私が日活撮影所に入所したのは、遥か昔、昭和34年4月のことであった。それから、ほぼ14,5年の間、撮影所にいた。丁度日活の黄金期にいたことになり、その間、いろいろな俳優さんに出会った。思い出す俳優さんは結構多いものである。
画面外のあるがままの姿を記してみたいと思う。
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日記
た行
「不器用ですから」の台詞が代名詞の名優!! 高倉健
高倉 健(たかくら けん、本名:小田 剛一、おだ ごういち、1931年2月16日 - )は、福岡県中間市出身の俳優、歌手、山田洋次と並んで日本映画界の第一人者のである。平成18年度文化功労者。日本を代表する映画スターのひとりであり、半世紀にわたって活躍を続けている。また、日本だけではなく中国でも人気がある。身長180cm、体重81kg、血液型B型。趣味は旅・車・乗馬。高倉プロモーション所属。
代表作は映画『網走番外地』シリーズ、『日本侠客伝』シリーズ、『昭和残侠伝』シリーズ、『山口組三代目』シリーズ、『八甲田山』、『南極物語』、『鉄道員(ぽっぽや)』など。いずれも、邦画史に残る大ヒットを記録している。愛称は健さん。
1959年に歌手・女優の江利チエミと結婚したが、1971年に離婚。その後は独身を通している。元オリックス監督の仰木彬は高校の後輩。江戸時代末期に『東路日記』を記した、筑前の庄屋の内儀・小田宅子(おだいえこ)は先祖にあたる。
経歴
幼少期から映画スターになるまで
1931年、福岡県中間市にて、父は旧海軍軍人で炭鉱夫の取りまとめ役をするなど裕福な一家に生まれる。幼少期は肺を病み、虚弱であった。福岡県立東筑高等学校全日制課程商業科を経て、明治大学商学部第二部商学科(夜間部)を卒業。大学では、相撲部でマネージャーを1年間務めていた。大学卒業後、思ったような就職先がなく浪人をした。
1955年(昭和30年)に美空ひばりらが所属する新芸プロのマネージャーになるため、喫茶店で面接テストを受ける。その際、偶然その場にいた東映東京撮影所長で、プロデューサーのマキノ光雄にスカウトされ、東映に第2期ニューフェイスとして入社。同期に今井健二、丘さとみ、岡田敏子、五味龍太郎らがいる。当時、ニューフェイスは映画デビューまでに俳優座演技研究所で6か月、さらに東映の撮影所で6か月の修行期間(エキストラ出演など)を経ることが決められていた。
しかし1956年(昭和31年)に入社してすぐに映画『電光空手打ち』の主役に抜擢され、華々しくデビュー。それまで演技経験も皆無で、親族に有名人や映画関係者がいるわけでもない無名の新人の高倉が、すぐに主役デビューすることは、まさに異例の大抜擢であった。しかし、元々俳優を目指していた訳ではなく、大学まで卒業していた高倉は、初めて顔に化粧をした自分を鏡で見た時、情けなくて涙が止まらなかったという。
現代劇映画を中心に、東映東京の主演スターとして活躍を続ける。だが、まともに演技のトレーニングも受けたことがないまま映画出演を続けたことが、コンプレックスになっていたという。1960年代前半までの、時代劇映画中心の東映では大スターとはいえず、片岡千恵蔵や中村錦之助、美空ひばりの映画作品の助演も多かった。
東映ヤクザ映画ブーム
1963年、出演した『人生劇場 飛車角』(鶴田浩二主演)がヤクザ映画ブームの起点となり注目を集めた。
1964年から始まる『日本侠客伝』シリーズ、1965年から始まる『網走番外地』シリーズ、『昭和残侠伝』シリーズに主演し、一躍、日本で最も集客力のあるスーパースターとなる。本職のヤクザの人から、労働者、学生運動の闘士達にも大人気となり、オールナイト興行にまでファンがあふれ、立ち見が出た。しかし、「飲む・打つ・買う」の映画界にありながら、高倉は自らを厳しく律し、酒を飲まず、筋力トレーニングを続けていたという。また、その肉体美による刺青姿の立ち回りは圧巻で、他のスターとは一線を画した印象を示したことが、この大ヒット連発の一因であった。たくましい体の背筋をピンと伸ばし、寡黙であり、言い訳をせずに筋を通すという高倉健のイメージは、この時期に確固たるものとなり、21世紀の現在まで、役柄に現れている。そのイメージと風貌は、劇画『ゴルゴ13』の主人公・デューク東郷のモデルになったことでも知られ、同作の実写映画版への出演は、原作者のさいとう・たかをたっての要望であったと言われている(詳細は『ゴルゴ13』の項を参照のこと)。
歌手としても、ドスの利いた渋いノドを聞かせ、人気を得るに至り、『網走番外地』は、のちに歌詞の一部が反社会的であるとの理由で放送禁止になったが、ミリオンセラー(公称200万枚[1])の大ヒットとなる。『昭和残侠伝』シリーズの主題歌『唐獅子牡丹』も大ヒットとなり、今でもカラオケなどで歌い継がれている。
1970年、来る日も来る日も同じようなストーリーのヤクザ映画に、休みなく出演し続けることに嫌気がさし、高倉プロを設立する。
1976年、東映を退社し、独立した。ここまで、数本の外部作品(ハリウッド映画を含む)への出演もあったが、それらを除くともっぱら東映であり、多数のヤクザ映画に出演。今でもヤクザ映画のシンボル的存在となっている。
独立、ジャンルを超えた映画俳優としての成功
1976年、東映退社後初の作品『君よ憤怒の河を渉れ』(永田プロ/大映映画)にて、東映ヤクザ映画のイメージから脱却。翌1977年には『八甲田山』、『幸福の黄色いハンカチ』の二作品に立て続けに主演し、第1回日本アカデミー賞 最優秀主演男優賞と、第20回ブルーリボン賞 主演男優賞のダブル受賞に輝いた。これ以後も数々のヒット作に恵まれ、合計4度の日本アカデミー賞 最優秀主演男優賞、2度のブルーリボン賞 主演男優賞に輝いている。
独立以後も現在まで映画スターであり続けている。一方、テレビドラマへの出演は数えるほどしかない。その出演理由も「故郷にいる母親にテレビで毎週自分(高倉)の顔を見て安心して欲しいから」というものである。
バラエティ番組などにもほとんど出演しない。『スター千一夜』(フジテレビ)、『土曜大好き!830』(フジテレビ系)、『徹子の部屋』(テレビ朝日)、1980年の『すばらしき仲間』(TBS系)で親交のある北大路欣也、田中邦衛と3人での語らいが企画された時くらいしか、素の高倉の姿を見られる機会は無かった。時代が平成になって以後、出演したバラエティ番組は『SMAP×SMAP』(フジテレビ)ぐらいである。このように、テレビで高倉の姿が見られる機会はごくわずかなため(出演映画の放映は除く)、最近では大変貴重な『SMAP×SMAP』出演は、後日の同番組特番でも、視聴者達からの『BISTRO SMAP名場面リクエスト第1位』に輝いた。
だが、テレビCMへの出演は少なくなく、富士通のパソコンFMVのCMにおいて『幸福の黄色いハンカチ』で夫婦を演じた倍賞千恵子と再び夫婦の設定で出演し、コミカルな演技を見せると共に、この共演は往年のファンを喜ばせた。
なお、テレビアニメや海外作品の吹き替え、といったアフレコの仕事はこれまで一度も行っていなかったが、2006年4月2日の『世界遺産』(TBS)で初めてナレーションを勤めた。
人物
礼儀正しい人物として知られ、すべての共演者に挨拶を忘れず、監督やプロデューサー、若手スタッフにも敬意を払ってお辞儀する。高倉にお辞儀されると、監督やプロデューサーも深々とお辞儀を返すので、製作者側、キャスト側で良好な人間関係が築かれているという。非常に落ち着いた物腰と態度を持ち、マスコミにまでも礼儀正しく接するので、社会的にも非常に受けが良い。主に硬派な演技、シリアスな演技を得意とし、“男の中の男”を演じるさまは、男女問わず、多くの共感を誘う。また、その人間性からか、たとえ(ベテランの役者や古参芸能人であっても、近くに行くと緊張してしまうとの発言は多々存在する(例としては和田アキ子の発言など[要出典])。
千葉真一は、高倉を“一生あこがれの存在で永遠の師匠”と公言し、デビューして間もない頃、食事によく連れて行ってもらったり、取材向きの洋服がない時に高倉のスーツをもらったこと、役者として少し売れてきた後でも自分の撮影がない時には高倉の付き人をしていたなど「健さんは厳しい人だけど、ちゃんと愛がある。そばにいて、俳優としても人間としても、大切なことをいっぱい教わった」と語っている[2]。
役作りに熱心に取り組むのも、プロとして当然であるという信念を崩さない。代表的な例として知られるのが、初の松竹映画への出演となった『幸福の黄色いハンカチ』での最初の登場シーンである。刑務所から出所し食堂でビールとラーメンとカツ丼を食べるシーンがあり、その収録で、いかにもおいしそうに食べる、リアリティの高い演技を見せ、1テイクで山田監督からOKが出る。あまりにも見事だったので、問い尋ねると「この撮影の為に2日間何も食べませんでした」と言葉少なく語り、山田監督も唖然としたとのこと。
また、非常に謙虚な人物でもある。『夜叉』で共演したビートたけしがパーソナリティを務めた『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)での発言によれば、真冬の青森へロケに行った際、高倉は休みの日だったが、ロケ現場へ激励に現れた。厳冬下であったので、出演者・スタッフは焚火にあたっていたが、高倉は焚火にあたろうとしないので、スタッフが「どうぞ焚火へ」と勧めたところ、高倉は「自分はオフで勝手に来た身なので、自分が焚火にあたると、皆さんに迷惑がかかりますので」と答えたという。このため、スタッフだけでなく、共演者も誰一人申し訳なくて、焚火にあたれなかったと発言している。やがて「頼むからあたってください。健さんがあたらないと僕達もあたれないんです」と泣きつかれ、「じゃあ、あたらせていただきます」となり、やっと皆で焚火にあたれたそうである[3]。また、この『夜叉』の撮影初日が終わり、役者・スタッフの泊まる旅館へ到着し、食堂へ行くと、高倉と監督の前だけ、皆とは違った豪華な料理が並んでいた。これを見た高倉は「自分も皆さんと同じ料理にしてください」と発言したという。
中国でも知名度、人気が高い。これは、開放前の中国で、高倉健が出演した映画が多く上映されていたためで、今も年配層を中心によく知られている。とくに、主演した『君よ憤怒の河を渉れ』(佐藤純彌監督)の人気は高く、中国人の半分が観たともいわれている[4]。ちなみに、この映画の宣伝のために田中邦衛と訪中した時、宿泊先のホテルには、高倉を一目見たいというファンが大勢詰め掛けた。また、高倉のファンである映画監督・張芸謀(チャン・イーモウ)は、『単騎、千里を走る。』の撮影の際、高倉が休憩の時に椅子に一切座らず、他のスタッフに遠慮して立ち続けていたのを見て「こんな素晴らしい俳優は中国にはいない」と発言している。また、2006年4月には、北京電影学院の客員教授に就任している。
これらの事象から、役者として・人間として、高倉を尊敬している人物も多く、映画『幸福の黄色いハンカチ』で共演した武田鉄矢は、100mほど離れた所で高倉を発見すると「健さ〜ん!」と叫びながら手を振り、全力疾走で走ってきたと言われている[5]。その他、石倉三郎、小林稔侍、板東英二などからも非常に慕われ、石倉は芸名に「倉」の字をもらい、小林も息子に「健」の名前を付けたりと、高倉から影響を受けている。高倉は、気持ちの通じ合った共演者には「ロレックス」などの高級時計に、「高倉健」の名前を彫ったモノをプレゼントする習慣がある。田中邦衛も高倉をこよなく尊敬し、今も出かける際には、高倉にもらった時計を身に付ける。
「不器用ですから」の台詞が代名詞になるほど、無骨で無口なイメージがあるが、実際の高倉は多弁とのことである。『ビートたけしのオールナイトニッポン』によれば、漫才師から役者業に進出してきたたけしに対抗して、田中邦衛と組んで漫才界に進出しようという話題になったことがあり、田中はやめといたほうがいいと制止した。そして、高倉が「それじゃお前は何をやるんだ」と言うと、田中邦衛が「二種免許取ります」と返答したという。このことは、同番組で随分ネタにされていた。
好きなミュージシャンは、大塚博堂である。友人にもらったカセットテープを聞いて、自分にない何かがあると感銘を受ける。大塚とよく組んでいた作詞家の藤公之介に、大塚と組んで曲を作ってほしいと電話で頼んだこともある(この時は、大塚が忙しく、別の作曲家で曲を作るが、その後、まもなく大塚が逝去したため実現せず)。彼の曲では、『ダスティン・ホフマンになれなかったよ』『旅でもしようか』『ふるさとでもないのに』が特に気に入っている。直接、会ったことはないが、大塚のメモリアルイベントなどに、一ファンとして何度かメッセージを贈っている。
また、志村けんと岡村隆史のファンである。志村には、自ら『鉄道員(ぽっぽや)』の出演要請を出し、「お笑い一本」と決めている志村を口説き落とした。また、岡村とは第23回(1999年度)日本アカデミー賞で同席し、岡村の「将来は高倉健さんのような俳優になりたい」というスピーチに笑いが巻き起こる中、立ち上がって拍手を送った。
その容姿と物腰から、アメリカに行くと、よくインディアン(ネイティブアメリカン)に間違われるという。
プロ野球には、強い関心がないようであるが、1990年のロッテ・村田兆治投手の引退試合中継を見て、感動を受けたという。そして、それまで面識も無かった村田投手の住所を、関係者に一通り尋ねて調べ、さらに、留守中だった村田の自宅前に、花束を置いて帰ったという話がある[6]。
キリン「生茶」のCMで、高倉と共演した総合格闘家の宇野薫によると、高倉は格闘技にかなり詳しく、「休憩中に健さんから『UFCの試合をよく観ていますよ。応援しています』と話しかけられ驚きました」と語っている。
2005年、『網走番外地』シリーズで高倉を大スターに育てた、恩師である石井輝男監督が死去。翌2006年8月、石井監督の生前の意思により、網走市内の潮見墓園に墓碑が建てられ、遺骨が納められた。“安らかに 石井輝男”と記されたこの墓碑の碑文は、高倉によってしたためられたものである。
元夫人であった江利チエミの命日である2月13日には、毎年早朝にひっそり一人で墓前を訪れ、花を手向けている。実際の離婚の原因は、高倉と江利の不仲ではなく、江利の親族による二人の誹謗中傷と、夫婦の財産横領が原因といわれている。[7]。
脚注
1 長田暁二『歌謡曲おもしろこぼれ話』社会思想社、2002年、204頁。ISBN 4390116495
2 千葉真一 『千葉真一 改め 和千永倫道』 山と渓谷社、2008年、82−85頁。
3 なお、この間たけしは「健さん頼むから帰ってくれ!」と思っていたという。
4 映画パンフレット『単騎、千里を走る。』より。
5 『ビートたけしのオールナイトニッポン』より。
6 高倉健 『あなたに褒められたくて』 (集英社、1991年)174頁、「兆治さんへの花」を参照。
7 詳細は江利チエミの波乱万丈の人生の項を参照。
出演作品
季節風の彼方に(1958年)
森と湖のまつり(1958年)
大いなる旅路(1960年)
べらんめえ芸者罷り通る(1961年)
べらんめえ芸者佐渡へ行く(1961年)
べらんめえ中乗りさん(1961年)
万年太郎と姐御社員(1961年)
裏切者は地獄だぜ(1962年)
東京丸の内(1962年)
三百六十五夜(1962年)
第八空挺部隊 壮烈鬼隊長(1963年)
宮本武蔵シリーズ(1963年 - 1965年)
人生劇場 飛車角(1963年)
暗黒街最大の決斗(1963年)
日本侠客伝シリーズ(1964年 - 1971年)
昭和残侠伝シリーズ(1965年 - 1972年)
網走番外地シリーズ(1965年 - 1972年)
飢餓海峡(1965年)
祇園祭(1968年)
人生劇場 飛車角と吉良常(1968年)
燃える戦場(1970年、アメリカ映画)
日本やくざ伝 総長への道(1971年)
博奕打ち外伝(1972年)
山口組三代目(1973年)
現代任侠史(1973年)
ゴルゴ13(1973年)デューク東郷役
ザ・ヤクザ(1974年、アメリカ映画)
無宿(1974年、勝プロ)
大脱獄(1975年)
新幹線大爆破(1975年)
神戸国際ギャング(1975年)
東映退社後
君よ憤怒の河を渉れ(1976年)
八甲田山(1977年)
幸福の黄色いハンカチ(1977年) ※日本アカデミー賞 最優秀主演男優賞受賞
※上記2作品により、ブルーリボン賞 主演男優賞受賞
冬の華(1978年)
野性の証明(1978年)
遙かなる山の呼び声(1980年)
動乱(1980年)
※上記2作品により、日本アカデミー賞 最優秀主演男優賞受賞
駅 STATION(1981年) ※日本アカデミー賞 最優秀主演男優賞受賞
刑事物語(1982年) ※友情出演
海峡(1982年)
南極物語(1983年)
居酒屋兆治(1983年)
夜叉(1985年)
海へ −See you−(1988年)
ブラック・レイン(1989年、アメリカ映画)
あ・うん(1989年) ※日本アカデミー賞 優秀主演男優賞受賞
ミスター・ベースボール(1992年、アメリカ映画)
四十七人の刺客(1994年) ※日本アカデミー賞 優秀主演男優賞受賞
鉄道員(ぽっぽや)(1999年) ※日本アカデミー賞 最優秀主演男優賞受賞/ブルーリボン賞 主演男優賞受賞
ホタル(2001年)
単騎、千里を走る。(2005年、中国映画)
テレビドラマ
ぼんぼん頑張る(TBS系列、1956年、笠置シズ子主演)
あにき(TBS金曜ドラマ、1977年、倉本聰脚本)神山役
チロルの挽歌 (NHK土曜ドラマ、1992年、山田太一脚本)立石役
これから 海辺の旅人たち(フジテレビ金曜エンタテイメント、1993年)
刑事 蛇に横切られる(NHK土曜ドラマ、1995年、早坂暁脚本)
代表曲
網走番外地(1965年、一時は放送禁止歌になっていた。)
男の裏町(1965年)
横顔(1965年、「男の裏町」B面)
唐獅子牡丹(1965年)
男涙の雨が降る(1965年、「唐獅子牡丹」B面)
男の誓い(1965年)
霧の波止場(1966年)
泣かせるぜ(1966年)
男ごころ(1968年)
望郷子守唄(1971年)
はぐれ旅(1975年)
朝顔の詩(1976年)
男の忘れもの(1979年)
日本海(1979年)
時代遅れの酒場(1983年)
挽歌(1990年、八代亜紀とデュエット)
あの人に似ている(1994年、裕木奈江とデュエット)
約束(1995年)
旅人(1996年)
受賞・受章歴
第1回(1978年)日本アカデミー・最優秀主演男優賞 - 『幸福の黄色いハンカチ』
第4回(1981年)日本アカデミー・最優秀主演男優賞 - 『動乱』、『遥かなる山の呼び声』
第5回(1982年)日本アカデミー・最優秀主演男優賞 - 『駅 STATION』
第23回(2000年)日本アカデミー・最優秀主演男優賞 - 『鉄道員(ぽっぽや)』
第20回ブルーリボン賞(1977年度)・主演男優賞 - 『八甲田山』、『幸福の黄色いハンカチ』
第42回ブルーリボン賞(1999年度)・主演男優賞 - 『鉄道員(ぽっぽや)』
第23回モントリオール世界映画祭・主演男優賞
第51回(1977年)キネマ旬報・主演男優賞
1978年度アジア太平洋映画祭・主演男優賞
1982年度アジア太平洋映画祭・主演男優賞
1990年度アジア太平洋映画祭・主演男優賞
1999年度アジア太平洋映画祭・主演男優賞
2007年度サンディエゴ映画批評家協会・主演男優賞
紫綬褒章(1998年)
文化功労者(2006年)
その他
書籍
あなたに褒められたくて(集英社、ISBN 4-08-780455-0)
同題の作品を含むエッセイ集。2008年6月28日『南の文芸館』(地元九州・沖縄のNHKラジオ第1)でこの中から3作品の朗読が放送された。
旅の途中で(新潮社、ISBN 4-08-901151-5)
南極のペンギン(集英社、ISBN 4-10-125411-7)
想(集英社、ISBN 4-08-747644-8) - フォトエッセイ
CD
南極のペンギン(曲:宇崎竜童、集英社)
テレビCM
アサヒビール(1970年代)
レナウン(1978年)
三菱自動車工業 「三菱・ギャランΣ」(2代目・3代目、1980年-1985年)
日本生命保険(1984年)「ロングラン」 ※「不器用ですから」の名台詞を生んだ。
ネスカフェ(1986年-1987年)
JRA(1992年、1993年)
富士通 FMV(1994年-1999年)
ラーク(1996年-1997年)
キリンビバレッジ 「生茶」(2000年)
麒麟麦酒「キリンクラシックラガー」(2001-2004年)
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
代表作は映画『網走番外地』シリーズ、『日本侠客伝』シリーズ、『昭和残侠伝』シリーズ、『山口組三代目』シリーズ、『八甲田山』、『南極物語』、『鉄道員(ぽっぽや)』など。いずれも、邦画史に残る大ヒットを記録している。愛称は健さん。
1959年に歌手・女優の江利チエミと結婚したが、1971年に離婚。その後は独身を通している。元オリックス監督の仰木彬は高校の後輩。江戸時代末期に『東路日記』を記した、筑前の庄屋の内儀・小田宅子(おだいえこ)は先祖にあたる。
経歴
幼少期から映画スターになるまで
1931年、福岡県中間市にて、父は旧海軍軍人で炭鉱夫の取りまとめ役をするなど裕福な一家に生まれる。幼少期は肺を病み、虚弱であった。福岡県立東筑高等学校全日制課程商業科を経て、明治大学商学部第二部商学科(夜間部)を卒業。大学では、相撲部でマネージャーを1年間務めていた。大学卒業後、思ったような就職先がなく浪人をした。
1955年(昭和30年)に美空ひばりらが所属する新芸プロのマネージャーになるため、喫茶店で面接テストを受ける。その際、偶然その場にいた東映東京撮影所長で、プロデューサーのマキノ光雄にスカウトされ、東映に第2期ニューフェイスとして入社。同期に今井健二、丘さとみ、岡田敏子、五味龍太郎らがいる。当時、ニューフェイスは映画デビューまでに俳優座演技研究所で6か月、さらに東映の撮影所で6か月の修行期間(エキストラ出演など)を経ることが決められていた。
しかし1956年(昭和31年)に入社してすぐに映画『電光空手打ち』の主役に抜擢され、華々しくデビュー。それまで演技経験も皆無で、親族に有名人や映画関係者がいるわけでもない無名の新人の高倉が、すぐに主役デビューすることは、まさに異例の大抜擢であった。しかし、元々俳優を目指していた訳ではなく、大学まで卒業していた高倉は、初めて顔に化粧をした自分を鏡で見た時、情けなくて涙が止まらなかったという。
現代劇映画を中心に、東映東京の主演スターとして活躍を続ける。だが、まともに演技のトレーニングも受けたことがないまま映画出演を続けたことが、コンプレックスになっていたという。1960年代前半までの、時代劇映画中心の東映では大スターとはいえず、片岡千恵蔵や中村錦之助、美空ひばりの映画作品の助演も多かった。
東映ヤクザ映画ブーム
1963年、出演した『人生劇場 飛車角』(鶴田浩二主演)がヤクザ映画ブームの起点となり注目を集めた。
1964年から始まる『日本侠客伝』シリーズ、1965年から始まる『網走番外地』シリーズ、『昭和残侠伝』シリーズに主演し、一躍、日本で最も集客力のあるスーパースターとなる。本職のヤクザの人から、労働者、学生運動の闘士達にも大人気となり、オールナイト興行にまでファンがあふれ、立ち見が出た。しかし、「飲む・打つ・買う」の映画界にありながら、高倉は自らを厳しく律し、酒を飲まず、筋力トレーニングを続けていたという。また、その肉体美による刺青姿の立ち回りは圧巻で、他のスターとは一線を画した印象を示したことが、この大ヒット連発の一因であった。たくましい体の背筋をピンと伸ばし、寡黙であり、言い訳をせずに筋を通すという高倉健のイメージは、この時期に確固たるものとなり、21世紀の現在まで、役柄に現れている。そのイメージと風貌は、劇画『ゴルゴ13』の主人公・デューク東郷のモデルになったことでも知られ、同作の実写映画版への出演は、原作者のさいとう・たかをたっての要望であったと言われている(詳細は『ゴルゴ13』の項を参照のこと)。
歌手としても、ドスの利いた渋いノドを聞かせ、人気を得るに至り、『網走番外地』は、のちに歌詞の一部が反社会的であるとの理由で放送禁止になったが、ミリオンセラー(公称200万枚[1])の大ヒットとなる。『昭和残侠伝』シリーズの主題歌『唐獅子牡丹』も大ヒットとなり、今でもカラオケなどで歌い継がれている。
1970年、来る日も来る日も同じようなストーリーのヤクザ映画に、休みなく出演し続けることに嫌気がさし、高倉プロを設立する。
1976年、東映を退社し、独立した。ここまで、数本の外部作品(ハリウッド映画を含む)への出演もあったが、それらを除くともっぱら東映であり、多数のヤクザ映画に出演。今でもヤクザ映画のシンボル的存在となっている。
独立、ジャンルを超えた映画俳優としての成功
1976年、東映退社後初の作品『君よ憤怒の河を渉れ』(永田プロ/大映映画)にて、東映ヤクザ映画のイメージから脱却。翌1977年には『八甲田山』、『幸福の黄色いハンカチ』の二作品に立て続けに主演し、第1回日本アカデミー賞 最優秀主演男優賞と、第20回ブルーリボン賞 主演男優賞のダブル受賞に輝いた。これ以後も数々のヒット作に恵まれ、合計4度の日本アカデミー賞 最優秀主演男優賞、2度のブルーリボン賞 主演男優賞に輝いている。
独立以後も現在まで映画スターであり続けている。一方、テレビドラマへの出演は数えるほどしかない。その出演理由も「故郷にいる母親にテレビで毎週自分(高倉)の顔を見て安心して欲しいから」というものである。
バラエティ番組などにもほとんど出演しない。『スター千一夜』(フジテレビ)、『土曜大好き!830』(フジテレビ系)、『徹子の部屋』(テレビ朝日)、1980年の『すばらしき仲間』(TBS系)で親交のある北大路欣也、田中邦衛と3人での語らいが企画された時くらいしか、素の高倉の姿を見られる機会は無かった。時代が平成になって以後、出演したバラエティ番組は『SMAP×SMAP』(フジテレビ)ぐらいである。このように、テレビで高倉の姿が見られる機会はごくわずかなため(出演映画の放映は除く)、最近では大変貴重な『SMAP×SMAP』出演は、後日の同番組特番でも、視聴者達からの『BISTRO SMAP名場面リクエスト第1位』に輝いた。
だが、テレビCMへの出演は少なくなく、富士通のパソコンFMVのCMにおいて『幸福の黄色いハンカチ』で夫婦を演じた倍賞千恵子と再び夫婦の設定で出演し、コミカルな演技を見せると共に、この共演は往年のファンを喜ばせた。
