藤村志保(ふじむら しほ、1939年1月3日 - )は日本の女優。神奈川県川崎市出身。本名は、静永操(しずなが・みさお)。芸名は、最初のデビュー作「破戒」の役名「志保」とその作品の原作者島崎藤村に由来している。
1961年デビュー。1962年に「破戒」に出演し、各種新人賞を受賞。大映のスター女優として主に時代劇で活躍。テレビドラマにも進出し、1965年のNHK大河ドラマ「太閤記」のねね役を好演し人気女優に。その後も、各種ドラマ・映画・舞台など幅広く活躍。現在でも、テレビでは民放の昼のドラマやNHK朝の連続テレビ小説などで多く見かけることが出来る。
出演作品
テレビドラマ
太閤記(1965年、NHK大河ドラマ)
ザ・ガードマン(1965年、大映テレビ室、TBS)第7話「狂った獣」、第16話「ガードマンを罠にかけろ」
三姉妹(1967年、NHK大河ドラマ)
竜馬がゆく(1968年、NHK大河ドラマ)
天と地と(1969年、NHK大河ドラマ)
宗方姉妹(1973年、NHK銀河テレビ小説)
華麗なる一族(1974年 - 1975年、毎日放送)
黄金の日日(1978年、NHK大河ドラマ)
水戸黄門 第9部(1978年 TBS・C.A.L.)第14話「鈴に秘めた愛・高田」 お梶役
ハイカラさん(1982年、NHK朝の連続テレビ小説)
太平記(1991年、NHK大河ドラマ)
八代将軍吉宗(1995年、NHK大河ドラマ)
きのうの敵は今日も敵(1995年、TBS東芝日曜劇場)
ひまわり(1996年、NHK朝の連続テレビ小説)
温泉へ行こう!1〜5(1999年 - 2005年、TBS愛の劇場)
柳橋慕情(2000年、NHK時代劇ロマン)
ホーム&アウェイ(2002年、フジテレビ)
てるてる家族(2003年 - 2004年、NHK朝の連続テレビ小説)
不機嫌なジーン(2005年、フジテレビ)
風林火山(2007年、NHK大河ドラマ)寿桂尼役
映画
破戒(1962年)
新選組始末記(1963年)
眠狂四郎勝負(1964年)
眠狂四郎女妖剣(1964年)
白い巨塔(1966年)
眠狂四郎無頼剣(1966年)
大魔神怒る(1966年)
座頭市鉄火旅(1967年)
怪談雪女郎(1968年)
眠狂四郎悪女狩り(1969年)
男はつらいよ 寅次郎頑張れ!(1977年)
長崎ぶらぶら節(2000年)
狗神(2001年)
白い犬とワルツを(2002年)
嗤う伊右衛門(2004年)
カーテンコール(2004年)
二人日和(2004年)
夕凪の街 桜の国(2007年 夏公開予定)
バラエティー番組
「森田一義アワー 笑っていいとも!」※テレフォンショッキングゲスト (フジテレビ)
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
は行
は行
軍人スターとして売り出した俳優 藤田進
藤田 進(ふじた すすむ、1912年1月8日 - 1990年3月23日)は、昭和期の俳優。
戦前・戦中において初期黒澤明監督作品の主演を務めるなど日本映画界の大スターの一人であった。戦後の映画黄金期には脇役として重厚な演技をみせている。東宝特撮映画や円谷プロ制作のテレビシリーズの防衛軍司令官といった役どころでも知られる。
福岡県久留米市京町に生れる。1929年に南筑中学校(現・久留米市立南筑高等学校)を卒業後、上京し、大学を受験するが、失敗し、その帰途京都に立ち寄った際、市川右太衛門プロダクションで古海卓二の助監督をつとめる郷里の先輩を訪ねた際、俳優になるよう勧められ、1930年、市川右太衛門プロに入り、エキストラで出演する。その後、1931年に東亜キネマに入るも芽が出なかった。1932年に兵役につき、第12師団の砲兵隊に入隊し、対馬で勤務。1933年に横須賀の陸軍砲兵学校に入ったのち、二等兵のまま除隊。1934年にマキノ正博の京都映音に録音係として入社したのを経て、1939年、再び俳優として立つ事を決意して東宝に入社。
当初は大部屋俳優だったが、1940年に『妻の場合』で入江たか子、高田稔と共演し、素朴で真摯な二枚目俳優として注目を受ける。1941年の『指導物語』など、その後は立て続けに主役に起用され、1943年、黒澤明の監督デビュー作『姿三四郎』に主演。その武骨な動作は映画とマッチし、その名は黒澤と共に広く知れ渡ることとなる。またその男性的な風貌から『加藤隼戦闘隊』をはじめ、多くの戦意高揚映画に主演、軍人スターとして確固たる人気を得た。1945年に『虎の尾を踏む男達』の撮影中に敗戦を迎える。
終戦後は、戦争映画のヒーローとしての自責から俳優をやめようとさえ思ったが、結局は代わる職業が考えつかぬまま続けることになる。1946年、黒澤明の戦後第1作『わが青春に悔いなし』に戦時中に自由主義者としての立場を貫いて獄死する青年を熱演、戦後の代表作となった。1950年代前半までメロドラマからアクション物まで多くの映画に主演。この頃、おりからの東宝争議で大河内伝次郎や長谷川一夫と共に「十人の旗の会」に参加したことから新東宝に移る。1957年からはフリーとなり、脇役として存在感を見せた。やはり戦後の作品も軍人役が比較的多い。また実業家としても自動車販売店の経営や投資会社の社長になるなど、多彩な活躍を見せた。
主な出演作品
映画
妻の場合
海軍爆撃隊
指導物語
ハワイ・マレー沖海戦
姿三四郎
加藤隼戦闘隊
續姿三四郎
虎の尾を踏む男達
わが青春に悔なし
一匹狼
ひめゆりの塔
地球防衛軍
潜水艦イ-57降伏せず
ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐
悪い奴ほどよく眠る
明治天皇と日露大戦争
用心棒
忠臣蔵
太平洋の翼
ホラ吹き太閤記
海底軍艦
モスラ対ゴジラ
フランケンシュタイン対地底怪獣
連合艦隊司令長官 山本五十六
今日もわれ大空にあり
日本海大海戦
ブルージーンズメモリー
テレビドラマ
ウルトラQ(1966年、TBS)巡視船ねぎし・松田船長役
ウルトラマン(1966年、TBS)防衛隊司令役
ウルトラセブン(1967年、TBS)ヤマオカ司令長官役
帰ってきたウルトラマン(1971年、TBS)岸田長官役
太陽にほえろ!(1972年〜1986年、日本テレビ/東宝)
第464話「鹿児島・東京・大捜査線」
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
戦前・戦中において初期黒澤明監督作品の主演を務めるなど日本映画界の大スターの一人であった。戦後の映画黄金期には脇役として重厚な演技をみせている。東宝特撮映画や円谷プロ制作のテレビシリーズの防衛軍司令官といった役どころでも知られる。
