津島恵子(つしま けいこ 1926年2月7日 - )は、日本を代表する大女優のひとり。本名は森(旧姓・倉成)直子。長崎県下県郡厳原町(現対馬市)出身。東洋音楽学校(現東京音楽大学)中退。1947年、松竹映画「安城家の舞踏会」で華々しくデビュー。以来、日本を代表する女優として数々の映画・舞台に出演。なかでも、黒澤明監督の「七人の侍」での演技は、日本映画史上に残る名演技として語り継がれている。ほかの主な出演作に 「日本ダービー勝負」「とんかつ大将」「おしゃべり社長」などがある。東宝副社長を務めた森岩雄は義父にあたる。
主な出演作品
映画
「七人の侍」(ヴェネチア国際映画祭サン・マルコ銀獅子賞受賞作品。監督:黒澤明。1954年)
「適齢三人娘」
「長崎の鐘」
「君待てども」
「足摺岬」
「国定忠治」
「鬼火」
「お茶漬の味」 Flavor of Green Tea Over Rice (監督:小津安二郎 。1952年)
「ひめゆりの塔」
「喜劇 大誘拐」
「二人だけの朝」
「あした輝く」
「悲しき口笛」
「潮騒」1975ゴールデンコンビ百恵、友和と共演
テレビ
「恐怖劇場アンバランス」
「どたんば」
「山鳩の宿」
「三毛猫ホームズの黄昏ホテル」
花神(1977年、NHK大河ドラマ)
「おれは男だ!」
NHK大河ドラマ「山河燃ゆ」
「俺たちの旅」
「大奥」
花王・愛の劇場「母さん、家においでよ」(TBS)
「君が人生の時」(TBS)
NHK朝の連続テレビ小説「あぐり」(1997年)
NHK朝の連続テレビ小説「さくら」(2002年)
土曜ワイド劇場「牟田刑事官事件ファイル」シリーズ
バラエティー番組
「いつみても波瀾万丈」(日本テレビ)
「徹子の部屋」(テレビ朝日)
「クイズ面白ゼミナール」(NHK総合)
関連書籍
「君美わしく 戦後日本映画女優讃」(川本三郎著。文芸春秋社。川本による津島を含む女優達のインタビュー集)
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
た行
さ行
[ 「君の名は」でトップ・スターの地歩を築いた佐田啓二
佐田 啓二(さた けいじ、本名・中井寛一、1926年12月9日 - 1964年8月17日)は昭和中期(1940年代後半 - 1960年代前半)の俳優。
京都市下京区の商家の息子に生まれる。京都市立第二商業学校卒業後、早稲田大学政治経済学部に入学する。学生時代、松竹の人気俳優佐野周二の家に下宿していた縁で、1946年、松竹大船撮影所に入社する。
1947年、木下恵介監督の『不死鳥』で、いきなり、大スター田中絹代の相手役に抜擢される。田中とのラブシーンは話題となり、早くもスターの地位を獲得する。続いて、菊田一夫原作のNHKの人気ラジオドラマの映画化、『鐘の鳴る丘』に主演し、国民的人気を獲得する。
ほぼ同時期にデビューした高橋貞二、鶴田浩二と人気を分け合い「松竹戦後の三羽烏」と言われた。その人気を決定的なものとしたのは、1953年に公開された『君の名は』である。当時の大人気ドラマを映画化したこの作品で岸惠子と共演し、名実共にトップスターの地位につく。
その後、徐々に演技派に脱皮していき、特に、プロ野球選手のスカウト合戦を題材にした1956年の小林正樹監督の問題作『あなた買います』ではスカウトを演じ、伊藤雄之助を相手に鬼気迫る演技を見せ、毎日映画コンクール、ブルーリボン賞の主演男優賞を獲得した。
その後も、木下の『喜びも悲しみも幾歳月』、小津安二郎の『秋刀魚の味』など戦後を代表する作品に出演する。1964年8月17日、信州の別荘から東京へ戻る途中韮崎市の国道20号線で交通事故に遭い死去。享年37。そのため、出演中であったNHKのドラマ『虹の設計』は生前の映像のコラージュにより製作された。墓所は田中絹代と同じ鎌倉・円覚寺にある。
俳優の中井貴一、中井貴惠は実子。
主な出演作品
映画
「不死鳥」(1947年)
「お嬢さん乾杯!」(1949年。監督:木下恵介)
「カルメン故郷に帰る」(1951年。初のカラー映画出演)
「命美わし」(1951年)
「自由学校」(1951年。松竹版)
「本日休診」(1952年)
「ひばりのサーカス 悲しき小鳩」(1952年。※DVD発売)
「日本の悲劇」(1953年。監督:木下恵介)
「君の名は 第1部〜第3部」(1953年〜1954年。※DVD発売)
「勲章」(1954年)
「あなた買います」(1956年。監督:小林正樹)
「台風騒動記」(1956年。監督:山本薩夫)
「喜びも悲しみも幾歳月」(1957年。監督:木下恵介)
「彼岸花」 EQUINOX FLOWER (監督:小津安二郎。1958年。※DVD発売)
「日日の背信」(1958年)
「人間の條件 第1部〜第4部」(ヴェネチア国際映画祭サン・ジョルジョ賞、イタリア批評家賞受賞作品。監督:小林正樹。1959年。※DVD発売)
「惜春鳥」(1959年。監督:木下恵介。※DVD発売)
「お早よう」 GOOD MORNING (監督:小津安二郎。1959年。※DVD発売)
「秋日和」 LATE AUTUMN (監督:小津安二郎。1960年。※DVD発売)
「永遠の人」 IMMORTAL LOVE (第34回アカデミー外国語映画賞本選ノミネート作品。監督:木下恵介。1961年)
「猟銃」(1961年。※ビデオ化)
「秋刀魚の味」 AN AUTUMN AFTERNOON (監督:小津安二郎。1962年。※DVD発売)
「歌え若人達」(1963年。監督:木下恵介。※DVD発売)
「無宿人別帳」(1963年。※DVD発売)
「風の視線」(1963年。※DVD発売)
「花の咲く家」(1963年。インドネシアロケが行なわれた)
「続・拝啓天皇陛下様 」(1964年。※DVD発売)
「暗殺」(1964年。※DVD発売)
「甘い汗」(1964年)
京都市下京区の商家の息子に生まれる。京都市立第二商業学校卒業後、早稲田大学政治経済学部に入学する。学生時代、松竹の人気俳優佐野周二の家に下宿していた縁で、1946年、松竹大船撮影所に入社する。
1947年、木下恵介監督の『不死鳥』で、いきなり、大スター田中絹代の相手役に抜擢される。田中とのラブシーンは話題となり、早くもスターの地位を獲得する。続いて、菊田一夫原作のNHKの人気ラジオドラマの映画化、『鐘の鳴る丘』に主演し、国民的人気を獲得する。
ほぼ同時期にデビューした高橋貞二、鶴田浩二と人気を分け合い「松竹戦後の三羽烏」と言われた。その人気を決定的なものとしたのは、1953年に公開された『君の名は』である。当時の大人気ドラマを映画化したこの作品で岸惠子と共演し、名実共にトップスターの地位につく。
その後、徐々に演技派に脱皮していき、特に、プロ野球選手のスカウト合戦を題材にした1956年の小林正樹監督の問題作『あなた買います』ではスカウトを演じ、伊藤雄之助を相手に鬼気迫る演技を見せ、毎日映画コンクール、ブルーリボン賞の主演男優賞を獲得した。
その後も、木下の『喜びも悲しみも幾歳月』、小津安二郎の『秋刀魚の味』など戦後を代表する作品に出演する。1964年8月17日、信州の別荘から東京へ戻る途中韮崎市の国道20号線で交通事故に遭い死去。享年37。そのため、出演中であったNHKのドラマ『虹の設計』は生前の映像のコラージュにより製作された。墓所は田中絹代と同じ鎌倉・円覚寺にある。
俳優の中井貴一、中井貴惠は実子。
主な出演作品
映画
「不死鳥」(1947年)
「お嬢さん乾杯!」(1949年。監督:木下恵介)
「カルメン故郷に帰る」(1951年。初のカラー映画出演)
「命美わし」(1951年)
「自由学校」(1951年。松竹版)
「本日休診」(1952年)
「ひばりのサーカス 悲しき小鳩」(1952年。※DVD発売)
「日本の悲劇」(1953年。監督:木下恵介)
「君の名は 第1部〜第3部」(1953年〜1954年。※DVD発売)
「勲章」(1954年)
「あなた買います」(1956年。監督:小林正樹)
「台風騒動記」(1956年。監督:山本薩夫)
「喜びも悲しみも幾歳月」(1957年。監督:木下恵介)
「彼岸花」 EQUINOX FLOWER (監督:小津安二郎。1958年。※DVD発売)
「日日の背信」(1958年)
「人間の條件 第1部〜第4部」(ヴェネチア国際映画祭サン・ジョルジョ賞、イタリア批評家賞受賞作品。監督:小林正樹。1959年。※DVD発売)
「惜春鳥」(1959年。監督:木下恵介。※DVD発売)
「お早よう」 GOOD MORNING (監督:小津安二郎。1959年。※DVD発売)
「秋日和」 LATE AUTUMN (監督:小津安二郎。1960年。※DVD発売)
「永遠の人」 IMMORTAL LOVE (第34回アカデミー外国語映画賞本選ノミネート作品。監督:木下恵介。1961年)
「猟銃」(1961年。※ビデオ化)
「秋刀魚の味」 AN AUTUMN AFTERNOON (監督:小津安二郎。1962年。※DVD発売)
「歌え若人達」(1963年。監督:木下恵介。※DVD発売)
「無宿人別帳」(1963年。※DVD発売)
「風の視線」(1963年。※DVD発売)
「花の咲く家」(1963年。インドネシアロケが行なわれた)
「続・拝啓天皇陛下様 」(1964年。※DVD発売)
「暗殺」(1964年。※DVD発売)
「甘い汗」(1964年)
か行
松竹の看板スターだった 岸恵子
岸 惠子(きし けいこ。1932年8月11日 - )は、女優・文筆家。神奈川県横浜市生まれ。 血液型はA型。身長161cm。体重47kg。舞プロモーション所属。
来歴
1951年 - 松竹に入社し、映画「我が家は楽し」でデビュー。
1952年 - 「坊ちゃん重役」で鶴田浩二と佐田啓二の相手役を務める。5月、松竹の看板スター鶴田が戦後のスタープロ第1号となる新生プロを設立して独立し松竹に打撃を与え、第一作として新東宝配給「弥太郎笠」の制作にあたって鶴田の相手役のヒロインとして岸をとオファーを出す。松竹はもちろんこれを拒否したため岸は辞表を出す。松竹が折れてこの映画に出演できることになり、続いて新生プロの「ハワイの夜」でも鶴田と共演して大ヒットとなる。この頃、鶴田との大ロマンスがセンセーショナルに報道されていたが、松竹に強引に別れさせられることとなる。
1953年〜1954年には映画「君の名は」3部作が大ヒットする。以降、松竹の看板女優として絶大な人気を誇った。
1956年 - フランス&日本合作映画「忘れえぬ慕情」に出演し、日本を代表する国際女優に。
1957年 - その撮影がきっかけでフランス人の映画監督イヴ・シャンピ(Yves Ciampi)と結婚。フランスで作家・川端康成の立会いのもと挙式。以降、パリに居を構え、フランスと日本を往復しながら女優を続け「空飛ぶマダム」と言われた。
1963年 − 1人娘のデルフィーヌ=麻衣子・シャンピを出産。しかし、1975年にイヴ・シャンピと離婚。娘・デルフィーヌは彼女が女手一つで育てた。
1996年 - 国連人口基金親善大使に任命。
戦時中は当時の女性としては大柄で顔立ちも彫りが深かった為に外国人と疑われたと本人は語っている。また空襲警報が鳴り、一斉に防空壕へ避難指示が出た時に、何となくそこへ逃げるのが嫌で躊躇していると防空壕に爆弾が落ち、直感で助かったというエピソードも披露している。
女優生活56周年を迎えた現在も衰えを知らぬ美貌で第1線の活躍を続けており、また、年齢を感じさせないプロポーションと優れた知性とファッションセンスも「これから長い先も岸さんのように時を重ねたい」と若い女優や女性達から圧倒的な支持を得ている。
主な出演作品
日本映画
『我が家は楽し』 (1951年/※ビデオ化)
『獣の宿』 (脚本:黒澤明/1951年/※ビデオ化)
『恋文裁判』 (1951年)
『母恋草』 (1951年)
『母待草』 (1951年/※ビデオ化)
『南風』 (1951年)
『鞍馬天狗 鞍馬の火祭』 (1951年/※DVD発売)
『吃七捕物帖 一番手柄』 (1951年)
『ひばりのサーカス 悲しき小鳩』 (1952年/※DVD発売)
『唄くらべ青春三銃士』 (1952年)
『旗本退屈男 江戸城罷り通る』 (1952年/※ビデオ化)
『次郎吉格子』 (1952年/※ビデオ化)
『本日休診』 (キネマ旬報ベストテン第3位/ヒット/1952年/※ビデオ化)
『風流活殺剣』 (1952年)
『相惚れトコトン同志』 (監督:川島雄三/1952年)
『銀座巴里』 (1952年)
『郷愁』 (脚本:橋田壽賀子/1952年/※ビデオ化)
『坊ちゃん重役』 (1952年)
『弥太郎笠』 (1952年/※ビデオ化)
『ハワイの夜』 (ハワイロケが行われた/1953年/ヒット/※DVD発売)
『旅路』 (1953年/※ビデオ化)
『乙女の診察室』 (1953年/※ビデオ化)
『君の名は 第1部』 (1953年9月/映画「ひめゆりの塔」の記録を抜き空前の大ヒット。 以後、第2部、第3部が記録を更新/※DVD発売)
『君の名は 第2部』 (1953年12月/大ヒット/※DVD発売)
『景子と雪江』 (1953年)
『憲兵』 (1953年/※ビデオ化)
『獅子の座』 (1953年/※ビデオ化)
『疾風からす隊』 (1953年)
『ひばりの歌う玉手箱』 (1953年/※ビデオ化)
『女の園』 (監督:木下恵介/キネマ旬報ベストテン第2位/1954年/※DVD発売)
『家族会議』 (1954年/ヒット)
『花と竜 第二部・愛憎流転』 (1954年)
『陽は沈まず』 (1954年/大ヒット)
『おとこ大学 婚前教育の巻』 (1954年)
『三つの愛』 (監督:小林正樹/1954年)
『えくぼ人生』 (1954年)
『母の初恋』 (原作:川端康成/1954年)
『君の名は 第3部』 (1954年/大ヒット/※DVD発売)
『何処へ』 (1954年)
『あなたと共に』 (1955年)
『たけくらべ』 (原作:樋口一葉/1955年/※ビデオ化)
『修禅寺物語』 (1955年/初のカラー映画出演/大ヒット/※ビデオ化)
『ここに泉あり』 (監督:今井正/キネマ旬報ベストテン第5位/1955年/※DVD発売)
『亡命記』 (監督:野村芳太郎/大ヒット/1955年)
『東京−香港・蜜月(ハネムーン)旅行』 (監督:野村芳太郎/1955年)
『お役者小僧・江戸千両幟』 (1955年)