なお、テレビアニメや海外作品の吹き替え、といったアフレコの仕事はこれまで一度も行っていなかったが、2006年4月2日の『世界遺産』(TBS)で初めてナレーションを勤めた。
人物
礼儀正しい人物として知られ、すべての共演者に挨拶を忘れず、監督やプロデューサー、若手スタッフにも敬意を払ってお辞儀する。高倉にお辞儀されると、監督やプロデューサーも深々とお辞儀を返すので、製作者側、キャスト側で良好な人間関係が築かれているという。非常に落ち着いた物腰と態度を持ち、マスコミにまでも礼儀正しく接するので、社会的にも非常に受けが良い。主に硬派な演技、シリアスな演技を得意とし、“男の中の男”を演じるさまは、男女問わず、多くの共感を誘う。また、その人間性からか、たとえ(ベテランの役者や古参芸能人であっても、近くに行くと緊張してしまうとの発言は多々存在する(例としては和田アキ子の発言など[要出典])。
千葉真一は、高倉を“一生あこがれの存在で永遠の師匠”と公言し、デビューして間もない頃、食事によく連れて行ってもらったり、取材向きの洋服がない時に高倉のスーツをもらったこと、役者として少し売れてきた後でも自分の撮影がない時には高倉の付き人をしていたなど「健さんは厳しい人だけど、ちゃんと愛がある。そばにいて、俳優としても人間としても、大切なことをいっぱい教わった」と語っている[2]。
役作りに熱心に取り組むのも、プロとして当然であるという信念を崩さない。代表的な例として知られるのが、初の松竹映画への出演となった『幸福の黄色いハンカチ』での最初の登場シーンである。刑務所から出所し食堂でビールとラーメンとカツ丼を食べるシーンがあり、その収録で、いかにもおいしそうに食べる、リアリティの高い演技を見せ、1テイクで山田監督からOKが出る。あまりにも見事だったので、問い尋ねると「この撮影の為に2日間何も食べませんでした」と言葉少なく語り、山田監督も唖然としたとのこと。
また、非常に謙虚な人物でもある。『夜叉』で共演したビートたけしがパーソナリティを務めた『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)での発言によれば、真冬の青森へロケに行った際、高倉は休みの日だったが、ロケ現場へ激励に現れた。厳冬下であったので、出演者・スタッフは焚火にあたっていたが、高倉は焚火にあたろうとしないので、スタッフが「どうぞ焚火へ」と勧めたところ、高倉は「自分はオフで勝手に来た身なので、自分が焚火にあたると、皆さんに迷惑がかかりますので」と答えたという。このため、スタッフだけでなく、共演者も誰一人申し訳なくて、焚火にあたれなかったと発言している。やがて「頼むからあたってください。健さんがあたらないと僕達もあたれないんです」と泣きつかれ、「じゃあ、あたらせていただきます」となり、やっと皆で焚火にあたれたそうである[3]。また、この『夜叉』の撮影初日が終わり、役者・スタッフの泊まる旅館へ到着し、食堂へ行くと、高倉と監督の前だけ、皆とは違った豪華な料理が並んでいた。これを見た高倉は「自分も皆さんと同じ料理にしてください」と発言したという。
中国でも知名度、人気が高い。これは、開放前の中国で、高倉健が出演した映画が多く上映されていたためで、今も年配層を中心によく知られている。とくに、主演した『君よ憤怒の河を渉れ』(佐藤純彌監督)の人気は高く、中国人の半分が観たともいわれている[4]。ちなみに、この映画の宣伝のために田中邦衛と訪中した時、宿泊先のホテルには、高倉を一目見たいというファンが大勢詰め掛けた。また、高倉のファンである映画監督・張芸謀(チャン・イーモウ)は、『単騎、千里を走る。』の撮影の際、高倉が休憩の時に椅子に一切座らず、他のスタッフに遠慮して立ち続けていたのを見て「こんな素晴らしい俳優は中国にはいない」と発言している。また、2006年4月には、北京電影学院の客員教授に就任している。
これらの事象から、役者として・人間として、高倉を尊敬している人物も多く、映画『幸福の黄色いハンカチ』で共演した武田鉄矢は、100mほど離れた所で高倉を発見すると「健さ〜ん!」と叫びながら手を振り、全力疾走で走ってきたと言われている[5]。その他、石倉三郎、小林稔侍、板東英二などからも非常に慕われ、石倉は芸名に「倉」の字をもらい、小林も息子に「健」の名前を付けたりと、高倉から影響を受けている。高倉は、気持ちの通じ合った共演者には「ロレックス」などの高級時計に、「高倉健」の名前を彫ったモノをプレゼントする習慣がある。田中邦衛も高倉をこよなく尊敬し、今も出かける際には、高倉にもらった時計を身に付ける。
「不器用ですから」の台詞が代名詞になるほど、無骨で無口なイメージがあるが、実際の高倉は多弁とのことである。『ビートたけしのオールナイトニッポン』によれば、漫才師から役者業に進出してきたたけしに対抗して、田中邦衛と組んで漫才界に進出しようという話題になったことがあり、田中はやめといたほうがいいと制止した。そして、高倉が「それじゃお前は何をやるんだ」と言うと、田中邦衛が「二種免許取ります」と返答したという。このことは、同番組で随分ネタにされていた。
好きなミュージシャンは、大塚博堂である。友人にもらったカセットテープを聞いて、自分にない何かがあると感銘を受ける。大塚とよく組んでいた作詞家の藤公之介に、大塚と組んで曲を作ってほしいと電話で頼んだこともある(この時は、大塚が忙しく、別の作曲家で曲を作るが、その後、まもなく大塚が逝去したため実現せず)。彼の曲では、『ダスティン・ホフマンになれなかったよ』『旅でもしようか』『ふるさとでもないのに』が特に気に入っている。直接、会ったことはないが、大塚のメモリアルイベントなどに、一ファンとして何度かメッセージを贈っている。
また、志村けんと岡村隆史のファンである。志村には、自ら『鉄道員(ぽっぽや)』の出演要請を出し、「お笑い一本」と決めている志村を口説き落とした。また、岡村とは第23回(1999年度)日本アカデミー賞で同席し、岡村の「将来は高倉健さんのような俳優になりたい」というスピーチに笑いが巻き起こる中、立ち上がって拍手を送った。
その容姿と物腰から、アメリカに行くと、よくインディアン(ネイティブアメリカン)に間違われるという。
プロ野球には、強い関心がないようであるが、1990年のロッテ・村田兆治投手の引退試合中継を見て、感動を受けたという。そして、それまで面識も無かった村田投手の住所を、関係者に一通り尋ねて調べ、さらに、留守中だった村田の自宅前に、花束を置いて帰ったという話がある[6]。
キリン「生茶」のCMで、高倉と共演した総合格闘家の宇野薫によると、高倉は格闘技にかなり詳しく、「休憩中に健さんから『UFCの試合をよく観ていますよ。応援しています』と話しかけられ驚きました」と語っている。
2005年、『網走番外地』シリーズで高倉を大スターに育てた、恩師である石井輝男監督が死去。翌2006年8月、石井監督の生前の意思により、網走市内の潮見墓園に墓碑が建てられ、遺骨が納められた。“安らかに 石井輝男”と記されたこの墓碑の碑文は、高倉によってしたためられたものである。
元夫人であった江利チエミの命日である2月13日には、毎年早朝にひっそり一人で墓前を訪れ、花を手向けている。実際の離婚の原因は、高倉と江利の不仲ではなく、江利の親族による二人の誹謗中傷と、夫婦の財産横領が原因といわれている。[7]。
脚注
1 長田暁二『歌謡曲おもしろこぼれ話』社会思想社、2002年、204頁。ISBN 4390116495
2 千葉真一 『千葉真一 改め 和千永倫道』 山と渓谷社、2008年、82−85頁。
3 なお、この間たけしは「健さん頼むから帰ってくれ!」と思っていたという。
4 映画パンフレット『単騎、千里を走る。』より。
5 『ビートたけしのオールナイトニッポン』より。
6 高倉健 『あなたに褒められたくて』 (集英社、1991年)174頁、「兆治さんへの花」を参照。
7 詳細は江利チエミの波乱万丈の人生の項を参照。
出演作品
季節風の彼方に(1958年)
森と湖のまつり(1958年)
大いなる旅路(1960年)
べらんめえ芸者罷り通る(1961年)
べらんめえ芸者佐渡へ行く(1961年)
べらんめえ中乗りさん(1961年)
万年太郎と姐御社員(1961年)
裏切者は地獄だぜ(1962年)
東京丸の内(1962年)
三百六十五夜(1962年)
第八空挺部隊 壮烈鬼隊長(1963年)
宮本武蔵シリーズ(1963年 - 1965年)
人生劇場 飛車角(1963年)
暗黒街最大の決斗(1963年)
日本侠客伝シリーズ(1964年 - 1971年)
昭和残侠伝シリーズ(1965年 - 1972年)
網走番外地シリーズ(1965年 - 1972年)
飢餓海峡(1965年)
祇園祭(1968年)
人生劇場 飛車角と吉良常(1968年)
燃える戦場(1970年、アメリカ映画)
日本やくざ伝 総長への道(1971年)
博奕打ち外伝(1972年)
山口組三代目(1973年)
現代任侠史(1973年)
ゴルゴ13(1973年)デューク東郷役
ザ・ヤクザ(1974年、アメリカ映画)
無宿(1974年、勝プロ)
大脱獄(1975年)
新幹線大爆破(1975年)
神戸国際ギャング(1975年)
東映退社後
君よ憤怒の河を渉れ(1976年)
八甲田山(1977年)
幸福の黄色いハンカチ(1977年) ※日本アカデミー賞 最優秀主演男優賞受賞
※上記2作品により、ブルーリボン賞 主演男優賞受賞
冬の華(1978年)
野性の証明(1978年)
遙かなる山の呼び声(1980年)
動乱(1980年)
※上記2作品により、日本アカデミー賞 最優秀主演男優賞受賞
駅 STATION(1981年) ※日本アカデミー賞 最優秀主演男優賞受賞
刑事物語(1982年) ※友情出演
海峡(1982年)
南極物語(1983年)
居酒屋兆治(1983年)
夜叉(1985年)
海へ −See you−(1988年)
ブラック・レイン(1989年、アメリカ映画)
あ・うん(1989年) ※日本アカデミー賞 優秀主演男優賞受賞
ミスター・ベースボール(1992年、アメリカ映画)
四十七人の刺客(1994年) ※日本アカデミー賞 優秀主演男優賞受賞
鉄道員(ぽっぽや)(1999年) ※日本アカデミー賞 最優秀主演男優賞受賞/ブルーリボン賞 主演男優賞受賞
ホタル(2001年)
単騎、千里を走る。(2005年、中国映画)
テレビドラマ
ぼんぼん頑張る(TBS系列、1956年、笠置シズ子主演)
あにき(TBS金曜ドラマ、1977年、倉本聰脚本)神山役
チロルの挽歌 (NHK土曜ドラマ、1992年、山田太一脚本)立石役
これから 海辺の旅人たち(フジテレビ金曜エンタテイメント、1993年)
刑事 蛇に横切られる(NHK土曜ドラマ、1995年、早坂暁脚本)
代表曲
網走番外地(1965年、一時は放送禁止歌になっていた。)
男の裏町(1965年)
横顔(1965年、「男の裏町」B面)
唐獅子牡丹(1965年)
男涙の雨が降る(1965年、「唐獅子牡丹」B面)
男の誓い(1965年)
霧の波止場(1966年)
泣かせるぜ(1966年)
男ごころ(1968年)
望郷子守唄(1971年)
はぐれ旅(1975年)
朝顔の詩(1976年)
男の忘れもの(1979年)
日本海(1979年)
時代遅れの酒場(1983年)
挽歌(1990年、八代亜紀とデュエット)
あの人に似ている(1994年、裕木奈江とデュエット)
約束(1995年)
旅人(1996年)
受賞・受章歴
第1回(1978年)日本アカデミー・最優秀主演男優賞 - 『幸福の黄色いハンカチ』
第4回(1981年)日本アカデミー・最優秀主演男優賞 - 『動乱』、『遥かなる山の呼び声』
第5回(1982年)日本アカデミー・最優秀主演男優賞 - 『駅 STATION』
第23回(2000年)日本アカデミー・最優秀主演男優賞 - 『鉄道員(ぽっぽや)』
第20回ブルーリボン賞(1977年度)・主演男優賞 - 『八甲田山』、『幸福の黄色いハンカチ』
第42回ブルーリボン賞(1999年度)・主演男優賞 - 『鉄道員(ぽっぽや)』
第23回モントリオール世界映画祭・主演男優賞
第51回(1977年)キネマ旬報・主演男優賞
1978年度アジア太平洋映画祭・主演男優賞
1982年度アジア太平洋映画祭・主演男優賞
1990年度アジア太平洋映画祭・主演男優賞
1999年度アジア太平洋映画祭・主演男優賞
2007年度サンディエゴ映画批評家協会・主演男優賞
紫綬褒章(1998年)
文化功労者(2006年)
その他
書籍
あなたに褒められたくて(集英社、ISBN 4-08-780455-0)
同題の作品を含むエッセイ集。2008年6月28日『南の文芸館』(地元九州・沖縄のNHKラジオ第1)でこの中から3作品の朗読が放送された。
旅の途中で(新潮社、ISBN 4-08-901151-5)
南極のペンギン(集英社、ISBN 4-10-125411-7)
想(集英社、ISBN 4-08-747644-8) - フォトエッセイ
CD
南極のペンギン(曲:宇崎竜童、集英社)
テレビCM
アサヒビール(1970年代)
レナウン(1978年)
三菱自動車工業 「三菱・ギャランΣ」(2代目・3代目、1980年-1985年)
日本生命保険(1984年)「ロングラン」 ※「不器用ですから」の名台詞を生んだ。
ネスカフェ(1986年-1987年)
JRA(1992年、1993年)
富士通 FMV(1994年-1999年)
ラーク(1996年-1997年)
キリンビバレッジ 「生茶」(2000年)
麒麟麦酒「キリンクラシックラガー」(2001-2004年)
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
タグ:高倉健
か行
テレビ番組「光子の窓」で人気沸騰!! 草笛光子
草笛 光子(くさぶえ みつこ、本名;栗田 光子、1933年10月22日 - )は、日本の女優。神奈川県横浜市神奈川区出身。身長158cm、妹は冨田恵子。作曲家の芥川也寸志は元夫。
虚弱傾向を克服するため小学生からバレエを始める。1950年には松竹歌劇団(SKD)に入団し、1953年に在籍中のまま、松竹(松竹京都撮影所)から映画「純潔革命」でデビュー。豊かな歌唱力を持ち味とした。
その後、1954年にSKDを退団し、1956年からの東宝専属を経てさまざまな分野で活躍する。特に1958年から放送のテレビ黎明期の音楽バラエティ『光子の窓』では洋窓から顔をのぞかせてテーマ曲を歌うオープニングが注目を集め、人気を博した。1960年に作曲家の芥川也寸志と結婚するも、結婚生活は2年で破綻。
華やかな貴婦人からうらぶれた婦人まで多彩な役柄を演じ、『社長シリーズ』をはじめとする東宝喜劇に多数出演。また成瀬巳喜男監督作品の常連であった。市川崑監督作品とも縁が深く、金田一耕助シリーズでは『犬神家の一族』(1976年)の犬神梅子役を筆頭にシリーズ全てに出演。2006年公開のリメイク版にも出演している。
日本ミュージカル界のパイオニア的存在でもあり、数々の大作に出演してきた。『私はシャーリー・ヴァレンタイン』などで芸術祭賞を3度も受賞。1999年には紫綬褒章、2005年には旭日小綬章を受章した。
おもな出演作
映画
哀愁日記(1955年)
大学は出たけれど(1955年) ‐ 沢田時子 役
絵島生島(1955年) ‐ 宇津 役
社長シリーズ(1956〜1970年) ‐ 社長の浮気相手 役
青い山脈(1957年) ‐ 北原 役
大当り三色娘(1957年)
名もなく貧しく美しく(1961年) ‐ 片山信子 役
放浪記(1962年) ‐ 日夏京子 役
日本一の色男(1963年) ‐ 雪桜 役
乱れる(1964年) ‐ 森田久子(長女)役
士魂魔道 大龍巻(1964年) ‐ 秀月尼 役
日本一のホラ吹き男(1964年) ‐ 清水花江 役
ホラ吹き太閤記(1964年) ‐ 瀬名 役
女の中にいる他人(1966年) ‐ 加藤弓子 役
乱れ雲(1967年) ‐ 江田文子 役
日本海大海戦(1969年) ‐ 東郷てつ 役
犬神家の一族(1976年) ‐ 犬神梅子 役
悪魔の手毬唄(1977年) ‐ 由良敦子 役
獄門島(1977年) ‐ お小夜 役
姿三四郎(1977年) ‐ お仙 役
女王蜂(1978年) ‐ お富 役
火の鳥(1978年) ‐ イヨ 役
病院坂の首縊りの家(1979年) ‐ 雨宮じゅん 役
湾岸道路(1984年) ‐ 杉本郁子 役
それから(1985年) ‐ 長井梅子 役
極道の妻たち(1987年) ‐ 八橋松代 役
REX 恐竜物語(1993年) ‐ 伊藤早苗 役
シベリア超特急2(2001年) ‐ 楊玲玲 役
雪に願うこと(2006年) ‐ 矢崎静子 役
犬神家の一族(2006年) ‐ 香琴 役
テレビドラマ
NHK
繭子ひとり(1971年) ‐ 加野三輪子 役
元禄太平記(1975年) ‐ お伝の方 役
花神(1977年) ‐ 野村望東尼 役
草燃える(1979年) ‐ 丹後局 役
宮本武蔵(1984年) ‐ お甲 役
澪つくし(1985年) ‐ 吉武とね 役
イキのいい奴(1988年)
翔ぶが如く(1990年) ‐ お由羅 役
ゆっくりおダイエット(1994年)
八代将軍吉宗(1995年) ‐ 天英院 役
あぐり(1997年) ‐ 上原世津子 役
マッチポイント!(2000年)
葵徳川三代(2000年) ‐ 高台院 役
利家とまつ加賀百万石物語(2002年) ‐ 大政所 役
蝉しぐれ(2003年) ‐ 語り 役
昨日の友は今日の敵?(2004年) ‐ 日高早苗 役
どんど晴れ(2007年) ‐ 加賀美カツノ 役
日本テレビ
細雪(1965年)
青春とはなんだ(1965年〜1966年)
不信のとき(1968年)
熱中時代(1978年〜1981年) ‐ 天城綾子 役
若草学園物語(1983年)
勝海舟(1990年) ‐ 勝信子 役
外科医有森冴子(2000年)
警視庁鑑識班2004(2004年) ‐ 中山加奈子 役
たったひとつのたからもの(2004年) ‐ サトコ 役
真実の手記 BC級戦犯 加藤哲太郎「私は貝になりたい」(2007年) ‐ 篠田サチエ 役
火曜サスペンス劇場
取調室(2002年) ‐ 汐見ユカ 役
軽井沢ミステリー(2002年) ‐ 吉田妙子 役
TBS
ありがとう(1973年〜1974年)
赤い衝撃(1976年〜1977年) ‐ 大山鈴代 役
悪魔が来りて笛を吹く(1977年) ‐ 椿秋子 役
仮面舞踏会(1978年) ‐ 鳳千代子 役
茜さんのお弁当(1981年) ‐ 米持静 役
おんなは一生懸命(1987年〜1989年)
渡る世間は鬼ばかり(1990年〜) ‐ 山口政子 役
平清盛 (TBSドラマ)(1992年) ‐ 池禅尼 役
百年の物語(2001年) ‐ 横山イト 役
エ・アロール(2003年) ‐ 江波玲香 役
月曜ミステリー劇場
浅見光彦シリーズ(2004年) ‐ 丹野真実子 役
フジテレビ
大奥(1983年) ‐ 飛鳥井 役
グッドモーニング(1994年) ‐ 天野玉枝 役
美女か野獣(2003年) ‐ 楠本春子 役
結婚できない男(2006年) ‐ 桑野育代 役
テレビ朝日
氷点(1971年) ※当時はNETテレビ
必殺必中仕事屋稼業(1975年) ‐ おせい(語り) 役
必殺からくり人・血風編(1976年) ‐ おりく 役
江戸プロフェッショナル・必殺商売人(1978年) ‐ おせい 役
流転の王妃・最後の皇弟(2003年) ‐ 貞明皇后 役
菊次郎とさき(2003年〜2005年) ‐ 北野うし・ケテツの塚原 役
熟年離婚(2005年) ‐ 豊原喜久枝 役
てるてるあした(2006年) ‐ 鈴木久代 役
天使の卵-エンジェルス・エッグ(2006年) ‐ 高野寿美子 役
テレビ東京
家康が最も恐れた男 真田幸村(1998年) ‐ 寒松院 役
情報・バラエティー番組
光子の窓
アフタヌーンショー
SMAP×SMAP
たのきん全力投球!
ライオンのごきげんよう
2時のワイドショー
知ってるつもり?!
ためしてガッテン
森田一義アワー 笑っていいとも!
徹子の部屋
映像美の巨匠 市川崑
迷宮美術館
舞台
ラ・マンチャの男
シカゴ
光の彼なたに(1981年)
あかさたな(2001年)
Witウイット(2002年)
エイミィズ・ヴュー
この夏突然に
私はシャーリー・ヴァレンタイン
請願
アニメ
アガサ・クリスティーの名探偵ポワロとマープル(2004年) ‐ オバルセン夫人 役
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
虚弱傾向を克服するため小学生からバレエを始める。1950年には松竹歌劇団(SKD)に入団し、1953年に在籍中のまま、松竹(松竹京都撮影所)から映画「純潔革命」でデビュー。豊かな歌唱力を持ち味とした。
その後、1954年にSKDを退団し、1956年からの東宝専属を経てさまざまな分野で活躍する。特に1958年から放送のテレビ黎明期の音楽バラエティ『光子の窓』では洋窓から顔をのぞかせてテーマ曲を歌うオープニングが注目を集め、人気を博した。1960年に作曲家の芥川也寸志と結婚するも、結婚生活は2年で破綻。
華やかな貴婦人からうらぶれた婦人まで多彩な役柄を演じ、『社長シリーズ』をはじめとする東宝喜劇に多数出演。また成瀬巳喜男監督作品の常連であった。市川崑監督作品とも縁が深く、金田一耕助シリーズでは『犬神家の一族』(1976年)の犬神梅子役を筆頭にシリーズ全てに出演。2006年公開のリメイク版にも出演している。
日本ミュージカル界のパイオニア的存在でもあり、数々の大作に出演してきた。『私はシャーリー・ヴァレンタイン』などで芸術祭賞を3度も受賞。1999年には紫綬褒章、2005年には旭日小綬章を受章した。
おもな出演作
映画
哀愁日記(1955年)
大学は出たけれど(1955年) ‐ 沢田時子 役
絵島生島(1955年) ‐ 宇津 役
社長シリーズ(1956〜1970年) ‐ 社長の浮気相手 役
青い山脈(1957年) ‐ 北原 役
大当り三色娘(1957年)
名もなく貧しく美しく(1961年) ‐ 片山信子 役
放浪記(1962年) ‐ 日夏京子 役
日本一の色男(1963年) ‐ 雪桜 役
乱れる(1964年) ‐ 森田久子(長女)役
士魂魔道 大龍巻(1964年) ‐ 秀月尼 役
日本一のホラ吹き男(1964年) ‐ 清水花江 役
ホラ吹き太閤記(1964年) ‐ 瀬名 役
女の中にいる他人(1966年) ‐ 加藤弓子 役
乱れ雲(1967年) ‐ 江田文子 役
日本海大海戦(1969年) ‐ 東郷てつ 役
犬神家の一族(1976年) ‐ 犬神梅子 役
悪魔の手毬唄(1977年) ‐ 由良敦子 役
獄門島(1977年) ‐ お小夜 役
姿三四郎(1977年) ‐ お仙 役
女王蜂(1978年) ‐ お富 役
火の鳥(1978年) ‐ イヨ 役
病院坂の首縊りの家(1979年) ‐ 雨宮じゅん 役
湾岸道路(1984年) ‐ 杉本郁子 役
それから(1985年) ‐ 長井梅子 役
極道の妻たち(1987年) ‐ 八橋松代 役
REX 恐竜物語(1993年) ‐ 伊藤早苗 役
シベリア超特急2(2001年) ‐ 楊玲玲 役
雪に願うこと(2006年) ‐ 矢崎静子 役
犬神家の一族(2006年) ‐ 香琴 役
テレビドラマ
NHK
繭子ひとり(1971年) ‐ 加野三輪子 役
元禄太平記(1975年) ‐ お伝の方 役
花神(1977年) ‐ 野村望東尼 役
草燃える(1979年) ‐ 丹後局 役
宮本武蔵(1984年) ‐ お甲 役
澪つくし(1985年) ‐ 吉武とね 役
イキのいい奴(1988年)
翔ぶが如く(1990年) ‐ お由羅 役
ゆっくりおダイエット(1994年)
八代将軍吉宗(1995年) ‐ 天英院 役
あぐり(1997年) ‐ 上原世津子 役
マッチポイント!(2000年)
葵徳川三代(2000年) ‐ 高台院 役
利家とまつ加賀百万石物語(2002年) ‐ 大政所 役
蝉しぐれ(2003年) ‐ 語り 役
昨日の友は今日の敵?(2004年) ‐ 日高早苗 役
どんど晴れ(2007年) ‐ 加賀美カツノ 役
日本テレビ
細雪(1965年)
青春とはなんだ(1965年〜1966年)
不信のとき(1968年)
熱中時代(1978年〜1981年) ‐ 天城綾子 役
若草学園物語(1983年)
勝海舟(1990年) ‐ 勝信子 役
外科医有森冴子(2000年)
警視庁鑑識班2004(2004年) ‐ 中山加奈子 役
たったひとつのたからもの(2004年) ‐ サトコ 役
真実の手記 BC級戦犯 加藤哲太郎「私は貝になりたい」(2007年) ‐ 篠田サチエ 役
火曜サスペンス劇場
取調室(2002年) ‐ 汐見ユカ 役
軽井沢ミステリー(2002年) ‐ 吉田妙子 役
TBS
ありがとう(1973年〜1974年)
赤い衝撃(1976年〜1977年) ‐ 大山鈴代 役
悪魔が来りて笛を吹く(1977年) ‐ 椿秋子 役
仮面舞踏会(1978年) ‐ 鳳千代子 役
茜さんのお弁当(1981年) ‐ 米持静 役
おんなは一生懸命(1987年〜1989年)
渡る世間は鬼ばかり(1990年〜) ‐ 山口政子 役
平清盛 (TBSドラマ)(1992年) ‐ 池禅尼 役
百年の物語(2001年) ‐ 横山イト 役
エ・アロール(2003年) ‐ 江波玲香 役
月曜ミステリー劇場
浅見光彦シリーズ(2004年) ‐ 丹野真実子 役
フジテレビ
大奥(1983年) ‐ 飛鳥井 役
グッドモーニング(1994年) ‐ 天野玉枝 役
美女か野獣(2003年) ‐ 楠本春子 役
結婚できない男(2006年) ‐ 桑野育代 役
テレビ朝日
氷点(1971年) ※当時はNETテレビ
必殺必中仕事屋稼業(1975年) ‐ おせい(語り) 役
必殺からくり人・血風編(1976年) ‐ おりく 役
江戸プロフェッショナル・必殺商売人(1978年) ‐ おせい 役
流転の王妃・最後の皇弟(2003年) ‐ 貞明皇后 役
菊次郎とさき(2003年〜2005年) ‐ 北野うし・ケテツの塚原 役
熟年離婚(2005年) ‐ 豊原喜久枝 役
てるてるあした(2006年) ‐ 鈴木久代 役
天使の卵-エンジェルス・エッグ(2006年) ‐ 高野寿美子 役
テレビ東京
家康が最も恐れた男 真田幸村(1998年) ‐ 寒松院 役
情報・バラエティー番組
光子の窓
アフタヌーンショー
SMAP×SMAP
たのきん全力投球!