福岡県久留米市京町に生れる。1929年に南筑中学校(現・久留米市立南筑高等学校)を卒業後、上京し、大学を受験するが、失敗し、その帰途京都に立ち寄った際、市川右太衛門プロダクションで古海卓二の助監督をつとめる郷里の先輩を訪ねた際、俳優になるよう勧められ、1930年、市川右太衛門プロに入り、エキストラで出演する。その後、1931年に東亜キネマに入るも芽が出なかった。1932年に兵役につき、第12師団の砲兵隊に入隊し、対馬で勤務。1933年に横須賀の陸軍砲兵学校に入ったのち、二等兵のまま除隊。1934年にマキノ正博の京都映音に録音係として入社したのを経て、1939年、再び俳優として立つ事を決意して東宝に入社。
当初は大部屋俳優だったが、1940年に『妻の場合』で入江たか子、高田稔と共演し、素朴で真摯な二枚目俳優として注目を受ける。1941年の『指導物語』など、その後は立て続けに主役に起用され、1943年、黒澤明の監督デビュー作『姿三四郎』に主演。その武骨な動作は映画とマッチし、その名は黒澤と共に広く知れ渡ることとなる。またその男性的な風貌から『加藤隼戦闘隊』をはじめ、多くの戦意高揚映画に主演、軍人スターとして確固たる人気を得た。1945年に『虎の尾を踏む男達』の撮影中に敗戦を迎える。
終戦後は、戦争映画のヒーローとしての自責から俳優をやめようとさえ思ったが、結局は代わる職業が考えつかぬまま続けることになる。1946年、黒澤明の戦後第1作『わが青春に悔いなし』に戦時中に自由主義者としての立場を貫いて獄死する青年を熱演、戦後の代表作となった。1950年代前半までメロドラマからアクション物まで多くの映画に主演。この頃、おりからの東宝争議で大河内伝次郎や長谷川一夫と共に「十人の旗の会」に参加したことから新東宝に移る。1957年からはフリーとなり、脇役として存在感を見せた。やはり戦後の作品も軍人役が比較的多い。また実業家としても自動車販売店の経営や投資会社の社長になるなど、多彩な活躍を見せた。
主な出演作品
映画
妻の場合
海軍爆撃隊
指導物語
ハワイ・マレー沖海戦
姿三四郎
加藤隼戦闘隊
續姿三四郎
虎の尾を踏む男達
わが青春に悔なし
一匹狼
ひめゆりの塔
地球防衛軍
潜水艦イ-57降伏せず
ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐
悪い奴ほどよく眠る
明治天皇と日露大戦争
用心棒
忠臣蔵
太平洋の翼
ホラ吹き太閤記
海底軍艦
モスラ対ゴジラ
フランケンシュタイン対地底怪獣
連合艦隊司令長官 山本五十六
今日もわれ大空にあり
日本海大海戦
ブルージーンズメモリー
テレビドラマ
ウルトラQ(1966年、TBS)巡視船ねぎし・松田船長役
ウルトラマン(1966年、TBS)防衛隊司令役
ウルトラセブン(1967年、TBS)ヤマオカ司令長官役
帰ってきたウルトラマン(1971年、TBS)岸田長官役
太陽にほえろ!(1972年〜1986年、日本テレビ/東宝)
第464話「鹿児島・東京・大捜査線」
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
か行
コマキストと呼ばれて人気を得た女優 栗原小巻
栗原 小巻(くりはら こまき、本名同じ、1945年3月14日 - )は、東京都世田谷区出身の女優である。実父は劇作家の栗原一登(故人)。
桐朋女子を経て東京バレエ学校を卒業し後、1963年、劇団俳優座に入った。1968年の『三人姉妹』で注目を浴び、以降、舞台、テレビドラマを中心に活動している。
テレビでは1967年のNHK大河ドラマ『三姉妹』(末娘役)で知られるようになり、その後の大河ドラマ『樅ノ木は残った』での狂ってしまった娘役の迫真の名演技は話題となり、大河ドラマ『黄金の日日』(1978年)でも好演した。映画女優としても『ゴメスの名はゴメス』(1967年)で初出演。1972年の『忍ぶ川』で、加藤剛相手に大胆なラブシーンを見せ、一躍知られるようになった(毎日映画コンクール女優演技賞)。映画では他にも、『戦争と人間(第一部・第二部)』(1970年、1971年)、『サンダカン八番娼館 望郷』(1974年)、『八甲田山』(1977年)などがあり、『男はつらいよ』シリーズでは、『新・男はつらいよ』及び『柴又より愛をこめて』でマドンナ役を演じている。
ロシア・ソ連との繋がりも深く、1981年には日本で初めてソ連の演出家(A・エーフロス)を招いて行った舞台公演『櫻の園』に主演した。 日ソ合作映画にも主演(『モスクワわが愛』(1974年)、『白夜の調べ』(1978年)、『未来への伝言』(1990年))。『未来への伝言』では企画も担当した。
1991年の中国映画『乳泉村の子』(謝晋監督、中国題名『清涼寺鐘聲』)にも主演し、日本中国文化交流協会代表理事も務めるなど中国とのつながりも深い。
クラシック・バレエを特技とし、映画の中でもその姿が見られる。また、ダークダックスと共にロシア・ソ連の歌を紹介するテレビ番組に出演したことがあり、ソロでLPレコードを発売したこともある。
吉永小百合ファンが「サユリスト」と呼ばれたのに対し、栗原小巻ファンは「コマキスト」と呼ばれた。奇しくも吉永とは誕生日が1日違い。アイドル的存在として人気を分けたが、中年以降吉永が女優としての活動の主軸を映画に据えているのに対し、栗原はもともとのフィールドである舞台を中心としながらもテレビドラマの出演も少なくない。
テレビ
愛の劇場「殉愛」(1988年、TBS・松竹)松井須磨子役
女性作家サスペンス「晩餐会」(1988年、関西テレビ放送・松竹)
火曜サスペンス劇場「薔薇色の罠」(1989年9月、日本テレビ・松竹)
月曜ゴールデン「遠い国から来た男」(2007年7月、TBS)、山田太一・脚本
バラエティー番組
「三枝の愛ラブ!爆笑クリニック」(フジテレビ)
「快傑えみちゃんねる」(関西テレビ)
「たかじんnoばぁ〜」(よみうりテレビ)
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
桐朋女子を経て東京バレエ学校を卒業し後、1963年、劇団俳優座に入った。1968年の『三人姉妹』で注目を浴び、以降、舞台、テレビドラマを中心に活動している。
テレビでは1967年のNHK大河ドラマ『三姉妹』(末娘役)で知られるようになり、その後の大河ドラマ『樅ノ木は残った』での狂ってしまった娘役の迫真の名演技は話題となり、大河ドラマ『黄金の日日』(1978年)でも好演した。映画女優としても『ゴメスの名はゴメス』(1967年)で初出演。1972年の『忍ぶ川』で、加藤剛相手に大胆なラブシーンを見せ、一躍知られるようになった(毎日映画コンクール女優演技賞)。映画では他にも、『戦争と人間(第一部・第二部)』(1970年、1971年)、『サンダカン八番娼館 望郷』(1974年)、『八甲田山』(1977年)などがあり、『男はつらいよ』シリーズでは、『新・男はつらいよ』及び『柴又より愛をこめて』でマドンナ役を演じている。