『忘れじの人』 (1955年)
『太陽は日々に新たなり』 (監督:野村芳太郎/1955年)
『君美しく』 (1955年)
『白い橋』 (1956年)
『君のうたごえ』 (1956年)
『忘れえぬ慕情』 Typhon sur Nagasaki (日本&フランス合作映画/共演:ダニエル・ダリュー(Danielle Darrieux)、ジャン・マレー(Jean Marais)、ゲルト・フレーベ(Gert Fröbe)/撮影監督は映画「ローマの休日」も担当したアンリ・アルカン(Henri Alekan)/大ヒット/1956年)
日本公開の翌1957年2月6日、パリで公開。同年2月13日、フランス全国33都市で公開。ほか、ドイツ、イギリス、イタリア、オランダ、ベルギー、スウェーデン、スイスでも公開された。製作費は当時の4億8千万円。
『早春』 Early Spring (監督:小津安二郎/キネマ旬報ベストテン第6位/1956年/※DVD発売)
『朱と緑』 (1956年/ヒット。/※ビデオ化)
『力道山・男の魂』 (1956年)
『松竹まつりスタア総動員 スタジオ超特急』 (1956年)
『松竹まつりスタア総動員 女優誕生』 (1956年)
『壁あつき部屋』 (監督:小林正樹/1956年。完成は1953年)
『あなた買います』 (監督:小林正樹/キネマ旬報ベストテン第10位/1956年/※ビデオ化)
『「雲の墓標」より・空ゆかば』 (1957年/※ビデオ化)
『雪国』 (原作:川端康成/監督:豊田四郎/ヒロインの駒子役/1957年/※DVD発売)
『風花』 (監督:木下恵介/1959年/ヒット/※DVD発売)
『おとうと』 Younger Brother (第14回カンヌ国際映画祭フランス映画高等技術委員会賞受賞作品/監督:市川崑/キネマ旬報ベストテン第1位/1960年/※DVD発売)
『敵は、本能寺にあり』 (1960年)
『黒い十人の女』 (監督:市川崑/キネマ旬報ベストテン第10位/近年、リバイバル上映されヒット/1961年/※DVD発売)
『スパイ・ゾルゲ/真珠湾前夜』 Qui êtes-vous, Monsieur Sorge? (日本&フランス合作映画/※共演は、映画「ブリキの太鼓」などが有名なドイツの名優マリオ・アドルフ(Mario Adorf)/1961年)
『からみ合い』 (監督:小林正樹/1962年/※ビデオ化)
『お吟さま』 (監督:田中絹代/1962年/※ビデオ化)
『怪談』 Kwaidan (カンヌ国際映画祭審査員特別賞受賞作品/第38回アカデミー外国語映画賞本選ノミネート作品/監督:小林正樹/キネマ旬報ベストテン第2位/原作:ラフカディオ・ハーン/大ヒット/1964年/※DVD発売)
『華麗なる闘い』 (1969年)
『約束』 (キネマ旬報ベストテン第5位/1972年/共演は萩原健一/※ビデオ化)
『男はつらいよ 私の寅さん』(監督:山田洋次/マドンナ役/1973年/ヒット/※DVD発売)
『化石』 (監督:小林正樹/キネマ旬報ベストテン第4位/フジテレビの連続ドラマを編集し、未放映場面を加え劇場公開/1975年/※DVD発売)
『雨のアムステルダム』 (※共演は「約束」に続いて萩原健一、映画「悪魔が夜来る」「恋人たち」「甘い生活」「サテリコン」などが有名なフランスの名優アラン・キュニー(Alain Cuny)/監督:蔵原惟繕/1975年/※ビデオ化)
『悪魔の手毬唄』 (監督:市川崑/キネマ旬報ベストテン第6位/大ヒット/1977年/※DVD発売)
『女王蜂』 (監督:市川崑/1978年/※DVD発売)
『闇の狩人』 (監督:五社英雄/1979年/※DVD発売)
『古都』 (原作:川端康成/監督:市川崑/共演:山口百恵/大ヒット/1980年/※DVD発売)
『細雪』 (監督:市川崑/キネマ旬報ベストテン第2位/3度目の映画化/大ヒット/1983年/※DVD発売)
『生きてはみたけれど 小津安二郎伝』 (1983年/※ビデオ化)
『式部物語』 (監督:熊井啓/1990年/※DVD発売)
『天河伝説殺人事件』 (監督:市川崑/1991年/※DVD発売)
『彼女が結婚しない理由(わけ)』 (監督:大林宣彦/1992年/※ビデオ化)
『かあちゃん』 (監督:市川崑/2001年/※DVD発売)
『たそがれ清兵衛』 The Twilight Samurai (第76回アカデミー外国語映画賞本選ノミネート作品/監督:山田洋次/キネマ旬報ベストテン第1位/2002年/※DVD発売)
『俺は、君のためにこそ死ににいく』 (2007年5月12日公開/共演:窪塚洋介ほか/主題歌:B'z「永遠の翼」)
外国映画
Du rififi à Tokyo (※日本未公開。フランス&イタリア合作映画。1962年。共演:シャルル・ヴァネル(Charles Vanel。映画「恐怖の報酬」でカンヌ国際映画祭主演男優賞を受賞したフランスの名優)、カールハインツ・ベーム(Karlheinz Böhm)、バルバラ・ラス(Barbara Lass))
『太陽が目にしみる』 Los Pianos mecánicos (スペイン&フランス&イタリア&旧西ドイツ合作映画。1965年。共演:ジェームズ・メイソン(James Mason)、メリナ・メルクーリ(Melina Mercouri)、ハーディ・クリューガー(Hardy Krüger)、ルノー・ヴェルレー(Renaud Verley)、ディディエ・オードパン(Didier Haudepin))
『ザ・ヤクザ』 The Yakuza (アメリカ映画。1974年。共演:ロバート・ミッチャム(Robert Mitchum)、高倉健、リチャード・ジョーダン(Richard Jordan)、ブライアン・キース(Brian Keith))
テレビドラマ
「真夜中の太陽」 Vol 272 (日本&フランス(RTF)合作ドラマ。1964年)
「太閤記」(NHK大河ドラマ、1965年)
「レモンのような女」(TBS、1967年。 ※DVD発売)
「恋歌」(TBS系、1969年。監督:吉村公三郎)
「赤い疑惑」(TBS、1975年。共演:宇津井健、山口百恵。岸が演じた「パリのおばさま」は今でも語り継がれている)
「赤い激突」(TBS、1978年。共演:宇津井健、前田吟)
「マリア」(TBS、2001年。共演:浅野温子、後藤真希、菊川怜)
「こころ」(NHK朝の連続テレビ小説、2003年。共演:中越典子、玉木宏。ヒロインの中越の祖母役。ナレーションも担当した)
「末っ子長男姉三人」(TBS、2003年。共演:岡田准一(V6)、深津絵里)
「ワルシャワの秋」(フジテレビ、2003年。共演:竹内結子、坂口憲二。※DVD発売)
「あの日にかえりたい。東京キャンティ物語」(日本テレビ、2004年。インタビューゲスト)
「ドラマ・コンプレックス 火垂るの墓」(日本テレビ、2005年。共演:松嶋菜々子、井上真央)
「ドラマ・コンプレックス 嘘をつく死体」(原作:アガサ・クリスティ「パディントン発4時50分」、日本テレビ、2006年4月11日)
「火曜ドラマゴールド 大女優殺人事件」(原作:アガサ・クリスティ「鏡は横にひび割れて」、日本テレビ、2007年1月9日)
「母とママと、私。―10年目の再会―」(テレビ朝日、2007年1月28日。共演:夏川結衣)
「火曜ドラマゴールド 予告殺人」(原作:アガサ・クリスティ「予告殺人」、日本テレビ、2007年3月6日)
その他の主なテレビ番組
「ウィークエンドパリ」 ※司会(NHK-BS)
「ニュースステーション」 ※パリからのキャスターとして出演(テレビ朝日)
「知ってるつもり?!」(日本テレビ)
「レディス4」(テレビ東京)
「すばらしき仲間」(TBS)
「岸惠子の時代気分」 ※司会(テレビ神奈川)
「徹子の部屋」(テレビ朝日。複数回出演していて、一番最近の出演は2007年5月8日)
「はなまるマーケット」 ※はなまるカフェゲスト(TBS)
「追跡」(「君の名は」がテーマの回。日本テレビ)
「おしゃれ」(日本テレビ)
「ザ・ワイド」(日本テレビ)
「森田一義アワー 笑っていいとも!」※テレフォンショッキングゲスト(2005年5月17日。フジテレビ)
「スタジオパークからこんにちは」(NHK総合)
「さんま・玉緒・美代子のいきあたりばったり珍道中」 ※映画「景子と雪江」「黒い十人の女」で岸と共演した中村玉緒たっての希望でパリ編にゲスト出演(フジテレビ)
「脱線問答」(NHK総合)
「クイズ日本人の質問」(NHK総合)
「生活ほっとモーニング」(NHK総合、2007年5月18日)
「いい人・E話」(テレビ東京)
「いつでも笑みを!」 ※ゲスト(関西テレビ、フジテレビ系全国ネット)
「SHISEIDOスペシャル岸惠子のとっておきフランス旅〜私が愛した人・食・風景〜」(テレビ朝日)
「岸惠子ヨーロッパに見るよみがえる熟年=v(TBS)
「シネマパラダイス」(NHK BS-2)
「週刊ブックレビュー」(NHK BS-2)
「映像美の巨匠 市川崑」(NHK BS-2)
「新日曜美術館」(NHK教育テレビ)
「知るを楽しむ・人生の歩き方」(NHK教育テレビ)
「エーゲ海の風に吹かれて〜岸惠子輝きのギリシャ紀行〜」(テレビ朝日)
「プライムタイムニュース」 ※ゲスト出演(NHK BS-1)
「イスラエル」(NHK-BS)
「岡田嘉子の失われた10年をたづねて」 ※ロシアロケ。(NHK-BS)
「ネイチャリングスペシャル第1回〜ナイル(=ナイル川)6,700キロ、最初の一滴を求めて〜」(テレビ朝日) ※娘・デルフィーヌ=麻衣子・シャンピとの紀行番組。ビデオ化もされた。
CM
「資生堂」
「AGF マリーム」
「レディーボーデン」 (成人した娘・デルフィーヌと出演)
受章・受賞歴
1955年 - 映画「亡命記」
第2回アジア太平洋映画祭 主演女優賞
1960年 - 映画「おとうと」
第11回ブルーリボン賞 主演女優賞
第15回毎日映画コンクール 主演女優賞
1990年 - 第45回毎日映画コンクール 田中絹代賞
1995年 - 第5回日本映画批評家大賞 ゴールデン・グローリー賞
2001年 - 映画「かあちゃん」
第25回山路ふみ子映画賞 山路ふみ子文化財団特別賞
第14回日刊スポーツ映画大賞 主演女優賞
第25回日本アカデミー賞 最優秀主演女優賞
2002年 - 映画「たそがれ清兵衛」
第26回日本アカデミー賞 優秀助演女優賞
2002年 - フランス政府芸術文化勲章オフィシエ
2003年 - 旭日小綬章
著書
「巴里の空はあかね雲」(新潮社。文芸大賞エッセイ賞。※自らが朗読したカセットブックも発売された。録音後、「さすがに、自分のことを読むのは恥ずかしかったわ」と語っている)
「砂の界へ」(文芸春秋)
「ベラルーシの林檎」(朝日新聞社。日本エッセイストクラブ賞。表紙のデザインは娘・デルフィーヌが担当した)
「30年の物語」(講談社)
「風が見ていた」(新潮社。エッセイではなく、本格的な小説に挑戦)
「私の人生ア・ラ・カルト」(講談社)
「私のパリ 私のフランス」(講談社)
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来歴
1951年 - 松竹に入社し、映画「我が家は楽し」でデビュー。
1952年 - 「坊ちゃん重役」で鶴田浩二と佐田啓二の相手役を務める。5月、松竹の看板スター鶴田が戦後のスタープロ第1号となる新生プロを設立して独立し松竹に打撃を与え、第一作として新東宝配給「弥太郎笠」の制作にあたって鶴田の相手役のヒロインとして岸をとオファーを出す。松竹はもちろんこれを拒否したため岸は辞表を出す。松竹が折れてこの映画に出演できることになり、続いて新生プロの「ハワイの夜」でも鶴田と共演して大ヒットとなる。この頃、鶴田との大ロマンスがセンセーショナルに報道されていたが、松竹に強引に別れさせられることとなる。
1953年〜1954年には映画「君の名は」3部作が大ヒットする。以降、松竹の看板女優として絶大な人気を誇った。
1956年 - フランス&日本合作映画「忘れえぬ慕情」に出演し、日本を代表する国際女優に。
1957年 - その撮影がきっかけでフランス人の映画監督イヴ・シャンピ(Yves Ciampi)と結婚。フランスで作家・川端康成の立会いのもと挙式。以降、パリに居を構え、フランスと日本を往復しながら女優を続け「空飛ぶマダム」と言われた。
1963年 − 1人娘のデルフィーヌ=麻衣子・シャンピを出産。しかし、1975年にイヴ・シャンピと離婚。娘・デルフィーヌは彼女が女手一つで育てた。
1996年 - 国連人口基金親善大使に任命。
戦時中は当時の女性としては大柄で顔立ちも彫りが深かった為に外国人と疑われたと本人は語っている。また空襲警報が鳴り、一斉に防空壕へ避難指示が出た時に、何となくそこへ逃げるのが嫌で躊躇していると防空壕に爆弾が落ち、直感で助かったというエピソードも披露している。
女優生活56周年を迎えた現在も衰えを知らぬ美貌で第1線の活躍を続けており、また、年齢を感じさせないプロポーションと優れた知性とファッションセンスも「これから長い先も岸さんのように時を重ねたい」と若い女優や女性達から圧倒的な支持を得ている。
主な出演作品
日本映画
『我が家は楽し』 (1951年/※ビデオ化)
『獣の宿』 (脚本:黒澤明/1951年/※ビデオ化)
『恋文裁判』 (1951年)
『母恋草』 (1951年)
『母待草』 (1951年/※ビデオ化)
『南風』 (1951年)
『鞍馬天狗 鞍馬の火祭』 (1951年/※DVD発売)
『吃七捕物帖 一番手柄』 (1951年)
『ひばりのサーカス 悲しき小鳩』 (1952年/※DVD発売)
『唄くらべ青春三銃士』 (1952年)
『旗本退屈男 江戸城罷り通る』 (1952年/※ビデオ化)
『次郎吉格子』 (1952年/※ビデオ化)
『本日休診』 (キネマ旬報ベストテン第3位/ヒット/1952年/※ビデオ化)
『風流活殺剣』 (1952年)
『相惚れトコトン同志』 (監督:川島雄三/1952年)
『銀座巴里』 (1952年)
『郷愁』 (脚本:橋田壽賀子/1952年/※ビデオ化)
『坊ちゃん重役』 (1952年)
『弥太郎笠』 (1952年/※ビデオ化)
『ハワイの夜』 (ハワイロケが行われた/1953年/ヒット/※DVD発売)