ライオンのごきげんよう
2時のワイドショー
知ってるつもり?!
ためしてガッテン
森田一義アワー 笑っていいとも!
徹子の部屋
映像美の巨匠 市川崑
迷宮美術館
舞台
ラ・マンチャの男
シカゴ
光の彼なたに(1981年)
あかさたな(2001年)
Witウイット(2002年)
エイミィズ・ヴュー
この夏突然に
私はシャーリー・ヴァレンタイン
請願
アニメ
アガサ・クリスティーの名探偵ポワロとマープル(2004年) ‐ オバルセン夫人 役
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
は行
グループサウンズが生んだスター 萩原 健一
萩原 健一(はぎわら けんいち、本名・萩原 敬三、1950年7月26日 - )は、日本の男優・歌手。埼玉県与野市(現:さいたま市中央区)出身。ニックネームは「ショーケン」。由来はデビュー前の不良仲間3人、ダイケン、チューケン、ショーケンから。元ザ・テンプターズ、PYGのリード・ヴォーカル (PYGは沢田研二とのツイン・ヴォーカル)。
埼玉県大宮でスカウトされ、ザ・スパイダースの弟分バンドザ・テンプターズのヴォーカリストとしてデビュー。「神様お願い!」「エメラルドの伝説」など次々とヒット曲を飛ばし、グループサウンズが生んだスターとしてザ・タイガースのジュリー=沢田研二と人気を二分する。
解散後井上堯之、大野克夫、沢田研二、岸部一徳ら実力者を揃えた布陣でPYG(ピッグ)を結成する。各種ロックフェスティバルやテレビ出演などもこなしたが、渡辺プロサイドの「あくまでメインはジュリー」といったスタンスに合わなかったことや、音楽面での正当な評価を得られなかったことなどへの苛立ちから、音楽活動よりも映画監督を志すようになる。
1972年に製作された松竹映画「約束」の製作現場に、助監督として参加。しかし元の主演俳優が降板してしまった事を受けて、急遽萩原が代役に抜擢される。
「約束」での岸惠子との共演は、それまでの「アイドル」としての認識を一変させるほどの高い評価を得、これを機にPYGの活動を続けながら俳優へと本格的に転身。TVドラマ「太陽にほえろ!」の初代新人刑事=マカロニ役でその人気を決定付ける(井上尭之バンドの起用やその後同番組の代名詞となった新人刑事の殉職は萩原のアイディアによるもの)。
1972年12月をもって音楽活動を停止(これによりPYGは事実上解散)。1974年には名匠・神代辰巳 とのコンビによる映画「青春の蹉跌」でキネマ旬報の最優秀主演男優賞を受賞。続いて日本テレビ系の伝説的ドラマ・「傷だらけの天使」、倉本聰脚本の名作・「前略おふくろ様」と連続して大ヒットを飛ばした。既成の枠組みから完全に外れた強烈な個性と存在感、その圧倒的な感性の鋭さをもって当時シラケ世代と呼ばれた若者の間でカリスマ的な存在となる。また菊池武夫のMEN'S BIGI(メンズビギ)をはじめファッションリーダーとしても絶大な支持を得た。
1975年には初のソロアルバム「惚れた」をリリース。これをもって音楽活動を再開し、「お前に惚れた」「大阪で生まれた女」等のヒット曲を背景にライヴ、アルバム制作と八面六臂の活躍を見せる。特にライヴパフォーマーとしての評価は高く、柳ジョージ&レイニーウッドがバックを担当したライヴ盤「熱狂雷舞」(1979年)、マザー・テレサの慈善活動に共感しインドはカルカッタでチャリティコンサートを行った「Shanti Shanti」(1983年)、高橋伴明を撮影監督に迎えた日本ロック史上屈指のライヴフィルムとの誉れ高い「Andree Marlou Live」(1985年)等はその到達点として記憶されるものである。
俳優としても脚本家・橋本忍直々の指名を受けての松竹映画「八つ墓村」(1977年)や黒澤明の「影武者」(1980年)など話題作に出演。徐々に追いつめられてゆく誘拐犯を熱演した「誘拐報道」(1982年/モントリオール世界映画祭審査員賞)、作家・連城三紀彦 が萩原をモデルにしたという直木賞作品を自身で演じた「恋文」(1985年/日本アカデミー賞優秀男優賞)など数多くの名演を残し、故・松田優作をはじめ後続の俳優に大きな影響を与えた。
しかし1983年、大麻不法所持にて逮捕され、1年間に渡って全ての活動停止を余儀なくされる。復帰後も俳優業と平行して音楽活動を行い「愚か者よ」等のヒット曲を出すが、1990年以降音楽製作とは距離を置き俳優業をメインに活動を行うようになる。
「美味いんだなぁ、これがっ」のキャッチフレーズでおなじみサントリーモルツのCMや東芝日曜劇場「課長サンの厄年」の好評をうけて'90年代は主に普通の父親像を演じることが多くなり、反逆児的イメージを求める従来のファンを戸惑わせた反面、新たなファン層を獲得。山口智子、室井滋と共演した「居酒屋ゆうれい」(1994年/報知映画賞・高崎映画祭主演男優賞)、15%を超える高視聴率をマークしたドラマ「外科医柊又三郎」(1995年)とヒット作が続いた。
2003年に長いブランクを経てライブ活動を再開したのも束の間、2004年10月、交通事故を起こし業務上過失致傷罪で現行犯逮捕される。 また同年には、降板した主演映画「透光の樹」の出演料を巡るトラブルで制作側から恐喝未遂で告訴され、執行猶予付き有罪判決を受けるなど現在は下降気運にある。 当初脅迫電話をしたことは否定していたが、後に録音された音声を突きつけられ、容疑を認めた。
2005年6月に懲役1年6ヶ月、執行猶予3年の有罪判決が下り、事実上、活動休止。 再婚相手との離婚を経て「傷だらけの天使」の映画版で復帰が決まっている。 過去にも数多くの女優との交際が取り沙汰されたりと常に話題には事欠かず、いわゆる団塊の世代が生んだ最大のスターの一人である。
出演
ドラマ
太陽にほえろ!(1972年、日本テレビ)
明智探偵事務所(1972年、NHK)
風の中のあいつ(1973年、TBS)
同棲時代(1973年、TBS)
祗園花見小路(1973年、CBC)
河を渡ったあの夏の日々(1973年、NHK)
くるくるくるり(1973年、日本テレビ)
勝海舟(1974年、NHK)(岡田以蔵役)
新宿さすらい節(1974年、TBS)
傷だらけの天使(1974年 - 1975年、日本テレビ)
前略おふくろ様(1975年 - 1976年、日本テレビ)
前略おふくろ様2(1976年 - 1977年、日本テレビ)
祭ばやしが聞こえる(1977年 - 1978年、日本テレビ)
死人狩り(1978年、フジテレビ)
露玉の首飾り(1979年、TBS)
花冷え(1981年、よみうりテレビ)
わが愛の城〜落城記より(1981年、テレビ朝日)
忍びの忠臣蔵(1981年、フジテレビ)
ガラスの知恵の輪(1982年、毎日放送)
時間の習俗(1982年、TBS)
君は海を見たか(1982年、フジテレビ、増子一郎役)
宣告(1984年、TBS)
温泉サギ師(1986年、TBS)
見えない絆(1988年、フジテレビ)
飢餓海峡(1988年、フジテレビ)
精性生(1988年、NHK、東海北陸のみ)
隠密・奥の細道(1988年、テレビ東京)
六条執念(1989年、関西テレビ)
お市御寮人(1989年、日本テレビ)
ラストバラードは君に(1989年、フジテレビ)
あいつがトラブル(1989年 - 1990年、フジテレビ)
ネコノトピアネコノマニア(1990年、NHK)
豆腐屋直次郎の裏の顔(1990年 - 1992年、朝日放送)
旅のはじまり(1990年、NHK)
徒然草 殺しの硯(1990年、テレビ東京)
太平記(1991年、NHK大河ドラマ 新田義貞役):途中降板
月のひかり(1991年、NHK)
琉球の風(1993年、NHK大河ドラマ 揚邦義役)
課長サンの厄年(1993年、TBS)
課長サンの厄年スペシャル(1994年、TBS)
幸福の条件(1994年、NHK)
ハイこちら駐在です!(1995年、フジテレビ)
放送記者物語(1995年、NHK)
奈良・花嫁はゴースト(1995年、関西テレビ)
外科医柊又三郎(1995年、テレビ朝日)
されど、わが愛(1995年、NHK)
冠婚葬祭部長(1996年、TBS)
外科医柊又三郎2(1996年、テレビ朝日)
テロリストのパラソル(1996年、フジテレビ)
最後の恋(1997年、TBS)
坪内警部補・父と娘の事件簿(1998年、TBS)
華やかな喪服(1998年、朝日放送)
元禄繚乱(1999年、NHK大河ドラマ 徳川綱吉役)
父さん(2000年、フジテレビ)
広域捜査官楠錬三郎 北へ南へ1(2000年、朝日放送)
藤沢周平の人情しぐれ町(2001年、NHK)
ファイティングガール(2001年、フジテレビ)
利家とまつ(2002年、NHK大河ドラマ、明智光秀役)
広域捜査官楠錬三郎・北へ南へ2(2002年、朝日放送)
西村京太郎サスペンス・日本一周“旅号”殺人事件(2003年、大映テレビ、十津川警部役)
広域捜査官楠錬三郎3(2003年、朝日放送)
坊さん弁護士・郷田夢栄(2003年、テレビ東京)
証言(2004年、朝日放送)
坊さん弁護士・郷田夢栄2(2004年、テレビ東京)
映画
ザ・テンプターズ「涙のあとに微笑みを」(1969年、東宝)
めまい(1971年、松竹、監督:斉藤耕一)
春だドリフだ全員集合!!(1971年、松竹)
約束(1972年、松竹、監督:斉藤耕一)
虹をわたって(1972年、松竹)
股旅(1973年、ATG、監督:市川崑)
化石の森(1973年、東宝、監督:篠田正浩)
青春の蹉跌(1974年、東宝、監督:神代辰巳)
雨のアムステルダム(1975年、東宝、監督:蔵原惟繕)
鴎よ、きらめく海を見たか めぐり逢い(1975年、ATG)
アフリカの光(1975年、東宝、監督:神代辰巳)
八つ墓村(1977年、松竹、監督:野村芳太郎)
その後の仁義なき戦い(1979年、東映、監督:工藤栄一)
影武者(1980年、東宝、監督:黒澤明、武田勝頼役)
魔性の夏〜四谷怪談より(1981年、松竹、監督:蜷川幸雄)
誘拐報道(1982年、東映、監督:伊藤俊也)
もどり川(1983年、三協、監督:神代辰巳)
カポネ大いに泣く(1985年、ケイエンタープライズ、監督:鈴木清順)
瀬降り物語(1985年、東映、監督:中島貞夫)
恋文(1985年、松竹、監督:神代辰巳)
南へ走れ、海の道を!(1986年、松竹、監督:和泉聖治)
離婚しない女(1986年、松竹、監督:神代辰巳)
夜汽車(1987年、東映、監督:山下耕作)
竜馬を斬った男(1987年、アルマンス、監督:山下耕作、佐々木只三郎役)
極道の妻たち三代目姐(1989年、東映)
226(1989年、松竹、監督:五社英雄)
裏切りの明日(1990年、東映、監督:工藤栄一)
激動の1750日(1990年、東映、監督:中島貞夫)
渋滞(1991年、ディレクターズ・カンパニー、監督:黒土三男)
いつかギラギラする日(1992年、松竹、監督:深作欣二)
居酒屋ゆうれい(1994年、東宝)
JOKER 疫病神(1998年、ギャガ・コミュニケーション)
ダブルス(2001年、オメガ・ミコット)
月の砂漠(2001年、サンセントシネマワークス)
天使の牙B.T.A.(2003年、ワーナー・ブラザーズ)
アルバム
惚れた(1975年)
Nadja〜愛の世界(1977年)
Nadja2〜男と女(1978年)
Nadja3〜エンジェル・ゲイト(1979年)
熱狂雷舞(1979年)
Don Juan(1980年)
Don Juan Live(1980年)
D'erlanger (1982年)
Shanti Shanti(1983年)
Thank You My Dear Friends(1984年)
Andree Marlou Live(1985年)
Straight Light(1987年)
Shining With You(1988年)
Thank You My Dear Friends Live(1989年)
シングル
ブルージンの子守唄 c/w 少年の魂(1972年)
お前に惚れた c/w 兄貴のブギ(1975年)
前略おふくろ c/w 酒と泪と男と女(1975年)
別れの詩 c/w 雨のしおり(1977年)
時は流れて c/w 蜃気楼(1978年)
大阪で生まれた女 c/w 本牧綺談(1979年)
ムーンシャイン c/w ルーシー(1980年)
ぐでんぐでん c/w 砂時計(1980年)
ラストダンスは私に c/w 泣くだけ泣いたら(1980年)
ホワイト&ブルー c/w フラフラ(1981年)
ハロー・マイ・ジェラシー c/w シャララ(1982年)
Ah!Ha!(1982年)
もう一度抱いて c/w セクシー・ロンリー・ナイト(1983年)
九月朝、母を想い(1984年)
愚か者よ c/w めぐり逢い(1987年)
See Saw c/w 友(1987年)
桜子 c/w 今(1987年)
Angel(1988年)
クリスマス・プレゼント c/w Shining With You(1988年)
Gambler c/w Angel(1992年)
泣けるわけがないだろう c/w I Love Youさえ言えない(1996年)
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
埼玉県大宮でスカウトされ、ザ・スパイダースの弟分バンドザ・テンプターズのヴォーカリストとしてデビュー。「神様お願い!」「エメラルドの伝説」など次々とヒット曲を飛ばし、グループサウンズが生んだスターとしてザ・タイガースのジュリー=沢田研二と人気を二分する。
解散後井上堯之、大野克夫、沢田研二、岸部一徳ら実力者を揃えた布陣でPYG(ピッグ)を結成する。各種ロックフェスティバルやテレビ出演などもこなしたが、渡辺プロサイドの「あくまでメインはジュリー」といったスタンスに合わなかったことや、音楽面での正当な評価を得られなかったことなどへの苛立ちから、音楽活動よりも映画監督を志すようになる。
1972年に製作された松竹映画「約束」の製作現場に、助監督として参加。しかし元の主演俳優が降板してしまった事を受けて、急遽萩原が代役に抜擢される。
「約束」での岸惠子との共演は、それまでの「アイドル」としての認識を一変させるほどの高い評価を得、これを機にPYGの活動を続けながら俳優へと本格的に転身。TVドラマ「太陽にほえろ!」の初代新人刑事=マカロニ役でその人気を決定付ける(井上尭之バンドの起用やその後同番組の代名詞となった新人刑事の殉職は萩原のアイディアによるもの)。
1972年12月をもって音楽活動を停止(これによりPYGは事実上解散)。1974年には名匠・神代辰巳 とのコンビによる映画「青春の蹉跌」でキネマ旬報の最優秀主演男優賞を受賞。続いて日本テレビ系の伝説的ドラマ・「傷だらけの天使」、倉本聰脚本の名作・「前略おふくろ様」と連続して大ヒットを飛ばした。既成の枠組みから完全に外れた強烈な個性と存在感、その圧倒的な感性の鋭さをもって当時シラケ世代と呼ばれた若者の間でカリスマ的な存在となる。また菊池武夫のMEN'S BIGI(メンズビギ)をはじめファッションリーダーとしても絶大な支持を得た。
1975年には初のソロアルバム「惚れた」をリリース。これをもって音楽活動を再開し、「お前に惚れた」「大阪で生まれた女」等のヒット曲を背景にライヴ、アルバム制作と八面六臂の活躍を見せる。特にライヴパフォーマーとしての評価は高く、柳ジョージ&レイニーウッドがバックを担当したライヴ盤「熱狂雷舞」(1979年)、マザー・テレサの慈善活動に共感しインドはカルカッタでチャリティコンサートを行った「Shanti Shanti」(1983年)、高橋伴明を撮影監督に迎えた日本ロック史上屈指のライヴフィルムとの誉れ高い「Andree Marlou Live」(1985年)等はその到達点として記憶されるものである。
俳優としても脚本家・橋本忍直々の指名を受けての松竹映画「八つ墓村」(1977年)や黒澤明の「影武者」(1980年)など話題作に出演。徐々に追いつめられてゆく誘拐犯を熱演した「誘拐報道」(1982年/モントリオール世界映画祭審査員賞)、作家・連城三紀彦 が萩原をモデルにしたという直木賞作品を自身で演じた「恋文」(1985年/日本アカデミー賞優秀男優賞)など数多くの名演を残し、故・松田優作をはじめ後続の俳優に大きな影響を与えた。
しかし1983年、大麻不法所持にて逮捕され、1年間に渡って全ての活動停止を余儀なくされる。復帰後も俳優業と平行して音楽活動を行い「愚か者よ」等のヒット曲を出すが、1990年以降音楽製作とは距離を置き俳優業をメインに活動を行うようになる。
「美味いんだなぁ、これがっ」のキャッチフレーズでおなじみサントリーモルツのCMや東芝日曜劇場「課長サンの厄年」の好評をうけて'90年代は主に普通の父親像を演じることが多くなり、反逆児的イメージを求める従来のファンを戸惑わせた反面、新たなファン層を獲得。山口智子、室井滋と共演した「居酒屋ゆうれい」(1994年/報知映画賞・高崎映画祭主演男優賞)、15%を超える高視聴率をマークしたドラマ「外科医柊又三郎」(1995年)とヒット作が続いた。
2003年に長いブランクを経てライブ活動を再開したのも束の間、2004年10月、交通事故を起こし業務上過失致傷罪で現行犯逮捕される。 また同年には、降板した主演映画「透光の樹」の出演料を巡るトラブルで制作側から恐喝未遂で告訴され、執行猶予付き有罪判決を受けるなど現在は下降気運にある。 当初脅迫電話をしたことは否定していたが、後に録音された音声を突きつけられ、容疑を認めた。
2005年6月に懲役1年6ヶ月、執行猶予3年の有罪判決が下り、事実上、活動休止。 再婚相手との離婚を経て「傷だらけの天使」の映画版で復帰が決まっている。 過去にも数多くの女優との交際が取り沙汰されたりと常に話題には事欠かず、いわゆる団塊の世代が生んだ最大のスターの一人である。
出演
ドラマ
太陽にほえろ!(1972年、日本テレビ)
明智探偵事務所(1972年、NHK)
風の中のあいつ(1973年、TBS)
同棲時代(1973年、TBS)
祗園花見小路(1973年、CBC)
河を渡ったあの夏の日々(1973年、NHK)
くるくるくるり(1973年、日本テレビ)
勝海舟(1974年、NHK)(岡田以蔵役)
新宿さすらい節(1974年、TBS)
傷だらけの天使(1974年 - 1975年、日本テレビ)
前略おふくろ様(1975年 - 1976年、日本テレビ)
前略おふくろ様2(1976年 - 1977年、日本テレビ)
祭ばやしが聞こえる(1977年 - 1978年、日本テレビ)
死人狩り(1978年、フジテレビ)
露玉の首飾り(1979年、TBS)
花冷え(1981年、よみうりテレビ)
わが愛の城〜落城記より(1981年、テレビ朝日)
忍びの忠臣蔵(1981年、フジテレビ)
ガラスの知恵の輪(1982年、毎日放送)
時間の習俗(1982年、TBS)
君は海を見たか(1982年、フジテレビ、増子一郎役)
宣告(1984年、TBS)
温泉サギ師(1986年、TBS)
見えない絆(1988年、フジテレビ)
飢餓海峡(1988年、フジテレビ)
精性生(1988年、NHK、東海北陸のみ)
隠密・奥の細道(1988年、テレビ東京)
六条執念(1989年、関西テレビ)
お市御寮人(1989年、日本テレビ)
ラストバラードは君に(1989年、フジテレビ)
あいつがトラブル(1989年 - 1990年、フジテレビ)
ネコノトピアネコノマニア(1990年、NHK)
豆腐屋直次郎の裏の顔(1990年 - 1992年、朝日放送)
旅のはじまり(1990年、NHK)
徒然草 殺しの硯(1990年、テレビ東京)
太平記(1991年、NHK大河ドラマ 新田義貞役):途中降板
月のひかり(1991年、NHK)
琉球の風(1993年、NHK大河ドラマ 揚邦義役)
課長サンの厄年(1993年、TBS)
課長サンの厄年スペシャル(1994年、TBS)
幸福の条件(1994年、NHK)
ハイこちら駐在です!(1995年、フジテレビ)
放送記者物語(1995年、NHK)
奈良・花嫁はゴースト(1995年、関西テレビ)
外科医柊又三郎(1995年、テレビ朝日)
されど、わが愛(1995年、NHK)
冠婚葬祭部長(1996年、TBS)
外科医柊又三郎2(1996年、テレビ朝日)
テロリストのパラソル(1996年、フジテレビ)
最後の恋(1997年、TBS)
坪内警部補・父と娘の事件簿(1998年、TBS)
華やかな喪服(1998年、朝日放送)
元禄繚乱(1999年、NHK大河ドラマ 徳川綱吉役)
父さん(2000年、フジテレビ)
広域捜査官楠錬三郎 北へ南へ1(2000年、朝日放送)
藤沢周平の人情しぐれ町(2001年、NHK)
ファイティングガール(2001年、フジテレビ)
利家とまつ(2002年、NHK大河ドラマ、明智光秀役)
広域捜査官楠錬三郎・北へ南へ2(2002年、朝日放送)
西村京太郎サスペンス・日本一周“旅号”殺人事件(2003年、大映テレビ、十津川警部役)
広域捜査官楠錬三郎3(2003年、朝日放送)
坊さん弁護士・郷田夢栄(2003年、テレビ東京)
証言(2004年、朝日放送)
坊さん弁護士・郷田夢栄2(2004年、テレビ東京)
映画
ザ・テンプターズ「涙のあとに微笑みを」(1969年、東宝)
めまい(1971年、松竹、監督:斉藤耕一)
春だドリフだ全員集合!!(1971年、松竹)
約束(1972年、松竹、監督:斉藤耕一)
虹をわたって(1972年、松竹)
股旅(1973年、ATG、監督:市川崑)
化石の森(1973年、東宝、監督:篠田正浩)
青春の蹉跌(1974年、東宝、監督:神代辰巳)
雨のアムステルダム(1975年、東宝、監督:蔵原惟繕)
鴎よ、きらめく海を見たか めぐり逢い(1975年、ATG)
アフリカの光(1975年、東宝、監督:神代辰巳)
八つ墓村(1977年、松竹、監督:野村芳太郎)
その後の仁義なき戦い(1979年、東映、監督:工藤栄一)
影武者(1980年、東宝、監督:黒澤明、武田勝頼役)
魔性の夏〜四谷怪談より(1981年、松竹、監督:蜷川幸雄)
誘拐報道(1982年、東映、監督:伊藤俊也)
もどり川(1983年、三協、監督:神代辰巳)
カポネ大いに泣く(1985年、ケイエンタープライズ、監督:鈴木清順)
瀬降り物語(1985年、東映、監督:中島貞夫)
恋文(1985年、松竹、監督:神代辰巳)
南へ走れ、海の道を!(1986年、松竹、監督:和泉聖治)
離婚しない女(1986年、松竹、監督:神代辰巳)
夜汽車(1987年、東映、監督:山下耕作)
竜馬を斬った男(1987年、アルマンス、監督:山下耕作、佐々木只三郎役)
極道の妻たち三代目姐(1989年、東映)
226(1989年、松竹、監督:五社英雄)
裏切りの明日(1990年、東映、監督:工藤栄一)
激動の1750日(1990年、東映、監督:中島貞夫)
渋滞(1991年、ディレクターズ・カンパニー、監督:黒土三男)
いつかギラギラする日(1992年、松竹、監督:深作欣二)
居酒屋ゆうれい(1994年、東宝)
JOKER 疫病神(1998年、ギャガ・コミュニケーション)
ダブルス(2001年、オメガ・ミコット)
月の砂漠(2001年、サンセントシネマワークス)
天使の牙B.T.A.(2003年、ワーナー・ブラザーズ)
アルバム
惚れた(1975年)
Nadja〜愛の世界(1977年)
Nadja2〜男と女(1978年)
Nadja3〜エンジェル・ゲイト(1979年)
熱狂雷舞(1979年)
Don Juan(1980年)
Don Juan Live(1980年)
D'erlanger (1982年)
Shanti Shanti(1983年)
Thank You My Dear Friends(1984年)
Andree Marlou Live(1985年)
Straight Light(1987年)
Shining With You(1988年)
Thank You My Dear Friends Live(1989年)
シングル
ブルージンの子守唄 c/w 少年の魂(1972年)
お前に惚れた c/w 兄貴のブギ(1975年)
前略おふくろ c/w 酒と泪と男と女(1975年)
別れの詩 c/w 雨のしおり(1977年)
時は流れて c/w 蜃気楼(1978年)
大阪で生まれた女 c/w 本牧綺談(1979年)
ムーンシャイン c/w ルーシー(1980年)
ぐでんぐでん c/w 砂時計(1980年)
ラストダンスは私に c/w 泣くだけ泣いたら(1980年)
ホワイト&ブルー c/w フラフラ(1981年)
ハロー・マイ・ジェラシー c/w シャララ(1982年)
Ah!Ha!(1982年)
もう一度抱いて c/w セクシー・ロンリー・ナイト(1983年)
九月朝、母を想い(1984年)
愚か者よ c/w めぐり逢い(1987年)
See Saw c/w 友(1987年)
桜子 c/w 今(1987年)
Angel(1988年)
クリスマス・プレゼント c/w Shining With You(1988年)
Gambler c/w Angel(1992年)
泣けるわけがないだろう c/w I Love Youさえ言えない(1996年)
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
あ行
日本映画界を代表する大女優 岡田 茉莉子