ロシア・ソ連との繋がりも深く、1981年には日本で初めてソ連の演出家(A・エーフロス)を招いて行った舞台公演『櫻の園』に主演した。 日ソ合作映画にも主演(『モスクワわが愛』(1974年)、『白夜の調べ』(1978年)、『未来への伝言』(1990年))。『未来への伝言』では企画も担当した。
1991年の中国映画『乳泉村の子』(謝晋監督、中国題名『清涼寺鐘聲』)にも主演し、日本中国文化交流協会代表理事も務めるなど中国とのつながりも深い。
クラシック・バレエを特技とし、映画の中でもその姿が見られる。また、ダークダックスと共にロシア・ソ連の歌を紹介するテレビ番組に出演したことがあり、ソロでLPレコードを発売したこともある。
吉永小百合ファンが「サユリスト」と呼ばれたのに対し、栗原小巻ファンは「コマキスト」と呼ばれた。奇しくも吉永とは誕生日が1日違い。アイドル的存在として人気を分けたが、中年以降吉永が女優としての活動の主軸を映画に据えているのに対し、栗原はもともとのフィールドである舞台を中心としながらもテレビドラマの出演も少なくない。
テレビ
愛の劇場「殉愛」(1988年、TBS・松竹)松井須磨子役
女性作家サスペンス「晩餐会」(1988年、関西テレビ放送・松竹)
火曜サスペンス劇場「薔薇色の罠」(1989年9月、日本テレビ・松竹)
月曜ゴールデン「遠い国から来た男」(2007年7月、TBS)、山田太一・脚本
バラエティー番組
「三枝の愛ラブ!爆笑クリニック」(フジテレビ)
「快傑えみちゃんねる」(関西テレビ)
「たかじんnoばぁ〜」(よみうりテレビ)
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か行
新聞社の給仕から俳優になった小林桂樹
小林 桂樹(こばやし けいじゅ、1923年11月23日 - )は、日本の俳優。群馬県群馬郡室田町(現・高崎市)出身。旧制群馬県立前橋中学校卒業、日本大学中退。俳優歴は60年を越え、今もなお第一線で活躍する大御所俳優である。暖かな人柄により、幅広い層から多大な人気を得ている。
父親が警察官という厳格な家庭に生まれる。桂樹の名はオリンピックの勝利のシンボルである月桂樹にちなんで命名したという。1934年に前橋市立桃の井小学校を卒業後は、宇都宮の陸軍幼年学校を受けるも不合格となり、県立前橋中学に進学。在学中は友人からよく映画などに誘われても、きちんと校則を守り、一度も映画館に足を運ばなかったというまじめ人間だった。1938年に卒業すると、父親が病死したため、千葉県市川市に住んでいた叔父を頼って一家が移転する。その後は、日本大学専門部芸術科に進むも学費が払えぬようになり、1941年に中退する。しかし、大学時代にアルバイトで朝日新聞社の給仕をやって、映画評論家や映画記者などと接するうちに、映画の世界に憧れを持つようになる。平凡なサラリーマンにはなるまいと誓い、また叔父にも勧められたことから、役者を目指して同年に日活、東宝、松竹の入社試験を受け、日活へ入社。1942年に『微笑の国』の工員役でデビューする。翌1943年に日活解散と共に大映に移籍し、『菊池千本桜』で松尾大尉役で出演するも、なかなか才能が芽生えず、折からの第二次世界大戦により満州への徴兵生活も加わって、苦しい時代をすごす。
終戦により復員して、1946年の『君かと思ひて』が戦後初出演、折原啓子の恋人を演じて二枚目として売り出す。1951年『その人の名は言えない』で急遽出演できなくなった千秋実の代役に主演したことがきっかけで、二枚目でもない三枚目でもない独自の演技が周囲に認められはじめ、次第に頭角をあらわす。1951年に東宝で主演したサラリーマン物『ホープさん』でそのユーモラスで明るいキャラクターが注目され、1952年に藤本真澄に誘われて東宝と契約。森繁久弥演じる一連の社長シリーズ(1956年〜1971年)のすべてに出演。真面目で頑なな秘書役など、平凡で健全な一般庶民を演じて人気を得た。
1955年に今井正監督の『ここに泉あり』で毎日映画コンクール助演男優賞を受賞、1958年には百本記念映画として制作された『裸の大将』で実在の天才画家・山下清を演じ、同映画コンクール主演男優賞に輝く。精薄者を馬鹿にした映画だと一部からは非難されたが本物の山下清と見まごうばかりの熱演で、劇中でどもりながらの台詞「兵隊の位にすると…」は流行語になった。1960年に『黒い画集・あるサラリーマンの証言』、1961年には松山善三の監督デビュー作『名もなく貧しく美しく』に主演し、喜劇のみならずシリアスなドラマにでも活躍、特に『黒い画集』ではキネマ旬報男優賞、ブルーリボン大衆賞、毎日映画コンクール主演男優賞と、各映画賞を総なめにした。演技に円熟味を増した1963年には岡本喜八監督、山口瞳原作の『江分利満氏の優雅な生活』で、戦中派の中年サラリーマンを演じ、毎日映画コンクール主演男優賞、日本映画記者会賞最優秀男優賞を受賞するなど、名実共にトップスターとなった。『裸の大将』や『黒い画集』などで小林と長く接してきた堀川弘通監督に「きわめて平凡な人間の姿から非凡な演技がほとばしり出るかけがえのない俳優」と評される。
しかし、映画界が衰退していくにつれ、小林に向く企画も減り始めてからは、植木等の無責任男や加山雄三の若大将の台頭もあって、次第に小林の演じる庶民像は時代とのズレが目立ち、批評家からは戦前の古いモラルの殻からぬけきれず、戦後の時代になってもそれを背負って生きている、良くも悪くも戦中派の代表格と評されるようになる。またこの頃から、テレビの出演が増え始め、その明るいキャラクターから1966年にはNTVの『おはよう日本』の司会者に抜擢されたが、視聴率が上がらず降板する。
映画化された当時のベストセラー小説『日本沈没』(小松左京)では、日本の危機を示唆する重要な役所である田所博士を好演している。1983年にはフジテレビの『森田一義アワー笑っていいとも!』のテレホンショッキングに出演。1984年には9年ぶりに復活した『ゴジラ』で三田村清輝内閣総理大臣役を演じ人気を博す。
現在も、テレビ朝日『牟田刑事官事件ファイル』の主役を勤めており、番組自体も長年のロングランとなっている。2001年にはNHKの金曜時代劇『山田風太郎からくり事件帖〜警視庁草紙より〜』出演期間中に緊急入院するなど健康状態も危ぶまれたが、最近ではツーカーの「ツーカーS」の携帯電話のCM出演(CMでは、小林桂樹が頑固な父を演じ、娘や奥さんから「カンタンだから」と携帯を薦められても、「今までカンタンと言ってカンタンなものはない」と言って断固使わんぞ態度ながら、誰もいなくなってから使ってみて「カンタン」を実感するというストーリーで、「カンタン」をイメージさせている。)でその健在ぶりをアピールしている。