『旅路』 (1953年/※ビデオ化)
『乙女の診察室』 (1953年/※ビデオ化)
『君の名は 第1部』 (1953年9月/映画「ひめゆりの塔」の記録を抜き空前の大ヒット。 以後、第2部、第3部が記録を更新/※DVD発売)
『君の名は 第2部』 (1953年12月/大ヒット/※DVD発売)
『景子と雪江』 (1953年)
『憲兵』 (1953年/※ビデオ化)
『獅子の座』 (1953年/※ビデオ化)
『疾風からす隊』 (1953年)
『ひばりの歌う玉手箱』 (1953年/※ビデオ化)
『女の園』 (監督:木下恵介/キネマ旬報ベストテン第2位/1954年/※DVD発売)
『家族会議』 (1954年/ヒット)
『花と竜 第二部・愛憎流転』 (1954年)
『陽は沈まず』 (1954年/大ヒット)
『おとこ大学 婚前教育の巻』 (1954年)
『三つの愛』 (監督:小林正樹/1954年)
『えくぼ人生』 (1954年)
『母の初恋』 (原作:川端康成/1954年)
『君の名は 第3部』 (1954年/大ヒット/※DVD発売)
『何処へ』 (1954年)
『あなたと共に』 (1955年)
『たけくらべ』 (原作:樋口一葉/1955年/※ビデオ化)
『修禅寺物語』 (1955年/初のカラー映画出演/大ヒット/※ビデオ化)
『ここに泉あり』 (監督:今井正/キネマ旬報ベストテン第5位/1955年/※DVD発売)
『亡命記』 (監督:野村芳太郎/大ヒット/1955年)
『東京−香港・蜜月(ハネムーン)旅行』 (監督:野村芳太郎/1955年)
『お役者小僧・江戸千両幟』 (1955年)
『忘れじの人』 (1955年)
『太陽は日々に新たなり』 (監督:野村芳太郎/1955年)
『君美しく』 (1955年)
『白い橋』 (1956年)
『君のうたごえ』 (1956年)
『忘れえぬ慕情』 Typhon sur Nagasaki (日本&フランス合作映画/共演:ダニエル・ダリュー(Danielle Darrieux)、ジャン・マレー(Jean Marais)、ゲルト・フレーベ(Gert Fröbe)/撮影監督は映画「ローマの休日」も担当したアンリ・アルカン(Henri Alekan)/大ヒット/1956年)
日本公開の翌1957年2月6日、パリで公開。同年2月13日、フランス全国33都市で公開。ほか、ドイツ、イギリス、イタリア、オランダ、ベルギー、スウェーデン、スイスでも公開された。製作費は当時の4億8千万円。
『早春』 Early Spring (監督:小津安二郎/キネマ旬報ベストテン第6位/1956年/※DVD発売)
『朱と緑』 (1956年/ヒット。/※ビデオ化)
『力道山・男の魂』 (1956年)
『松竹まつりスタア総動員 スタジオ超特急』 (1956年)
『松竹まつりスタア総動員 女優誕生』 (1956年)
『壁あつき部屋』 (監督:小林正樹/1956年。完成は1953年)
『あなた買います』 (監督:小林正樹/キネマ旬報ベストテン第10位/1956年/※ビデオ化)
『「雲の墓標」より・空ゆかば』 (1957年/※ビデオ化)
『雪国』 (原作:川端康成/監督:豊田四郎/ヒロインの駒子役/1957年/※DVD発売)
『風花』 (監督:木下恵介/1959年/ヒット/※DVD発売)
『おとうと』 Younger Brother (第14回カンヌ国際映画祭フランス映画高等技術委員会賞受賞作品/監督:市川崑/キネマ旬報ベストテン第1位/1960年/※DVD発売)
『敵は、本能寺にあり』 (1960年)
『黒い十人の女』 (監督:市川崑/キネマ旬報ベストテン第10位/近年、リバイバル上映されヒット/1961年/※DVD発売)
『スパイ・ゾルゲ/真珠湾前夜』 Qui êtes-vous, Monsieur Sorge? (日本&フランス合作映画/※共演は、映画「ブリキの太鼓」などが有名なドイツの名優マリオ・アドルフ(Mario Adorf)/1961年)
『からみ合い』 (監督:小林正樹/1962年/※ビデオ化)
『お吟さま』 (監督:田中絹代/1962年/※ビデオ化)
『怪談』 Kwaidan (カンヌ国際映画祭審査員特別賞受賞作品/第38回アカデミー外国語映画賞本選ノミネート作品/監督:小林正樹/キネマ旬報ベストテン第2位/原作:ラフカディオ・ハーン/大ヒット/1964年/※DVD発売)
『華麗なる闘い』 (1969年)
『約束』 (キネマ旬報ベストテン第5位/1972年/共演は萩原健一/※ビデオ化)
『男はつらいよ 私の寅さん』(監督:山田洋次/マドンナ役/1973年/ヒット/※DVD発売)
『化石』 (監督:小林正樹/キネマ旬報ベストテン第4位/フジテレビの連続ドラマを編集し、未放映場面を加え劇場公開/1975年/※DVD発売)
『雨のアムステルダム』 (※共演は「約束」に続いて萩原健一、映画「悪魔が夜来る」「恋人たち」「甘い生活」「サテリコン」などが有名なフランスの名優アラン・キュニー(Alain Cuny)/監督:蔵原惟繕/1975年/※ビデオ化)
『悪魔の手毬唄』 (監督:市川崑/キネマ旬報ベストテン第6位/大ヒット/1977年/※DVD発売)
『女王蜂』 (監督:市川崑/1978年/※DVD発売)
『闇の狩人』 (監督:五社英雄/1979年/※DVD発売)
『古都』 (原作:川端康成/監督:市川崑/共演:山口百恵/大ヒット/1980年/※DVD発売)
『細雪』 (監督:市川崑/キネマ旬報ベストテン第2位/3度目の映画化/大ヒット/1983年/※DVD発売)
『生きてはみたけれど 小津安二郎伝』 (1983年/※ビデオ化)
『式部物語』 (監督:熊井啓/1990年/※DVD発売)
『天河伝説殺人事件』 (監督:市川崑/1991年/※DVD発売)
『彼女が結婚しない理由(わけ)』 (監督:大林宣彦/1992年/※ビデオ化)
『かあちゃん』 (監督:市川崑/2001年/※DVD発売)
『たそがれ清兵衛』 The Twilight Samurai (第76回アカデミー外国語映画賞本選ノミネート作品/監督:山田洋次/キネマ旬報ベストテン第1位/2002年/※DVD発売)
『俺は、君のためにこそ死ににいく』 (2007年5月12日公開/共演:窪塚洋介ほか/主題歌:B'z「永遠の翼」)
外国映画
Du rififi à Tokyo (※日本未公開。フランス&イタリア合作映画。1962年。共演:シャルル・ヴァネル(Charles Vanel。映画「恐怖の報酬」でカンヌ国際映画祭主演男優賞を受賞したフランスの名優)、カールハインツ・ベーム(Karlheinz Böhm)、バルバラ・ラス(Barbara Lass))
『太陽が目にしみる』 Los Pianos mecánicos (スペイン&フランス&イタリア&旧西ドイツ合作映画。1965年。共演:ジェームズ・メイソン(James Mason)、メリナ・メルクーリ(Melina Mercouri)、ハーディ・クリューガー(Hardy Krüger)、ルノー・ヴェルレー(Renaud Verley)、ディディエ・オードパン(Didier Haudepin))
『ザ・ヤクザ』 The Yakuza (アメリカ映画。1974年。共演:ロバート・ミッチャム(Robert Mitchum)、高倉健、リチャード・ジョーダン(Richard Jordan)、ブライアン・キース(Brian Keith))
テレビドラマ
「真夜中の太陽」 Vol 272 (日本&フランス(RTF)合作ドラマ。1964年)
「太閤記」(NHK大河ドラマ、1965年)
「レモンのような女」(TBS、1967年。 ※DVD発売)
「恋歌」(TBS系、1969年。監督:吉村公三郎)
「赤い疑惑」(TBS、1975年。共演:宇津井健、山口百恵。岸が演じた「パリのおばさま」は今でも語り継がれている)
「赤い激突」(TBS、1978年。共演:宇津井健、前田吟)
「マリア」(TBS、2001年。共演:浅野温子、後藤真希、菊川怜)
「こころ」(NHK朝の連続テレビ小説、2003年。共演:中越典子、玉木宏。ヒロインの中越の祖母役。ナレーションも担当した)
「末っ子長男姉三人」(TBS、2003年。共演:岡田准一(V6)、深津絵里)
「ワルシャワの秋」(フジテレビ、2003年。共演:竹内結子、坂口憲二。※DVD発売)
「あの日にかえりたい。東京キャンティ物語」(日本テレビ、2004年。インタビューゲスト)
「ドラマ・コンプレックス 火垂るの墓」(日本テレビ、2005年。共演:松嶋菜々子、井上真央)
「ドラマ・コンプレックス 嘘をつく死体」(原作:アガサ・クリスティ「パディントン発4時50分」、日本テレビ、2006年4月11日)
「火曜ドラマゴールド 大女優殺人事件」(原作:アガサ・クリスティ「鏡は横にひび割れて」、日本テレビ、2007年1月9日)
「母とママと、私。―10年目の再会―」(テレビ朝日、2007年1月28日。共演:夏川結衣)
「火曜ドラマゴールド 予告殺人」(原作:アガサ・クリスティ「予告殺人」、日本テレビ、2007年3月6日)
その他の主なテレビ番組
「ウィークエンドパリ」 ※司会(NHK-BS)
「ニュースステーション」 ※パリからのキャスターとして出演(テレビ朝日)
「知ってるつもり?!」(日本テレビ)
「レディス4」(テレビ東京)
「すばらしき仲間」(TBS)
「岸惠子の時代気分」 ※司会(テレビ神奈川)
「徹子の部屋」(テレビ朝日。複数回出演していて、一番最近の出演は2007年5月8日)
「はなまるマーケット」 ※はなまるカフェゲスト(TBS)
「追跡」(「君の名は」がテーマの回。日本テレビ)
「おしゃれ」(日本テレビ)
「ザ・ワイド」(日本テレビ)
「森田一義アワー 笑っていいとも!」※テレフォンショッキングゲスト(2005年5月17日。フジテレビ)
「スタジオパークからこんにちは」(NHK総合)
「さんま・玉緒・美代子のいきあたりばったり珍道中」 ※映画「景子と雪江」「黒い十人の女」で岸と共演した中村玉緒たっての希望でパリ編にゲスト出演(フジテレビ)
「脱線問答」(NHK総合)
「クイズ日本人の質問」(NHK総合)
「生活ほっとモーニング」(NHK総合、2007年5月18日)
「いい人・E話」(テレビ東京)
「いつでも笑みを!」 ※ゲスト(関西テレビ、フジテレビ系全国ネット)
「SHISEIDOスペシャル岸惠子のとっておきフランス旅〜私が愛した人・食・風景〜」(テレビ朝日)
「岸惠子ヨーロッパに見るよみがえる熟年=v(TBS)
「シネマパラダイス」(NHK BS-2)
「週刊ブックレビュー」(NHK BS-2)
「映像美の巨匠 市川崑」(NHK BS-2)
「新日曜美術館」(NHK教育テレビ)
「知るを楽しむ・人生の歩き方」(NHK教育テレビ)
「エーゲ海の風に吹かれて〜岸惠子輝きのギリシャ紀行〜」(テレビ朝日)
「プライムタイムニュース」 ※ゲスト出演(NHK BS-1)
「イスラエル」(NHK-BS)
「岡田嘉子の失われた10年をたづねて」 ※ロシアロケ。(NHK-BS)
「ネイチャリングスペシャル第1回〜ナイル(=ナイル川)6,700キロ、最初の一滴を求めて〜」(テレビ朝日) ※娘・デルフィーヌ=麻衣子・シャンピとの紀行番組。ビデオ化もされた。
CM
「資生堂」
「AGF マリーム」
「レディーボーデン」 (成人した娘・デルフィーヌと出演)
受章・受賞歴
1955年 - 映画「亡命記」
第2回アジア太平洋映画祭 主演女優賞
1960年 - 映画「おとうと」
第11回ブルーリボン賞 主演女優賞
第15回毎日映画コンクール 主演女優賞
1990年 - 第45回毎日映画コンクール 田中絹代賞
1995年 - 第5回日本映画批評家大賞 ゴールデン・グローリー賞
2001年 - 映画「かあちゃん」
第25回山路ふみ子映画賞 山路ふみ子文化財団特別賞
第14回日刊スポーツ映画大賞 主演女優賞
第25回日本アカデミー賞 最優秀主演女優賞
2002年 - 映画「たそがれ清兵衛」
第26回日本アカデミー賞 優秀助演女優賞
2002年 - フランス政府芸術文化勲章オフィシエ
2003年 - 旭日小綬章
著書
「巴里の空はあかね雲」(新潮社。文芸大賞エッセイ賞。※自らが朗読したカセットブックも発売された。録音後、「さすがに、自分のことを読むのは恥ずかしかったわ」と語っている)
「砂の界へ」(文芸春秋)
「ベラルーシの林檎」(朝日新聞社。日本エッセイストクラブ賞。表紙のデザインは娘・デルフィーヌが担当した)
「30年の物語」(講談社)
「風が見ていた」(新潮社。エッセイではなく、本格的な小説に挑戦)
「私の人生ア・ラ・カルト」(講談社)
「私のパリ 私のフランス」(講談社)
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
あ行
映画界の二枚目俳優として君臨したスター 池部良
池部良(いけべりょう、公称1918年2月11日−)は俳優、随筆家。芸術家の岡本太郎は従兄弟にあたる。
風刺・風俗漫画家として一世を風靡した池部均の息子として、東京市大森区に生まれ、立教大学英文科に入るも、映画監督になるのを夢見て、在学中の1940年に東宝撮影所のシナリオ研究所に研究生として入る。1941年、大学卒業と同時にシナリオ研究所を卒業し、東宝に入社する。監督希望だったが、助監督の空きがなかったところ、島津保次郎監督に請われて、『闘魚』に脇役で出演する。それが好評となり、知的でスマートな若手俳優のホープとして目されたが、1942年の『緑の大地』のクランク・アップの翌日に召集され、中国三東省に派遣される。大学卒ということで士官試験を薦められるが任期が長くなる(兵隊のままだと任期は2年)ため断る。しかし上官に無理やり受けさせられ白紙で答案を提出したにも関わらず合格。すぐに下士官待遇となり、1944年に南方戦線に移動される。途中、輸送船が撃沈され、命からがらハルマヘラ島に上陸し九死に一生を得る。その後は衛生中隊を任され終戦まで戦い、終戦時の階級は中尉だった。