岡田 茉莉子(おかだ・まりこ。1933年1月11日 - )は日本の女優。本名:吉田鞠子(旧姓・田中)。父は戦前の二枚目俳優・岡田時彦。母は元宝塚歌劇団の田鶴園子。夫は映画監督の吉田喜重。 新潟市立沼垂高等学校(現新潟市立万代高等学校)卒
東京市渋谷区代々木生まれ。1938年、母の田鶴がダンス教師の資格をとり、上海で教えることになったため、東京市大森区北千足町に住む母の妹で宝塚スターだった御幸市子のもとで暮らすようになる。1940年に御幸が東宝映画計画部でプロデューサーをしていた山本紫朗と結婚したため、翌年、母のいる上海に渡る。戦争悪化のため1944年、単身帰国し、また御幸の下で暮らすようになる。 翌年、新潟に引っ越す。
新潟で女学生の頃に映画館で古い作品が流れており、家に帰ってその映画の話をすると母が泣き出したという。その時、初めてその映画の主演である岡田時彦が自分の父である事を知らされ、慌ててもう一度、今度は自分の父を見る為に映画館へ脚を運んだというエピソードがある。
1951年、東宝の第三期ニューフェイスとして、小泉博らと共に東宝演技研究所入り。入所して二十日後、成瀬巳喜男監督の映画「舞姫」の準主役に抜擢される。以降、父親譲りの美貌と演技力で東宝映画の主演スターとなる。
1957年3月にフリーとなり、同年9月に松竹と専属契約。女性映画を得意とする松竹では数々のメロドラマに主演し大活躍。先に東宝から松竹に移籍していた有馬稲子と共に松竹の二枚看板となる。1962年、自らプロデュースし主演した映画「秋津温泉」が大ヒットし多くの映画賞も獲得。会社の意向で助監督に戻されていた吉田喜重を監督に起用した作品であった。翌年、吉田監督と婚約。
1964年(昭和39年)6月21日、旧西ドイツのバイエルン州アスカウ村で吉田監督と海外挙式。民族衣裳を着た現地の村人たちもアルプスホーンで2人を祝福した。新婚旅行は40日間のヨーロッパ1周だった。
1965年、松竹とは2本の本数契約とし事実上のフリーとなる。1966年、吉田と現代映画社を創立し、映画「女のみづうみ」を発表。同年10月、東宝演芸部と年間4本の専属契約を結んで以後は商業演劇を中心に活躍する。
映画が斜陽になった1970年代以降もコンスタントに映画出演を続けており、現在も日本映画界を代表する大女優である。
父娘とも芸名の名付け親は作家の谷崎潤一郎である。お父さんの芸名を付けたのだから君の名前も私が付けましょうと言って付けてくれたそうである。しかし新聞や雑誌で「茉莉子」の「茉」の文字が、誤印刷で下の横棒が長く印刷される事が多かったという。その度に几帳面な谷崎潤一郎から、岡田茉莉子のもとに「君の名前の文字は上の棒が長いのです」と叱った手紙を頂戴したそうな。後年「私のせいじゃないのにね」と愉快に岡田茉莉子は語っている。
受賞歴
1958年(昭和33年) - 映画『悪女の季節』
第13回毎日映画コンクール 助演女優賞
1962年(昭和37年) - 映画『今年の恋』&映画『霧子の運命』
第36回キネマ旬報賞 主演女優賞
1962年(昭和37年) - 映画『今年の恋』&映画『秋津温泉』
第17回毎日映画コンクール 主演女優賞
1998年(平成10年) - 第8回日本映画批評家大賞 ゴールデン・グローリー賞
主な出演作品
映画
『舞姫』(原作:川端康成。監督:成瀬巳喜男。1951年)
『青春会議』(1952年)
『おかる勘平』(1952年)
『金の卵』(1952年)
『思春期』(1952年)
『結婚案内』(1952年)
『足にさわった女』(監督:市川崑。1952年)
『春の囁き』(監督:豊田四郎。1952年)
『七色の街』(1952年)
『ああ青春に涙あり』(1952年)
『吹けよ春風』(脚本:黒澤明。1953年)
『夫婦』(監督:成瀬巳喜男。1953年)
『江戸っ子判官』(監督:中川信夫。1953年)
『夜の終り』(1953年)
『白魚』(1953年)
『坊っちゃん』(原作:夏目漱石。マドンナ役。1953年)
『サラリーマンの歌』(1953年)
『花の中の娘たち』(1953年。初のカラー映画出演)
『愛人』(監督:市川崑。1953年)
『女心はひと筋に』(1953年)
『ママの日記』(1954年)
『さらばラバウル』(監督:本多猪四郎。1954年。 ※DVD発売)
『芸者小夏』(1954年。ヒット)
『やくざ囃子』(1954年)
『恋愛特急』(1954年)
『宮本武蔵』 Samurai I: Musashi Miyamoto (第28回アカデミー賞名誉賞(最優秀外国語映画)受賞作品。1954年。大ヒット。 ※DVD発売)
『次郎長三国志 第九部 荒神山』(1954年。 ※ビデオ化)
『新・鞍馬天狗 第一話 天狗出現』(1954年)
『新・鞍馬天狗 第二話 東寺の決闘』(1954年)
『結婚記』(1954年)
『男性NO.1』(1955年)
『男ありて』(1955年。 ※ビデオ化)
『渡り鳥いつ帰る』(1955年。 ※ビデオ化)
『恋化粧』(監督:本多猪四郎。1955年)
『宮本武蔵 一乗寺決闘』(1955年。大ヒット。 ※DVD発売)
『芸者小夏 ひとり寝る夜の小夏』(1955年)
『旅路』(1955年)
『浮雲』(監督:成瀬巳喜男。キネマ旬報ベストテン第1位。1955年 ※DVD発売)
『あすなろ物語』(脚本:黒澤明。1955年 ※ビデオ化)
『朝霧』(1955年)
『青い果実』(1955年)
『宮本武蔵 決闘巌流島』(1956年。大ヒット。 ※DVD発売)
『花嫁会議』(1956年)
『黒帯三国志』(1956年)
『幸福はあの星の下に』(1956年)
『逃げてきた花嫁』(1956年)
『白井権八』(1956年)
『女房族は訴える』(1956年)
『ならず者』(1956年)
『森繁よ何処へ行く』(1956年)
『新婚第一課』(1956年)
『囚人船』(1956年)
『女囚と共に』(1956年。大ヒット)
『流れる』(監督:成瀬巳喜男。キネマ旬報ベストテン第8位。1956年。ヒット。 ※DVD発売)
『山鳩』(1957年)
『顔』(1957年。 ※DVD発売)
『大安吉日』(1957年)
『柳生武芸帳』(1957年。 ※ビデオ化。ヒット)
『おしゃべり社長』(1957年)
『刃傷未遂』(1957年)
『土砂降り』(1957年。 ※ビデオ化)
『嵐の中の抱擁 おもかげは遙かなり』(1957年)
『青い花の流れ』(1957年)
『ただいま零匹』(1957年)
『集金旅行』(1957年。 ※ビデオ化。ヒット)
『娘三羽烏』(1957年。 ※ビデオ化)
『花嫁のおのろけ』(監督:野村芳太郎。1958年。ヒット)
『柳生武芸帳 双龍秘剣』(1958年。 ※ビデオ化。ヒット)
『日日の背信』(1958年)
『どろんこ天国』(1958年。 ※ビデオ化)
『花のうず潮』(1958年)
『現代無宿』(1958年)
『モダン道中 その恋待ったなし』(監督:野村芳太郎。1958年)
『悪女の季節』(1958年)
『春を待つ人々』(1958年)
『愛の濃淡』(1958年)
『橋』(1959年)
『三羽烏三代記』(出演:津川雅彦、十朱幸代。1959年。大ヒット。 ※ビデオ化)
『ある落日』(1959年。 ※ビデオ化)
『海の地図』(1959年)
『素晴らしき十九才』(1959年)
『海流』(1959年)
『霧ある情事』(1959年)
『春の夢』(監督:木下恵介。1960年。 ※DVD発売)
『恋人』(1960年)
『四万人の目撃者』(1960年)
『バナナ』(1960年)
『暴れん坊三羽烏』(1960年)
『女の坂』(監督:吉村公三郎。1960年)
『離愁・「青衣の人」より』(1960年)
『秋日和』 Late Autumn (監督:小津安二郎。キネマ旬報ベストテン第5位。1960年。ヒット。 ※DVD発売)
『猟銃』(1961年。ヒット。 ※ビデオ化)
『渦』(1961年)
『斑女』(共演:ささきいさお。1961年。ヒット)
『水溜り』(1961年。 ※ビデオ化)
『女舞』(1961年)
『禁猟区』(1961年)
『河口』(1961年)
『熱愛者』(岡田は企画も担当した。1961年)
『愛情の系譜』(1961年)
『千客万来』(1962年)
『今年の恋』(共演:田村正和。監督:木下恵介。1962年。 ※DVD発売)
『愛染かつら』(1962年。ヒット)
『霧子の運命』(1962年)
『秋津温泉』(監督:吉田喜重。キネマ旬報ベストテン第10位。岡田は企画と衣裳も担当した。1962年。 ※DVD発売)
『愛と悲しみと』(1962年)
『義士始末記』(1962年)
『続・愛染かつら』(1962年)
『秋刀魚の味』 An Autumn Afternoon (監督:小津安二郎。キネマ旬報ベストテン第8位。1962年。 ※DVD発売)
『歌え若人達』(監督:木下恵介。1963年。 ※DVD発売)
『無宿人別帳』(1963年。 ※DVD発売)
『二人だけの砦』(1963年)
『花の咲く家』(1963年。インドネシアロケが行われた。1993年の東海テレビの同名ドラマとは別作品。)
『結婚式・結婚式』(1963年)
『真赤な恋の物語』(1963年)
『残菊物語』(1963年。 ※ビデオ化)
『香華 前後篇』(監督:木下恵介。キネマ旬報ベストテン第3位。1964年。大ヒット。 ※DVD発売)
『大根と人参』(1965年。 ※ビデオ化)
『四谷怪談』(監督:豊田四郎。1965年)
『花のお江戸の法界坊』(1965年)
『喜劇 各駅停車』(1965年)
『水で書かれた物語』(監督:吉田喜重。キネマ旬報ベストテン第10位。1965年。 ※DVD発売)
『女のみづうみ』(原作:川端康成。監督:吉田喜重。1966年。 ※DVD発売)
『雌が雄を喰い殺す かまきり』(1967年)
『妻二人』(監督:増村保造。1967年。 ※ビデオ化)
『情炎』(監督:吉田喜重。1967年。 ※DVD発売)
『女たちの庭』(監督:野村芳太郎。1967年)
『毒薬の匂う女』(1967年)
『雌が雄を喰い殺す 三匹のかまきり』(1967年)
『炎と女』(監督:吉田喜重。1967年。 ※DVD発売)
『樹氷のよろめき』(監督:吉田喜重。1968年。 ※DVD発売)
『不信のとき』(監督:今井正。1968年)
『さらば夏の光』(監督:吉田喜重。1968年。 ※DVD発売)
『戦いすんで日が暮れて』(1970年)
『エロス+虐殺』(監督:吉田喜重。キネマ旬報ベストテン第4位。1970年。 ※DVD発売)
『喜劇 度胸一番』(1970年)
『煉獄エロイカ』(監督:吉田喜重。1970年。 ※DVD発売)
『波止場女のブルース』(1970年)
『喜劇 命のお値段』(1971年。 ※ビデオ化)
『告白的女優論』(監督:吉田喜重。1971年。 ※DVD発売)
『黒の奔流』(共演:松坂慶子。1972年。※DVD発売)
『吾輩は猫である』(原作:夏目漱石。監督:豊田四郎。1975年。 ※ビデオ化)
『凍河』(共演:石原裕次郎。1976年)
『日本の仁義』(1977年。 ※ビデオ化)
『人間の証明』(共演は松田優作、そして、映画『オール・ザ・キングスメン』でアカデミー主演男優賞を受賞した名優ブロデリック・クロフォード(Broderick Crawford)も出演している。1977年。大ヒット。 ※DVD発売)
『赤穂城断絶』(監督:深作欣二。1978年。 ※DVD発売)
『金田一耕助の冒険』(監督:大林宣彦。1979年。 ※DVD発売)
『制覇』(1982年。 ※ビデオ化)
『生きてはみたけれど 小津安二郎伝』(1983年。 ※ビデオ化)
『序の舞』(原作:宮尾登美子。1984年。 ※DVD発売)
『タンポポ』(監督:伊丹十三。1985年。 ※DVD発売)
『マルサの女』(監督:伊丹十三。キネマ旬報ベストテン第1位。1987年。大ヒット。 ※DVD発売)
『激動の1750日』(1990年。 ※DVD発売)
『おもちゃ』(監督:深作欣二。1999年。 ※ビデオ化)
『鏡の女たち』(監督:吉田喜重。キネマ旬報ベストテン第6位。2003年。 ※DVD発売)
『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』(共演:浅野忠信、宮崎あおい。監督:青山真治。2006年。 ※DVD発売)
テレビドラマ
「浮舟(源氏物語)」(1957年、TBS)
「細雪」(1966年、フジテレビ)
「三姉妹」(1967年、NHK大河ドラマ、大河ドラマ史上初の女性主役)
「徳川おんな絵巻」(1970年-1971年、フジテレビ系)
「楡家の人びと」(1972年、NHK銀河テレビ小説)
「元禄太平記」(1975年、NHK大河ドラマ)
「女系家族」(1975年、毎日放送)
「横溝正史シリーズII・女王蜂」(1978年、毎日放送)
「土曜ワイド劇場・西村京太郎トラベルミステリー」(1983年、テレビ朝日)
「真田太平記」(1985年 - 1986年、NHK新大型時代劇)
「土曜ワイド劇場・家政婦は見た!」(1987年、テレビ朝日)
「火曜サスペンス劇場・花園の迷宮」(1988年3月、日本テレビ・東映)秋元多恵役
「函館のおんな」(1990年1月9日、テレビ朝日)
「犬神家の一族」(1990年、テレビ朝日)
「土曜ワイド劇場・家政婦は見た!」(同シリーズ2度目の出演。1992年、テレビ朝日)
「珠玉の女」(1992年10月〜1993年3月、よみうりテレビ・VSO)
「憲法はまだか」(1996年、NHK)
「火曜サスペンス劇場 取調室9」(1998年、日本テレビ・宝映企画)
「なごや千客万来」(2000年、NHK)
「月曜ミステリー劇場・金田一耕助シリーズ・白蝋の死美人」(2004年4月、TBS・東阪企画)
「土曜ワイド劇場 温泉若おかみの殺人推理」シリーズ(テレビ朝日。最新作は2007年4月14日)
「芋たこなんきん」(2007年、NHK朝の連続テレビ小説)
「浅草ふくまる旅館」(第1話ゲスト。2007年、TBS。劇中に出てきた白黒写真(アップの方)は本物の昔の岡田のブロマイド。)
「病院のチカラ〜星空ホスピタル〜」(第3回・第4回ゲスト。2007年、NHK)
舞台
「旗本退屈男 雪華の舞」(1986年)
「極楽ホームへいらっしゃい」(2007年4月13日〜4月27日、三越劇場)
その他のテレビ番組
「スター爆笑Q&A」(日本テレビ)
「徹子の部屋」(テレビ朝日) - 一番最近の出演は2007年4月16日
「いちばんきれいなとき」(NHK衛星第2テレビジョン) - 岡田を含む5人の女優たちのインタビュー番組。語り:佐藤藍子
「スタジオL」(NHK総合)
「山城新伍のおんな専科」(テレビ東京)
「日曜ビッグスペシャル」(テレビ東京)
「新伍のわがまま大好き」(テレビ朝日系)
「おはようワイド・土曜の朝に」(テレビ朝日系)
「あの日 昭和20年の記憶」(NHK衛星第2テレビジョン)
「スタジオパークからこんにちは」(NHK総合) - 2007年1月4日
「女優は語る 岡田茉莉子」(衛星劇場) - 2007年4月
エピソード
ズケズケものを言うはっきりとした性格で知られ、近年のインタビューでも、「最近、テレビに出ている若い女優さんについてどう思われますか?」という質問に、「あの方たちは女優じゃありません。タレントさんです。」と発言。
この発言は岡田の気質の表れとともに、十分な演技の勉強を経ないで映画・テレビドラマへ進出する芸能人が多い風潮を憂慮した演技者の発言としても多方面から話題を呼んだ。
仕事で和服を着る機会が多い反動からか、近年プライベートいずれのシーンの服をすべて山本耀司の製品で統一している。
大の阪神タイガースファンとしても有名。
無声映画のフィルムしか残っていない父・岡田時彦の声を、近年、NHK放送技術研究所でレコードで聞いた。
関連書籍
「水野晴郎と銀幕の花々」(近代文芸社。水野による岡田を含む女優達のインタビュー集)
「君美わしく 戦後日本映画女優讃」(川本三郎著。文藝春秋社。川本による岡田を含む女優達のインタビュー集)
「麗しの銀幕スタア」(秋山庄太郎著。小学館)
「成瀬巳喜男 演出術」(村川英編。ワイズ出版)
「小津安二郎新発見 松竹編」(講談社) ISBN 4-06-206681-5
「いま、小津安二郎」(小学館。岡田のインタビュー掲載)
「成瀬巳喜男と映画の中の女優たち」(ぴあ)
「「20世紀を輝いた美女たち」スター青春グラフィティ 池谷朗[昔]写真館」 ISBN 4-87709-374-5
「「銀幕の名花」 20世紀のビッグスタア3 平凡特別編集」(マガジンハウス) ISBN 4-8387-1210-3
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
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東京市渋谷区代々木生まれ。1938年、母の田鶴がダンス教師の資格をとり、上海で教えることになったため、東京市大森区北千足町に住む母の妹で宝塚スターだった御幸市子のもとで暮らすようになる。1940年に御幸が東宝映画計画部でプロデューサーをしていた山本紫朗と結婚したため、翌年、母のいる上海に渡る。戦争悪化のため1944年、単身帰国し、また御幸の下で暮らすようになる。 翌年、新潟に引っ越す。
新潟で女学生の頃に映画館で古い作品が流れており、家に帰ってその映画の話をすると母が泣き出したという。その時、初めてその映画の主演である岡田時彦が自分の父である事を知らされ、慌ててもう一度、今度は自分の父を見る為に映画館へ脚を運んだというエピソードがある。
1951年、東宝の第三期ニューフェイスとして、小泉博らと共に東宝演技研究所入り。入所して二十日後、成瀬巳喜男監督の映画「舞姫」の準主役に抜擢される。以降、父親譲りの美貌と演技力で東宝映画の主演スターとなる。
1957年3月にフリーとなり、同年9月に松竹と専属契約。女性映画を得意とする松竹では数々のメロドラマに主演し大活躍。先に東宝から松竹に移籍していた有馬稲子と共に松竹の二枚看板となる。1962年、自らプロデュースし主演した映画「秋津温泉」が大ヒットし多くの映画賞も獲得。会社の意向で助監督に戻されていた吉田喜重を監督に起用した作品であった。翌年、吉田監督と婚約。
1964年(昭和39年)6月21日、旧西ドイツのバイエルン州アスカウ村で吉田監督と海外挙式。民族衣裳を着た現地の村人たちもアルプスホーンで2人を祝福した。新婚旅行は40日間のヨーロッパ1周だった。
1965年、松竹とは2本の本数契約とし事実上のフリーとなる。1966年、吉田と現代映画社を創立し、映画「女のみづうみ」を発表。同年10月、東宝演芸部と年間4本の専属契約を結んで以後は商業演劇を中心に活躍する。
映画が斜陽になった1970年代以降もコンスタントに映画出演を続けており、現在も日本映画界を代表する大女優である。
父娘とも芸名の名付け親は作家の谷崎潤一郎である。お父さんの芸名を付けたのだから君の名前も私が付けましょうと言って付けてくれたそうである。しかし新聞や雑誌で「茉莉子」の「茉」の文字が、誤印刷で下の横棒が長く印刷される事が多かったという。その度に几帳面な谷崎潤一郎から、岡田茉莉子のもとに「君の名前の文字は上の棒が長いのです」と叱った手紙を頂戴したそうな。後年「私のせいじゃないのにね」と愉快に岡田茉莉子は語っている。
受賞歴
1958年(昭和33年) - 映画『悪女の季節』
第13回毎日映画コンクール 助演女優賞
1962年(昭和37年) - 映画『今年の恋』&映画『霧子の運命』
第36回キネマ旬報賞 主演女優賞
1962年(昭和37年) - 映画『今年の恋』&映画『秋津温泉』
第17回毎日映画コンクール 主演女優賞
1998年(平成10年) - 第8回日本映画批評家大賞 ゴールデン・グローリー賞
主な出演作品
映画
『舞姫』(原作:川端康成。監督:成瀬巳喜男。1951年)
『青春会議』(1952年)
『おかる勘平』(1952年)
『金の卵』(1952年)
『思春期』(1952年)
『結婚案内』(1952年)
『足にさわった女』(監督:市川崑。1952年)
『春の囁き』(監督:豊田四郎。1952年)
『七色の街』(1952年)
『ああ青春に涙あり』(1952年)
『吹けよ春風』(脚本:黒澤明。1953年)
『夫婦』(監督:成瀬巳喜男。1953年)
『江戸っ子判官』(監督:中川信夫。1953年)
『夜の終り』(1953年)
『白魚』(1953年)
『坊っちゃん』(原作:夏目漱石。マドンナ役。1953年)
『サラリーマンの歌』(1953年)
『花の中の娘たち』(1953年。初のカラー映画出演)
『愛人』(監督:市川崑。1953年)
『女心はひと筋に』(1953年)
『ママの日記』(1954年)
『さらばラバウル』(監督:本多猪四郎。1954年。 ※DVD発売)
『芸者小夏』(1954年。ヒット)
『やくざ囃子』(1954年)
『恋愛特急』(1954年)
『宮本武蔵』 Samurai I: Musashi Miyamoto (第28回アカデミー賞名誉賞(最優秀外国語映画)受賞作品。1954年。大ヒット。 ※DVD発売)
『次郎長三国志 第九部 荒神山』(1954年。 ※ビデオ化)
『新・鞍馬天狗 第一話 天狗出現』(1954年)
『新・鞍馬天狗 第二話 東寺の決闘』(1954年)
『結婚記』(1954年)
『男性NO.1』(1955年)
『男ありて』(1955年。 ※ビデオ化)
『渡り鳥いつ帰る』(1955年。 ※ビデオ化)
『恋化粧』(監督:本多猪四郎。1955年)
『宮本武蔵 一乗寺決闘』(1955年。大ヒット。 ※DVD発売)
『芸者小夏 ひとり寝る夜の小夏』(1955年)
『旅路』(1955年)
『浮雲』(監督:成瀬巳喜男。キネマ旬報ベストテン第1位。1955年 ※DVD発売)
『あすなろ物語』(脚本:黒澤明。1955年 ※ビデオ化)
『朝霧』(1955年)
『青い果実』(1955年)
『宮本武蔵 決闘巌流島』(1956年。大ヒット。 ※DVD発売)
『花嫁会議』(1956年)
『黒帯三国志』(1956年)
『幸福はあの星の下に』(1956年)
『逃げてきた花嫁』(1956年)
『白井権八』(1956年)
『女房族は訴える』(1956年)
『ならず者』(1956年)
『森繁よ何処へ行く』(1956年)
『新婚第一課』(1956年)
『囚人船』(1956年)
『女囚と共に』(1956年。大ヒット)
『流れる』(監督:成瀬巳喜男。キネマ旬報ベストテン第8位。1956年。ヒット。 ※DVD発売)
『山鳩』(1957年)
『顔』(1957年。 ※DVD発売)
『大安吉日』(1957年)
『柳生武芸帳』(1957年。 ※ビデオ化。ヒット)
『おしゃべり社長』(1957年)
『刃傷未遂』(1957年)
『土砂降り』(1957年。 ※ビデオ化)
『嵐の中の抱擁 おもかげは遙かなり』(1957年)
『青い花の流れ』(1957年)
『ただいま零匹』(1957年)
『集金旅行』(1957年。 ※ビデオ化。ヒット)
『娘三羽烏』(1957年。 ※ビデオ化)
『花嫁のおのろけ』(監督:野村芳太郎。1958年。ヒット)
『柳生武芸帳 双龍秘剣』(1958年。 ※ビデオ化。ヒット)
『日日の背信』(1958年)
『どろんこ天国』(1958年。 ※ビデオ化)
『花のうず潮』(1958年)
『現代無宿』(1958年)
『モダン道中 その恋待ったなし』(監督:野村芳太郎。1958年)
『悪女の季節』(1958年)
『春を待つ人々』(1958年)
『愛の濃淡』(1958年)
『橋』(1959年)
『三羽烏三代記』(出演:津川雅彦、十朱幸代。1959年。大ヒット。 ※ビデオ化)
『ある落日』(1959年。 ※ビデオ化)
『海の地図』(1959年)
『素晴らしき十九才』(1959年)
『海流』(1959年)
『霧ある情事』(1959年)
『春の夢』(監督:木下恵介。1960年。 ※DVD発売)
『恋人』(1960年)
『四万人の目撃者』(1960年)
『バナナ』(1960年)
『暴れん坊三羽烏』(1960年)
『女の坂』(監督:吉村公三郎。1960年)
『離愁・「青衣の人」より』(1960年)
『秋日和』 Late Autumn (監督:小津安二郎。キネマ旬報ベストテン第5位。1960年。ヒット。 ※DVD発売)
『猟銃』(1961年。ヒット。 ※ビデオ化)
『渦』(1961年)
『斑女』(共演:ささきいさお。1961年。ヒット)
『水溜り』(1961年。 ※ビデオ化)
『女舞』(1961年)
『禁猟区』(1961年)
『河口』(1961年)
『熱愛者』(岡田は企画も担当した。1961年)
『愛情の系譜』(1961年)
『千客万来』(1962年)
『今年の恋』(共演:田村正和。監督:木下恵介。1962年。 ※DVD発売)
『愛染かつら』(1962年。ヒット)
『霧子の運命』(1962年)
『秋津温泉』(監督:吉田喜重。キネマ旬報ベストテン第10位。岡田は企画と衣裳も担当した。1962年。 ※DVD発売)
『愛と悲しみと』(1962年)
『義士始末記』(1962年)
『続・愛染かつら』(1962年)
『秋刀魚の味』 An Autumn Afternoon (監督:小津安二郎。キネマ旬報ベストテン第8位。1962年。 ※DVD発売)
『歌え若人達』(監督:木下恵介。1963年。 ※DVD発売)
『無宿人別帳』(1963年。 ※DVD発売)
『二人だけの砦』(1963年)
『花の咲く家』(1963年。インドネシアロケが行われた。1993年の東海テレビの同名ドラマとは別作品。)
『結婚式・結婚式』(1963年)
『真赤な恋の物語』(1963年)
『残菊物語』(1963年。 ※ビデオ化)
『香華 前後篇』(監督:木下恵介。キネマ旬報ベストテン第3位。1964年。大ヒット。 ※DVD発売)
