナコさん(2003年、NHK) ‐ 羽根田小春役
妻の旅立ち
オトナの男(1997年、TBS)
渡る世間は鬼ばかり(1993年〜1994年、TBS) ‐ 田村綾子役
家政婦は見た(第20作)(2002年、テレビ朝日) ‐ 叶茂子役
芋たこなんきん(2006年〜2007年、NHK朝の連続テレビ小説) ‐ 花岡和代役

バラエティー番組
「森田一義アワー 笑っていいとも!」(テレフォンショッキングゲスト。フジテレビ)
「2時のワイドショー」(日本テレビ系)
「徹子の部屋」(テレビ朝日)
「スタジオパークからこんにちは」(NHK総合)
「知ってるつもり?!」(日本テレビ)
「ごちそうさま」(日本テレビ)
「土曜スタジオパーク」(NHK総合)
「誘われて二人旅」(テレビ朝日)
「ノックは無用!」(関西テレビ)
「生活ほっとモーニング」(NHK総合、2007年3月29日)

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か行

長く時代劇を支えてきた不滅の剣士スター 片岡千恵蔵

片岡千恵蔵(かたおかちえぞう、旧字体;片岡千惠藏、明治36年(1903年)3月30日−昭和58年(1983年)3月31日)は、大正・昭和期の歌舞伎出身の俳優。本名は植木正義。戦前・戦後の長期にわたり、時代劇人気を支えた不滅の剣士スターである。

生涯

戦前・戦中
群馬県に生まれ、東京で育った。9歳で、11代目片岡仁左衛門の主宰する「片岡少年劇」に入門し、座頭として将来を嘱望される活躍を見せる。

しかし、映画の世界に転じる決意をし、1923年、小笠原プロの『三色すみれ』で主役を務めた後、1927年、直木三十五の紹介で、マキノ映画制作所に入り、吉川英治原作の『万花地獄』に出演したのを皮切りに精力的に出演するが影が薄く、1928年に伊丹万作、稲垣浩監督らを抱える独立プロ「片岡千恵蔵プロダクション」を創立した。そこで、伊藤大輔監督に「明るい時代劇が似合う」と助言され、『弥太郎笠』、『一本刀土俵入り』、『国士無双』など娯楽色の強い作品を次々と送り出し、評判をとった。1931年には『元禄十三年』で共演した入江たか子との大ロマンスが話題となった。とりわけ1936年(昭和11年)の『赤西蠣太』等が名作として名高い。

やがて、映画会社の戦時統合によって大映入りし、阪東妻三郎・嵐寛寿郎・市川右太衛門と共に大映の「時代劇四大スタア」に数えられた。日活の大河内傳次郎、東宝の長谷川一夫とあわせて「時代劇六大スタア」とも呼ばれた。

戦後
戦後は、東横映画を経て、東映の創立に参加し、市川右太衛門とともに重役兼トップスターとして活躍した。当時、千恵蔵は京都の山の手(嵯峨野)に住んでいた事から「山の御大」、右太衛門は北大路に住んでいたので「北大路の御大」と呼ばれたという。

GHQの占領政策によって剣劇製作が出来なかった時代には、「多羅尾伴内」シリーズや「金田一耕助」ものを当たり役とする現代ミステリ映画で切り抜け、新境地を開いた。

昭和30年代の東映時代劇では、戦後時代劇での当たり役遠山の金さん(「いれずみ判官」シリーズなど)や「大菩薩峠」三部作などの代表作に出演した。作品としては「血槍富士」が名作として名高い。日本映画黄金期の顔として活躍した。

昭和30年代後半以降は、若手スターの中村錦之助や大川橋蔵に主役の座を譲って次第に出演本数を減らすようになっていった。が、この時代劇衰退期にあっては、東映の重役として集団抗争劇等を模索して「十三人の刺客」に主演。その後、主役に拘って映画から退いた市川右太衛門とは対照的に、東映任侠映画の脇役等もこなした。晩年はテレビシリーズの「大岡越前」(加藤剛主演)の父親役としても親しまれた。