1946年6月まで抑留され、南方から苦労して日本に帰る。俳優を続けるかどうか決めかねていたが、東宝に熱心に請われ俳優に戻る。長身(174cm)と美貌を生かして、次々と主演作をヒットさせる。特に1949年の石坂洋次郎原作の『青い山脈』は、戦後の自由な雰囲気を象徴する映画として大ヒットし、彼のさわやかな演技もそれにふさわしいものだった。その後も、青春スターの第一人者として活躍を続けた。その後は1950年に新東宝の『暁の脱走』、1952年に松竹の『現代人』と他社の作品にも出演。特に『現代人』では池部がそれまでの二枚目スターから演技派俳優として最初に認められるようになった作品であった。
『坊っちゃん』(1953年、岡田茉莉子共演、丸山誠治監督)、『雪国』(1957年、岸惠子共演、豊田四郎監督、『暗夜行路』(1959年、山本富士子共演、豊田四郎監督)などの多くの文芸作品で翳のある青年を好演し、文芸路線や都会派映画に欠かせない二枚目スターとして君臨した。
1955年9月、池部プロダクションを設立。自ら映画を企画し、ストーリーを書くようになる。
1960年代に入ると、徐々に脇役に転じたが、1964年に主演した松竹『乾いた花』でのヤクザ役が評判となる。
1965年、映画俳優(石原裕次郎、里見浩太郎、山城新伍ら)が暴力団のために拳銃を密輸していた事が明るみに出た。警察庁は芸能興行関係者に暴力団との腐れ縁を絶てと強い調子で警告。同年2月22日、映画俳優協会代表理事である池部は映画俳優と暴力団との完全絶縁を表明した。
同年、『乾いた花』を観た東映よりヤクザ映画の出演を頼まれるが、映画俳優協会代表理事であることからそれを断る。しかし再三の丁重な申し出に「ポスターに名前や写真を出すときは小さくすること、刺青は入れないこと、毎回死ぬこと」を条件に引き受ける。準主演した『昭和残侠伝シリーズ』(高倉健主演、佐伯清監督他、1965〜1972)は大ヒットし、味のある演技で新境地を開いた。
1990年代に入ると、俳優活動を控えるようになり、文筆業が中心となる。1991年、『そよ風ときにはつむじ風』で「日本文芸大賞」を受賞する。
2007年、『映画俳優 池部良』が出版される。2007年2月、東京池袋の新文芸座のトークショーにて、その本の編集者から「青い山脈の時に31歳でしたが…」と池部が質問され、実は1916年生まれで当時33歳なのに『青い山脈』の18歳の高校生の役を渋々受けたことや原節子先輩からガリガリに痩せていたため「豆モヤシ」という迷惑なあだ名をつけられたり、原節子の尻をデカイと本人の目の前で口を滑らせたために 張り手を食らいそうになったりといったエピソードを話している。
出演作品
映画
闘魚(1941年)
四つの恋の物語(1947年)
青い山脈(1949年)
暁の脱走(1950年)
石中先生行状記(1950年)
現代人(1952年)
丘は花ざかり(1952年)
さらばラバウル(1954年)
大番頭小番頭(1955年)
早春(1956年)
乱菊物語(1956年)
脱獄囚(1957年)
雪国(1957年)
重役の椅子(1958年)
美しき哀愁 アンコールワット物語(1958年) - カンボジアロケ作品
東京の休日(1958年)
潜水艦イ-57降伏せず(1959年)
暗夜行路(1959年)
宇宙大戦争(1959年)
ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐(1960年)
トイレット部長(1961年)
妖星ゴラス(1962年)
太平洋の翼(1963年)
青島要塞爆撃命令(1963年)
乾いた花(1964年)
昭和残侠伝シリーズ
昭和残侠伝(1965年)
昭和残侠伝 唐獅子牡丹(1966年)
昭和残侠伝 一匹狼(1966年)
昭和残侠伝 血染めの唐獅子(1967年)
昭和残侠伝 唐獅子仁義(1969年)
昭和残侠伝 人斬り唐獅子(1969年)
昭和残侠伝 死んで貰います(1970年)
昭和残侠伝 吼えろ唐獅子(1971年)
昭和残侠伝 破れ傘(1972年)
けものみち(1965年)
男度胸で勝負する(1966年)
人間魚雷 あゝ回天特別攻撃隊(1968年)
日陰者(1972年)
あゝ決戦航空隊(1974年)
直撃!地獄拳(1974年)
直撃地獄拳 大逆転(1974年)
君よ憤怒の河を渉れ(1976年)
惑星大戦争(1977年)
多羅尾伴内(1978年)
冬の華(1978年)
海潮音(1980年)
駅 STATION(1981年)
居酒屋兆治(1983年)
小説吉田学校(1983年)
海へ See You(1988年)
青い山脈 (映画)'88(1988年)
テレビ
風(1967年-1968年 TBS・松竹)水野忠邦役
華麗なる一族(1974年 - 1975年) 三雲祥一役
江戸の旋風(1975年、CX系)
娘の結婚(1976年)
男たちの旅路(1976年 - 1982年)
横溝正史シリーズ・仮面劇場(1978年)
骨肉の森(1981年)
京都マル秘指令 ザ新選組(1984年)
山河燃ゆ(1984年)
私鉄沿線97分署(1984年 - 1986年)
花嫁人形は眠らない(1986年)
独眼竜政宗(1987年) 千利休役
アイラブユーから始めよう(1989年)
火曜サスペンス劇場「薔薇色の罠」(1989年9月)
春を待つ家(1990年)
碧空のタンゴ(2001年)
夏の日の恋(2002年)
朝まで生テレビ(2005年)
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
風刺・風俗漫画家として一世を風靡した池部均の息子として、東京市大森区に生まれ、立教大学英文科に入るも、映画監督になるのを夢見て、在学中の1940年に東宝撮影所のシナリオ研究所に研究生として入る。1941年、大学卒業と同時にシナリオ研究所を卒業し、東宝に入社する。監督希望だったが、助監督の空きがなかったところ、島津保次郎監督に請われて、『闘魚』に脇役で出演する。それが好評となり、知的でスマートな若手俳優のホープとして目されたが、1942年の『緑の大地』のクランク・アップの翌日に召集され、中国三東省に派遣される。大学卒ということで士官試験を薦められるが任期が長くなる(兵隊のままだと任期は2年)ため断る。しかし上官に無理やり受けさせられ白紙で答案を提出したにも関わらず合格。すぐに下士官待遇となり、1944年に南方戦線に移動される。途中、輸送船が撃沈され、命からがらハルマヘラ島に上陸し九死に一生を得る。その後は衛生中隊を任され終戦まで戦い、終戦時の階級は中尉だった。
1946年6月まで抑留され、南方から苦労して日本に帰る。俳優を続けるかどうか決めかねていたが、東宝に熱心に請われ俳優に戻る。長身(174cm)と美貌を生かして、次々と主演作をヒットさせる。特に1949年の石坂洋次郎原作の『青い山脈』は、戦後の自由な雰囲気を象徴する映画として大ヒットし、彼のさわやかな演技もそれにふさわしいものだった。その後も、青春スターの第一人者として活躍を続けた。その後は1950年に新東宝の『暁の脱走』、1952年に松竹の『現代人』と他社の作品にも出演。特に『現代人』では池部がそれまでの二枚目スターから演技派俳優として最初に認められるようになった作品であった。
『坊っちゃん』(1953年、岡田茉莉子共演、丸山誠治監督)、『雪国』(1957年、岸惠子共演、豊田四郎監督、『暗夜行路』(1959年、山本富士子共演、豊田四郎監督)などの多くの文芸作品で翳のある青年を好演し、文芸路線や都会派映画に欠かせない二枚目スターとして君臨した。
1955年9月、池部プロダクションを設立。自ら映画を企画し、ストーリーを書くようになる。
1960年代に入ると、徐々に脇役に転じたが、1964年に主演した松竹『乾いた花』でのヤクザ役が評判となる。
1965年、映画俳優(石原裕次郎、里見浩太郎、山城新伍ら)が暴力団のために拳銃を密輸していた事が明るみに出た。警察庁は芸能興行関係者に暴力団との腐れ縁を絶てと強い調子で警告。同年2月22日、映画俳優協会代表理事である池部は映画俳優と暴力団との完全絶縁を表明した。
同年、『乾いた花』を観た東映よりヤクザ映画の出演を頼まれるが、映画俳優協会代表理事であることからそれを断る。しかし再三の丁重な申し出に「ポスターに名前や写真を出すときは小さくすること、刺青は入れないこと、毎回死ぬこと」を条件に引き受ける。準主演した『昭和残侠伝シリーズ』(高倉健主演、佐伯清監督他、1965〜1972)は大ヒットし、味のある演技で新境地を開いた。
1990年代に入ると、俳優活動を控えるようになり、文筆業が中心となる。1991年、『そよ風ときにはつむじ風』で「日本文芸大賞」を受賞する。
2007年、『映画俳優 池部良』が出版される。2007年2月、東京池袋の新文芸座のトークショーにて、その本の編集者から「青い山脈の時に31歳でしたが…」と池部が質問され、実は1916年生まれで当時33歳なのに『青い山脈』の18歳の高校生の役を渋々受けたことや原節子先輩からガリガリに痩せていたため「豆モヤシ」という迷惑なあだ名をつけられたり、原節子の尻をデカイと本人の目の前で口を滑らせたために 張り手を食らいそうになったりといったエピソードを話している。
出演作品
映画
闘魚(1941年)
四つの恋の物語(1947年)
青い山脈(1949年)
暁の脱走(1950年)
石中先生行状記(1950年)
現代人(1952年)
丘は花ざかり(1952年)
さらばラバウル(1954年)
大番頭小番頭(1955年)
早春(1956年)
乱菊物語(1956年)
脱獄囚(1957年)
雪国(1957年)
重役の椅子(1958年)
美しき哀愁 アンコールワット物語(1958年) - カンボジアロケ作品
東京の休日(1958年)
潜水艦イ-57降伏せず(1959年)
暗夜行路(1959年)
宇宙大戦争(1959年)
ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐(1960年)
トイレット部長(1961年)
妖星ゴラス(1962年)
太平洋の翼(1963年)
青島要塞爆撃命令(1963年)
乾いた花(1964年)
昭和残侠伝シリーズ
昭和残侠伝(1965年)
昭和残侠伝 唐獅子牡丹(1966年)
昭和残侠伝 一匹狼(1966年)
昭和残侠伝 血染めの唐獅子(1967年)
昭和残侠伝 唐獅子仁義(1969年)
昭和残侠伝 人斬り唐獅子(1969年)
昭和残侠伝 死んで貰います(1970年)
昭和残侠伝 吼えろ唐獅子(1971年)
昭和残侠伝 破れ傘(1972年)
けものみち(1965年)
男度胸で勝負する(1966年)
人間魚雷 あゝ回天特別攻撃隊(1968年)
日陰者(1972年)
あゝ決戦航空隊(1974年)
直撃!地獄拳(1974年)
直撃地獄拳 大逆転(1974年)
君よ憤怒の河を渉れ(1976年)
惑星大戦争(1977年)
多羅尾伴内(1978年)
冬の華(1978年)
海潮音(1980年)
駅 STATION(1981年)
居酒屋兆治(1983年)
小説吉田学校(1983年)
海へ See You(1988年)
青い山脈 (映画)'88(1988年)
テレビ
風(1967年-1968年 TBS・松竹)水野忠邦役
華麗なる一族(1974年 - 1975年) 三雲祥一役
江戸の旋風(1975年、CX系)
娘の結婚(1976年)
男たちの旅路(1976年 - 1982年)
横溝正史シリーズ・仮面劇場(1978年)
骨肉の森(1981年)
京都マル秘指令 ザ新選組(1984年)
山河燃ゆ(1984年)
私鉄沿線97分署(1984年 - 1986年)
花嫁人形は眠らない(1986年)
独眼竜政宗(1987年) 千利休役
アイラブユーから始めよう(1989年)
火曜サスペンス劇場「薔薇色の罠」(1989年9月)
春を待つ家(1990年)
碧空のタンゴ(2001年)
夏の日の恋(2002年)
朝まで生テレビ(2005年)
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
な行
数々の不幸に見舞われた女性 野添ひとみ
野添 ひとみ(のぞえ ひとみ、本名:川口 元 かわぐち もと、1937年2月11日 - 1995年5月4日)は、女優。夫は俳優の川口浩。実姉の野添和子はひとみの付き人を長く務めた後、大映テレビでプロデューサーになった。
来歴・人物
中学卒業後、松竹音楽舞踊学校に入り、1952年、『うず潮』で女優デビュー。その後、大映に移り、活躍。1960年、映画で共演の多かった同じ大映の俳優・川口浩と結婚。2人の娘をもうけたが、1983年2月には次女を17歳の若さで失い、1987年11月には夫・浩に癌で先立たれるという不幸に見舞われる。自身も甲状腺癌にかかり、1995年5月4日、東京都新宿区の病院で死去。享年58。
出演作品
映画
まごころ(1953年)
姉妹(1955年)
くちづけ(1957年)
暖流(1957年)
氷壁(1958年)
巨人と玩具(1958年)
白鷺 Le Héron blanc (カンヌ国際映画祭特別表彰受賞作品、毎日映画コンクール美術賞&色彩技術賞受賞作品。1958年)
有楽町で逢いましょう(1958年)
浮草 Floating Weeds (監督:小津安二郎。1959年)
婚期(1961年)
宝石泥棒(1962年)
テレビドラマ
ザ・ガードマン(1965年 - 1971年・TBS・プロデューサー/野添和子他)
第149話/雪女
第157話/ガードマン、パリで大奮戦
第158話/ガードマン、スイス追撃作戦
第161話/恋のアムステルダム
第186話/奥様は泥棒稼業
第252話/俺の女房は悪魔のお使い
第265話/離婚孤児争奪戦
大奥(1968年・関西テレビ・徳川竹姫役)
黄色いトマト(1973年・NET)
その他のテレビ番組
森田一義アワー 笑っていいとも!(フジテレビ)※テレフォンショッキングゲスト
ライオンのいただきます(フジテレビ)
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
来歴・人物
中学卒業後、松竹音楽舞踊学校に入り、1952年、『うず潮』で女優デビュー。その後、大映に移り、活躍。1960年、映画で共演の多かった同じ大映の俳優・川口浩と結婚。2人の娘をもうけたが、1983年2月には次女を17歳の若さで失い、1987年11月には夫・浩に癌で先立たれるという不幸に見舞われる。自身も甲状腺癌にかかり、1995年5月4日、東京都新宿区の病院で死去。享年58。
出演作品
映画
まごころ(1953年)
姉妹(1955年)