『大根と人参』(1965年。 ※ビデオ化)
『四谷怪談』(監督:豊田四郎。1965年)
『花のお江戸の法界坊』(1965年)
『喜劇 各駅停車』(1965年)
『水で書かれた物語』(監督:吉田喜重。キネマ旬報ベストテン第10位。1965年。 ※DVD発売)
『女のみづうみ』(原作:川端康成。監督:吉田喜重。1966年。 ※DVD発売)
『雌が雄を喰い殺す かまきり』(1967年)
『妻二人』(監督:増村保造。1967年。 ※ビデオ化)
『情炎』(監督:吉田喜重。1967年。 ※DVD発売)
『女たちの庭』(監督:野村芳太郎。1967年)
『毒薬の匂う女』(1967年)
『雌が雄を喰い殺す 三匹のかまきり』(1967年)
『炎と女』(監督:吉田喜重。1967年。 ※DVD発売)
『樹氷のよろめき』(監督:吉田喜重。1968年。 ※DVD発売)
『不信のとき』(監督:今井正。1968年)
『さらば夏の光』(監督:吉田喜重。1968年。 ※DVD発売)
『戦いすんで日が暮れて』(1970年)
『エロス+虐殺』(監督:吉田喜重。キネマ旬報ベストテン第4位。1970年。 ※DVD発売)
『喜劇 度胸一番』(1970年)
『煉獄エロイカ』(監督:吉田喜重。1970年。 ※DVD発売)
『波止場女のブルース』(1970年)
『喜劇 命のお値段』(1971年。 ※ビデオ化)
『告白的女優論』(監督:吉田喜重。1971年。 ※DVD発売)
『黒の奔流』(共演:松坂慶子。1972年。※DVD発売)
『吾輩は猫である』(原作:夏目漱石。監督:豊田四郎。1975年。 ※ビデオ化)
『凍河』(共演:石原裕次郎。1976年)
『日本の仁義』(1977年。 ※ビデオ化)
『人間の証明』(共演は松田優作、そして、映画『オール・ザ・キングスメン』でアカデミー主演男優賞を受賞した名優ブロデリック・クロフォード(Broderick Crawford)も出演している。1977年。大ヒット。 ※DVD発売)
『赤穂城断絶』(監督:深作欣二。1978年。 ※DVD発売)
『金田一耕助の冒険』(監督:大林宣彦。1979年。 ※DVD発売)
『制覇』(1982年。 ※ビデオ化)
『生きてはみたけれど 小津安二郎伝』(1983年。 ※ビデオ化)
『序の舞』(原作:宮尾登美子。1984年。 ※DVD発売)
『タンポポ』(監督:伊丹十三。1985年。 ※DVD発売)
『マルサの女』(監督:伊丹十三。キネマ旬報ベストテン第1位。1987年。大ヒット。 ※DVD発売)
『激動の1750日』(1990年。 ※DVD発売)
『おもちゃ』(監督:深作欣二。1999年。 ※ビデオ化)
『鏡の女たち』(監督:吉田喜重。キネマ旬報ベストテン第6位。2003年。 ※DVD発売)
『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』(共演:浅野忠信、宮崎あおい。監督:青山真治。2006年。 ※DVD発売)
テレビドラマ
「浮舟(源氏物語)」(1957年、TBS)
「細雪」(1966年、フジテレビ)
「三姉妹」(1967年、NHK大河ドラマ、大河ドラマ史上初の女性主役)
「徳川おんな絵巻」(1970年-1971年、フジテレビ系)
「楡家の人びと」(1972年、NHK銀河テレビ小説)
「元禄太平記」(1975年、NHK大河ドラマ)
「女系家族」(1975年、毎日放送)
「横溝正史シリーズII・女王蜂」(1978年、毎日放送)
「土曜ワイド劇場・西村京太郎トラベルミステリー」(1983年、テレビ朝日)
「真田太平記」(1985年 - 1986年、NHK新大型時代劇)
「土曜ワイド劇場・家政婦は見た!」(1987年、テレビ朝日)
「火曜サスペンス劇場・花園の迷宮」(1988年3月、日本テレビ・東映)秋元多恵役
「函館のおんな」(1990年1月9日、テレビ朝日)
「犬神家の一族」(1990年、テレビ朝日)
「土曜ワイド劇場・家政婦は見た!」(同シリーズ2度目の出演。1992年、テレビ朝日)
「珠玉の女」(1992年10月〜1993年3月、よみうりテレビ・VSO)
「憲法はまだか」(1996年、NHK)
「火曜サスペンス劇場 取調室9」(1998年、日本テレビ・宝映企画)
「なごや千客万来」(2000年、NHK)
「月曜ミステリー劇場・金田一耕助シリーズ・白蝋の死美人」(2004年4月、TBS・東阪企画)
「土曜ワイド劇場 温泉若おかみの殺人推理」シリーズ(テレビ朝日。最新作は2007年4月14日)
「芋たこなんきん」(2007年、NHK朝の連続テレビ小説)
「浅草ふくまる旅館」(第1話ゲスト。2007年、TBS。劇中に出てきた白黒写真(アップの方)は本物の昔の岡田のブロマイド。)
「病院のチカラ〜星空ホスピタル〜」(第3回・第4回ゲスト。2007年、NHK)
舞台
「旗本退屈男 雪華の舞」(1986年)
「極楽ホームへいらっしゃい」(2007年4月13日〜4月27日、三越劇場)
その他のテレビ番組
「スター爆笑Q&A」(日本テレビ)
「徹子の部屋」(テレビ朝日) - 一番最近の出演は2007年4月16日
「いちばんきれいなとき」(NHK衛星第2テレビジョン) - 岡田を含む5人の女優たちのインタビュー番組。語り:佐藤藍子
「スタジオL」(NHK総合)
「山城新伍のおんな専科」(テレビ東京)
「日曜ビッグスペシャル」(テレビ東京)
「新伍のわがまま大好き」(テレビ朝日系)
「おはようワイド・土曜の朝に」(テレビ朝日系)
「あの日 昭和20年の記憶」(NHK衛星第2テレビジョン)
「スタジオパークからこんにちは」(NHK総合) - 2007年1月4日
「女優は語る 岡田茉莉子」(衛星劇場) - 2007年4月
エピソード
ズケズケものを言うはっきりとした性格で知られ、近年のインタビューでも、「最近、テレビに出ている若い女優さんについてどう思われますか?」という質問に、「あの方たちは女優じゃありません。タレントさんです。」と発言。
この発言は岡田の気質の表れとともに、十分な演技の勉強を経ないで映画・テレビドラマへ進出する芸能人が多い風潮を憂慮した演技者の発言としても多方面から話題を呼んだ。
仕事で和服を着る機会が多い反動からか、近年プライベートいずれのシーンの服をすべて山本耀司の製品で統一している。
大の阪神タイガースファンとしても有名。
無声映画のフィルムしか残っていない父・岡田時彦の声を、近年、NHK放送技術研究所でレコードで聞いた。
関連書籍
「水野晴郎と銀幕の花々」(近代文芸社。水野による岡田を含む女優達のインタビュー集)
「君美わしく 戦後日本映画女優讃」(川本三郎著。文藝春秋社。川本による岡田を含む女優達のインタビュー集)
「麗しの銀幕スタア」(秋山庄太郎著。小学館)
「成瀬巳喜男 演出術」(村川英編。ワイズ出版)
「小津安二郎新発見 松竹編」(講談社) ISBN 4-06-206681-5
「いま、小津安二郎」(小学館。岡田のインタビュー掲載)
「成瀬巳喜男と映画の中の女優たち」(ぴあ)
「「20世紀を輝いた美女たち」スター青春グラフィティ 池谷朗[昔]写真館」 ISBN 4-87709-374-5
「「銀幕の名花」 20世紀のビッグスタア3 平凡特別編集」(マガジンハウス) ISBN 4-8387-1210-3
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
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あ行
謎の男 渥美清
渥美 清(あつみ きよし、1928年(昭和3年)3月10日 - 1996年(平成8年)8月4日)は、日本の俳優。本名、田所 康雄(たどころ やすお)。
東京市下谷区車坂町(現・東京都台東区上野七丁目)出身。
1928年3月10日に上野の車坂に生まれる。父は新聞記者、母は教員であった。
1934年、上野の尋常小学校に入学。1936年、一家で板橋区志村清水町に転居。それに伴い、志村第一尋常小学校へ転入。小学生時代は所謂欠食児童であったという。加えて、病弱でもあり小児腎臓炎、小児関節炎、膀胱カタル等の様々な病を患っていた。その為、学校は欠席がちで、3年次と4年次では長期病欠であった。欠席中は、日がな一日ラジオに耳を傾け徳川夢声や落語を聴いて過ごした。戦争の色濃くなる1940年に巣鴨中学校に入学。卒業後は工員として働きながら、一時期、担ぎ屋やテキ屋の手伝いもしていた(親友の谷幹一には、かつて自分は霊岸島桝屋一家に身を寄せていた、と語った事がある)。この幼少期に培った知識が後の「男はつらいよ」シリーズの寅次郎のスタイルを産むきっかけになったといえる。 その後、中央大学経済学部へ進学したが、船乗りになるため退学する。しかし、母親に猛反対されたため船乗りになる事を断念。知り合いの伝手を頼って旅回りの演劇一座に入り喜劇俳優の道を歩むことになった。
なお、当初の芸名は「渥美悦郎」であったが、無名時代の極初期に参加した公演で、座長が観客に向けて配役紹介を行う際になぜか「悦郎」を忘れてしまい、「清」ととっさに言ったものをそのまま使用したといわれている。芸名の"渥美"は愛知県の渥美半島から採ったとされる。
1951年、東京都台東区浅草のストリップ劇場(百万弗劇場)の専属コメディアンとなる。
1953年には、フランス座へ移籍。この頃のフランス座は、長門勇、東八郎、関敬六など後に一線で活躍するコメディアンたちが在籍し、コント作家として井上ひさしが出入りしていた。
1954年、肺結核で右肺を摘出手術しサナトリウムで約2年間の療養生活を送る。このサナトリウムでの療養体験が後の人生観に多大な影響を与えたと言われている。また、復帰後すぐに今度は胃腸を患い中野の立正佼成会病院に1年近く入院する。再復帰後は酒や煙草、コーヒーさえも一切やらなくなり過剰な程の摂生に努めた。
1956年にテレビデビュー、1958年に『おトラさん大繁盛』で映画にデビュー。
1959年にはストリップ小屋時代からの盟友である谷幹一、関敬六とスリーポケッツを結成。しかし、数ヵ月後には脱退している。
1961年から1966年までNHKで放映された『夢であいましょう』に出演。コメディアン・渥美清の名を全国区にした。
1962年公開の映画『あいつばかりが何故もてる』にて映画初主演を務める。 同年、ヤクザ(フーテン)役で出演した『おったまげ人魚物語』のロケにおいて、海に飛び込むシーンでは右肺を摘出していたため海に飛び込めず、唯一代役を立てたシーンとも言われている。 当時、複数の映画が同じ地域で撮影を行っており、この時の撮影現場では、映画『切腹』(仲代達矢、岩下志麻、三国連太郎、丹波哲郎)の撮影現場の宿に泊まり、同宿した多くの俳優や監督と接することとなる。
1963年の野村芳太郎監督の映画『拝啓天皇陛下様』で、愛すべき無垢な男を演じ、俳優としての名声を確立する(続編では阪急や近鉄で活躍したロベルト・バルボンが連合国兵士役で出演した)。
1965年公開の『ブワナ・トシの歌』ではアフリカ各地で4ヶ月間に及ぶ長期ロケを敢行。この撮影以降、アフリカの魅力に取り付かれプライベート旅行で何度も訪れるようになる。この時期の主演作品としては、TBSのテレビドラマ『渥美清の泣いてたまるか』(1966年)や映画『喜劇列車シリーズ』(1967年〜1968年)なども有名である。
1968年、フジテレビにて、テレビドラマ『男はつらいよ』の放送開始。放送期間は1968年10月3日から1969年3月27日までの半年間。脚本は山田洋次と森崎東が担当した。最終回では「ハブに噛まれて寅さんが死ぬ」と言うストーリーに抗議が殺到。「罪滅ぼしの意味も含めて」同1969年、松竹で映画を製作。これが予想に反して大ヒットとなり、以降シリーズ化となって製作の始まった山田洋次監督の映画『男はつらいよ』シリーズにおいて、主演の車寅次郎("フーテンの寅")役を27年間48作に渡って演じ続ける事になる。この映画のシリーズは、国民的映画として日本中の多くの人たちに親しまれた。映画のシリーズでは最多記録の作品としてギネスブックにも載るなどの記録を成し遂げた。
1972年、渥美プロを設立し、松竹と共同で映画『あゝ声なき友』を自身主演で製作公開する。
1975年、松竹80周年記念として制作された映画『友情』に出演。
1977年にはテレビ朝日製作の土曜ワイド劇場『田舎刑事( 時間(とき)よとまれ)』にて久しぶりにテレビドラマの主演を務める。同作品は現在も続く人気番組土曜ワイド劇場の記念すべき第1回作品であると同時に、第32回文化庁芸術祭のテレビ部門ドラマ部の優秀作品にも選出されている。この成功を受けて同作品はシリーズ化され1978年に『田舎刑事(旅路の果て)』が、1979年には『田舎刑事(まぼろしの特攻隊)』がいずれも渥美主演で製作放送されている。
映画『男はつらいよ』シリーズの大成功以降は「渥美清」=「寅さん」の図式が固まってしまう。当初はイメージの固定を避けるために積極的に他作品に出演していたが、どの作品も映画『男はつらいよ』シリーズ程の成功は収める事が出来なかった。
1979年(昭和54年)4月14日にNHKで放映されたテレビドラマ『幾山河は越えたれど〜昭和のこころ 古賀政男〜』では作曲家、古賀政男の生涯を鮮烈に演じ高い評価を得るが、新たな役柄の幅を広げるにはいたらなかった。また、この時期、今村昌平監督が「復讐するは我にあり」の主役にオファーしたが、「寅さんのイメージを裏切りたくない」との理由で断っている。
1980年代以降になると、当時の松竹の思惑や渥美自身も他作品への出演に消極的になっていた事もあって、『男はつらいよ』シリーズ以外の主演は無くなっていく。
その後は、主演以外での参加も次第に減っていき、1993年に公開された映画『学校』が『男はつらいよ』シリーズ以外の作品への最後の出演作品となった(映画出演自体での遺作は亡くなる直前まで出演した男はつらいよ 寅次郎紅の花になる)。
後年は、松竹の看板としてかなりの無理をしての仕事であった。『男はつらいよ』42作目以降は、病気になった渥美に配慮して、立って演じるシーンは少なくされた。晩年は、立っていることもままならず、撮影の合間は寅さんのトランクを椅子代わりにして座っていることが多かった。44作目のころ「スタッフに挨拶されて、それに笑顔で答えることさえ辛いんです。スタッフや見物の方への挨拶を省略していただきたい」と山田洋次に語っている。ところがこのことを知らない映画撮影の見物客は、渥美に声をかけてもまったく反応してもらえなかったことから「愛想が悪い」との理由で渥美を批判することもあったという。体調が悪くなった42作から甥の満男を主役にしたサブストーリーが作られ、年2本作っていたシリーズを一本に減らし、満男の出番を増やして寅次郎の出番を最小限に減らしている。また体調が悪化してからの作品を見ると46作では坂を上るのがきつく(実際に急な坂ではあるが)、47作では歌声が枯れ、第48作では座ったままほとんど動かなくなるなど痛々しい演技である。
病気については1991年に肝臓癌が見つかり、1994年には肺に転移しているのがわかった。47作からは主治医からも出演は不可能だと言われていたが何とか出演した。1996年7月に体調を崩して同月末に手術を受けるが癌の転移が広がり手遅れの状態だった。山田監督の弔辞によれば病院で癌の手術が遅れの状態だった後、病室で震えていたとの事である。そして1996年8月4日、転移性肺癌のため東京都文京区の順天堂医院にて死去。享年69(68歳没)。「俺のやせ細った死に顔を他人に見せたくない。骨にしてから世間に知らせてほしい。」という渥美の遺言により、家族だけで密葬を行い、遺体は東京都荒川区内の火葬場で荼毘に付された。訃報は3日後の1996年8月7日に松竹から公表された。そして8月13日には松竹大船撮影所で「寅さんのお別れの会」が開かれ、山田洋次が弔辞を読み上げた。世間は、渥美清の死を寅さんの死と捉えて報道された。死後、日本政府から渥美に国民栄誉賞が贈られた。『男はつらいよ』シリーズを通じて人情味豊かな演技で広く国民に喜びと潤いを与えたことが受賞理由。俳優で国民栄誉賞が贈られるのは、1984年に死去した長谷川一夫に次いで2人目である。
又、妻は熱心なカトリック信徒で、彼自身も、亡くなる直前に病床でカトリックの洗礼を受けていた事も明らかになっている。
なお、渥美は死ぬまで芸能活動の仕事をプライベートに持ち込まなかった。そのためか、渥美の自宅は芸能・映画関係者や芸能界の友人にも知らされていなかった。
経歴についての異説
渥美清のプライベートは謎につつまれた点が多く、経歴にはいくつかの異説がある。小林信彦著の『おかしな男 渥美清』の略年譜によれば、1940年に志村第一尋常小学校を卒業後、志村高等小学校に入学する。1942年に卒業し、14歳で志村坂上の東京管楽器に入社するが退社し、その後は「家出をしてドサ回り」をしていたとのことである。
巣鴨学園関係者によると、戦前の在籍記録は戦災により焼失しており、在籍の有無は公式にはなんとも言えないという。しかし、何人かのOBの証言によれば、在籍はしていたが、卒業はしていないとのことである。
実像
「寅さん」の演技で見せる闊達さとは対照的に、実像は他者との交わりを避ける孤独な人物だった。「男はつらいよ」のロケ先で撮影に協力した地元有志が開く宴席に一度も顔を出したことがない話は良く知られており、身辺にファンが近寄ることも嫌っていた。タクシーで送られる際も「この辺りで」と言い、自宅から離れた場所で降りるのを常としていた。映画関係者ともプライベートで交際することはほとんどなく「男はつらいよ」シリーズで長年一緒だった山田洋次や黒柳徹子、渥美とは親友であった関敬六でさえ渥美の自宅も個人的な連絡先も知らず、仕事仲間は告別式まで渥美の家族との面識はなかった。これは渥美が生前、プライバシーを徹底的に秘匿し、「渥美清=”寅さん”」のイメージを壊さないためであった。
長男が公の場に顔を出すのは渥美の死後だった。結婚式は家族だけでささやかに行い、仕事仲間など呼ばなかった。結婚まで秘密にしていたため、他界の数年前も渥美が独身と思っていた人が多かったようである。
黒柳徹子はプライベートでも付き合いのある数少ない存在で、彼をお兄ちゃんと呼んでいたほか、夢であいましょうで競演していた時に熱愛疑惑が持ち上がったことがある。ちなみにその際それを報道したスポーツ新聞の紙面には、フランス座時代に幕間のコントで黒柳が小学生の頃いつも呼んでいたチンドン屋の格好をしていた時の写真が掲載された。これは当時マスコミにはその写真しかなかったためである。黒柳は1996年に開かれた「寅さん」とのお別れの会に出席したり、2006年は渥美が死んでから10年と節目の年であったためか渥美の事を話すこともしばしばあった。
2006年9月4日にNHKで放送されたプレミアム10『渥美清の肖像・知られざる役者人生』によると、松竹が映画の低迷期であったのも手伝い、突出して人気のあった「寅さん」のイメージを大事にしたいからと色々な企画を没にしたりして、それ以外の役柄に恵まれなかった。増村保造の映画『セックス・チェック第二の性』を元にして作中男だと疑われるスポーツ選手の女性が、本当に男だったという主演映画などが没になったアイディアの中にあった。
また、永六輔とは少年時代から旧知の仲であり、永六輔によると渥美は永も所属していた不良グループのボスであったいう。更に永の言葉によると、渥美が役者を目指す様になったのにはある刑事の言葉があると言う。曰く、ある時、渥美が歩道の鎖を盗み、それを売ろうとして警察に補導された事があった。その時の刑事に、「お前の顔は、個性が強すぎて一度見たら忘れられない。その顔を生かして、犯罪者になるより役者になれ」と言われた事が役者を目指すきっかけになったとの事である(上記、『渥美清の肖像・知られざる役者人生』によれば、テキ屋稼業に没頭していた頃、浅草の小屋から声をかけられそれが転機のキッカケとなったとされている)。
長男の田所健太郎はニッポン放送の入社試験の際、履歴書の家族欄に『父 田所康雄 職業 俳優』と書いたことから、採用担当者は大部屋俳優の息子と思っていた。後に渥美清が彼の父親として来社したため、社内は騒然となった。
また晩年は俳句を趣味としていて『アエラ句会』(AERA主催)において「風天」の俳号でいくつかの句を詠んでいる。
出演
映画
おトラさん大繁盛(1958年)
大江戸評判記 美男の顔役(1962年)
あいつばかりが何故もてる(1962年)
おかしな奴(1963年)
つむじ風(1963年)
拝啓天皇陛下様(1963年)
無宿人別帳(1963年)
散歩する霊柩車(1964年)
続・拝啓天皇陛下様(1964年)
拝啓総理大臣様(1964年)
ブワナ・トシの歌(1965年)
沓掛時次郎 遊侠一匹(1966年)
喜劇列車シリーズ(1967年 - 68年、全3作)
父子草(1967年)
燃えつきた地図(1968年)
白昼堂々(1968年)
スクラップ集団(1968年)
喜劇 爬虫類(1968年)
でっかいでっかい野郎(1969年)
男はつらいよシリーズ(1969年 - 96年、全48作)
トラ・トラ・トラ!(1970年)※日本公開版のみ
あゝ声なき友(1972年)
故郷(1972年)
砂の器(1974年)ひかり座の支配人
ビューティフル・ピープル ゆかいな仲間(1974年)日本語版ナレーター
友情(1975年)
八つ墓村(1977年)
幸福の黄色いハンカチ(1977年)渡辺係長
皇帝のいない八月(1978年)
遙かなる山の呼び声(1980年)
キネマの天地(1986年)喜八
二十四の瞳 (映画)(1987年)ナレーター
ダウンタウンヒーローズ(1988年)ナレーター
学校(1993年)八百屋の親父
テレビ
第14回NHK紅白歌合戦(1963年) 応援ゲスト
渥美清の泣いてたまるか
東芝日曜劇場(多数出演)
ヨイショ(1974年6月 - 11月、TBS放映)
徹子の部屋(1979年1月3日放送分)
田舎刑事
「幾山河は越えたれど〜昭和のこころ 古賀政男〜」(古賀政男役)
CM
エーザイ
ブリヂストン 新・回転理論技術「DONUTS(ドーナツ)」 専属キャラクター
1995年から自身が逝去する直前まで、「ニッポンのタイヤが変わります」のキャッチフレーズでCM出演していた。
渥美清の逝去後は、歌手・女優の西田ひかるが後継キャラクターとして引き継いだ。
ロート製薬 「パンシロン」
ブリヂストンと同じく逝去直前に「パンシロン新胃腸薬」のCMに復帰出演していた。
中外製薬「バルサン」
いすゞ自動車 「エルフ」
日本テレコム
朝日新聞 - キャッチコピーは「歴史は、あっちこっちで作られる。」。コピーライターの仲畑貴志の作である。
親族
田所健太郎
長男。株式会社ニッポン放送に所属していたラジオディレクター。主な担当番組に伊集院光のOh!デカナイトがある 。現在は株式会社ニッポン放送を退社し、フリーのラジオディレクター。
演じた俳優
南原清隆
ものまねをする芸人
原一平 寅さんのものまねは、渥美本人も生前から認めていた、唯一の渥美清公認ものまね芸人。寅さんのものまねをする際に着用する衣装は渥美本人が映画で実際に使っていたのを譲り受けた物である。
フランクさな寅(フランクさな寅ブログ) 地元ですら知る人ぞ知る「広島の寅さん」。TSS「親子笑劇場電太郎一家」(ローカルミニドラマ。既に終了)にドラ猫のドラ役で出演していた。
野口よういち 山田洋次監督公認。
山口智充(「ワンナイR&R」にて)
参考文献
おかしな男 渥美清(小林信彦、新潮文庫)
知られざる渥美清(大下英治、廣済堂文庫)
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』転載。
東京市下谷区車坂町(現・東京都台東区上野七丁目)出身。
1928年3月10日に上野の車坂に生まれる。父は新聞記者、母は教員であった。
1934年、上野の尋常小学校に入学。1936年、一家で板橋区志村清水町に転居。それに伴い、志村第一尋常小学校へ転入。小学生時代は所謂欠食児童であったという。加えて、病弱でもあり小児腎臓炎、小児関節炎、膀胱カタル等の様々な病を患っていた。その為、学校は欠席がちで、3年次と4年次では長期病欠であった。欠席中は、日がな一日ラジオに耳を傾け徳川夢声や落語を聴いて過ごした。戦争の色濃くなる1940年に巣鴨中学校に入学。卒業後は工員として働きながら、一時期、担ぎ屋やテキ屋の手伝いもしていた(親友の谷幹一には、かつて自分は霊岸島桝屋一家に身を寄せていた、と語った事がある)。この幼少期に培った知識が後の「男はつらいよ」シリーズの寅次郎のスタイルを産むきっかけになったといえる。 その後、中央大学経済学部へ進学したが、船乗りになるため退学する。しかし、母親に猛反対されたため船乗りになる事を断念。知り合いの伝手を頼って旅回りの演劇一座に入り喜劇俳優の道を歩むことになった。
なお、当初の芸名は「渥美悦郎」であったが、無名時代の極初期に参加した公演で、座長が観客に向けて配役紹介を行う際になぜか「悦郎」を忘れてしまい、「清」ととっさに言ったものをそのまま使用したといわれている。芸名の"渥美"は愛知県の渥美半島から採ったとされる。
1951年、東京都台東区浅草のストリップ劇場(百万弗劇場)の専属コメディアンとなる。
1953年には、フランス座へ移籍。この頃のフランス座は、長門勇、東八郎、関敬六など後に一線で活躍するコメディアンたちが在籍し、コント作家として井上ひさしが出入りしていた。