アニメーションでは、ウォルト・ディズニーの『わんわん物語』の主人公・トランプと、スタジオジブリ制作の映画『耳をすませば』の「地球屋」の主人・西司郎(主人公の恋人の祖父)を、難しい役所ながらも滋味あふれる声で見事に表現した。
ちなみに甥にあたるさいとうあきひこはNHK『ステージ101』に出演。ヤング101のメンバーとして活躍した実績を持ち、音楽活動を続けていた。
出演作品
映画
マライの虎(1943年、大映) - ハッサン
窓から飛び出せ(1950年、新東宝)
有頂天時代(1951年、新東宝)
めし(1951年、東宝)
ラッキーさん(1952年、東宝)
プーサン(1953年、東宝)
太平洋の鷲(1953年、東宝)
ここに泉あり(1955年、中央映画)
驟雨(1956年、東宝)
大番(1957年、東宝)
裸の大将(1958年、東宝) - 山下清
社長太平記(1959年、東宝)
日本誕生(1959年、東宝)
ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐(1960年、東宝)
名もなく貧しく美しく(1961年、東宝)
小早川家の秋(1961年、東宝)
椿三十郎(1962年、東宝)
放浪記(1962年、東宝)
江分利満氏の優雅な生活(1963年、東宝)
けものみち(1965年、東宝)
女の中にいる他人(1966年、東宝)
日本のいちばん長い日(1967年、東宝)
新撰組 (1969年)土方歳三役
幻の殺意(1971年、東宝)
日本沈没(1973年、東宝)
男はつらいよ 葛飾立志篇(1975年、松竹)
八甲田山(1977年、東宝・シナノ企画)
連合艦隊 (1981年、東宝)
ハイティーン・ブギ(1982年、東宝)
ゴジラ(1984年、東宝)
そろばんずく(1986年、フジテレビ・AtoZ・ニッポン放送)
マルサの女(1987年、東宝)
刑事物語5・やまびこの詩(1987年、東宝)
YAWARA! (1989年、東宝、MYCALグループ):猪熊滋悟郎役
耳をすませば(1995年、徳間書店、日本テレビ、博報堂、スタジオジブリ)※声の出演
あの、夏の日−とんでろじいちゃん(1999年、プライド・ワン、ピー・エス・シー)
テレビ
金曜ドラマ 赤ひげ (1972年10月〜1973年9月 NHK):新出去定役
日本沈没 (1974年10月〜75年3月 TBSテレビ):田所博士役
江戸の旋風U〜 (1976年4月〜1978年4月、フジテレビ)
大河ドラマ 風と雲と虹と(1976年、NHK)
冬の桃(1977年、NHK):西東三鬼役
すぐやる一家青春記(1977年7月〜10月、TBS)
江戸の渦潮(1978年5月〜11月、フジテレビ)
江戸の激斗(1979年5月〜12月、フジテレビ)
江戸の朝焼け(フジテレビ、1980年)
仕掛人・藤枝梅安(フジテレビ)
大河ドラマ 徳川家康(1983年、NHK)
土曜ワイド劇場 牟田刑事官事件ファイルシリーズ(1983年〜、テレビ朝日)
大河ドラマ 春の波涛(1985年、NHK)
火曜サスペンス劇場 弁護士・朝日岳之助シリーズ(1989年〜2005年、日本テレビ):朝日岳之助 役
イエローカード(1993年、TBS)
連続テレビ小説 かりん(1993年10月〜1994年4月)
東芝日曜劇場 お兄ちゃんの選択(1994年、TBS)
ドラマ新銀河 今夜もごちそうさま(1997年、NHK)
土曜ワイド劇場 牟田刑事官VS終着駅の牛尾刑事そして事件記者冴子シリーズ(2001年〜2005年、テレビ朝日)
マグロ(2007年1月4日・5日、テレビ朝日):石田・組合長 役
拝啓、父上様(2007年、フジテレビ)
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
父親が警察官という厳格な家庭に生まれる。桂樹の名はオリンピックの勝利のシンボルである月桂樹にちなんで命名したという。1934年に前橋市立桃の井小学校を卒業後は、宇都宮の陸軍幼年学校を受けるも不合格となり、県立前橋中学に進学。在学中は友人からよく映画などに誘われても、きちんと校則を守り、一度も映画館に足を運ばなかったというまじめ人間だった。1938年に卒業すると、父親が病死したため、千葉県市川市に住んでいた叔父を頼って一家が移転する。その後は、日本大学専門部芸術科に進むも学費が払えぬようになり、1941年に中退する。しかし、大学時代にアルバイトで朝日新聞社の給仕をやって、映画評論家や映画記者などと接するうちに、映画の世界に憧れを持つようになる。平凡なサラリーマンにはなるまいと誓い、また叔父にも勧められたことから、役者を目指して同年に日活、東宝、松竹の入社試験を受け、日活へ入社。1942年に『微笑の国』の工員役でデビューする。翌1943年に日活解散と共に大映に移籍し、『菊池千本桜』で松尾大尉役で出演するも、なかなか才能が芽生えず、折からの第二次世界大戦により満州への徴兵生活も加わって、苦しい時代をすごす。
終戦により復員して、1946年の『君かと思ひて』が戦後初出演、折原啓子の恋人を演じて二枚目として売り出す。1951年『その人の名は言えない』で急遽出演できなくなった千秋実の代役に主演したことがきっかけで、二枚目でもない三枚目でもない独自の演技が周囲に認められはじめ、次第に頭角をあらわす。1951年に東宝で主演したサラリーマン物『ホープさん』でそのユーモラスで明るいキャラクターが注目され、1952年に藤本真澄に誘われて東宝と契約。森繁久弥演じる一連の社長シリーズ(1956年〜1971年)のすべてに出演。真面目で頑なな秘書役など、平凡で健全な一般庶民を演じて人気を得た。
1955年に今井正監督の『ここに泉あり』で毎日映画コンクール助演男優賞を受賞、1958年には百本記念映画として制作された『裸の大将』で実在の天才画家・山下清を演じ、同映画コンクール主演男優賞に輝く。精薄者を馬鹿にした映画だと一部からは非難されたが本物の山下清と見まごうばかりの熱演で、劇中でどもりながらの台詞「兵隊の位にすると…」は流行語になった。1960年に『黒い画集・あるサラリーマンの証言』、1961年には松山善三の監督デビュー作『名もなく貧しく美しく』に主演し、喜劇のみならずシリアスなドラマにでも活躍、特に『黒い画集』ではキネマ旬報男優賞、ブルーリボン大衆賞、毎日映画コンクール主演男優賞と、各映画賞を総なめにした。演技に円熟味を増した1963年には岡本喜八監督、山口瞳原作の『江分利満氏の優雅な生活』で、戦中派の中年サラリーマンを演じ、毎日映画コンクール主演男優賞、日本映画記者会賞最優秀男優賞を受賞するなど、名実共にトップスターとなった。『裸の大将』や『黒い画集』などで小林と長く接してきた堀川弘通監督に「きわめて平凡な人間の姿から非凡な演技がほとばしり出るかけがえのない俳優」と評される。