くちづけ(1957年)
暖流(1957年)
氷壁(1958年)
巨人と玩具(1958年)
白鷺 Le Héron blanc (カンヌ国際映画祭特別表彰受賞作品、毎日映画コンクール美術賞&色彩技術賞受賞作品。1958年)
有楽町で逢いましょう(1958年)
浮草 Floating Weeds (監督:小津安二郎。1959年)
婚期(1961年)
宝石泥棒(1962年)
テレビドラマ
ザ・ガードマン(1965年 - 1971年・TBS・プロデューサー/野添和子他)
第149話/雪女
第157話/ガードマン、パリで大奮戦
第158話/ガードマン、スイス追撃作戦
第161話/恋のアムステルダム
第186話/奥様は泥棒稼業
第252話/俺の女房は悪魔のお使い
第265話/離婚孤児争奪戦
大奥(1968年・関西テレビ・徳川竹姫役)
黄色いトマト(1973年・NET)
その他のテレビ番組
森田一義アワー 笑っていいとも!(フジテレビ)※テレフォンショッキングゲスト
ライオンのいただきます(フジテレビ)
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
た行
衝撃の猟銃自殺を遂げたトップ・すたー 田宮二郎
田宮 二郎(たみや じろう、1935年8月25日 - 1978年12月28日)は、俳優。 本名、柴田吾郎(しばた ごろう)。京都府京都市上京区出身。生後4日で父を失う。そのため幼少の頃は親族に育てられる。 京都府立鴨沂高等学校、学習院大学政経学部経済学科卒。妻は元大映女優の藤由紀子。(「黒の超特急」「黒の暴走」などで共演したのをきっかけに1965年に結婚。二男をもうける。) 長男は俳優、テレビレポーターの柴田光太郎(本名、柴田英光)。次男は俳優の田宮五郎(本名、柴田英晃)。
デビューと名声
大学在学中の1955年、スポーツニッポン社主催の「ミスターニッポンコンテスト」で優勝したのがきっかけで、大映演技研究所10期生として入社。1957年に本名の「柴田吾郎」でデビュー。1959年、大映の永田雅一社長がオーナーを兼務する大毎オリオンズの強打者・田宮謙次郎にあやかりたいという永田の意思に強制される形で「田宮二郎」と改名。長らく端役が多く恵まれなかったが、1961年、『女の勲章』(吉村公三郎監督、山崎豊子原作)で注目を集め、同年秋に勝新太郎と共演した『悪名』(田中徳三監督、今東光原作)の「モートルの貞」役で人気スターの仲間入り。二枚目のルックス、身長180cmでスリムでありながら筋肉質であることに加え、甘い二枚目から冷酷なエリート、ユーモラスな拳銃使い、ヤクザ、欲望のためなら手段を選ばない悪役までもこなす演技力にも定評があり、犬シリーズ、黒シリーズ等に主演し、大映の看板俳優として大活躍した。また若尾文子の相手役として名画を多く残した。1966年、映画『白い巨塔』(山本薩夫監督、山崎豊子原作、大映作品)で財前五郎役を演じたことで、その名声は決定的なものになり、「昭和のクールガイ」と呼ばれた。意外であるが、同じ大映のスター市川雷蔵とは一度も共演していない。理由は大映社長の永田雅一の方針によるものといわれている。
映画界追放、テレビ進出そして復活
1968年、映画『不信のとき』(今井正監督、有吉佐和子原作、大映作品)の宣伝ポスターで、出演者名の序列が4番目として発表された。主役である自分がトップだと思っていた田宮は強く会社側(=大映)に抗議した(当初の序列は、1.若尾文子、2.岡田茉莉子、3.加賀まりこ。特に加賀は年下でありキャリアも後輩だった上、当時、他社の松竹専属女優だった)。結果的に、ポスターの序列は希望通り田宮がトップとなったが、大映の社長・永田雅一はこれに激怒し、田宮を一方的に解雇してしまう。さらに五社協定を持ち出し、他社にも田宮を使わないように通達した。
映画界から完全に干されてしまった田宮は、家族を養うために舞台俳優・司会者・歌手として活動し、キャバレーまわりなどの地方巡業もしていた。この期間、1969年1月9日にNETテレビ(現在のテレビ朝日)系列で放送が始まった『クイズタイムショック』の初代司会者を務め、高視聴率により長寿番組となった。同年、東京12チャンネルの音楽番組『田宮二郎ショー』の司会も務めた。映画俳優として仕事ができず、このようなテレビの仕事は本人にとって不本意であったが、それに反して、当時すでにテレビ普及率はほぼ100%近くに達していて、他の映画俳優たちのテレビ出演も珍しくなくなっており、田宮の司会姿は視聴者たちの記憶に長く残る結果となり、田宮の名声を保つことにつながった。
運は田宮に味方し、1969年に大映との契約が切れたことにより映画界へのカムバックを果たした。逆境に打ち勝ったことで自信を付けた田宮は、永田社長に啖呵を切るまでになっていた。しかし、1971年に自ら立ち上げた会社「田宮企画」で「3000キロの罠」を製作したがヒットにはならなかった。 一方、大映は1971年に倒産。それをきっかけに既に斜陽であった映画の観客動員数はさらに大きく落ち込み、今に続くテレビ時代となる。
1972年にはTBS系ドラマ『知らない同志』でテレビドラマデビューを飾る。その後も『白い影』『白い滑走路』などの「白いシリーズ」や、山田太一脚本『高原へいらっしゃい』などの話題のドラマに主演して、立て続けにヒットを飛ばし、テレビドラマ界でも花形スターの座を獲得するまでになった。
その頃になると、自身を「日本のハワード・ヒューズになる」と公言しはじめ、ビジネスに興味を持ち、政財界とも接触を持つようになって、ゴルフ場やマンションの経営を行ったが失敗。1977年には日英合作映画『イエロー・ドッグ』(松竹)の製作も行ったが不入りに終わり、多額の借金を抱えてしまう。そして次第に精神を病み、同年3月には精神科医の斎藤茂太から躁鬱病と診断されて治療を始めたが、その成果は思わしくなかった。
また、付き人に段ボールの箱ごと育毛剤を買いに行かせたり、 ドラマの撮影シーンで髪の毛が濡れたりするのを出来るだけ回避しようとしていたくらい、髪について悩んでいたという。
『白い巨塔』・切望したドラマ化
1977年冬、TBSより田宮のキャスティング権を得たフジテレビから企画を求められた田宮は、原作の途中までしか映画化されていなかった『白い巨塔』のドラマ化を強く希望した。これは3度目の提案であった。1度は1969年、2度目はその数年後にドラマ化の企画をテレビ局に持ち込んだ経緯があったのだが、最初は五社協定により、2度目はスポンサーのOKが出なかったために実現しなかったのだ。映画版『白い巨塔』で財前五郎を演じて以来、田宮は常に高みを目指す財前の姿に自分を重ねていたようだ。自身の本名と同じ「ごろう」であったことも影響したのであろう、財前五郎を演じるのは自分しかいない、原作のラスト・財前の死までを演じ切りたいと思い続けていたのだった。映画化の際には原作の財前の年齢よりずっと若かった田宮も、この時にはほぼ同じ年齢であり機も熟していた。田宮は原作者・山崎豊子に直接願い入れ、快諾を得て1977年11月にはドラマ化が決定した。
しかし12月に入ると、躁状態に入った田宮はあれほど入れ込んでいたドラマ化への関心が薄れ、いかがわしいビジネスに熱中し始め、多額の債務を抱えてしまう。妻は弁護士と協議の上、「偽装離婚」することにより財産を守ったほどである。田宮の事業熱が収まらないまま、ドラマ『白い巨塔』は1978年3月26日に撮影開始。ロケーション現場の病院を自ら手配するなど、高いテンションで撮影に臨み、6月3日には第1回の放送が視聴率18.6%と好調にスタートした。一方で私生活は荒れ、執拗な債権取立ての中で、妻に不動産等の書類の引渡しを求めて激しく言い争うようになっていた。ドラマ撮影現場でも次第に彼の不遜な態度に対して不安が広がり、スタッフがその火消しに躍起になったという。さらに、「ウランの採掘権を取得した」と主張してトンガに一週間出かけ、あわや撮影中止になりかけることもあった。
18話まで撮影したところで撮影は1ヶ月の休暇に入り、田宮は7月29日にロンドンへ旅行に出発。戻って来ないのではないかという周囲の心配をよそに、9月8日には帰国したが、そのときには田宮は鬱状態に入っていた。9月17日に後半の収録が始まったが、テンションが高かった旅行前とは一転し、田宮は泣き崩れてばかりで台詞が頭に入らなくなっていた。妻やスタッフが必死に彼を励まし続け、共演者の協力もあって、撮影は11月15日に無事終了。財前五郎の死のシーンに際して、田宮は3日間絶食し、すっかり癌患者になりきった。さらに自ら遺書を書き、それを台本に加えさせた。そして、全身に白布を掛けられストレッチャーに横たわる遺体役を、スタッフの代役ではなく自分自身でやると主張してストレッチャーに乗った。そして「うまく死ねた」とラストシーンを自賛したという。
この時期の田宮には一種の都市伝説と思われるがいくつかの奇行が語り継がれていた。一つはいわゆるM資金詐欺に騙され、巨額の借金を負った事がその後の自殺の一つの要因であるという流説。もう一つは、現実と役柄の境界が不明瞭となり、航空機にて急病人が出て乗務員が医師を捜すと、たまたま同乗していた田宮が「医師の財前だが」と名乗り出たというものである。
ドラマの終わりと共に
ドラマ撮影の間、1978年9月28日放送分をもって『クイズタイムショック』の司会を降板した(2代目司会者は山口崇)。『白い巨塔』撮影終了後の田宮はすっかり虚脱状態になり、「財前五郎の後に、どんな役を演じたらいいかわからない」とプロデューサーの小林俊一に漏らすようになっていた。
衝撃の死
『白い巨塔』放映が残り2話となっていた1978年12月28日昼過ぎ、田宮は家族と別居して一人で住んでいた港区元麻布の自宅で猟銃自殺を遂げた。残された遺書には、妻への感謝の言葉と共に、生きることの苦しみと死への恐怖が綴られ、病気で倒れたと思って諦めて欲しい、と書かれていた[1]。このニュースは非常な衝撃をもって報道された。『白い巨塔』原作者の山崎豊子が書いた『華麗なる一族』(田宮も映画化された際出演していた)に猟銃自殺のシーンがあり、山崎はニュースを聞くとすぐに「猟銃でしょう」語ったという。ドラマ『白い巨塔』終わり2話の視聴率は皮肉にも急上昇し、最終話は31.4%を記録、結果多くの人々の記憶に残る大成功をおさめたのである。ただ、田宮の死を悼んだプロデューサーは、この視聴率を成功ととらえるよりも、かえって視聴者に対し話題性に群がる軽薄さを感じて、怒りを露わにしたという。
『白い巨塔』の田宮二郎
「田宮二郎といえば『白い巨塔』」という印象はそれを見た多くの人の記憶に残るところである。他に数多くの映画やドラマのヒット作に主演したが、世間の評価、田宮の入れ込み方、悲劇的な結末、どれをとっても一番の代表作と言えよう。2003年にはフジテレビで再ドラマ化され、改めて田宮版が注目されるようになり、当時の版を見たことがなかった若い世代からも評価を得た。2002年に発売されたDVDの売上げも順調である。
音楽作品
シングルレコード
青い犬のブルース (1967年)…『勝負犬』主題歌
パパの子守唄 / レッツ・ゴー・トゥ・ダンス・マイ・ペイビー(1969年) - ビクター
弱気だぜ / 愛して別れたあとで (1971年5月)
落葉の別れ / 深夜のRoute 246 (1975年) - ビクター
パパの子守唄 / 男の扉 (1975年8月) - コロムビア
たそがれの都会(まち) /「白い巨塔」メインテーマ(インスト) (1978年) - ポリドール…「白い巨塔」テーマ曲(番組内では使用されず)
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
デビューと名声
大学在学中の1955年、スポーツニッポン社主催の「ミスターニッポンコンテスト」で優勝したのがきっかけで、大映演技研究所10期生として入社。1957年に本名の「柴田吾郎」でデビュー。1959年、大映の永田雅一社長がオーナーを兼務する大毎オリオンズの強打者・田宮謙次郎にあやかりたいという永田の意思に強制される形で「田宮二郎」と改名。長らく端役が多く恵まれなかったが、1961年、『女の勲章』(吉村公三郎監督、山崎豊子原作)で注目を集め、同年秋に勝新太郎と共演した『悪名』(田中徳三監督、今東光原作)の「モートルの貞」役で人気スターの仲間入り。二枚目のルックス、身長180cmでスリムでありながら筋肉質であることに加え、甘い二枚目から冷酷なエリート、ユーモラスな拳銃使い、ヤクザ、欲望のためなら手段を選ばない悪役までもこなす演技力にも定評があり、犬シリーズ、黒シリーズ等に主演し、大映の看板俳優として大活躍した。また若尾文子の相手役として名画を多く残した。1966年、映画『白い巨塔』(山本薩夫監督、山崎豊子原作、大映作品)で財前五郎役を演じたことで、その名声は決定的なものになり、「昭和のクールガイ」と呼ばれた。意外であるが、同じ大映のスター市川雷蔵とは一度も共演していない。理由は大映社長の永田雅一の方針によるものといわれている。
映画界追放、テレビ進出そして復活
1968年、映画『不信のとき』(今井正監督、有吉佐和子原作、大映作品)の宣伝ポスターで、出演者名の序列が4番目として発表された。主役である自分がトップだと思っていた田宮は強く会社側(=大映)に抗議した(当初の序列は、1.若尾文子、2.岡田茉莉子、3.加賀まりこ。特に加賀は年下でありキャリアも後輩だった上、当時、他社の松竹専属女優だった)。結果的に、ポスターの序列は希望通り田宮がトップとなったが、大映の社長・永田雅一はこれに激怒し、田宮を一方的に解雇してしまう。さらに五社協定を持ち出し、他社にも田宮を使わないように通達した。
映画界から完全に干されてしまった田宮は、家族を養うために舞台俳優・司会者・歌手として活動し、キャバレーまわりなどの地方巡業もしていた。この期間、1969年1月9日にNETテレビ(現在のテレビ朝日)系列で放送が始まった『クイズタイムショック』の初代司会者を務め、高視聴率により長寿番組となった。同年、東京12チャンネルの音楽番組『田宮二郎ショー』の司会も務めた。映画俳優として仕事ができず、このようなテレビの仕事は本人にとって不本意であったが、それに反して、当時すでにテレビ普及率はほぼ100%近くに達していて、他の映画俳優たちのテレビ出演も珍しくなくなっており、田宮の司会姿は視聴者たちの記憶に長く残る結果となり、田宮の名声を保つことにつながった。