80歳で他界した時には、東映への大いなる貢献により「東映葬」が執り行われた。


代表作
万花地獄(1927年)
天下太平記(1928年)
一本刀土俵入(1931年)
国士無双(1932年)
弥太郎笠(1932年)
赤西蠣太(1936年)
鴛鴦歌合戦(1939年)
続清水港(1940年)
宮本武蔵(1940年)
維新の曲(1942年)
七つの顔(1947年)
八ツ墓村(1951年)
血槍富士(1955年)
大菩薩峠(1957-59年)
多羅尾伴内 七つの顔の男だぜ(1960年)
花の吉原百人斬り(1960年)
維新の篝火(1960年)
赤穂浪士(1961年)
十三人の刺客(1963年)
真田幸村の謀略(1979年)

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か行

気品と確かな演技力の持ち主 久我美子

久我 美子(くが よしこ、1931年1月21日 - )は、日本の女優。本名は旧姓で久我 美子(こが はるこ)、結婚後は小野田 美子(おのだ はるこ)。

東京牛込に生まれる。

久我家(こがけ)は村上天皇まで遡る村上源氏の流れを汲む華族の家系で、清華家の家格を有した公家。堂上十家のひとつ。父・久我通顕は侯爵として貴族院議員や東京府知事を務めた。評論家の夏目通利は叔父。

1946年、 学習院女子中等科在学中、東宝第一期ニューフェイスに合格。戦後の華族制度廃止で実家の経済状況を憂慮した美子が職につきたいという一心からの応募だったが、実家からは「体面を汚す」と猛反対された。結局美子が「久我(こが)」姓を名乗らないことと、住所を親類宅に移すことという条件で芸能活動を許された。漢字は同じでも本名「こが はるこ」が芸名「くが よしこ」と異なるのはこのためである。

1947年、学習院を中退し、『四つの恋の物語』で映画デビュー。

1950年、今井正監督の『また逢う日まで』では、岡田英次との窓硝子ごしの接吻が話題となった(日本の映画界では1960年代のはじめ頃まで接吻のクロースアップはタブーだった)。

1961年、俳優と結婚する気はなかったが、平田昭彦からの猛烈な求愛の末、彼と結婚。子はなかったが、仲の良さは1984年の平田との死別まで不変だったことは広く知られている。

1973年より約1年間、『3時のあなた』(フジテレビ)の司会を務めるなど、1970年代以降はテレビ・舞台を中心に活躍。

若き日より家柄・容姿のみならず、演技面も芯の通った内面と気品が見るものにも伝わる確かな実力があった。日本映画史を代表する数々の名監督達もこぞって彼女を起用した(下記参照)。平田との結婚後も、そして死別後も、長年にわたって女優活動を続けたが、近年は残念ながらほとんど活動休止状態となっている。