しかし、映画界が衰退していくにつれ、小林に向く企画も減り始めてからは、植木等の無責任男や加山雄三の若大将の台頭もあって、次第に小林の演じる庶民像は時代とのズレが目立ち、批評家からは戦前の古いモラルの殻からぬけきれず、戦後の時代になってもそれを背負って生きている、良くも悪くも戦中派の代表格と評されるようになる。またこの頃から、テレビの出演が増え始め、その明るいキャラクターから1966年にはNTVの『おはよう日本』の司会者に抜擢されたが、視聴率が上がらず降板する。
映画化された当時のベストセラー小説『日本沈没』(小松左京)では、日本の危機を示唆する重要な役所である田所博士を好演している。1983年にはフジテレビの『森田一義アワー笑っていいとも!』のテレホンショッキングに出演。1984年には9年ぶりに復活した『ゴジラ』で三田村清輝内閣総理大臣役を演じ人気を博す。
現在も、テレビ朝日『牟田刑事官事件ファイル』の主役を勤めており、番組自体も長年のロングランとなっている。2001年にはNHKの金曜時代劇『山田風太郎からくり事件帖〜警視庁草紙より〜』出演期間中に緊急入院するなど健康状態も危ぶまれたが、最近ではツーカーの「ツーカーS」の携帯電話のCM出演(CMでは、小林桂樹が頑固な父を演じ、娘や奥さんから「カンタンだから」と携帯を薦められても、「今までカンタンと言ってカンタンなものはない」と言って断固使わんぞ態度ながら、誰もいなくなってから使ってみて「カンタン」を実感するというストーリーで、「カンタン」をイメージさせている。)でその健在ぶりをアピールしている。
アニメーションでは、ウォルト・ディズニーの『わんわん物語』の主人公・トランプと、スタジオジブリ制作の映画『耳をすませば』の「地球屋」の主人・西司郎(主人公の恋人の祖父)を、難しい役所ながらも滋味あふれる声で見事に表現した。
ちなみに甥にあたるさいとうあきひこはNHK『ステージ101』に出演。ヤング101のメンバーとして活躍した実績を持ち、音楽活動を続けていた。
出演作品
映画
マライの虎(1943年、大映) - ハッサン
窓から飛び出せ(1950年、新東宝)
有頂天時代(1951年、新東宝)
めし(1951年、東宝)
ラッキーさん(1952年、東宝)
プーサン(1953年、東宝)
太平洋の鷲(1953年、東宝)
ここに泉あり(1955年、中央映画)
驟雨(1956年、東宝)
大番(1957年、東宝)
裸の大将(1958年、東宝) - 山下清
社長太平記(1959年、東宝)
日本誕生(1959年、東宝)
ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐(1960年、東宝)
名もなく貧しく美しく(1961年、東宝)
小早川家の秋(1961年、東宝)
椿三十郎(1962年、東宝)
放浪記(1962年、東宝)
江分利満氏の優雅な生活(1963年、東宝)
けものみち(1965年、東宝)
女の中にいる他人(1966年、東宝)
日本のいちばん長い日(1967年、東宝)
新撰組 (1969年)土方歳三役
幻の殺意(1971年、東宝)
日本沈没(1973年、東宝)
男はつらいよ 葛飾立志篇(1975年、松竹)
八甲田山(1977年、東宝・シナノ企画)
連合艦隊 (1981年、東宝)
ハイティーン・ブギ(1982年、東宝)
ゴジラ(1984年、東宝)
そろばんずく(1986年、フジテレビ・AtoZ・ニッポン放送)
マルサの女(1987年、東宝)
刑事物語5・やまびこの詩(1987年、東宝)
YAWARA! (1989年、東宝、MYCALグループ):猪熊滋悟郎役
耳をすませば(1995年、徳間書店、日本テレビ、博報堂、スタジオジブリ)※声の出演
あの、夏の日−とんでろじいちゃん(1999年、プライド・ワン、ピー・エス・シー)
テレビ
金曜ドラマ 赤ひげ (1972年10月〜1973年9月 NHK):新出去定役
日本沈没 (1974年10月〜75年3月 TBSテレビ):田所博士役
江戸の旋風U〜 (1976年4月〜1978年4月、フジテレビ)
大河ドラマ 風と雲と虹と(1976年、NHK)
冬の桃(1977年、NHK):西東三鬼役
すぐやる一家青春記(1977年7月〜10月、TBS)
江戸の渦潮(1978年5月〜11月、フジテレビ)
江戸の激斗(1979年5月〜12月、フジテレビ)
江戸の朝焼け(フジテレビ、1980年)
仕掛人・藤枝梅安(フジテレビ)
大河ドラマ 徳川家康(1983年、NHK)
土曜ワイド劇場 牟田刑事官事件ファイルシリーズ(1983年〜、テレビ朝日)
大河ドラマ 春の波涛(1985年、NHK)
火曜サスペンス劇場 弁護士・朝日岳之助シリーズ(1989年〜2005年、日本テレビ):朝日岳之助 役
イエローカード(1993年、TBS)
連続テレビ小説 かりん(1993年10月〜1994年4月)
東芝日曜劇場 お兄ちゃんの選択(1994年、TBS)
ドラマ新銀河 今夜もごちそうさま(1997年、NHK)
土曜ワイド劇場 牟田刑事官VS終着駅の牛尾刑事そして事件記者冴子シリーズ(2001年〜2005年、テレビ朝日)
マグロ(2007年1月4日・5日、テレビ朝日):石田・組合長 役
拝啓、父上様(2007年、フジテレビ)
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
あ行
百万ドルのエクボで売りだした女優 乙羽信子
乙羽 信子(おとわ のぶこ、本名・新藤信子(旧姓・加治)、1924年10月1日 - 1994年12月22日)は、昭和中期から平成期(1950年代後半〜1990年代前半)の女優。
鳥取県西伯郡米子町(現・米子市)西倉吉町に生れる。父の家に引き取られ、大阪で育つ。間もなく、饅頭屋の養女となり、神戸市に移る。
宝塚歌劇との出会い〜宝塚時代
小学校のときから日本舞踊を習い、また、養父の姉に連れられて宝塚歌劇を見に行くうち、憧れるようになり、1937年、「宝塚音楽学校予科」に入学する。翌年本科に進み、1939年卒業する。同期生に越路吹雪、月丘夢路、東郷晴子、大路三千緒らがいた。同年の公演『宝塚花物語』で同期生達と共に初舞台を踏む。戦後、再開された公演で娘役トップスター(主に雪組公演出演)として淡島千景と人気を二分し、男役トップスターの上級生、春日野八千代の相手役として戦後の宝塚歌劇第一期黄金時代を支える。
1950年、娘役に限界を感じ始め、松竹入りした淡島千景に倣うように退団。
退団後の活躍
大映
退団後、大映に入社する。大映は、宝塚歌劇団時代から人気のあった「えくぼ」に「百万ドルのえくぼ」というキャッチフレーズをつけて、純情型のスターとして売り出す。デビュー作は同年の新藤兼人脚本、木村恵吾監督の『処女蜂』で、上原謙と共演した。その後、何作かに出演したが、魅力を出し切ったとはいえなかった。しかし、1951年の新藤兼人の第1回監督作品『愛妻物語』で、夫を陰で支える妻を好演し、映画界でもスターの地位を手に入れる。