運は田宮に味方し、1969年に大映との契約が切れたことにより映画界へのカムバックを果たした。逆境に打ち勝ったことで自信を付けた田宮は、永田社長に啖呵を切るまでになっていた。しかし、1971年に自ら立ち上げた会社「田宮企画」で「3000キロの罠」を製作したがヒットにはならなかった。 一方、大映は1971年に倒産。それをきっかけに既に斜陽であった映画の観客動員数はさらに大きく落ち込み、今に続くテレビ時代となる。
1972年にはTBS系ドラマ『知らない同志』でテレビドラマデビューを飾る。その後も『白い影』『白い滑走路』などの「白いシリーズ」や、山田太一脚本『高原へいらっしゃい』などの話題のドラマに主演して、立て続けにヒットを飛ばし、テレビドラマ界でも花形スターの座を獲得するまでになった。
その頃になると、自身を「日本のハワード・ヒューズになる」と公言しはじめ、ビジネスに興味を持ち、政財界とも接触を持つようになって、ゴルフ場やマンションの経営を行ったが失敗。1977年には日英合作映画『イエロー・ドッグ』(松竹)の製作も行ったが不入りに終わり、多額の借金を抱えてしまう。そして次第に精神を病み、同年3月には精神科医の斎藤茂太から躁鬱病と診断されて治療を始めたが、その成果は思わしくなかった。
また、付き人に段ボールの箱ごと育毛剤を買いに行かせたり、 ドラマの撮影シーンで髪の毛が濡れたりするのを出来るだけ回避しようとしていたくらい、髪について悩んでいたという。
『白い巨塔』・切望したドラマ化
1977年冬、TBSより田宮のキャスティング権を得たフジテレビから企画を求められた田宮は、原作の途中までしか映画化されていなかった『白い巨塔』のドラマ化を強く希望した。これは3度目の提案であった。1度は1969年、2度目はその数年後にドラマ化の企画をテレビ局に持ち込んだ経緯があったのだが、最初は五社協定により、2度目はスポンサーのOKが出なかったために実現しなかったのだ。映画版『白い巨塔』で財前五郎を演じて以来、田宮は常に高みを目指す財前の姿に自分を重ねていたようだ。自身の本名と同じ「ごろう」であったことも影響したのであろう、財前五郎を演じるのは自分しかいない、原作のラスト・財前の死までを演じ切りたいと思い続けていたのだった。映画化の際には原作の財前の年齢よりずっと若かった田宮も、この時にはほぼ同じ年齢であり機も熟していた。田宮は原作者・山崎豊子に直接願い入れ、快諾を得て1977年11月にはドラマ化が決定した。
しかし12月に入ると、躁状態に入った田宮はあれほど入れ込んでいたドラマ化への関心が薄れ、いかがわしいビジネスに熱中し始め、多額の債務を抱えてしまう。妻は弁護士と協議の上、「偽装離婚」することにより財産を守ったほどである。田宮の事業熱が収まらないまま、ドラマ『白い巨塔』は1978年3月26日に撮影開始。ロケーション現場の病院を自ら手配するなど、高いテンションで撮影に臨み、6月3日には第1回の放送が視聴率18.6%と好調にスタートした。一方で私生活は荒れ、執拗な債権取立ての中で、妻に不動産等の書類の引渡しを求めて激しく言い争うようになっていた。ドラマ撮影現場でも次第に彼の不遜な態度に対して不安が広がり、スタッフがその火消しに躍起になったという。さらに、「ウランの採掘権を取得した」と主張してトンガに一週間出かけ、あわや撮影中止になりかけることもあった。
18話まで撮影したところで撮影は1ヶ月の休暇に入り、田宮は7月29日にロンドンへ旅行に出発。戻って来ないのではないかという周囲の心配をよそに、9月8日には帰国したが、そのときには田宮は鬱状態に入っていた。9月17日に後半の収録が始まったが、テンションが高かった旅行前とは一転し、田宮は泣き崩れてばかりで台詞が頭に入らなくなっていた。妻やスタッフが必死に彼を励まし続け、共演者の協力もあって、撮影は11月15日に無事終了。財前五郎の死のシーンに際して、田宮は3日間絶食し、すっかり癌患者になりきった。さらに自ら遺書を書き、それを台本に加えさせた。そして、全身に白布を掛けられストレッチャーに横たわる遺体役を、スタッフの代役ではなく自分自身でやると主張してストレッチャーに乗った。そして「うまく死ねた」とラストシーンを自賛したという。
この時期の田宮には一種の都市伝説と思われるがいくつかの奇行が語り継がれていた。一つはいわゆるM資金詐欺に騙され、巨額の借金を負った事がその後の自殺の一つの要因であるという流説。もう一つは、現実と役柄の境界が不明瞭となり、航空機にて急病人が出て乗務員が医師を捜すと、たまたま同乗していた田宮が「医師の財前だが」と名乗り出たというものである。
ドラマの終わりと共に
ドラマ撮影の間、1978年9月28日放送分をもって『クイズタイムショック』の司会を降板した(2代目司会者は山口崇)。『白い巨塔』撮影終了後の田宮はすっかり虚脱状態になり、「財前五郎の後に、どんな役を演じたらいいかわからない」とプロデューサーの小林俊一に漏らすようになっていた。
衝撃の死
『白い巨塔』放映が残り2話となっていた1978年12月28日昼過ぎ、田宮は家族と別居して一人で住んでいた港区元麻布の自宅で猟銃自殺を遂げた。残された遺書には、妻への感謝の言葉と共に、生きることの苦しみと死への恐怖が綴られ、病気で倒れたと思って諦めて欲しい、と書かれていた[1]。このニュースは非常な衝撃をもって報道された。『白い巨塔』原作者の山崎豊子が書いた『華麗なる一族』(田宮も映画化された際出演していた)に猟銃自殺のシーンがあり、山崎はニュースを聞くとすぐに「猟銃でしょう」語ったという。ドラマ『白い巨塔』終わり2話の視聴率は皮肉にも急上昇し、最終話は31.4%を記録、結果多くの人々の記憶に残る大成功をおさめたのである。ただ、田宮の死を悼んだプロデューサーは、この視聴率を成功ととらえるよりも、かえって視聴者に対し話題性に群がる軽薄さを感じて、怒りを露わにしたという。
『白い巨塔』の田宮二郎
「田宮二郎といえば『白い巨塔』」という印象はそれを見た多くの人の記憶に残るところである。他に数多くの映画やドラマのヒット作に主演したが、世間の評価、田宮の入れ込み方、悲劇的な結末、どれをとっても一番の代表作と言えよう。2003年にはフジテレビで再ドラマ化され、改めて田宮版が注目されるようになり、当時の版を見たことがなかった若い世代からも評価を得た。2002年に発売されたDVDの売上げも順調である。
音楽作品
シングルレコード
青い犬のブルース (1967年)…『勝負犬』主題歌
パパの子守唄 / レッツ・ゴー・トゥ・ダンス・マイ・ペイビー(1969年) - ビクター
弱気だぜ / 愛して別れたあとで (1971年5月)
落葉の別れ / 深夜のRoute 246 (1975年) - ビクター
パパの子守唄 / 男の扉 (1975年8月) - コロムビア
たそがれの都会(まち) /「白い巨塔」メインテーマ(インスト) (1978年) - ポリドール…「白い巨塔」テーマ曲(番組内では使用されず)
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
は行
初代若大将シリーズの相手役!! 星由里子
星 由里子(ほし ゆりこ、1943年12月6日 - )は、日本の女優。東京都出身。所属事務所は東宝芸能。
来歴
1958年、東宝シンデレラ娘にグランプリ当選したのをきっかけに芸能界デビュー。 東宝専属となり、翌1959年に、映画『すずかけの散歩道』で女優デビューし、同名のレコードで歌手デビューも果たした。同時期にデビューした浜美枝、田村奈己とともに「東宝スリーペッツ」として売り出される。成瀬巳喜男、岡本喜八、福田純監督作品に度々起用され、文芸作品からアクション映画まで、数多くの映画に出演。中でも、1961年から始まった『若大将シリーズ』で演じたヒロイン・澄子役が当たり役となり、人気を博す。当時の加山雄三の出演する映画には必ず星の姿があったといっても過言ではないほど、加山との共演作も多い。世相を写したファッションや明るいイメージが広く支持された。
女優としての人気の絶頂期の1970年に幼なじみでもあった、財界人で買収王の横井英樹の長男と結婚。だが性格があわず40日余りで離婚。1975年、脚本家の花登筐と再婚するが、1983年に花登と死別。1990年には会社役員と再々婚した。
現在はテレビドラマ、舞台を中心に活躍している。
主な出演作品
映画
手錠をかけろ(1959年)
すずかけの散歩道(1959年)
世界大戦争(1961年)
若大将シリーズ(1961-1969年)
太平洋の翼(1963年)
今日もわれ大空にあり(1964年)
モスラ対ゴジラ(1964年)
国際秘密警察 火薬の樽(1964年)
三大怪獣 地球最大の決戦(1964年)
新網走番外地シリーズ(1968年 - )
青い山脈(1975年)
刑事物語3 潮騒の詩(1984年)
ゴジラ×メガギラス G消滅作戦(2000年)
釣りバカ日誌18(初の松竹映画出演。2007年8月25日公開)
テレビドラマ
ぬかるみの女
あぐり(1997年、NHK朝の連続テレビ小説)
ほんまもん(2001年、NHK朝の連続テレビ小説)
こちら本池上署シリーズ(2002年)
相棒・Season5(第19話ゲスト。2007年3月7日、テレビ朝日)
舞台
蝉しぐれ(2007年9月2日〜9月24日、大阪松竹座)
その他のテレビ番組
「SMAP×SMAP」(フジテレビ) - ビストロSMAPゲスト
「森田一義アワー 笑っていいとも!」(フジテレビ) - テレフォンショッキングゲスト。
「さんまのまんま」(関西テレビ系) - 司葉子と2人で出演
「たけし・さんまの有名人の集まる店」(フジテレビ)
「なるほど!ザ・ワールド」(フジテレビ)
「ライオンのごきげんよう」(フジテレビ)
「第38回NHK思い出のメロディー」(2006年) - 特別ゲスト
「クイズ面白ゼミナール」(NHK総合)
「今夜は最高!」(日本テレビ)
「土曜スペシャル」(テレビ東京)
「2時のワイドショー」(※司会。日本テレビ系)
「24時間テレビ「愛は地球を救う」」(日本テレビ系) - 1980年代後半、関西地区パーソナリティー
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
来歴
1958年、東宝シンデレラ娘にグランプリ当選したのをきっかけに芸能界デビュー。 東宝専属となり、翌1959年に、映画『すずかけの散歩道』で女優デビューし、同名のレコードで歌手デビューも果たした。同時期にデビューした浜美枝、田村奈己とともに「東宝スリーペッツ」として売り出される。成瀬巳喜男、岡本喜八、福田純監督作品に度々起用され、文芸作品からアクション映画まで、数多くの映画に出演。中でも、1961年から始まった『若大将シリーズ』で演じたヒロイン・澄子役が当たり役となり、人気を博す。当時の加山雄三の出演する映画には必ず星の姿があったといっても過言ではないほど、加山との共演作も多い。世相を写したファッションや明るいイメージが広く支持された。
女優としての人気の絶頂期の1970年に幼なじみでもあった、財界人で買収王の横井英樹の長男と結婚。だが性格があわず40日余りで離婚。1975年、脚本家の花登筐と再婚するが、1983年に花登と死別。1990年には会社役員と再々婚した。
現在はテレビドラマ、舞台を中心に活躍している。
主な出演作品
映画
手錠をかけろ(1959年)
すずかけの散歩道(1959年)
世界大戦争(1961年)
若大将シリーズ(1961-1969年)
太平洋の翼(1963年)
今日もわれ大空にあり(1964年)
モスラ対ゴジラ(1964年)
国際秘密警察 火薬の樽(1964年)
三大怪獣 地球最大の決戦(1964年)
新網走番外地シリーズ(1968年 - )
青い山脈(1975年)
刑事物語3 潮騒の詩(1984年)
ゴジラ×メガギラス G消滅作戦(2000年)
釣りバカ日誌18(初の松竹映画出演。2007年8月25日公開)
テレビドラマ
ぬかるみの女
あぐり(1997年、NHK朝の連続テレビ小説)
ほんまもん(2001年、NHK朝の連続テレビ小説)
こちら本池上署シリーズ(2002年)
相棒・Season5(第19話ゲスト。2007年3月7日、テレビ朝日)
舞台
蝉しぐれ(2007年9月2日〜9月24日、大阪松竹座)
その他のテレビ番組
「SMAP×SMAP」(フジテレビ) - ビストロSMAPゲスト
「森田一義アワー 笑っていいとも!」(フジテレビ) - テレフォンショッキングゲスト。
「さんまのまんま」(関西テレビ系) - 司葉子と2人で出演
「たけし・さんまの有名人の集まる店」(フジテレビ)
「なるほど!ザ・ワールド」(フジテレビ)
「ライオンのごきげんよう」(フジテレビ)
「第38回NHK思い出のメロディー」(2006年) - 特別ゲスト
「クイズ面白ゼミナール」(NHK総合)
「今夜は最高!」(日本テレビ)
「土曜スペシャル」(テレビ東京)
「2時のワイドショー」(※司会。日本テレビ系)
「24時間テレビ「愛は地球を救う」」(日本テレビ系) - 1980年代後半、関西地区パーソナリティー
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
あ行
東映時代劇の黄金期を支えた一人 東千代之介
東 千代之介(あずま ちよのすけ、1926年8月19日 - 2000年11月9日)は、日本の俳優・日本舞踊若菜流の家元。本名、若和田 孝之(わかわだ たかゆき)。
東京都出身。
略歴
長唄六代家元杵屋弥三郎の子。七代坂東三津五郎に師事して日本舞踊を学ぶ。暁星学園を経て東京藝術大学卒業。昭和29年(1954年)に東映に入社し、『雪之丞変化』でデビュー。端正な容貌と日本舞踊で鍛えたしなやかな身のこなしで人気を集め、中村錦之助、大川橋蔵らと共に東映時代劇の黄金期を支えたが、時代劇衰退に伴い東映が任侠路線に移行すると1965年に退社した。
その後は日本舞踊の家元としての活動が中心となり、多くの弟子を育てた。1966年、元宝塚女優千之赫子(ちの・かくこ)と結婚。1男1女を儲けたが、1985年に赫子と死別。1987年再婚。1991年次男誕生。