1954年、肺結核で右肺を摘出手術しサナトリウムで約2年間の療養生活を送る。このサナトリウムでの療養体験が後の人生観に多大な影響を与えたと言われている。また、復帰後すぐに今度は胃腸を患い中野の立正佼成会病院に1年近く入院する。再復帰後は酒や煙草、コーヒーさえも一切やらなくなり過剰な程の摂生に努めた。
1956年にテレビデビュー、1958年に『おトラさん大繁盛』で映画にデビュー。
1959年にはストリップ小屋時代からの盟友である谷幹一、関敬六とスリーポケッツを結成。しかし、数ヵ月後には脱退している。
1961年から1966年までNHKで放映された『夢であいましょう』に出演。コメディアン・渥美清の名を全国区にした。
1962年公開の映画『あいつばかりが何故もてる』にて映画初主演を務める。 同年、ヤクザ(フーテン)役で出演した『おったまげ人魚物語』のロケにおいて、海に飛び込むシーンでは右肺を摘出していたため海に飛び込めず、唯一代役を立てたシーンとも言われている。 当時、複数の映画が同じ地域で撮影を行っており、この時の撮影現場では、映画『切腹』(仲代達矢、岩下志麻、三国連太郎、丹波哲郎)の撮影現場の宿に泊まり、同宿した多くの俳優や監督と接することとなる。
1963年の野村芳太郎監督の映画『拝啓天皇陛下様』で、愛すべき無垢な男を演じ、俳優としての名声を確立する(続編では阪急や近鉄で活躍したロベルト・バルボンが連合国兵士役で出演した)。
1965年公開の『ブワナ・トシの歌』ではアフリカ各地で4ヶ月間に及ぶ長期ロケを敢行。この撮影以降、アフリカの魅力に取り付かれプライベート旅行で何度も訪れるようになる。この時期の主演作品としては、TBSのテレビドラマ『渥美清の泣いてたまるか』(1966年)や映画『喜劇列車シリーズ』(1967年〜1968年)なども有名である。
1968年、フジテレビにて、テレビドラマ『男はつらいよ』の放送開始。放送期間は1968年10月3日から1969年3月27日までの半年間。脚本は山田洋次と森崎東が担当した。最終回では「ハブに噛まれて寅さんが死ぬ」と言うストーリーに抗議が殺到。「罪滅ぼしの意味も含めて」同1969年、松竹で映画を製作。これが予想に反して大ヒットとなり、以降シリーズ化となって製作の始まった山田洋次監督の映画『男はつらいよ』シリーズにおいて、主演の車寅次郎("フーテンの寅")役を27年間48作に渡って演じ続ける事になる。この映画のシリーズは、国民的映画として日本中の多くの人たちに親しまれた。映画のシリーズでは最多記録の作品としてギネスブックにも載るなどの記録を成し遂げた。
1972年、渥美プロを設立し、松竹と共同で映画『あゝ声なき友』を自身主演で製作公開する。
1975年、松竹80周年記念として制作された映画『友情』に出演。
1977年にはテレビ朝日製作の土曜ワイド劇場『田舎刑事( 時間(とき)よとまれ)』にて久しぶりにテレビドラマの主演を務める。同作品は現在も続く人気番組土曜ワイド劇場の記念すべき第1回作品であると同時に、第32回文化庁芸術祭のテレビ部門ドラマ部の優秀作品にも選出されている。この成功を受けて同作品はシリーズ化され1978年に『田舎刑事(旅路の果て)』が、1979年には『田舎刑事(まぼろしの特攻隊)』がいずれも渥美主演で製作放送されている。
映画『男はつらいよ』シリーズの大成功以降は「渥美清」=「寅さん」の図式が固まってしまう。当初はイメージの固定を避けるために積極的に他作品に出演していたが、どの作品も映画『男はつらいよ』シリーズ程の成功は収める事が出来なかった。
1979年(昭和54年)4月14日にNHKで放映されたテレビドラマ『幾山河は越えたれど〜昭和のこころ 古賀政男〜』では作曲家、古賀政男の生涯を鮮烈に演じ高い評価を得るが、新たな役柄の幅を広げるにはいたらなかった。また、この時期、今村昌平監督が「復讐するは我にあり」の主役にオファーしたが、「寅さんのイメージを裏切りたくない」との理由で断っている。
1980年代以降になると、当時の松竹の思惑や渥美自身も他作品への出演に消極的になっていた事もあって、『男はつらいよ』シリーズ以外の主演は無くなっていく。
その後は、主演以外での参加も次第に減っていき、1993年に公開された映画『学校』が『男はつらいよ』シリーズ以外の作品への最後の出演作品となった(映画出演自体での遺作は亡くなる直前まで出演した男はつらいよ 寅次郎紅の花になる)。
後年は、松竹の看板としてかなりの無理をしての仕事であった。『男はつらいよ』42作目以降は、病気になった渥美に配慮して、立って演じるシーンは少なくされた。晩年は、立っていることもままならず、撮影の合間は寅さんのトランクを椅子代わりにして座っていることが多かった。44作目のころ「スタッフに挨拶されて、それに笑顔で答えることさえ辛いんです。スタッフや見物の方への挨拶を省略していただきたい」と山田洋次に語っている。ところがこのことを知らない映画撮影の見物客は、渥美に声をかけてもまったく反応してもらえなかったことから「愛想が悪い」との理由で渥美を批判することもあったという。体調が悪くなった42作から甥の満男を主役にしたサブストーリーが作られ、年2本作っていたシリーズを一本に減らし、満男の出番を増やして寅次郎の出番を最小限に減らしている。また体調が悪化してからの作品を見ると46作では坂を上るのがきつく(実際に急な坂ではあるが)、47作では歌声が枯れ、第48作では座ったままほとんど動かなくなるなど痛々しい演技である。
病気については1991年に肝臓癌が見つかり、1994年には肺に転移しているのがわかった。47作からは主治医からも出演は不可能だと言われていたが何とか出演した。1996年7月に体調を崩して同月末に手術を受けるが癌の転移が広がり手遅れの状態だった。山田監督の弔辞によれば病院で癌の手術が遅れの状態だった後、病室で震えていたとの事である。そして1996年8月4日、転移性肺癌のため東京都文京区の順天堂医院にて死去。享年69(68歳没)。「俺のやせ細った死に顔を他人に見せたくない。骨にしてから世間に知らせてほしい。」という渥美の遺言により、家族だけで密葬を行い、遺体は東京都荒川区内の火葬場で荼毘に付された。訃報は3日後の1996年8月7日に松竹から公表された。そして8月13日には松竹大船撮影所で「寅さんのお別れの会」が開かれ、山田洋次が弔辞を読み上げた。世間は、渥美清の死を寅さんの死と捉えて報道された。死後、日本政府から渥美に国民栄誉賞が贈られた。『男はつらいよ』シリーズを通じて人情味豊かな演技で広く国民に喜びと潤いを与えたことが受賞理由。俳優で国民栄誉賞が贈られるのは、1984年に死去した長谷川一夫に次いで2人目である。
又、妻は熱心なカトリック信徒で、彼自身も、亡くなる直前に病床でカトリックの洗礼を受けていた事も明らかになっている。
なお、渥美は死ぬまで芸能活動の仕事をプライベートに持ち込まなかった。そのためか、渥美の自宅は芸能・映画関係者や芸能界の友人にも知らされていなかった。
経歴についての異説
渥美清のプライベートは謎につつまれた点が多く、経歴にはいくつかの異説がある。小林信彦著の『おかしな男 渥美清』の略年譜によれば、1940年に志村第一尋常小学校を卒業後、志村高等小学校に入学する。1942年に卒業し、14歳で志村坂上の東京管楽器に入社するが退社し、その後は「家出をしてドサ回り」をしていたとのことである。
巣鴨学園関係者によると、戦前の在籍記録は戦災により焼失しており、在籍の有無は公式にはなんとも言えないという。しかし、何人かのOBの証言によれば、在籍はしていたが、卒業はしていないとのことである。
実像
「寅さん」の演技で見せる闊達さとは対照的に、実像は他者との交わりを避ける孤独な人物だった。「男はつらいよ」のロケ先で撮影に協力した地元有志が開く宴席に一度も顔を出したことがない話は良く知られており、身辺にファンが近寄ることも嫌っていた。タクシーで送られる際も「この辺りで」と言い、自宅から離れた場所で降りるのを常としていた。映画関係者ともプライベートで交際することはほとんどなく「男はつらいよ」シリーズで長年一緒だった山田洋次や黒柳徹子、渥美とは親友であった関敬六でさえ渥美の自宅も個人的な連絡先も知らず、仕事仲間は告別式まで渥美の家族との面識はなかった。これは渥美が生前、プライバシーを徹底的に秘匿し、「渥美清=”寅さん”」のイメージを壊さないためであった。
長男が公の場に顔を出すのは渥美の死後だった。結婚式は家族だけでささやかに行い、仕事仲間など呼ばなかった。結婚まで秘密にしていたため、他界の数年前も渥美が独身と思っていた人が多かったようである。
黒柳徹子はプライベートでも付き合いのある数少ない存在で、彼をお兄ちゃんと呼んでいたほか、夢であいましょうで競演していた時に熱愛疑惑が持ち上がったことがある。ちなみにその際それを報道したスポーツ新聞の紙面には、フランス座時代に幕間のコントで黒柳が小学生の頃いつも呼んでいたチンドン屋の格好をしていた時の写真が掲載された。これは当時マスコミにはその写真しかなかったためである。黒柳は1996年に開かれた「寅さん」とのお別れの会に出席したり、2006年は渥美が死んでから10年と節目の年であったためか渥美の事を話すこともしばしばあった。
2006年9月4日にNHKで放送されたプレミアム10『渥美清の肖像・知られざる役者人生』によると、松竹が映画の低迷期であったのも手伝い、突出して人気のあった「寅さん」のイメージを大事にしたいからと色々な企画を没にしたりして、それ以外の役柄に恵まれなかった。増村保造の映画『セックス・チェック第二の性』を元にして作中男だと疑われるスポーツ選手の女性が、本当に男だったという主演映画などが没になったアイディアの中にあった。
また、永六輔とは少年時代から旧知の仲であり、永六輔によると渥美は永も所属していた不良グループのボスであったいう。更に永の言葉によると、渥美が役者を目指す様になったのにはある刑事の言葉があると言う。曰く、ある時、渥美が歩道の鎖を盗み、それを売ろうとして警察に補導された事があった。その時の刑事に、「お前の顔は、個性が強すぎて一度見たら忘れられない。その顔を生かして、犯罪者になるより役者になれ」と言われた事が役者を目指すきっかけになったとの事である(上記、『渥美清の肖像・知られざる役者人生』によれば、テキ屋稼業に没頭していた頃、浅草の小屋から声をかけられそれが転機のキッカケとなったとされている)。
長男の田所健太郎はニッポン放送の入社試験の際、履歴書の家族欄に『父 田所康雄 職業 俳優』と書いたことから、採用担当者は大部屋俳優の息子と思っていた。後に渥美清が彼の父親として来社したため、社内は騒然となった。
また晩年は俳句を趣味としていて『アエラ句会』(AERA主催)において「風天」の俳号でいくつかの句を詠んでいる。
出演
映画
おトラさん大繁盛(1958年)
大江戸評判記 美男の顔役(1962年)
あいつばかりが何故もてる(1962年)
おかしな奴(1963年)
つむじ風(1963年)
拝啓天皇陛下様(1963年)
無宿人別帳(1963年)
散歩する霊柩車(1964年)
続・拝啓天皇陛下様(1964年)
拝啓総理大臣様(1964年)
ブワナ・トシの歌(1965年)
沓掛時次郎 遊侠一匹(1966年)
喜劇列車シリーズ(1967年 - 68年、全3作)
父子草(1967年)
燃えつきた地図(1968年)
白昼堂々(1968年)
スクラップ集団(1968年)
喜劇 爬虫類(1968年)
でっかいでっかい野郎(1969年)
男はつらいよシリーズ(1969年 - 96年、全48作)
トラ・トラ・トラ!(1970年)※日本公開版のみ
あゝ声なき友(1972年)
故郷(1972年)
砂の器(1974年)ひかり座の支配人
ビューティフル・ピープル ゆかいな仲間(1974年)日本語版ナレーター
友情(1975年)
八つ墓村(1977年)
幸福の黄色いハンカチ(1977年)渡辺係長
皇帝のいない八月(1978年)
遙かなる山の呼び声(1980年)
キネマの天地(1986年)喜八
二十四の瞳 (映画)(1987年)ナレーター
ダウンタウンヒーローズ(1988年)ナレーター
学校(1993年)八百屋の親父
テレビ
第14回NHK紅白歌合戦(1963年) 応援ゲスト
渥美清の泣いてたまるか
東芝日曜劇場(多数出演)
ヨイショ(1974年6月 - 11月、TBS放映)
徹子の部屋(1979年1月3日放送分)
田舎刑事
「幾山河は越えたれど〜昭和のこころ 古賀政男〜」(古賀政男役)
CM
エーザイ
ブリヂストン 新・回転理論技術「DONUTS(ドーナツ)」 専属キャラクター
1995年から自身が逝去する直前まで、「ニッポンのタイヤが変わります」のキャッチフレーズでCM出演していた。
渥美清の逝去後は、歌手・女優の西田ひかるが後継キャラクターとして引き継いだ。
ロート製薬 「パンシロン」
ブリヂストンと同じく逝去直前に「パンシロン新胃腸薬」のCMに復帰出演していた。
中外製薬「バルサン」
いすゞ自動車 「エルフ」
日本テレコム
朝日新聞 - キャッチコピーは「歴史は、あっちこっちで作られる。」。コピーライターの仲畑貴志の作である。
親族
田所健太郎
長男。株式会社ニッポン放送に所属していたラジオディレクター。主な担当番組に伊集院光のOh!デカナイトがある 。現在は株式会社ニッポン放送を退社し、フリーのラジオディレクター。
演じた俳優
南原清隆
ものまねをする芸人
原一平 寅さんのものまねは、渥美本人も生前から認めていた、唯一の渥美清公認ものまね芸人。寅さんのものまねをする際に着用する衣装は渥美本人が映画で実際に使っていたのを譲り受けた物である。
フランクさな寅(フランクさな寅ブログ) 地元ですら知る人ぞ知る「広島の寅さん」。TSS「親子笑劇場電太郎一家」(ローカルミニドラマ。既に終了)にドラ猫のドラ役で出演していた。
野口よういち 山田洋次監督公認。
山口智充(「ワンナイR&R」にて)
参考文献
おかしな男 渥美清(小林信彦、新潮文庫)
知られざる渥美清(大下英治、廣済堂文庫)
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』転載。
ま行
ピンクの女王で名を馳せた女優 松井康子
松井 康子(まつい やすこ、1939年10月3日- )は日本の女優。本名同じ。芸名は牧和子(まき かずこ)。
1939年、松井久・宏子の娘として東京府東京市世田谷区に生まれる。
母の宏子は旧唐津藩主子爵小笠原氏第六代当主小笠原長生(小笠原賢之進・元海軍中将・元宮中顧問官・元学習院御用掛)の四女。映画監督の小笠原明峰(長生の長男、本名小笠原長隆)と俳優の小笠原章二郎(長生の次男、本名小笠原長英。当初の芸名は楠英二郎)は伯父。
母方の祖母秀子は元前橋藩主伯爵松平直方の長女。
学習院初等科・学習院女子中等科・学習院女子高等科を経て、1958年4月、学習院大学文学部に入学。
芸能界入り
1958年の秋、通院していたかかりつけの歯科医が松竹の嘱託医であったことが縁で、松竹社長城戸四郎にスカウトされる。大学を中退し松竹に入社。
1959年、内川清一郎監督の映画「パイナップル部隊」でデビュー。当初は大部屋女優で、デビュー作となった同作品でも端役であった。
その後も松竹の脇役女優として活動。1960年には「江戸の顔役」・「流転」、1961年には「背徳のメス」・「風来先生」・1963年には「港に消えたあいつ」等にいずれも脇役として出演した。
ピンク映画の女王
1963年、若松孝二が助監督を務めたテレビドラマに出演した後、若松に国映映画への出演を請われる。同年「牧和子」の芸名を名乗り、若松監督作品「おいろけ作戦 第一部 プレイガール」でピンク映画にデビュー、初主演を果たした。
翌1964年には小川欽也(小川和久)監督の「妾」に「牧和子」名義で出演。同作品は大ヒットとなる。
たて続けに国映映画に出演しヒット作を得て、山本富士子似と言われた純和風の美貌と豊満な肉体が評判になる。一方当時松井は松竹に所属していたことから、五社協定による規制の下、松竹側がこれを問題視。結局松井は松竹を退社した。
以後フリーで活動。国映には「牧和子」名義で、他社作品には松井康子の本名で出演するようになった。
150本以上のピンク映画に出演し、ピンク映画女優のパイオニア的存在となる。「ピンク映画の女王」と称され人気女優となった。
演技力への高い評価
ピンク映画以外の一般作品にも各社をまたにかけて多数出演。迫力ある濃厚な演技で映画ファンを唸らせた。
1968年、今村昌平監督に請われ、同監督作品「神々の深き欲望」に出演。兄と近親相姦する妹役を兄役の三国連太郎とともに熱演し、話題となった。
1970年代に入ると徐々に肥満となり、一時の美貌は失われたものの、一方で体型の変化から存在感を増し、1972年の「鏡の中の野心」等ではその演技力に対して高い評価が与えられるようになった。また自らピンク映画の監督を務めることもあった。
1976年には大島渚監督の日仏合作映画「愛のコリーダ」に「『田川』のおかみ」役で出演。独特の存在感のある演技が海外でも評判となる。
1977年、「肉体の悪魔」では娼婦役を演じた。名演・怪演と称えられ、メイクアップの工夫とともに高い評価を得た。
自然引退
その後はテレビドラマや日活ロマンポルノなどに出演したが、加齢と過度の肥満が重なり、次第に芸能活動を縮小していった。
1980年代以降は公の場に姿を見せることもなくなり、芸能界を自然引退した形となっている。
その他の活動
1966年の秋、東京都墨田区錦糸町にスナックを開店した。
1970年前後にブームとなったボウリングを趣味とし、選手権大会に出場するほどの腕前であった。
ピンク映画監督の小林悟との熱愛も話題となった。
風俗雑誌・お色気雑誌誌上にも多数登場した。
出演作品
映画
パイナップル部隊 1959年 松竹
晴れ姿勢揃い 剣侠五人男 1959年 松竹
江戸の顔役 1960年 松竹
流転 1960年 松竹
背徳のメス 1961年 松竹
風来先生 1961年 松竹
港に消えたあいつ 1963年 松竹
おいろけ作戦 第一部 プレイガール 1963年 国映
妾 1964年 国映
白日夢 1964年 松竹
続・妾 1964年 国映
くノ一化粧 1964年 東映
黒い雪 1965年 日活
源氏物語 1966年 日活
神々の深き欲望 1968年 日活
やくざ渡り鳥 悪党稼業 1969年 日活
夜をひらく 女の市場 1969年 日活
温泉こんにゃく芸者 1970年 東映
色暦大奥秘話 1971年 日活
温泉みみず芸者 1971年 東映
GOOD-BYE 1971年 日活
恐怖女子高校 女暴力教室 1972年 東映
エロ将軍と二十一人の愛妾 1972年 東映
鏡の中の野心 1972年 松竹
やくざと抗争 実録安藤組 1973年 東映
色魔狼 1973年 東映
実録・私設銀座警察 1973年 東映
暴力街 1974年 東映
直撃地獄変 大逆転 1974年 東映
新・団地妻 夫婦交換 1975年 日活
喜劇 特出しヒモ天国 1975年 東映
愛のコリーダ 1976年 東宝東和
キンキンのルンペン大将 1976年 東映
狂った野獣 1976年 東映
はだしのゲン 1976年 共同映画
肉体の悪魔 1977年 日活
若妻日記 悶える 1977年 日活
性と愛のコリーダ 1977年 日活
高校エロトピア 赤い制服 1979年 日活
宇能鴻一郎の濡れて開く 1979年 日活
ほか多数
テレビドラマ
痛快!河内山宗俊 1975年 フジテレビ
本陣殺人事件(横溝正史シリーズ) 1977年 毎日放送
青春の門(第2部第13話) 1978年 毎日放送
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
余談だが、私は昭和47年ごろ半年ばかり松井さんのマネージャーをしたことがある。女優さんと身近に接したのは松井さんだけだ。優しい思いやりのある女性だったと記憶している。
1939年、松井久・宏子の娘として東京府東京市世田谷区に生まれる。
母の宏子は旧唐津藩主子爵小笠原氏第六代当主小笠原長生(小笠原賢之進・元海軍中将・元宮中顧問官・元学習院御用掛)の四女。映画監督の小笠原明峰(長生の長男、本名小笠原長隆)と俳優の小笠原章二郎(長生の次男、本名小笠原長英。当初の芸名は楠英二郎)は伯父。
母方の祖母秀子は元前橋藩主伯爵松平直方の長女。
学習院初等科・学習院女子中等科・学習院女子高等科を経て、1958年4月、学習院大学文学部に入学。
芸能界入り
1958年の秋、通院していたかかりつけの歯科医が松竹の嘱託医であったことが縁で、松竹社長城戸四郎にスカウトされる。大学を中退し松竹に入社。
1959年、内川清一郎監督の映画「パイナップル部隊」でデビュー。当初は大部屋女優で、デビュー作となった同作品でも端役であった。
その後も松竹の脇役女優として活動。1960年には「江戸の顔役」・「流転」、1961年には「背徳のメス」・「風来先生」・1963年には「港に消えたあいつ」等にいずれも脇役として出演した。
ピンク映画の女王
1963年、若松孝二が助監督を務めたテレビドラマに出演した後、若松に国映映画への出演を請われる。同年「牧和子」の芸名を名乗り、若松監督作品「おいろけ作戦 第一部 プレイガール」でピンク映画にデビュー、初主演を果たした。
翌1964年には小川欽也(小川和久)監督の「妾」に「牧和子」名義で出演。同作品は大ヒットとなる。
たて続けに国映映画に出演しヒット作を得て、山本富士子似と言われた純和風の美貌と豊満な肉体が評判になる。一方当時松井は松竹に所属していたことから、五社協定による規制の下、松竹側がこれを問題視。結局松井は松竹を退社した。
以後フリーで活動。国映には「牧和子」名義で、他社作品には松井康子の本名で出演するようになった。
150本以上のピンク映画に出演し、ピンク映画女優のパイオニア的存在となる。「ピンク映画の女王」と称され人気女優となった。
演技力への高い評価
ピンク映画以外の一般作品にも各社をまたにかけて多数出演。迫力ある濃厚な演技で映画ファンを唸らせた。
1968年、今村昌平監督に請われ、同監督作品「神々の深き欲望」に出演。兄と近親相姦する妹役を兄役の三国連太郎とともに熱演し、話題となった。
1970年代に入ると徐々に肥満となり、一時の美貌は失われたものの、一方で体型の変化から存在感を増し、1972年の「鏡の中の野心」等ではその演技力に対して高い評価が与えられるようになった。また自らピンク映画の監督を務めることもあった。
1976年には大島渚監督の日仏合作映画「愛のコリーダ」に「『田川』のおかみ」役で出演。独特の存在感のある演技が海外でも評判となる。
1977年、「肉体の悪魔」では娼婦役を演じた。名演・怪演と称えられ、メイクアップの工夫とともに高い評価を得た。
自然引退
その後はテレビドラマや日活ロマンポルノなどに出演したが、加齢と過度の肥満が重なり、次第に芸能活動を縮小していった。
1980年代以降は公の場に姿を見せることもなくなり、芸能界を自然引退した形となっている。
その他の活動
1966年の秋、東京都墨田区錦糸町にスナックを開店した。
1970年前後にブームとなったボウリングを趣味とし、選手権大会に出場するほどの腕前であった。
ピンク映画監督の小林悟との熱愛も話題となった。
風俗雑誌・お色気雑誌誌上にも多数登場した。
出演作品
映画
パイナップル部隊 1959年 松竹
晴れ姿勢揃い 剣侠五人男 1959年 松竹
江戸の顔役 1960年 松竹
流転 1960年 松竹
背徳のメス 1961年 松竹
風来先生 1961年 松竹
港に消えたあいつ 1963年 松竹
おいろけ作戦 第一部 プレイガール 1963年 国映
妾 1964年 国映
白日夢 1964年 松竹
続・妾 1964年 国映
くノ一化粧 1964年 東映
黒い雪 1965年 日活
源氏物語 1966年 日活
神々の深き欲望 1968年 日活
やくざ渡り鳥 悪党稼業 1969年 日活
夜をひらく 女の市場 1969年 日活
温泉こんにゃく芸者 1970年 東映
色暦大奥秘話 1971年 日活
温泉みみず芸者 1971年 東映
GOOD-BYE 1971年 日活
恐怖女子高校 女暴力教室 1972年 東映
エロ将軍と二十一人の愛妾 1972年 東映
鏡の中の野心 1972年 松竹
やくざと抗争 実録安藤組 1973年 東映
色魔狼 1973年 東映
実録・私設銀座警察 1973年 東映
暴力街 1974年 東映
直撃地獄変 大逆転 1974年 東映
新・団地妻 夫婦交換 1975年 日活
喜劇 特出しヒモ天国 1975年 東映
愛のコリーダ 1976年 東宝東和
キンキンのルンペン大将 1976年 東映
狂った野獣 1976年 東映
はだしのゲン 1976年 共同映画
肉体の悪魔 1977年 日活
若妻日記 悶える 1977年 日活
性と愛のコリーダ 1977年 日活
高校エロトピア 赤い制服 1979年 日活
宇能鴻一郎の濡れて開く 1979年 日活
ほか多数
テレビドラマ
痛快!河内山宗俊 1975年 フジテレビ
本陣殺人事件(横溝正史シリーズ) 1977年 毎日放送
青春の門(第2部第13話) 1978年 毎日放送
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
余談だが、私は昭和47年ごろ半年ばかり松井さんのマネージャーをしたことがある。女優さんと身近に接したのは松井さんだけだ。優しい思いやりのある女性だったと記憶している。
た行
津川雅彦 合コンが大好きな演技派!?