近代映画協会
1952年、松竹を退社して「近代映画協会」を設立していた新藤兼人の第1回自主制作映画『原爆の子』に大映の反対を押し切って出演する。これを機に大映を退社し、近代映画協会の同人となる。
新藤兼人
以後、近代映画協会が製作する映画に立て続けに出演する中で、それまでの「宝塚歌劇団出身」「お嬢さま女優」「百万ドルのエクボ」「清純派」のイメージから180度転換し強烈なリアリズムあふれた演技を見せ、日本映画史にその名を残すこととなる。それを象徴する作品で、代表作となったのが、1960年の『裸の島』である。せりふが一切なく、登場人物も狭い島で働く夫婦(乙羽と殿山泰司が演じた)だけという実験的な映画であったが、そのリアリティーあふれる画面は大好評となり、第2回モスクワ国際映画祭でグランプリを受賞するなど、世界的に高い評価を受ける。 この作品以来、新藤の作品は、乙羽演じる主人公をどう生かすかを中心に構想されたといっても過言ではない。1978年、新藤と結婚。結婚後、最初の作品となった『絞殺』で、1979年、ベネチア国際映画祭最優秀主演女優賞を受賞する。
私生活
ちなみに、新藤とは夫婦であっても、乙羽は「先生」と呼び、また新藤は「乙羽君」と呼び合っていた。恋仲になった時、新藤には既に妻がおり、忍ぶ間柄であった。しかし結ばれた2人を前妻の子は祝福し迎えている。「いきなり子供達ができました」と、乙羽は喜んでいた。
テレビ
晩年には、新藤の仕事以外にも、テレビ・舞台と幅広く活躍し、貴重な脇役として人気を博した。1983年には驚異的な視聴率を記録した『おしん』に主演している。新たなファンを獲得した。
1987年から1992年にかけて、日本テレビ放送網の火曜サスペンス劇場で、水谷豊主演の浅見光彦ミステリーとその続編である、朝比奈周平ミステリーで、水谷の母親役を演じる。
晩年
杉村春子との共演で話題になった新藤の『午後の遺言状』の撮影を終えた1994年12月22日午前、肝臓癌による肝硬変で死去。享年70。新藤は作品が乙羽の遺作になるという覚悟の上で制作に臨み、メガホンを取ったという。乙羽自身も残された時間を知った上で出演したといわれている。
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
鳥取県西伯郡米子町(現・米子市)西倉吉町に生れる。父の家に引き取られ、大阪で育つ。間もなく、饅頭屋の養女となり、神戸市に移る。
宝塚歌劇との出会い〜宝塚時代
小学校のときから日本舞踊を習い、また、養父の姉に連れられて宝塚歌劇を見に行くうち、憧れるようになり、1937年、「宝塚音楽学校予科」に入学する。翌年本科に進み、1939年卒業する。同期生に越路吹雪、月丘夢路、東郷晴子、大路三千緒らがいた。同年の公演『宝塚花物語』で同期生達と共に初舞台を踏む。戦後、再開された公演で娘役トップスター(主に雪組公演出演)として淡島千景と人気を二分し、男役トップスターの上級生、春日野八千代の相手役として戦後の宝塚歌劇第一期黄金時代を支える。
1950年、娘役に限界を感じ始め、松竹入りした淡島千景に倣うように退団。
退団後の活躍
大映
退団後、大映に入社する。大映は、宝塚歌劇団時代から人気のあった「えくぼ」に「百万ドルのえくぼ」というキャッチフレーズをつけて、純情型のスターとして売り出す。デビュー作は同年の新藤兼人脚本、木村恵吾監督の『処女蜂』で、上原謙と共演した。その後、何作かに出演したが、魅力を出し切ったとはいえなかった。しかし、1951年の新藤兼人の第1回監督作品『愛妻物語』で、夫を陰で支える妻を好演し、映画界でもスターの地位を手に入れる。
近代映画協会
1952年、松竹を退社して「近代映画協会」を設立していた新藤兼人の第1回自主制作映画『原爆の子』に大映の反対を押し切って出演する。これを機に大映を退社し、近代映画協会の同人となる。
新藤兼人
以後、近代映画協会が製作する映画に立て続けに出演する中で、それまでの「宝塚歌劇団出身」「お嬢さま女優」「百万ドルのエクボ」「清純派」のイメージから180度転換し強烈なリアリズムあふれた演技を見せ、日本映画史にその名を残すこととなる。それを象徴する作品で、代表作となったのが、1960年の『裸の島』である。せりふが一切なく、登場人物も狭い島で働く夫婦(乙羽と殿山泰司が演じた)だけという実験的な映画であったが、そのリアリティーあふれる画面は大好評となり、第2回モスクワ国際映画祭でグランプリを受賞するなど、世界的に高い評価を受ける。 この作品以来、新藤の作品は、乙羽演じる主人公をどう生かすかを中心に構想されたといっても過言ではない。1978年、新藤と結婚。結婚後、最初の作品となった『絞殺』で、1979年、ベネチア国際映画祭最優秀主演女優賞を受賞する。
私生活
ちなみに、新藤とは夫婦であっても、乙羽は「先生」と呼び、また新藤は「乙羽君」と呼び合っていた。恋仲になった時、新藤には既に妻がおり、忍ぶ間柄であった。しかし結ばれた2人を前妻の子は祝福し迎えている。「いきなり子供達ができました」と、乙羽は喜んでいた。
テレビ
晩年には、新藤の仕事以外にも、テレビ・舞台と幅広く活躍し、貴重な脇役として人気を博した。1983年には驚異的な視聴率を記録した『おしん』に主演している。新たなファンを獲得した。
1987年から1992年にかけて、日本テレビ放送網の火曜サスペンス劇場で、水谷豊主演の浅見光彦ミステリーとその続編である、朝比奈周平ミステリーで、水谷の母親役を演じる。
晩年
杉村春子との共演で話題になった新藤の『午後の遺言状』の撮影を終えた1994年12月22日午前、肝臓癌による肝硬変で死去。享年70。新藤は作品が乙羽の遺作になるという覚悟の上で制作に臨み、メガホンを取ったという。乙羽自身も残された時間を知った上で出演したといわれている。
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
あ行
新東宝時代 若手のスターだった 宇津井健
宇津井 健(うつい けん、1931年10月24日 - )は、東京都出身の日本の俳優。所属事務所はサムデイ。
千葉県立千葉高等学校卒業、早稲田大学中退。大学時代は馬術部に所属。在学中に俳優座養成所に入る。この間に『思春の泉』(1953年、中川信夫監督)で華々しく映画初主演を飾る。翌1954年に新東宝に入社し、若手スターとして大活躍、各方面からの注目を集める。『鋼鉄の巨人(スーパー・ジャイアンツ)シリーズ』での主演は今でも語り継がれる。1961年、新東宝倒産。
1961年には大映に移り、映画では脇に回ることが多くなる。主演した大映テレビドラマ『ザ・ガードマン』(1965年)は30%を超える高視聴率で長寿番組となる。