2004年、義姉にあたる女優・三ツ矢歌子(久我の方が年上)の死去の時に久々に公の場に姿を見せた。

ワタナベエンターテインメント所属。

出演

映画
四つの恋の物語(1947年、豊田四郎監督/オムニバス映画で「第一話〜初恋〜」に出演/キネマ旬報ベストテン第8位)
酔いどれ天使 Drunken Angel (1948年、黒澤明監督/キネマ旬報ベストテン第1位)
雪夫人絵図(1950年、溝口健二監督)
また逢う日まで(1950年、今井正監督/キネマ旬報ベストテン第1位)
白痴 The Idiot (1951年、黒澤明監督)
長崎の歌は忘れじ(1952年、田坂具隆監督)
あの手この手(1952年、市川崑監督)
にごりえ(1953年、今井正監督、樋口一葉原作/キネマ旬報ベストテン第1位)
あにいもうと(1953年、成瀬巳喜男監督/キネマ旬報ベストテン第5位)
噂の女(1954年、溝口健二監督)
女の園(1954年、木下恵介監督/キネマ旬報ベストテン第2位)
この広い空のどこかに(1954年、小林正樹監督)
新・平家物語(1955年、溝口健二監督)
愛すればこそ(1955年、山本薩夫監督/「第三話〜愛すればこそ〜」に出演)
太陽とバラ(1956年、木下恵介監督/キネマ旬報ベストテン第9位)
黄色いからす Yellow Crow (第15回ゴールデングローブ賞 外国語映画賞受賞作品。1957年)
挽歌(1957年、原田康子原作)
女であること(1958年、川島雄三監督、川端康成原作)
彼岸花 Equinox Flower (1958年、小津安二郎監督/キネマ旬報ベストテン第3位)
季節風の彼方に(1958年、高倉健共演)
風花(1959年、木下恵介監督)
お早よう Good Morning (1959年、小津安二郎監督)
青春残酷物語(1960年、大島渚監督)
ゼロの焦点(1961年、野村芳太郎監督、松本清張原作)
風林火山(1969年、井上靖原作/キネマ旬報ベストテン第10位)
ゴジラVSビオランテ(1989年) - 亡き夫・平田昭彦の遺志を受け継いで、当時の史上初の女性官房長官である森山官房長官の話題とシンクロして女性官房長官役での出演が話題となる。
無能の人 (ヴェネチア国際映画祭国際批評家連盟賞受賞作品/1991年、竹中直人監督/キネマ旬報ベストテン第4位)
空がこんなに青いわけがない(1993年、柄本明監督)
119(1994年、竹中直人監督/キネマ旬報ベストテン第6位)
東京日和(1997年、竹中直人監督/キネマ旬報ベストテン第9位)
川の流れのように(2001年、秋元康監督/共演:森光子、滝沢秀明)

テレビドラマ
喜びも悲しみも幾歳月(1965年、TBS)
ザ・ガードマン 第63話 女ひとり(1966年、大映テレビ室、TBS)
NHK朝の連続テレビ小説 旅路(1967年 - 1968年、NHK) 
泣いてたまるか(1967年、TBS) 
NHK大河ドラマ 新・平家物語(1972年、NHK)
それぞれの秋(1973年、TBS)
NHK大河ドラマ 勝海舟(1974年、NHK)
華麗なる一族(1974年 - 1975年、山崎豊子原作、毎日放送)
無邪気な関係(1984年、TBS)
いのち(1986年、NHK)
NHK朝の連続テレビ小説 都の風(1986年 - 1987年、NHK)
プロゴルファー祈子(1988年、フジテレビ)
スクールガール・セレナーデ 桂華學女小夜曲(1988年、日本テレビ)
課長サンの厄年(1993年、TBS)
うちの母ですが…(1995年、テレビ朝日)
ドラマ新銀河 ようこそ青春金物店(1996年、NHK)
天涯の花(1999年、NHK)

バラエティ
3時のあなた(※司会。フジテレビ)
すばらしき仲間(TBS)
連想ゲーム(NHK総合)
シネマパラダイス(※ゲスト。NHK-BS。司会:小堺一機、小林千絵)
いちばんきれいなとき(NHK-BS。久我を含む5人の女優のインタビュー番組。語り:佐藤藍子)
ライオンのごきげんよう(フジテレビ)
徹子の部屋(テレビ朝日)

以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。





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清純な美しさに魅かれた女優 桂木洋子

桂木 洋子(かつらぎようこ、本名・黛 住恵(まゆずみ すみえ)、旧姓・富沢(とみざわ)、1930年4月6日−2007年3月)は、昭和中期(1940年代後半〜1960年代前半)の女優。

東京四谷区(現・新宿区)に、家具屋の娘として生れる。1946年、松竹歌劇団に2期生として入団する。1948年、黒澤明脚本の『肖像』を準備中の木下恵介監督の目に留まり、この作品で映画デビュー。続いて、同監督の『破戒』に出演したのを期に歌劇団を退団し、松竹に入社する。

その後、木下監督の作品に次々と出演する傍ら、1950年、『三つの結婚』に初主演するなど、甘い美貌で人気を集めたが、1953年、作曲家の黛敏郎と結婚して以来、徐々に出演本数が減っていき、1963年、日活の『丘は花ざかり』を最後に引退した。

長男は日本放送協会のドラマ演出家・映画監督の黛りんたろう。

以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。



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