津川 雅彦(つがわ まさひこ、1940年1月2日 - )は、芸能事務所グランパパプロダクションに所属し、同社の代表取締役を務める俳優である。京都市中京区出身。血液型O型。本名は加藤 雅彦(かとう まさひこ)。京都の洛星中学校、早稲田大学高等学院中退。明治大学付属中野高等学校、文化学院短期大学卒業。監督名・マキノ雅彦として『寝ずの番』で映画監督デビュー。
芸能一家に生まれた日本を代表するベテラン俳優の一人で、数多くの映画、テレビに出演。16歳で映画『狂った果実』(1956年)でデビュー(それ以前に5歳の時に映画に出演した経験はある)、美少年俳優として人気を誇った。その後、伸び悩んだ時期もあったが、中年以降は映画『マノン』(1981年)などのニヒルな悪役として注目され、老年に入ると円熟味のある存在感で幅広い役柄をこなしている。
演技派としての活躍には、叔母である沢村貞子から若い時に「雅彦、お前はね、顔がいいんだから芝居は4倍うまくならないと認めてもらえないよ」と、口酸っぱく忠告されたことが影響しているといわれる。
60歳を超えるにも関わらずファッションセンスはピカイチで、穴の開いたジーンズも颯爽と着こなす。そのため若い女性からも人気があり、自身も合コンが大好き。「合コンしないで何をやる!」が口癖。合コン仲間に奥田瑛二、明石家さんま、高橋克典がいる。趣味はメールで、絵文字が大好き。芸能界きっての食通でもある。
一人娘の真由子を溺愛している。そのため、もし彼女に彼氏が出来たとしても、「(娘の彼氏という立場の男を)好きになれるはずがない!」と、断固娘の恋人を拒否し続けている。溺愛の理由には、真由子が1974年に生後5か月で誘拐された経験が一因となっている。
政治に関して非常に保守的な見解を持ち、保守的な会合にも参加している。「みんなで靖国神社に参拝する国民の会」、「首相の靖国神社参拝を求める国民の会」の発起人もつとめる。映画『プライド〜運命の瞬間〜』で東條英機役を演じる際、東條家を訪れて話を聞いた上で役作りに生かした。その演技ぶりは東條の遺族をして「まるで東條英機が生き返った様です」と絶賛された。また東條英機を演じる事を朝日新聞の記者から『A級戦犯を演じる事の是非』を問われた際、「じゃあ君(質問した記者に対して)は如何思うのかね!」と逆に聞き返したとされる(『キネマ旬報』の記事による)
おもちゃ・絵本の全国チェーン・グランパパのオーナーでもある。一方で1988年に、廃線となった北海道の旧国鉄広尾線を「幸福鉄道」としてよみがえらせ、北海道広尾町の町営牧場など約500ヘクタールの土地に100億円をかけ、「夢の王国サンタ愛ランド」を作ろうと計画。英国・スコットランドの古城「ロック・ハート城」を解体し、シベリア鉄道経由で運び込み注目された。だが、資金計画をめぐり町側と対立し、1991年に町から計画受け入れ拒否を通告され計画は頓挫。その後、群馬県沼田市の石材会社サンポウの社長が買収し、1993年に同県高山村で復元、「大理石村 ロックハート城」として有料公開され、結婚式場などにも使われている。
実兄で演技派俳優の長門裕之とはデビュー以来何かと比較されライバル関係が続いていたが、『マノン』の演技で津川が1982年度のブルーリボン賞最優秀助演男優賞を受賞した際に、長門が津川の実力を認め和解して現在に至る。近年は共演が多く、『八代将軍吉宗』『サラリーマン金太郎』『刑事☆イチロー』『相棒』『戦国自衛隊 関ヶ原の戦い』などがある。
また自身の監督作品『寝ずの番』にも長門が出演している。
お笑いタレントの松村邦洋には、『サラリーマン金太郎』の大和会長役でモノマネされている。その際松村はよく首を振るのだが、津川本人は実際あまり首を振らないので、その旨を松村に言ったことがある。ところが、やがて津川本人は松村に「松ちゃんが首振るから僕も今度から首を振ることにしたよ」などと語っていて、本家がモノマネ芸人に合わせるという本末転倒なことになった(このエピソードは松村が雑誌のインタビューで答えていた)。『葵徳川三代』で演じた徳川家康の真似もされている。
ジェームス三木の作品に多く出演している。
現在は、東京フィルムセンタースクールオブアート専門学校で名誉学校長を務めている。
略歴
父は沢村国太郎、母はマキノ智子、実兄に長門裕之を持つ。祖父は牧野省三。叔父に加東大介、叔母に沢村貞子、母方の叔父はマキノ雅弘、叔母は宝塚歌劇団出身の轟夕起子。沖縄アクターズスクール校長マキノ正幸は母方の従弟。妻は、朝丘雪路。娘は真由子(女優)。
1954年までは本名である加藤雅彦として活動。
石原慎太郎が津川と命名。
1964年、松竹から独立。
1966年、渡邊美佐(現・渡辺プロダクション代表取締役会長)と芸能事務所「ぷろだくしょん『道』」の設立に参加。
1973年、女優の朝丘雪路(元宝塚歌劇団月組娘役)と結婚。
1978年、おもちゃ販売会社グランパパを設立し運営。一号店を青山ツインビルにオープンさせる。
2006年、初監督作品『寝ずの番』が公開される。
主な作品
映画
狐の呉れた赤ん坊(1945年、大映)
素浪人罷通る(1947年、大映)
天狗飛脚(1949年、大映)
武蔵と小次郎(1952年、松竹)
獅子の座(1953年、大映)
山椒大夫(1954年、大映)
狂った果実(1956年、日活)
夏の嵐(1956年、日活)
人間魚雷出撃す(1956年、日活)
青春の抗議(1957年、日活)
危険な年齢(1957年、日活)
禁じられた唇(1958年、日活)
明日の太陽(1959年、松竹)
素晴らしき十九才(1959年、松竹)
伊豆の踊子(1960年、松竹)
日本の夜と霧(1960年、松竹)
甘い夜の果て(1961年、松竹)
愛と悲しみと(1962年、松竹)
江戸無情(1963年、大映)
次郎長三国志(1963年、東映)
日本侠客伝(1964年、東映)
昭和残侠伝 唐獅子牡丹(1966年、東映)
氷点(1966年、大映)
昭和残侠伝 血染の唐獅子(1967年、東映)
尼寺(秘)物語(1968年、東映)
日本残侠伝(1969年、日活)
悪名一番勝負(1969年、大映)
玄海遊侠伝 破れかぶれ(1970年、大映)
男一匹ガキ大将(1971年、ダイニチ映配)
男はつらいよ 私の寅さん(1973年、松竹)
山口組外伝 九州進攻作戦(1974年、東映)
直撃! 地獄拳(1974年、東映)
どてらい男(1975年、東宝)
春琴抄(1976年、東宝)
天使を誘惑(1979年、東宝)
マノン(1981年、東宝)
ザ・レイプ(1982年、東映)
時代屋の女房(1983年、松竹)
迷走地図(1983年、松竹)
お葬式(1984年、ATG)
化身(1985年、東映)
別れぬ理由(1986年、東映)
マルサの女(1987年、東宝)
あげまん(1990年、東宝)
極道の妻たち 最後の戦い(1990年、東映)
天と地と(1990年、東映) - 武田信玄役
墨東綺譚(1992年、ATG) - 永井荷風役
大病人(1993年、東宝)
忠臣蔵外伝 四谷怪談(1994年、松竹) - 大石内蔵助役
必殺! 主水死す(1996年、松竹) - 権の四郎役
スーパーの女(1996年、東宝)
マルタイの女(1997年、東宝)
プライド・運命の瞬間(1998年、東映) - 東條英機役
ガメラ3 邪神覚醒(1999年、大映)
ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃(2001年、東宝)
ムルデカ 17805(2001年、東宝)
ミラーを拭く男(2004年、パル企画)
THE 有頂天ホテル(2006年、東宝)
デスノート(2006年) - 佐伯警察庁長官 役
デスノート the Last name(2006年) - 佐伯警察庁長官 役
愛の流刑地(2007年1月13日、鶴橋康夫監督)
蒼き狼 〜地果て海尽きるまで〜(2007年3月3日、澤井信一郎監督)
ドラマ
息子の縁談(1958年、日本テレビ)
君の名は(1962年 - 1963年、フジテレビ)
うず潮(1964年 - 1965年、NHK) - 大杉光平役
おはなはん(1966年−1967年、NHK) - 速水謙一郎役
竜馬がゆく(1968年、NHK大河ドラマ) - 久坂玄瑞役
大奥(1968年 - 1969年、関西テレビ) - 徳川家綱役
ザ・ガードマン(1971年、TBS)
冬物語(1972年、日本テレビ)
シークレット部隊(1972年、TBS) - 赤城チェックマン役
非情のライセンス(1973年、NET) 第25話「兇悪の書斎」
事件狩り(1974年、TBS) 第4話「夜明けのさよなら」
勝海舟(1974年、NHK大河ドラマ) - 徳川慶喜役
放浪家族(1975年、毎日放送) - 井汲克彦役
新・座頭市(1976年、フジテレビ) 第3話「瀬来の別れ花」
いちばん星(1977年4月-10月、NHK) - 中山晋平役
新・二人の事件簿 暁に駆ける! (1977年、朝日放送) 第32話「したたかな闘い」
岸辺のアルバム(1977年、TBS)
黄金の日日(1978年、NHK大河ドラマ) - 津田宗及役
本日も晴天なり(1981年10月〜1982年4月、NHK) - 桂木宗俊役
野々村病院物語(1981年、TBS) - 久米丈二役
野々村病院物語II(1982年、TBS) - 木井省三役
徳川家康(1983年、NHK大河ドラマ) - 大久保長安役
大奥(1983年 - 1984年、関西テレビ) - 徳川綱吉役
宮本武蔵(1984年、NHK水曜時代劇) - 沢庵役
澪つくし(1985年4月-10月、NHK) - 坂東久兵衛役
必殺橋掛人(1985年、朝日放送「必殺シリーズ」) - 柳次役
独眼竜政宗(1987年、NHK大河ドラマ) - 徳川家康役
五稜郭(1988年、日本テレビ) - 勝海舟役
空と海をこえて(1989年、TBS) - 桂木誠役
奇兵隊(1989年、日本テレビ)
勝海舟(1990年、日本テレビ) - 徳川慶喜役
源義経(1990年、TBS)
徳川武芸帳 柳生三代の剣(1992年、テレビ東京) - 徳川家康役
本多の狐 徳川家康の秘宝(1992年、朝日放送)
伊達政宗(1993年、テレビ朝日)
憎しみに微笑んで(1993年、TBS)
織田信長(1994年、テレビ東京)
大忠臣蔵(1994年、TBS)
夢見る頃を過ぎても(1994年、TBS)
八代将軍吉宗(1995年、NHK大河ドラマ) - 徳川綱吉役
元禄太平記(1995年、テレビ朝日)
炎の奉行 大岡越前守(1996年、テレビ東京) - 柳沢吉保役
憲法はまだか(1996年、NHK) - 松本烝治役
メロディ(1997年、TBS)
編笠十兵衛(1997年、テレビ東京)
家康が最も恐れた男 真田幸村(1998年、テレビ東京) - 徳川家康役
世界で一番パパが好き(1998年、フジテレビ) - 根岸義彦役
サラリーマン金太郎(1999年、TBS)
古畑任三郎(1999年、フジテレビ) - 安斎亨役
葵徳川三代(2000年、NHK大河ドラマ) - 徳川家康役
合い言葉は勇気(2000年、フジテレビ) - 網干頼母役
こちら第三社会部(2001年、TBS)
忠臣蔵1/47(2001年、フジテレビ) - 吉良上野介役
壬生義士伝〜新撰組で一番強かった男(2002年、テレビ東京) - 八木源之丞役
武蔵 MUSASHI(2003年、NHK大河ドラマ) - 本阿弥光悦役
刑事☆イチロー(2003年、TBS)
エ・アロール(2003年、TBS)
黒革の手帳(2003年、テレビ朝日) - 長谷川庄司役
離婚弁護士(2004年、フジテレビ) - 井上紀三郎役
忠臣蔵(2004年、テレビ朝日) - 徳川綱吉役
最後の忠臣蔵(2004年、NHK) - 天川屋儀兵衛役
世にも奇妙な物語「地獄は満員」(2004年、フジテレビ)
古畑任三郎 すべて閣下の仕業(2004年、フジテレビ) - 若松医師役
離婚弁護士II〜ハンサムウーマン〜(2005年、フジテレビ) - 井上紀三郎役
相棒(2005年、テレビ朝日) - 瀬戸内米蔵役
幸せになりたい!(2005年、TBS) - 熊野雄太郎役
功名が辻〜山内一豊の妻〜(2006年、NHK大河ドラマ) - 不破市之丞役
戦国自衛隊 関が原の戦い(2006年、中京テレビ) - 徳川家康役
医龍(2006年、フジテレビ)
奇跡の動物園〜旭山動物園物語〜(2006年5月13日、フジテレビ) - 小野勇夫園長役
波の塔(2006年、TBS) ※1960年の映画版にも出演
忠臣蔵 瑤泉院の陰謀(2007年、テレビ東京) - 徳川綱吉役
華麗なる一族(2007年、TBS) - 永田大蔵大臣役
真夜中のマーチ (2007年、WOWOW)
セレンディップの奇跡(2007年、日本テレビ)
病院のチカラ〜星空ホスピタル〜(2007年4〜5月、NHK) - 堀田雄一院長役
奇跡の動物園2007〜旭山動物園物語〜(2007年5月11日、フジテレビ) - 小野勇夫園長役
警視庁捜査一課9係(2007年、テレビ朝日) 第2シリーズ 第6話「警視総監の秘密」 - 北田丈晴警視総監役
警視庁捜査ファイル さくら署の女たち(2007年、テレビ朝日) 第1話「殺人刑事」 - 高峰役
監督作品
映画監督マキノ雅弘の甥である津川は、マキノ雅彦名義で映画監督として活動している。
寝ずの番(2006年、光和インターナショナル / 松竹)
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
芸能一家に生まれた日本を代表するベテラン俳優の一人で、数多くの映画、テレビに出演。16歳で映画『狂った果実』(1956年)でデビュー(それ以前に5歳の時に映画に出演した経験はある)、美少年俳優として人気を誇った。その後、伸び悩んだ時期もあったが、中年以降は映画『マノン』(1981年)などのニヒルな悪役として注目され、老年に入ると円熟味のある存在感で幅広い役柄をこなしている。
演技派としての活躍には、叔母である沢村貞子から若い時に「雅彦、お前はね、顔がいいんだから芝居は4倍うまくならないと認めてもらえないよ」と、口酸っぱく忠告されたことが影響しているといわれる。
60歳を超えるにも関わらずファッションセンスはピカイチで、穴の開いたジーンズも颯爽と着こなす。そのため若い女性からも人気があり、自身も合コンが大好き。「合コンしないで何をやる!」が口癖。合コン仲間に奥田瑛二、明石家さんま、高橋克典がいる。趣味はメールで、絵文字が大好き。芸能界きっての食通でもある。
一人娘の真由子を溺愛している。そのため、もし彼女に彼氏が出来たとしても、「(娘の彼氏という立場の男を)好きになれるはずがない!」と、断固娘の恋人を拒否し続けている。溺愛の理由には、真由子が1974年に生後5か月で誘拐された経験が一因となっている。
政治に関して非常に保守的な見解を持ち、保守的な会合にも参加している。「みんなで靖国神社に参拝する国民の会」、「首相の靖国神社参拝を求める国民の会」の発起人もつとめる。映画『プライド〜運命の瞬間〜』で東條英機役を演じる際、東條家を訪れて話を聞いた上で役作りに生かした。その演技ぶりは東條の遺族をして「まるで東條英機が生き返った様です」と絶賛された。また東條英機を演じる事を朝日新聞の記者から『A級戦犯を演じる事の是非』を問われた際、「じゃあ君(質問した記者に対して)は如何思うのかね!」と逆に聞き返したとされる(『キネマ旬報』の記事による)
おもちゃ・絵本の全国チェーン・グランパパのオーナーでもある。一方で1988年に、廃線となった北海道の旧国鉄広尾線を「幸福鉄道」としてよみがえらせ、北海道広尾町の町営牧場など約500ヘクタールの土地に100億円をかけ、「夢の王国サンタ愛ランド」を作ろうと計画。英国・スコットランドの古城「ロック・ハート城」を解体し、シベリア鉄道経由で運び込み注目された。だが、資金計画をめぐり町側と対立し、1991年に町から計画受け入れ拒否を通告され計画は頓挫。その後、群馬県沼田市の石材会社サンポウの社長が買収し、1993年に同県高山村で復元、「大理石村 ロックハート城」として有料公開され、結婚式場などにも使われている。
実兄で演技派俳優の長門裕之とはデビュー以来何かと比較されライバル関係が続いていたが、『マノン』の演技で津川が1982年度のブルーリボン賞最優秀助演男優賞を受賞した際に、長門が津川の実力を認め和解して現在に至る。近年は共演が多く、『八代将軍吉宗』『サラリーマン金太郎』『刑事☆イチロー』『相棒』『戦国自衛隊 関ヶ原の戦い』などがある。
また自身の監督作品『寝ずの番』にも長門が出演している。
お笑いタレントの松村邦洋には、『サラリーマン金太郎』の大和会長役でモノマネされている。その際松村はよく首を振るのだが、津川本人は実際あまり首を振らないので、その旨を松村に言ったことがある。ところが、やがて津川本人は松村に「松ちゃんが首振るから僕も今度から首を振ることにしたよ」などと語っていて、本家がモノマネ芸人に合わせるという本末転倒なことになった(このエピソードは松村が雑誌のインタビューで答えていた)。『葵徳川三代』で演じた徳川家康の真似もされている。
ジェームス三木の作品に多く出演している。
現在は、東京フィルムセンタースクールオブアート専門学校で名誉学校長を務めている。
略歴
父は沢村国太郎、母はマキノ智子、実兄に長門裕之を持つ。祖父は牧野省三。叔父に加東大介、叔母に沢村貞子、母方の叔父はマキノ雅弘、叔母は宝塚歌劇団出身の轟夕起子。沖縄アクターズスクール校長マキノ正幸は母方の従弟。妻は、朝丘雪路。娘は真由子(女優)。
1954年までは本名である加藤雅彦として活動。
石原慎太郎が津川と命名。
1964年、松竹から独立。
1966年、渡邊美佐(現・渡辺プロダクション代表取締役会長)と芸能事務所「ぷろだくしょん『道』」の設立に参加。
1973年、女優の朝丘雪路(元宝塚歌劇団月組娘役)と結婚。
1978年、おもちゃ販売会社グランパパを設立し運営。一号店を青山ツインビルにオープンさせる。
2006年、初監督作品『寝ずの番』が公開される。
主な作品
映画
狐の呉れた赤ん坊(1945年、大映)
素浪人罷通る(1947年、大映)
天狗飛脚(1949年、大映)
武蔵と小次郎(1952年、松竹)
獅子の座(1953年、大映)
山椒大夫(1954年、大映)
狂った果実(1956年、日活)
夏の嵐(1956年、日活)
人間魚雷出撃す(1956年、日活)
青春の抗議(1957年、日活)
危険な年齢(1957年、日活)
禁じられた唇(1958年、日活)
明日の太陽(1959年、松竹)
素晴らしき十九才(1959年、松竹)
伊豆の踊子(1960年、松竹)
日本の夜と霧(1960年、松竹)
甘い夜の果て(1961年、松竹)
愛と悲しみと(1962年、松竹)
江戸無情(1963年、大映)
次郎長三国志(1963年、東映)
日本侠客伝(1964年、東映)
昭和残侠伝 唐獅子牡丹(1966年、東映)
氷点(1966年、大映)
昭和残侠伝 血染の唐獅子(1967年、東映)
尼寺(秘)物語(1968年、東映)
日本残侠伝(1969年、日活)
悪名一番勝負(1969年、大映)
玄海遊侠伝 破れかぶれ(1970年、大映)
男一匹ガキ大将(1971年、ダイニチ映配)
男はつらいよ 私の寅さん(1973年、松竹)
山口組外伝 九州進攻作戦(1974年、東映)
直撃! 地獄拳(1974年、東映)
どてらい男(1975年、東宝)
春琴抄(1976年、東宝)
天使を誘惑(1979年、東宝)
マノン(1981年、東宝)
ザ・レイプ(1982年、東映)
時代屋の女房(1983年、松竹)
迷走地図(1983年、松竹)
お葬式(1984年、ATG)
化身(1985年、東映)
別れぬ理由(1986年、東映)
マルサの女(1987年、東宝)
あげまん(1990年、東宝)
極道の妻たち 最後の戦い(1990年、東映)
天と地と(1990年、東映) - 武田信玄役
墨東綺譚(1992年、ATG) - 永井荷風役
大病人(1993年、東宝)
忠臣蔵外伝 四谷怪談(1994年、松竹) - 大石内蔵助役
必殺! 主水死す(1996年、松竹) - 権の四郎役
スーパーの女(1996年、東宝)
マルタイの女(1997年、東宝)
プライド・運命の瞬間(1998年、東映) - 東條英機役
ガメラ3 邪神覚醒(1999年、大映)
ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃(2001年、東宝)
ムルデカ 17805(2001年、東宝)
ミラーを拭く男(2004年、パル企画)
THE 有頂天ホテル(2006年、東宝)
デスノート(2006年) - 佐伯警察庁長官 役
デスノート the Last name(2006年) - 佐伯警察庁長官 役
愛の流刑地(2007年1月13日、鶴橋康夫監督)
蒼き狼 〜地果て海尽きるまで〜(2007年3月3日、澤井信一郎監督)
ドラマ
息子の縁談(1958年、日本テレビ)
君の名は(1962年 - 1963年、フジテレビ)
うず潮(1964年 - 1965年、NHK) - 大杉光平役
おはなはん(1966年−1967年、NHK) - 速水謙一郎役
竜馬がゆく(1968年、NHK大河ドラマ) - 久坂玄瑞役
大奥(1968年 - 1969年、関西テレビ) - 徳川家綱役
ザ・ガードマン(1971年、TBS)
冬物語(1972年、日本テレビ)
シークレット部隊(1972年、TBS) - 赤城チェックマン役
非情のライセンス(1973年、NET) 第25話「兇悪の書斎」
事件狩り(1974年、TBS) 第4話「夜明けのさよなら」
勝海舟(1974年、NHK大河ドラマ) - 徳川慶喜役
放浪家族(1975年、毎日放送) - 井汲克彦役
新・座頭市(1976年、フジテレビ) 第3話「瀬来の別れ花」
いちばん星(1977年4月-10月、NHK) - 中山晋平役
新・二人の事件簿 暁に駆ける! (1977年、朝日放送) 第32話「したたかな闘い」
岸辺のアルバム(1977年、TBS)
黄金の日日(1978年、NHK大河ドラマ) - 津田宗及役
本日も晴天なり(1981年10月〜1982年4月、NHK) - 桂木宗俊役
野々村病院物語(1981年、TBS) - 久米丈二役
野々村病院物語II(1982年、TBS) - 木井省三役
徳川家康(1983年、NHK大河ドラマ) - 大久保長安役
大奥(1983年 - 1984年、関西テレビ) - 徳川綱吉役
宮本武蔵(1984年、NHK水曜時代劇) - 沢庵役
澪つくし(1985年4月-10月、NHK) - 坂東久兵衛役
必殺橋掛人(1985年、朝日放送「必殺シリーズ」) - 柳次役
独眼竜政宗(1987年、NHK大河ドラマ) - 徳川家康役
五稜郭(1988年、日本テレビ) - 勝海舟役
空と海をこえて(1989年、TBS) - 桂木誠役
奇兵隊(1989年、日本テレビ)
勝海舟(1990年、日本テレビ) - 徳川慶喜役
源義経(1990年、TBS)
徳川武芸帳 柳生三代の剣(1992年、テレビ東京) - 徳川家康役
本多の狐 徳川家康の秘宝(1992年、朝日放送)
伊達政宗(1993年、テレビ朝日)
憎しみに微笑んで(1993年、TBS)
織田信長(1994年、テレビ東京)
大忠臣蔵(1994年、TBS)
夢見る頃を過ぎても(1994年、TBS)
八代将軍吉宗(1995年、NHK大河ドラマ) - 徳川綱吉役
元禄太平記(1995年、テレビ朝日)
炎の奉行 大岡越前守(1996年、テレビ東京) - 柳沢吉保役
憲法はまだか(1996年、NHK) - 松本烝治役
メロディ(1997年、TBS)
編笠十兵衛(1997年、テレビ東京)
家康が最も恐れた男 真田幸村(1998年、テレビ東京) - 徳川家康役
世界で一番パパが好き(1998年、フジテレビ) - 根岸義彦役
サラリーマン金太郎(1999年、TBS)