テレビ番組では『クイズ面白ゼミナール』に「東千代之介チーム」リーダーとして準レギュラー出演。『バトルフィーバーJ』、『機動刑事ジバン』、『京、ふたり』では演技も披露し、往年のファンを喜ばせた。
2000年11月9日左心不全、慢性腎不全のため死去。享年74。
評価
歌舞伎の世界を捨てて映画俳優に転じた中村錦之助や大川橋蔵が、(俳優として売れなくなっても歌舞伎の世界へ)後戻りする事ができない為にハングリーであったのとは対照的に、千代之介は俳優が駄目でもいつでも日本舞踊に戻れるということで「欲がなかった」といわれている。昭和30年代後半になると主演から外れることも多くなり、後輩の里見浩太郎にさえ追い抜かれたと思われた。それでも東映は、オールスター映画では千代之介を錦之助や橋蔵と同格のキャスティングにする配慮を見せた。このころ共演することが多かった大川恵子とはロマンスの噂が立てられたが、彼女は雑誌のインタビューで「(千代之介は)男として食い足りない」と酷評している。
このようにスターとしての俳優間の競争では覇気に欠けたが、その反面、芸能界では良く見られる金銭や男女関係といった欲がらみのスキャンダルやトラブルについてはまるで無縁で、常に無欲で腰が低く、子供たちやファンへの対応も親切丁寧で、清廉潔白なイメージを生涯保ち続けた。スター役者にとっては華やかで艶福な私生活も芸風を磨く内であるという風潮も根強く、また芸能人のその様な行動への許容度が現在よりもかなり高かった当時の芸能界の体質を鑑みた場合、このクリーンさは特筆に値すべき事であり、この点ではまったくもって希有なスターと言える。
そのクリーンなイメージと、元々端正な顔だちと優美な挙措により娯楽作品でこそより映えるその姿から、東映としても安心して出演させられる俳優という印象があったからか、後年に至って大御所的な存在になっても東映の子供向け特撮ドラマに出演する事となり、主人公の若者たちを厳しくも優しく見守る重鎮的な役柄として、この様な作品であってもその存在感を発揮し続けた事は流石というべきものである。特に『バトルフィーバーJ』で演じた倉間鉄山将軍については、『スーパー戦隊シリーズ』黎明期の作品であるにもかかわらず、「演技力や表現力、存在感において、いまだシリーズ歴代作品の中でも最高の司令官」と評する者が、年季の入ったシリーズのファンの間では少なくない。
出演
映画
雪之丞変化(1954年)
新諸国物語・笛吹童子(1954年)
新諸国物語・紅孔雀(1954年)
蛇姫様(1954年)
赤穂浪士(1956年)
新諸国物語・七つの誓い(1957年)
水戸黄門(1957年)
暴れん坊兄弟(1960年)
金田一耕助の冒険(1979年)
テレビドラマ
バトルフィーバーJ(1979年 - 1980年、テレビ朝日)
機動刑事ジバン(1989年 - 1990年、テレビ朝日)
京、ふたり(1990年 - 1991年、NHK朝の連続テレビ小説)
クイズ・バラエティ
クイズ面白ゼミナール(1981年 - 1988年、NHK)
受賞歴
1996年(平成8年) - 第6回日本映画批評家大賞 ゴールデン・グローリー賞
参考図書
『東千代之介―東映チャンバラ黄金時代』「東千代之介を愛する会」編、ワイズ出版、1998年刊、ISBN 4948735817
存命中にインタビュー・刊行された。
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
東京都出身。
略歴
長唄六代家元杵屋弥三郎の子。七代坂東三津五郎に師事して日本舞踊を学ぶ。暁星学園を経て東京藝術大学卒業。昭和29年(1954年)に東映に入社し、『雪之丞変化』でデビュー。端正な容貌と日本舞踊で鍛えたしなやかな身のこなしで人気を集め、中村錦之助、大川橋蔵らと共に東映時代劇の黄金期を支えたが、時代劇衰退に伴い東映が任侠路線に移行すると1965年に退社した。
その後は日本舞踊の家元としての活動が中心となり、多くの弟子を育てた。1966年、元宝塚女優千之赫子(ちの・かくこ)と結婚。1男1女を儲けたが、1985年に赫子と死別。1987年再婚。1991年次男誕生。
テレビ番組では『クイズ面白ゼミナール』に「東千代之介チーム」リーダーとして準レギュラー出演。『バトルフィーバーJ』、『機動刑事ジバン』、『京、ふたり』では演技も披露し、往年のファンを喜ばせた。
2000年11月9日左心不全、慢性腎不全のため死去。享年74。
評価
歌舞伎の世界を捨てて映画俳優に転じた中村錦之助や大川橋蔵が、(俳優として売れなくなっても歌舞伎の世界へ)後戻りする事ができない為にハングリーであったのとは対照的に、千代之介は俳優が駄目でもいつでも日本舞踊に戻れるということで「欲がなかった」といわれている。昭和30年代後半になると主演から外れることも多くなり、後輩の里見浩太郎にさえ追い抜かれたと思われた。それでも東映は、オールスター映画では千代之介を錦之助や橋蔵と同格のキャスティングにする配慮を見せた。このころ共演することが多かった大川恵子とはロマンスの噂が立てられたが、彼女は雑誌のインタビューで「(千代之介は)男として食い足りない」と酷評している。
このようにスターとしての俳優間の競争では覇気に欠けたが、その反面、芸能界では良く見られる金銭や男女関係といった欲がらみのスキャンダルやトラブルについてはまるで無縁で、常に無欲で腰が低く、子供たちやファンへの対応も親切丁寧で、清廉潔白なイメージを生涯保ち続けた。スター役者にとっては華やかで艶福な私生活も芸風を磨く内であるという風潮も根強く、また芸能人のその様な行動への許容度が現在よりもかなり高かった当時の芸能界の体質を鑑みた場合、このクリーンさは特筆に値すべき事であり、この点ではまったくもって希有なスターと言える。
そのクリーンなイメージと、元々端正な顔だちと優美な挙措により娯楽作品でこそより映えるその姿から、東映としても安心して出演させられる俳優という印象があったからか、後年に至って大御所的な存在になっても東映の子供向け特撮ドラマに出演する事となり、主人公の若者たちを厳しくも優しく見守る重鎮的な役柄として、この様な作品であってもその存在感を発揮し続けた事は流石というべきものである。特に『バトルフィーバーJ』で演じた倉間鉄山将軍については、『スーパー戦隊シリーズ』黎明期の作品であるにもかかわらず、「演技力や表現力、存在感において、いまだシリーズ歴代作品の中でも最高の司令官」と評する者が、年季の入ったシリーズのファンの間では少なくない。
出演
映画
雪之丞変化(1954年)
新諸国物語・笛吹童子(1954年)
新諸国物語・紅孔雀(1954年)
蛇姫様(1954年)
赤穂浪士(1956年)
新諸国物語・七つの誓い(1957年)
水戸黄門(1957年)
暴れん坊兄弟(1960年)
金田一耕助の冒険(1979年)
テレビドラマ
バトルフィーバーJ(1979年 - 1980年、テレビ朝日)
機動刑事ジバン(1989年 - 1990年、テレビ朝日)
京、ふたり(1990年 - 1991年、NHK朝の連続テレビ小説)
クイズ・バラエティ
クイズ面白ゼミナール(1981年 - 1988年、NHK)
受賞歴
1996年(平成8年) - 第6回日本映画批評家大賞 ゴールデン・グローリー賞
参考図書
『東千代之介―東映チャンバラ黄金時代』「東千代之介を愛する会」編、ワイズ出版、1998年刊、ISBN 4948735817
存命中にインタビュー・刊行された。
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
さ行
若大将シリーズ二代目相手役 酒井和歌子
酒井 和歌子 (さかい わかこ、1949年4月15日 - ) は日本の女優。東京都出身。目白学園女子短大国文科中退。劇団若草に入団して子役として活動後、昭和40年代の東宝の青春映画で活躍した。「若大将シリーズ」で加山雄三の二代目相手役をつとめた他、「めぐりあい」、「誰のために愛するか」等に主演した。 東宝退社後も、テレビ等で清純派女優をペースとして活躍している一方、悪女役などもこなすなど、幅広い演技も見せている。
出演作
映画
あいつと私(1961年9月10日、日活)
目をつぶって突っ走れ(1962年6月3日、日活)
今日もわれ大空にあり(1964年2月29日、東宝)
落語野郎 大脱線(1966年6月30日、東宝)
落語野郎 大馬鹿時代(1966年11月20日、東宝)
これが青春だ!(1966年12月17日、東宝):香代
レッツゴー!若大将(1967年1月1日、東宝):スチュワーデス
落語野郎 大爆笑(1967年2月11日、東宝):お七
伊豆の踊子(1967年2月25日、東宝):お雪
続何処へ(1967年3月12日、東宝):森田美代
でっかい太陽(1967年9月15日、東宝):本田桃代
青春太郎(1967年10月18日、東宝):半沢花子
ドリフターズですよ!前進前進また前進(1967年10月28日、東宝)
燃えろ!太陽(1967年12月6日、東宝):並木和子
社長繁盛記(1968年1月14日、東宝):中川めぐみ
続社長繁盛記(1968年2月24日、東宝):中川めぐみ
兄貴の恋人(1968年9月7日、東宝):野村和子
燃えろ!青春(1968年12月19日、東宝):三沢朝子
誰のために愛するか(1971年4月1日、東宝)
百万人の大合唱(1972年2月26日、近代放映)
戦争を知らない子供たち(1973年5月12日、東宝)
グァム島珍道中(1973年12月29日、東宝)
華麗なる一族(1974年1月26日、芸苑社)
刑事物語2 りんごの詩(1983年7月2日、東宝)
修羅の群れ(1984年11月17日、東映京都)
アイ・ラヴ・ピース(2003年12月20日、こぶしプロ)
県庁の星(2006年2月25日、東宝)
テレビドラマ
青春とはなんだ第13話「危険な年輪」(1966年1月16日、日本テレビ) - 木塚敦子役
まかしといて!(1968年8月‐10月、TBS)
こんにちは!そよ風さん(1969年1月‐4月、TBS)
あしたはまっ白(1970年6月‐7月、日本テレビ)
蒼いけものたち(1970年8月‐9月、日本テレビ)
青春の挽歌(1970年11月、フジテレビ)
忍ぶ糸(1971年1月‐3月、NET)
あたし頑張ってます(1971年10月‐1972年3月、TBS)
金曜ドラマいま炎のとき(1972年、TBS)
飛び出せ!青春(1972年 - 1973年、東宝・日本テレビ) - 本倉先生役
太陽にほえろ!(1973年、東宝・日本テレビ) - 101話「愛の殺意」今井ノリコ役
金曜ドラマ ガラスの森(1975年、TBS)
気まぐれ天使(1977年)第16回‐第43回
長七郎天下ご免!(1979年10月‐1982年3月、朝日放送)
大岡越前
愛の滑走路'81 (1981年2月〜5月,TBS系)
男なら!(1982年、TBS)
殺さないであなた(1983年、フジテレビ)
必殺仕事人・激突!
お茶の間
星の金貨(1995年4月‐7月、日本テレビ)
噂の伝次郎(1997年11月‐12月、NHK)
はるちゃん(6)(2002年、東海テレビ)
水曜ミステリー9 鉄道警察官走る捜査線 清村公三郎(2006年11月、テレビ東京)
教養・バラエティ番組
料理バンザイ!(テレビ朝日)
ためしてガッテン(NHK) - 不定期出演
舞台
夜の辛夷 - 主演
大石内蔵助 ほか- 里見浩太朗の相手役として出演
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
出演作
映画
あいつと私(1961年9月10日、日活)
目をつぶって突っ走れ(1962年6月3日、日活)
今日もわれ大空にあり(1964年2月29日、東宝)
落語野郎 大脱線(1966年6月30日、東宝)
落語野郎 大馬鹿時代(1966年11月20日、東宝)
これが青春だ!(1966年12月17日、東宝):香代
レッツゴー!若大将(1967年1月1日、東宝):スチュワーデス
落語野郎 大爆笑(1967年2月11日、東宝):お七
伊豆の踊子(1967年2月25日、東宝):お雪
続何処へ(1967年3月12日、東宝):森田美代
でっかい太陽(1967年9月15日、東宝):本田桃代
青春太郎(1967年10月18日、東宝):半沢花子
ドリフターズですよ!前進前進また前進(1967年10月28日、東宝)
燃えろ!太陽(1967年12月6日、東宝):並木和子
社長繁盛記(1968年1月14日、東宝):中川めぐみ
続社長繁盛記(1968年2月24日、東宝):中川めぐみ
兄貴の恋人(1968年9月7日、東宝):野村和子
燃えろ!青春(1968年12月19日、東宝):三沢朝子
誰のために愛するか(1971年4月1日、東宝)
百万人の大合唱(1972年2月26日、近代放映)
戦争を知らない子供たち(1973年5月12日、東宝)
グァム島珍道中(1973年12月29日、東宝)
華麗なる一族(1974年1月26日、芸苑社)
刑事物語2 りんごの詩(1983年7月2日、東宝)
修羅の群れ(1984年11月17日、東映京都)
アイ・ラヴ・ピース(2003年12月20日、こぶしプロ)
県庁の星(2006年2月25日、東宝)
テレビドラマ
青春とはなんだ第13話「危険な年輪」(1966年1月16日、日本テレビ) - 木塚敦子役
まかしといて!(1968年8月‐10月、TBS)
こんにちは!そよ風さん(1969年1月‐4月、TBS)
あしたはまっ白(1970年6月‐7月、日本テレビ)
蒼いけものたち(1970年8月‐9月、日本テレビ)
青春の挽歌(1970年11月、フジテレビ)
忍ぶ糸(1971年1月‐3月、NET)
あたし頑張ってます(1971年10月‐1972年3月、TBS)
金曜ドラマいま炎のとき(1972年、TBS)
飛び出せ!青春(1972年 - 1973年、東宝・日本テレビ) - 本倉先生役
太陽にほえろ!(1973年、東宝・日本テレビ) - 101話「愛の殺意」今井ノリコ役
金曜ドラマ ガラスの森(1975年、TBS)
気まぐれ天使(1977年)第16回‐第43回
長七郎天下ご免!(1979年10月‐1982年3月、朝日放送)
大岡越前
愛の滑走路'81 (1981年2月〜5月,TBS系)
男なら!(1982年、TBS)
殺さないであなた(1983年、フジテレビ)
必殺仕事人・激突!