60年代半ばから80年代前半まで大映テレビドラマの大黒柱として活躍。山口百恵と共演した「赤い」シリーズ、1988年10月から1995年3月まで7シリーズにわたって放送された『さすらい刑事旅情編』などで活躍する。また、山口百恵のアルバム『青い果実/禁じられた遊び』の中の曲 『パパは恋人』でデュエットしており、歌声を聴くことができる。
最近ではドラマの中で、子供思いの父親または祖父役を演じることが多い。また『宇津井健氏は神経痛』という回文のネタにもなっている。2005年6月23日の『とんねるずのみなさんのおかげでした』に息子の隆氏が出演している。彼は、フジテレビ事業部主任である。
2006年4月6日から放送開始した『渡る世間は鬼ばかり』の第8シリーズで藤岡琢也に代わり主人公の岡倉大吉を演じる。宇津井自身、連続ドラマで主役を演じるのは1995年3月の『さすらい刑事旅情編』の放送終了後11年ぶりである。
エピソード
新東宝制作の映画『スーパージャイアンツ』シリーズは、美術・音楽・演出ともに当時の子供向け作品の中にあって、良心的なスタッフが実力を大いに発揮した優れた作品である。特に舞台美術は屈指の傑作。但し、近年お笑いタレントなどが、宇津井演じる主人公の股間部が目立つ(いわゆる「モッコリ」)タイツ姿を頻繁に笑いのネタにしたため、傑作でありながら宇津井本人がこの話を嫌い制作当時のインタビューに応じない。しかしこの二人を特に嫌ってはおらず、ラジオにもゲスト出演、番組にも出演している。(おそらく本人は、この二人が自身のことを頻繁にネタにしていることを知らない。)
2006年4月12日、長年連れ添った友里恵夫人(旧名・千恵子)が膵臓癌のため亡くなった。死去した当日も、宇津井は普段通りの態度でラジオやドラマ『渡る世間は鬼ばかり』の仕事をこなした。この時、石井ふく子プロデューサーは「奥さんの死を口止めされていた。セリフもつかえることなく、変わらず仕事をする宇津井さんには本当にプロフェッショナルを感じた。頭が下がる思い。」と語っている。
自宅にはトレーニングルームがあり、テレビ通販で購入したマシンが沢山置いてある。小柳ゆきのCDをかけて体を鍛えるのが毎日の日課とか。
藤原紀香と所属事務所が同じである。その縁もあり紀香と陣内智則の結婚披露宴では乾杯の音頭を取った。なお契約時期が紀香より若干遅く、事務所内では紀香が「先輩」であると、披露宴の際に打ち明けた。
略歴
1950年(昭和25年)早稲田大学第一文学部芸術科演劇入学
1952年(昭和27年)俳優座養成所第4期生入学
1953年(昭和28年)俳優座製作映画「思春の泉」主演抜擢
1954年(昭和29年)新東宝(株)と契約。この期間出演77本
1961年(昭和36年)大映映画(株)と契約。出演41本
1971年(昭和46年)大映倒産後、大映テレビ(株)に自動契約
1995年(平成7年)(株)サムデイと専属契約。現在に至る
出演作品
映画
『思春の泉』(1953年、映画デビュー作)
『暴力の王者』(1956年、新東宝)
『明治天皇と日露大戦争』(1957年、新東宝)
スーパージャイアンツシリーズ
『鋼鉄の巨人』『続鋼鉄の巨人』(1957年)
『怪星人の魔城』『地球滅亡寸前』(1957年)
『人工衛星と人類の破滅』(1957年)『宇宙艇と人工衛星の激突』(1958年)
『宇宙怪人出現』(1958年)
続スーパージャイアンツシリーズ
『悪魔の化身』(1959年)
『毒蛾王国』(1959年)
『女王蜂の怒り』(1958年)
人間の壁(1959年)
『猛吹雪の死闘』(1959年、新東宝)
『戦場のなでしこ』(1959年、新東宝)
『雷電』(1959年)
『皇室と戦争とわが民族』(1960年、新東宝)
『松川事件』(1961年)
『秦・始皇帝』(1962年 大映)
『黒の報告書』(1963年)
『黒の死球』(1963年)
『黒の商標』(1963年)
『巨人 大隈重信』(1963年)
『昨日消えた男』(1964年)
『黒の切り札』(1964年)
『新幹線大爆破』(1975年)
『催眠』(1999年)
『シベリア超特急3』(2002年)
『死に花』(2004年、以前の岡倉大吉役だった藤岡琢也と共演)
『鳶がクルリと』(2005年)
『大停電の夜に』(2005年)
テレビドラマ
NHK系
大河ドラマ
『いのち』
『武田信玄』
『信長』
『葵徳川三代』
『武蔵 MUSASHI』
『ぴあの』(連続テレビ小説)
『新・腕におぼえあり』(金曜時代劇)
『ブルーもしくはブルー もう一人の私』
『男が家を出るとき』(銀河テレビ小説)
『黄昏の赫いきらめき』
『上杉鷹山』
『流通戦争』
日本テレビ系
『源さん』(1983年)
『たんぽぽ』
『ぼくの娘を盗むのですか』
『明日があるさスペシャル』
『ごくせん』シリーズ(2002、2005)
『おとなの夏休み』(2005年)
TBS系
『ザ・ガードマン』
『シークレット部隊』
『赤いシリーズ』(『赤い絆』・『赤い魂』除く。)
『心』
『年ごろ家族』
『野々村病院物語』
『薔薇海峡』
『少女に何が起ったか』
『三十ふり袖』
『初蕾』
『プリティガール』
『デパート!夏物語』(中条静夫の代役。)
『渡る世間は鬼ばかり』(藤岡琢也の代役→藤岡琢也の死去で事実上後任になる。現在、放映中)
『山田太郎ものがたり』(現在、放映中)
フジテレビ系
『検事』
『秋刀魚の味』
『お義母さんといっしょ』
『海のオルゴール』
『Fujiko Hemmingの軌跡』
『ムコ殿』
『東京物語』
『BRAND』
『LONG LOVE -遠嫁日本-』(BSフジ)
『危険なアネキ』
『鬼平犯科帳スペシャル 一本眉』
テレビ朝日系
『にんじんの詩』(NET)
『さすらい刑事旅情編』シリーズ
『車椅子の弁護士・水島威』シリーズ
『伊集院さゆりの事件簿』
『忍者がえし水の城』
『快刀!夢一座七変化』
『藤沢周平用心棒日月抄』
『オヤジ探偵2』
『京都地検の女3』(第1話糀谷辰夫役)2006年
舞台
『結婚する手続き』
『60歳のラブレター』
『初蕾』
バラエティー番組
さんまのまんま(関西テレビ)
ライオンのごきげんよう(フジテレビ)
ダウンタウンDX(読売テレビ)
ジャングルTV〜タモリの法則〜・ジャングルハンマーのコーナー(毎日放送)
CM
サントリーレッド(サントリー)
大正漢方胃腸薬(大正製薬)
KDDI(au)=桂歌丸と共演「簡単ケータイS編」
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
千葉県立千葉高等学校卒業、早稲田大学中退。大学時代は馬術部に所属。在学中に俳優座養成所に入る。この間に『思春の泉』(1953年、中川信夫監督)で華々しく映画初主演を飾る。翌1954年に新東宝に入社し、若手スターとして大活躍、各方面からの注目を集める。『鋼鉄の巨人(スーパー・ジャイアンツ)シリーズ』での主演は今でも語り継がれる。1961年、新東宝倒産。