古畑任三郎(1999年、フジテレビ) - 安斎亨役
葵徳川三代(2000年、NHK大河ドラマ) - 徳川家康役
合い言葉は勇気(2000年、フジテレビ) - 網干頼母役
こちら第三社会部(2001年、TBS)
忠臣蔵1/47(2001年、フジテレビ) - 吉良上野介役
壬生義士伝〜新撰組で一番強かった男(2002年、テレビ東京) - 八木源之丞役
武蔵 MUSASHI(2003年、NHK大河ドラマ) - 本阿弥光悦役
刑事☆イチロー(2003年、TBS)
エ・アロール(2003年、TBS)
黒革の手帳(2003年、テレビ朝日) - 長谷川庄司役
離婚弁護士(2004年、フジテレビ) - 井上紀三郎役
忠臣蔵(2004年、テレビ朝日) - 徳川綱吉役
最後の忠臣蔵(2004年、NHK) - 天川屋儀兵衛役
世にも奇妙な物語「地獄は満員」(2004年、フジテレビ)
古畑任三郎 すべて閣下の仕業(2004年、フジテレビ) - 若松医師役
離婚弁護士II〜ハンサムウーマン〜(2005年、フジテレビ) - 井上紀三郎役
相棒(2005年、テレビ朝日) - 瀬戸内米蔵役
幸せになりたい!(2005年、TBS) - 熊野雄太郎役
功名が辻〜山内一豊の妻〜(2006年、NHK大河ドラマ) - 不破市之丞役
戦国自衛隊 関が原の戦い(2006年、中京テレビ) - 徳川家康役
医龍(2006年、フジテレビ)
奇跡の動物園〜旭山動物園物語〜(2006年5月13日、フジテレビ) - 小野勇夫園長役
波の塔(2006年、TBS) ※1960年の映画版にも出演
忠臣蔵 瑤泉院の陰謀(2007年、テレビ東京) - 徳川綱吉役
華麗なる一族(2007年、TBS) - 永田大蔵大臣役
真夜中のマーチ (2007年、WOWOW)
セレンディップの奇跡(2007年、日本テレビ)
病院のチカラ〜星空ホスピタル〜(2007年4〜5月、NHK) - 堀田雄一院長役
奇跡の動物園2007〜旭山動物園物語〜(2007年5月11日、フジテレビ) - 小野勇夫園長役
警視庁捜査一課9係(2007年、テレビ朝日) 第2シリーズ 第6話「警視総監の秘密」 - 北田丈晴警視総監役
警視庁捜査ファイル さくら署の女たち(2007年、テレビ朝日) 第1話「殺人刑事」 - 高峰役
監督作品
映画監督マキノ雅弘の甥である津川は、マキノ雅彦名義で映画監督として活動している。
寝ずの番(2006年、光和インターナショナル / 松竹)
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
ま行
存在感のある女優 松尾嘉代
松尾 嘉代(まつお かよ、1943年3月17日 - )は東京都出身の女優。
出演作品
映画
にあんちゃん(1959)
青い山脈(1963)
肉体の門(1964)
潮騒(1964)
けんかえれじい(1966)
眠狂四郎悪女狩り(1969)
子連れ狼 三途の川の乳母車 (1972/三隅研次監督、明石柳生の女当主・柳生鞘香)
必殺仕掛人 梅安蟻地獄(1973)
その後の仁義なき戦い(1979)
日本の黒幕(1979)
二百三高地(1980)
地震列島(1980)
夏の秘密(1982)
鍵(1983)
幻想のParis(1992)
釣りバカ日誌スペシャル(1994)
鍵〈デレクターズ・カット完全版〉(1997)
テレビ
東芝日曜劇場 - 多数出演
君は心の妻だから(1969年、朝日放送)
兄貴の恋人(1970年、フジテレビ)
お嫁にいきたい(1970年、フジテレビ)
パパと呼ばないで(1972年、日本テレビ)
ジキルとハイド(1973年、東宝・フジテレビ)
大盗賊(1974年、フジテレビ)
赤い激流(1977年、TBS)
横溝正史シリーズ2 八つ墓村(1978年、角川春樹事務所・毎日放送)
赤い激突(1978年、TBS)
柳生一族の陰謀(1979年、フジテレビ)
新・座頭市 第3シリーズ(1979年、フジテレビ) - 5話「ふたおもて蝶の道行」
警視-K(1980年、日本テレビ)
新五捕物帳(1981年 日本テレビ) - 第137話「恋心炎の舞い」 おたき役
眠狂四郎円月殺法(1982年、テレビ東京)
ひと夏の復讐(1983年、TBS)
三匹が斬る!(1987年、テレビ朝日)
イキのいい奴(1987年、NHK)
はぐれ刑事純情派(1988年、テレビ朝日)第1シリーズ第1回目出演
続・イキのいい奴(1988年、NHK)
土曜ワイド劇場 密会の宿シリーズ
火曜スーパーワイド 『三毛猫ホームズの結婚披露宴』(1989年、テレビ朝日)
火曜サスペンス劇場 『六月の花嫁1 殺人ダイアリー』(1989年6月6日、日本テレビ)
火曜ミステリー劇場 『切り裂かれた花嫁衣裳』(1991年4月30日、テレビ朝日)
その他
写真集
黄金郷(1991)
陽炎(1991)
SENSUAL(1992)
プロモーション・ビデオ
待ちかねて(1991)
SENSUAL官能の幻(1992)
焔のように(オムニバスビデオ)
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
出演作品
映画
にあんちゃん(1959)
青い山脈(1963)
肉体の門(1964)
潮騒(1964)
けんかえれじい(1966)
眠狂四郎悪女狩り(1969)
子連れ狼 三途の川の乳母車 (1972/三隅研次監督、明石柳生の女当主・柳生鞘香)
必殺仕掛人 梅安蟻地獄(1973)
その後の仁義なき戦い(1979)
日本の黒幕(1979)
二百三高地(1980)
地震列島(1980)
夏の秘密(1982)
鍵(1983)
幻想のParis(1992)
釣りバカ日誌スペシャル(1994)
鍵〈デレクターズ・カット完全版〉(1997)
テレビ
東芝日曜劇場 - 多数出演
君は心の妻だから(1969年、朝日放送)
兄貴の恋人(1970年、フジテレビ)
お嫁にいきたい(1970年、フジテレビ)
パパと呼ばないで(1972年、日本テレビ)
ジキルとハイド(1973年、東宝・フジテレビ)
大盗賊(1974年、フジテレビ)
赤い激流(1977年、TBS)
横溝正史シリーズ2 八つ墓村(1978年、角川春樹事務所・毎日放送)
赤い激突(1978年、TBS)
柳生一族の陰謀(1979年、フジテレビ)
新・座頭市 第3シリーズ(1979年、フジテレビ) - 5話「ふたおもて蝶の道行」
警視-K(1980年、日本テレビ)
新五捕物帳(1981年 日本テレビ) - 第137話「恋心炎の舞い」 おたき役
眠狂四郎円月殺法(1982年、テレビ東京)
ひと夏の復讐(1983年、TBS)
三匹が斬る!(1987年、テレビ朝日)
イキのいい奴(1987年、NHK)
はぐれ刑事純情派(1988年、テレビ朝日)第1シリーズ第1回目出演
続・イキのいい奴(1988年、NHK)
土曜ワイド劇場 密会の宿シリーズ
火曜スーパーワイド 『三毛猫ホームズの結婚披露宴』(1989年、テレビ朝日)
火曜サスペンス劇場 『六月の花嫁1 殺人ダイアリー』(1989年6月6日、日本テレビ)
火曜ミステリー劇場 『切り裂かれた花嫁衣裳』(1991年4月30日、テレビ朝日)
その他
写真集
黄金郷(1991)
陽炎(1991)
SENSUAL(1992)
プロモーション・ビデオ
待ちかねて(1991)
SENSUAL官能の幻(1992)
焔のように(オムニバスビデオ)
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
な行
アキオちゃんの愛称でスタッフに親しまれた長門裕之
長門 裕之(ながと ひろゆき、1934年1月10日 - )は、日本の俳優。本名は加藤 晃夫 (かとう あきお)。京都府京都市中京区生まれ。
日本を代表するベテラン俳優の一人。戦後、映画製作を再開した日活に入社。『太陽の季節』、『狂った果実』などの太陽族映画に主演し、デビュー間もない石原裕次郎と共演したほか、今村昌平監督とコンビを組み、印象深い演技を残した。1962年に日活を退社してフリーとなり、各社の映画に出演するほか、テレビにも進出。大映テレビ作品や2時間ドラマなどに出演。
花園高等学校卒業から立命館大学文学部中退。妻は女優の南田洋子、実弟は俳優の津川雅彦、父は沢村国太郎、母はマキノ智子である。叔父に加東大介、叔母に沢村貞子、祖父には「日本映画の父」と呼ばれる牧野省三、狂言作者の竹芝伝蔵、姪に女優の真由子をもつという芸能一家。沖縄アクターズスクール校長マキノ正幸は母方のいとこ。
吉田義男(元阪神タイガース監督)は大学の同期。
麻雀に深い造詣を持ち、自宅に雀荘部屋を持っているほど。このことから長門邸は一時「芸能界の雀荘」の異名をとったこともある。
現在は、「リタイアした南田洋子の分まで(南田の医療費を稼ぐため、という話もある)」と今まで以上、精力的に活動を行っている。
弟の津川とは、近年競演がとみに多い。
略歴
第二次大戦前の少年期から名子役として広く知られた。1950年代には青春スターとして主演映画が多数作られ人気を博したが、実弟の津川雅彦や後輩の石原裕次郎らに人気を奪われる形になった。以降は脇役が多くなるが、演技力を活かした重要な役所が多く、中年期に入って以降も映画やテレビで名優として活躍していた。
1976年から南田洋子と夫婦二人でKBS京都が主催する交通遺児支援のチャリティー番組「かたつむり大作戦」のキャンペーンパーソナリティーとして出演を続けていた。ただし2005年で同大会は終了した。
1985年に『洋子へ』(データ・ハウス)を出版。妻である南田洋子への告白という形で、自身の奔放な女性関係などを実名で赤裸々に記し、いわゆる暴露本として世を騒がせた。これに対し実名を書かれた女優などが強く反発。長門(データハウス)側は初版を回収し、問題箇所を書き直した版が再度出されたと言われる。長門は「ゴーストライターによる口述筆記だったため真意が伝わらなかった」などと弁明したが、この騒動が以後の長門の芸能活動に大きな悪影響を及ぼしたと見る者も多い。
ワイドショーの取材を受け、長門が「こんな本はダメです!」と自著を机に叩き付ける場面がテレビで放送されたりもした。この件を機に一時期干されるがその後復活し、70歳を過ぎた今でも脇役やゲスト出演が多いとはいえ現役で活躍中である。
同郷出身の近藤正臣が永らく出演していた金鳥の蚊取りマット(リキッド含む)のCMで、一度だけ「ニセたぬき」として出演。CM中では本物(?)たぬきの近藤から追いかけられた。
同い年の愛川欽也、大橋巨泉、財津一郎、藤村俊二らと「昭和九年会」を結成している。
ちなみに、サザンオールスターズの桑田佳祐は長門の若い頃に顔が似ており、昔は桑田本人もそれをネタにしていた。
弟の雅彦と同様、関西が舞台のテレビ・映画・舞台作品では、関西弁で演じている。
「笑って許して!!」(日テレ)に第1期の回答者としてレギュラー出演していた時に、マッハ文朱がゲスト解答者として出演し順調に正解を重ねてパーフェクト(全問正解)を狙っていたが、長門が第5問を正解してそれを阻止したため、マッハを号泣させてしまった。阻止した時点で長門以外の解答者、そして観客、更には司会の所とうつみから長門に非難の声が相次いだ。長門は「ごめん!当たっちゃたんだよ!」と詫びた。しかしマッハは第6問を正解してトップ賞(5問正解)を獲得し、この出来事は番組史上最大の出来事となった。
出演
横堀川(1966年・NHK)吾平役
天と地と(1969年・NHK大河ドラマ)
赤い疑惑(1975年 - 1976年・TBS系ドラマ)
赤い衝撃(1976年 - 1977年・TBS系ドラマ)
おていちゃん(1978年・NHK連続テレビ小説) 大沢伝太郎(ヒロインの父)役 - ヒロインは叔母の沢村貞子がモデルであるため、自らの祖父に当たる役であった
虹を織る(1980年・NHK朝の連続テレビ小説) 島崎賢次郎(ヒロインのおじ)役
徳川家康(1983年・NHK大河ドラマ) 本多重次役
八代将軍吉宗(1995年・NHK大河ドラマ) 徳川光圀役。徳川綱吉役の実弟・津川雅彦と共演
太陽にほえろ!では、ボス(石原裕次郎)が病気療養を終えて復帰した際、犯人役としてゲスト出演した
特捜最前線(テレビ朝日系ドラマ) 蒲生警視役
私鉄沿線97分署(テレビ朝日系ドラマ) 滝村捜査課長役
少女に何が起ったか(1985年・TBS系ドラマ)音楽大学の主任教授・東役
スケバン刑事シリーズ(1985年:フジテレビ系ドラマ) 暗闇指令役
パート1は前半は一話完結、後半は続き物という体裁であり前半は声とシルエットだけの出演、エンディングでのキャスト紹介で大きく「?」とされていた。後半の途中で顔が出て以降は名前がクレジットされた。なおパート2は暗闇指令が主人公サキを裏切るハードな展開で、最終回で正義を取り戻すシーンがシリーズを通して唯一決戦場に自ら足を運んだ、最大の見せ場となった。「?」の表記されていた時、当時見ていた方の大半は声と口調から長門とピンと来た方も多かった。
スチュワーデス物語(1983年・TBS系ドラマ) 主人公の継父・松本役
池中玄太80キロシリーズ(日本テレビ系ドラマ) 楠木役
プロゴルファー祈子(フジテレビ系ドラマ)丸元賢三役
八百八町夢日記(1989年・日本テレビ系ドラマ)観音寺伝蔵役
珠玉の女(1992年10月〜1993年3月、よみうりテレビ・VSO)
相棒(テレビ朝日系ドラマ) 北条晴臣(閣下)役(実弟・津川雅彦と共演)
サラリーマン金太郎3(2002年・TBS系ドラマ) 総会屋・大須賀義助役(実弟・津川雅彦と共演、劇中で対立する役柄が話題に)
月曜ミステリー「陰の季節5 事故」(2003年3月17日、TBS)
菊次郎とさき(2003年・テレビ朝日系ドラマ)
『戦国自衛隊 関ヶ原の戦い』(CTV、2006年) 本多正信役(実弟・津川雅彦と共演)
報道特別ドラマスペシャル『生と死を分けた理由…アース・クエイク 平成18年春・東京大震災』(日本テレビ系、2006年4月3日放送)
鬼平犯科帳(フジテレビ系ドラマ)相模の彦十役
どんど晴れ(2007年・NHK連続テレビ小説)
篤姫 (2008年NHK大河ドラマ)
映画
無法松の一生(1943年)当時の芸名は沢村アキヲ
狐の呉れた赤ん坊(1945年)7歳の善太役 当時の芸名は沢村アキヒコ
太陽の季節(1956年)石原裕次郎のデビュー作として有名だが、主演は長門裕之
にあんちゃん(1959年)安本喜一役
当たりや大将(1962年)主人公の大将役
拝啓天皇陛下様(1963年)棟田博役&ナレーション
ガラスのうさぎ(1979年)主人公の父役
スケバン刑事(1987年)暗闇指令役
スケバン刑事 風間三姉妹の逆襲(1988年)暗闇指令役
226(1989年)木戸幸一役
将軍家光の乱心 激突 (1989年)(多賀谷六兵衛役)
女帝 春日局(1990年)本多正信役
遠き落日(1992年)北里柴三郎役
シベリア超特急2(2000年)
しの(2003年)
寝ずの番(2006年)笑満亭橋鶴役(監督は実弟のマキノ雅彦こと津川雅彦)
スケバン刑事 コードネーム=麻宮サキ(2006年)暗闇警視役
舞台
積木くずし1984年〈貝谷隆一役〉
バラエティ、その他
スター千一夜(フジテレビ系)実弟・津川雅彦と共演。
ミュージックフェア(フジテレビ系)3代目司会者。南田洋子と夫婦で司会
とんねるずのみなさんのおかげです(フジテレビ系)コント「近未来警察072」松本三郎隊長役
くるみ割り人形(サンリオ製作)(文学博士)
いい旅夢気分(テレビ東京系)実弟・津川雅彦と共演。故郷の京都市内を旅した。
主な受賞歴
1959(昭和34)年度ブルーリボン主演男優賞ホワイトブロンズ男優賞「にあんちゃん」
1963(昭和38)年度毎日映画コンクール助演男優賞「古都」
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
日本を代表するベテラン俳優の一人。戦後、映画製作を再開した日活に入社。『太陽の季節』、『狂った果実』などの太陽族映画に主演し、デビュー間もない石原裕次郎と共演したほか、今村昌平監督とコンビを組み、印象深い演技を残した。1962年に日活を退社してフリーとなり、各社の映画に出演するほか、テレビにも進出。大映テレビ作品や2時間ドラマなどに出演。
花園高等学校卒業から立命館大学文学部中退。妻は女優の南田洋子、実弟は俳優の津川雅彦、父は沢村国太郎、母はマキノ智子である。叔父に加東大介、叔母に沢村貞子、祖父には「日本映画の父」と呼ばれる牧野省三、狂言作者の竹芝伝蔵、姪に女優の真由子をもつという芸能一家。沖縄アクターズスクール校長マキノ正幸は母方のいとこ。
吉田義男(元阪神タイガース監督)は大学の同期。
麻雀に深い造詣を持ち、自宅に雀荘部屋を持っているほど。このことから長門邸は一時「芸能界の雀荘」の異名をとったこともある。
現在は、「リタイアした南田洋子の分まで(南田の医療費を稼ぐため、という話もある)」と今まで以上、精力的に活動を行っている。
弟の津川とは、近年競演がとみに多い。
略歴
第二次大戦前の少年期から名子役として広く知られた。1950年代には青春スターとして主演映画が多数作られ人気を博したが、実弟の津川雅彦や後輩の石原裕次郎らに人気を奪われる形になった。以降は脇役が多くなるが、演技力を活かした重要な役所が多く、中年期に入って以降も映画やテレビで名優として活躍していた。
1976年から南田洋子と夫婦二人でKBS京都が主催する交通遺児支援のチャリティー番組「かたつむり大作戦」のキャンペーンパーソナリティーとして出演を続けていた。ただし2005年で同大会は終了した。
1985年に『洋子へ』(データ・ハウス)を出版。妻である南田洋子への告白という形で、自身の奔放な女性関係などを実名で赤裸々に記し、いわゆる暴露本として世を騒がせた。これに対し実名を書かれた女優などが強く反発。長門(データハウス)側は初版を回収し、問題箇所を書き直した版が再度出されたと言われる。長門は「ゴーストライターによる口述筆記だったため真意が伝わらなかった」などと弁明したが、この騒動が以後の長門の芸能活動に大きな悪影響を及ぼしたと見る者も多い。
ワイドショーの取材を受け、長門が「こんな本はダメです!」と自著を机に叩き付ける場面がテレビで放送されたりもした。この件を機に一時期干されるがその後復活し、70歳を過ぎた今でも脇役やゲスト出演が多いとはいえ現役で活躍中である。
同郷出身の近藤正臣が永らく出演していた金鳥の蚊取りマット(リキッド含む)のCMで、一度だけ「ニセたぬき」として出演。CM中では本物(?)たぬきの近藤から追いかけられた。
同い年の愛川欽也、大橋巨泉、財津一郎、藤村俊二らと「昭和九年会」を結成している。
ちなみに、サザンオールスターズの桑田佳祐は長門の若い頃に顔が似ており、昔は桑田本人もそれをネタにしていた。
弟の雅彦と同様、関西が舞台のテレビ・映画・舞台作品では、関西弁で演じている。
「笑って許して!!」(日テレ)に第1期の回答者としてレギュラー出演していた時に、マッハ文朱がゲスト解答者として出演し順調に正解を重ねてパーフェクト(全問正解)を狙っていたが、長門が第5問を正解してそれを阻止したため、マッハを号泣させてしまった。阻止した時点で長門以外の解答者、そして観客、更には司会の所とうつみから長門に非難の声が相次いだ。長門は「ごめん!当たっちゃたんだよ!」と詫びた。しかしマッハは第6問を正解してトップ賞(5問正解)を獲得し、この出来事は番組史上最大の出来事となった。
出演
横堀川(1966年・NHK)吾平役
天と地と(1969年・NHK大河ドラマ)
赤い疑惑(1975年 - 1976年・TBS系ドラマ)
赤い衝撃(1976年 - 1977年・TBS系ドラマ)
おていちゃん(1978年・NHK連続テレビ小説) 大沢伝太郎(ヒロインの父)役 - ヒロインは叔母の沢村貞子がモデルであるため、自らの祖父に当たる役であった
虹を織る(1980年・NHK朝の連続テレビ小説) 島崎賢次郎(ヒロインのおじ)役
徳川家康(1983年・NHK大河ドラマ) 本多重次役
八代将軍吉宗(1995年・NHK大河ドラマ) 徳川光圀役。徳川綱吉役の実弟・津川雅彦と共演
太陽にほえろ!では、ボス(石原裕次郎)が病気療養を終えて復帰した際、犯人役としてゲスト出演した
特捜最前線(テレビ朝日系ドラマ) 蒲生警視役
私鉄沿線97分署(テレビ朝日系ドラマ) 滝村捜査課長役
少女に何が起ったか(1985年・TBS系ドラマ)音楽大学の主任教授・東役
スケバン刑事シリーズ(1985年:フジテレビ系ドラマ) 暗闇指令役
パート1は前半は一話完結、後半は続き物という体裁であり前半は声とシルエットだけの出演、エンディングでのキャスト紹介で大きく「?」とされていた。後半の途中で顔が出て以降は名前がクレジットされた。なおパート2は暗闇指令が主人公サキを裏切るハードな展開で、最終回で正義を取り戻すシーンがシリーズを通して唯一決戦場に自ら足を運んだ、最大の見せ場となった。「?」の表記されていた時、当時見ていた方の大半は声と口調から長門とピンと来た方も多かった。
スチュワーデス物語(1983年・TBS系ドラマ) 主人公の継父・松本役
池中玄太80キロシリーズ(日本テレビ系ドラマ) 楠木役
プロゴルファー祈子(フジテレビ系ドラマ)丸元賢三役
八百八町夢日記(1989年・日本テレビ系ドラマ)観音寺伝蔵役
珠玉の女(1992年10月〜1993年3月、よみうりテレビ・VSO)
相棒(テレビ朝日系ドラマ) 北条晴臣(閣下)役(実弟・津川雅彦と共演)
サラリーマン金太郎3(2002年・TBS系ドラマ) 総会屋・大須賀義助役(実弟・津川雅彦と共演、劇中で対立する役柄が話題に)
月曜ミステリー「陰の季節5 事故」(2003年3月17日、TBS)
菊次郎とさき(2003年・テレビ朝日系ドラマ)
『戦国自衛隊 関ヶ原の戦い』(CTV、2006年) 本多正信役(実弟・津川雅彦と共演)
報道特別ドラマスペシャル『生と死を分けた理由…アース・クエイク 平成18年春・東京大震災』(日本テレビ系、2006年4月3日放送)
鬼平犯科帳(フジテレビ系ドラマ)相模の彦十役
どんど晴れ(2007年・NHK連続テレビ小説)
篤姫 (2008年NHK大河ドラマ)
映画
無法松の一生(1943年)当時の芸名は沢村アキヲ
狐の呉れた赤ん坊(1945年)7歳の善太役 当時の芸名は沢村アキヒコ
太陽の季節(1956年)石原裕次郎のデビュー作として有名だが、主演は長門裕之
にあんちゃん(1959年)安本喜一役
当たりや大将(1962年)主人公の大将役
拝啓天皇陛下様(1963年)棟田博役&ナレーション
ガラスのうさぎ(1979年)主人公の父役
スケバン刑事(1987年)暗闇指令役
スケバン刑事 風間三姉妹の逆襲(1988年)暗闇指令役
226(1989年)木戸幸一役
将軍家光の乱心 激突 (1989年)(多賀谷六兵衛役)
女帝 春日局(1990年)本多正信役
遠き落日(1992年)北里柴三郎役
シベリア超特急2(2000年)
しの(2003年)
寝ずの番(2006年)笑満亭橋鶴役(監督は実弟のマキノ雅彦こと津川雅彦)
スケバン刑事 コードネーム=麻宮サキ(2006年)暗闇警視役
舞台
積木くずし1984年〈貝谷隆一役〉
バラエティ、その他
スター千一夜(フジテレビ系)実弟・津川雅彦と共演。
ミュージックフェア(フジテレビ系)3代目司会者。南田洋子と夫婦で司会
とんねるずのみなさんのおかげです(フジテレビ系)コント「近未来警察072」松本三郎隊長役
くるみ割り人形(サンリオ製作)(文学博士)
いい旅夢気分(テレビ東京系)実弟・津川雅彦と共演。故郷の京都市内を旅した。
主な受賞歴
1959(昭和34)年度ブルーリボン主演男優賞ホワイトブロンズ男優賞「にあんちゃん」
1963(昭和38)年度毎日映画コンクール助演男優賞「古都」
以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。