お茶の間
星の金貨(1995年4月‐7月、日本テレビ)
噂の伝次郎(1997年11月‐12月、NHK)
はるちゃん(6)(2002年、東海テレビ)
水曜ミステリー9 鉄道警察官走る捜査線 清村公三郎(2006年11月、テレビ東京)
教養・バラエティ番組
料理バンザイ!(テレビ朝日)
ためしてガッテン(NHK) - 不定期出演
舞台
夜の辛夷 - 主演
大石内蔵助 ほか- 里見浩太朗の相手役として出演
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
あ行
豪放磊落な役柄に反し 生真面目な人柄だった大友柳太郎
大友 柳太朗(おおとも りゅうたろう、1912年6月5日 - 1985年9月27日)は、日本の俳優。山口県出身。
本名、中富正三。山口県柱島(現岩国市)に生まれる。松山中学(現・愛媛県立松山東高等学校)卒業後、新国劇に入り、辰巳柳太郎に師事する。
1936年、新興キネマ京都撮影所に入って芸名を「大友柳太郎」とし、山本周五郎原作の『青空浪士』で映画デビュー。大ヒットした『佐賀怪猫伝』に主演し、スターの仲間入りを果たす。大映合併後の、オールスターが共演した『維新の曲』の演技は特に好評だった。
戦後、復員し、芸名も「柳太朗」と改め、佐伯清監督の『加賀騒動』で山田五十鈴と共演し、映画界に復帰。改名の背景は戦後、なかなか主役の座に返り咲けず低迷したので、これでは師匠の名を名乗るのはおこがましいと考えたからだという。1953年、東映に入社し、『怪傑黒頭巾』に主演。評判になり、黒頭巾役者として子供の人気の的になった。特に殺陣の鮮やかさは誰もが認めるところだった。片岡千恵蔵、市川右太衛門の両御大、中村錦之助、東千代之介、大川橋蔵の三羽烏よりも稼ぎ頭だったという風説がある。
時代劇では豪放磊落な役柄が多かったが、俳優としての実像は生真面目で神経質ともいえた。師匠辰巳の前では終生、膝を崩す事がなかったといわれる。滑舌が悪い事を常に気に病んでいたともいわれる。
晩年はテレビドラマにも数多く出演し、現代劇でも親しまれたが、1980年代に入り台詞覚えが悪くなった事から、老人性痴呆症にかかったと悲観しはじめ、不眠症にも悩まされるようになる。1985年9月27日、東京都港区の自宅マンション屋上から飛び降り自殺した。この日の午前8時30分、大友は管理人に鍵を貰って地下の個別の倉庫へ入ったが、様子がおかしいと妻が管理人を呼びに来て、2人がかりで大友を部屋へ連れ戻したが、妻と管理人が大友を病院へ連れて行くかどうか相談している隙をついて部屋を抜けだし、屋上から飛び降りたのだった。自殺の背景には杉良太郎が台詞覚えの悪さを厳しく咎めたという説と、伊丹十三監督から苛められたという説があるが、真偽は定かではない。
部屋には妻と、10月から放送の新番組でレギュラー出演していたテレビドラマ『ハーフポテトな俺たち』(日本テレビ)のプロデューサーに宛てた遺書が残されていた。享年74。この『ハーフポテトな俺たち』と映画『タンポポ』(伊丹十三監督)の2本が遺作となった。死の前日伊丹に電話をかけ、自分の出番が全て撮影済みであることを確認している。
師の辰巳は後年、『徹子の部屋』に出演した際、大友の自殺について、「皆に迷惑をかけるからと言って死んだらしい。だが、柳太朗の妻を始め誰も迷惑だと思っていないと。自分を始め関係者は柳太朗は何を勘違いしたのだろうと全員?????だった」というニュアンスで語っている。
主な出演作品
映画
青空浪士(1937年、新興キネマ) - 津村三九馬
佐賀怪猫伝(1937年、新興キネマ) - 小森半左衛門
静御前(1938年、新興キネマ) - 源義経
叫ぶ野武士(1938年、新興キネマ) - 翼の八郎
富士川の血煙(1939年、新興キネマ) - 小政
女人峠(1940年、新興キネマ) - 遠藤類蔵
罪なき町(1941年、新興キネマ) - 加賀宰相綱紀
維新の曲(1942年、大映) - 佐々木唯三郎
素浪人罷通る(1947年、大映) - 松平伊豆守
獄門島(1949年、東横映画) - 磯川警部
にっぽんGメン 難船崎の血闘(1950年、東横映画) - 都筑滋彌
神変美女峠(1951年、新東宝) - 青鬼
八ツ墓村(1951年、東映) - 磯川警部
大江戸五人男(1951年、松竹) - 石谷将監
赤穂城(1952年、東映) - 不破数右衛門
はだか大名(1952年、東映) - 大内右源太
満月三十石船(1952年、東映) - 桂小五郎
加賀騒動(1953年、東映) - 大槻伝蔵
朝焼け富士(1953年、東映) - 橋本五郎兵衛
快傑黒頭巾(1953年、東映) - 黒頭巾
新諸国物語 笛吹童子(1954年、東映) - 霧の小次郎
霧の小次郎(1954年、東映) - 霧の小次郎
新諸国物語 紅孔雀(1954年、東映) - 主水
弥太郎笠(1955年、東映) - 桑山盛助
隠密秘帖 まぼろし城(1956年) - 木暮月之介
赤穂浪士 天の巻 地の巻(1956年、東映) - 堀田隼人
恋染め浪人(1957年、東映) - 夏目鮎太郎
抜打ち浪人(1957年、東映) - 正木弥九郎
丹下左膳(1958年、東映) - 丹下左膳
新選組(1958年、東映) - 月形半平太
鶯城の花嫁(1958年、東映) - 三鷹彦四郎
忠臣蔵 桜花の巻 菊花の巻(1959年、東映) - 堀部安兵衛
新吾十番勝負(1959年、東映) - 徳川吉宗
孔雀城の花嫁(1959年、東映) - 森半助正和
右門捕物帖 南蛮鮫(1961年、東映) - むっつり右門
赤い影法師(1961年、東映) - 柳生十兵衛
天草四郎時貞(1962年、東映) - 岡新兵衛
変幻紫頭巾(1963年、東映) - 紫頭巾
幕末残酷物語(1964年、東映) - 山南敬助
日本侠客伝 浪花篇(1965年、東映) - 新沢
怪竜大決戦(1966年、東映) - 大蛇丸
女賭博師鉄火場破り(1968年、大映) - 前島大五郎
やくざ刑罰史 私刑(1969年、東映) - 友造
やくざ非情史 血の決着(1970年、東映) - 三田村長次
江戸川乱歩の陰獣(1977年、東映) - 小山田六郎
天使を誘惑(1979年、東宝) - 上杉朔太郎
炎のごとく(1981年、東宝) - 新門辰五郎
陽炎座(1981年、日本ヘラルド映画) - 師匠
刑事物語 くろしおの詩(1985年、東宝) - 山梨剛造
タンポポ(1985年、東宝) - ラーメンの先生
テレビ
赤穂浪士(1964年、NHK) - 堀内伝右衛門
源義経(1966年、NHK) - 富樫泰家
天と地と(1969年、NHK) - 板垣駿河守
大忠臣蔵(1971年、NET) - 鳥居理右衛門
必殺仕掛人 第4話「殺しの掟」(1972年、朝日放送) - 中根元十郎
国盗り物語(1973年、NHK) - 武田信玄
荒野の素浪人 第2シリーズ 第14話「白狼の牙」(1974年、NET) - 氷室郷左衛門
非情のライセンス 第2シリーズ(1975年、NET) - 山岸医師
水戸黄門(1976年 - 1983年、TBS) - 初代山野辺兵庫
第7部 第12話「忘れてしまった仇討ち・大館」(1976年) - 佐藤小四郎
破れ奉行(1977年、テレビ朝日) - 嶋屋宇兵衛
探偵物語 第4話「暴力組織」(1979年、日本テレビ) - 暴力団歌川会・歌川会長
なっちゃんの写真館(1980年、NHK)
関ヶ原(1981年、TBS) - 島津義弘
北の国から(1981年-1982年、フジテレビ)
おまかせください(1982年、フジテレビ)
君は海を見たか(1982年、フジテレビ) - 知念源吉
おしん(1983年、NHK)
おまかせください、オレの女房どの(1983年、フジテレビ)
しあわせの国 青い鳥ぱたぱた?(1985年、NHK)
ハーフポテトな俺たち(1985年、日本テレビ)
森田一義アワー笑っていいとも!(フジテレビ)
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
本名、中富正三。山口県柱島(現岩国市)に生まれる。松山中学(現・愛媛県立松山東高等学校)卒業後、新国劇に入り、辰巳柳太郎に師事する。
1936年、新興キネマ京都撮影所に入って芸名を「大友柳太郎」とし、山本周五郎原作の『青空浪士』で映画デビュー。大ヒットした『佐賀怪猫伝』に主演し、スターの仲間入りを果たす。大映合併後の、オールスターが共演した『維新の曲』の演技は特に好評だった。
戦後、復員し、芸名も「柳太朗」と改め、佐伯清監督の『加賀騒動』で山田五十鈴と共演し、映画界に復帰。改名の背景は戦後、なかなか主役の座に返り咲けず低迷したので、これでは師匠の名を名乗るのはおこがましいと考えたからだという。1953年、東映に入社し、『怪傑黒頭巾』に主演。評判になり、黒頭巾役者として子供の人気の的になった。特に殺陣の鮮やかさは誰もが認めるところだった。片岡千恵蔵、市川右太衛門の両御大、中村錦之助、東千代之介、大川橋蔵の三羽烏よりも稼ぎ頭だったという風説がある。
時代劇では豪放磊落な役柄が多かったが、俳優としての実像は生真面目で神経質ともいえた。師匠辰巳の前では終生、膝を崩す事がなかったといわれる。滑舌が悪い事を常に気に病んでいたともいわれる。
晩年はテレビドラマにも数多く出演し、現代劇でも親しまれたが、1980年代に入り台詞覚えが悪くなった事から、老人性痴呆症にかかったと悲観しはじめ、不眠症にも悩まされるようになる。1985年9月27日、東京都港区の自宅マンション屋上から飛び降り自殺した。この日の午前8時30分、大友は管理人に鍵を貰って地下の個別の倉庫へ入ったが、様子がおかしいと妻が管理人を呼びに来て、2人がかりで大友を部屋へ連れ戻したが、妻と管理人が大友を病院へ連れて行くかどうか相談している隙をついて部屋を抜けだし、屋上から飛び降りたのだった。自殺の背景には杉良太郎が台詞覚えの悪さを厳しく咎めたという説と、伊丹十三監督から苛められたという説があるが、真偽は定かではない。
部屋には妻と、10月から放送の新番組でレギュラー出演していたテレビドラマ『ハーフポテトな俺たち』(日本テレビ)のプロデューサーに宛てた遺書が残されていた。享年74。この『ハーフポテトな俺たち』と映画『タンポポ』(伊丹十三監督)の2本が遺作となった。死の前日伊丹に電話をかけ、自分の出番が全て撮影済みであることを確認している。
師の辰巳は後年、『徹子の部屋』に出演した際、大友の自殺について、「皆に迷惑をかけるからと言って死んだらしい。だが、柳太朗の妻を始め誰も迷惑だと思っていないと。自分を始め関係者は柳太朗は何を勘違いしたのだろうと全員?????だった」というニュアンスで語っている。
主な出演作品
映画
青空浪士(1937年、新興キネマ) - 津村三九馬
佐賀怪猫伝(1937年、新興キネマ) - 小森半左衛門
静御前(1938年、新興キネマ) - 源義経
叫ぶ野武士(1938年、新興キネマ) - 翼の八郎
富士川の血煙(1939年、新興キネマ) - 小政
女人峠(1940年、新興キネマ) - 遠藤類蔵
罪なき町(1941年、新興キネマ) - 加賀宰相綱紀
維新の曲(1942年、大映) - 佐々木唯三郎
素浪人罷通る(1947年、大映) - 松平伊豆守
獄門島(1949年、東横映画) - 磯川警部
にっぽんGメン 難船崎の血闘(1950年、東横映画) - 都筑滋彌
神変美女峠(1951年、新東宝) - 青鬼
八ツ墓村(1951年、東映) - 磯川警部
大江戸五人男(1951年、松竹) - 石谷将監
赤穂城(1952年、東映) - 不破数右衛門
はだか大名(1952年、東映) - 大内右源太
満月三十石船(1952年、東映) - 桂小五郎
加賀騒動(1953年、東映) - 大槻伝蔵
朝焼け富士(1953年、東映) - 橋本五郎兵衛
快傑黒頭巾(1953年、東映) - 黒頭巾
新諸国物語 笛吹童子(1954年、東映) - 霧の小次郎
霧の小次郎(1954年、東映) - 霧の小次郎
新諸国物語 紅孔雀(1954年、東映) - 主水
弥太郎笠(1955年、東映) - 桑山盛助
隠密秘帖 まぼろし城(1956年) - 木暮月之介
赤穂浪士 天の巻 地の巻(1956年、東映) - 堀田隼人
恋染め浪人(1957年、東映) - 夏目鮎太郎
抜打ち浪人(1957年、東映) - 正木弥九郎
丹下左膳(1958年、東映) - 丹下左膳
新選組(1958年、東映) - 月形半平太
鶯城の花嫁(1958年、東映) - 三鷹彦四郎
忠臣蔵 桜花の巻 菊花の巻(1959年、東映) - 堀部安兵衛
新吾十番勝負(1959年、東映) - 徳川吉宗
孔雀城の花嫁(1959年、東映) - 森半助正和
右門捕物帖 南蛮鮫(1961年、東映) - むっつり右門
赤い影法師(1961年、東映) - 柳生十兵衛
天草四郎時貞(1962年、東映) - 岡新兵衛
変幻紫頭巾(1963年、東映) - 紫頭巾
幕末残酷物語(1964年、東映) - 山南敬助
日本侠客伝 浪花篇(1965年、東映) - 新沢
怪竜大決戦(1966年、東映) - 大蛇丸
女賭博師鉄火場破り(1968年、大映) - 前島大五郎
やくざ刑罰史 私刑(1969年、東映) - 友造
やくざ非情史 血の決着(1970年、東映) - 三田村長次
江戸川乱歩の陰獣(1977年、東映) - 小山田六郎
天使を誘惑(1979年、東宝) - 上杉朔太郎
炎のごとく(1981年、東宝) - 新門辰五郎
陽炎座(1981年、日本ヘラルド映画) - 師匠
刑事物語 くろしおの詩(1985年、東宝) - 山梨剛造
タンポポ(1985年、東宝) - ラーメンの先生
テレビ
赤穂浪士(1964年、NHK) - 堀内伝右衛門
源義経(1966年、NHK) - 富樫泰家
天と地と(1969年、NHK) - 板垣駿河守
大忠臣蔵(1971年、NET) - 鳥居理右衛門
必殺仕掛人 第4話「殺しの掟」(1972年、朝日放送) - 中根元十郎
国盗り物語(1973年、NHK) - 武田信玄
荒野の素浪人 第2シリーズ 第14話「白狼の牙」(1974年、NET) - 氷室郷左衛門
非情のライセンス 第2シリーズ(1975年、NET) - 山岸医師
水戸黄門(1976年 - 1983年、TBS) - 初代山野辺兵庫
第7部 第12話「忘れてしまった仇討ち・大館」(1976年) - 佐藤小四郎
破れ奉行(1977年、テレビ朝日) - 嶋屋宇兵衛
探偵物語 第4話「暴力組織」(1979年、日本テレビ) - 暴力団歌川会・歌川会長
なっちゃんの写真館(1980年、NHK)
関ヶ原(1981年、TBS) - 島津義弘
北の国から(1981年-1982年、フジテレビ)
おまかせください(1982年、フジテレビ)
君は海を見たか(1982年、フジテレビ) - 知念源吉
おしん(1983年、NHK)
おまかせください、オレの女房どの(1983年、フジテレビ)
しあわせの国 青い鳥ぱたぱた?(1985年、NHK)
ハーフポテトな俺たち(1985年、日本テレビ)
森田一義アワー笑っていいとも!(フジテレビ)
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