1961年には大映に移り、映画では脇に回ることが多くなる。主演した大映テレビドラマ『ザ・ガードマン』(1965年)は30%を超える高視聴率で長寿番組となる。
60年代半ばから80年代前半まで大映テレビドラマの大黒柱として活躍。山口百恵と共演した「赤い」シリーズ、1988年10月から1995年3月まで7シリーズにわたって放送された『さすらい刑事旅情編』などで活躍する。また、山口百恵のアルバム『青い果実/禁じられた遊び』の中の曲 『パパは恋人』でデュエットしており、歌声を聴くことができる。
最近ではドラマの中で、子供思いの父親または祖父役を演じることが多い。また『宇津井健氏は神経痛』という回文のネタにもなっている。2005年6月23日の『とんねるずのみなさんのおかげでした』に息子の隆氏が出演している。彼は、フジテレビ事業部主任である。
2006年4月6日から放送開始した『渡る世間は鬼ばかり』の第8シリーズで藤岡琢也に代わり主人公の岡倉大吉を演じる。宇津井自身、連続ドラマで主役を演じるのは1995年3月の『さすらい刑事旅情編』の放送終了後11年ぶりである。
エピソード
新東宝制作の映画『スーパージャイアンツ』シリーズは、美術・音楽・演出ともに当時の子供向け作品の中にあって、良心的なスタッフが実力を大いに発揮した優れた作品である。特に舞台美術は屈指の傑作。但し、近年お笑いタレントなどが、宇津井演じる主人公の股間部が目立つ(いわゆる「モッコリ」)タイツ姿を頻繁に笑いのネタにしたため、傑作でありながら宇津井本人がこの話を嫌い制作当時のインタビューに応じない。しかしこの二人を特に嫌ってはおらず、ラジオにもゲスト出演、番組にも出演している。(おそらく本人は、この二人が自身のことを頻繁にネタにしていることを知らない。)
2006年4月12日、長年連れ添った友里恵夫人(旧名・千恵子)が膵臓癌のため亡くなった。死去した当日も、宇津井は普段通りの態度でラジオやドラマ『渡る世間は鬼ばかり』の仕事をこなした。この時、石井ふく子プロデューサーは「奥さんの死を口止めされていた。セリフもつかえることなく、変わらず仕事をする宇津井さんには本当にプロフェッショナルを感じた。頭が下がる思い。」と語っている。
自宅にはトレーニングルームがあり、テレビ通販で購入したマシンが沢山置いてある。小柳ゆきのCDをかけて体を鍛えるのが毎日の日課とか。
藤原紀香と所属事務所が同じである。その縁もあり紀香と陣内智則の結婚披露宴では乾杯の音頭を取った。なお契約時期が紀香より若干遅く、事務所内では紀香が「先輩」であると、披露宴の際に打ち明けた。
略歴
1950年(昭和25年)早稲田大学第一文学部芸術科演劇入学
1952年(昭和27年)俳優座養成所第4期生入学
1953年(昭和28年)俳優座製作映画「思春の泉」主演抜擢
1954年(昭和29年)新東宝(株)と契約。この期間出演77本
1961年(昭和36年)大映映画(株)と契約。出演41本
1971年(昭和46年)大映倒産後、大映テレビ(株)に自動契約
1995年(平成7年)(株)サムデイと専属契約。現在に至る
出演作品
映画
『思春の泉』(1953年、映画デビュー作)
『暴力の王者』(1956年、新東宝)
『明治天皇と日露大戦争』(1957年、新東宝)
スーパージャイアンツシリーズ
『鋼鉄の巨人』『続鋼鉄の巨人』(1957年)
『怪星人の魔城』『地球滅亡寸前』(1957年)
『人工衛星と人類の破滅』(1957年)『宇宙艇と人工衛星の激突』(1958年)
『宇宙怪人出現』(1958年)
続スーパージャイアンツシリーズ
『悪魔の化身』(1959年)
『毒蛾王国』(1959年)
『女王蜂の怒り』(1958年)
人間の壁(1959年)
『猛吹雪の死闘』(1959年、新東宝)
『戦場のなでしこ』(1959年、新東宝)
『雷電』(1959年)
『皇室と戦争とわが民族』(1960年、新東宝)
『松川事件』(1961年)
『秦・始皇帝』(1962年 大映)
『黒の報告書』(1963年)
『黒の死球』(1963年)
『黒の商標』(1963年)
『巨人 大隈重信』(1963年)
『昨日消えた男』(1964年)
『黒の切り札』(1964年)
『新幹線大爆破』(1975年)
『催眠』(1999年)
『シベリア超特急3』(2002年)
『死に花』(2004年、以前の岡倉大吉役だった藤岡琢也と共演)
『鳶がクルリと』(2005年)
『大停電の夜に』(2005年)
テレビドラマ
NHK系
大河ドラマ
『いのち』
『武田信玄』
『信長』
『葵徳川三代』
『武蔵 MUSASHI』
『ぴあの』(連続テレビ小説)
『新・腕におぼえあり』(金曜時代劇)
『ブルーもしくはブルー もう一人の私』
『男が家を出るとき』(銀河テレビ小説)
『黄昏の赫いきらめき』
『上杉鷹山』
『流通戦争』
日本テレビ系
『源さん』(1983年)
『たんぽぽ』
『ぼくの娘を盗むのですか』
『明日があるさスペシャル』
『ごくせん』シリーズ(2002、2005)
『おとなの夏休み』(2005年)
TBS系
『ザ・ガードマン』
『シークレット部隊』
『赤いシリーズ』(『赤い絆』・『赤い魂』除く。)
『心』
『年ごろ家族』
『野々村病院物語』
『薔薇海峡』
『少女に何が起ったか』
『三十ふり袖』
『初蕾』
『プリティガール』
『デパート!夏物語』(中条静夫の代役。)
『渡る世間は鬼ばかり』(藤岡琢也の代役→藤岡琢也の死去で事実上後任になる。現在、放映中)
『山田太郎ものがたり』(現在、放映中)
フジテレビ系
『検事』
『秋刀魚の味』
『お義母さんといっしょ』
『海のオルゴール』
『Fujiko Hemmingの軌跡』
『ムコ殿』
『東京物語』
『BRAND』
『LONG LOVE -遠嫁日本-』(BSフジ)
『危険なアネキ』
『鬼平犯科帳スペシャル 一本眉』
テレビ朝日系
『にんじんの詩』(NET)
『さすらい刑事旅情編』シリーズ
『車椅子の弁護士・水島威』シリーズ
『伊集院さゆりの事件簿』
『忍者がえし水の城』
『快刀!夢一座七変化』
『藤沢周平用心棒日月抄』
『オヤジ探偵2』
『京都地検の女3』(第1話糀谷辰夫役)2006年
舞台
『結婚する手続き』
『60歳のラブレター』
『初蕾』
バラエティー番組
さんまのまんま(関西テレビ)
ライオンのごきげんよう(フジテレビ)
ダウンタウンDX(読売テレビ)
ジャングルTV〜タモリの法則〜・ジャングルハンマーのコーナー(毎日放送)
CM
サントリーレッド(サントリー)
大正漢方胃腸薬(大正製薬)
KDDI(au)=桂歌丸と共演「簡単ケータイS編」
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
